チャールズ・ダーウインとエマ・ウェッジウッド~種の起源とジャスパーウェア
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ヴァレンタイン特集 ~My Only One~
ヴァレンタインにちなみ、英国史上有名なカップルとそれに合わせたアンティークアイテムをご紹介いたします。
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第三回:チャールズ・ダーウインとエマ・ウェッジウッド~種の起源とジャスパーウェア
新郎:チャールズ・ダーウイン/Charles Robert Darwin (1809-1882)
新婦:エマ・ウェッジウッド/Emma Wedgwood(1808-1896)
結婚:1838年
チャールズ・ダーウイン、ご存知ですよね。
彼が50歳の時、1859年に発刊された「種の起源」において、すべての生物が共通の祖先から進化したという「進化論」の考え方を初めて発表したことであまりにも有名です。それまでは「種は神の創造物である」という考え方が一般的であったため、この「進化論」は画期的なものでした。

Charles Darwin by G. Richmond
c.1830
Public Domain
彼の進化論のきっかけは1831年から1836年にかけて行われたビーグル号の調査航海に同乗したこと。

HMS Beagle by Conrad Martens
by Conrad Martens (1801-1878)
世界各地で様々な動植物を観察することが、その後に確立していく理論の大きな礎となったと言われています。
そんなダーウインが29歳の時、結婚相手に選んだのは、従妹のエマ・ウェッジウッド。

Portrait of Emma Darwin by George Richmond 1840
Public Domain
まず、ダーウィンは1809年にイングランド、シュルーズベリーで医師であり投資家だった父のもとに生まれます。そして母親の祖父は陶芸家・企業家であり、ジャスパーウェアを開発したジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)でした。
母は成功をおさめたジョサイアの莫大な遺産を継いでおり、これがダーウィンが生涯にわたって生活には不自由せず、研究生活に没頭できた理由の大きな一因であると考えられています。

Portrait of Wedgwood
by Joseph Priestley(1733-1804)
エディンバラ大学、ケンブリッジ大学で研究を重ね、ロンドンを拠点としていたダーウィンは、1837年、自身の研究と出版のために過労となり調子をくずし、故郷のシュルーズベリーに滞在します。
実際には親族が彼の話を聞きたがり、休養にはならなかったようですが、その時に優しく看護してくれたのが同い年のいとこ、エマでした。

Shrewsbury/Ireland's Mansion circa 1900; at the eastern end of the High Street, the building was built in 1596 for wealthy wool trader Robert Ireland. Still extant.
Public Domain
1838年7月に、動物の繁殖を書き留めたノートに将来の見通しについてダーウィンは二つの走り書きをします。
「結婚/Marry」と「結婚しない/Not Marry」に分けられた誌面には、それぞれのメリット、デメリットが書かれていました。
代表的な言葉としては以下の通り。
メリット
「constant companion and a friend in old age ... better than a dog anyhow」
「永遠の伴侶、老後の友人……いずれにせよ犬よりは良い」。
デメリット
「less money for books」「 terrible loss of time」
「本のためのお金が減る、おそろしい時間の無駄」。
結果的に彼は「結婚」を選び、エマにプロポーズし1839年に結婚する事となります。
信仰心篤いエマとの間には、進化論をめぐる問題もありましたが、10人の子供に恵まれ、ダーウィンは子煩悩なとても良い父親だったとされています。

Darwin in 1842 with his eldest son, William Erasmus Darwin
Public Domain
さて、ダーウィンとエマが暮らしたのはロンドンですが、彼らの祖父ジョサイアが生まれたのは、陶器の街スタッフォードシャーのストーク=オン=トレント。そこで生まれたのがスタッフォードシャードッグです。
スパニエルをモデルとした陶器の犬のことで、2匹でペアとなっているものが多く、主としてスタッフォードシャーで作られていたため、この名前で知られています。ヴィクトリア時代にはマントルピースの上に左右対称で置くことが大層流行したと言います。

Staffordshire Dog 19thCentury from Pancada Collection
チャールズとエマの夫婦のように寄り添うスタッフォードシャードッグ。
永遠の伴侶であり続ける姿に、ヴィクトリアンの人々は夫婦の理想をみていたのかもしれません。
*ご紹介しているスタッフォードシャードッグにつきましてはお問い合わせください。
by N
優しく甘く懐かしいお菓子はいかが
自由が丘駅からすぐの、すずかけ通り沿い東横線ガードの脇。
しばらく工事をしていましたが、最近やっと囲いがとれて、モダンで美しい建物が現れております。
一階は「ナナズグリーンティー」というカフェになっており、中にはおむすび屋さんとお菓子屋さんが入っています。

今回はそのお菓子屋さん=エッグタルト専門店「Nossabolo/ノッサボーロ」のエッグタルトを頂いてみました。

エッグタルトはカフェでそのまま頂いても、テイクアウトしてもOK。
今回はテイクアウトで頂きました。
外側のパイ生地はサクサク、クリーム部分はしっとり甘くクリーミー。
ポルトガル発祥のお菓子といえば、カステラや金平糖ですが、エッグタルトも
それらと同じように、優しく甘く、どこか懐かしい味を愉しむことが出来ました。

パンカーダにお越しの際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
Nossabolo
東京都目黒区自由が丘1-14-16
公式インスタグラム
https://www.instagram.com/nossabolo/
by N
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ウィリアム3世とメアリー2世~恋人というよりは戦友もしくは協定
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第二回:ウィリアム3世とメアリー2世~恋人というよりは戦友もしくは協定
新郎:ウィリアム3世(1650-1702)
新婦:メアリー2世(1662-1694)
結婚:1689年
英国史上平等の権力による「共同統治」が君主に認められた唯一の時代が「ウィリアム&メアリー」(1689-1702)です。

Ceiling of the Painted Hall, detail of King William III and Queen Mary II
Painting: Sir James Thornhill /18th century
Public Domain
インランド王・チャールズ2世の姪であったメアリー。
Mary II Portrait by Peter Lely, 1677
Public Domain
オランダとの関係を深めたい伯父の要請により、15歳のメアリーは27歳になるオランダ総督の従兄、オレンジ伯爵ウィレム(のちのウィリアム3世)と結婚。その後夫ともにオランダに移住するも、チャールズ2世の後を継いだ父ジェームズ2世を、イングランド議会の要望に応える形で兵を挙げ追放(名誉革命)。
結果メアリーは27歳で女王となりますが、王位継承権のない夫が王位を希望したため、「共同統治」という形になりました。
また、オランダとの関係が深まったため、結果的に英国の「反フランス」を決定づけた分岐点であったともいえます。

Mary II by Godfrey Kneller 1690
Public Domain

Portrait of William III of England 1690
by Godfrey Kneller
Public Domain
だいぶ急ぎ足での説明となりましたが、まず正当な王として君臨すべきだったのはメアリーだけだった、ということ。そして夫は基本的にはオランダ人であり、英国史においては通常、君主の配偶者に君主権はなく、単に配偶者でしかないため、非常に珍しい時代であったとされます。
夫婦仲は良いとはいえなかったようですが、戦争にはウィリアム3世が出かけ、メアリーが留守を預かる、という形で機能していたようです。
Battle of the Boyne between James II and William III, 12 July 1690
by Jan van Huchtenburg
Public Domain
1694年、メアリーはケンジントン宮殿で天然痘により32歳で崩御。わずか5年間の在位でした。その後ウィリアムは1702年、落馬による怪我がもとで52歳で崩御し、ウィリアム&メアリー時代は終わりを告げることとなります。
わずか5年の在位、戦争でほぼいない夫。
そんななかで共同統治という難しい事態を、メアリーはどのような気持ちで乗り越えていったのでしょうか。興味は尽きません。
そしてこの時代に生まれた家具の様式が「ウィリアム&メアリー様式」となります。
オランダ出身のウィリアム3世がオランダから優秀な家具職人を連れて来たことにより、家具の形や装飾が重厚なスタイルが多く見られるようになりました。
ウィリアム&メアリースタイル ディスプレイキャビネット
特徴としては、脚元はベルフットと呼ばれる釣鐘型のデザインや、階段や欄干の手すりを支える柱状の装飾のバラスターレッグや脚同士をクロスで繋ぐ貫(ストレッチャー)はウィリアム&メアリー様式の特徴の1つです。
短い時代ながらも、後々の世に大きな影響を残したウィリアムとメアリーは、やはり英国史上非常に存在感のあるカップル。

Engraving of William III and Mary II, 1703
R White, engraver, died 1703 - Private Collection of S. Whitehead
Public Domain
彼らの遺した爪痕を探しながら、英国史をたどるのも面白いかもしれません
by N
ヘンリー八世とアン・ブーリン イングランドにおける宗教改革の発端
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第一回:ヘンリー八世とアン・ブーリン~イングランドにおける宗教改革の発端
新郎:ヘンリー8世/Henry VIII(1491-1547)
新婦:アン・ブーリン/Anne Boleyn(c.1501-1536)
結婚:1533年

Henry VIII King of England by Hans Holbein der Jüngere c.1536
Public Domain

Portrait of Anne Boleyn(作者不明 c.1550年)
Public Domain
中世から抜け出し、ローマカトリックからの独立を果たした、という意味で英国ではなかなかの人気を誇るヘンリー八世。でも一方で6度の結婚をし、そのうちの二人の妻やその他多くの臣下を処刑した冷徹な暴君でもあります。
今回はその中でも有名な二番目の妻、アン・ブーリンとヘンリー八世のエピソードをご紹介いたします。
ヘンリー八世の始めの妻はカスティーリャ女王の娘キャサリン。実はもともとはヘンリー八世の兄の妻でした。兄は結婚後すぐに死亡したため、父親のヘンリー7世によってヘンリー八世とキャサリンは婚約させられたといわれています。
ヘンリーが18歳の時に戴冠後、すぐにキャサリンと結婚。しかしキャサリンが死産や流産を重ね、健康な子供は女児しか生まなかったことなどから、ヘンリー八世は多くの愛人をつくるようになります。
その一人が妻の侍女、アン・ブーリン。ただ、アン・ブーリンは愛人の座ではなく、正式な結婚を求めます。

Henry VIII's first interview with Anne Boleyn(アン・ブーリンとの出会い)
by Daniel Maclise(1806-1870)
Public Domain
当時イングランドはローマ法王を頂くカトリックでしたが、カトリックにおいて離婚は認められません。
そこでヘンリー八世が行ったのが宗教改革。1534年に国王至上法(首長令)を発布し、王自らをイングランド国教会の長とするとともに、カトリック教会から離脱します。
これで離婚ができるようになった、ということになります。(宗教改革には修道院を解体し、その財産を没収することによって国の財政を潤すなどの目的もありました)
1533年、ついに二人は結婚。

王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン
by Emanuel Gottlieb Leutze(1816-1868)
Public Domain
ただ、そこまでしてアン・ブーリンと結婚したのですが、彼女が生んだのは女児のエリザベス(後のエリザベス1世)。次第にヘンリー八世の関心は他の女性に移り、結婚から2年後には国王暗殺および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われ投獄。
一か月もたたないうちにロンドン塔にて斬首刑となります。その後ヘンリー八世は次々と4人もの妻を迎えることとなるのです。

The beheading of Anne Boleyn, from BILDER SAALS, 1695
Public Domain
ヘンリー八世にとってアン・ブーリンとはどんな存在だったのでしょうか。
宗教によって定められた最初の妻を廃してまで欲しかった一人。
その後はタガが外れたかのように次々と妻を変えていくことになる発端。
稀代の悪女か悲しい犠牲者か、諸説入り乱れるところではありますが、ヘンリー八世にとっては一時期確かに「ただ一人の存在」であったことは間違いないようです。
さて、このお話しにちなんでご紹介するアンティークはドラゴンフック。

19世紀フランスのお品物ではありますが、幻獣の王ドラゴンには様々な意味があり、それを考えるだけでも多くの時間を費やします。
そのうちのひとつが、ウェールズ国旗のレッドドラゴン。

ウェールズの旗
Public Domain
前述のヘンリー八世の父親、ウェールズ城で生まれたヘンリー7世こそが、レッド・ドラゴンを旗印とし、イングランドの王位継承権をめぐる薔薇戦争に終止符を打ったチューダー朝の始祖となります。彼が旗印としたのがレッド・ドラゴンでした。
複雑に絡み合う歴史の一端を眼にしつつ、あまりにも後世に影響を残した、ヘンリー八世とアン・ブーリンの恋に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

An early-20th-century painting of Anne Boleyn, depicting her deer hunting with King Henry VIII.
by William Powell Frith(1819-1909)
Public Domain
ドラゴンフックはこちらからご覧ください。
by N
ヴァレンタイン特別企画 ~My Only One~
2月14日はヴァレンタイン・デー。
由来はキリスト教の聖人、聖ヴァレンティヌスが269年頃の2月14日に処刑されたとされていることから。
彼はローマ皇帝の命により結婚を禁じられた恋人たちのために、結婚式を執り行ったために捕らえられてしまいます。そして、彼が処刑されたのはユノ(ローマ神話で結婚の女神)の祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれたとか。
他にも、結婚したばかりのカップルに自分の庭から摘んできたばかりの花を贈った・・・との伝説もあり、彼は「恋人たちの守護聖人」とされてきました。
そんな聖ヴァレンティヌスを崇敬し、祝うための日が聖ヴァレンタイン・デーです。
この度パンカーダではヴァレンタインデーにちなみ、特別企画「ヴァレンタイン特集 ~My Only One~」を開催。
愛によって結ばれた二人。
訳ありで結婚した二人。
事情は数あれど、互いにとって(その時には)オンリーワンの存在だったことは間違いありません。

ヴァレンタインに向けて、英国史上有名なカップルのエピソードをご紹介してゆきます。また、それに合わせて2つで1セットのお品物や、2つあることで相乗効果が生まれるもの、そして二人の名前がそのままアンティークアイテムの名前となったものなどをご紹介いたします。
1つでも良いけど、2つ揃うと効果は2倍以上になるアイテムたちと共に、強者ぞろいのカップルたちのエピソードをお愉しみください。
by N
395年前、フランス、パリ。
シャルル・ペロー/Charles Perrault。
聞いたことがある、という方は多いかと思います。
395年前、1628年1月12日にパリで生まれたペロー。裕福なブルジョワ階級に生まれた彼は、オルレアン大学で学び弁護士となり、1671年にはアカデミー・フランセーズ会員に選出されルイ14世に仕えました。
「赤ずきん」をはじめとする民間伝承をまとめた児童文学の先駆けとして知られています。

Portrait (detail) by Charles Le Brun (1628-1703)
Public Domain
彼を有名にしたのは、当時サロンで一篇ずつ朗読披露され、その後1694年に出版された「韻文による物語」、続いて1697年に出版された「寓意のある昔話、またはコント集~がちょうおばさんの話」でした。
ヨーロッパの民間伝承を詩の形にまとめ、教訓を加えたものでしたが、当時の風俗を反映させるなど子供にも親しみやすくまとめられており、後年には児童文学の始まりとも評されています。
ペローの物語は、現在も世界中の子どもたちに愛され、音楽や映画等々のテーマとなっているものが数多くあります。
代表的な作品をいくつかあげてみましょう。
「ロバの皮」1694年

by Paul Gustave Dore(ポール・ギュスターヴ・ドレ/1832-1883)
Public Domain
「赤ずきん」1697年

Illustration by Paul Gustave Dore 1862
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「眠れる森の美女」1697年

Illustration by Paul Gustave Dore 1867
Public Domain
「シンデレラ」1697年

Illustration by Paul Gustave Dore 1867
Public Domain
「長靴をはいた猫」1697年

Illustration by Paul Gustave Dore
Public Domain
「ロバの皮」以外は後年にグリム童話に収録されており、内容は少し変わっている部分があります。
ペローは17世紀フランス、グリム兄弟は19世紀ドイツですので、ヨーロッパ伝承といえども地域性や経年変化、そしてまとめる人の感覚が異なるのは当然と言えるでしょう。
ちなみに「ロバの皮」は王妃を亡くした王様が自分の娘である王女に求婚する・・・という内容ですので、グリム兄弟としては扱いたくなかったのかもしれません。そんな視点で両者の物語を比べてみるのも面白いかと思います。
3世以上を経ても、今なお私たちの原風景といえるような、おはなしを纏めてくれたシャルル・ペロー。
冬の寒い日、ペローの原作(訳本ですが)をゆっくり読み直すのもよろしいかもしれません。

A Young Girl Reading by Jean-Honoré Fragonard
between circa 1770 and circa 1772
Public Domain
by N
1月15日は大江戸骨董市に出店いたします。(雨天中止)
1月15日日曜日は、有楽町 東京国際フォーラムで開催予定の大江戸骨董市に出店いたします。

場所は「A5-5」。東京駅側の通路、真ん中あたりです。広くて沢山の出店者がいますので、迷いやすいかと思います。以下の図を参考にいらしてください。

9時から16時までの開催です。終わり頃は撤収にかかりますので、お早目のご来場がおすすめです。
15日は曇りのち雨の予報がでています。開催時間中の雨の確率が高い場合は中止となりますので、ご来場予定の方は明日の朝、大江戸骨董市のオフィシャルサイトで状況を確認の上お越しください。
大江戸骨董市オフィシャルサイト
もしも中止の場合は、パンカーダ実店舗は家具を移動しつつ、開けることができれば開ける感じになります。随時ウェブショップのトピックスを更新いたしますので、お手数ですがご確認ください。
せっかくの週末、出来れば雨が降らずに、開催されることを願っております。
銀座散歩のついでにぜひお越しください。
by N
(大江戸骨董市には修復士Sが参ります)
2023年の営業を開始いたします。
明けましておめでとうございます。
東京は今年も良いお天気の元旦となりました。
調べてみると、1961年以降東京で元旦に雪が降ったのは2003年のみ。雨が降ったのは4回、曇りだったのは10回。残りはすべて晴れとなります(朝九時の天気です)。
写真は東横線都立大学駅そばの架道橋から見た元旦の青い空。このそばの目黒通り沿いでパンカーダは始まりました。冷えた空気の中、ここを歩きながら、あっというまの年月を思い返しました。
パンカーダは本日より2023年の営業を開始いたします。
ここ数年、見通しが悪い状態が続きましたが、そろそろそれも終わったように思いますので(そう願いますので)、また新しい気持ちで2023年を迎えたいと思います。
どうか本年も当店を宜しくお願い申し上げます。
by N







