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ぱちここと柏木むつきです。
(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)
「担任が協力してくれない」
「○○先生は養護教諭を軽視している」
「管理職が保健室経営に否定的」
そんな話はYOUKYOUカフェでもあるあるな話題。
※こちらの「あるある」の一歩先へ。の記事とは違った視点で書いてみます。
養護教諭が集まると、
決まって同じような「グチ」が出てくる。
(冒頭のような)
これはどの職種でも「あるある」なのかもしれませんが…。
「あるある!」
「分かる分かる!」
で、終わってしまうのは余りにももったいないなって。
「皆も同じで良かった~」
で安心してそこで止まってしまうのってもったいないなって。
そんな風に思うことがあります。
と書いたのですが、私は現役時代からいつも感じていたことがあります。
「グチ」で終わって共感を得て、そこで終わったらその先は?
その時に、その「相手(外)」を責めて、結局はそこで終わり。
それって、同じことをまたどこかで繰り返すだけで、根本的解決にならないのでは?
…ということ。
この先は少し厳しいことを書くかもしれません。
最近のニュースやSNSなどを見ていても、
「グチ」どまり、共感どまりで終わっているものが多い気がします。
私はあくまで例えが「養護教諭」でしか書けないのですが、
正直、半世紀以上前から、
養護教諭の「グチ」の内容って変わっていません。
それは50年前くらいの養護教諭の雑誌投稿を見ているからこそ感じること。
その頃から、
「管理職に理解してもらえない」
「担任に指導を否定される」
などなど…。
(そして、養護教諭養成者などが、
その状況を「良くも悪くも」改善しようと動いてきた歴史でもあるのでした。)
でも…。
私が日々感じているのは、
「その状況、「自分」が変わらないと変わらないよ」
ということ。
残念ですが、相手は変わらない。
人は変えることができないからです。
そして、制度など「外」が変わるのを待っていても、
それで自分が満たされるかどうかは話は別。
制度で人の「心」まではなかなか変わらない。
(だからといって制度が不要といっている訳ではありません)
たとえ変わることはあったとしても、
それが自分の世界にすぐに反映するかどうかに「絶対」はないと思うからです。
そう、変えることができるのは、「自分」の在り方しかないのです。
そして、更に厳しいことを書くかもしれませんが、
その「相手」が見せてくれている現実は「自分そのもの」です。
「人は自分の鏡」と言いますが、
それは良い時だけでなく、
自分にとって受け入れがたい状況の時ほど、
その「鏡」を通して「自分」と向き合う必要があります。
「自分と向き合うなんてしんどい」
「共感してもらえただけで充分」
という人の選択を私は決して否定することはありませんが
(それだって大切な時間だから)、
「その状況を憂うだけでは、「自分」は変わらないよ」
とだけは伝えておきたいです。
「相手」が自分に対して否定的なのは、
自分自身にもその「相手」に否定的に接しているからだと思うし、
それ以前に、自分が自分自身に否定的に接している部分を、
その「相手」を通して見せてくれている。
「グチ」で終わらせてしまうのは、
誤解を恐れず言うのであれば、
自分が「悲劇のヒロイン」で在る状況を受けいれている、
ということでもあると思う。
(昔の私がもしも今日の記事を読んだら、
「傷つけられた」と落ち込んだり怒ったりしていたと思うので…
そんな方のために、
この記事も追記しておきます。)
目の前の現実を「グチ」として終わらせるのか、
その一歩先へ進み、「自分」の糧とするのか。
そこに私は「大事なもの」が隠れていると思っています。
もう、誰かに好かれるために
「自分」を諦める養護教諭を増やしたくない。
そんな想いで今日は書きました。
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