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小さな随筆誌「紅」第69号


病院の彼は掛けフトンの端をあげ、割バシでささえた。母がそのわけをきくと、こうすればお母さんの姿が、いつでもみられるからといったという。彼とは北海道が生んだ異色の画家山田義夫のことだ。短い生涯をこの江別の地でおわる。
駅前に降りたつと、大幅な国道がゆるやかな曲線を描いて、市街を分断する。駅の左方の小高い丘に神社、その後方に岩田醸造があるはずである。何回か来ているくせに、いつまでたってもわからない。私と江別のつながりは岩田さんと山田以外にはないのだ。岩田さんは山田の死後、その作品を大切に保管しているときいた。山田と私のつながりは書くに価しないほど短いけれど、彼の作品からうけた衝撃は大きく、私の心をむしろかく乱させた。よりよい仕事をしている同時代人にシットと反目をもたないではいられない人もあるにちがいない。私はその反対だった。山田の尊敬する作品からは、自分自身がゆらぎ、ゆさぶられ、崩壊していくような気がした。こうも思う。詩人というものは、いつもある深淵をのぞき、垂直に生きるものなのだと。私はついに深淵をのぞこうにものぞけず、彼ははっきりとのぞいた。 市街をぐるっとひとまわりして、また駅前に戻る。石狩川を背後に形成されたこの街は、不思議な感動をもたらす。それはなんだろう。 春は浅く、雲はまだいらだち、こずえに青のほのおがもえる。私は急に寂しくなり、岩田さんに挨拶しようかと思い、いや、と思いとどまり、列車に飛びこむ。 何やら安心し、一服つけ、深くすいこんだが、たちまちむせてしまった。