今日は、小さな随筆誌「紅」63号 「表紙の風景...2 室蘭」を紹介します。
室蘭は、私の育った地元でもあり、この表紙に出てくる大黒島 を眺める景色は
私の中の心象風景としていろいろな記憶を思い出させてくれます。
小学生のときに母につれていってもらった市立室蘭水族館 や焼きつぶの味・・。
今では、水族館の周囲すべてが埋め立てられて当時の面影 は全くなく、
海に面していたというのが信じがたい状況ですが、以前は水族館から
大黒島への船が出ていたこともあったようです。

現在、大黒島を眺めるには、白鳥大橋道の駅「みたら」から がおすすめです。
天気の良い夕方に夕日に照らされきらきら光る海と大黒島のシルエットは絶景です。

小さな随筆誌「紅」第63号

63 号 (1967 4・5) 
表紙 「表紙の風景...2 室蘭」 

 室蘭は、私にとって、えんもゆかりもない土地だと思いこんでいたが、つい最近、母がはるかな信州の山奥から、先に赴任していた父を追って渡道、はじめて上陸した地点がこの室蘭であったというのである。この話をきいてから、にわかに室蘭に対する私の関心が深まった。移民ではなかったけれど、当時移民の上陸地点は、函館、小樽、室蘭が主であったようだ。六十余年前のことで、まだ鉄道もなかったと思われる。

 私が大黒島を知ったのは、葉山嘉樹 の「海に生きる人々」を読んでからだが、これまた遠いむかしのことのようで、薄い記憶のなかに、わずかに点のように残っていたものにすぎない。

 あれが大黒島ですといわれ、おお、あれがね、なるほど、とはいってみたけれど、葉山のどの部分に島のことが書かれていたものか、点の記憶はついによみがえらなかった。

 いま、私が立っている地点はどの辺りであろうか。

 三月の空は、さむざむとして心ものびきらず、海からの吹雪はときおり内陸へ、ひょうとして吹きつけ、膚をうつ。

 ここからの景観は、また見事なものだ。せりあがってくる前方黒々とした樹林の丘、その重なりあう起伏、ゆるやかにゆくタンカー、大黒島と呼び交う点綴は深い感動をさそう。私には室蘭が鉄の街であることも驚きだが、この壮大な眺望も忘れがたい。

 それにしても、母はいったいどの地点から最初の一歩を印したのだろう。生前一度も故郷にかえることがなかったのは、なんとしてもあわれをさそうことであった。 

現在、市立小樽美術館 で5月26日(土)~7月1日(日)まで、森本三郎展を開催しています。是非、北海道内にお住まいの方や観光で小樽に来る際には、お立ち寄りください。
なお、今回は森本三郎・光子の魅力を多くの方に知ってもらいたいとの願いから、支援していただいている方々の協賛により特別に一口株主(特典:豪華200ページ図録2冊、特別招待券2枚)を限定200口 3,000円で募集しています。
興味のある方は、市立小樽美術館 までご連絡ください。
今日の第62号から、「森本三郎・素描の魅力」と題して、
小さな随筆誌「紅」の表紙に描かれた素描と
その表紙について触れられた随筆を紹介します。

小さな随筆誌「紅」第62号
62 号 (1967 1・1) 
表紙 「表紙の風景 ...1 小樽の街」 

雪がひょうひょうと降る街のなかで、ふるさとに帰ろうか、ふるさとを捨てようかなどと、ふっと浮かんで消える。暗い空からの雪片のように、あわくもうらかなしい。 ほんとうは私には根も葉もない幻想なのだ。 たしかに小樽の街は私の生まれた土地でもないし、育ったところでもない。夕映えが美しく燃ゆるような九月の釧路から、風のようにふらりとやってきて、二十数年生活の根をおろしてしまった。三角波が水煙りをたてる岸壁、みぞれのまじる風雪の港で樺太に渡ろうかとも思いつづけたことがあった。釧路でさえ流離の地であり、生活の根をおろしたといってみたところで小樽はやはり旅の空の下かも知れない。 絵を描くものにとって大切なことは、ものを生みだす豊かな詩魂でなければならない。詩魂などというと大げさだから情緒といってもよいだろう。これで悪ければ情感だろう。そしてその情感の住みよいところを求めて、あたたかくつつんでやらねばならない。 

小樽とはこんなところである。しかし、だからといってただちに作品ができるわけのものでなく、いたずらに二十数年の歳月が光陰のように過ぎてしまった。 街角に立つと、回想がゆるやかな起伏を描いて悔恨ばかりが身にしみるけれど、絵にもなろう、詩にもなろうというところだ。

 ふるさとの雪をまつげに別れかな  順子 

小樽でなくては生めないものだろう。

小樽には住んだ人にしか理解できない良さがあると小樽の人からよく聞きます。
小樽に一度住んだ人は、森本三郎の絵に郷愁を感じるとのこと。
帯広で生まれ、その後は釧路など他の地域で生きてきたからこそ、
小樽で生まれ育った人が気づかないような小樽の魅力を森本三郎は表現できたのかもしれません。

現在、市立小樽美術館 で5月26日(土)~7月1日(日)まで、森本三郎展 を開催しています。是非、北海道内にお住まいの方や観光で小樽に来る際には、お立ち寄りください。
なお、今回は森本三郎・光子の魅力を多くの方に知ってもらいたいとの願いから、支援していただいている方々の協賛により特別に一口株主(特典:豪華200ページ図録2冊、特別招待券2枚)を限定200口 3,000円で募集しています。
興味のある方は、市立小樽美術館 までご連絡ください。
今日は、小さな随筆誌「紅」の第11号に掲載された随筆を掲載します。

小さな随筆誌「紅」第11号


11 号 (1958 3・15) 「バラのような」 
百貨店では、お化粧の実演をやっている。眉をキュウッと引き、眼のふちを青ぐろくぼかす。たちまち美人のあがりである。こいつは楽しいとみているうちに、なんとなくあわれっぽくなってくる。 こちらがあわれっぽいからか、女たちはよくしゃべって、ふてぶてしいくらい。きいているうちに興ざめがしてきた。こんなにまでして美人になりたいのか。 美人という言葉の、なんと古くさいことか。うちの女房などは白粉一つない。クリーム一つあれば六ヵ月はある。口紅一本あれば一年間はある。 毎日風呂にはいるのを、わたしは注意しているくらいだ。 コジキをみろ、コジキを、あれは風呂にはいらないから皮膚がつやつやしている、手仕事をやらないから指がしなやかだ、あまり湯につかると小ジワがふえやすいぞ。 これは冗談だが、女房も可哀想な奴だとおもう。ときに香水の一つも買ってやろうかとおもう。なんぼなんでも無味無臭という女房はつまらないだろう。ことさらに夜などはさびしいものだろう。 たとえば バラのような ボタンのような 古くさい「美人」でなくて、「花」にみたててやるのだ。
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私は二十歳前後の女性をみると胸がドキドキっとする。 何気ないふりをして、そばによっていく。この女性がシカメ面をしないかぎりは、知らんふりをしてそばによっている。こんなとき、シカメ面をするような女性は、もう女性ではないと考えているから、私の方でも対象にならない。私には魅力がほしいのだ。今年の正月は日本髪が多かったようだ。和服姿が、こぼれるように美しかった。 私はことさらに前にはだかってやる。 おめでとう、いいネ、きれいでいいネ。娘さんたちは、いかにもうれしそうにけっして逃げだしたり、たじろいたりはしなかった。一生懸命着かざった正月を、こんな無礼なほめかたをしても、いやな気はしないだろう。 --とおもうのは老齢の汚濁というものか。 もえのこる人生が、ケツケツとノドをしげきするようなのこりかただったら、どうもよくないことだ。 今年こそすっきりと生きのびたい。

第7号に引き続き、森本三郎先生の人柄が伝わってくる随筆ではないでしょうか。
私が二十歳前後の女性の前に立って声をかけようものなら怪訝な顔をされてしまいますね。きっと。
こんなすてきな年の取り方ができるようにしなければと思いながら・・。

現在、市立小樽美術館 で5月26日(土)~7月1日(日)まで、森本三郎展を開催しています。是非、北海道内にお住まいの方や観光で小樽に来る際には、お立ち寄りください。
なお、今回は森本三郎・光子の魅力を多くの方に知ってもらいたいとの願いから、支援していただいている方々の協賛により特別に一口株主(特典:豪華200ページ図録2冊、特別招待券2枚)を限定200口 3,000円で募集しています。
興味のある方は、市立小樽美術館 までご連絡ください。