むちゃくちゃいい曲ですよね。
曲ももちろんですが、歌詞が・・・
まずはこれ聴いてください
茜色の夕日
作詞:志村正彦
作曲:志村正彦
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝
誰もいない道 歩いたこと
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君が只 横で笑っていたことや
どうしようもない悲しいこと
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることはできないな
そんなことを思っていたんだ
茜色の夕日眺めてたら少し
思い出すものがありました
短い夏が終わったのに
今 子供の頃のさびしさが無い
君に伝えた情熱は
呆れる程情けないもので
笑うのをこらえているよ
後で少し虚しくなった
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
(しまった しまった)
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることはできないな
そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
この曲を作った「フジファブリック」ボーカルの志村さん
彼は音楽でなにかを表現する夢をもって上京しました。
上京して間もなくこの曲を作ったらしいですが、上京してからも思ったようには上手くいかず、茜色の夕日を見ていたら、上京する前のことと、上京してからの自分を重ねてふっとこの曲が出てきたんだと思うんです。
実はこの歌詞は実話からきているようです。
インタヴューによると、上京する前に地元で好きな人がいたらしく、上京への意志を、情熱をその人に伝えたらしいですね。
すると「君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ」
忘れることはできないなって。
「僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった」
ここの歌詞からして、志村さんはどうしても不器用な人であり、結局、その人への自分の思いを伝えることができなかったようですね。
そしていく度も繰り返される次の部分のサビ歌詞
「東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ」
切なさとともに、こんな歌詞書ける人っていますか?
なかなかいないと思いますね。
かくゆう私も中二のとき、心から好きな子がいました。
いつも仲良くしてて、ふざけあって、家に帰ってからもずっとその子のことばかり考えていました。うぬぼれかもしれないですけど、その子も私のことを悪く思っていなかったはずだと思うんです。
私は転校しなきゃだったし、自分の思いを伝えてみたかった。
でもどうしても伝えられない。
私はその頃まだガキだったし、妙にカッコつけだった。
それに、もし伝えても、いままで繰り返されてきたふざけあったような日々が消えてしまうんではないだろうか。それが怖かったのです。
もしYESと応えてもらっても、その後その子とどう付き合っていったらいいのか
まるで想像がつきませんでした。
恋愛がどういうものかなんてまるで知らなかったし、ある意味恐怖だったのです。
つまり意気地なしだったわけです。
その後、5年くらい一度も会ってないのに、一度もしゃべってないのにずっと好きなままでした。猛反省して、その後の人生は、結果はどうあれ絶対本音だけは言うべきだなと思いました。
今となっては、ふっきって全然違うキャラになってしまいましたが(笑)
本音バシバシ言える人間になりました(笑)
性格って変わる、変えられるもんなんですね。
とにかく、当時の私と「茜色の夕日」の歌詞が妙に重なって、マジ泣きそうになるんです。
あの頃の純粋さはもう戻らないだろうに、でもこの曲はそれが私の中に存在したことを思い出させてくれるんです。
志村さんのこの曲への思い入れはすごいみたいです。
インディーズの頃に作って、何度も作りなおしてはメジャーデビューしてからも、再度この曲を発表していますし。
氣志團のメンバーと志村さんは、下積み時代同じバイト先で志村さんが色々あって夢を諦め
地元に帰ろうか悩んでた時期に綾小路翔に
「じゃあ、茜色の夕日くれ」
と、言われたところで彼は思い留まったらしいです。
実際氣志團はこの曲をライブで何度かカバーしてるらしいです。
※志村さんの実際のインタヴュー内容
「歌詞の中の自分と
実際の自分の間に距離があると
それは、
メッセージにならないのかな...
凄い寂しい。とか、
受け入れられたい。とか...
歌いたいと思っていても
自分のリアルな日常が
新婚ホヤホヤで満たされていて
お金もあって... だと、
一種の矛盾が生じてしまう...
僕はそういう楽しみよりも
メッセージのリアリティのほうを
取ってしまったということです。
だから、
自分らしい歌詞を書くために
僕は結婚していないし
彼女もいない。
とも言えるんです。
バンドの中身。
つまりは
歌詞に込めたメッセージに
伴う自分になるために
自分を変えていったというか...
日常の自分を自分の歌詞に
シンクロさせるという
酷なことをしてますね。
歌詞の世界と
殉死してるわけです。」
と・・・彼は本物ですね・・・
そして夢をかなえたときのこの映像
まじ、涙でそうになるんですけど・・・・・・・
残念なことに彼はこの2年後くらいに亡くなっているんです・・・・
原因はいまだに不明らしいです。
突然死のようであるみたいなんですが
彼は高校時代?奥田民生のライヴに感動したことがキッカケで夢を志したわけですが、
進学校であったにも関わらず、卒業してすぐ夢を追い求めて上京したんですね。
彼はクリスマスイヴの日?に亡くなって、その年末にライヴをひかえていたのですが、そのライヴに奥田民生が追悼ライヴとして参加して、この「茜色の夕日」を歌ったみたいです。
彼はどうやら楽曲途中に泣いてしまったようです。
私の二つ前のブログに書きました
「自分の命よりも大切な存在を見つけのこす」→https://ameblo.jp/panic-jinsei/entry-12319361478.html
もちろん志半ばでの逝去だったとは思うんですけど
ある意味、彼は実はそれをもう見つけてはいたのではないかと思うのです。
だって彼が亡くなってからも、これだけの人に愛され続ける楽曲群を残して、彼は死んでからも愛される何かを見つけ・生み出し・残したと思うんですよ。
彼の死を悼むたくさんのファンの声を聞いてると、そう思うんです。
でも、本当はもっと生きてもらえて、素晴らしい楽曲を現在進行で作り続けてくれてたら良かったのになあと思います。もっともっと、たくさんの新曲が聴きたかった。
ちなみに彼も心労からのためか、私と同じパニック障害を患ってしまい、電車に乗ることが怖いと言っていたらしいです。
本当に最高のものを残していただけたと思います。21世紀になってから、日本のバンドの中でも私が一番はまったバンドであり、21世紀以降生まれた日本バンドで、いまだに一番素晴らしいバンドだと思っているからです。