労わりの心がないのか | 徒然時事日記

労わりの心がないのか

 私の住んでいる人口が8万人にも満たない町に、盲学校がある。毎朝その学校に通う視覚障害者の数は知らない。ただ、彼等が通学で使用する駅は、同時に他の県立・私立併せて5つの高校生も使っている。


 5つの高校生の数は1学年平均500人としても、その小さな駅としては大変な朝の混みようとなる。上りの電車に乗るOLやサラリーマンもいる。朝の一時などは、改札が下車する高校生で大混雑となる。その中、圧倒的な数のその高校生に混じって、盲学校の生徒が下車し、途中まで同じ方角を目指して歩いてゆく。白い杖をついている。母親らしき人に手を繋がれて歩く目の不自由な子供もいる。その進行方向を遮るように高校生が「わー」と押し寄せ、だらしなく携帯するカバンやバッグが白い杖に当たりそうになる。しかし、間一髪のところで避けられた。「当たらなければいいじゃないか」とでも言うのか。


 このJRの駅には、手すりに点字がない。以前利用していた駅には、手すりにもトイレにも点字が施されており、非常に感心したものであった。ところが、先の駅にはない。もちろんトイレにもない。トイレの入口にもない。ある時、男性の視覚障害者が杖を頼りにトイレに入ろうとしていた。だがそこは混雑する女子トイレの入口だった。順番待ちの女性は何もせずただ見ているだけだった。そこに至るフロアーなどに点字ブロックや、壁に点字が施されていたらどんなにか良かったものを。私はただの傍観者だけに過ぎなかったことを悔いた。


 【産経抄】(2007/05/01)には、次の記事が出ていた。  
▼もっとも、駅は視覚障害者が笑顔でいられる場所ばかりではない。とりわけホームは、「欄干のない橋」にたとえられるほど危険な場所だ。29日午後、JR大阪環状線桃谷駅で、目の不自由な夫婦がホームから転落、普通列車にはねられ大けがをした。鍼灸(しんきゅう)師の夫(70)は、大事な右腕を切断されてしまった。
▼エッセーをこう結ぶ。視覚障害者全員が「大丈夫」と言い切れる駅作りを急がなければ。


 「欄干のない橋」にたとえられるほど危険な場所を無事に過ごしたとしても、やはり危険が待ち受けている。階段、改札、一般道路、交差点等々。やはり、「大丈夫」ではない。エスカレーターと階段が併設されているところはもっと危険だ。ここから階段ですよ、ここからエスカレーターですよという点字案内がない。一般道路は尚更である。どんなにか不安だろう。私に一体何ができるだろうか。


 私は近いうちにガイドヘルプの講習を受けて、視覚障害者の通学の安全に役立つ人間になりたいと思っている。ボランティアでもいい。光を失った人の本当の気持ちはわからないが、おせっかいにならないようなヘルプしたいと思う。


 それにしても、あの高校生達には労わりという人間の情がないのか。高校の通学指導がないのか。服装の乱れを放置していいのか。やはり、服装の乱れは精神の乱れに通ずるのである。怒りの鉄拳を振り上げたいものだ。