「解釈」を変えて「世界」を変える。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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【保存版】養護教諭シリーズ

 

前回

「気づいたら前回の記事から1週間以上も経っていた…!!!

毎日があっという間に過ぎていって怖いくらい。。。

しかも今日で7月も終わる…!」

って書いていたのに、

また気づけば1週間経っていたんですが…!!!

感覚としては3日くらいだったのに。。。

私の周りだけ時空が歪んでいるんでしょうか!?!?

 


この数年、ずっと取り組んでいること。

長年思い込んでいる「解釈」を変えること。

 

「○○だから~だろう」とか、

「☆☆ではないのなら、※※はありえない」とか、

これまでの経験において作られてきた「解釈」。

 

時として(というか私の場合は長年)、

その「解釈」の思い込みが自分を苦しめたり、悩ませたりしてきたものでした

(今もまだまだあって、気づくたびに絶望する…)。


「△△されて傷ついた」経験から、

「二度と傷つくものか」と自分を守るために、

他人との間に距離を置いたり。

「□□して嫌われた」経験から、

「これ以上誰かに嫌われるのはつらい」と自分を擁護するために

自分の本心を見せようとしなかったり。

(…それがバレないようにフレンドリーさを装ったりしてね)

 

自分の「解釈」と同じように、

他人も同じ解釈をしていると思っていたり、

自分の「解釈」がマジョリティだと思っていたりして、

それ以外を「不正解」だと思っていたのって、

結局のところ、

「他人との間に距離置いたこと」

「自分の本心を見せなかったこと」

によって得てしまった「事実」。

 

それに気づいた時は、

その「事実」があまりにも衝撃すぎて、

それはそれで落ち込んだな。

でも、気づいた時からは、

本当に本当にアリの一歩ではあるけれど、

「本当は違う「解釈」も存在するのかもしれない」

と自分の解釈を疑ってみるようになった。

誰かの解釈を聴いてみるようになった。

自分と誰かとの「関係」の中で確かめるようになった。

(それはそれで「怖い」経験でもある)

 

…そしたら。

「世界」が変わった。

正確には「世界」自体が変わったのではなくて

「私の見える世界」が変わっただけなのだけれど。

 

今でも根深い「思い込み」は中々解釈を変えられなくて、

(というか、変えてしまったら「世界」が変わることが分かっているからなのか?)

変えようともがいている割に、

変えられないことに「理由(という名の言い訳)」をつけて

自分を保っていることがあるなぁなんて思うこともあるのだけれど、

結局は、

「アクセルとブレーキを両方踏んでいる状態」

を自分が選択しているんだろうな

(周りの人を巻き込んでいるのではと思うと本当に申し訳なくなる)。

 

一番「怖い」と思って握りしめているものこそ、

本当は一番自分にとって大事なものなのだろうと思う。

 

「世界」は変わるんじゃなくて、変えるもの。

 

そんなことを考えていた8月の最初の週末。



(久しぶりに行ったビュッフェで幸せをかみしめたー!!と同時に「胃のキャパ」を知った…)

 

 

 

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