出張が終わって栃木市皆川城内町をドライブしていると、
のめしこきの触覚を刺激する景色がありました。
山が頂上付近まで人工的に削られています。
となると、ハンドルは勝手に引き寄せられていきます。
立派な山城に見えます。
皆川公民館の無人ポストに入っていたパンフレットをいただいて、読んでみると、やはり皆川城という山城です。そういえば、出張先の所在地が、皆川城内町でした。
運動する服装ではなかったし、そこまで時間もなかったので、登城することはできませんでしたが、いつか登城してみたいものです。頂上からはどんな景色が見えるのでしょう。
![](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fotakeya.in.coocan.jp%2Finfo01%2Fminagawatyoukan.jpg)
(余呉くんのHPよりお借りしました)
皆川城はこんな感じだったのでしょう。ほら貝のような形状なので法螺貝城とも呼ばれていたそうです。
山城は、林に囲まれているところが多く
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160904/19/otsuka17/54/e5/j/o0800060013740251511.jpg?caw=800)
(上杉謙信・景勝の春日山城)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150324/23/otsuka17/18/c8/j/o0640036013254823679.jpg?caw=800)
(長野業正・井伊直政の箕輪城)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150111/21/otsuka17/62/7a/j/o0640048013186661441.jpg?caw=800)
(立花宗重・丹羽長秀の赤館城)
(村上義清・真田昌幸の砥石城)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160208/21/otsuka17/6b/05/j/o0640048013562000221.jpg?caw=800)
(武田勝頼を迎えるはずだった真田昌幸の潜龍院)
など、写真はありませんが岩櫃城も含めて、木が生い茂り、往時の姿とは違います。木があれば見晴らしが悪いし、籠城したとき火を放たれれば戦わずして落城してしまいます。
ですから、この皆川城を偶然見つけたときは、ちょっと気持ちが高揚しました。
皆川城は室町時代中期の1429年に皆川秀宗(長沼より改姓)によって築城され、以後現在まで19代続いているそうです。
途中豊臣秀吉の小田原攻めでは、皆川広照は北条氏に加勢し、小田原城に籠りましたが、徳川家康の勧めにより寝返り(パンフレットには「寝返り」とは書いてありませんでした)、城を抜け出して許しを請い、所領を安堵され、旗本として生き残りました。
金剛寺には現在までの皆川氏の墓があるそうですので、いつか登城と墓参りをしてみたいと思います。