徒然時事日記 -17ページ目

赤ちゃんポスト

 「赤ちゃんポスト」が10日正午から熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)で始まる。賛否両論が渦巻く中での運用開始だ。


 このポストは「こうのとりのゆりかご」と名付けられた。扉を閉めると施錠され、再び扉を開けることはできない。「産み捨て」や「捨て子」を防ぐ緊急避難的な措置だと言われている。兎も角も、その赤ちゃんは匿名の「産みの親」の手を離れ、親の顔を知らないまま成人への道のりを歩むのである。捨て子の助長か、命の救済か。わが国は真の意味で福祉国家の力量が問われることとなった。


 10日朝から、すでに10本以上の相談などの電話が病院側にかかってきているという。病院の蓮田太二理事長(71歳)は「うれしい一方で緊張感もある。預けるより、できるだけ相談してきてほしい。それが母子の大きな救いにつながる。ともに悩んでゆきたい」と話す(毎日新聞 電子版)。


 病院側にとっては、命の救済が使命となろう。その医の倫理は、生命倫理のイデー(Idee)からすると当然の結果である。しかし、それは「産んで捨てる」行為とは比較対照とはならないものである。それらを等置して、是か非かを論じることは危うい。

「産んで育てる」人の行為が通常である。「産んで捨てる」行為は、通常の人の営みではない。これは誰しも等しく認識される。人間社会とは、一般的に前者の永続的な営為の集積によって成立している。社会は歴史的でもある。しかし、トーマス・ホッブスの『リバイアサン』を敷衍すると、この社会は従って通常でない歴史ともなる。暴力的ともなる。人間社会においては、「産んで捨てる」行為もおこるのである。と同時に、「産んで捨てられた」子の命を救い社会の一員として育てることは否定されないであろう。「救える命がある」ならば、宝子として社会が育てる必要があろう。それが国家を超える人間の営為である。


 「産んで育てる」ことの本当の意味を、親が学ぶべきである。真の<親学>である。私の小さい頃は、近所のお姉さんが抱っこして遊んでくれたものだった。5つも8つも大きいお兄さんがたちが遊んでくれたものだった。そして私が成長するにおいて、また近所の赤ちゃんを膝の上に抱っこしてあやしてあげたものだった。その彼等も既に40歳前後となっている。親となっている。『親学』が最近叫ばれているが、笑止千万だ。国が国民に対して『親学』を行うとはまさに情けない事態だ。<親学>は実生活、地域社会、家庭生活の中で育まれるものだ。「産んで捨てられた」子の命を救う社会意識の高揚のもと、然る後に制度の整備が受け皿となるべきではないのかと考えるのである。


労わりの心がないのか

 私の住んでいる人口が8万人にも満たない町に、盲学校がある。毎朝その学校に通う視覚障害者の数は知らない。ただ、彼等が通学で使用する駅は、同時に他の県立・私立併せて5つの高校生も使っている。


 5つの高校生の数は1学年平均500人としても、その小さな駅としては大変な朝の混みようとなる。上りの電車に乗るOLやサラリーマンもいる。朝の一時などは、改札が下車する高校生で大混雑となる。その中、圧倒的な数のその高校生に混じって、盲学校の生徒が下車し、途中まで同じ方角を目指して歩いてゆく。白い杖をついている。母親らしき人に手を繋がれて歩く目の不自由な子供もいる。その進行方向を遮るように高校生が「わー」と押し寄せ、だらしなく携帯するカバンやバッグが白い杖に当たりそうになる。しかし、間一髪のところで避けられた。「当たらなければいいじゃないか」とでも言うのか。


 このJRの駅には、手すりに点字がない。以前利用していた駅には、手すりにもトイレにも点字が施されており、非常に感心したものであった。ところが、先の駅にはない。もちろんトイレにもない。トイレの入口にもない。ある時、男性の視覚障害者が杖を頼りにトイレに入ろうとしていた。だがそこは混雑する女子トイレの入口だった。順番待ちの女性は何もせずただ見ているだけだった。そこに至るフロアーなどに点字ブロックや、壁に点字が施されていたらどんなにか良かったものを。私はただの傍観者だけに過ぎなかったことを悔いた。


 【産経抄】(2007/05/01)には、次の記事が出ていた。  
▼もっとも、駅は視覚障害者が笑顔でいられる場所ばかりではない。とりわけホームは、「欄干のない橋」にたとえられるほど危険な場所だ。29日午後、JR大阪環状線桃谷駅で、目の不自由な夫婦がホームから転落、普通列車にはねられ大けがをした。鍼灸(しんきゅう)師の夫(70)は、大事な右腕を切断されてしまった。
▼エッセーをこう結ぶ。視覚障害者全員が「大丈夫」と言い切れる駅作りを急がなければ。


 「欄干のない橋」にたとえられるほど危険な場所を無事に過ごしたとしても、やはり危険が待ち受けている。階段、改札、一般道路、交差点等々。やはり、「大丈夫」ではない。エスカレーターと階段が併設されているところはもっと危険だ。ここから階段ですよ、ここからエスカレーターですよという点字案内がない。一般道路は尚更である。どんなにか不安だろう。私に一体何ができるだろうか。


 私は近いうちにガイドヘルプの講習を受けて、視覚障害者の通学の安全に役立つ人間になりたいと思っている。ボランティアでもいい。光を失った人の本当の気持ちはわからないが、おせっかいにならないようなヘルプしたいと思う。


 それにしても、あの高校生達には労わりという人間の情がないのか。高校の通学指導がないのか。服装の乱れを放置していいのか。やはり、服装の乱れは精神の乱れに通ずるのである。怒りの鉄拳を振り上げたいものだ。

消費と貯蓄について

わが国の勤労者のうち給与所得者すなわちサラリーマンはおよそ5000万人前後であると言われている。サラリーマン世帯の給与所得の伸びが戦後経済の成長によって右肩上がりであった事は確かでもある。従って、給与所得者の消費支出の動向が日本経済に大きな影響を与えていることは否めないことである。
  

 平成の不況期を耐えて、サラリーマンは更に安定志向が強くなった。自分や家族の将来に対して不安であり、何の警戒心も持たずにいられる状況ではなくなった。企業の存続を賭けたリストラクチャリング(リストラ)は、いわば嵐のように吹き荒れたものだった。サラリーマンの家計は火の車となった。自殺者の多さが社会問題となった。その時代を必死の思いで乗り越えてきたのである。爪に火を灯すように消費生活の転換をし、給与のわずかな部分を貯蓄に回し将来に備えようとした。


  1970年代の2度にわたる石油危機を経て日本経済は安定成長の時代に入った。 高度成長の時代は終わったのである。その後日本経済は貯蓄した資金を投資する際に土地と株に大きなバブル状態を発生させた。バブル経済崩壊後の日本経済にとって経済の浮揚のもっとも大きな足かせになっているのは消費の落ち込みであった。需要が回復しなかったのであった。銀行の不良債権に端を発した貸し渋りは中小企業を中心として深刻な影響を与えた。貸し渋りによって中小企業の資金繰りが行き詰まって従業員が多数解雇された。これによって失業者が生まれ消費がさらに落ち込むという悪状況が生まれた。バブル経済崩壊後の言わば高失業時代は金融機関の不良債権処理が本格化した時点から顕著になったのであるとさえ言える。

 

  さて、ここでその【消費と貯蓄】に関しての経済学上の一般的な理論と実体経済とを俯瞰してみたい。所得のうち消費に回す割合を経済学では【消費性向】と言う。正確に言えば、可処分所得に占める消費の割合のことである。例えば月収30万円の家計所得の家族が月に21万円を消費に回した場合、消費性向は21/30 = 0.7であると言う。一般に高所得の家計の消費性向は低く、低所得の家計の消費性向は高いと言われる。いわば、低所得の家計では「貧しい」と感じられるのである。一方、月収80万円の家計の消費支出が40万円であればこの家計の消費性向は40/80 = 0.5となり、月収30万円の家計の消費性向=0.7より低くなる。【消費性向】とは消費に回る可処分所得の割合を表しているものであるから、消費支出が21万円と40万円の絶対額の大きさを比べるものではない事を確認して論を進めるならば、後者のほうが「豊かさ」を享受しているのだ。


 さらに続けると、例えばこの二つの家計にそれぞれ1万円の臨時収入があったとしよう。この場合に二つの家計がその1万円をどのように利用するかを考えると、月収30万円の家計は8900円を消費に回し、月収80万円の家計は4800円を消費に回したとする。このとき1万円に占める消費に回った金額の割合を上述のように示すと0.89と0.48となる。この数字は【限界消費性向】と呼ばれる。所得に対して最終1単位の追加所得があった限界消費性向は消費性向に近い値を出すので、追加所得の中から消費に回る割合は低所得の家計の方が高く高額所得の家計の方が低くなるとされる。。


 これを実体経済の中で考えてみようと思う。1999年の消費性向のデータで、家計の消費性向が上昇したというものがあるとしよう。その意味するところは、消費者の消費が上昇したのかというと、平成不況の中で所得が逆に減ってしまったので消費性向が上がったに過ぎないことを表している。所得の減少によってその減少分だけ消費を切りつめることは各家計にとって難しいことである。消費の減少分より所得の減少分の方が大きければ消費性向は上がってしまうからである。所得が上昇しその上昇分より消費の伸びの方が大きくて消費性向が上がったというのならば消費は旺盛だといえよう。だが、その時点の消費性向の上昇は決してそのようなことではない。所得の減収分に見合った消費の切りつめが仕切れていないことの結果である。結局、平成不況に突入してからかれこれ10年あまり過ぎた1999年の段階での消費の状態は、所得が減少してしまったので各家計で消費性向を上昇させざるを得なかっただけだと言えよう。


  消費性向と逆の概念に【貯蓄性向】がある。所得のうち貯蓄に向けられる割合を【貯蓄性向】という。消費性向と一対の概念であり、消費性向と貯蓄性向の和は1となる。一般的にわれわれ日本人の貯蓄性向は比較的高いと言われている。敗戦後すぐのわが国の状態は貯蓄もしたいが物も買いたいと言う状況であった。貯蓄と消費を同時に増加させるには所得を上昇させる以外に方法がなく、池田勇人首相は「所得倍増計画」を施策として実践したのだった。これによってわが国は高度経済成長の時代を迎えた。その政策が軌道に乗り、「エコノミック アニマル」と揶揄されるまでの経済大国になったのであった。


  経済学者のケインズ(John Maynard Keynes)は経済を「所得・消費・貯蓄・投資」として表現した。貯蓄は所得から消費に回った分を差し引いた残りであり、それが回りまわって投資になっていくと考えた。いわゆるケインズ学派は、「総需要曲線」をもって、社会全体の所得が上昇するにつれて総需要の伸び率は却って逓減して行くことを主張した。わが国の所得階層別における消費税の支出割合から推測すると、社会全体の需要にも所得が上昇していけば需要の伸び率は却って逓減しその分だけ貯蓄に回される割合が伸びて行く傾向はあると思われる。更には所得からは税金が差し引かれ結果として公共投資や公務員の給与等になっていくのである。別名「不況の経済学」と言われるケインズ学派の経済学は不況によって生み出される多くの失業者に雇用の場を与えるために公共事業を行うことを不況克服の処方箋としたとも言える。


  戦後のわが国の経済は概ね右肩上がりに賃金が上昇する成長を果たした。そしてわが国の個人貯蓄は多額となったが、バブル経済崩壊後においては需要が極端に低下し、生産が減少して従業員の解雇に繋がったのである。雇用不安の中で消費者は支出を切りつめ社会全体の需要の低下となったといわざるを得ない。いわゆるデフレスパイラルの状態だったのだ。


  消費性向と貯蓄性向は一対の概念とは言いながら、対極的でもあり、矛盾を胚胎しているとも言えるコンセプションである。家計における【貯蓄性向】の上昇は、個人の安心感を醸成させるが、それが極端になると消費が落ち込むことに繋がる。【消費性向】が極端に上昇すると貯蓄が阻害される要因ともなる。そのバランスの調整がいつの時代でも課題となる。「見えざる手」=「神の手」に導かれて「調和」するのであろうか。現代国家における実体経済は、アダム・スミスの時代とは懸隔しており、インビジブルハンドに導かれる事を期待するのは過酷なことである。経済運営の主導は、やはり「政治」なのである。