今朝、チップが旅立った。
静かな旅立ちだった。
6月生まれのチップは15歳を迎えたばかりだった。
この日が必ずやってくると覚悟をしていたつもりなのだが、いざこうしてみると、ことのほか喪失感は大きい。
2年ほど前、これまで経験したことのない激しい発作で危険な状態になって入院した時は、獣医さんの言葉どおり覚悟もした。
意識もおぼつかないまま数日が過ぎ、連日パパとママで面会もした。
家族の必死の思いが伝わったのか、やがてチップの容態は快方に向かって退院となったものの、その後遺症には悩まされた。
おぼつかない足取りなのに同じ場所をいつまでもクルクルとまわっては、疲れるとどこででも横になって寝てしまう。
視力の著しい衰えから、あちこちと鼻先からぶつかるようになった。
チップの表情が元気な頃とは違う。
声には出さないが、そんな共通認識が家族全員にあった。
今、こうしてピクリともしないチップの顔を見ていると、ことのほか和らいだあの頃のチップらしい表情に戻ったような気がする。
晩年、小さな身体を襲った痛みや恐怖から解放されたからなのだろうか。いつまでも生きていて欲しいと思っていた私たち家族のもとを旅立つことで和らいだあの頃を取り戻したとするなら、チップには「がんばったね。でも、もうがんばらなくて良いんだよ。本当にありがとう。」の言葉しかない。
私たち家族は、この物言わぬ小型犬にどれだけ癒されたことだろう。
パパにしてみても、横になっているパパの顔をいつまでもペロペロと舐めたり、信濃川ウォーターシャトルの水上バスで一緒に風に吹かれてみたり、古町や万代そしてやすらぎ堤を力一杯走ったり、そんな光景が今も走馬灯のように駆け巡る。
持病持ちのチップは、病院通いや寝ずの看病など、とにかく手のかかる愛犬だった。チップの15年間を天寿とするならば、チップがわが家にやって来てからのこの15年間は、飼い主とともに精一杯生きた年月だったように思う。
チップとの出会いは私たち家族に多くの宝物をもたらしてくれた。
私たちのもとを旅立つことによって、きっと永遠の命と自由な身体を手に入れたのだろうね。あれだけがんばったんだもの。
パパとママがそちらの世界に行った時は、またパパとママの大切な家族になってくれるかな?
チップ、いつまでも一緒だよ。
そして、本当にありがとう。