赤穂浪士の吉良邸討ち入りを指揮した大石良雄を祀る「大石神社」です。赤穂城の大手門を入って直ぐの場所にあります。右手は、大石良雄邸跡です。
正面参道脇には、四十七士の石像が並びます。
大石良雄は、赤穂城内の自邸で、赤穂藩筆頭家老の子として生まれました。通称:内蔵助。21歳で、自身も、筆頭家老に就いています。30歳のとき、京へ出て、剣術や儒教を学びました。
泰平の世では、良雄は「昼あんどん」とも呼ばれ、温厚で素朴な人物だったと言われています。
主君:浅野長矩が刃傷事件を起こし切腹、浅野家は断絶となってからも、「浅野家再興」の嘆願書の提出を続け、山科で隠棲。
しかし、浅野家再興が叶わないと決まるや、主君の仇討ちを決意。吉良家に討ち入り、吉良義央の首を、泉岳寺の主君の墓前に供えました。
その間の、リーダーシップたるや、古今に比類がないほどの、実力者だったと言われています。
湊川神社から移築したと伝わる、立派な山門「四脚門」です。
山門脇の良雄像。
「大願成就の神」と書かれています。
山門を守る大黒様。
本殿・拝殿です。
(青竹:No.3933)