こたびの 新元号と 天皇陛下代替わりの
熱烈ムード。 それを見るにつけ、世相が
大きく変わったものだと切に感じるのです。

 

私が物心ついた 昭和中期の頃。
この頃は 天皇は過去のもので、今や象徴と

呼ばれる曖昧な存在、そんな印象でした。
天皇を支持するのは、戦前生まれの年寄り
たちがほとんど
で、今のように 若者たちも
こぞって熱烈に歓迎するムードなんか、あまり
なかったと思います。
それどころか、若いもんが 元号や天皇のことを
話題にしようものなら、同年代から 古臭い!と

決めつけられたものです

 

時は、60年代 高度経済成長の最中。
個人の充実、 自由の謳歌、 経済= モノ、 金、
数字こそが第一
という風潮が強かった時代です。
天皇に限らず、日本古来の精神、風習などは
時代遅れで、軍国主義に繋がる恐ろしさもあり、
忌み嫌わる傾向にありました。

例えば、相撲なんぞはカッコの悪いもの、米食
なんかは血管を詰まらせる健康に悪いものという
風潮だったのです。
(この時代のツケが、現在に現れていると思える
 節もあるのですが。)

この時代、サムライ、大和魂、武道など日本古来の
精神は 今ほどに大事とされず、反対に危険視すら
されたものです

 

その後の70年代になると-

個人主義に邁進し 「ニューファミリー」を目指す

若者層。

片や、戦争を経験し 日本文化や「家族制度」に

しがみ付く 中高年層。
両者が 激しく対立したものです。
時にそれが “断絶”と呼ばれ、世代間の価値観が
大きく食い違ったものです。
80年代 バブルの頃となると、古い日本精神の産物
などは話のネタ、エンターテインメントの一部となり、
娯楽の世界に薄められていきました。

 

そんな状況が変わってきたのが、バブルが崩壊
した 90年代頃
だと思います。
日本社会の危機を 何とかせねばならない!
それにはやはり、古き良き 日本精神に立ち返る
べきではないのか

という事で、戦前戦中世代が復権し、日本精神の
復興を図ってきた
のだと思います。
それ以降、やたらと サムライ、サムライ、ニッポン、
ニッポンと 鼓舞する様が目立って来たと感じます。
その流れで、天皇の存在も 古き良き心の拠り所
として、各世代に広まったと思います。

 

されど、人の心は移ろい易いものであり、すぐに

周りの流行に流されてしまうものです。
今は歓迎ムード一色だが、ゴシップの一つでも
見つかれば、 皇室への見方も すぐに堕ちていく

でしょう。
大方の庶民の天皇への熱意など、世間の流行り
廃りと 大きく変わらないように思えるのです。

 

私の見て来た歴史から思うに-
個人主義や資本主義一辺倒では 穴だらけであり、

そこに “精神性” “心の拠り所” という ベクトルが

必要となってくる。
なれど、精神性のみ 強まり過ぎるのも危険である。

“合理性と精神性” どちらにも片寄らず、どちらの
良いところも採り入れ、自身の信条、ポリシーとして
確立していくことが大切
なのではと感じます。

 

今度の 新元号や天皇への大きな期待感や、お祭り
ムードを見るにつけ、
「英雄がいない時代は 不幸だ。 
 だが、英雄を求める時代は もっと不幸だ。」

という 歴史的金言が刺さって来ます。
ヒーローに 頼り過ぎてはならないのです
一人一人が流行に揺らぐ事なく、しっかりと自身の
ポリシーを持ち貫く事
こそ、いつの時にも必要なの
ではないか

元号や天皇の代替わりとは、実は
各人が 生きる道を 改めて考える契機 であり、
その意味で
“有り難いこと” だと私は思うのです。

 

平成~ 令和 を見るに…

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娑婆世界では、いよいよ平成最後となり 慌た

だしいことです。
が、私のような “昭和中期時代人”にとっては、
平成のスタートは つい一昨日のこと。
21世紀に入ったのは つい昨日のことなのです。
この調子でいくと、令和時代も 明後日に終わる
のでは…?
 などと、鬼が笑うような事を言って

しまいそうです。(笑)
とに角、私の脳内時計は 昭和で止まったままで

あり、案外そんな人も多いのでは?(苦笑)

 

さて、そんな昭和人間にも、2011年=
平成23年
は 印象深い年といえます。
この年には、あの大震災の陰に すっかり隠れて
しまって、平成の出来事として 余り取り上げられ

ない大変化があったのです。
それが、2011年7月の 地上デジタル放送への

移行なのです。

 

それ以前の TV画面は、多くが4対3の比率で、
左右の端に黒い帯が入ります

これを見ると、もろに時代を感じるのです

4対3の画面を見ると、本当に一昔前、時代の
開きを感じるのです。
ましてや、それ以前の ビデオテープの画像では
ザラついていて、もう大昔の映像に見えてしまう
のです。

 

つまり 同じ平成時代でも、映像の種類で年代が
くっきり分かれてしまうのです。
16対9は、2010年代以降から 今。
4対3は、2010年代以前の 一昔前。
ビデオテープは、2000年代以前の昔。

このように平成は、映像によっても 区切りが
ハッキリ分かれる時代といえるのではないか。
私のように 心は昭和に在っても、映像を見る時
平成の印象が残るという、平成はデジタル化が
異様に広まった ある意味特異な時代
だったの
ではという思いです。

 

思うに、昭和で撒かれた種が 育って実を付け、
平成で デジタル化という “種” となって残されて

いった
そんなサイクルの過程なのかと。
では、次の時代はどうなる?
早く芽を出す種もあれば、なかなか芽を出せない
種もある。 そんなマダラ模様になっていく
のでは
ないだろうか。
しかし、マダラが過ぎてしまった時に “令”の字が
意味を成してくる。
 良くも悪くも、そんな娑婆世界

となるような予感も ちらほらと…

 

あいみょんが歌う 「ハルノヒ」
その第一印象は、「マリーゴールド」を超える
よう、色々と てんこ盛りに仕掛けを凝らして
きたな という印象でした。

 

ところが、そんな大人の戦略なんか、どうでも
よくなってきました。

この曲を聴き込むほどに、新たな発見があり
知らず知らずに 聴き入ってしまうのです

早くも “神曲” の呼び声が上がっていますが、
それは過言ではありません。
私には 「十年に一度の名作」 とさえ思えるの
です。

 

    あいみょん  「ハルノヒ」

 

 ♪北千住駅の プラットホーム 銀色の改札
  思い出話と 想い出深し 腰掛けたベンチで
  僕らは・ 何も・ 見えない未来を誓い合った
  寒さにこらえた 木々と猫が
  まるで僕らのことで
  蕾を咲かせようと 実を揺らしてる
  素敵に笑っている 
  焦らないでいい・ いつか花束になっておくれよ

    それまで待っていてね
    これからの展開を ふたりで
    飽きるまで 過ごしてみるからね
    最低限の愛を 伝えながら

  どんな~ 未来が~ こちらを覗いてるかな
  君の強さと、僕の弱さを、分け合えば
  どんな凄いことが起きるかな?
  ほら~  もうこんなにも幸せー
  いつかは ひとり ・ いつかは ふたり
  大切を増やしていこう

 

 ♪北千住駅を フワッと歩く 藍色のスカート
  いつになく遠く 遠くに見える 加速する足音
  素直じゃないと・ いけないような 気がしたよ

    優しさに甘えすぎて 
    怯え過ぎた男の背中に
    掌を添えてくれるのは もう
    前を歩く 君じゃなきゃダメだから

  どうか~ 未来が~ こちらに手を振ってほしい
  日々の辛さと、僕の体が、だらしなく
  帰る場所を 探し続けている
  ほら~  もうこんなにも夕焼け
  いつかの灯り ・ 思い出すとき
  大切に気づくのでしょう
 

 ♪焦らないでいい ・ いつか花束になっておくれよ
  僕らは・ 何も・ 見えない未来を誓い合った

    どんな~ 未来が~ こちらを覗いてるかな
    君の強さと、僕の弱さを、分け合えば
    どんな凄いことが起きるかな?
    ほら~  もうこんなにも幸せー
    いつかは ひとり ・ いつかは ふたり
    いや もっと、 もっと、
    大切を増やしていこう

 

 ♪住み慣れた駅の プラットホーム 水色に挨拶
  「おかえりなさい」と 小さく揺れる 影を踏む幸せ

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先ず 素晴らしいのが、イントロからAメロ。
 ♪北千住駅の~
この美しいメロディーラインに ウルッと来て、
曲の世界に入り込んでしまいます。 そして、
 ♪どんな~ 未来が~
から始まる、サビの美しさ、キャッチ―さに
魅了されていきます。

 

ところが、この曲が本当に凄いのは、Aメロや
サビの美しさだけではないのです。

Aメロやサビの 前後にあって、曲をより一層
引き立たせる “裏メロ” とも言うべき旋律

これが 非常に巧く 効いているのです

 

先ずは、 ♪北千住駅の~
Aメロの歌い出しが美しいので、終わりも美しく
終わるのかと思いきや、
「僕らは・ 何も・ 見えない未来を誓い合った」
ちょっとテンポを変えて オヤッと思わせます。

 

続いて 秀逸なのが “Bメロ”  Aメロとサビとの

「繋ぎ」として、巧みな働きをしているのです。

 ♪それまで待っていてね
   これからの展開を ふたりで

「これか・ らの・ てん・ かい・ をふ・ たり・ いで」 
この 押しては引くような リズミカルな歌い回しが、

耳に残って 飽きさせないのです
そしてそこから、サビに向かって ヒートアップして
行きます。
 ♪飽きるまで 過ごしてみるからね
   最低限の愛を 伝えながら

ここから バーンとサビが始まり、
 ♪どんな~ 未来が~ こちらを覗いてるかな
一気に最高潮に達するのです。

 

そして、あの名セリフ! 
 ♪君の強さと、僕の弱さを、 
   分け合えば どんな凄いことが起きるかな?

ところが、一旦ヒートアップしたところで
 こと ・ がお ・ きる ・ かな
と、まるで 階段を下りていくように クールダウン
していく
、ここが絶妙なのです。 この後すぐ、
 ♪ほら~  もうこんなにも幸せー
と、V字回復して 熱が戻ってきます。
つまり、一旦クールダウンすることで、より熱く
盛り上がる
という、非常に巧みな演出がされて
いるのです

 

このような、Aメロやサビを引き立てる “裏メロ”。
ここには、2000年代の ヒップホップなどの
ひねりを加えた匂い を感じるのです。
「ハルノヒ」には、昭和歌謡への回帰だけでなく、
新しい時代のセンスも 巧みに加味されていて、
ひねりを出し過ぎずに、さり気なく調和をしている

そのバランス感など 非常に素晴しいと思うのです。

 

「2020年以降の 日本を応援していこう」
というテーマで、NHKがプロジェクトした曲
「パプリカ」。
その映像を観て、ある意味 衝撃的でした。

 

「パプリカ の世界観」 ミュージックビデオ

歌っている子供たちですが、どこかの少数民族

みたいではありませんか?
森の中に住み、小屋(車の中?)みたいな中で
暮らす。
着ている服は、民族衣装ぽい。
音楽も どこか民族音楽で、民謡ぽい。
踊りは揃っていなくても、喜びにあふれている。
そんな 少数民族に伝わる踊りみたいに観える

のです。

 

歌っている子供たちは、全員21世紀生まれ
なのです。 そんな彼らが 土着の音楽と溶け

合い、未開の少数民族のように 周りの自然と

共生している姿。
そのギャップが衝撃だったのです が、しかし、
それが 近未来の日本の姿にも思えてくるのです

人口は減少し、色々なサービスも減っていき、
あるいはAIに任せてしまう世の中になるのかも?
そんな中、人々は自然の中に帰ろうとするのかも
しれません。

 

その 「パプリカ」 とは、パブリック=公共 と掛け
合わせているのではと 私は思います。
この踊りは 全体が揃っておらず、個々の自由な

個性を大事にしています。
でも、完璧に揃っていないからこそ、そこに 肌と

肌の触れ合いが生まれ、共感する心が 自然と

芽生えてくる。
公共の精神とは、強制されるものではなく、個々の
触れ合いの中から自然に育てていくもの

そんなメッセージが込められている様に思います。

 

この曲 「パプリカ」の合言葉が-
あしたに たねをまこう
久々に ジンワリ来た言葉です。
そこには 「頑張ろう」とか 「夢を叶えよう」といった

強いメッセージはありません。
あるのは 「種を撒こう」です。
と言っても、自然の中で農業をしようという意味
とは限らないと思います。
「種を撒く」とは 「心を込める、気持ちを入れる」
そう感じます。
そうやって 「撒いた種は生える」。
だから 「今からでも遅くない」。
一歩一歩、毎日を気持ちを込めて生きていく。
その積み重ねの姿勢こそが ニッポンの未来

なのかと、「パプリカ」から教えられた思いです。

 

~ 新元号 『令和』 の意味するところ ~
「人々が 美しく心を寄せ合う中で、文化が
 生まれ育つ」

この精神が、奇しくも 「パプリカ」の世界観と
何かしら一致するのではと 思ってみたりします。


  「パプリカ」
   歌・踊り;フーリン  作詞・作曲;米津玄師

 

  ♪曲がり くねり はしゃいだ道
   青葉の森で 駆け回る
   遊び まわり 日差しの街
   誰かが呼んでいる

   夏が来る影が立つ あなたに会いたい
   見つけたのは一番星 あ~明日も晴れるかな?

     パプリカ 花が咲いたら
     晴れた空に 種をまこう
     ハレルヤ 夢を描いたなら
     心遊ばせ あなたにとどけ

 

  ♪雨に くゆり 月は陰り
   木陰で 泣いてたのは誰?
   一人 一人 慰めるように
   誰かが呼んでいる

   喜びを 数えたら あなたでいっぱい
   帰り道を照らしたのは 思い出の影法師

     パプリカ 花が咲いたら
     晴れた空に 種をまこう
     ハレルヤ 夢を描いたなら
     心遊ばせ あなたにとどけ

 

  ♪会いに行くよ 並木を抜けて
   歌を歌って~
   手にはいっぱいの 花を抱えて
   らるらりら~
   会いに行くよ 並木を抜けて
   歌を歌って~
   手にはいっぱいの 花を抱えて
   らるらりら~

     パプリカ 花が咲いたら
     晴れた空に 種をまこう
     ハレルヤ 夢を描いたなら
     心遊ばせ あなたにとどけ
     かかと弾ませ この指とまれ

 

ヒット曲の指標= ヒットチャート と言えば、

「CD売り上げ」 と言うのは、もはや過去のお話。
これだと 人々の記憶に 何ら残らない曲でも、

企業やファンの組織力で大きく盛られ、売り上げで

年間の代表曲のように扱われてしまうからです。
そんなチャートに、一体何の意味があるのか!?

常々、大きな疑問を抱いておりました。

 

しかし今や、それに替わる ヒット曲の物差しが
あります。

それが 「ストリーミング・ソングチャート」 なの

です。

「ストリーミング」 とは、定額で音楽聴き放題の
サービス
。 大抵は月額千円ほどで、PC、スマホ
などで聴き放題できます。
そんな聴き放題で、どんな曲がよく聴かれている
のかが 「ストリーミング・ソングチャート」。

つまり  「売れている」 から 「聴かれている」 に
チャートの指標が変わってきているのです

これは 非常に喜ばしいことです。

 

ただし、ストリーミングでも、故意に数字を上げる

ことはできます。
けれど、故意に聞く回数を増やす事よりも、口コミや
SNSなどで 曲の評判が広まり、回数に反映される
事の方が 遥かに大きい
と言われます。
よく聴かれる良い曲は、何度聴いても聞き飽きせず
聴くごとに 新たな発見や、違った捉え方が出来る
懐の深さ を持っているからです
 

 

                             *

さて、この 「ストリーミング・ソングチャート」で
目覚ましいのが、あいみょん米津玄師 です。
あいみょんの 「マリーゴールド」は、当チャートで
12週連続トップ!!
去年発売の曲が、今年に入っても一番よく聴かれて
いる。  これは 老若男女に幅広く浸透し、愛聴され
続けている証しと言えます。

「マリーゴールド」は、2010年代を代表する
スタンダードソングの一つになったと言えるのです。
時代は今、「幅広く聴かれる曲」 なのです
あいみょんの新曲 「ハルノヒ」も、聴きどころ一杯の
美しい曲で、幅広い層から聴かれることでしょう。

 

あいみょん 「ハルノヒ」 (カバーバージョン)

 

 

もう一つ、米津玄師 が 作詞・作曲・プロデュース
する曲 「パプリカ」
ジワリジワリと このチャートを上がって来て、現在

6位まで浮上中です。
この曲は、NHKの 2020年応援ソングだとか、
みんなの歌や 紅白で歌われたとか、このダンスが
流行っているとか、そんな話題など 私は後から
知りました。
そんな事よりも、先日初めて この歌と踊り、子供

たちの姿を観て、ある種 衝撃を受けたのです。
その衝撃とは? 次回の記事に書こうと思います。

 

「パプリカ」 (ダンスバージョン)