おたるつ -3ページ目

おたるつ

モノホンのおたくにジャンルは関係ねえはずだ!
ってわけで、おたくのるつぼ。略しておたるつ

前の支配人さんにとてもよくしていただいてた刈谷日劇。

支配人さんが変わられてからなんとなく足が遠のいていましたが、久々に行ってきました。

刈谷日劇は「3」のつく日は映画が1000円で見られるのですが、31日まである月だと

30、31、1日(映画デー)と3日連続で全日1000円。

さらに中2日でまた1000円で見られて本当にどうかしている。消費税くらいとってもらっていいんだよ!?

この映画バカシステムを継続してくださった新支配人さんには感謝しかない。これから行きます。

せっかくなので2本見てきました。まずは1本目。

 

【ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶】

監督:太田隆文 

撮影:三本木久城 吉田良介 

ナレーション:宝田明、斉藤とも子 

2019年製作/105分/日本
配給:渋谷プロダクション

 

〈概要〉

1945年、第二次世界大戦末期の沖縄にアメリカ軍が上陸。

本土決戦のための捨て石とされ、軍民合わせて12万人もの沖縄出身者が死亡した。

ガマでの集団自決や多くの子どもが亡くなった対馬丸の沈没など、生き残った人々の証言とともに

アメリカ軍のカラーフィルムで生生しく沖縄戦をたどる。

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日曜のお昼でしたが、お客さん結構入ってました。

んが!3密チェッカーアプリで計測したところ「密ではありませんでした」!

ミニシアターも興行場法の対象ですから、換気しっかりしています。

この刈谷日劇は見た目ビックリするほど年季入った建物ですが、数年前にかなりしっかり工事しています。

 

特に予備知識ないまま「夏だし時間あうし見るか」程度のモチベーションで見たこの作品。

ずっしりきました…。

 

なんといってもカラーフィルムで撮影された映像を使っているんですよ。

アメリカ軍はもうこの時代に記録映像をカラーフィルムで撮っているんですよね。

なのでテレビではちょっと映らないような死体の映像とかもあって、血がそれはもう鮮明で

怖くて怖くて体がビクッてなりました。泣いたし。

この、単純に人が死んでいて怖い、という実感を体に突き刺すだけでも見る価値があると思いました。

 

ドキュンタリーってテレビでもたくさん見られるじゃないですか。

今年は終戦75年でしたし、戦争モノの番組もいろいろ見ました。

アウシュビッツ強制収容所のゾンダーコマンドのやつが忘れられない。

 

だから改めて、映画でドキュメンタリーやる良さってなんなんだろうって思いながら見てたんですよ。

あったわ、良さあった。

この映画に関していえばさっき言っちゃいましたけど、カラーフィルムの映像を使っているということ。

血を流しつくした死体に大きなハエが斑点のように群がる映像。

これは映画でないと、テレビではちょっとショッキングすぎて見られないんじゃないでしょうか。

ドキュメンタリーといえど、つくり手のメッセージを色濃くできるのも映画ならではだなあと思いました。

 

このカラーフィルム映像、アメリカ軍の記録映像を使っているので、当然アメリカ軍の様子が見られます。

そこには大ケガをしたり、亡くなったアメリカ兵の映像もあります。

これにハッとした自分がいました。

沖縄戦っていうと、やっぱりガマから両手を挙げて出てくる沖縄の人の印象が強いし、

日本人がひどい目にあったっていうイメージがあります。

けど、上陸からここでこうゆう戦闘があって、次はここを占領して、被害者は何人でって見ていくと

当然のごとくアメリカ兵も傷ついているわけで、すごく被害者目線で見ていた自分に気付かされました。

戦闘神経症を発症したアメリカ兵がたくさんいて、っていうのも知らなかったです。

 

沖縄戦って、終戦までの流れの中だとわりと短いイメージもありません?

私はありました。

なんかもうその頃には日本に戦う力はなくて、スルッと上陸されてトントン占領されていったみたいな。

全然違った。

実際、3月から6月まで3ヶ月も戦ってるんですよ。

全然終わらん、沖縄戦。

映像を見ながら、まだ終わらんのかい沖縄戦…と思いました。

結構体感の長い105分でした。そう感じることもすごく重要でしょう、これ。

 

この他にも子どもたちを疎開させる船が攻撃されて沈没する話だったり、

あの有名なチビチリガマにいた住民と、同じ村に住んでいた人が避難していた人たちがいて

みんな助かったガマがあったこととか、それが今生きている沖縄の人たちの言葉で語られます。

重みがすごい。

住民が助かったガマのくだりで「こうすれば助けられたのに」みたいな後悔を話すシーン。

それを聞きながら、最初のほうにアメリカ軍が沖縄をどう見ていたかの言葉を思い出します。

 

『沖縄人はほぼ日本人。でも日本人には沖縄人を厄介、お荷物と思う差別感情がある。

 これは利用できる。沖縄に何をしても日本は何も言ってこないだろう』(ニュアンス)

 

これはショックでしたね。

なぜ沖縄戦で多数の犠牲者が出たかについて、皇民化政策と教育勅語が深く関わっていると

紹介されていました。

友軍と思っていた日本兵に見捨てられた沖縄の人々。

ラストは捕虜となり助かった沖縄の人たちと、アメリカ兵が笑いあうようなシーンもあります。

 

沖縄の人たちを殺したのは誰なんだ。

歴史を何も知らないで、自分の中に巣食う差別感情にも気づかないで

これは私、知らないうちに加害者になり得るな、とゾッとしました。

 

ただひとつ残念だったのは、上映の環境なのかもともとなのか

インタビューの音ズレが気になりました。

今、生きている体験者の声ってめちゃくちゃリアルで重いものだと思うので

そこは口と声が合っていてほしかった。

 

祭nine.の主演映画「祭りのあとは祭りの前」を何度も見に映画館へ通った3月。

スクリーンで推しに会う前、必ず通ったこの予告映像。

 

 

竜星涼と犬飼貴丈が全裸で走り回るこの予告映像を、「祭りのあとは祭りの前」と同じだけ見た。

なんなら「MOTHER」見に行った時に別バージョンも見たから、今年一番この予告見てる。

 

青い海、キャンパスライフ、全裸で走り回る男たち、飲まされ続ける男たち…

 

これ完全に好きなやつだな?

 

というわけで見てきました。

アニメも全話視聴済み、マンガも映画で出てくるくらいまでは読んだ。

満を持しての…!

 

 

【ぐらんぶる】
監督:英勉、原作:井上堅二 吉岡公威、脚本:英勉 宇田学
キャスト:竜星涼=北原伊織、犬飼貴丈=今村耕平犬、与田祐希=古手川千紗
朝比奈彩=古手川奈々、小倉優香=浜岡梓、石川恋=吉原愛菜
高嶋政宏=古手川登志夫、矢本悠馬=山本真一郎、森永悠希=野島元

2020年製作/107分/PG12/日本
配給:ワーナー・ブラザース映画

 

〈ストーリー〉

キャンパスライフに夢を抱いて大学がある島へやってきた北原伊織だったが、入学早々構内で全裸で目覚める。

同じく全裸で放置されていた無駄にイケメンなアニメオタク・今村耕平と出会い、自分たちがいつのまにかダイビングサークル「ピーカブー」に入って夜ごと記憶をなくすほど酒盛りをしていたと知る。

憧れとはほど遠い最悪な日々からの脱出を試みるが、一方でサークルの先輩や居候先のいとこたちと過ごしながら

ダイビングの魅力にも気づいていく。

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「弱虫ペダル」で金城真護としてロードレースに高校生活を捧げた竜星涼が、大学で飲みサーに入る話。

小野田坂道くんが「ぐらんぶる」を見たら、本編107分のうち90分くらい服を着ていない金城さんを見て、ショックで泣くんじゃないか。

 

「ぐらんぶる」のキーワードは酒と裸。

わたくし学生時代はサッカー部のマネージャーを務めておりまして、飲み会はほぼ「ぐらんぶる」と同じ光景を見て4年間を過ごしました。

しかし、デキるマネージャーでしたので、誰がどの服を着ていたか記憶しており、公衆の場に出る前に酔い潰れた野郎どもに着衣させてから帰りました。

ですので「ぐらんぶる」。非常に懐かしい光景でしたね…。

 

 

107分のうち90分服を着ていないというのは大げさではなく、竜星涼くんと犬飼貴丈くん、その他いいカラダの方々含め、完全に振り切った演技が笑える。

おバカ映画であることは間違いないのだが、結構超えないといけないハードルがある映画でもある。

記憶がなくなるまで毎晩のように酒盛りする描写がアルコールハラスメントな時代。

やってることはアルハラと言われれば正直、そうなのだが、「バモス!」の掛け声とともに踊るダンスがあり、このダンスがイコール激しい飲み会の表現になっている。

体育会系大学生特有のあの感じをうまく置き換えたな、と思うし単純にバモスダンス見てるのが楽しい。

 

確かにわたくしの時代にはもう随分薄まっていたが、ラグビー部のハカをやって飲む文化はあった。

 

振り切ったバカさ加減ととにかく美しい男たちの全裸だけで見応えがある映画。

ではあるのだが、原作やアニメと違って飲み会全裸放置の末に授業に出られない描写が目立つ。

顔も体もイケている竜星涼と犬飼貴丈が全裸なことに異様に女子学生が興味津々な描写もあって、普通に伊織と耕平がかわいそう。

この、それは普通にかわいそうなのでは、と思うシーンがちょいちょいある。

ミスコンのケバ子の扱いとか。

 

他にも物語にスルッと馴染めない原因として、最初のループ演出がかなりしつこい。

「君の名は。」ネタやトランポリンなど笑えるところはあるのだが、それを超えるしつこさ。

ピーカブーの先輩たちの行いが普通にひどくて、スカッと笑えない人もいただろう。

 

このシーン、いらねえ!!! けど笑っちゃう!!!

のが、伊織と千紗が付き合ってる説が浮上して怒りを燃やす同級生の野島と山本のくだり。

あれ予備知識がないと、もともと友達っていうのわからなくないか。

完全にいらんだろ、あのシーン。

でもね、この野島と山本の配役がさ…矢本悠馬くんと森永悠希くんなんだよね。

肉まんくんと机くん、競技かるたはどうしたんだよ!!!

あやまれ!!「ちはやふる」にあやまれ!!!

いや、ちはやふる結んどいてよかったよ!!!(※映画の話)

 

 

このシーンに限らず、アニメオタクの耕平が普通の服(パンツ)を身に付けているなあと思っても

よく見ると推しキャラのららこたんのグッズなのが細かい。

このパンツもよく見るとLALACO(表記曖昧)って書いてって笑う。

 

しかし、くだらないだけではないのが「ぐらんぶる」の魅力。

メチャクチャなピーカブーの先輩たちもダイビングに関しては真面目で、セリフも結構いいことを言う。

何かに夢中になることの楽しさ、仲間の大切さ、青春のきらめき、そうゆうのもちゃんとあるのだ。

酒と裸でハチャメチャな一方、ダイビングの魅力もしっかり描いているのが「ぐらんぶる」の良さ。

 

「ぐらんぶる」の良さ。

なのだが、残念ながら映画ではダイビングの魅力、というところは惜しかった。

出演者たちは撮影前にライセンスを取得し、スタントなしで撮影しているのだとか。

役者陣の奮闘や演技は申し分ない。

ただただ、残念なのが、海の映像があんまりきれいじゃないことだ。

もう、これはきっと撮影の時期とか場所とかいろんな条件があってのことなんだろうけど

海がきれいじゃない。

魚もあんまりいない。

あの海のシーンが、うわあって見るだけで感動する映像だったらそれだけで最高だったのに。

もったいない。でもまあ、難しいことなんでしょうな。

 

海のシーンに至るラストも冒頭なみにしつこいタネ明かしがあって、原作にない理由付けはおもしろかったのに

しつこいタネ明かしで何度も念押しされて「わかった? 理解できた?」って言われてるようでげんなり。

ダメ押しになくてもいいボトルメッセージの伏線回収。

 

いいとこいっぱいある映画なのに、女の子もかわいいし、監督・制作サイドのもったいなさが多い。

役者陣の頑張りがストレートな分、配慮のない演出が悪目立ちした印象だった。

さらにこの監督が「映像研には手を出すな!」も撮っていると知り、不安な気持ちが広がった。

 

「ぐらんぶる」見ようと思ってたんですよ。

しかしタイムラインで「弱虫ペダル」の評判がなかなかよく、

「EVEN」の握手会ですっかりファンになった坂東龍汰くんが鳴子章吉役で出ていると聞き、

これは坂ちゃんが世界に見つかるところを見ねば!! …とかなんとか言いつつ、

先に「ぐらんぶる」見たら、どんな気持ちで金城真護を見ればいいか絶対分からなくなるでしょ、これ。

 

【弱虫ペダル】

監督:三木康一郎 原作:渡辺航  脚本:板谷里乃、三木康一郎

キャスト:永瀬廉=小野田坂道、伊藤健太郎=今泉俊輔、橋本環奈=寒咲幹、坂東龍汰=鳴子章吉
竜星涼=金城真護、柳俊太郎=巻島裕介、菅原健=田所迅、井上瑞稀=杉元照文、皆川猿時=寒咲幸司

 

〈ストーリー〉

友達がいないアニメオタクの高校生・小野田坂道は、今泉俊輔との出会いをきっかけに自転車競技部に入る。自転車選手としての可能性を徐々に発揮しながら、仲間と走る喜びを見出し、インターハイを目指す。

 

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ストーリーの説明いる!?

ってくらいさまざまなメディアミックスを経て、小野田坂道役にまさかの!

今をときめくKing & Prince略してキンプリの永瀬廉を起用してスクリーンへ。

原作、舞台、アニメ、ドラマと歴代のメディアに根強いオタクを有する超人気コンテンツです。

キャストが発表された時、歴代の根強いオタクだけではなく、普通にペダル好きなレベルの男子すら

こう思ったことでしょう。

 

ジャニーズ主演で橋本環奈出るとな…?

 

たぶん、この弱虫ペダルは弱虫ペダルではない。

 

ところがどっこい、もうそこは超安心してほしい。めちゃくちゃ弱虫ペダルだった。

なんかもう、原作どころか歴代のメディアミックスにリスペクトありすぎて途中まで

 

弱虫ペダルはついに古典演劇になった…!

 

と、今までに味わったことがない妙な感動を覚えた。

 

簡単に弱虫ペダルの歴史をおさらいしておくと、2008年から週刊少年チャンピオンで連載開始。

最初のメディアミックスは以外にも舞台で、2012年。

これが現在まで10作を上演するモンスターコンテンツとなり、2.5次元舞台の一翼を担う存在になった。

当ブログを遡っていただければ、わたくしが一時期熱量と涙をすべて捧げていたことがわかる(笑)。

その後、2013年から始まったテレビアニメは2018年までに4期を放送。

舞台キャストも多く起用したドラマが(確か2シーズン)放送されている。

さまざまなメディアミックスを通して、原作の忠実な再現とそれぞれのメディアの特性を生かした

新たな表現方法で愛されてきた作品群だと思う。

 

ストーリーとしては、1年生レースまでがおおむね原作どおりの前半と

原作にないキャラも出てくる、ほぼオリジナルストーリーの後半で構成されている。

 

忠実に原作の世界を表現した前半の描写。

弱ペダファンならいろんなメディアで何回も見た光景で、物語を追っていくというより

もはや「“あのシーン”どうなってるのかな」を楽しみにしてしまう。

弱虫ペダルは物語を楽しむコンテンツではなく、知っている話の表現力を見る古典演劇みたいな存在になったのかもしれない。

 

そのひとつが、永瀬廉くん演じる小野田坂道。

第一声を聞いた瞬間、これは小野田坂道です!!! ってなる。

声が小野田坂道なんですよ。

「ぅわあぁ〜〜」って声が、村井良大だし山下大輝だし小越勇輝だった。

なんだこれ、小野田坂道発声法が確立されて歴代の小野田坂道に受け継がれているのか!?

さすが古典演劇弱虫ペダル…!

こうなったらもはや誰が小野田坂道を演じても安心安全の小野田坂道だ。水戸黄門だ。

 

同様に他キャストも原作のイメージを大事にしている。

しかし、鳴子の髪色は校則に違反するかしないかだし、巻島先輩は毛先がかろうじて緑っぽいかな〜?レベル。あんまり「ッショ」って言わない。金城真護が「厄介だな」って言わない。

身長差も含め、今までで一番リアリティーラインが高い。一番、三次元に近い弱虫ペダルだ。

それはそのまま、いわゆるオタク層じゃない人たちが見る弱虫ペダルとして、最適解なのではと思った。

そりゃ永瀬廉が小野田坂道ですわ。

馴染みがないのはヒメヒメだけですわ。

 

スクリーンでは古典演劇弱虫ペダルが進んでいく。

そうそう、ここから1年生レースよね、好き。とばかりに。

映画版では、坂道くんの気持ちがとても分かりやすいつくりになっている。

ひとりぼっちだった坂道くんが自転車競技部に入ろうと思うまでの丁寧さといったらない。

「僕には…友達がいないから!」というセリフがめちゃくちゃ分かりやすく、

実はこれ今泉くんのことでもあるんです〜と中盤にもかぶせてくる。

この映画ではとりわけ「仲間とは自分の役割を見つけることだ」みたいなことをテーマにしていて

シンプルだけどブレがなく、分かりやすくてやっぱりアツい。

ずっとじんわり泣いていた。

 

やっぱりいいぜ、弱虫ペダルさんよ〜〜と古典演劇を楽しんでいると、まさかの後半裏切られる。

ちょっと御堂筋くんぽいライバル校キャラ出てくるのだが、これがオリジナルキャラ。

インターハイ出場を懸けた県予選は、原作にはない展開で総北がピンチに陥る。

とはいえ、集団落車や100人抜き、協調など原作のインハイのエピソードが散りばめられている。

 

ここから「仲間とは自分の役割を見つけることだ」を鳴子、今泉、小野田の3回主人公を変えて言う。

セリフの半分は「るああああああああっ!!!!」なのがいい。役者の演技アツい。

さっきまでは古典演劇だったから、ストーリー展開のおもしろみはなかったのだが、

ここへきて一体このレースはどうなるのか、インターハイへ行けるのか、手に汗握ってドキドキする。

 

空撮やスピード感あるカメラワークも映画ならでは。

ロードレーサーと並走し、役者の必死な顔や鍛え抜かれた身体の躍動が美しい。

特にレースシーンに関しては鳴子役の坂東龍汰が素晴らしい。横顔思い出しただけで泣ける。

 

今まで弱虫ペダルが好きだった人が安心して楽しめる、それもそうだが

また新しい人たちに弱虫ペダルの素敵なところが真っ直ぐ届いていくんだなあと思うと

やっぱ永瀬廉で小野田坂道で大正解じゃん、喜ばしい!!

 

その他、寒咲兄とピエールの両方の役割を持った存在として幹の父役に皆川猿時さんが配されている。

いやあ、皆川猿時さんは誰かに急かされて運転するのが似合うなあ。

そうそう、橋本環奈演じる寒咲幹どうだったか問題について。

思ったほど出しゃばってなくて悪くない。桜をバックに大写しになったのは意味わからんかったが…。

登場してからしばらくはキャピキャピしていて、SLAM DUNKの春子みが強いと思ったけど、

途中からほぼ職人でしかない。安心してくれ。

幹の友達が雰囲気めっちゃ原作ままなで、いちいちおもしろいから見る前に思い出しておいてほしい。

 

それと2人が近づくと必ず誰か邪魔する演出がかわいくてしょうがないので注目してほしい。

男女限らず、2人の関係が一歩深まったとき「あ、付き合う? これ付き合う?」という雰囲気のとき

坂道くんが「今泉くん!」とやってきたり、鳴子くんが「小野田くうん!」と抱きついてくる。

ふっ、やれやれ…って邪魔されて目を細めるような、いとおしさに悶絶してほしい。全員推した。

 

何か文句つけるとしたら、巻島先輩全然活躍してないので早く第2弾撮ってください。

さて、金城真護が高校生活を自転車競技に費やした後、大学でダイビングサークルに入って全裸で酔いつぶれる「ぐらんぶる」を見に行かねばならない。

本当、いいのか、これ同時期に上映しちゃて。

 

 

雨ふれば やがて晴れる 

呼吸を止めれば 息が苦しい 

瞳を閉じれば 前が見えない

 

瞳をとじれば 前が見えない

 

ッッッッッッハイッッ!! すばらしい!!!!

ここんとこまいんち聴いてる、マキタスポーツさんの配信曲「雨ふれば」。

各サブスクリプションで聴けるので四の五の言わずに即ダウンロードそれしか! と思うのですが、

あんまりにもすばらしくて語りたくなってしまったので、書きます。

 

楽曲としてもここのコード進行がこう! とか、J-POPの文脈をとらえて語ることができると思いますが、

私は語る術を持たず。それは有識者の方におまかせして、本日は歌詞に着目します。

 

ポイントは以下の3つ。

 

●上の句と下の句のJ-POP構文で遊ぶ何も言ってない歌詞

●世相を反映したシニカルさ

●やり尽くすことによって説得力を持つJ-POPワード

 

冒頭にご紹介した歌詞でお分かりのように、「雨ふれば」はJ-POPにありそうなワードで歌詞がつくられています。

上の句も下の句もとてもJ-POPっぽいのに、組み合わせで「瞳をとじれば 前が見えない」というような

それはそうだが!!?? 至極ただ当たり前のことを言うだけで意図がなくなります。

これがすごいことに最初から最後まで全部そう。

冒頭の歌詞は「夏は暑い 冬は寒い 春と秋はちょうどいいんだよ」と続き、最後は高らかに

「明日は翌日、ああ、絶対翌日」と歌い上げます。またこれがエエ声だし歌がうまいんだわ。

この言葉遊び聴いてるだけで、十分おもしろいと思います。

 

さらにJ-POPの構造を逆手にとった落ちサビがすごい。

歌詞は「世界中の子供たちと大人たちが 呼吸を 止めれば 止めれば 息が 苦しい」。

字面で見ると本当にね、もう、息しろ!!?って思いますが、これ聴いてるとただなんとなくエモいんです。

メロディーも心地よいですが、これも罠なんじゃないかと思って。

後半の「呼吸を」からワードを区切って語尾を伸ばして繰り返すことで、文章が伝わりにくくなる。

こきゅうを〜(間)と〜め〜れば〜〜(間)と〜め〜れば〜あ〜〜(間)い き が (間)く るし …

文章にするとこんな感じ。耳には「息が苦しい」しか残らず、なんだかとってもせつなくなる。

メロディーにだまされてる。息してください。

 

この、それっぽいことを言っているようで何も言ってないという感覚。

心地よいメロディーにだまされてる感じ。

最近、どこかで味わってませんか?

そう、コロナ禍のエライ人たちの記者会見。

「スピード感を持って取り組んでいきたいと思います」←現時点で何もやってないし何も決まってない。

「いまだかつてない規模感」とか「強大な政策パッケージ」とか、耳ざわりはそれっぽいけど、

結局それってなんなのよ!? と、3月から幾度となくテレビの前で日本中がズッコケてきました。

 

マキタスポーツさんはコロナ禍に入ってから、You Tubeなどで弾き語りなどを行っています。

平常時に戻ったらやりたいことを字幕で表しながら歌う「普通の生活」は、当たり前だった暮らしを思い出し、

こうゆうことが自分にとって幸せだったんだなあと、少ししんみりしながらも前向きな気持ちにさせてくれます。

「雨ふれば」は、コロナ禍だからこそ誕生したシニカルさも持ち合わせている気がします。

 

遊び心や皮肉めいた仕掛けに笑いながら何度も聴いているうちに、私自身に変化が起こりました。

意味がなかった、ただ当たり前を並べた歌詞にじんわり目頭が熱くなったのです。

「止まない雨はない」「明けない夜はない」こういったJ-POP的ワードが意味するところは、

困難もやがて過ぎ去るという希望です。

「雨ふれば」は、コロナ禍における希望ソングでもあります。

ものすごく当たり前ことをひとつひとつ肯定していくことで、何も言ってない言葉が1周回って説得力を持つ。

 

瞳をとじれば前が見えない

目の前が暗く思えてしまわないように、しっかりと自分の目を開いてものごとを見ていこう

呼吸を止めれば息が苦しい

苦しいのは息ができてないからではないか、一旦引いて深呼吸してみよう

 

当たり前ができていないとつらいという大発見をしました。

当たり前ができていればいいんだ、という自己受容です。

ああ、これが“日々”か。

かつてない規模感でもなく、スピード感を持ってでもないけれど、明日がくることをなんだかものすごく信じられる気がしてきました。

だって、明日は翌日なんですから。

 

各種ダウンロードはこちらから

 

《普通の生活》

 

推しがアメブロを辞めても私はアメブロを辞めません!

 

というわけで、これから何を主軸に生きていこうかなあとぼんやり考えつつ、お誘いいただきまして話題の作品を見てまいりました。

久々にブログ書くので正直、書き方忘れてます。

 

【MOTHER マザー】

監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣 港岳彦
企画:河村光庸

キャスト:長澤まさみ=三隅秋子、奥平大兼=周平(少年期)
阿部サダヲ=川田遼

 

〈ストーリー〉

男と行きずりの関係を持ち、金にだらしないシングルマザーの秋子は、息子の周平を従わせて自堕落な放浪生活を送る。

家族や社会から孤立していきまがらも母に応えようとする周平に、やがて秋子は実の祖父母の殺人を命じる。

実際の事件をモデルにした、親子の歪んだ関係を描く。

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ざっくりというと、「誰も知らない」「万引き家族」など、家族という狭く特殊なコミュニティで救いがない、是枝監督が得意の、あの味の映画です。これは大森監督ですけど。

胸くそも悪いし、共感もできないし、全然明日から頑張ろうという気分になれない映画です。

 

でも、何年かに1回、この味欲しくなるんだよね、っていうアレです。

ハアアア、、、、胸くそ悪ゥゥゥ~~~~~最高! ってなるための映画です。

 

今作、なんといっても長澤まさみのダメな中年女がいいんですよ。

もう登場瞬殺で心を奪われますよ。

まだ小学生の周平がひざ小僧から血を流しながらうつむき加減に歩いている。

自転車でやってきて周平を呼び止め、そのひざ小僧に気づき、

ベロンと舐める。

 

あのファーストシーンが素晴らしい。

ラストの「舐めるように育ててきたの」(曖昧)というセリフが出てきた時、鮮明にフラッシュバックします。

土と血のついたひざ小僧をなんの躊躇もなくベロンと舐めるあのシーンは、秋子の奇妙な愛情の傾け方と人格を見事に表現していて鮮烈で忘れがたい。

 

続くプールのシーン。これがまた素晴らしい。

長澤まさみ水着で登場!

なのだが、なんともいえないダルい肉付きとダセエオバ水着が、おれたちの長澤まさみをぶち壊す。

完全に長澤まさみ見てること忘れます。これは秋子だ。

 

息子の周平を演じている奥平大兼くん、最近もろもろの雑誌などで名前を見るので気になっていました。

たたずまいがよかった。

なんというか、彼の周りだけ磁場が狂っているかのうような、バリアの向こうでエネルギーが渦巻いている感じに惹きつけられますね。

柳楽優弥くんが出てきた時と同じ味がする。

 

秋子の恋人として登場するホストのリョウ、これは阿部サダヲが大正解だったのか…??

彼、いろいろとヒドイことするんですけど、肝が小さいだけで結構いい男捕まえたと思うんですけど。

 

ストーリーはリョウは真面目に働き始めるとか、福祉の網に引っかかるとか、周平が就職するとか、

一般的に良いのでは、という方向に進んでは秋子の気が変わってダメになる、というのを繰り返し。

もういい加減にして!ってなります。

その繰り返し。胸くそ悪いです。

 

でもね、もっと胸くそ悪くなったんじゃないの、という感想でして。

殺人事件に向かうまでの追い込まれ方、人を殺すほど追い詰められているように感じなかった。

周平は本当に秋子が大好きで、その行き着く先が祖父母を殺すという展開なんですが

そこにはおそらく、子供じゃなくなっていく不安みたいなものがあったと思うんです。

成長するにつれ、母をひとりの人間として認識できるようになりつつ、イコール子供として愛情を受けられなくなるのではないかという葛藤があったんじゃないかなと思うんです。

ラストの秋子の濁った目で空を見つめるカットが最高なんですけど、親子が“親と子”になる距離感への絶望が、周平の愛情への恐れありきだと思うので、もっと胸くそ悪いとこまで追い込んでほしかったなと思いました。

 

これは監督の意図なのか、抱いてしまう願いなのか、ラストは希望がないわけじゃなかった。

希望があったんだけど、こう、もっと、いやでも!!! みたいなどうしようもない気持ちになりたかった。

 

もっと葛藤を残してほしかったという欲から、この味付けなら是枝監督でええわ、と思ってしまった。

この手の味付けだけど、この味は初めて! みたいなのが欲しかったなあ。

でも、長澤まさみはじめ役者陣はゾクゾクさせるし、定期的に見たくなるジャンルの映画だと思うので、十二分以上にオススメです。

 

余談ですが、後半から秋子が羽織っているモスグリーンのカーディガン。

私が最近、職場のエアコン対策でヘビロテしているのとめちゃくちゃ似てました。

こんなふうに見えるのか、、、着るのやめよかな、、、

着ますけど。

なんとまあ何年ぶりの映画レビューか。

ファンという立場から書く感想ではありますが、この映画、なかなか悪くないんですよ。

正直、ほっとしましたよ。

そんでもって、今だから受け取れるメッセージもありますと、書き残しておこうと思います。

 

 

【祭りの後は祭りの前】

監督・脚本:塚本連平 脚本協力:せきしろ

キャスト:赤石=寺坂頼我、野々田奏=黄島、清水天規=紫山、浦上拓也=白金、横山統威=緑ヶ丘、神田陸人=桃太、高崎寿希也=青希(以上、祭nine.)

本間キッド、中村静香、魔人=板橋駿谷

作品データ 2020年 日本 上映時間:90分

 

◆ストーリー◆

幼なじみの男子7人は「みんなを笑顔にする」と、高校で「祭部」を結成。

ライブに向けて練習に励むが、仲間の1人を事故で失う。

気落ちするメンバーの前に現れた3つの願いを叶える魔人によって仲間を蘇らせ、再始動する7人。

しかし、地球には巨大隕石が迫り、人類滅亡の日が近づいていた。

7人は最後の希望を持ってステージへ向かう。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 

名古屋で結成されたメンズグループ「祭nine.」が初主演を務めたご当地アイドル映画。

愛知県瀬戸市、尾張旭市を中心に、グループの常設劇場であるBM THEATREが撮影地となっている。

 

ー巨大隕石が地球に衝突し、滅亡する。

 

ハ〜イ、今そんな設定、創作の世界で100万回使われてるんですけどー?って思いましたね?

どっこいこの映画、いたるところに映画ネタが散りばめられている。

本編映像が流れるより早く、「2001年宇宙の旅」で有名な「ツァラトゥストラはかく語りき」が、

ダ~ン、ダ~ン、ダ~ン、デデ~~ン、

バッモッバッモッバッモッバッモッ

と流れる。

この時、スクリーンに映し出されているのが所属事務所のロゴ。

ファンの多くは壮大な音楽をバックに見る、見慣れたロゴにまだ何も始まってないのに笑ってしまうだろう。

 

そこから赤石のモノローグで、隕石滅亡系映画を羅列。

使い古された設定を逆手に取るばかりか、劇中の映画ネタを見つけて笑っていいですよ、と今後の方針まで示してくれる。

なんという配慮設計。優しい。分かりやすい。

 

しかし、そのネタはぼんやり古い。

「2001年宇宙の旅」もそうだが、「ゾンビ」に「死亡遊戯」と、映画を見るであろうファン層(メインは10~20代女子)にはあんまり配慮がない。

これはこれで制作サイドの「そんなのわかんなくても全然いいんだも~ん」って感じが好きだ。「天気の子」のおかげで「あ、これ知らんけどなんか映画ネタなのね~」と現代人に橋が渡される。配慮設計!

 

私(非メイン層)は「もうお前らデトロイト行け!」が思い出せなくて、映画ヲタ先輩に聞いて「8 Mile」、エミネムだ!と膝を打つ。

確かにサイファーのくだりはデトロイト行ったほうがいい(笑)

アドリブやらせ続けるみたいな撮り方がおもしろかった。

 

他にもクスッと笑える小ネタがいっぱい。

お気に入りは、頭がめちゃくちゃ四角いアナウンサーが魚(サケか?)をバックに「サヴァ…」と言うシーンと、付箋だらけの読み込まれた月刊ムーを掲げ「この科学書籍に書いてある!」と言い張る緑ヶ丘。

ムー(科学書籍)はズルイだろ。

 

魔人が現れる、地球が滅亡するといった設定もそうだが、物語もかなりトンデモ展開、ビックリ解決があって、言うなれば強引なところがある。

お葬式のシーンあったほうが泣けたかも、子供の頃の映像で見たい…、

ライブに集まってくるお客さんのカット欲しい…赤石は兄妹とどうやって暮らしてるの? 

 

ん? この家族構成…

最近「バイバイ、ヴァンプ!」(赤石役・寺坂頼我くんの初主演作)

で見たぞ!?

ていうか、20人きょうだい写真でいいから見たい。もういらすとやでいいから見たい。

 

テンポがいいから飽きずに見られる。

でも、“この規模”の映画とはいえ、もう少し丁寧に積み重ねた映像で見たかった。

 

と、思っていた。

ライブパートを見るまでは。

 

地球消滅と同じ日に行われる卒業ライブ。

この時点で頼みの魔人はいない。

仲間もバラバラになりかけるなど、紆余曲折あって“最後”の瞬間へ向かっていく。

そのライブシーンの充実度がものすごく高い。

前半の強引さ、物足りなさ、そんなものはライブシーンを見た今どうでもいい。

 

エピソードの丁寧な積み重ねが映像で見たい? 何言ってんだ、そんなもんトントントントン進めてだな、1秒でもライブシーンをカットするんじゃないよ。葬式してる場合じゃねえし、両親死んじゃったほうが魔人も連れて帰りやすいだろう? 子供と大人と葬儀場用意すんの大変だろうが! 里見八犬伝だって仲間集めるとこサクサク進むだろそれと一緒だよ、

気持ちいいところをたっぷりやれば

いいんだよ!!

と、宗派を改めた。

 

 

ライブは全4曲ノーカット。

曲を追うごとに多様されていく手持ちカメラの動きにも注目したい。

1カ所から1カ所へのパンやズームイン、アウトだけではなく、複数の動きがあって流動的。

ピントが合わなくてもおかまいなし。だがそれがいい。

不安定なカメラワークが、どこに向かうのか分からない物語に沿い、ライブの臨場感が増す。

 

激しいカメラワークに反して、カットをつなぐ編集は音楽のフレーズや歌い出し、拍にキッチリ合っていて繊細で丁寧。

ダンスの動きも追いながらシームレスにカットが切り替わってめちゃくちゃ気持ちいい。

編集が歌っているみたい。

 

前半2曲はなんとなく違和感があるものの、3曲目の「みらい結び」は、汗まみれでリアルな必死さが伝わり、胸を打たれる。

楽しさ、必死さ、悲しさ、悔しさ、疲労、充実、7人のすべてが映像に刻み込まれている。

 

そこから続く次のシーンでは、感情モロ出しを超えて若干ブサイクですらある。

これは演技なのか。未完成ゆえにあふれ出る奇跡みたいなシーン。

感情を持っていかれてゲロ泣いた。

 

最後のアンコール曲はエンドロールが重なる仕組み。

ここは固定カメラの割合が増え、物語が終わって徐々に幕を引いていく感じがウマイ。

 

これがいい! と思ったものをたっぷり見せ、魅力を映し出したライブシーン。

大成功ではないですか、これは!

 

隕石衝突はトンデモ解決するが、その前のライブシーンがとにかく説得力しかないので

まあいっか!となった。

各所にトンデモ展開、トンデモ解決はあるが、セリフで済ませているとはいえ、それぞれきちんと伏線も仕込んである。

何度も言うけど、配慮がある。

 

人類滅亡を回避した7人は、アンコールの声がするステージへ戻っていく。

ここでタイトルバック。

 

「祭りの後は祭りの前」

 

テーマがわかりやすくていい!

 

物語のキーマン・魔人がフリースタイルを披露するシーンに、

「あきらめたら、そこがゴールだ」というセリフがある。

「SLAM DUNK」の名セリフの変化形ではあるが、パッと聞くとちょっと変だ。

 

戦国時代に仲間の裏切りに遭い、呪いの矢を射られた魔人。

赤石に「おまえらのように(願いを)仲間や世界のために使うやつは初めてだ」と話すことから、人間の欲深さや非情さを見てきたことが分かる。

その魔人が発する「あきらめたらゴール」は、運命を受け入れ、自分を納得させる言葉にも聞こえる。

 

 

400年以上生きる魔人にとって何かを望むことは、もう終わったこと=ゴールではなかったのか。

それでもネガティブには感じなかった。

ゴールというポジティブな言葉を選びで、あきらめることを単純な悪にしない。

それはそれでゴールでいいじゃないか、と。

避けられない隕石衝突が近づく中、あきらめることはただ悪いだけじゃないと言うの、救いがあって好きだ。

 

そんな魔人の心も赤石や兄妹との交流で少しずつ変わっていく。

魔人のサブストーリー分厚い。もともと板橋駿谷さん好きなので、もうたまらん。

 

主軸のストーリー、7 人もまた、物語を通してひとつの答えに近づいていく。

ライブの後半で赤石が叫ぶ「終わらないで! 永遠に続いてくれー!」に象徴されるように、

続けていくことの尊さを知る。

だから、祭りの後は祭りの前で、アンコールの前にタイトルバックがくる。

 

いい…(悦)

 

ゴール、何かを達成すること以上に、アクションを起こし続けることの大切さを伝えてくれる。

 

うわあ~めっちゃええ話! 

と思い、ふとゴールという言葉に聞き馴染みがあることに気づく。

グルグルの曲「みらい結び」の1番Aメロ。

 

何がゴールかって決めてなかったし

 なんなら今も決めたくないのは

 その先に起こる奇跡へと 貪・欲だからだーっ!

 

まんまやないかいっ!!!

 

特にこの曲と映画がタイアップしてるわけじゃないですよね!? 

それだけこのメッセージが、いろいろあっても、もがいて前に進んでいく、祭nine.の姿そのもの、映画そのものなんだなあと、いちファンは感動して再び悦モードに突入した。

 

今、私たちを取り巻く空気はまさにゴールが見えない。

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、祭nine.も 2月の下旬、新曲の発売日直前からリリースイベントを中止。この映画の舞台挨拶を含め、全イベントが中止になっている。

イベントへの飢餓状態にあったため、4曲ノーカットライブの映像はありがたくて涙した。

 

オタクの皆さん! 

現場ここにありました!!!(泣)(泣)(泣)

 

新型コロナウイルスの感染に脅え、奪われ、耐える日々はいつまで続くのか。

こんな時だからこそ、あのライブシーンを見てエンターテイメントっていいなって再確認できたし、そう思えた人がちょっとだけでも元気になってくれたりしないかな。

大変な時の公開になってしまって、舞台挨拶もできなくなってしまったけど、でも、今公開されて意味がある映画なんじゃないかな。

続けていくことを励ましてくれるこの映画が、この鬱々とした日々を過ごす誰かのもとに

届くといいなあと願う。

 

 

本当はもっとあと2万字くらい話したいことがあるんですが、まああんまり長くてもということで、最後にこれだけ言わせてほしい。

 

円陣を組んで拳を突き合わせる7人の中にいる推し。

腕が短くてゲンコツ1個分みんなに届いていないのが、何度見てもたまらなくいとおしい。


私が勝手に「福祉メシ」と名付け、食べ歩いているジャンルのランチがあります。

残念ながら具体的な地名、店名を出すと速攻身バレするので、ぼんやり、ぼんやり紹介します。

 

福祉メシとは、障害者施設や支援団体などが運営する店舗で食べられるランチなどのこと。

知的障害や精神障害の方が多いかな。

福祉メシが食べられるお店では、健常者の職員さんや管理栄養士さん、看護師さんたちと一緒に障害がある人が働いて食事を提供しているんです。

私が仕事のテリトリーとしている地域で見つけた福祉メシは全部で6店。

カフェのみの店舗がもう2店。探せばどこの街にも1店か2店はあるんじゃないかな。

 

なぜ福祉メシを食べ歩くようになったのかというと、理由はシンプル。

うまい、安い、雰囲気が良い。

確かに多少は社会貢献になると思いますが、そんなもん二の次ですよ、うまくて安い、これだけで十分行く価値がある。

しかも行くとなんだかほっこりする。

障害のある人が作るご飯て、なんやかんや偏見あると思いますが、それ絶対損してるから! 

これから福祉メシのおすすめポイントを書いていくので、ぜひあなたの街の福祉メシに出会ってください。

 

※今回はいろんな考え方がある中で「障害」と表記します。

 

●障害のある人が働くお店ってどうゆうこと?

 

私も福祉メシに興味を持つようになってから知ったんですが、障害者就労支援事業っていう国の制度があります。

障害があるといっても程度も状態もさまざま。

普通の雇用は難しいけど働く機会を持ってもらって日々の生活に役立ててもらおう! みたいな主旨のもと、その人ができる働き方ができます。

 

障害のある人が働いているよっていうのがわりと分かりやすいお店もあれば、言われても全然分からないところもあります。

調理に携わってホールにあんまり出てこない店もあれば、接客はするけど調理は健常者の調理スタッフがやるところもあって、本当にいろいろです。

とりあえず、障害のある人が作ってるから、何か変なモンが入ってるかもしれないっていうのだけは完全に誤解です。

障害のある人が調理に携わっているところだと、まあ盛り付けが多少、隣のテーブルより個性があったりするかな。

輪切りのゆで卵が上向いてたり下向いてたり。そんな程度。

あとはデザートで必ずつくシフォンケーキとか、あんまり変更のないものを作っていることもある。

食べ物として何か問題あるかというと、本当に全然何にもない。

 

●福祉メシはうまい!

 

うまいんすよ。

しかもただうまいんじゃない。おなかに優しくて毎日食べたくなる。

だいたい通所施設(障害者が昼間通う所)がお店をやっていることが多いです。

なので、お店に出てない利用者(障害者)の方も同じもの食べているらしい。

給食みたいな感じかな。そこはちょっと見たことないのでどうでしょう。

働いている人もそこの利用者の場合が多いみたい。

 

同じ人が毎日食べる前提だからなのか、メニューは日替わりランチがメイン。

日替わりランチオンリーのところもあって、メニューが少ないです。

でも日替わりランチしかないと、今日の昼何食べようかな~どこで食べようかな~とか考えなくて良くて、毎日外食マンとしては地味にありがたいです。

それでいて医療スタッフとも連携しているから、だいたい看護師さんや管理栄養士さんがいます。

そのせいなのか、普通の外食を提供する飲食店より、味が優しい。刺激が少ない。そして副菜が多い。

なんか体に良い気がする。

量も多すぎず、四方八方からお腹に優しい。どこへ行っても福祉メシはおいしくて優しい。

これは特徴として上げられると思います。

●福祉メシは安い!

まずは最近お気に入りの福祉メシを。

もいっちょ。

ここ某地方自治体の障害者支援センターの中にあるんですけど、だいたいメインにスープ、サラダ、副菜が2品くらいとデザートがつきます。

なのに! なんとワンコイン。

ウソでしょ。500円ですよ。税込みですよ。

これもお店によりますけど、普通の飲食店よりかなり安いです。

福祉メシで800円払ったら相当豪華なランチプレートが食べられますよ。

野菜20品目くらい採れてるんじゃないかと思うような、手の込んだ料理が食べられます。

私のお気に入りの福祉メシ店では!

この味と値段で「社会貢献にもなるし~」なんて気持ちは吹っ飛びますよ。ただただありがたい。

あと違うお店のはこんな感じ。

 

●ほっこりした雰囲気に癒やされる

 

驚きのワンコインランチでお気付きでしょうが、商売っ気が薄い。

障害に合わせて自分のペースで働くことが大切なので、誰も急かしたりしない。

お客さんとコミュニケーションすることも、おそらく働く彼らにとっては重要なことなのかな、とも思います。常連さんと世間話したり、スタッフ同士で談笑している空間がわりと当たり前に存在します。

 

私もお気に入りの福祉メシ店に推しがいます。

その店は見てすぐ分かるくらいの障害の人も働いていて、ときどきバックヤードから鳥の鳴き声みたいなのが聞こえてきます。

最初はちょっとビックリしたけど、だんだん今日も元気だな~ここはジャングルか? ぐらいに思えてきます。

福祉メシ通になると、これくらいディープなほうがいっそ楽しい。

私の推し店員さんはたぶん知的障害。

Aちゃんと呼ばれていて、思ったことが全部言葉になって出てきます。

気分が優れないときは泣いたり怒ったりしていますが、ご機嫌の日は本当にかわいい。

「お姉さん来た~!」と出迎えてくれ、お肉か魚か選べるランチを副菜まで全部説明してくれます。

Aちゃんはもう食べた後なので「これがおいしかったよ~」と教えてくれます。

注文すると職員さんに伝えにいくのですが、バックヤードから「お姉さんかわいかった!」と大声で報告しているのが丸聞こえだったりすると、もういとおしくっていとおしくって抱きしめたくなります。

一度、明らかに不機嫌だったので「どうしたの?さっき泣いてたでしょ。心配したよ」と言うと、それだけで顔がパアアッと明るくなり、ピュッと逃げてしまいました。

その後、照れているのか職員さんの後ろから私が食べ終わるまで見守ってくれました。

他にも一方的に天気予報を教えてくれる人や、話す言葉が「ごごごごごご注文をどうぞ」みたいなDJのスクラッチみたいな人がいたりして、なかなか愉快です。

障害があることがまったく分からない人も多いですが、私は明らかに障害があると分かる人だと逆に接しやすいな~とも思います。

 

●わずかばかりの心遣い

 

こんなにおいしい福祉メシをお値打ちにいただくのですから、何かお返しができたら…と思い、勝手に実践していること、というか私が気を付けていることがあります。

 

○急かさない

注文を聞きに来てくれるまで待ちます。

なるべくはっきり、ゆっくり、目を見るまでいかないですが、顔を向けて、分かりやすく伝えるように心掛けています。

レジも待ちます。いくらでも待つから練習台にしてくれ! という気持ちでいます。

イレギュラーが苦手な人もいるかなと思って、レシートはいらなくても受け取るようにしています。

 

○言葉にして伝える

料理を持ってきてくれたら「ありがとう」とか「おいしそう」とか言います。

お皿を下げに来てくれたら「ごちそうさま」とか「おいしかったです」とか伝えるようにしています。

無反応の人もいますが、ニコッとしてくれる人もいます。

レジでお金のやり取りをするときも、いちいち「ありがとう」と言うようにして、最後に「ごちそうさまでした」と言って帰ります。

あるお店にいる方なんですが、お冷の減り具合に関係なく、水を注ぎに来てくれます。

正解は分かりませんが、私はなるべく注いでもらうようにして「ありがとう」を言う派です。

通っているとシフォンケーキ担当が誰とか分かってくるので具体的に感想を伝えたりしています。

「今日のシフォンケーキすごくふわふわでおいしかった!」とか。

うれしそうにしてくれるとこっちもニコニコしてしまいます。

 

でもあるとき気付いたんですよね。

これ別に相手に障害がなくてもやればいいじゃんと。

「ありがとう」って言葉にするようにしたり、ほんの少し相手のペースに合わせたり。

本当に出来の悪い人間なもので、それが当たり前にできてない自分に結構ハッとしたんですよね。

おいしくてお安いご飯食べさせてもらって、優しい気持ちになれて、大切なことにも気づかせてくれるなんて、素晴らしすぎるだろ福祉メシ!! 

はあ、ありがてえ福祉メシ。これはもう行くべきでしょ、福祉メシ食べに!

 

○探そう、あなたの街の福祉メシ

 

個人的に福祉メシの話をすると、だいたいの人が興味を持ってくれます。

うちの地元にもあるかな~と言ってくれます。

ネットで検索して探すなら、街の名前と障害者、ランチ、カフェ、就労支援あたりを組み合わせて検索すると出てきます。

障害者支援をしているNPOを検索して事業項目にあるか見てみてもいいと思います。

ランチやってなくてカフェだけとか、お菓子だけ売っているとこもあります。

 

障害がある人が働いているからといって、何か高尚な志を持って福祉メシチャレンジしなくていいと思うんですよ。

うまくて安いからでいいと思うんですよね。

店員さんとコミュニケーション取るのは楽しいけど、べつに話さなくてもいいと思うし。

ただ、こんなにうまくて安いランチがあるのに偏見があったり知らなくて行かないのもったいないと思って。なんかライトに楽しめたらいいな~ってな。

最後に私が本日食した福祉メシの画像を貼っておきます。

500円!!!

 

 

 

 

 

【瞬間の流レ星】
総監督・製作・総指揮:源田泰章
監督:菅原達郎/脚本:中村元樹
キャスト
増田有華、勇翔、坂井良多、生田佳那、渋江譲二
作品データ 2018年 日本 上映時間:75分

◆ストーリー◆
妹の演劇祭を見るために6年ぶりに地元に戻ってきた香澄。

OGでもある香澄は劇中で使う小道具を届けるように頼まれるが、目を離したすきに盗まれてしまう。

犯人に翻弄されながら小道具を追ううち、演劇部時代の仲間と再会。

犯人が出す指示は、香澄を過去のある出来事へ向き合わせようとしていた。
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なんかよくわからん映画です。
長野県を舞台にした「信州諏訪ご当地映画」の第2弾とのこと。長野県でロケ撮影をしているんですが、いわゆる地域住民を巻き込んだ市民映画ってわけでもなさそう。

主人公は元AKB48の増田有華ちゃんが演じていて、その他BOYS AND MENの勇翔くんはじめメインキャスト4人は長野県出身者で固める、といった構図。
 

物語は小道具の仮面を盗まれ、犯人の奇妙な指示に従いながら県内の各地を転々とする。

なんの巡り合せか高校時代のメンバーと再会し、楽しかった思い出などが蘇ってくる。

主人公の香澄は高校時代のある事件がトラウマになって卒業後、逃げるように上京する。

しかし、より臆病になってしまい、東京でもうまくいかず。故郷の家族との関係もぎこちないままに…という背景がある。

楽しかった思い出に浸ったり、犯人からの司令をクリアーしていく中で徐々に香澄のメンタルは回復していく。

最終的にはトラウマに向き合って乗り越え、どんな過去だって今の私をかたちづくる大切なもんだ! 考え方ひとつでどうにでもなるぜイエ~イ! みんなありがとう! 私のためにありがとう! と、ほぼ全文これでもかというほどセリフで伝えてくれ、一歩未来へ進む、締め。


実は奇妙な司令や同級生との再会は、ある人物に仕組まれていた。

普通に見ていればあまりにも不自然なので、すぐ分かると思います。

それだけに、気付いているのかいないのか煮え切らない態度の主人公・香澄にもやもや。

しかもその手の込みようが半端ない。

演劇部っていう理由付けがあるにしても、あまりにもお膳立てがすぎやしないかと首を傾げる。

この女の一体どこにこれだけお膳立てしてもらう価値があるのだ。

お膳立てされすぎて共感したり応援したくなる気持ちが失せると、あとはただひたすら、この女の一体どこに…(以下略)となる。

すべての仕掛け人だった男の思いが半端ないお膳立てにつながっているんだけど、約6年(?)も直接働きかけるわけでもなく、この仕掛けを考えていたの…? 18歳から24歳まで…? 

え、キモい男だな? 

余命幾ばくもなく、計画の実現は死と引き換え…ウッ重すぎる。そんなんあるか? 

それと渋江譲二さんの高校生無理あるな…。好きな役者さんだけど…。
 

ここまで書いた腑に落ちない気持ちの原因は、この壮大な茶番で妹が犠牲になっている件がある。

妹がどこまで仕掛け人の1人なのかよくわからないけど、あまりにもかわいそう。

高校最後の演劇祭の日に大事な仮を盗まれる(仕掛け)、姉と姉の同級生が茶番劇を繰り広げたため、小道具の到着が本番に間に合わない(それまで焦ったり心配するシーンがあってよりかわいそう)、本番中に足を捻挫、仮面の到着と同時に姉が姉妹だし仮面付けるしいっか! とばかりに舞台に上がり、アドリブかましまくりの演技でトラウマ克服。

幕。
 

妹の高校3年間なんだったんだ! 

トラウマ克服のために新たなトラウマ生んでない!?
 

でも妹が犠牲にならなかったら、映画全体の雰囲気は結構好きでした。

田舎の薄雲った感じとか青春時代のキラキラした思い出とか、この規模ならではの「いいなあ~」という感じが映像に表れていました。

お膳立てうんぬんについては「あの花」が日本にもたらしたビョーキだと思っているので、香澄が白いワンピースで登場しなかっただけ御の字だな~。

一周回ってあの花っぽいものが嫌いになってくるやつ。
 

さて、なぜこの映画見たのかというと、ご贔屓の映画館でかかっていて、出演しているボイメン研究生の北川せつらくんの舞台挨拶も予定されていたんです。もう終わったけど。

映画館がある場所がせつらくんの地元ということもあって、ほほ~どんなもんじゃいと舞台挨拶と全然関係ない日に見てきました。
 

いや~思った以上にチョイ役だった。

この出演時間で地元で舞台挨拶するの、相当プレッシャーだっただろうな…。

私はそのプレッシャーを思って吐きそうになりながら映画を見たし、

なんなら舞台挨拶の前の日にせつらくんの不安そうなブログを読んで寝たら舞台挨拶ガラガラの夢を見て胃が痛くなって飛び起き、そのまま朝を迎えました。明け方でよかった。

いや、ちょっと見たことあるアイドルが映画出てるの見ただけで、謎の感情移入しすぎだろ…。

でもまあ、こうゆう機会がないとなかなか見ない映画だと思うので、上映してくれてありがとうという気持ちです。
 

 

 

増田有華/Memoirs [DVD] 増田有華/Memoirs [DVD]
3,316円
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2年以上ぶりの映画レビューを書きます。

正直この2年、ほとんど映画を見ることができませんでした。

時間、精神、金銭―すべての面で余裕がありませんでした。

映画だけではありません。

話したい誰かに会いに出掛けたり、誰かとおいしいものを食べに行ったり、読みたかった本を読んだり、何か美しいものを心惹かれるままに見に行ったり。

そうゆうことを切り捨てていました。

とても恥ずかしいことです。でも、優先したい大切なものがあったのです。

 

映画を見ない日々に慣れていきながら、どこかでずっと焦っていました。

こんな生活をしていていいのか。少なからずアウトプットを生業とする人間が、これほどインプットに貧しくなってしまっていいのか。

一歩、自分の世界から出たときに感じる、知識や話題の乏しさ、興味のなさ。

なんてつまらない人間になってしまったんだろうと、実はなかなか絶望していました。

それが優先しているもので満たされなかった時に、マイナスな気持ちを増長させる一因になっていることも頭では分かっていて、もう悪循環としか言いようがありませんでした。


今やっと、そこから抜け出していろんなものを取り戻したいと思えるようになりました。

そんなタイミングで「SUNNY」が公開され、リスタートの1歩目にふさわしいじゃないかと、会員カードすら変わってしまったホームの映画館へ向かったのです。
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【SUNNY 強い気持ち・強い愛】

監督/監督:大根仁 企画:川村元気
キャスト
篠原涼子:奈美 / 広瀬すず:奈美(高校生時代)
小池栄子:裕子 / ともさかりえ:心 / 渡辺直美:梅 / 池田エライザ:奈々

山本舞香:芹香(高校生時代) / 野田美桜:裕子(高校生時代)
田辺桃子:心(高校生時代) / 富田望生:梅(高校生時代)
三浦春馬:藤井渉
作品データ
2018年 日本
配給:東宝
上映時間:119分
PG12

◆ストーリー◆
専業主婦として夫と高校生の娘を支えてきた40代の主婦・奈美は病院で高校時代の親友・芹香と再会。余命1カ月と診断された芹香はかつての仲良しグループ「サニー」の仲間たちに会いたいと奈美に頼んだ。
それぞれの人生を歩んでいたサニーのメンバーは、再会によって”あの頃の自分”を取り戻していく。

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2011年に韓国で製作された「サニー 永遠の仲間たち」のリメイク。

韓国版は劇場公開には間に合わず。評判を聞いて、あとからブルーレイで見ました。

噂に違わずめちゃめちゃいい。大まかなストーリーは日本版と同じですが、サニーのメンバーが自分を取り戻していく過程と青春の酸っぱさにグッスングッスン泣きました。
しかし、100点満点マイベストだったかというと、乗り切れない部分が大きく2つあった。

まず主人公の女子高生時代を演じている子がかわいくない。

それと、青春時代の文化や社会背景に私の実感が伴わない。ここが今一歩だった。
 

サニーが日本でリメイクされると聞いてざっくり情報を見たとき、韓国版で乗り切れなかった部分が解消されるのでは、と興奮した。

かわいくないと思ったナミの高校時代を演じるのが広瀬すずちゃん。

コギャル全盛期の90年代を大根監督がJ―POPで彩る。

音楽は小室哲哉。しかも公開されるのは安室奈美恵が引退する今年、平成最後の夏、8月31日ときた。

間違いなく大正解な座組に加えて、時代が味方している。

小室哲哉が歌詞に書いてそうだけどこれ、時代が味方してますよ。

ちなみにスタイリスト伊賀大介さんで企画が川村元気さんですからね。

攻撃力守備力ともに頂点ですわ。おもしろくないわけがない。

予想通り最高におもしろく、かなり冒頭からボロボロに泣きました。

見ているときは確信が持てなかったので、次の日に韓国版を見直しました。

やっぱり。冒頭の奈美が起きて支度をするシーン、カットから演技まで完全に再現されている。

リスペクトがすごいのは、原作が好きであればあるほど分かるでしょう。

変えずにいけるところのそのまんま具合は称賛だと思います。


逆にバッサリ変えたところもかなりあって、しっかり日本版サニーのメッセージを伝えていると思います。
韓国版見直して納得したんだけどサニーの人数がまず違うんですよ。

日本版のが1人少ない。でもまあいなくても全然成立するし、人数減らしたことで1人ひとりがより浮かび上がってこりゃなるほどなと。

日本版だと浮気する夫に報復しに行くシーンがあるけど、韓国版にあった娘をいじめているグループを襲うシーンはない。

足したとこ、引いたとこ、置き換えたとこ、見つければ見つけるほど奥深さに唸るばかりだ。


韓国版で腑に落ちなかったのが、民主化運動が活発する80年代後半の韓国という社会背景がピンとこなかった。

日本版だって20代以下の人は実感としてないかもしれない。

私もコギャル全盛期はテレビでしか見たことない遠い世界だった。

それでも漠然としたコギャル文化への憧れみたいなものはあった世代で、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災というとんでもないことがあって、不況で、なんとなく将来が不安で…

「とりあえずサラリーマンかな」っていうなんとなく暗い雰囲気は、韓国版よりずっと実感がある。

奈美が転校してきて方言を笑われるシーン。

淡路島というワードが出た瞬間、ああ、震災で東京に出て来ざるを得なかった事情がある女の子なのか…って瞬時に思って、それだけで私の中にある断片がブワっとリンクして涙が出た。

韓国版でぴんと来なかったのは私の不勉強が原因ではあるが、日本に生まれてある時代を過ごしたからこそ、実感できる何かがある。

そうゆう下地を持ってサニーの日本版が見られたのが幸福だなあと思った。

と同時に、見る人間がいつどこで生まれ育ったかで受容できるものが違うかと思うと、時代を閉じ込めることができる映画という手法についてグルグル考えることになった。

日本版サニーは、安室奈美恵が引退する平成最後の夏に日本に育った人が見ることに意味がある映画だと思う。

20年後にアメリカの少年が見ても、心に同じものはきっと沸き上がらないのだ。

というわけで見てください。

映画の中身についてもう少し。

なんといっても配役最高でしょう。よくそれぞれ韓国版のサニーからの6人とそのコギャル時代、それぞれ似ていてイケてる人を見つけたよね。

加えてコギャルのルックが完成されていて惚れ惚れする。

冒頭、奈美の回想らしく見える演出からコギャル時代へシーンが移るところ、久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」に合わせてものすごい数のコギャルがミュージカルみたいに群舞する。

コギャルの様相や持ち物を映しながら、それはそれは楽しそうに踊る。

もう1回見たら絶対確認しようと思うのだが、1カットがかなり長かったと思う。

ミュージックビデオ的に撮られている。ここだけでももう1回見たい。

初見では心奪われすぎてカメラワークやカット割まで気が回らなかった。


そのままコギャル時代パートの話をすると、広瀬すずがコメディエンヌとして爆発している。

みんな、このシーンの広瀬すずがコメディエンヌとしてヤバイ!という話がしたいだろうから、ここ!というタイミングで各々がタンバリンか何かを叩く「広瀬すずコメディエンヌ大賞上映」みたいなのが企画されてもおかしくない。
芹香を演じた山本舞香ちゃん。

彼女を知ったのは「サイタマノラッパー」のドラマシリーズだったのだけど、あの…

めっちゃかわいいですよね。

なんかこう、学年で一番かわいい子なんだけど、カースト上位感を伴っていて、いわゆる「学年で一番かわいい子」とちょっと違う。

簡単に言うとカツアゲしてきそうである。

そこがいい。

山本舞香ちゃんのギャルみが大好きなので、若いうちにいっぱいギャルの役をやってください。

お願いします。
他のメンバーも書き出したらキリがないけど、全員最高に良いです。

 

90年代のJ-POPがふんだんに使われているのはもちろんだけど、

「伊東家の食卓」とか絶妙な懐かしネタがこれでもかというほど放り込まれている。

劇場で吹き出して若者に白けた視線を向けられてほしい。


大人パートでいえば、主役の篠原涼子。

篠原涼子という人自体が、この役をやることにもう意味ができちゃってる。

安室奈美恵の引退報道を見入る姿、気持ちよさそうに「Don't wanna cry」を歌い踊るシーンは、

篠原涼子その人の人生も重ねてしまってそれだけでちょっと泣きそうなほど清々しい。


その意味多重感がマックスになるのがラスト。

大人になったサニーのメンバーが芹香の祭壇の前で踊るシーンだ。

篠原涼子とともさかりえが一緒に踊るってこれとんでもなくない? 

さらにそこに小池栄子と渡辺直美いんだよ? 

ちょっと生きてて良かったなって気すらしてくる。
 

久々なものでまとまりなく長々と書いてしまいましたが、サニーの物語が良いのは当たり前なんです。

その物語の良さを創り上げている幾多の要素を楽しんでほしい。

そして実感してほしい。

映画の中に見つけた良さの粒は、全部自分の中にあるものだということ。

自分の中に見つけた何かキラキラしているものは、映画の中でサニーたちが自分を取り戻していくように、ほんの少し、何かの軌道を変えてくれる気がする。

 

 

▼韓国版サニー。アマゾンプライムビデオで無料で見られました(2018.09)

▼サントラ。LINE MUSICでも聴けます。TKサウンド~って感じでイイです

 

 

 

 4年ぶりにW杯の季節がやってきて、終わった。

 日本が力を尽くして敗退するまで、テレビをつけてもTwitterを開いても、みんながサッカーの話をしていた。

 今ではすっかりアイドルオタクになって、スタジアムに足を運ぶことはなくなってしまったけど、まだプロになるかならないかの頃によく試合を見ていた選手が今の日本代表にはいる。

深夜ひとり、テレビの画面越しに思い入れを持って試合を見守った。

かつてサッカー少年だった彼ら。今、あの頃夢見たでろう舞台に立っている。

 

 「夢は諦めなければ必ず叶う」。よく聞くフレーズだが、聞く度に胸の奥のほうがザワッとする。

自分自身も脱落者のひとりだけど、諦めなければ夢が叶うのは結果論で、現実的に夢は叶わないこともある。その残酷な現実に対して、「必ず叶う」という言葉の無知、無責任さ。

 目標へ続く階段は、高いところを目指すほど、上からの重力と下からの引力との戦いだと思う。

夢中で上っているうちはいいが、ふと立ち止まって重力を感じたとき、次の一歩は今まできっとより重い。

迷えばあっという間に引力に負けて転げ落ちる。

ゆっくり降りられればいいが、想像以上のダメージを負うこともある。

 だから辞めろというわけではない。ただ、ある人の存在を思い出してしまう。

そして、「夢は叶う」と聞く度にザワッとしたものにかき立てられ、老婆心というか、余計なお世話というか、「だめ、もっと頑張らなきゃ、そこから堕ちてしまう! そしたら…」と叫びたくなる。

 

 夢の階段を転がり落ちていった男の子。

もう全部書いてもいいだろうというくらい時が流れた。

まあ、何度も記憶を反芻するうちに事実とズレていった部分もあるだろうから、目を通していただけるなら半分フィクションだと思ってください。

 

 サッカーをよく見に行っていた高校生の頃、サポーター仲間のGさんに「ユースの試合がおもしろいよ」と誘われた。

Gさんとは親以上に歳が離れていて、おじいちゃんとまではいかないけれど、仲間内では“愛すべきオヤジ”だった。

家が厳しかった私が延長戦までスタジアムにいられるように、母親にかけあってくれた人だ。

 

 ユースというのは高校生のチームで、高校の部活とは別にクラブチームが組織している。

高校サッカーよりスマートだけど、プロより若さと荒々しさがある。がむしゃらな感じや敵味方未熟ゆえのスーパープレーがあってワクワクしたし、試合が単純に分かりやすくておもしろかった。

 

 練習場はトップチーム(プロ)の練習場から少し奥に入ったところにある。

立派な芝生のピッチで、選手は親元を離れて寮住まいの人も多かった。

試合や練習が終わると、それぞれ泥よけのところにマジックで名前を書いた銀色のママチャリを、ギコギコ漕いで帰っていく。

 Gさんが「紹介したい」とママチャリを呼び止めた。

それがMくんだった。

目が細くて面長で、ものすごいイケメンではなかったけど、さっきまでピッチでボールを蹴っていた人が目の前にいて不思議な感じがした。

Gさんに言われるがままにケータイ番号とアドレスを交換した。   

 

 毎日メールをするようになっていろんなことを知った。

同い年、中学までは他の県に住んでいたこと、お父さんは漁師をしていること、

今は寮に住んでいること、練習場と同じ市にある私立の学校に通っていること、

少し前に彼女と別れたこと―。

 GさんとMくんと3人でご飯に行った。緊張して全然喉を通らなくて心配された。

帰りの車でMくんは何度も「地元の魚のほうがうまい」と言っていた。

掘りたてのイモみたいな田舎の女子高生だった私は、後部座席でふいに手を繋がれて今度は喉から心臓が出そうだった。

Gさんは運転しながら世間話を続けている。

あとから思い出すととんでもない男だなと思うのだが、Mくんは人差し指を自分の唇にあててシーッとやった。

17歳だぞ。それは惚れてまうやろ。

ほどなく告白してもらい、付き合うことになった。

 

 Mくんは順風満帆に見えた。

サテライト(2軍)とはいえ、プロ選手と一緒に試合に出ていたし、海外クラブのユースチームが集まる大会でドイツの強豪クラブ相手に超ロングシュートを決めていた。

 私はその試合と部活の大会が被っていて行けなくて、ずっと後になってからビデオで見せてもらったのだけど、あまりにもきれいで力強い完璧な超ロングシュートで、感動して涙が出るほどだった。

 ときどき海外遠征にも行っていた。

今と違って海外でケータイが使えなかったから、遠征に出かけてしまうとしばらくメールもできなかった。

けど、そんなにキラキラしたことばかりじゃないことも少しずつわかってきた。

 

 ある試合を見に行ったとき、Mくんはスタメンじゃなかった。

後半の途中で交代して出場した。

単純にサッカーをする姿が見られてうれしかったけど、Mくんはそうじゃないみたいだった。

試合が終わって共通の友人や選手たちと別れて2人になると、「時間稼ぎに使われた」と漏らした。

不満そうな声を覚えている。

 

 Mくんの置かれている立場が少しずつ分かってきた。

180cm近くあったと思うけど、身長が止まってしまって、このままではディフェンダーとしてやっていけないかもしれないと話していた。

 スタメンは後輩に奪われつつあった。

同郷の後輩で、弟みたいにかわいがっていた。髪をくしゃくしゃになでると嫌がるのがかわいいと言っていた。

 その後輩は2年後プロになり、定着することなく、2年くらいで戦力外通告を受けた。

 

 Mくんは「おれプはロになれないと思う」と言っていた。

チームにいた同い年のHくんは、アンダー世代の代表に毎回呼ばれていた。

誰もがトップに上がるだろうと思っていた。

ポジションは違えど、プロになる選手と自分との差を突きつけられる毎日は、どんなものだったろう。

「みんな上がれるわけじゃないから。みんなライバルだから」

そう表現したチームメイトとひとつ屋根の下で暮らすプレッシャーは、どれほどのものだったろう。

 

 Mくんが寮で先輩と派手にケンカしたと、チームで仲が良かったKくんから連絡があった。

お酒を飲んで帰ったMくんに先輩のYくんが激しく怒ったらしかった。

Yくんはとっても真面目な人で、責任感も強くて、彼もやっぱりプロになる。

 

 Mくんが自暴自棄になりつつあったのは、たぶんこの頃だと思う。

電話の声がおかしくて、酔ってるなと思うことがあった。

 

 そして、カンニングとタバコが見つかって停学になった。

 停学はこれで二度目らしかった。

 

 私はMくんがタバコを吸っていることを知っていた。2人でいるときも吸っていたから。

でも何も言わなかった。

だから、停学したことに責任みたいなものを感じていた。

Mくんみたいな不良は今まで身近にいなかったから、停学を聞いてどう接していいか分からなかった。

さすがにバツが悪かったのか、停学中はおとなしくしていたみたいで、会おうとも言われなかった。

 

 あんまり連絡もなくて不安になっていたら、チームメイトのKくんが間に入って何くれと世話を焼いてくれた。

たぶんやさぐれて周りは全員敵モードだった(想像)Mくんはそれが気に入らなかったみたいで、停学があけてしばらくして「別れたい」と言われた。

繋ぎ止める方法が分からなかった。

 

 試合はもちろん行かなくなった。

トップチームの試合に顔を出すと、なんとなく察してくれている大人たちが優しかった。

 

 どれくらい時間が経ってからのことだったか忘れてしまったけど、Mくんが退学になったことをGさんから聞いた。

再三の注意も響かず、またカンニングが見つかったという。

三度目の停学、そして退学。

私が知ったときにはもう、チームも退団して地元に帰ったあとだった。

 

 ショックだったが、どこかで、帰れてよかったね、とも思った。

想像にすぎないけど、Mくんはもう疲れ果てていて、家族や友達のもとに帰りたかったんじゃないかな。

高校卒業してからでもよかったのに。なんであと少し我慢できなかったんだろう。バカだね、バカだよ。

 Gさんには子どもがいなかった。だからMくんを息子みたいにかわいがっていた。

そのGさんがもうMくんの話はしたくないと言うほど、怒っていた。

寂しそうな背中に掛ける言葉がなかった。

 

 タバコもお酒もカンニングも、私は知っていた。

知っていたけど何も言わなかった。言えなかった。

嫌われるのが怖かったし、だいたいなんと言う。

自分に限界を感じて焦りや不安でパンパンになったMくんに「タバコなんてやめなよ。Mくんにはサッカーがあるじゃない」なんて針を刺すようなことがどうして言えよう。

ベターな言葉が見つかったとして、私の声が届いただろうか。

 

 Mくんが夢への階段の途中で立ち止まり、最初の一歩を踏み外したとき、

きっと一番近くにいたのは私だった。

何もできなかった無力感は、新しい彼氏ができてもずっと心に残り続けた。

 

 私は東京で大学生活を送りつつ、サッカー観戦も続けていた。そこでまたユースの試合に誘われた。

全国区の大会で勝ち上がっていて、関東で試合があったからだ。

もうあのころを知る選手もいない。再びユースの試合を見に行くようになった。

 

 そのときチームにいたのが吉田麻也だった。

今でこそ麻也は日本を代表する選手だが、当時は一番のスターではなかった。

U世代の代表選手は他にいて、試合の後プレゼントを持った女の子に囲まれていたのは麻也ではなかった。

トップに上がってからもケガ人が続いて、転がり込むように麻也にチャンスが回ってきた。

というかもう麻也しかいないくらいケガ人が出た、そのときは。

そりゃもうケチョンケチョンにやられて見てられなかった。でも着実にチームの要になっていった。

代表に初めて呼ばれたときだって、ケガ人が続いたからだし、試合では失点の原因になっていた。

それでも進み続けてチャンスを掴む。だから麻也はすごい。

 

 話を戻す。

 また試合に通うようになると、サポ仲間がMくんの近況を教えてくれた。

漁師の父親を頼って港で働いているとは聞いていたが、現実は少し違ったらしい。

「サッカー選手に」と田舎から送り出し、仕送りしていたMくんの両親は、退学して帰ってきた息子に厳しかった。

Mくんもまさかと思ったんじゃないかな。

夢破れて帰ってきた息子にもう少し温かいと、甘えていたんじゃないかな。

 

 Mくんは勘当されてしまった。

 

聞いたとき、平成の世に勘当なんてあるのかと驚いた。

それでも魚の仲買人として働いていたらしかったから、お父さんの口利きが絶対あったわけで、なんかもう「バカだな…」としか言葉が出てこなかった。

 

 結局Mくんの学年からはU世代の代表だったHくんをはじめ確か3人くらいトップに上がった。

Hくんも何年かして戦力外通告を受けたけど、分野を変えてまた日の丸を背負った。

進学して大学サッカーで活躍した選手もいたし、海外へ渡ってアジアの小さなリーグでプロになった選手もいた。

社会人リーグで懐かしい名前を見たこともあった。

Mくんにだってサッカーで暮らしていく道は十分にあったと思う。

 

 ときどき思い出したように、もう会うこともないMくんの名前を検索した。

今何しているか知りたいわけじゃない。きっと早々にデキ婚でもしたに違いないと思っていた。

インターネットにはいつまでも古い試合結果が漂い続けている。

出場者にMくんの名前。得点者にMくんの名前。

サッカーが一番だったころのMくんがそこにはいる。

確かに存在していたことをときどき確かめたくなって、検索窓に名前を打ち込んだ。

 

 あるとき、その中に新しい検索結果を見つけた。

 

女子高生にわいせつ行為 逮捕

 

 嘘でしょ。

 

 恐る恐るニュースサイトを開く。

名前、年齢、住所、すべてが一致している。

間違いない。Mくんだ。

 

 嘘でしょ、と思う反面、それは間違いなくMくんだわ…と妙に納得してしまう。

いろんな感情がいったりきたりして渦を巻き、どうしようもなく落ち込んだ。

夢を叶えられなかったサッカー選手の卵は、中卒の前科者になってしまった。

 

 ショックだった。

なんでこんなところまで堕ちなきゃいけなかったの。

 記事に書かれたMくんの職業は「友人の家業手伝い」。まともに働いていると思えなかった。

退学になってから5年以上経っているのに。

したってどうしようもない後悔に揺さぶられた。

 

 あのときだったらまだ止められたんじゃないか、なんでなんにもできなかったんだろう。

もっと人生経験がある私だったらよかった。

私が私でなかったらよかった。

もっと誰か他の、Mくんを助けてあげられる人だったらよかった。

退学になったとき連絡すればよかった。

したってどうしようもなかったと思うけど、それでも連絡すればよかった。

離れていく、堕ちていくのをただ黙って見ていただけ。

 

 でも記憶の中で何度タイムリープしてみても、何歳の私が会いに行ってもMくんを救う方法は見つからない。

 そうしてずっと、たった数ヶ月を過ごしただけの人にずっと、ずっととらわれ続けている。

 

 大人になって考えれば考えるほど、つくづくなんて大馬鹿野郎なんだろうと思う。

でも、MくんにはMくんの辛さがあった。

 いつのタイミングだったか忘れたけど、「おれ、真面目になるから」と言っていた。

考えてみれば運営とツーカーのサポーターの紹介で、なんのおもしろみもないイモ高校生の私と付き合って面倒くさくないことなんてなかっただろう。

結果的にどうだったかは別として、「ファンに手出したって言われちゃうといけないから」と、大切にしようとしてくれていたと思う。

 

 ただそれまで夢に続く階段を、真っ直ぐ真っ直ぐ、一生懸命上ってきたから、立ち止まったときに重力に負けてしまった。

夢の階段は一度下りたらもうそれ以上高いところには上がれない。

だから階段の途中で生半可な気持ちで立ち止まると危ない。

「今と違う普通の生活」なんてどこにもない。

下手して落ちたらどこまで堕ちるか分からないから、やっぱり私は今その途中の人に対しても

「頑張れ、頑張れ、立ち止まるな、堕ちるな」って祈ってしまう。

 

 そうそう、このブログを書くにあたって、久しぶりにMくんの名前を検索してみた。

あのネットニュースはもう消えていて、転載されたものだけが残っている。

古い試合結果に紛れて、小さな小さな写真付きの記事がヒットした。

 

 日付はあの事件よりずっと後。

写真には、子どもたちを前に白い長靴にエプロン姿で、大きな魚をさばいて見せる魚屋さんの後ろ姿があった。

 

 夢は叶わなくても人生は終わりじゃない。

でもできるなら、その階段を上りきってほしい。足を踏み外して苦しんでほしくはない。

 

 お守りみたいに使ってるネックレスがあって、数字の5のオーナメントがついている。

いつだったか友人に「5」の意味を聞かれた。

そのときGOROくんというアイドルのファンだったのでGOROくんの5だと思ったらしい。

「違うよ、私5月生まれなんだ」と答える。

でも「5」にはもうひとつ意味がある。

 

あの、少しなで肩の背中にあった数字。

5月25日生まれの背番号5。

 

 数字を選ぶときはなんとなく5。

私にとって「5」は幸せを願う数字になった。

 

 この記事を書き始めたとき、W杯は始まったばかりだったので冒頭を何度か書き直した。

ある意志を持って今書かないとと思う気持ちと、やっぱり書かなくていいんじゃないかと思う気持ちは未だに両方同じくらいあって、途中で放置していた。

 偶然にも他の記事が、ある意外な人に届いたと人づてに聞き、思い直してここまで書いた。

何かを追いかける人が、Mくんのように夢に負けないでほしい。

悪魔がささやく隙を与えないほど、前だけ見ていてほしい。

私は、季節が違っても同じ5を持つきみの幸せをずっと祈っている。