お墓の疑問54~羨ましいお墓~ | のめしこき日記

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 父親が零細な農家の次男坊、母親も零細な農家の出身ですから、のめしこき家は歴史がありません。父母の実家を遡っても、いずれも祖父母の名前までしか判りません。

 
 これは先祖代々の墓をこの共同墓地にまとめて移設したものと思われます(お墓の疑問51に掲載)。
 中央に〇〇家の有縁無縁の供養塔、左側は○○家之墓(1966年、昭和41年)に建てられたものです。
 裏手には先祖代々の墓石がありました。
 判読できませんでしたが、自然石の墓石。
 その前列には、舟形墓、箱山形墓などもあります。
 判読しづらいと思いますが夫婦墓で、
 1886年(明治19年)と彫られています。
 3人の戒名が彫られていますが夫婦墓です。奥様が48歳で亡くなり、その後次の奥様を娶られたので、3人並んでいます。あの世でもきっと3人仲良くお過ごしのことでしょう。「〇〇妻」「〇〇后妻」と彫られていました。
 残念ながらいつ建てられたのかは、読み取れませんでした。
 
 この家のお墓の順番を推測すると、
 後列右端の自然石墓→その手前(中列)の舟形墓→左中列の箱形墓→左後列左端の舟形墓(大きくなっているので、中列の箱形墓より新しそう)→左後列左端から2番目の蒲鉾形墓→後列中央の傘つき石塔→〇〇家之墓(1958年、昭和33年)となりそうです。
 
 こうした家の歴史はのめしこきにとっては羨ましい限りです。