この間、友達に言われた。
「もうすぐ、5年だっけ?あれ?4年だっけ?」
・・・・・・・・・・・。
3年です。
まだ3年なのか、もう3年なのか、分からない。
でも、みんなの中では このことは 「ずーーっと前のこと」になっているんだ
と、認識した瞬間だった。
私には ずーっと前のことのような、ほんの数か月前のことのような、なんとも複雑な気分だ。
でも、もうすぐ3年がたつ今、振り返ると3年前の、あの時よりは 私は確実に進んでいると思う。
亀の歩みくらいだからか 気づかなかったけど 気づいたら 周りの景色が違っていた みたいな。ちょっとずつ踏み出せていると思う。
そして 理解したのは「進む」イコール「夫を忘れる」ということではない。
夫は 私の胸の中にちゃんと生きているし、これからも ずっと夫を想って生きていく。
今、ご主人を失ったばかりの方たち。
いつまでも 思い出に溺れていたいよね。
私もそうだったよ。今でもそうかもしれない。
でも、もうすぐ3年が経とうとしている今、夫の写真や遺品は 辛すぎて もっと見れなくなった。
夫を失った当初は 夫のものに囲まれて生きていたい と思って、引っ越した時も 夫の想い出のものは捨てられずに 持ってきた。
でも、今 正直、辛すぎて もう見たくない。
今でも 最後まで使っていた歯ブラシは大事にとってある。これは 捨てられない。
でも、もう見たくないという心境だ。多分、あそこのエリアにあると思われる所にあって そこは 怖いから踏み込んでいない。
これは 決して 夫を忘れたいとか そういう思いではない。
遺品などを見ると、急に生々しく思えるというか、あの時の気持ちが蘇ってくるのが怖いというか。防衛本能なのか「見たくない」 と思ってしまう。
私、今まで結構 頑張ってきたと思う。
そうでしょ?darling?
たくさん、新しい友達を作って、仕事はまだまだ軌道にのらないけど、まだ種を撒いて育ててる途中だし、何より 人生の短さをdarlingに教わったから 出来るうちに 自分のやりたいことをやろうと思えるようになったよ。
そして もう一つ、darlingから学んだこと。
「自分で動かないと 何も始まらない。」
これには結構 エネルギーがいる。
これも自分のチョイス。 自分の責任。
気乗りがしないこともある。それでやらないで正解だったこともある。
それでも、ドアにノックし続けると、新しい扉が開けることもある。
もちろん、今でも 家族の愚痴などを聞くたびに「なんで亡くなったのが、この人たちじゃなかったんだろう?」って 思ってしまう。
なんだかんだ言ったって、安心できる場所、守られる所があるのに気づいてないのね って。
まぁ 言ってるだけなんでしょうけど。
色んな思いを抱えながら 適当に受け流せるようになった。
私も強くなったもんだ。
いや、強くならざるを得ないのだ。