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おたるつ

モノホンのおたくにジャンルは関係ねえはずだ!
ってわけで、おたくのるつぼ。略しておたるつ

サブタイトルこれしかないと思ったんですけど、思いっきりネタバレになるので伏せました。

徹底してませんけど、一応前半はネタバレなし、後半にいくにつれネタバレありのスタイルでやってます。

ハロプロのオタクを扱ったオタクからの期待値が異様に高い本作。

現役のオタク、“あの頃”続行中のわたくしも公開初日に見てまいりました。

 

 

【あの頃。】

監督:今泉力哉
原作:劔樹人
脚本:冨永昌敬

キャスト

劔樹人=松坂桃李、
コズミン=仲野太賀、
ロビ=山中崇、
西野=若葉竜也、
ナカウチ=芹澤興人

イトウ=コカドケンタロウ、
アール=大下ヒロト


 

〈ストーリー〉

大学受験に失敗し、バイトばかりでバンド活動もままならず落ち込んでいた劔は、松浦亜弥のMVを見てアイドルにハマる。

アイドルに夢中になる日々で出会った仲間たちと笑い合い、くだらなくも熱い青春のような日々を送るが、やがてそれぞれの道は離れていく。

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劔樹人さんの自伝的コミックエッセイを実写映画化。

恥ずかしながら劔樹人さんがあの劔樹人さんだって、本作の映画化が決定して初めてちゃんとつながりました。

「神聖かまってちゃん」のマネージャーの人ですね。イベントで何度かお見かけしましたわ。

 

本作はモーニング娘。、松浦亜弥などで知られるハロー!プロジェクトのオタクたちが主役。

アイドルの追っかけ、オタ活、最近は推し活と言ったりしますが、同じものに夢中になる仲間たちとのひきこもごもが描かれます。

 

私も10代でJリーグにハマってゴール裏の仲間に入れてもらって、オタクはおもしろいぞ!と教わりました。

その後ももクロでアイドルを見るようになり、現在は半地下でCDを積んでいます。

時期でいうとZ新規、アイドル戦国時代末期にその世界を知ったので、劇中で描かれるゼロ年代のアイドル事情を知りません。

ドルヲタになってから、ハロヲタからサブカル方面で活躍する人たちのラジオやトークイベントで当時を様子をたびたび聞くようになりました。タマフルとかね。杉作J太郎さんのイベントも行った。

で、変な人がとんでもない熱量でオタクにいそしんでいた伝説的時代。“間に合わなかったZ新規”はあこがれのようなものを抱いていました。

鑑賞後に考えると、本作に私が求めていたのは自分がオタ活で体験したあるある、感動が「あの頃。」にも同じようにあるという確認みたいなものだったと思います。

 

実際、オタクの再現度はかなりリアル。

年齢と服装がバラバラな3人はだいたいオタクの集まりと言いますが、まさにそれ。

いろんな友達とバカやってオタクは楽しそう! というのが伝わります。

主人公の劔さんがあややのMVを見てハマるとこ、あれはオタクみんな身に覚えがあるでしょう。

MVを見終わった松坂桃李の両目にあややと同じライトが宿る演出が「わかる!」となり、笑いました。

 

私もあります。深夜に何時間も「ピンキージョーンズ」のMVを見続け、気がつくと号泣していました。

はあ、仕事辞めよ…とそこで決意しました。弱っている時のアイドルは刺さりやすい。本当そう。

こうやって自分の“あの頃。”を語りたくなってしまうのも、本作の醍醐味だと思います。

 

私は推しのいるグループのリリースイベントが楽しいけどつらい時期がありました。

とにかく毎日のようにリリイベがあって、平日は仕事終わってダッシュしてライブ見てCD予約して推しと話して、休日は朝からどこかのリリイベ会場に行ってライブ見てCD予約して推しと話して帰って寝て朝起きて仕事行く。

体力的に行くこともしんどいけど、物理的金銭的に行けないことがあると精神的にしんどい。

その時間と金を体力をつくりだす生活がしんどい。推しはもっとしんどいだろう。

1日何公演もあったので、仕事の都合つけてリリイベ行って仕事行って仕事終わってまたリリイベ行く生活約4ヶ月弱。

この頃、妄想キャリブレーションの「青春プロローグ」を毎日聴いてました(推しの歌はライブで聴くから聴かなくていい、CDまだ出てないし)。

 

♪いつか振り返る日が来るなら 絶対今だと思うんだ

 取りこぼせない どんな瞬間も 青春プロローグ

 

推しとオタクたちと駆け抜けるこの日々が、未来から見た“あの頃”になると信じて時間と金と体力を絞り出してました。

 

オタ活を通して大人になってからもできるヘンテコな友達、新しいことにも興味がもてる自分でいられること、推しからもらったエネルギーで自分のことも頑張れること。

“あの頃。”と時期を区切ったとしても、その地続きの“今”も、楽しくいられる術みたいなものは残るんですよね。

そして、今どこで何をしてても、あの頃の仲間が集まれば、同じ曲を聴いて同じ話をして笑って泣ける。

子供の頃の友達とはちょっと違う、どうしようもない人たち。

 

ああ、いいね、そうゆうの…

 

と、頭ではわかるんですけど、今回そうはいきませんでした。

 

前述しましたが、オタクの再現度が高すぎる。

映画に協力したハロヲタさんたちの話もいろいろ聞きかじりました。

衣装なども細部までこだわっていると聞きかじりました。

たぶん本当に当時もこうゆう感じだったんでしょう。

 

え〜〜〜〜ん、

気持ち悪いよう〜〜〜〜〜。

 

オタクがとにかく気持ち悪くて、共感とか感情移入する前に気持ち悪くて関わりたくない…。

いや、アイドル戦国時代末期のおたくとはいえ、ドルヲタの男友達いっぱいいますよ!?

Jサポ時代だっておじさんばっかりでしたから。

なんでハロヲタ(映画に出てくる)こんなに気持ち悪いんですか…。

 

この映画に出てくるオタク、推しへの愛が感じられないんですよ。

推しそのものから得ているパワーじゃなくて、仲間内でワイワイやってるのが楽しい感じがしてしまいました。

東京じゃないから現場多くないから、今と違って接触が珍しいから、あるでしょうけど

それにしても現場に行けよ、推しを語れよ、推しとともに泣き笑いせよ、推しに通づる活動に情熱を燃やせよ。

なんだよ、キンコーズで自作グッズいくらだったとか自慢してんじゃないよ。

チケット2枚とって1枚余らせててオタク仲間に言ってないとか、大事なライブなのに遠い席転売買って済ますとか(推しじゃないからいいのかもしれないけど)

あんなチケ活やってたらオタク仲間の信用失いますよ、

チケ活しっかりやれ!!

 

作中で頻繁に催されるイベントがどんなものなのか、よく分かりませんでしたが内輪ウケでお客さんからお金とってるんですか?あれ…

あのイベントを見に来るお客さんは何が楽しくてあれを見に来ているんですかね…。

そんなに有名でおもしろいオタクの方々なんですか、彼ら…。

現場もたいして行ってないっぽいのに?

どうしても自分のオタ活をベースに彼らを見てしまい、オタクとして好きになれませんでした。

 

オタクとして好きになれないどころか、男性キャラクターとしてもかなりつらいとこがありました。

コズミン…コズミンは本当に気持ち悪い。

どうしようもない愛すべきオタクはいるけど、コズミンは無理。

私の男オタク友達の皆さん、本当に清潔で身なりもきれいで優しくておもしろくてありがとう。

みんなのこと好きになった。気持ち悪い人いません。

コズミン無理すぎてラストの感動的であろうシーンも、看護師さんにチンチン触らせようとしてると思ってしまったくらいです。

 

オタクは気持ち悪いから死ぬしかない

 

冒頭、ネタバレになるからと伏せたサブタイトル。

ガンに冒され亡くなってしまうコズミンを見て、なんと非人道的な感想を持ってしまったんでしょう。

オタクが気持ち悪いってそれブーメランですから。

推しと世間から見たら私だってコズミン。最近、推しのGIFスタンプつくってますから。気持ち悪。

 

しにた〜〜〜〜〜

死にたくないけどしにた〜〜〜〜〜

 

オタクが気持ち悪いダメージと、そういう自分もオタクなので気持ち悪いという現実に打ちのめされ、推しの動画見て「今が一番楽しい!」と現実逃避に走るしかなかった。です。

強く生きよ…。

 

 

 

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて2月頃からライブなどの“現場”がなくなり、春以降、おたくと推しをつなぐ手段としてライブのネット配信が始まりました。

2021年1月現在、まだまだ推し、おたく双方にとって配信は必要な存在になりそうです。

世のおたくたち同様、わたしも配信を見続けているわけですけれども、配信時代が始まって早々に思った。

 

ダメだ、配信を見ると(おたくとしての)寿命が縮む…!!

 

そもそもですよ、「配信で満足できるならもともと家でテレビ見てるから。Mステ見てるから。どうしても生でライブ見ないと死ぬから現場行くタイプのおたくやってんの」というところ。

「そんなもんやってるほうだって一緒じゃわい、お客の前でライブがやりたいわ」というのはもちろんのこと。

でも今は配信やるしかない。配信見るしかない。

そうゆう状況で、推しが出してきてくれたものをただただありがたいと受け取ることできず、満足できない自分自身に嫌気がさすのです。

こうも毎回くされていては、嫌気がさしすぎて現場が再開した頃には何もかも嫌になって他界しているのでは!?

よし、配信は見ても見なくてもどっちでもいいことにしよう!

見ない選択をする自分を許すぞ!

そうやって推しの危機に寄り添うより、テメエの精神の健康を優先して過ごしてきました。

本当に申し訳ありません。

 

とか言いつつ、配信しか供給がないもんですから、いろいろと見ております。

んでもってだんだん何が寿命を縮めているのか分かってきました。

推しでもない、おたくでもない、運営ともまた少し違う第三者。

 

これまでは推しの姿を自分の眼球で吸収し、歌声の漂う空気を自らの耳と肺におさめ、オーラを毛穴から浸透させるために現場へ通っていました。

配信ではカメラとその周辺に携わる人々という、今までいなかった第三者を介さないと推しを摂取できなくなりました。

この第三者がどのように配信に介在するか、どこまで考えられた介在かによって延命か寿命を縮める配信になるか変わるのではないじゃろか。

 

振り返って考えてみると、大箱ライブがそんなに好きではないのと同じかもしれません。

日々、どこかのショッピングセンターやおなじみのライブハウスで見るライブは、乱暴に言えば見たいものを勝手に見ている状態に近い。

しかし、大箱ライブや配信は第三者によるプランがあって、こうゆう具合に見せようというものがこちらにフィットするかどうかという問題があるのです。

わたしはどちらかというと見たいものを勝手に見ていたい派。おのれの眼球と推しの間にチラつく第三者の振る舞いが気に入らないと、本来見るべきパフォーマンスに集中できず、イライラして寿命が縮んでしまうようです。

そういえば過去に大箱演出が気に入らなくて行かなくなったグループがありましたね。ももクロっていうんですけど。

 

さて、この第三者。配信の関わり方に関して大まかに2種類に分けられると思いました。

1、しっかり介在して演出し、映像作品として見せるライブ配信

2、なるべく介在せず、オフラインの代替手段に近いライブ配信

 

1の「映像作品として見せるライブ配信」

わりと母体の大きいとこがやっている印象がありますが、セット、撮影、編集(生配信ではスイッチング)が豪華だったり質が高い。だいたい画質もいい。ドローン使ったり、ステージじゃないとこ使ったりと、オフラインでライブを見るのとは違うエンターテイメントを作り出します。

円盤化するライブの撮影だとそこからは撮れんわ、みたいなとこから撮ったり、演者の撮り方が音楽映画さながらにドラマティックだったりと、見応えがありました。かっこいい。

事前に撮影したものを完璧に編集して配信したところもあり、やりたいことが見せられれば生である必要ないんだ!と驚かされました。

ドラマみたいな映像をくっつけてライブを交えた映画みたいにしたものもあっておもしろかったですね。

ライブパフォーマンスをするだけじゃない。映像という媒体ならなんでも取り入れられ、表現の可能性も広がります。

第三者のプランがしっかりあって、演出によってパフォーマンスが生きるタイプ。

 

2の「オフラインの代替手段に近いライブ配信」はわりと中・小規模なグループがやっている印象。

ステージ全体が映る引きの固定カメラを中心に、プラス左右に1台くらいずつ配置して生配信でスイッチングしていく。

同じ時間を共有することにこだわりを持ち、あくまで“ライブ”でできるとこまでやりたいと、強い志を発信している団体もあります。

 

わたしが見た中でこの方法が成功しているなと思った配信は、各カメラの画角がほぼ変わらず、スイッチングのタイミングに長めのクロスディゾルブが使われていました。

クロスディゾルブというのは、前のカットがフェードアウトするのと重なって後ろのカットがフェードインする編集効果のこと。

スイッチングのタイミングが工夫されていることもあるのでしょうが、曲中のダンスがスイッチングに邪魔されずシームレスなうえ、画面上でメンバーの位置が変わらないという利点があります。

カメラが切り替わって、あれ、推しどこ行った? とならず、永遠に推しカメラしていられるんです。

カメラワークがないに等しい分、演者が抜かれたいソロパートなどは自分でカメラの前に立つ。

視線を向けるべき観客がいない分、要所要所でのカメラ目線はあり!

撮影が入ってるオフラインライブで目の前でやられると、めっちゃイラッとするアレも配信ライブなら自分へのレスです。

視聴者が見たいものを選んでずっと見ていられるのは、オフラインの代替手段になりうると感じました。

 

だいたい2をベースに1を足した配信が多いんじゃないでしょうか。

その中でこの配信、失敗してるな〜と思うのは、環境を整えずに1ぽいことやろうとして、やりきれない疑惑です。

配信側の規模や設備、環境、スタッフの技量といった条件はさまざまでもろもろ。

1のような配信をやろうとしてどこまで実現できるかっていうラインがあると思うんです。

実質問題、これはすぐできないよってものがあると思うんですが、そのへんどんなジャッジくだしてんだろうなと。

 

例えばはスイッチング。

なんでここでこれ映した!? 推しのソロ映ってないんですけどー!? スタッフ曲知ってるー!?

これなら定点カメラにしてくれと何度神に祈ったことでしょう。

演者以外が映るのもいらん要素です。ひどい時にはカメラマン、機材、ステージの隅の荷物。

それもはやステージではないですよね。

プランがしっかりしていないのか、実行するだけの技量がないのか、どうなんでしょう。

 

そりゃ〜最初の頃はスタッフの方々も手探りだったと思いますよ。

けどね、この画質で金とんのかよ…ってとこも今じゃ高画質で音のズレも気にならなくなり、振りコピできるようになってきたりしてます。苦しいであろう状況で配信環境整えて質を高めている方々には感謝しかない。マジ尊敬の念。

明らかに配信がうまい団体、メキメキ腕を上げた団体と、え?今日全員初日のバイトですか?っていう時のレベルの差が激しくなってきましたので、このタイミングで書いてたりするわけです。

 

どうして毎回こんなに美しい生配信ができるんだろうと思っている団体があるんですが(小規模だしスタッフも若いらしい)、配信の何時間か前に配信ページ開くと必ずパスワードかけてテスト配信やってるんですよ。それも1時間とか、結構長い。手間に感謝。

いつだったか、その配信で演者がカメラスタッフを指して「この人いい画撮るんですよ、だからね、僕きょう負けたくないんです。頑張ります(ニュアンス)」と発言したことがありました。

制作サイドと演者といい関係ができていて素晴らしくないですか。その時は実際にカメラワークもパフォーマンスも良く、状況に応じた工夫も感じられて感動しました。

 

配信場所の環境さまざまだとは思うのですが、普通のライブの照明と映えるのが違うなあっていうのもおもしろく観察してます。明るいほうが見やすい気がします。画質荒いと頻繁に色変わる照明見づらくないですか?

音にこだわって立体音響で配信しているところもあります。ヘッドホンで聞いてねって言われるけど、いいヘッドホンがなくて申し訳ない。

 

そうやって考えると、そろそろ演者は制作サイドを第三者にしてちゃもったいないのかもしれません。

オンラインは見てもらえれば届くわけじゃないんだと、一生懸命発信したものがちゃんとお届けできているか、貪欲になってもらいたいのです。

それってこの先、配信がいらなくなっても絶対に血となり肉となるじゃないですか。

ここで踏ん張って成長した推しをおのれの眼球で摂取するために、寿命を縮めている場合ではない。

 

あと投げ銭問題ですよね。

わたしもマインドはゴリラですから、元来モノを投げるのは大好きです。

しかし投げるものが銭となれば、できれば推しの実入りになるようにしたい。

何を投げたら収益化されるか、ツイキャスは調べて読み込みました。

その収益化されるアイテムに配信ごとに違うオリジナル画像が使われてたりすると、ちょっとしたアニバーサリー感があって楽しいです。

ライブなど、配信内容によっては演者が投げ銭に反応するのが難しいことも多いですが、後日メッセージメールとか画像のプレゼントがあるところもあります。そうゆうのうれしいです。

大前提として投げ銭はこちらが勝手に投げているものではありますが、投げられるように設置したからにはお礼の一言くらいあってもいいのになあ、と思うこともしばしば。

なんの反応もなければ推しが感知していない可能性もありますから、さすがにそれは意味があるのか…となり、だんだん投げしぶります。ゴリラでも。

 

最後に、これは配信に限ったことではないんですが、配信だとより強く「それでいいのか!」と寿命を縮めてしまうので書き捨てておきます。

配信のチケットってギリギリでも買えるじゃないですか。オフラインと違って早く買ったら整理番号が早いとかないし、視聴者としてはもしかして何かあって見れないかもしれないのにチケット早く買うメリットない。

でも、何で読んだか聞いたか忘れたんですが、そういった事情もあって配信は売上が読めないと聞きました。

売上が読めないので予算の立て方が難しいと。売上が見込めるなら、配信の内容をもうちょっと充実できるのにできない、だから早く買ってほしい、と書いてありました。もしくは聞いたか忘れました。

これはなるほどと思い、推しが主催するものだけでもなるはやでチケット買うことにしました。

売れん…どうしよう…と、やきもきさせたくないですし。まあ、勝手にそうしているだけですけども。

 

そうして配信日を待っていると「チケット買ってくださ〜い」が始まるわけです。

早く買うメリットないですから、買う予定の人も買ってないんでしょうね。そりゃそうでしょうよ。

だがな、買ってんだ、もう。

買ってくださいって言う前に、楽しみにしてもう買っている人に「ありがとう」と言ったか問題ですよ。

配信に限ったことじゃなく、チケット系全般そうなんですけど、すでに買っている人より買ってない人のほうに視線がいってるのシンプルにヤバ人間だと思うんですよね。

「買ってください」より「買ってくれた人ありがとう!」って発信したほうが、やっべ!買ってねえ!ってならんですかね。わたしはなる。推しにお礼言われてないおたくになりたくないですもん。

特に配信は早く買うメリットないわけですから、一段とそうゆうとこ大事にしてほしいなあと思うわけです。

 

そろそろお気づきかと思いますけど、寿命が縮むと言っておいて、結構見てますね。

投げ銭もしちゃてね。投げ銭と大画面を両立するために2端末以上で再生しちゃってさ、Fire  TV stick買ってテレビに出力できるものはテレビで見てます。スマホのミラーリングも使ってます。

環境バッチリか。なんなら春先にサラウンドスピーカー組み直したわ、配信のために。

テレビの操作のためにワイヤレスのキーボードとマウス買ったけど、いらなかったです。

 

ライブできないから配信やる、そのとおりかもしれませんが、もっと配信でできることありそうって思っちゃいます。

曲がいいから、ライブがいいから、顔がいいから、そうゆうのと同じように「ここって配信おもしろいから!」って注目される個人団体が出てきてもいいじゃないですか。

それに、絶対また生でライブが見たいから、ここで絶対脱落したくないんですよ。

配信頑張れ! 配信頑張れ! 拡散したいコンテンツになってくれ〜〜!

寿命延ばして生き延びよう〜〜!!

それでは、ツイキャスのポイントチャージしてきます。

少し前、点けっぱなしのテレビでアイヌのドキュメント番組を見た。

どこかの大学が持ち去ったアイヌの遺骨を返還するというもので、なかなかショッキングだった。

心を掴まれたのは“音”。

遺骨を持ってきた関係者に抗議の声を出すのだけど、聞いたことがない低い不気味な響き。

これが人間の口から出る音なのかと釘付けになった。

それ以来、なんとなくアイヌ関連の番組や特集を興味を持って見ている。

「アイヌモシリ」もそういった番組で紹介されていて、ぜひ見たいと思っていた作品。

10月に渋谷ユーロスペースで公開し、やっと愛知県の田舎町でも上映がかなって初日に足を運んできた。

※アイヌモシリの正式表記はリが小文字。

 

 

【アイヌモシリ】

監督・脚本:福永壮志

プロデューサー:エリック・ニアリ

キャスト

カント=下倉幹人、デボ=秋辺デボ、エミ=下倉絵美、岡田=リリー・フランキー

 

〈ストーリー〉

北海道阿寒湖ちかくにあるアイヌ・コタンと呼ばれる集落で生まれ育ったカントは、父の死からアイヌの文化へ距離を置き、中学卒業後は集落を離れるつもりでいた。

父の友人で集落の中心人物・デボはカントを気にかけ、カントはデボとの交流を通してアイヌの精神に触れ、子熊の世話を任される。

一方、長く行われていなかった熊を殺しておくる儀式「イオマンテ」を行う計画が進んでいた。

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主人公の少年・カントを演じるのは、実際にアイヌの血を引く下倉幹人くんで演技は初。

母役も実際の母親でミュージシャンの下倉絵美さん、作中で最も印象的なルックの持ち主・デボさんも

本人役での出演となる。

その他も実際に生活を営むアイヌの人たちに演技をしてもらうという手法で、かなりドキュメンタリーちっくな映画となっている。

リリー・フランキーが出てきて初めて「あ、これ脚本あるやつだったわ」と気づかされるフィクションライン。

そのため、演技に少し違和感があるのにとんでもなくリアルな映像世界が実現している。

この「本当にアイヌの人」という説得力がそのまま映像の力となっていて、こう、感じたそのまま言っていいのかセンシティブなところではあるのだけど

顔の造形が私と違うわ…と、炎や雪景色に美しく照らし出された人々と、やはり私は民族として違うのだなと実感した。

 

ざっくり雑に言うと「少年がいろいろあって顔つきがちょっと大人に変わる話」なのだが、本当に顔つきが変わる。

これたぶん役者じゃないから出せるものすごく尊いやつで、どんなセリフを言うよりただただ説得力がある。

本作をフェイクドキュメンタリー仕立てにしなかったの絶対正解だし成功だと思う。

カントくんが映画を通して向かい合ったものの真実味が、フィクション映画だからこそかたちあるメッセージになったというか。

ドキュメンタリーだったら含むものがもっと多くなって、こうも真っ直ぐに1本の矢になって人の心を刺せないんじゃないかな。

 

 

私がアイヌに惹かれた音に関しても、本作は大当たり。

伝統的な民族楽器として提示される他、バンド音楽にも用いられていてライブのシーンがかなりかっこいい。

カントくんもバンドを組んでいるのだけど、さすがミュージシャンの息子だけあって歌唱シーンが抜群。

それまでフニャフニャしたとこもある普通の少年だったので腰が抜けた。

ちょっとカントくんのやってみたい音楽しっかり聴いてみたいんですけど!? となった。

 

いわゆる「アイヌの問題」が注目されがちではある。

実際、観光客が無邪気に「日本語お上手ですね」と声を掛けるシーンにドキリとしたし、「たくさん勉強したので!」と慣れた笑顔で返すさまに胸がざわついた。

そうか、不理解とか差別とか、つーか知らないってこうゆうことなんだ。

カントくんが「アイヌのことばかりやらされる」とぼやくセリフや、般若心経を唱えるシーン、カタカナで書かれたアイヌ語を見ながら行われる儀式、老婆が口ずさむ歌ー…。

随所に“現代のアイヌ”が抱える難しいことを伝えている。

 

 

しかし、この映画を“アイヌの映画”でおさめるのはまた違うかなと思っていて、それは福永壮志監督の経歴にある。

福永監督は本作が長編2作目となるが、活動拠点はアメリカにある。

初長編「リベリアの白い血」は、リベリアのゴム農園で過酷な労働にあえぐ黒人男性がアメリカへ渡る物語。

気になって調べると、アマゾンプライムで配信されていたので「アイヌ〜」鑑賞後、その日のうちに見た。

「アイヌ〜」より映画らしい質感ではあるが、見ているこちらが焦げそうなほどヒリヒリとした現実、やるせなさのリアリティーは通じるものがあった。

アメリカでは監督自身も外から来た人間であり、「リベリアの白い血」もまたコミュニティを捨てた“外側の者”の話。

やはり。コミュニティとアイデンティティに深いまなざしを感じる。

 

コミュニティの内側と外側。そしてアイデンティティ。

2作とも同じルーツを持った人々が共に暮らし、歌う描写がある。

その人らにとっては普通のことだろうけど、聞き馴染みのない歌や仕草は鑑賞者で外側の人間の私には少し奇異に映る。

この、何か見えないものが確かにありますよ、という感じ。

ここにいて、そこにいて、でも違うんですよ、という感じ。

違和感があぶり出される感覚にゾクゾクした。

 

それはアメリカに渡った黒人男性だけでなく、アイヌ民族の血をひく少年だけでなく

属することで見えなくなる何かや、属さないことで感じる孤独を誰しもに語りかけるものだなと思った。

 

なんか真面目になってしまった。

マンガ原作のとかアニメ映画とか、もっとふざけてノリノリで書いているのでよかったら探してください。

 

 

 

 

コロナ禍の真っ只中ではあったが、緊急事態宣言も解除された2020年6月。

現場再開の知らせもないまま、新曲発売の10日後に推しが脱退を発表。さらにその10日後、グループを脱退事務所も退所した。

おたくならば脱退の前後で、涙ながらにはてブロかnoteに“推しが脱退しましたブログ”を書かねばならぬところですが、そうゆう感じじゃなかったので、遅ればせながらアメブロにて“推しが脱退しましたが元気ですブログ”を書き残したく候(突然の武士)。

 

 

推し始めてから脱退まで4年半。

今は野生化し、フリーでアーティスト活動をしている。

野良のおたくとなった私も、なんやかんやとそれを見守っているので、もうすぐ推しの人生観察生活もまるっと5年になる。

卒業間近とはいえ高校生だった推しも今や社会人5年生。立派な個人事業主らしい。

推しの卒業とか脱退で世界が終わっちまう人も多いと思うが、私の場合は4カ月経ってなかなか楽しく暮らしている。

もちろんケース・バイ・ケースなのだが、推しの野生化案外悪くないよ、今んとこ。

 

推しのいたグループは男子アイドルで、メジャーデビューして脱退までに出したシングルが7枚。研究生時代を含めると11枚かな。

大箱ライブは毎回、チケット手売りによる粉飾決算みがぬぐえないが、武道館まで立てた。

接触があって現場数が多い。

コロナ禍で最後に会って話せたのは2月で、最後に姿を見たのは3月の舞台で、最後に話したのは6月の生電話特典会。まだ脱退が発表される前だった。

最後の電話特典会は、他のメンバーが次々完売する中、なぜか買っても買っても売り切れなかった。

結果的に最後にたくさん話せてよかったのだけど、メモいっぱいに話すことひねり出して書いても最後は困って、なんにも知らなかったから、「次の目標なんかあんの?」なんて聞いてしまった。

その返事は「なんで?」と思うものだったけど、脱退した今つじつまがあう。

 

脱退のお知らせはTwitterや公式ブログで知った。

マジか!? っていうより、マジかー…って感じだった。

今でこそ、辞めるのもありだなの心境だが、発表があった時は寂しかったし悲しかった。

けど、一番心の割合で大きかったのは「ごめん」。

 

辞めるにあたって、たくさん「辞めると思ってた」って言われてた。

人のブロコメとかもどうしても目に入るし。

でも私、実のとこあんまりそう思ってなかった。

そりゃベースにほんのり、辞めたい、これは違うって感情はあるのかなーと想像してたけど、ブレイクとはいかないまでもグループは大きくなっていってるように見えたし、その中で人気もあったし。

処世術に長けた賢いヤツだと思ってたから、辞めるよりここにいたほうが、少なくとも今は得だって分かってると思っていた。

 

現場数が多いと、今日ダメそうだなって日がある。

体調なのかメンタルなのか、短期的だったり少し長引いたりする。

辛そうだなあと感じても、頑張る姿を見せようとする限りは、「頑張れ」と言おうと。

見てるこっちがしんどくなるようなときだって、心配って顔はしないぞと。

踏ん張ってるのに「無理しないでね」なんて言えないし、私は分かってるアピールみたいなこともしたくなかった。

だから最後は、最後まで辞めると思わせてなかったよ、と伝えた。

 

一度、推しもう死んだかと思って、思い余って毎日神社に通ったことがある(笑)。

参拝してスタート地点まで戻り、目印の石を1つ増やしてはまた参拝する。

やったことありますか、お百度参り。

あれは、おすすめですよ。何やってんだろう自分…と正気に返りますから。

おたくの心配って本当に無だなと思いました、あの時は。

 

最近、辞めてからのインスタライブで「活動できなかった時期があって」と初めて言葉にした。

絶対あんときじゃん。

あとから答え合わせして、あのときやっぱりそうだったんだと思うことは多い。

おたくの勘は侮れない。

 

 

いつからか個人仕事がなくなった。

以前は選抜に入っていた仕事も選ばれなくなった。

唯一続いてた個人仕事も、ひとりでやる配信も公式はお知らせしてくれない。

脱退前の舞台の収録日は2日とも外されて、DVDに残らなかった。

もしかして、辞める意志を伝えたからこうなったのかなと思い、個人的にとっている記録を遡った。

遡って、青ざめて、こんなに長い間、辞められもせず、干されていたのかと思うと、たまらなかった。

さらにそのずっと前から辞めたかったのか、自分の違和感とすり合わせるとあまりに昔で絶望した。

選ばれなった時、「またあの番組出てほしい」なんて、言わなきゃよかった。

「運営なんでお知らせしてくれないの」って、怒ったことで悲しませたりしなかったかな。

いつのことだか知らないが、辞めると決めて、辞めると切り出し、辞めると決まっていった日々。

気持ちがついていかなかったり、心が折れた日だってあったろうに、私の伝え続けた「頑張って」は、推しを苦しめなかっただろうか。

辞めたかったのに頑張ってって言い続けて、ごめん。

脱退で気持ちが一番苦しかったのはそれでした。

 

正直、ほっとしたこともあった。

推しは好きだけど、ずっと、運営とグループがどうしても愛せなかった。

現場で直接話せるスタッフさんは、困ったり何か要望があった時に対応してくれたりと親しみはある。

けどもっと大きな規模で、人を喜ばせよう、人を大事にしようという部分が欠けている。

そんな環境で推しが大人になっていく。

そりゃないだろと思うことも当たり前だと思うような大人になったらすごく悲しい。でも染まらなきゃ悩むことも増えるだろう。

 

脱退したグループは、推しとメンバーたちがメジャーデビューするためにつくられた。

だからグループが好きになって推したわけじゃなくて、推してたらグループができた。

その波に乗れなかった。

ライブは好きだし楽しい。メンバーひとりひとりに情もある。

でも、どうしてもグループとして好きになれない。

途中で、こんだけライブ見て好きになれないならもう諦めよ、このままでいい、と割り切るまで結構しんどかった。

けれど結果的に脱退してしまったことで、罪悪感は濃くなった。

そんな影響力ない。思い込みなのは百も承知だけど、グループを愛せないおたくが足繁く通ったせいで、辞めたい気持ちをわずかでも育ててしまってなかっただろうかと考えると苦しい。

逆のパターンもあるけどそれはあんまり考えたくないな。私の気持ちは私のせいにしたい。

 

推せない運営の考える活動計画は、コスパは悪くなるしもんやりするし、しんどくなっていった。

いくつかの段階を踏んで、正直そろそろついていけないと思っていたのも嘘じゃない。

今は配信とオンラインリリイベをやっているのだけれど、この内容を考えた人はおたくにどんな怨みがあるのだろう…と戸惑うようなもので、推しが脱退してなかったら私は会えないまま脱落していたかもしれない。

今もやることなすこと見ていたいと思えるのは、脱退したからなのは間違いない。

 

脱退後は音楽活動をする的なことをほのめかしていた。

今後も推していけたらなという気持ちはあったが、推しのやりたい音楽が趣向を考えるとたぶん私の好みとズレている。

もし曲が好きじゃなかったら、推してちゃダメなんじゃないか。

それに、退所したらすべての権利は推しにある。応援されて嫌だったら、嫌と言ってもいい。

自分が応援してもらいたいと思ってもらえるおたくなのかも不安。今も。

 

 

野生現場はルールがあるようでない。あるのはモラルのみだが、その基準は推しの心ひとつ。

今までは“やったもん勝ち”はルールを破るかかいくぐる必要があり、ある程度悪だったが、野生現場はやったもんがそのまま勝ちの場合がある。

多少、遭遇したり話したりできるようになって思うのは、特典券があったほうが気は楽だ。

話したいだけ特典券を買えばいいし、特典券を売ったからには向こうも対応する義務がある。

運営がいないから推しからのNGは最初から最終通告だ。さじ加減がわからん。

がっつけないと損、高額プレゼント合戦みたいな世界に参加したくない。

 

しかし、そんな心配よりずっと手前に壁はあった。

脱退して数日後、推しがSNSを始めて、派手に染めた髪や穴の空いた耳、飲み会実況、あんまり読みたくないツイートを披露してくれた。

辞めたのが楽しくてうれしくてたまらないのが全開だった。そりゃそうだよな。

私には、SNSでの発信が横柄で舐めた態度や言葉に感じられた。

イキリモンスター爆誕。

こ、このイキリモンスターを推すのは、ちょっと…。

一方で、辞めたうれしさもある一方で、ライブもできないご時世で、ファンだってどれくらい残ってるか分からない。

これからはひとりでやっていかなくちゃ、舐められちゃいけない、自分を大きく見せなくちゃ、と小型犬が吠えまくるがごとく、イキってしまうんだろうなあとも思った。

 

とりあえず落ち着くまで、SNSとはいえ積極的に関わるのはやめようと思い、フォローをはずした。

「応援しなくちゃ」と意気込んでいた。

それなのに蓋開けたらイキリモンスター出てきちゃて、推せないと思ってしまう自分がダメだと感じた。

「自分の気持ちが一番大事」と、気が乗らない時は乗らない気持ちを優先しようと意識して、SNSはうっかりコメントしないように鍵アカウントから覗くようにした。

 

イキリモンスターは徐々に落ち着き、今では感謝モンスターになった。

初めての有料配信の出来がよくて、私もその前後からSNSもフォローしてコメントしたり、手紙を出したりするようになった。

 

活動の第一弾としてTシャツを売ると言い出した時、周りの大人におたくの金が狙われているのでは!?と勘ぐった。

でも出てきたデザインは純粋にステキで、1枚1枚シルクスクリーンで手刷りするという手間のかかり具合。決しておたくがお情けで買うようなものじゃなくて驚いた。めっちゃ着てる。今日も着てる。

結果的にいい感じに売れたらしく、その資金で「すごい人にMVを撮ってもらえる」とインスタライブで報告していた。

どこまで先のことを考えてやっていたか分からない。

最初からMVを撮るためのクラウドファンディングもできただろうに、自分がやってみたかった服づくりで人を喜ばせて、その対価を音楽活動に使っていいものをつくる。

推しすごいじゃん、やるじゃん。考え方もやり方も拍手を送りたい。

インスタライブで「クラウドファンディングってなあに」とおっしゃってましたが。

 

 

グループにいた頃はろくにブログも更新しなかったくせに(昔はしてたからいろいろ思うことあってそうなったのだろう)告知なく始まりアーカイブを残さない野生のインスタライブを頻繁にやるようになった。

これが逃すと結構病む。知らない間に現場始まって終わってた。

私はインスタライブを見逃したくないために海外の野良アプリを探し出して自動録画できるようにした。深夜配信のためにイヤホンも買った。

それでも外にいる時や映画を見る時に電源を切るのが心配で、スマホをもう1台買って野生のインライ録画専用機にした。

 

そのうち毎日やると言い出し、なんと2ヶ月間ほぼ毎日、1時間のインスタライブを続けている。

半分寝ながらしゃべっていることもあるし、咀嚼音が響いていることもある。

こちらも聴きながら寝そうになったこともあるし、入浴中に始まってそのまま風呂から出られない日が何度あったか。

推しのスマホは高温にると配信が止まってしまうため、何かぼんやり映ったと思ったら冷蔵庫の中だったり、冷凍肉の上に乗せてみたりとハプニングが耐えない。毎晩笑わせてくれる。

元来、自由で人間みが丸出しなところが魅力だが、お腹すいた、寒い、今日何した、明日何するという日常の報告から、今度何やるといったフライングめの告知までしてくれる。

毎日毎日、推しが何に頑張っているのかわかる。

これがすごくうれしい。

 

運営にほとほと嫌気が差していたことのひとつに、グループが歩む物語の共有と演出が下手すぎて“知らないふりをされる” “知らないあいだに何もかも終わっている”ことが何度もあった。

ただのいちファンなんだから、知らないことがあって当然なんだけどね。

要所要所で繰り返す、「そっか…」は少しずつ心を疲れさせていく。

野生化した推しが今、何をどう頑張ろうとしているか伝えてくれる環境は、こんなにも毎日うれしいものなのか。

ひとつひとつの思いをリアルタイムで素直に伝えてくれる、辞めることでそれができるようになったのであれば、それは歓迎したい。

 

私の“推していたい”という勝手な都合からすると、運営から外れてくれたこと、毎日楽しそうに頑張っていてそれが分かること、この2つだけで脱退してくれてありがとうと思える。

推しが「脱退してよかった」と思うのはまだ先であってほしいけど、とりあえず私にとって今の環境は前より健やかな気持ちで推せている。会えないけど。

脱退してくれてありがとう(2020年10月現在)。

 

まだ関わり方は測りかねることも多いが、基本は野生動物だと思って接していこうと思っている。

○野生動物のナワバリは大切にする(ワンチャン裏現場に行かない)

○森で野生動物に会っても驚かせない(おたくの現場じゃないことを忘れない)

○野生動物だから森に行って会えなくても諦める(人の遭遇ワンチャンで病まない)

○野生動物にエサを与えすぎない(高額な贈り物や大金を使うことでアピールしない)

○人と野生動物の適切な距離感を忘れない(SNSを見すぎて勘違いしない)

○野生動物の命を守る会(出たものは買う、行けるものは行く)

 

今、こうゆう心掛けでかなり穏やかに暮らしています。

 

今月、10月29日についに1stシングルが出る。

こなれてない感じとか、今までの背景を歌っていて反則っちゃ反則なんだけど、伝えたいことが真っ直ぐ優しく伝わってくるとてもいい曲。

曲が好きじゃなかったらどうしようと、グループを抜けてソロ活動をするアーティストの曲を聞きまくって精神を鍛えていた私に大丈夫だよと言ってあげたい。

Tシャツもインスタライブも音楽も、予想を超えたものが出てきて、5年目にして推しを見直すことばかり。

 

10月23日(明日)には有料ですがライブ配信もします。

思い出の場所から生配信し、新曲も歌うということで、推しいわく「エモい」そうです。

こんな呼びかけで1000円の有料配信見てくれる素っ頓狂な人はなかなかいないと思うのですが、それでも私はどこかにこの配信のリンクを貼りたかった。

これです!!

 

TENKI T’s Base04 -Memory&Sing-

 

1stシングルはこちらから

TENKI 1st Single "Shutter" 完全限定M-CARD

 

だから今、ブログを書いたわけです。

鬼滅の刃とポイ活の記事で挟んでアクセス稼ごうと思ったけど全然うまくいってないや。

むしろこの記事が間に合ってよかった、ワッハッハ。

 

 

「頑張って」

 

レディースデーだし金曜に映画行くか〜何やってるかな

ポチポチ

やだあ、何時刻表出しちゃってんのぉ〜間違え……

 

無限列車走りすぎだろ!!!

東京の電車かよ!!!(田舎者)

※これは同じ映画館の本日の上映スケジュール。初日はもっと上映回数が多かった

 

もはや鬼滅の刃以外を見るのは困難。

しかもまた数日あるのに席がかなり埋まっている。舞台挨拶でもないのに!!

これは映画館なのか? すげえな、鬼滅の刃!

ということで、たいしてファンでもないくせに公開初日にガチ勢に囲まれて、ぼっち鑑賞してまいりました。

 

【劇場版「鬼滅の刃」無限列車編】

 

監督:外崎春雄 原作:吾峠呼世晴 脚本・アニメーション制作:ufotable
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
音楽:梶浦由記 椎名豪
キャスト
花江夏樹=竈門炭治郎、鬼頭明里=竈門禰豆子、下野紘=我妻善逸、松岡禎丞=嘴平伊之助
日野聡=煉獄杏寿郎、平川大輔=魘夢

 

〈ストーリー〉

炭治郎は家族を鬼に惨殺され、唯一生き残った妹・禰豆子も鬼になってしまった。

禰豆子を人間に戻すため、人を食らう鬼と戦う鬼殺隊の一員となり、仲間たちと任務にあたる炭治郎は、

鬼と思われる被害が続く無限列車に乗り込んだ。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 

説明するまでもない、大人気マンガ原作アニメの劇場版です。

週刊少年ジャンプでの連載はすでに終了しており(22巻まで既刊)、アニメは2019年4月から全26話が放送。

今回の劇場版はアニメ26話の続きになります。

新型コロナウイルスの影響がなければ、アニメ放送終了からすぐ映画公開だったんじゃないかと、記憶では。

 

鬼が出てくる世界観と呼吸を使った技を駆使する剣術のカッコよさ、兄弟愛、家族愛が魅力。

憎むべき敵である鬼にも共感させる背景を持たせ、主人公らの悲しみに立ち向かう姿が涙をさそう物語です。

 

特にファンというわけではありませんが、一応アニメは全部見てます。

人気を聞いて、どれ見てみるかとアマプラで1話だけ見て、最初はそこで見るのをやめました。

これがおもしろい理由が分かるから、なんかやだなと。

「るろうに剣心」と「犬夜叉」すぎんか、これ。

見たことありすぎる味付けだし、この味にハマる人の気持ちも分かる。

なんなら思春期の自分の創作ノートに似たような設定が走り書きしてありそう(恥)。

う〜ん、これは素直に楽しめないぞ。と一度は停止ボタンを押したわけです。

 

そこから原作何冊か読んで、アニメと少し違う雰囲気で持ち直し、コロナ自粛で持て余した暇を使ってアニメ再挑戦。

1回原作読んだことでこのテのフォーマット感を少し忘れ、全話視聴しました。

 

でもやっぱり、キャラクターだいたいるーみっくわーるどの人でしょ。

伊之助さあ、絶対「らんま1/2」に出てたよね。呪泉郷に落ちてイノシシになったアルね。

十二鬼月って十本刀に2人増えたね? 矢琶羽って鬼、親戚に魚沼宇水いない!?

善逸が構えたとき、これは…縮地クルー!!と思ったババアは手ぇ挙げな。

とまあ、少年マンガあるあるを楽しみながら見ていました。

おもしろいと思いますよ。

ただ、長くアニメやマンガに親しんでると新しくないだけで。

 

映画も同じく、普通におもしろかったです。

アニメの映像美は劇場版でさらにグレードアップしており、列車を舞台にした本作をスクリーンに持ってきたのは大正解。

戦闘シーンの迫力は、間違いなく劇場で見るべき作品だと思います。

あと音。魘夢役の平川大輔さんの声がなんともいえない湿り気で、あれは映画館の音響で聴いてよかったです。不気味だ。

 

映画を見たい子供たちの付き添いで劇場でほぼ初めて鬼滅の刃を見る、お父さんお母さんにも親切なつくりになっており、

子供から説明される程度の知識で十分見られるのも本作のいいところ。

魘夢がちょっと笑っちゃうくらい説明してくれます。十二鬼月の仕組みとか。

スクリーンに映ってなかった善逸や禰豆子、煉獄さんの戦いっぷりを講評しながら死んでいくところで笑ってしまいました。

なんて親切な鬼なんだ!! ありがとう!! 成仏しろよ!!

 

物語の前半と後半で大きく2つの戦いがあるのですが、前半のもんやりが後半で解消されるも

逆に良かったところが後半のもんやりになる、というあっちを立てればこっちが立たず状態が残念でした。

 

前半、魘夢との戦いは夢を術を使い、乗客を人質に列車全体を敵とするところがおもしろい。

何に苦戦しているのか、勝つにはどうしたらいいのかというロジックが何段階かあって明確。

第一段階として夢の世界を破らないといけない、そのためにどうするか。

さらに親切な説明が持ち味の魘夢が、夢の段階は「時間稼ぎ」と教えてくれます。行動言動存在すべてが伏線。やさしい。

第2段階として、乗客を守りながら巨大化した鬼とどう戦うか。

どこが鬼の弱点である首か、巨大化した首をどう斬るか。

なんとわかりやすく、物語に夢中になれるうまい構成なんでしょう。

しかし、巨大化してしまったために魘夢という敵キャラクターとしてのかたちが曖昧になってしまった感がありました。

キャラクターの技もアクションみに欠け、めちゃくちゃ強い敵を倒すんだぞ〜!!! というバトルマンガらしさが薄れてしまったかなと。

あとしばらくは筋子食べるたびに無限列車のこと思い出しそう…オエ。

 

逆に後半、突然現れた十二鬼月・上弦の参 猗窩座(あかざ)と、鬼殺隊の最上級隊士・炎柱の煉獄杏寿郎とのバトル。

こちらは強すぎる2人のバトルアクションが、すさまじい。

さっきもんやりしてたことが一気に解消され、バランスとれてんじゃねえか…良さ…となりました。

んがしかし、こちらには前半にあったロジックがない。

だんだん強すぎて何やってるのかわからなくなる。ただただ圧倒されるといえばそうなんですが。

強さのハイパーインフレ。

もう何が強いのかどうしたら勝てるのかわからん。

 

なんかもう、どうしよう…という空気を炭治郎の「言いたいことがあるんだよ!」で一掃。

煉獄杏寿郎、思い出のアルバムで号泣。

 

鬼滅の刃って鬼含め、一人ひとりの背景をこれでもかってほど描いて死ぬ前に思い出すんですよね。

ごん、おまえだったのか…のターンがあって、だいたいそれが家族愛だから泣ける。

人が死んだら悲しいし。

みんなお母さんがだいすきだしぃ〜!!!

そんなん泣けるに決まってるやん!! って言いながら泣くんですけども。

 

だから結局、おもしろいし泣けるんですけど、初めての涙じゃないんです。

少年マンガだし、これでいいのかもしれないし、こっちがエンタメ見すぎてるのが完全に弊害なんですけど、

やっぱり新しさがないなあ、鬼滅の刃。

メッセージも設定も、何もかも今までのエンタメ人生で1回見てる気がするんだよなあ。

 

鬼滅に限ったことじゃないけど、家族愛と人の死って無条件で刺さる必殺技ですから、

どうしてもエンタメ作品を見るときに、必殺技に惑わされてないか考えちゃうんですよね。

そうなると、作品に感動してるんじゃなくて、必殺技でスイッチ押されてるだけなんじゃね?って考えてしまう。

人が死んだら悲しいんですよ。

特に鬼滅の刃は、設定からキャラクターから技からモチーフ、展開まで、古今東西の成功例を組み合わせてる感が強い。さすがジャンプ。

今、この瞬間、煉獄杏寿郎と鬼滅の刃に涙しているのか、それとも私の中にある「人が死んだら悲しい」スイッチと、今まで見てきたエンタメで培った泣ける思考回路に電気走っただけなのかっていうと、やっぱ後者なんですよね。

だから子供とか若い世代が鬼滅の刃に夢中になるのって当然っちゃ当然なんだけど、

この先いろんな物語に出合うたびに「これって鬼滅の刃じゃん」って感じると思うんですよね。

私はマンガ原作ほぼ未読ですから、まだこれから鬼滅の刃でしか語ることができない、鬼滅の刃だけのオリジナルなアンサーが語られるんじゃないかと期待しています。

 

そうそう、映画館で隣がオタクっぽい女子高生2人組だったんですけど、めちゃくちゃ泣いてました。

感想が聞きたかったので上映終了後に人が出るの待ってるふうにして座ってたんです。

そしたら泣きすぎて「ひーん、あ、メガネ落とした」って。

おい!女子高生!ちゃんと映画見えてたか!!??

女子高生が泣きすぎてメガネ落とすって最高の映画体験じゃないですか。

彼女は煉獄さん推しだったようで「覚悟して見にきたけど、やっぱり…」と声をつまらせてまた泣きました。

私は推しの最期を見るまでの彼女のこの数カ月間を想像し、今日イチ泣きました。

 

鬼滅の刃混んでるから、人少なくなってからすいてる時に行こうって人多いと思うんですが、

せっかく人の隣で映画が見られるようになったんですよ!?

やっとたくさんの人が映画を見られるようになったんです。

同じものを好きな人と同じ空間で映画が見られるようになったんですよ。

しかも満席に近い状態で。

こんな最高の環境で映画が見られる体験、コロナなくたってなかなかできません。

同じものを見て、人の息遣いの変化を感じる映画体験をしに、はよ見に行ってください。

 

 

 

 

 

少し間があいてしまいましたが、話題の映画見てきております。

内田英治監督のショッキング傾向と、プロデューサーの森谷雄さんの大衆向け感動ムービー傾向が双方向に広がってました。

素直に見れば心良さぶられて感動するし、ちょっと冷静に見ると気になる部分が残る。

語り甲斐の余韻が十二分に残る映画です。で、さっそく。

【ミッドナイトスワン】

監督/脚本:内田英治
プロデューサー:森谷雄 森本友里恵
音楽:渋谷慶一郎
キャスト:草なぎ剛=凪沙、服部樹咲=桜田一果、田中俊介=瑞貴、吉村界人=キャンディ
真田怜臣=アキナ、上野鈴華=桑田りん、佐藤江梨子=桑田真祐美、平山祐介=桑田正二
水川あさみ=桜田早織

2020年製作/124分/G/日本
配給:キノフィルムズ

 

〈ストーリー〉

新宿・夜の街でニューハーフショーのステージに上がるトランスジェンダーの凪沙は、育児放棄により母親の元を離れることになった親戚の一果を預かることになる。

孤独の中で生きてきた2人は相容れない生活を送るが、一果のバレエをきっかけに互いへの理解を深めていく。

“母”になり、バレエの夢を応援しようと決めた凪沙だったが、実母との再会で一果と引き離されてしまう。

凪沙はある決意をするが、さらなる悲劇へと転落していく。

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草なぎ剛さんが女装し、トランスジェンダーの役をやるということで話題の一作。

オープニングでatmovieの名前が出てきて、なるほど!となりました。

アットムービーは製作プロダクションなんですが、代表で今回プロデューサーに名前がある森谷さんはもともとフジテレビのドラマ部門出身。

最近だと「深夜食堂」とか「みんなエスパーだよ」(最近か?)を手掛けているんですが、広めの道路で変な格好できるスタイルが魅力なんですよ。

みんなが食いつきやすいように見せて引き寄せ、読後感に予想と違うささくれ残す的な。

「ミッドナイトスワン」は、フジドラ出身のキャスティング力で草なぎ剛を引っ張ってきて、トランスジェンダー・女装という注目されるキーワードで大衆を引きつけ、内田英治監督でびっくりさせる。

アットムービーが得意な方程式のやつではないですか。

この、明らかに船頭2人いる感は作中でもところどころ感じまして、繊細で目を細めるような描写がある一方、なんつー乱暴な…とヤフー映画レビューで「あれはなんだ」と書かれそうな演出がありました。

映画の見方としては、方向性の違う“好み”が混ざってる、というのを頭の片隅に置きながら見ると、さらにおもしろくなるかもしれません。

 

具体的に中身のほうの話をしていきます。

 

前半の山場は凪沙と一果の距離が縮まるところ。

とにかくそれまで心を開かない一果が全然しゃべらない。

あれだけしゃべらないのも逆にストレスなんじゃないかと思うくらい、しゃべらない。

その分、言葉少なに話した一言一言とか、行動や視線が丁寧に描かれて好感でした。

特に大好きなのが、凪沙が一果に食事を作って食べさせるシーン。

なんですか、あの完璧なフード理論に基づいたフード演出は。

解説させてください。

 

ものを食べるところを見せるのは、物語世界の中で正体を明かす意味があります。

物語世界で一緒に食べる、食べ物を分け合うことでその人物たちの和が描かれるのです。

 

 

ステージで踊る一果を見て心を動かされた凪沙が白鳥の頭飾りを一果に授け、食事を作って世話するようになります。

この心境に変化があったシーンの前では、一果はもちろん、凪沙もおそらくタバコしか口にしてないはずです。

その2人がお互いの正体を見せあい、近づくのに食事のシーンが使われる、これぞフード理論!

さらにこの食事シーン、よく見ると2人の使う食器が違います。

一果の皿には凪沙が好みそうな模様が入っており、その皿に乗るポークソテーも一果のほうが大きいのです。

それを気にする素振りも見せずに口に運ぶ一果。

2人の歩み寄りだけでなく、一果への愛情、その愛情を受け入れる一果という変化が、これでもかというほど詰め込まれた素晴らしいフードシーンでした。

 

 

タイトルで分かるとおりバレエの「白鳥の湖」をモチーフに取り入れています。

トランスジェンダーの凪沙が母になろうとする、というのが目立ちがちですが、わたしは2人は親子ではなくお互いに自分自身の影を見出したゆえの関係性だと思っています。

「白鳥の湖」のオデットは夜にだけ人間の姿に戻れる。

夜の街でだけ女性として生きることができる凪沙の姿がオデットと重なりますが、

限定的な場所でしか自分になれない、という見方をすれば、凪沙は女性として生きている瞬間ですし、一果はバレエを踊っている瞬間がそれぞれの“自分”になります。

ステージでの出来事がきっかけになったのは、2人の共通項を結びつけるのになんと繊細な構成でしょう。

 

ここから本筋のネタバレになっていきますが、

バレエコンクールで実母が登場し、凪沙と一果に別れが訪れます。

このシーン、憎いんですよ。

何が憎いって、会場入りするシーンで親子の会話が聞こえてくるんですが、その会話の正体と思わせる親子とセリフのリッピングが不自然に合ってない。

おそらく、このシーンで聞こえてくる親子の会話は、かつて一果が母と同じような本番前に交わした会話。

凪沙は何も気づかず愛情を注ぐ一方で、一果は実母の存在を思い出している。

憎い。

“ステージ”は2人が輝ける共通の場所だったはずです。

そこに乗り込んで一果を抱きしめる実母の姿に、凪沙はどれだけの敗北感を味わったことでしょう。

母として、女性として、一果の理解者として。

憎い。

 

 

この体験が、凪沙を海外での安価で危険な性転換手術に駆り立てていったのではないでしょうか。

安価という描写はないですが、一生懸命貯金していた描写から一果のために働くようになったのでもちろん手術貯金も崩しているはず。

手術に踏み切った時点で手元に十分な資金があったとは考えにくい。

お金を工面する姿は描かれずとも想像でき、後の病気へつながるのも不自然ではない。

そう考えると、一果を迎えに実家を訪れた凪沙が、不自然に乳房を見せたりするのも納得できるというか、「女になったら勝てる」という希望にすがった結果なのかなと思います。

 

「女になったら勝てる」と信じたものの、打ち砕かれた凪沙は人知れず堕ちていき、病に倒れます。

一果が自分の道を歩み始め、凪沙に会いに行って病気を知るシーンはかなりショッキング映像です。

そんな凪沙を看病するシーンに、あのフード演出がもう一度登場します。

あのとき凪沙が作ったポークソテーを一果が作って食べさせるのです。

黒なく焦げたポークソテーが涙なしでは見られません。

こんなにも一果の凪沙への愛情があふれる演出があるだろうか、気がききすぎている。

フード演出で二度泣かせる映画があるかバカヤロウ。

 

そしてラストなんですが、凪沙と見間違える風貌の一果が颯爽と夢へ挑んでいきます。

凪沙はたしか一果に宿っていると確信できるその姿から、人は何かを誰かに残すことができると強烈なメッセージを放ちます。

ああ、凪沙、成仏したわ、これ…。

 

 

フード演出、ばんざい。

 

 

 

 

 

 

朝ドラ2作で脇役のいい演技で注目を集め、NHK時代劇で主役を務め、来年の朝ドラのヒロインに決まり、

NHKを見ていれば天気予報か大相撲並みに自然とその存在を知る、今注目の女優・清原果耶ちゃん。

以前から気になっていた藤井道人監督とのタッグでめちゃくちゃ気になってた映画です。

今作を見る前にアマプラで「青の帰り道」も見ていざ、行ってまいりました。

語りすぎない、とっても好みの良作でした。

 

 

【宇宙でいちばんあかるい屋根】

監督/脚本:藤井道人、原作:野中ともそ
企画/プロデュース:前田浩子
キャスト:清原果耶=大石つばめ、伊藤健太郎=浅倉亨、水野美紀=山上ひばり、山中崇=牛山武彦
醍醐虎汰朗=笹川誠、坂井真紀=大石麻子、吉岡秀隆=大石敏雄、桃井かおり=星ばあ

〈ストーリー〉

14歳のつばめには、家族や恋の悩みがあった。

ある夜、つばめは空を飛ぶという老婆・星ばあに出会い、親しくなるうちに少しずつ自分の殻を破り成長していく。

つばめは自分を変えるきっかけになってくれた星ばあに恩返しをしようと、生き別れた孫の家を探して再会させようとする。

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藤井道人監督の前作(前々作?)で、高校の同級生たちがそれぞれの人生を歩んでいく姿を描いた「青の帰り道」と

雰囲気としては似ている映画でした。

今回の大注目はなんといっても清原果耶ちゃんの映画初主演ですが、瑞々しい、若々しい、でもちょっと陰のある清原果耶ちゃんに、もうほぼ土に還りかけてるといってもいい熟練の桃井かおりをぶつけてきたのが最高のマッチアップでしょう。

清原果耶ちゃんは言うまでもなく素晴らしいのですが、桃井かおりにもっていかれましたね。

桃井かおりってものすごい女優なんだな、というのと、決してきれいではない風変わりな老婆を演じるのが、今こんなにも合うステージの女優さんなんだ!!と親戚な驚き。あれは樹木希林のステージですよ。

最後に写真に写った星ばあが出てくるんですが、その表情がね、もう、最高……としか言えないんですよ。素晴らしい。

ちょっと何言ってるんだか分かりませんけど、これからの桃井かおりが楽しみでならない。

この桃井かおりと清原果耶ちゃんのコントラストが強くて、まぶしくて、大きな展開やスピード感のある映画じゃないんですけど、吸引力の強い作品になっていました。

 

清原果耶ちゃんのいいところって、話しすぎないところだと思うんです。

この映画でもセリフはもちろんたくさんあるけど、年頃の中学生の女の子って考えるとあんまりしゃべらない。

話さなくても心情がしっかり伝えられて、そのグラデーションが細かいのが魅力。

それが映画ととてもマッチしていて一層素晴らしかったです。

 

いつもブログ書く前にヤフー映画レビューをさらっと読んでくるんですが、

(1つ1つ読んでは「わかってない」「全然わかってない」と悪態つく遊びを『ヤフー映画レビュー千本ノック』という)

(心の中で悪態ついてるだけなので誰も傷つけない)

見たいシーンが描かれないって書かれているのを見ました。

え、それがいいんじゃん、藤井道人監督はさ…!!

 

見なくてもわかることは映像にしないし、説明しなくてもわかることはセリフにしないんだよ!

 

だからゴリ押しの気持ちよさみたいなのないです。それがいいんです。

例えば、主人公の名前が「つばめ」、習字教室に通っているわりには字が下手、憧れている水墨画家の名前が「ひばり」

きっとどちらか本当の親じゃないんだろうなくらいしかわからない段階で、習字教室の話をした時に乗り気でない父。

 

字が下手でも字が下手っていう描写は一切ない。

でも見たらあんまり上手じゃないから、なんでつばめは習字教室に通うんだろうって疑問に思う。

これ思わない人も気づかない人ももちろんいるわけで、それが映画が好きな人がもっと映画を楽しめる仕掛けでいい。

なんで習字? から、水墨画家のひばりさんが実は本当のお母さんでってくだりが出てくる。

でも、名前が鳥つながりだね!! ってわざわざ言わないし、お母さんの影を追って習字だったのか…

そうか、だからお父さんあんまり習字教室に乗り気じゃなかったんだ!

ていうか、そこで歓迎姿勢の育ての母の愛情はここが伏線になっていたのか!!

と、1つ1つの丁寧な仕掛けが気が効いてて、そう、脚本がおしゃれ。脚本がおしゃれですよ、これ。

実のお母さんに会いに行って3羽の親子ツバメの絵の意味がひっくり返るところなんてね、残酷なおしゃれですよ。

そうゆうのいちいち気づいては「クゥーッッ!!」ってなる映画です。

 

そうやって説明されすぎない状態が続く効果なのか、物語が終盤に差し掛かるにつれ

なんかオレ、わかってっから…

みたいな精神状態になってきます。

説明されて“わかった”状態じゃなくて、能動的に“わかった”状態になっているだけなのに、

つばめちゃんや両親や、星ばあ、登場人物たちのこと、なんかオレ、わかってっから…みたいな気持ちになっている。

その結果、なにか一言話しただけで、仕草が見えただけで

 

それってこうゆうことって、オレ、わかってっからああああああああ(涙)(涙)(涙)

 

ともう、感動ポイントが勝手に量産されていく。

これもしかして私、調教されてますか? 藤井道人監督…。

 

んで、最後のエンドロール。

なんと歌っているのが清原果耶ちゃん!!!

なんと、あなた、歌もお上手だったんですか!!!

しかもCoccoがプロデュースときた。合ってる…清原果耶ちゃんとCoccoの組み合わせよき…。

めちゃくちゃ透明度高い水の底がザラザラしてるみたいでよき…。

 

とっても良作です。丁寧ですてきな映画でした。

 

映画と直接関係ないのですが、物語が2005年の設定なのがハッキリでてきます。

西暦が出てくると、震災起きるかなって思ってしまう自分がいます。

映画の中でも2011年3月に震災がないままなんてことはなく、触れられなくてもやっぱりあると思うんです。

朝ドラで戦争が避けられないように。

今、2020年にコロナでとんでもないことになってるのって、この先どうなるかわからないけど

映画の世界でも何度も2020年が描かれて、その姿はどんなふうになってるんだろうって考えました。

2020年よりずっと前の映画だってわかっていても、最近人が密集しているシーンを見ると現実味がないんだ。

少し怖いって思う自分がいて、本当にこの先どうなっちゃうんでしょうね。

 

 

 

 

 

ドコモ口座が賑わっているこのタイミングで

dカードとd払いをはじめとしたバーコード決済にまつわるポイ活の話をしようと思います。

 

私はd払いをメインにPayPayとメルペイを使っています。

優先事項はdポイントを貯めること。

dポイントを貯めるのに必須なのが、ドコモが発行するクレジットカード「dカード」です。

 

最近、窓口の口車に乗せられてdカードGOLDにアップグレードしたのですが

やっぱり得じゃない気がする…と思い、調べたらめっちゃ詳しくなりました(オタク)。

結果、全然得じゃねえ!!ってかこれ知らんと損するな!! ということが分かり、

元のdカードに戻しました。

本日はその無駄に詳しくなったdカードの話をします。

 

私がなぜdカードユーザーかというと早い話が携帯がドコモだから。

というか、ドコモ使っててdカード持つデメリット何もないんですよ。

今やカード使わなくても年会費無料ですし、携帯料金支払うだけで毎月割引されますし。

 

なぜdポイントを貯めるのか。

機種変更する時にdポイント使って安くしたいからです。

今は2年に1回ペースで機種変更してますが、毎回2〜3万くらい安くなります。

dポイントはそのまま買い物で使ったり、他のポイントに換えたりできますが

次の機種変更をドコモでするなら貯めておいてまず間違いありません。

 

まずはdカードの基本的オススメポイント。

●年会費永年無料 ●ドコモ料金支払いで毎月170円割引 ●買い物でのポイント還元1%

 

キャッシュレス決済アプリのd払いを組み合わせることでポイントが2重取りできます。

基本ベース、d払いで0.5%還元なのでd払いとdカードの合わせ技で1.5%還元が受けられます。

1000円で15円戻ってきます。キャンペーンなんかを組み合わせると7%まで還元率が上がります。

これは次回に。

 

さて、dカードにはGOLDがあり、ドコモ利用料金のポイント還元が10%になります。

メインカードがdカードだし、GOLDにしたほうがなんだかお得そう…と考えていましたが、

年会費がGOLDは1万円かかるので、元がとれるのだろうか?と躊躇していました。

しかし先日、家電量販店で「GOLDの補償はケータイ補償と同じ」と言われ、

(ケータイ補償サービス…月額500〜1000円程度払う補償サービス。通常修理の他に修理不可能な状態や紛失時にサポートが受けられる)

それならケータイ補償を契約しなければ年会費の元が取れると思ったのです。

 

ところがどっこい。

GOLDの補償内容ではケータイ補償サービスの内容をカバーできないのです。

 

GOLDの補償は、全損(修理できないほど壊れた)や紛失時に同等機種の機種変更の料金を最大10万円まで補填してくれるというもの(3年)。

同等機種といっても有効期間の3年のうちに店頭在庫はなくなります。

同じものがなければ店長判断になるそうなので、10万の補償を使って

実質無料で機種変更できるようなもの。ケータイ補償サービスは不要に思えます。

 

ここに落とし穴が!

 

それは買い換えなくてもなんとかなる場合。

修理可能な故障(画面が割れた、内部の故障など)です。

こういった修理が可能な場合はGOLDの補償は対象外となり、ケータイ補償に加入していなければ全額負担になります。

画面割ってサービス未加入で修理すると4万円くらいかかりますが、ケータイ補償ならお3000円で修理できます(iPhoneは5000円)。

 

私はスマホ全裸族ですので、保護フィルムもケースもつけません。

今の機種(Galaxy S20Plus)はコーティングしてみましたが、割れたら結局外装交換に出すのでいらんなと思いました。指紋はつきにくい気がする。

余談ですが、保護フィルム貼るのと何もつけないのじゃ触り心地もタッチの感度も全然違うし、全裸のスマホは触るだけで気持ちがいい。

この触り心地を知ったら保護フィルムを貼る人はおらんだろうと思っている派。

割れたら修理すればいいと思ってナマの使い心地を楽しんでいるのですが、

1年も使っていると電池の持ちが悪くなってくるので、修理に出して外装も電池もなんなら基盤も3000円で取り替えてます。

わ〜い、新品!ってな感じで1年経過したあたりでやると2年間かなり快適に使えます。

なので修理代金サポートしてくれないと困る!結局補償サービスは継続することに。

 

これもしトラブルがあってGOLDの補償使ったとします。

新しい本体代金は補償でまかなえますけど、前の機種代金の分割金が残っていた場合、

損します。

 

最近は機種変更の時「スマホお返しプログラム」なるものに加入して3年分割にします。

このサービスは、24回分払った後、無事なスマホ端末返してくれたら残りの分割払わなくていいよというもの。

端末を返すタイミングによって総支払額が変わり、3年間きっちり払うより2年過ぎたら機種変更しちゃったほうが結果的に安くなるというシステム。

もしGOLDの補償で新端末を購入した場合、トラブルがあった端末は“お返し”できません。

残りの分割金は3年間払い続け、結果、割高になります。

それなら、補償サービスで有償交換して使い続け、機種変更の時に無事な端末を“お返し”したほうがお得になる可能性が高いです。

 

ではGOLDの特典、ドコモ料金の10%還元はどうでしょう。

ちなみにGOLDじゃない場合、その人ごとに還元率が違いますが、せいぜい月に数十ポイントしかつかないと思います。

しかもポイントがつくのはマジモンのプランの料金のみといっていい。

基本料金は安くなってますから、10%になるといっても元金部分が微々たるもの!

家族分まとめて払って純粋な基本料金だけで1万いくか、ドコモ光入ってないと10%還元の恩恵は受けられません。

ギガプランの上限ユーザーが2人以上いないとダメですね。

 

さらにありました、落とし穴。

こんな改悪してたの知らなかった。めっちゃ損してた!!! 憤怒!!

dカードがまだDCMXだった時代、携帯料金をDCMXで払うことでポイントの二重取りができました。

ポイント対象にならない分割金にもポイントがつくのがウリでした。

今、これ、できないんですよ!!! びっくり!!!

 

ドコモ料金をdカードで支払っても、dカードのポイント対象にならないんです。

基本料金はもちろん、分割金もなんもかんも!

しかもですよ、携帯料金と合算払いにした分もポイント対象外。

おいおい、もろもろの月額だのドコモ払いにしてたものも全部ポイントついてなかったんかい。

170円割引があるといっても、総額17000円以上払っているなら他のカードに変えたほうがお得です。

 

私はこれを知ってGoogle Playで課金する時に必ずクレカ払いにすることを誓いました。

iDの支払いも携帯料金に合算していたのもクレカ設定しました。

マジで大損こいていた。

昔はDCMXminiで携帯料金と合算させてDCMX払いにすればポイント対象だったのに!

dポイントちょいちょい改悪してるなと思ってましたが、ちゃんと調べてなかった自分に憤怒!

 

ポイント部分に関してGOLDのうまみがないことに気づきました。

還元率1%なのはdカードでもGOLDでも変わらないですしね。

では、他の特典はどうでしょう。

 

●前年の年間ご利用額累計が、100万円(税込)以上、200万円(税込)以上のお客様にそれぞれ11,000円相当、22,000円相当の選べる特典を進呈いたします。

 

節約させてくれ!!

仮に100万以上使ったとしても年会費分返ってくるだけでプラマイゼロ。

10%権限で微々たるプラス。

 

●海外旅行中のケガや病気による治療費用のほか、旅行にかかせないカメラなどの携行品が損傷した、あるいはホテルのカーペットなどを汚してしまった場合の損害賠償まで幅広くサポートします。

 

コロナ!!!!

 

●国内・ハワイの主要空港でラウンジが無料でご利用になれます。

 

コロナ!!!!

 

●旅先での不慮の事故をサポートする国内旅行傷害保険に、ご利用航空機の遅延などによって生じた思わぬ費用を補償する国内航空便遅延費用特約がセットになった、ビジネス・レジャーに役立つ保険サービスです。

 

コロナァァァァァ!!!!

コロナ許すまじぃぃぃぃぃぃ!!!!!

 

ということでGOLDが届いてすぐアップグレード取り消しの手続きをしました。

店員の誤案内ということで年会費は返金してくれるそうです。

まだ戻ってきてないですけどね!!!

 

まとめると、

・dポイント貯めるならdカードは必須

・GOLDでメリットがあるのはドコモ光契約者と基本料金で1万超えるユーザー。

・携帯料金と各種料金を合算するならdカード以外で引き落とし。

・携帯料金dカード支払いなら払えるものは直接カードで払う。

 

次回はdポイントをメインとしたポイ活の話をします。

 

※素人ゆえ間違いあったらすみません。

 

 

 

 

むかし鈴木拡樹くん好きだった時代がありまして、

あ、こんなのあるんだ、ちょうど見れるなあと思って鑑賞。

これが意外にもおもしろくてアタリでした。

 

 

【死神遣いの事件帖 傀儡夜曲】

監督:柴崎貴行 脚本:須藤泰司
キャスト:鈴木拡樹=久坂幻士郎、安井謙太郎=十蘭、崎山つばさ=庄司新之助
鈴木絢音=お藤、押田岳、松浦司、松本寛也、北川尚弥

〈ストーリー〉

舞台は江戸、死神・十蘭を相棒に探偵業を営む傀儡師・久坂幻士郎の元へ人探しの依頼が舞い込む。吉原にいるらしいという探し人の女の特徴は、目尻のホクロと桐紋の短剣を持つこと。

桁外れの手付金に気をよくした幻士郎はさっそく調査に乗り出すが、吉原では目尻にホクロのある遊女が立て続けに殺される事件が起こる。

吉原の惣名主の息子・新之助と共に事件の真相にたどりついた幻士郎は、かつて亡き父と幻士郎が守ろうとした姫の存在に気づく。

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2.5次元で活躍する若手俳優を多く起用したこの作品。

同じ世界観で映画と舞台を同時期に公開・公演する「東映ムビ×ステ」プロジェクトの第2弾だそう。

そんなこと全然知らなかったのでちょっと調べたんですが、映画が先に公開して、舞台はこの8月にちょうど終わったところでした。

ネタバレですが、映画で幻士郎から死神遣いの能力を引き継いだ新之助が舞台で主人公になっていて、舞台版から見た映画版はエピソードゼロですね。

 

この映画何がおもしろいかっていうと、監督の柴崎貴行さんって特撮の人なんですよ。

クレジットやチラシみながらなんか見たことある名前だなと思ってましたら

仮面ライダー・戦隊ヒーローシリーズのテレビも映画も撮ってる方でした。

特撮特有のあのノリ、主人公がおっちょこちょいだったり、女の子がベタッとしてたりする、あの空気感、フォーマットそのままでファンタジー時代劇をやってるんです。

 

当然、アクションシーンはキメキメにかっこいい。

死神を刀に变化させて戦うんですが、変身シーンよろしく別世界の映像がたっぷり入りますし、クライマックスにもう1段階進化する「大変化(だいへんげ)」もすごく特撮っぽい。

ていうか大変化した鈴木拡樹くんがクラクラするほどかっこいい。

 

特撮特有の映像やキャラクターの演出である種フォーマット化されていて、おもしろい。

けど特撮を楽しむのって毎週見ないといけないし、好きな人じゃないと結構大変だと思うんですよ。

なので映画1本だけで特撮感を楽しめるのは、かなりお得な作品なのでは。

 

チラシやらサイトの紹介文を読んでいると「刀剣乱舞の鈴木拡樹が!」「刀剣乱舞の崎山つばさが!」ってやたら刀剣乱舞をうたってくるんですよ。

わたくし刀剣乱舞は未履修なんですが、一大ムーブメントとなった刀剣乱舞で築いたもので他にも何かつくってみようかい的な狙いもあったのでしょうか。

刀やさまざまな武器を使ったアクションシーンはマジで見応えがありました。

刀剣乱舞の二次利用的な!?

 

特撮と刀剣乱舞(ムーブメント)。

それぞれ近くて違う表現芸術のミックスと考えると、これこの先なかなかワクワクしませんか。

2.5次元でよかったものを映像表現のあるフォーマットを使って違う物語で再表現、再利用する。

決まった公演に行かなきゃ見れないわけでもなく、毎週見なきゃついていけないものでもなく、2時間弱で見られる映画で。

作品としてもきっと若手俳優さんたちの活躍という視点でも可能性が広がりそう。

 

さて本編はというと、謎解き要素のある物語。笑えるところも泣ける人情噺とかっこいいアクションシーン、伏線もありでシンプルながらもおもしろい。特撮っぽい。

 

幻士郎の亡き父は、同じ死神遣いでありながら豊臣家に仕える武将で、“豊臣家が遺したもの”というのが物語に深く関わってくる。

このあたりがとてもロマンチックで、史実多少知っていると勝手にいろいろ想像して泣けます。

 

わたくし鈴木拡樹くんて舞台向きであんまり映像向きの俳優さんじゃないと印象がありました。

表情のつくり方がでかいじゃないですか。あと雰囲気に現実味がないし(ほめてる)。

だからどうなのかなって思っていたんですが、この作品に関しては鈴木拡樹くんの演技が合う作品だと思いました。

殺陣もたっぷり見られますからね。殺陣はスピード編集してるのかよく分かりませんでしたが、ちょっとゆっくりめの印象。できるからこそ見せられるって感じで、堪能しました。

何度も言うけど大変化したあとのかっこよさは異常。

 

エンドロールで若手俳優の名前を見ながら、あ、あの人の推しこのひとか!って合点していくのも楽しい。

崎山つばさくん、瑞々しくていいですねえ。

舞台がまだやってたらうっかり見に行ってたかもしれません。

脚本・演出が少年社中の毛利亘宏さんでガタッてなりました。

舞台でも見てみたい物語です。

 

と思ったらアマゾンプライムで見られるじゃないですか!

実はこの記事書いてから数日経っていたんですが、

更新が遅くなったのは、そのリンク貼るためのサービスの審査待ちでした。

 

 

 

 

映画館でチラシを見てビジュアルの美しさに惹かれた作品。

思ったとおり少女から老婆(言い過ぎ?)まで女性を映像美で堪能できました。

 

 

【クシナ】

監督・脚本:速水萌巴

キャスト:郁美カデール=奇稲(クシナ)、廣田朋菜=鹿宮(カグウ)
稲本弥生=風野蒼子、小野みゆき=鬼熊(オニクマ)

2018年製作/70分/日本
配給:アルミード

 

〈ストーリー〉

人類学者の蒼子は、山奥にある女性だけで暮らす集落を探しあて、そこで出会った少女・クシナに魅了される。

14歳でクシナを生んだカグウ、カグウの母で村長の鬼熊たちは、蒼子たちが集落を訪れたことをきっかけに、それぞれの決断をくだしていく。

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速水萌巴監督が自身の体験をもとに描き出した母と娘の物語。

本作が長編デビュー作だそうです。

 

まず設定がおもしろいよね。

人知れず、山奥で女性たちだけで構成されるコミュニティー。

どんな暮らしをしているのか、どうしてここで暮らしているのか。

人類学者の蒼子同様、好奇心と恐れを抱いて見ました。

 

そして女性陣が美しい。

タイトルにもなっている少女のクシナをはじめ、登場する女性たちの潜在的な美しさと映像的な美しさと両方あって、

こんなに美しく魅力的な女優さんを今まで知らなかったのかと驚くほど。

まつげとか眼球とか、素肌が美しい。

 

クシナの成熟が始まった大人と子どもの間らしい無垢さにも引き込まれるし、

カグウの化粧っ気のない素肌の質感。ただ、きれいなだけではなくて土や太陽のにおいがしそうな、黒髪がからまったなんともいえない佇まい。

オニクマの年齢を重ねてなお枯れることを知らない美しさ。オニクマは眼球がすごく透き通っていてきれいでした。

 

 

森や古い家屋といった背景、身につけた着物やさまざまな質感の布との相性も抜群にいい。

監督が衣装も手掛けていて、こだわりを感じます。

世界観めっちゃいい!

 

んだけど…「知りたい!」が残る映画でした。

集落がどうやって生活を成り立たせているかは描かれるんですが、女性たちの背景がほぼノーヒントなんですよ。

何かの事情があって来たのか、生まれた時からいるのか、じゃあ父親は誰なのか、

カグウやオニクマの生い立ちとか、全部説明してくれとは言わないけど、設定が魅力的な分気になる。知りたいんですよ!

 

ああ、久しぶりだ、この自主映画っぽい、そっちで完結してる感じ。

後半以降、特にオニクマの思考がどんどん分からなくなっていく。

この後半の行動に納得するために、キャラクターの背景を描いておいてほしかった。

過去にこうゆうことがあったとか、こうゆう体験をしたからこうゆう行動に出たとか、そのへんを知って、理解や共感をしたかったです。

 

あと音楽。音楽ちょっと仰々しい気がしました。

いいシーンでシンプルなカノンはちょっと…他の丁寧さブチ壊しでは…。

「ケセラセラ」も言いたいことはわかる…けど、今まであれだけ言いたいことを言わずにいたのに、もうちょっとふんわり伝えてくれんかね…他の丁寧さブ(略)

 

ていうか、クシナがカセットテープを聴いているシーンでカセットテープがまわってない。再生されていないのが気になりました。

だから音が出ないものをあえて聴く、何か意味があるのかなと思ったら違ったし。

もしや監督が若くて、カセットテープは再生するとき丸いところが回るということを知らないとか!? やめてくれ!!

 

とかなんとか言いつつ、クシナ役の郁美カデールちゃんが9歳の映像が残っただけで価値があると言ってもいいほど。

彼女の存在を知れてよかったです。

現在のお姿をネット記事で見たところ、もうめちゃくちゃ大人でした。

世の映像制作者は郁美カデールちゃんが少女のうちに映像作品に起用しなかったことを悔やむであろう。