私のハートに 久々に火をつけたマンガ、それが
「猫奥」なのです。(週刊モーニング連載中)
今最高に面白いマンガです!

 

時は江戸後期、大奥に仕える女性たちと猫たちの物語

ですが、人間模様、猫模様?が面白過ぎるのです。
主人公の大奥御年寄 滝山は、本当は猫が好きだが、
生真面目過ぎる性格などから猫嫌いだと思われている。
滝山は、自分は猫好きなのだと言いたいが、なかなか

言い出せないのです。
滝山は 吉野ちゃんという猫にぞっこん。 ですが、吉野

ちゃんとも他の猫たちとも いつも気持ちがすれ違い。

このすれ違いのドタバタ劇が たまらなく愉快なのです。

とに角、リアルな猫あるあると 滝山様のキャラクター

との掛け合いが絶妙ー!

 

そして何より、絵が巧い、マンガが上手いのです。
人や猫の表情の書き分けが秀逸!
スーと読ませるネーム割りも良い。 なので、
どこをめくっても面白いし、 どこから読んでも入って

いけるし、 何回読んでも面白いのです
また、マニア心をくすぐるような 「江戸時代豆知識」
時折紹介されるのも一興なのです。
一話が4~6ページのショートコメディーなのですが、
この作者はリアルな長編ものが描ける、相当な実力の

持ち主といえます。
是非、10ページほど増量して欲しいです。

 

現在、コミックス第一巻 初版は品切れ状態で、重版が
即決まったそうです。 やっぱり見ている人は見ている
ものです。
映像化の可能性もかなりある期待します。
ただ、滝山様の実写となると、誰が演じるかが非常に
難しい。 やはりアニメが妥当か?
そして 今週発売の週刊モーニングでは、「猫奥」が
巻頭カラ―を飾ります
おまけに 特別記事付き
ファン垂涎ものです。 発売日が待ち遠しい!

 

あと、笑いどころを一つ紹介するなら、
「本当は 猫が 好っっ」 ここでノックアウトされました。
詳しくはコミックス第一巻を 是非お読みください。
(読後は、妙に江戸言葉がクセになります。
 「是非とも 読んでみようぞ~」)

 

コロナ禍、お家、ご時世… そんな言葉が居並ぶ
欝々とした今日この頃。
が、そんな状況を一閃!
ブログに火を着けてくれたのが「鬼滅現象」なのです。

 

映画 「鬼滅の刃 無限列車編」は 確かに素晴らしい

出来です。
が、単に素晴らしい作品というだけでは、これ程までの

爆発的社会現象には至らないと思います。
この爆発的大ヒットには、社会全体が “コロナ禍”と

いう 未曽有の事態を経験したことが非常に大きい
と感じるのです。

 

一気に社会に蔓延してきた 姿の見えない得体も知れ
ない感染症の恐怖、それはまさに “鬼”です。

これに抗い、命を懸けて人々を守る医療従事者や
エッセンシャルワーカーという方々は “鬼殺隊”
です。

中には 命を落とされたり、感染を広めてしまうリスクを
背負っての活動は、鬼に敗れて死んでしまったり 鬼に
変えられてしまう姿と重なって映るのです。

「こうした状況を何とかしたい、炭治郎たちの物語から
 何か得られないものだろうか?」
コロナ禍を経験した 人々のそうした深層意識が、
「鬼滅の刃」という作品を大きく後押ししているのではと
感じます。

 

さあ、この映画は どこまで興行成績を伸ばすのか?
否、そんな事より もっとデカいものをこの映画は持って
いると思います。
もし、この映画の上映館で コロナのクラスターが発生
したらどうなるか? 興行への非難が浴びせられ、観客
動員は一気に失速してしまうでしょう。

ところが、公開から800万人近くも集めた現在も 全国の
映画館でコロナのクラスターがない。
これは驚くべきことだと思います。
確かに、映画館では感染症対策を万全に行っています。
しかし、劇場内が平素よりも 密閉、密集であることは違い
ないのです。
この状況で、コロナの集団感染を起こさず興行成績を
伸ばし続けたなら、それこそ歴史的大偉業
なのでは
ないか!

 

映画のヒーロー煉獄杏寿朗は、幾度も鬼にならないかと
誘惑されます。
が、しかし! 煉獄さんはきっぱりと断り、人間として戦い

抜くことを貫きます。 この力強さに、コロナ禍に耐え忍ぶ

心構えが伝わってくるように感じるのです。
どうか観客の皆様は、鬼滅のヒーローたちのように
 “全集中” でコロナに打ち勝ってもらいたいと思います。

 

 

「コロナ以前の社会には もう戻れない」
そんな言葉をよく耳にします。
しかし、この言葉 どうにも腑に落ちないのです。

 

こたびの コロナ禍というやつ、そもそも何の前触れもなく
あれよあれよという間に 一気に広まってしまったのです。

もしも、地震や台風のように “来るぞ” と予測がつくもの
ならば、心の準備や災害への備えもでき、災害の前と
後の検証もしやすいと思います。
ところが、コロナの猛威はそんな予測が一切なく、あっと
いう間に全世界を呑み込んでしまった。
我々は 何の準備もないままに呑み込まれてしまった。
これじゃあ何でこうなったのか、コロナの前も後もあった
もんじゃないと感じるのです。

 

とはいえ、こうなってしまったのには 必ず “原因”
あるのです。 予想を超えた出来事にも 原因は必ずある、
それが 『原因結果の法則』 です。
「コロナ前に戻れるのか?」 ではなく、原因を探り出し、
同じ轍を踏まない事こそ肝要
なのではないか。

 

そこで肝になってくるのが、コロナをやっつけるという
人間目線ではなく「コロナから人間はどう映るのか」
という “コロナ目線”
です。
そう観たら 一目瞭然、人間社会は ウィルスの恰好の
“エサ場” となっていたのです

狭苦しい場所に人が寄り集まり、口角泡を飛ばす。
ウィルスのエサ場が、至る所に出来過ぎていたのです。
感染爆発の下地は整っており、あとは時間の問題だった。
それが 「コロナ以前の社会」だったのです。

原因の大部分は、そんな人間社会にあったのです。

 

これはある意味 “文明病” というものでしょう。
享楽追及の遊興事が 景気引上げの主役へとエスカレート

する、そんな歪んだ資本主義の果ての姿とも感じます。
こたびの “コロナの乱” は 享楽至上社会に鉄槌を下した!
その様にも思うのです。

                 

 

では、「コロナ後」はどうあるべきなのか?
先ず、すぐに結果という甘い蜜を求めない。
結果至上が享楽至上へと エスカレートしていくからです。
苦労を積み重ねて目的に辿り着く、その“過程”にこそ
価値が与えられる仕組み造り
が大事だと思います。
そして、こうした苦労の積み重ねで得られた喜びこそが
“免疫力のUP”に繋がり、ウィルス撲滅にも向かっていく

と思うのです。

 

人が寄って集まる イベント、お祭り、スポーツ、それに
職場の働き方など本来の意味” が失われ、単なる
人集め、金集めの 道具に堕していないか?

それを見つめ直すことです。
人集めのすし詰め状態が ウィルスの恰好のエサ場となり、
今の大騒動となっていったのです。

催し物の主目的に立ち返ったならば、果たしてそんなに
人を集める必要があるのか?

見たい人、参加したい人には、例えばリモートで参加して
もらうシステムなど考えられるのではと思います。
また、仕事においても 今までの仕事に捕らわれず、先ず
人として何が出来るか?
それを見出す事だと思います。

 

私は 「コロナ後」が大変になったというより「コロナ前」が
行き過ぎた異様な世界だった
と観ています。
ウィルスにとっては、美味しそうなエサが濃厚に集まっている
“人間牧場”の世界。 そこにウィルスが付け入って来るのは
当然至極の事と思うのです。

 

皆様の温かいお心に支えられ、拙ブログは
10年の節目を迎えることができました。
途切れ途切れの更新ではありますが、10年
続いたことを喜んでおります。

 

なれど、私は未だ 「ブログ初心者」です。
10年経っても 「初心者」の鼻垂れ小僧です。
これは裏を返せば、「初心忘るるべからず!」
これからも 世間の論調に流されず、自分が
感じたままの “初心” を大事に書いていこう

そう思うのであります。
(恐らく 初心者を卒業するのには、まだまだ
 100年はかかるでしょう。 それまで生きて
 いるのか?(笑))

              

 

さて、私が10年前 ブログを始めるきっかけとなった
のが、植村花菜さんの 「トイレの神様」 です。
この曲に感動し、この曲の素晴らしさを伝えようと、
ネットの知識など全くないまま パソコンと苦闘して
ブログを開設した日々が思い出されます。

 

それから10年、世は新型コロナウイルスの禍中-
ここで改めて 「トイレの神様」の素晴らしさを想い
起こすのです。

日本は今のところ、コロナ禍にあっても人口当たり

の死者数、感染者数が少ない。
しかも、検査数が少なく、外出規制も厳格ではない
中で この成果は奇跡的とも言われます。

 

これは日本には 「トイレの神様」 が語るように、
汚れて醜いものでも 綺麗に掃除しておけば
後できっと良い事がある
という 精神的土壌が
あったからこそと感じます。

例えば、トイレ掃除はもちろん、手洗いや消毒の
励行などにも それが表れていると思います。
トイレの神様の寓話などから、庶民に衛生観念が
自然と根付いている
と改めて思うのです。

 

実は調べてみると、「トイレには 女神様がいる」
という言い伝えは 日本だけのものではなく、世界
各所にあったようです。
(中国、インド、ローマ、
中米など)
「トイレの神様」 の伝承は、人類が感染症との
戦いで得たきた知恵
であるとも思います。

現在も 新型コロナの猛威は終わっておらず、
“第2波” の襲来が確実視されています。
そんな折、「トイレの神様」から教えられる事がある
のではないか。  「トイレの神様」を 今一度じっくり
聴こうと思います。

      

        「トイレの神様」

BEBEさんによるカバーですが、心を込めた歌い

ぶりと よく通る美しい歌声が 染み入って来ます。
原曲の良さが引き出され、こうして歌い継がれて

いくのは素晴らしいことです。

 

そして本家 ・ 植村花菜 「トイレの神様」

 

 

近頃TVをつけると出てくるのが 「リモート」による
「マルチ画面」というやつ。
最初は、おーなかなか斬新だ。
TV局もやるもんだ。 と、新鮮な見立てでした。
ところが、こう連日どこもかしこもかもだと 飽きて
きます
。 リモートのマルチ画面というのは、映る
範囲が狭いし、薄っぺらい!

感染症対策のための 文明の利器といっても、まだ

まだ違和感はぬぐえません。
まあ、この非常時に こんな形でもTVが見られる
のは有り難い事なのですが。

 

さて、ユーチューブを観ていて この「マルチ画面」は

素晴らしい!! というのがありました。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」 を 一人で23人分
見事に歌い分けているのです。

今の世界的危機のご時世のあって、幾つかの
「ウィー・アー・ザ・ワールド」動画が上がっています
が、これは一味も二味も違って凄いです。

 

「ウィー・アー・ザ・ワールド」 by 雪乃

 

歌っている 雪乃さんも凄いですが、編集作業が
かなり大変
だったと思います。
歌を繋ぐタイミング、仕草に合わせた画面の配置
といったテクニックに加え、アーティストの振りや
衣装コーディネートが絶妙!
スタッフの総力、想いが動画に結集されている
のが伝わって来ます。

 

「マルチ画面」でも これだけ手が込んでいれば
物凄く感動的であります。
衣装、歌い方、仕草、全て入れ込んでいます。
何よりも “曲への愛” が半端なく、だからこそ

成せる技だと強く感じます。

 

しかも驚くべき事に、この動画がUPされたのが
今から5年も前なのです

今でこそ、この状況下だからこそという事で
 「ウィー・アー・ザ・ワールド」 のマルチ画面動画が
多数UPされています。
けれど、本動画は このマルチ効果を5年も前に
先取りしていたかのようで、今 このコロナ禍で
さらにストレートに伝わって来るのです