Je suis le père de Chip.

Je suis le père de Chip.

Chip Chihuahua,le chien de ma famille.
Nous l'aimons beaucoup.
Nous voulons vivre avec lui pour toujours.

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チップのお見送りをしてお骨拾いまでの時間、同じ場所で鬱々としたまま過ごす気分になれず、斎場の外に出て過ごすことにした。

 

時刻はちょうどお昼を過ぎたあたり。

今朝、自宅を出発した頃には、雨上がりとはいえどんよりとした雲が空を覆っていたのだが、チップの旅立ちに合わせるかのように綺麗に晴れ上がった。

 

とりあえず家族で過ごせる場所を探そう。

車で5分ほどのところにこじゃれたカフェなどもあったのだが、それほどの食欲もなく車中でサンドイッチなどを軽くつまむことにした。

 

コンビニで買い物をして海に向かい、とある海水浴場の駐車場に車を停めてみた。

目の前に広がる日本海の波は穏やかだ。晴天の視界の先には佐渡島がくっきりと見える。

今頃、チップの魂はあの青い空を一生懸命駆け上っているのだろうななどと思いながらしばしの時を過ごした。

 

斎場へ戻りお骨拾いをした。

チップが私たち家族に残したただひとつのカタチあるものをわずかの欠片も残すまいと丁寧に時間をかけて拾い上げた。

 

 

 

おととい、チップの旅立ちに立ち会った。

チップがいつも散歩していた道をゆっくりと車でたどり、海辺の道から斎場に向かった。

自宅から車で約30分の距離。町はずれの集落の一角に斎場はある。

自宅を出る時、斎場の看板が見えた時。

その時が近いという何とも言えない心持ちになる。逃げ出したい感情を振り切ってひたすら車を前に進める。

車中、ママと長女は、チップを抱っこして思い出話をしながらジリジリとした感傷を和らげていたようだ。

 

斎場といっても、古くて小さな外観でペット専用のお寺。

担当の方からこれからの段取りなどの説明を受けて、チップのなきがらを棺に納める。

チップ愛用の人形やクッション、日頃食べていたちゅーるなどの食事とイチゴケーキ、大好きだった顔ローラーも旅立ちのお供だ。

娘のおさがりの顔ローラーで全身マッサージをしてあげると、そのまま寝てしまうほどに気持ちよさそうにしていたお気に入りのアイテムだ。

家族それぞれが思いを込めて自分たちが愛用した品物をチップの旅のお供にした。

あらかじめ選んでおいたガーベラやカーネーションなど色とりどりの花を添えてから、最後の別れの時間となった。

 

時間を忘れてチップへの感謝を伝えて別れを惜しんだ。

ほかの真新しい施設なら急かされることもあるのだろうが、午前中最後ということあったのだろう、施設側からは「お時間です」という言葉を一度も聞かされることはなかった。

おかげで、納得のいくまで別れの時を過ごすことができたように思う。

 

チップの棺のふたが閉じられて、あの子が部屋を出ていく時は無性に涙が出て止まらなかった。

 

「チップ、バイバイ」

パパが出勤する時にチップにかけていた言葉だ。

「パパは帰って来るよ」「今日一日、元気でいい子で過ごしていてね」

そんな思いを込めたチップへの最愛の言葉だった。

部屋の扉が閉まる時も、思わず「チップ、バイバイ」の言葉がでてしまった。

 

静かに眠るチップ。

その表情はとても穏やかで、今にも起き上がってそばに寄ってきそうな気にさえさせられる。

 

チップの旅立ちのために何をしたらいいのだろう。

私たち家族は、そんな思いを抱きながらそれぞれの時間を過ごしている。

 

昨晩、長男はチップとともに一夜を過ごしたようだ。

そして、今晩は長女がチップと一緒にいる。

チップがわが家にやって来た15年前から、同じ家族としてずっと一緒に過ごしてきたのだから、チップとの別れを惜しむ感情がことさらに強いのはごくごく当たり前のこと。

 

昨日はチップの棺に納める花を選んできた。

夕方、近くの花屋へ家族で出向いて、チップに似合いそうな花をさまざまな思いを込めて一本一本丹念に選んだ。

 

ママはチップの親元である親戚に連絡を取り、チップの旅立ちの報告と感謝の意を伝えたとのこと。

チップの父親はスムースのダフニス君、母親はロングコートのクロエちゃん。両親とも数年前に亡くなっている。

チップの兄弟のほとんどがこの世を去り、健在なのは2頭だけとのこと。

 

夜が明けたら、チップとの本当の別れの時がやってくる。

パパはこうしてチップが子供の頃の画像を見てはブログを書いて気を紛らわせながら、まんじりともしない夜を過ごしている。

 

時がこのまま止まって欲しい。いや、少しで良いから時計の針が戻ってくれないかとの思いが込みあげてくる。

 

 

 

 

今朝、チップが旅立った。

静かな旅立ちだった。

6月生まれのチップは15歳を迎えたばかりだった。

この日が必ずやってくると覚悟をしていたつもりなのだが、いざこうしてみると、ことのほか喪失感は大きい。

 

2年ほど前、これまで経験したことのない激しい発作で危険な状態になって入院した時は、獣医さんの言葉どおり覚悟もした。

意識もおぼつかないまま数日が過ぎ、連日パパとママで面会もした。

家族の必死の思いが伝わったのか、やがてチップの容態は快方に向かって退院となったものの、その後遺症には悩まされた。

 

おぼつかない足取りなのに同じ場所をいつまでもクルクルとまわっては、疲れるとどこででも横になって寝てしまう。

視力の著しい衰えから、あちこちと鼻先からぶつかるようになった。

チップの表情が元気な頃とは違う。

声には出さないが、そんな共通認識が家族全員にあった。

 

今、こうしてピクリともしないチップの顔を見ていると、ことのほか和らいだあの頃のチップらしい表情に戻ったような気がする。

晩年、小さな身体を襲った痛みや恐怖から解放されたからなのだろうか。いつまでも生きていて欲しいと思っていた私たち家族のもとを旅立つことで和らいだあの頃を取り戻したとするなら、チップには「がんばったね。でも、もうがんばらなくて良いんだよ。本当にありがとう。」の言葉しかない。

 

私たち家族は、この物言わぬ小型犬にどれだけ癒されたことだろう。

パパにしてみても、横になっているパパの顔をいつまでもペロペロと舐めたり、信濃川ウォーターシャトルの水上バスで一緒に風に吹かれてみたり、古町や万代そしてやすらぎ堤を力一杯走ったり、そんな光景が今も走馬灯のように駆け巡る。

 

持病持ちのチップは、病院通いや寝ずの看病など、とにかく手のかかる愛犬だった。チップの15年間を天寿とするならば、チップがわが家にやって来てからのこの15年間は、飼い主とともに精一杯生きた年月だったように思う。

 

チップとの出会いは私たち家族に多くの宝物をもたらしてくれた。

私たちのもとを旅立つことによって、きっと永遠の命と自由な身体を手に入れたのだろうね。あれだけがんばったんだもの。

パパとママがそちらの世界に行った時は、またパパとママの大切な家族になってくれるかな?

 

チップ、いつまでも一緒だよ。

 

そして、本当にありがとう。

今年の6月でチップは13歳となった。

人間で言うと立派な後期高齢者とのことだ。

足もとはヨロヨロでおぼつかない。

おしっこやうんちの場所も定かでない。


パパと一緒に水上バスに乗ったり、古町で一生懸命走っていた頃のあの元気はもうない。


一日中、部屋の中をウロウロして疲れては横になって寝てしまう。そんな毎日の繰り返しだ。

パパやママを見てもシッポをフリフリなんてこともなくなった。


チップは物言わぬ小型犬に過ぎないが、わが家には饒舌にいろいろなことを教えてくれた大切な家族。


私たちとともに過ごした、あのきらめいていた頃よりも今のチップは手のかかる老犬になってしまった。それでも、こうしてパパもママも変わりなくチップと一緒にいる。


これからもずっと一緒だよ。





前回ここに投稿してから、もう2年もの月日が流れた。

ピークの頃は毎日のように更新していたのだが、

持病持ちのチップの体調が安定しなくなってからはその意欲も萎え、

政治ネタなどで何とか誤魔化してきたのが正直なところだ。

 

今となっては、パパのネットとのつきあいは、

TwitterなどのSNSに取って代わってしまっている。

それと、仕事の環境の変化と趣味がいくつか増えたこともあって、

このブログは長い間放置状態となってしまった。

 

その間、大学生だった娘は社会人となって巣立ち、

今は県外でひとりコロナ禍の閉塞感と戦いながら暮らしている。

そのせいか、ママとのホットラインは連日busyのようだ。

ママを介して娘の様子が伝わってくるので、それもまた良し。

 

チップはというと、相変わらずわが家の癒し犬としての地位は不動で、

この子がいてくれるおかげでどんなに救われているか。

飼い主家族を和ませてくれる愛犬の神通力が萎えることは無い。

 

ただ、12歳半と既に老犬の域に達しているせいもあり、

体調の起伏は以前にも増して大きくなっている。

今は長い距離を散歩することが難しくなったため、

ママが町内をゆっくりと歩かせたり、

抱っこをしたまま散歩するようになった。

 

チップはもともと外の景色を見ることが好きで、

以前は、信濃川ウォーターシャトルに一緒に乗ってみたり、

いろいろな場所をチップと散歩していた頃が懐かしく愛おしい。


あと何年一緒にいられるか。

考えたくなくても考えてしまう。

これまでと変わらぬ生活をと思う今日この頃。


 

最近ハマっているのがコールスローサラダ。

今回も面倒なので画像はないよ(笑)

なくても作れるところが簡単レシピたるゆえんかな。

 
材料はとてもシンプル。
キャベツ適宜。
市販のコールスロードレッシング適宜。
要は全て目分量。キャベツが多いなと思えばドレッシングも多めにすれば良い。ただそれだけ(笑)
ちなみに、面倒なのでキャベツ以外は何も入れない。
 
ドレッシングの容器に書いてある調理方法は、食べる30分前にドレッシングをかけて冷蔵庫に置いておく。凝ったことは絶対しない無粋な男料理。ただこれだけ(笑)
 
ここで気をつけることは、キャベツの分量にもよるが、時間と共にキャベツから水分が結構出てくるので、ドレッシングが薄まることである。そんな場合は、食べる直前にでも改めてドレッシングをかけて味を調整すると良い。ポイントは、最初はドレッシングを薄めにして食べる直前に味を調整するということかな。
 
彩りなど関係ない。
キャベツの淡い緑とドレッシングの白い色さえあればそれでよろし。食卓が爽やかな彩りとなる。インスタでよく見かける茶色だらけの料理にもいいアクセントになると思うよ(笑)
 
ビールを飲みながら作っていると、コールスローが出来上がった頃にはビールを飲み干してしまっているなんてこともある。これが男料理の最大の難点(笑)もしかしたら....醍醐味でもある。
 
ドレッシングは、キューピーとケンコーマヨネーズの2種類を試してみた。
パパとしては、ケンコーの方がスキっとしていいかなと思ってる。まぁ、どちらでも美味しく作れるのだけどね。そこは自分の好みということで。
 
そんなこんなで、11月に入ってから、コールスローだけでキャベツを3玉食べてしまった(笑)

ご無沙汰していました。

たまに更新したかと思えば、いつも画像も映像もない不愛想なブログ(もはや、そんな体裁も調っていないかも)で申し訳ない。

 

チップは今年6月に10歳を迎え、既に老犬の域には達しているけど、何とかグズグズのバカ犬っぷりを発揮している。まあまあ元気かな。とはいえ、ママにとってはかわいい我が子だったのが、今や介護老人ならぬ老犬の扱いに人間と犬の寿命の違いを実感し始めたというのが近況か。愛犬にも健康寿命を意識した毎日を送らせたいと思うのは我が家だけではあるまい。

 

いささか長い前置きになってしまった。

 

最近、インスタインスタと訳の分からぬ画像や映像を見せつけられることが立て続けにあった。しかも、「どうでした?」と感想を言わせることで閲覧強制。そんなもの良いも悪いも無かろうに。批判的なことなど言えるはずもない。余計なやり取りは時間のムダなので、「とっても美味しそうですね。毎晩食卓が華やいでご家族がとても羨ましいです。」的な感想で逃げ切ったことが複数回あった(笑)

 

パパもこの歳になると、ハイカロリーな食事はむしろ避けている。というよりも、見ただけで満腹になってしまうのである。おうちごはんとかというと、渾身の力を込めて作っている方々の何と多いことか。パパとして興味があるのは、むしろ、その御仁がインスタに載せていない時の食事がどうだったかということかな。意地悪と言われそうだけど(笑)

 

いくらインスタ映えとか言われて、栄養バランスが良いとしても、さつまいもなどの極端に甘いものや、ブロッコリーなどの具材がたっぷりの味噌汁なんぞ、パパにとっては何もそそられるものがない。頭の古い人間なのだろうが、パパにしてみれば禁じ手の具材をいきなり味噌汁に使うなどもってのほかなのである。

 

私頑張っていますと言わんばかりのインスタ大公開なのだろうが、興味のない人間にはことのほか苦痛にしか思えない。自分のインスタの紹介をすることはあっても感想など求めないで欲しい。ということで、インスタやフェイスブックのアカウントは削除した。さりげなく、拒否とスルーの対抗手段としてだ(笑)

 

しつこいようだが、インスタのおかげでレシピや彩のバリエーションを増やした方も多いことだろう。だが、味噌汁に合う具材は思いのほかたくさんあるはずなのに、あえてブロッコリーを入れてくる神経は理解しかねる。いかにもおもてなしの心溢れる画像なのだが、要はインスタ映えが主目的なので、キレイ・スゴイ・おいしそうのコメントやいいね!があればインスタの主としてはミッションコンプリートなのだろう。

 

子供にまで「お母さん美味しかったよ」のコメントを入れさせているとは、何ともほのぼのとした家庭ではないか(笑)実際はどんな家庭なのか、むしろ別のところで興味がわく。家族の有様もインスタ仕様ではなく、コメント通りの仲の良い家族であらんことを願う(笑)

 

たくさんの品数を揃えて良い奥様、ご主人様になり切りたい気持ちもわからんではないが、公開するならさりげなくなんだろうね(笑)むしろ、一品一品を極める方が料理そのものの腕前も上達するのではないかと思うが、どうだろう。おもてなしの心にも持続可能性を問うとするならば、こちらの方が確実だと思う。

 

インスタで画像を見て不味そうともコメントできないので、あえて場所を変えて思いのたけをぶちまけてみた(笑)

 

まぁ、ブログもインスタも載せるのは勝手、だが、それが自分にとって気合いを入れたものであればあるほど、誰かに戦慄を与えてしまうこともあるからご注意を(笑)

 

こんなことを書くことができるのも、アクセス数が少ない炎上もほぼない耐火ブログだからだろうね(爆笑)

ジャズが好き。若い頃からそう言って憚らなかった。

でも、今思うと背伸びしていたのだと思う。

自分が好きというよりも、

ジャズが好きだと言っている自分に酔っていたのかも。

でなければ、ちょっとカッコ良さげな無難な想定問答といったところか。

 

あるショッピングサイトの会員を何年も続けている。

その会員向けに無料視聴できる音楽サイトがあって、

ほんのたまに聞くことくらいはしていた。

 

松任谷由実とか、今井美樹なんて

一流どころの楽曲も聞くことができるのだが、

残念ながらサザンオールスターズは聞けない(笑)

 

暇つぶしでスマホからその音楽サイトを久々に覗いてみた。

課金すれば何でも聞けるサイトとは違って

ほんの冷やかし半分で覗いただけでしかないなのだが、

いろんなジャンルの曲があることに今さらながら驚いた。

 

平山美紀の「真夏の出来事」や

いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」とか、

いかにもパパの歳がわかってしまいそうな曲もあった。

 

もちろん、ジャズもたくさんの曲があった。

BGMでジャズが流れている店は多い。

和食の店でもジャズなんて新潟にある。

この曲聞いたことがある。

ジャズの定番なのは判っているのだが、

不思議と曲名を知らないというのがジャズなのかも。

 

今にしてみれば、何やら胡散臭い自称ジャズファン。

ふと取り出したスマホでジャズを聴いてみる。

結構知っている曲ばかりだ。

あれ以来、安いBluetoothの機材を買い込んで、

ヘッドホンや車の中で聴く日々だ。

 

マイルス・デイビス、ウィントン・マルサリス、

ビル・エバンス、アート・ブレイキー等々。

ここのところ、ジョン・コルトレーンがお気に入り。

パパもそういうものがしっくりと来る歳になったのかな。

 

たまに、イーグルスなんてのも聞いているけどね。

ホテルカリフォルニアではなくて、

ラスト・リゾートの方が好きなんだけどね。

相変わらず、プロコルハルムはずっと聴いている(笑)

いよいよ今日で平成の時代が終わる。

世の中は10連休ということで何やら浮かれ気分という向きもあるようだが、どうにもパパはそんな気分にはなれない。この時代の変わり目にあたっては、カウントダウンとかそうしたお祭り気分とは別な場所に自分を置いておきたい心境なのである。

 

時代。世相。確かに、憲政史上、わが国が武器を手に取り戦争に手を染めた時代ではなかった。東日本大震災をはじめとした天変地異も多かった。

 

こうして平成の時代を回顧してみると、幸いにして、そうした戦禍や災難は我が身には降りかかりはしなかったが、自分なりにこの上ない幸福を享受した時代でもあり、どん底の思いをした時代でもあった。

 

天皇皇后両陛下は即位以来国民の安寧を祈り続けてこられた。

国民ひとりひとりの安寧はそれぞれの心の中にある。だが、75年前の大戦の犠牲者の鎮魂と幾多の災害の被災者に心を寄せ続けることで、この祈りは国民に届いたのではないか。

 

手を合わせるとか宮中祭祀といった形式的なものではなく、両陛下自らの強くたゆまざる思いがほかならぬ祈りだったのではないだろうか。その祈りが国民に心を寄せる発露になってきたのではなかろうか。

 

各地を訪問するにしても、御製や皇后陛下の御歌を拝見しても、市井の人々に心を寄せるぬくもりを感じることができる。

 

国民を暖かく見守る父と母。平成は両陛下の慈愛に満ちたお心を感じ取ることができた時代でもあった。