パニック障害 近況②です。

 

私が患っているパニック障害は、10年前と比べて、状況が良くなっているのか?

 

答えはあまり良くなっていないと思います。

 

相変わらず発作の恐怖や不安、外出恐怖はありますし。

 

しかし、昔よりかは、対処療法ではありますが、コントロールすることができてきたし、その選択肢も増えてきました。

 

 

ただ一つ言えるのは、状況によって左右しているとは言えます。

2年くらい良くなっているのが続いているときがあれば、最悪でほとんど外出できないような1年もありました。

 

良くなっている時に共通しているのは、仕事や学校など、毎日のように外出しなければならない期間に集中しています。

 

それは「パニック障害 近況①」でふれたとおりです。

つまり、私には多少でも、強制性が強い外出理由が必要になるようです。

 

 

 

 

最近は、また仕事を始め出して、総合的に鬱や不安を感じる時間帯は減ったように思います。

 

しかし、仕事に行く前の緊張感や、鬱感、体調の崩れ方は相変わらずであり、ハンパないです。

 

冗談抜きでバンジージャンプするときくらい、決心してドアの外へ足を踏み出し、震えが止まらないようなことも少なくありません。

 

本当にどうしたらいいんだろう。

 

 

 

また、最近はずっと夜勤が続いていて、体力的なしんどさにも困っております。

 

今の仕事は拘束時間がとても長く、良くて12時間。

悪い時には15時間くらい拘束時間があります。

しかも、明けの休みが無く、帰ってきてからすぐ寝て、すぐ起きての出勤なんかもざらにあります。

 

こういったことも、仕事へ行く前の圧倒的拒否反応につながっているのだと思います。

 

慣れてきているとはいえ、やはりしんどいのはしんどいものですね。

 

今の仕事は宿り木のようなもので、転職も気長に考えています。

 

 

 

 

 

 

さて

 

 

僕のように「ここ一番」という時に不安を感じ、強烈な吐き癖を起こす人はどのような人がいるでしょうか。

 

「リオネルメッシ」の画像検索結果

 

僕とは次元というか全くレベルが異なり、恐縮ではありますが、たとえば世界的なサッカー選手であるリオネル・メッシも吐き癖がある選手として有名なようです。

 

彼はクラブチームでのプレイでもそうなんですが、ワールドカップなど「ここ一番」というときほど、吐き癖が表れるようです。

 

あんな世界的に活躍している選手が!?

 

と意外に思いましたが、祖国の代表として参加し、その注目をガンガンに浴びる彼の心情といったら、ものすごいプレッシャーなのかもしれませんね。

 

 

 

 

しかし、トップアスリートの世界は勝負の連続の世界です。

 

 

幼いころから数々の勝負の場面に対峙し、そして勝ち抜いてきた、いわば百戦錬磨の強さを備えた鉄壁の心臓の持ち主のはずでしょう。

 

 

それなのに、そんな彼らでさえも、ここ一番というときの弱さを見せているわけです。

 

 

このことからも、単に最前線で活躍している人たちだから、単純に勝負に強いとか、メンタルが強い、パニック障害にならない。そういうレベルの話ではないのかもしれないと最近思い始めました。

 

元サッカー日本代表の内田篤人選手も、試合中によく嘔吐感があったといいます。

 

「指を突っ込んでやっている感じ。長友さんもそういう時期があったと聞いて、その時にガムを噛んで治った」と話しています。

 

ということは長友選手もそういった嘔吐感に悩まされた時期があったのでしょうか。

 

 

ガムを噛むという行為は、私も予期不安や発作が近くなっているときに、よく噛むことで乗り越えてきました。

 

 

私の場合は、噛むことによって意識を咀嚼へ向け、不安をやりすごすという意味で無意識的にも噛んでいました。

 

内田選手はこの「ガムを噛む」という行為のおかげで、嘔吐感に悩まされなくなったといいます。

 

ある分析によると

「なぜガムを噛んだらこの症状が消えたのかというと、脳内のセロトニンの働きを強め、ノルアドレナリンの過剰な働きを抑制できたため。セロトニンは、心地よいと感じている時に、働きが促進されます。ガムを噛む事で、症状への不安に意識が向かなくなった」

 

このように分析されています。

 

 

なかなか興味深いですね。

 

 

ナインティナインの矢部も、27時間TVではじめてダウンタウンと絡むとき、プレッシャーからトイレに籠もってゲロゲロ吐きまくっていたといいます。

 

一線級で活躍している人たちでさえ、このように闘っているんですね。

 

 

 

人によってここ一番ってときの状況の程度の差こそあれ、

 

誰もが

「ここ一番!」

「絶対に失敗は許されない!」

 

 

という瞬間があるのです。

 

 

人によってそれぞれ戦場は違いますが、みんななんらかの恐怖や不安と闘っている。

 

 

そう考えたら、それら不安や恐怖に対して立ち向かう勇気が出てくるというものです。

 

勇気とは人間が持ちうる、最も誇らしい武器です。

 

要は恐怖や不安と対峙したとき、どのように立ち向かうか、どのように乗り越えるのかなのでしょう。

 

「恐怖からくる震えを、武者震いへと変える」

「ネガティヴからポジティヴ思考へ!」

 

それができるという事実も、人が持つ素晴らしい性質なのでしょう。

 

本能からくる恐怖を、理性で捻じふせる!

 

逆境、ピンチこそ最大のチャンス!というように。

 

どんな頑強な人間でも、恐怖や不安は必ずある。

 

それを無くすことなど、絶対不可能。

 

逃げても逃げても、不安や恐怖はやってくる。

 

となれば、あとは立ち向かうしかないんでしょう。

 

 

 

どうせ逃げられないのなら

「不安や恐怖という敵を、徹底的に分析し、白日のもとに晒し、研究し尽くす!」

 

そして克服する!!

 

それができるのなら、やるべきですよね。

 

 

 

 

でもそれは簡単なことではない。

 

できるなら、メッシもとっくにやってるだろうし。

 

特に不安障害を持つ人にとっては、それは並大抵のことではない。

 

 

でも、それでも、やれるときに全力を尽くせばいい。

 

いつもやる必要はない。

 

きっとやれる瞬間・タイミングは必ずやってくるはずだから。

 

とポジティブに考えて、自分に言い聞かせていきたい今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むちゃくちゃいい曲ですよね。

曲ももちろんですが、歌詞が・・・

 

 

まずはこれ聴いてください

 

 

 

茜色の夕日

作詞:志村正彦
作曲:志村正彦


茜色の夕日眺めてたら

少し思い出すものがありました

晴れた心の日曜日の朝

誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら

少し思い出すものがありました

君が只 横で笑っていたことや

どうしようもない悲しいこと



君のその小さな目から

大粒の涙が溢れてきたんだ

忘れることはできないな

そんなことを思っていたんだ



茜色の夕日眺めてたら少し

思い出すものがありました

短い夏が終わったのに

今 子供の頃のさびしさが無い



君に伝えた情熱は

呆れる程情けないもので

笑うのをこらえているよ

後で少し虚しくなった

東京の空の星は

見えないと聞かされていたけど

見えないこともないんだな

そんなことを思っていたんだ



僕じゃきっとできないな できないな

本音を言うこともできないな できないな

無責任でいいな ラララ

そんなことを思ってしまった

(しまった しまった)



君のその小さな目から

大粒の涙が溢れてきたんだ

忘れることはできないな

そんなことを思っていたんだ

東京の空の星は

見えないと聞かされていたけど

見えないこともないんだな

そんなことを思っていたんだ

 

 

 

 

 

この曲を作った「フジファブリック」ボーカルの志村さん

 

彼は音楽でなにかを表現する夢をもって上京しました。

 

上京して間もなくこの曲を作ったらしいですが、上京してからも思ったようには上手くいかず、茜色の夕日を見ていたら、上京する前のことと、上京してからの自分を重ねてふっとこの曲が出てきたんだと思うんです。

 

 

実はこの歌詞は実話からきているようです。

インタヴューによると、上京する前に地元で好きな人がいたらしく、上京への意志を、情熱をその人に伝えたらしいですね。

 

すると「君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ」

忘れることはできないなって。

 

 

「僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった」

 

ここの歌詞からして、志村さんはどうしても不器用な人であり、結局、その人への自分の思いを伝えることができなかったようですね。

 

そしていく度も繰り返される次の部分のサビ歌詞

「東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ」

 

 

切なさとともに、こんな歌詞書ける人っていますか?

なかなかいないと思いますね。

 

 

 

 

かくゆう私も中二のとき、心から好きな子がいました。

いつも仲良くしてて、ふざけあって、家に帰ってからもずっとその子のことばかり考えていました。うぬぼれかもしれないですけど、その子も私のことを悪く思っていなかったはずだと思うんです。

 

私は転校しなきゃだったし、自分の思いを伝えてみたかった。

でもどうしても伝えられない。

私はその頃まだガキだったし、妙にカッコつけだった。

それに、もし伝えても、いままで繰り返されてきたふざけあったような日々が消えてしまうんではないだろうか。それが怖かったのです。

もしYESと応えてもらっても、その後その子とどう付き合っていったらいいのか

まるで想像がつきませんでした。

恋愛がどういうものかなんてまるで知らなかったし、ある意味恐怖だったのです。

 

つまり意気地なしだったわけです。

 

その後、5年くらい一度も会ってないのに、一度もしゃべってないのにずっと好きなままでした。猛反省して、その後の人生は、結果はどうあれ絶対本音だけは言うべきだなと思いました。

今となっては、ふっきって全然違うキャラになってしまいましたが(笑)

本音バシバシ言える人間になりました(笑)

性格って変わる、変えられるもんなんですね。

 

とにかく、当時の私と「茜色の夕日」の歌詞が妙に重なって、マジ泣きそうになるんです。

 

あの頃の純粋さはもう戻らないだろうに、でもこの曲はそれが私の中に存在したことを思い出させてくれるんです。

 

 

志村さんのこの曲への思い入れはすごいみたいです。

インディーズの頃に作って、何度も作りなおしてはメジャーデビューしてからも、再度この曲を発表していますし。


氣志團のメンバーと志村さんは、下積み時代同じバイト先で志村さんが色々あって夢を諦め
地元に帰ろうか悩んでた時期に綾小路翔に
「じゃあ、茜色の夕日くれ」
と、言われたところで彼は思い留まったらしいです。
実際氣志團はこの曲をライブで何度かカバーしてるらしいです。

 

 

 

※志村さんの実際のインタヴュー内容

「歌詞の中の自分と
実際の自分の間に距離があると
それは、
メッセージにならないのかな... 
凄い寂しい。とか、
受け入れられたい。とか... 
歌いたいと思っていても
自分のリアルな日常が
新婚ホヤホヤで満たされていて
お金もあって... だと、
一種の矛盾が生じてしまう...
僕はそういう楽しみよりも
メッセージのリアリティのほうを
取ってしまったということです。
だから、
自分らしい歌詞を書くために
僕は結婚していないし
彼女もいない。
とも言えるんです。
バンドの中身。
つまりは
歌詞に込めたメッセージに
伴う自分になるために
自分を変えていったというか... 
日常の自分を自分の歌詞に
シンクロさせるという
酷なことをしてますね。
歌詞の世界と
殉死してるわけです。」

 

 

と・・・彼は本物ですね・・・

 

 

そして夢をかなえたときのこの映像

 

 

 

 

まじ、涙でそうになるんですけど・・・・・・・

 

 

残念なことに彼はこの2年後くらいに亡くなっているんです・・・・

原因はいまだに不明らしいです。

突然死のようであるみたいなんですが

 

 

彼は高校時代?奥田民生のライヴに感動したことがキッカケで夢を志したわけですが、

進学校であったにも関わらず、卒業してすぐ夢を追い求めて上京したんですね。

 

彼はクリスマスイヴの日?に亡くなって、その年末にライヴをひかえていたのですが、そのライヴに奥田民生が追悼ライヴとして参加して、この「茜色の夕日」を歌ったみたいです。

彼はどうやら楽曲途中に泣いてしまったようです。

 

 

 

私の二つ前のブログに書きました

 

「自分の命よりも大切な存在を見つけのこす」→https://ameblo.jp/panic-jinsei/entry-12319361478.html

 

もちろん志半ばでの逝去だったとは思うんですけど

 

ある意味、彼は実はそれをもう見つけてはいたのではないかと思うのです。

 

だって彼が亡くなってからも、これだけの人に愛され続ける楽曲群を残して、彼は死んでからも愛される何かを見つけ・生み出し・残したと思うんですよ。

 

彼の死を悼むたくさんのファンの声を聞いてると、そう思うんです。

 

 

 

でも、本当はもっと生きてもらえて、素晴らしい楽曲を現在進行で作り続けてくれてたら良かったのになあと思います。もっともっと、たくさんの新曲が聴きたかった。

 

 

ちなみに彼も心労からのためか、私と同じパニック障害を患ってしまい、電車に乗ることが怖いと言っていたらしいです。

 

 

本当に最高のものを残していただけたと思います。21世紀になってから、日本のバンドの中でも私が一番はまったバンドであり、21世紀以降生まれた日本バンドで、いまだに一番素晴らしいバンドだと思っているからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はパニック障害という病を抱えています。

その病の詳細については省き、記録として私のパニック障害の近況と見解を残しておきたく書きます。なぜならすぐ忘れてしまうから、読み返せるように。

私のパニック障害の詳細とその治療については

              ↓

https://ameblo.jp/panic-jinsei/entry-11071570577.html

 

 

 私は1年近く前にある仕事を辞めてからというもの、ほぼ引きこもりの生活を続けています。

仕事環境から、心身ともに疲れきってしまい、失業保険の間は療養して、また復活できたらと考えていました。

 

 

 しかし、結果からいうと心身状態はどんどん悪くなり、外出することでさえ毎回覚悟を決めて出なければならないほどの状態になりました。

 いわゆる、パニック発作が出てしまう→予期不安に陥る→しだいに鬱になる→予期不安で洗脳され、パニックを恐れ外出を拒む→外出しないことによりさらに内気になり、鬱が進む→頑張って外出を試みるもパニック発作が起きる、または予期不安に洗脳される→さらに外出が怖くなる。

 

 このような悪循環のループにはまってしまい、どんどん悪くなってしまったわけです。

 

たいていの日は気分は最悪です。

 

無気力、無感動、いわゆる鬱の状態ですね。

 

 

そしてある事情から、たまたま1週間ほど前から仕事に行き出すようになり、外出恐怖と鬱がかなり軽減されるようになりました。(仕事へ行く前の予期不安はまだまだありますが・・・)

 

 

しかし、その外出恐怖と鬱が軽減されたのはなぜか?

 

簡単なことで、一番の原因はそもそも外出してなかったことにあったのです。

 

外出しないことが当たり前になることにより、次への外出への恐怖と不安が否応なしに高まる。

 

それが悪循環の根源だと気づいたのです。

 

その悪循環を破ったのが何かというと、仕事へ行くということだったわけです。

 

仕事に行く初日は、もう嫌で嫌でたまらなくなり、もう予期不安でいっぱい。気が狂う思いでした。

私は基本的に仕事に行くことも大嫌いだし、外出するというだけで吐き気がするし、友だちと遊ぶためでさえ、娯楽でさえ外出が嫌いでたまりませんでした。

 

 

前職を辞めた理由である人間関係問題が、もうアレルギーが起こるくらい嫌だったし、何より仕事なんて苦痛の連続であり、その中に快楽なんてとうてい見いだせない。

仕事が好きな人なんていますか?

まあ中にはいるでしょう。

でもたいていの人が、生活のために仕方がなくやっている。

仕事が好き!なんて言う人は、まあラッキーです。

良い仕事ができてうらやましいです。

あえて反社会的なことを、声を大にして私の正直な気持ちを言いましょう。

 

「仕事なんて大っきらい!!!」

「仕事なんて一生したくないねん!」

 

 

あースッキリした(笑)

 

でも本当に正直な気持ちなんです。

 

 

仕事への嫌悪・さらに未知の仕事への恐怖、そこにパニック障害と鬱と外出恐怖がプラスオプションのハッピーセットとして追加され、まぁ初日は気が狂いそうなマイナス思考の嵐でした。

 

二日目も気が狂いそうでした。

しかし、何かが違う。

薬の量も過剰に服用しなくてすみそう。

 

 

三日目も嫌でした。

しかし、あきらかに何かが違う。

鬱と外出恐怖が軽減されていることに気づきました。

 

 

仕事へ行くのが嫌なのは変わらないのですが、それは面倒くさいの延長、ダルいの延長の上での嫌だったのです。それって世間の当たり前のレベルのイヤさ加減。

つまりパニック発作や鬱、外出恐怖の上での「嫌」という部分が軽減されていたのです。

 

それどころか家にいるプライベートの状態のときも、鬱が軽減されている。

 

これは自分でも意外でした。

 

 

この良くなってきている原因ついて考えてみました。

 

 

 まず一つ目の原因としては、仕事の要領が分かってきて、だいたいの不安材料や恐怖が予測できてきたこと。私は未知のものに対しての不安が常人のそれとは逸していまして、それが不安発作を抱えてる原因の一つにあげられるわけですが、その不安が弱まったこと。

 

 

二つ目は人間関係の気遣いをあまりしなくていい現場だからです。

もちろん社会人としての最低限の気遣いは必要なわけですが。

 

 前職は私以外の人間の多くが女性であり、そのためかは分かりませんが、私に対しての悪い噂話は飛び交い、なにかにつけては叱りつけようと、まるで弱みを常に探られているような人間環境でした。そのうち噂話は誇張され伝えられるわけです。そして最後には根も葉もない嘘の噂話を流されたり、休日の日もLINEでクドクド送ってこられます。誇張されるくらいの噂話ならまだ我慢できますが、それが根も葉もない嘘話で責められ続ける日にはもうやってられなくなりました。こちらが根も葉もない嘘なんだと正当性を主張してもまるでダメですし、その話が解決しても、また別の根も葉もないことで責められます。

 

 私が辞めた後はそのターゲットが別の人にうつったことを聞きました。要はその人たちは責めやすければ誰でもよかったのでしょう。ストレスを振り向けられる相手がいれば誰でもいい。誰かを悪者にしたて上げていれば、普段から悪口を言い合っているその人たちの間でも、ある種の結束ができるわけです。拙く薄汚い結束だと思いますがね。だから僕の後にも先にも新人が定着しないんでしょうね。

 

 

 とはいえもちろん普通の人たちやお世話になった人たち、それどころか「あなたが女神か!」と見まごうような看護師さんも2人存在していました。問題は私の直近にS級妖怪が3名ほどたまたまいただけなのです。私の職歴からたどっていっても、滅多にいないタイプであるはずのS級妖怪が3名もいたのですチュー

 

 

まぁ、そういった人間関係要素が今回の仕事ではあまり見受けられない。

変な噂話などは耳にしない。

人の悪口を言う人が少ない。

男だけの現場だからか、寡黙な人が多い。

無駄なおしゃべりはしなくていい。

変な気を使う必要性がないことが良かったのですね。

それが私の不安を軽減させる原因となり、病気の発症を弱めたのだと考えています。

 

とはいえ、まだ仕事をはじめて浅いわけであり、この先どんな人が出てくるのかは分からないですけどね。

 

三つ目は求められる責任負担が少ないことです。

前職は病院のICUでしたので、わずかの油断が患者さんの命につながってくるわけです。そういう意味で気が抜けない。いつも気を張っていなくてはならない仕事でした。

 

今回の仕事も当然責任はあるわけですが、その負担が前職と比べて少ないことが、私の不安を抑え、病気の発症を弱めているのだと考えられます。

 

 

四つ目は「仕事をすることで所属と収入からの安心感が得られること」です。仕事をすることによって、社会の歯車の一部として自分が機能している事実を認識でき、安心することがまず1つ。私は社会に対する恐れが強いです。しかしそれでも、なんらかの形で社会の機能の一部として、居場所として、席が欲しいわけです。

また、仕事をしていないことが、私にとって何らかの重みとなるんです。なにか分からないけど罪悪感となるわけです。家族に対しても、なんだか分かりませんが、ハッキリ眼を見てしゃべれなくなりますし、申し訳ない気持ちになります。さらには、高齢となる両親との未来に対して、経済的な面で不安でいっぱいになります。

これらのことの不安を解消する意味でも、病気の発症を遠ざける要因になるのだと考えています。

 

 

そして五つ目にして、最大の原因は先にも触れたように

仕事である限り、否応なしに外出しなければならないからです。

仕事をしていないときは、おおげさな話、外に出なくてもいいわけです。

しかも、実家だから衣食住の心配もない。

それがますます、外出の必要性がなくなる理由となり、かえって外出恐怖をひどくしていくことになるわけです。

 

それならば散歩とか外出することをすればいいではないか

と思うでしょうが、それがなかなか・・・

 

そもそも私は家にいることが大好きです。またネットをすることが好きなのに、なぜ好き好んで外出せねばならないのでしょうか。

散歩では外出理由としては弱い・・・

だからといって外出するための趣味といえる趣味もない

図書館に通えば?と医者に言われたことがありますが、いやいやいやいや

 

面白いか?図書館。

 

毎日通うほど面白いのか?

 

「面白いのか?図書館」

 

 

家のほうが面白いにきまってます(笑)

 

そもそも外出というだけで、お金がかかることもザラにあります。

失業保険があるうちはいいけど、無収入だと外出も萎えるわけです。

 

ならどうすればいいか、もう仕事をするしかない。

収入もできて、強制的な外出の理由もできて、外出に対する恐怖も慣れで弱まる。

一石二鳥というわけです。

仕事はダルイけどそのメリットはデカイです。

 

それにしても「慣れの威力」ってすごいですよね。

人間って慣れの力があるから、なんとかなるんだと思うんです。

「慣れの威力」については、昔にブログで考察しましたが、よかったらご覧になってください。

              ↓

https://ameblo.jp/panic-jinsei/entry-11225171241.html

 

 

 今回のことでハッキリしたのは、状況を打開するためには、やはり足掻くしかないのだと分かったことです。何らかの行動を起こさなければ、状況は変わってくれない。病気は悪くなる一方でした。最初の一歩はめちゃくちゃ気が狂うほど不安で、恐怖で発狂しそうになりますが、一歩を踏み出さないと苦しいままなのかもしれません。

 また、長い夏休みのような期間は、外出恐怖のある私にとっては、インドアが加速することにより最悪の状況を迎えてしまうのだと身を持って思い知りました。いうなれば夏休みの後の新学期を迎え、イヤイヤ登校する小学生の姿の究極版が私であるのです。

 

 この病気をもっている以上、私の人生にとって「継続するインドア」はタブーであり続けることでしょう。

 

 しかしでもまぁ、仕事をしだしてからまだ数日、たまたま別の何らかの作用で症状が改善しただけなのかもしれません。本当に上記で述べた原因が関係して調子が良くなっているのか断言はできません。これからの経過を自分ながら注意深く見守っていきたいと思います。

 

仕事をいつまで続けられるのか、不安ではありますが、全力を尽くしたく思います。

 

 

 

パニック障害 近況②

 

に続きます。