自分を信じることと誰かを信じること。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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先日、経営者で作家でもある本田晃一さんのブログを見て、とても考えさせられる記事がありました。

以下抜粋して引用します。

 

「誰かを幸せにしなきゃ!」の根底には、あなたは不幸な人って設定が隠れてるんだよね。
 

「あなたは俺を幸せにする人」の根底は、あなたは俺がいてもいなくても幸せな人って設定が隠れてるのさ。

そしてあなたは誰かを幸せにできる人って信頼も含まれてるのさ。ふふふ。

 

本田晃一さんのブログより

 

私が学校で働き始めた頃、

「この子たちを“良い子”にしなくては。

私だって教育者なんだから。

教育って目の前の子どもを“良い子”にすることでしょう?」

と思っていました。

 

現場ではそういう会話が多くなされているし、

それはきっと、教育現場では少ならず流れている雰囲気かもしれません。

(私は全国の教員と出会ったわけではないので、全員がそんな考えだなんて決して思いません。)

 

 

でも、「“良い子”にしなくては」ということは、

目の前の生徒は悪い子っていう設定で私は接していたことになるのですよね。

 

 

「生徒は私を笑顔にしてくれる存在だ」

「生徒は私を「私」にしてくれる存在だ」

って気づいてからは、自分の存在意義のために、養護教諭という肩書きを使うことは減ったように思います。

 

 

養護教諭である前に私も一人の人間。

生徒である前にみんなも一人の人間。

 

 

もしかしたら目の前の生徒の「問題行動(といわれる行動)」「健康課題(といわれる課題)」はなくならないかもしれないけれど、目の前で成果を出すことが全てではない。

成果にあまりにもこだわるのは、もしかしたら、私自身の教師としての手柄が欲しいだけで、それは本当に「生徒のため」なのだろうか…。

 

もっともっと生徒を信じよう。

見返りを求める行動は、私のエゴだ。

 

 

…そう思えるようになってからは肩の力を抜いて生徒と向き合えるようになりました。

 

 

それって目の前の生徒を見捨てるわけでは決してなくて。

信じられるから、待つことができる。

その子自身の持っている力を充分に信頼しているということなのかな…。

 

 

卒業してから出会った生徒の笑顔に出会うことが私の中での「答え」。

たとえこの先、一生出会うことのない生徒がいても、

きっとどこかで一人ひとりが幸せを見つけられるように願っているし、

あの子たちはみんな力があるって信じています。

 

だから私も、自分の夢を追いかけられるし、

自分の未来に安心して今を過ごすことができる。

 

 

自分を信じることと誰かを信じること。

私は、繋がっていると思っています。

 

 

(京都で立ち寄った青蓮院門跡の庭園。

実はここは、結婚式を挙げた思い出の場所。)

 

 

 

 

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