いじめ・虐待に対抗する自己主張の技術 「アサーション」と自分の意志を示すこと | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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「アサーション」については

自分も相手も大切にするための表現方法「アサーション」と人間の権利の関係

で紹介しました。

子どもたちが(そしてオトナでも)自分が不幸にならないための技をどう身につけていくのか。

 

アサーションの基本を一言で言えば

感情を伝えること」と

意志を伝えること

を分ける技術と言っていいと思います。

人は意志を伝えるよりも感情を伝えることを優先させてしまうものです。

 

たとえば

相手の行いをやめてもらいたい時には

「やめてもらいたい」という意志よりも

たいてい「うっとうしい」という感情を伝えようとします。

そうすると

相手も「お前はうっとうしい」という感情を返してきます。

そこでは自分の意志は伝わっていないのです。

 

そうならないためには意識を変える訓練と伝え方の訓練が必要になります。

これは子どもにとっては(オトナにとっても)大変むずかしいことですが訓練として身につけることができます

 

でも、技術以前のこととして

いじめや虐待を受けている子は

はっきり応対できないから標的にされているわけで

やはり人として自立していくためには

大変ですが「自分の意志」を伝えることを避けるわけにはいきません

 

親が、教員が(オトナであれば回りの人)それを妨げていないでしょうか。

日本でははっきり自分の意志を表さないのはいいことだという習慣がありました。

(今でもたいていはっきり物を言うと嫌われます)

でも、普段から「嫌なことは嫌だ」といえる習慣がなければ

いざというときに「嫌」と言えるわけがありません。

 

実際には、子どもが(オトナでも)嫌と言えばすべてが済むわけではありません。

それでも自分の意志を示す習慣は人として尊重されるために最も基本的なものです。

オトナが(回りの人が)それを受け入れる心の広さが必要です。

 

そして

相手も自分がしたことに対する本人の気持ちを知ることで

自分は避けられていないか、無視されていなかがわかるはずです。

 

自分を守るためには

まず、自分が思っていることを伝えることが大切になります。

 

それでも世の中みんなそれで済むほど穏やかではありません。

いじめや虐待といわれていることには

友好的」なものと「敵対的」なものの別があります。

「友好的」とは言ってみればやっている側の主観では善意が入っているものです。

ただし、単純に善意だけではなく相手をからかいや、上の立場からの押しつけが含まれています。

ただ

善意がベースの場合、本人がいやだと言えばそれ以上のことは避けるでしょう。

 

それに対し

行動に悪意がある場合は、あきらかに犯罪です。

「いじめ」という言葉に感じる不信 それは「いじめ」ではなく「傷害罪」ではありませんか

 

その場合は「嫌だ」という意志を示してもやめることではないでしょう。

それでも自分の意志を示すことで

それが犯罪であることを自分ではっきりわかることができます。

犯罪であれば自分だけで解決することは無理でしょう。

 

相手の行いが

「話せばわかる」なのか

「話してもわからない」のかを

見分けて他人の助けを借りるかどうか決めることは生きていくために必要な能力です。

(子どもの場合は回りの人間が気づくしかありませんが

やはり、そのときに回りの人間の気づきの元になるのは本人の意志です)

 

これができなければ一生同じことが起きるでしょう。

今だけではなく一生生きていくために必要な能力です。

これを心の持ち方ではなく訓練できる技術として身につけていく必要があります。