信仰観の質的変化は自然界における摂理的な流れ | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

 

天の父に対する信仰観から汎神論的信仰観への質的変化は自然に沿った必然的な摂理の流れであると言う事です。

 

それはサナギから蝶や蛾への質的変化のようなものである。

 

天の父に帰依する信仰観=サナギ

 

汎神論的自立の信仰観=蝶や蛾

 

 

 

蝶や蛾の一生はとても不思議なものです。卵から生まれてきてサナギとなり、地上で樹や葉に這いつくばって生息してきたそのサナギ成長するとある段階で地上から離れ空間を飛び回る蝶や蛾に質的変化をします。

 

穢れのない純粋な子供だった頃を思い出してください。子供の時の貴方は世間を全く知らず、知識もなく、小さな世界で生きていましたよね。そんな小さな世界の中で生きている自分の唯一一番身近かな指導的存在であったのが親です。その親に対する貴方の目線と精神的レベルは、どんな感じだったでしょうか?小さな世界で生きる穢れのない純粋な子供の貴方は親を無意識の内にまるで光の存在であるかのように、親をあらゆる面で無邪気に見上げていた時期があったでしょう?!

そのあなたが年を重ねるに従って、親と同じように自分も結婚して、子供を育て、その間に貴方は世間と人間の醜さ、ズルさも知り、色々な苦い人生体験や色々な苦い心情を味わい通過して今日に至りました。そして貴方が晩年になって子供の時よりは広い世界を持つ事になって、改めて親について色々回想したとします。この時、貴方の親に対する目線と精神的レベルは子供の時とは雲泥の差で異なっている筈です。つまり、今の貴方は親を光の存在として見上げていない。そして親を自分と同レベルの一人の人間として、今の自分の目線や自分の精神レベルの線上に親を置きます。人によっては、その目線や精神レベルが親を越えてしまっている場合もあります。何を言いたいかというと、

神と人間の関係を親子とするのなら、人間の神に対する精神的な向き合い方にも段階的、相対的な心の成長はあって然るべきもの。つまり聖書の神を自分の目線や自分の精神レベルの線上に置き分析すること。聖書の神を越えて見下ろすこと。

 

ところで

 

美しい神観を見つけました。この神に対する美しい姿勢は、親を永遠に慕い続ける親離れ出来ない子供のような大人。蝶や蛾に成りきる事の出来ないサナギの純粋信仰を下の内容から感じづにはいられません。私の方で要約しました。

 

     

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一生涯、神の子として、親である神様の心情を探して取り戻していく。神様の深い心情世界を探していく。

 

 

現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの

 

 己で判定する、自分がG者であることの選別基準とは