『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』 ブレイディみかこ | 絵本読み聞かせ講師・上甲知子「絵本で子育て講座」出前します【小田原 湘南 横浜 静岡】

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絵本の読み聞かせを味方につけると子育てはもっと楽しくなります
「読み聞かせなんてめんどくさい」という方も、簡単に楽しくできるときだけ続けられる「絵本で子育て」をお伝えします

 

 

図書館の新着本コーナーにあって、借りてきたこちらの本を読み終わりました。

 

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』 ブレイディみかこ KADOKAWA

 

 

 

 

 

内容は、出版社のホームページから以下引用します。

 

「自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」。魂の階級闘争の軌跡!

「あたしのシットはあたしが決める」


ベビーシッター、工場の夜間作業員にホステス、社食のまかない、HIV病棟のボランティア等。「底辺託児所」の保育士となるまでに経た数々の「他者のケアをする仕事」を軸に描く、著者初の自伝的小説にして労働文学の新境地。

 

 

(引用ここまで)

 

https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000617/

 

 

 

 

 

 

 

ブレイディみかこさんの本は、

変な表現かもだけど

西原理恵子さん的に面白い。

 

 

地べたの真実。

 

体を張ったドキュメンタリー。

 
 

 

何箇所か、書き写しました。

 

こちらをご紹介したいです。

 

「第六話 パンとケアと薔薇」より

 

ロンドンの病院のHIV病棟でアフタヌーンティーを振る舞うボランティアをしていたときの話。

 

 目に見えて衰弱していき、死期が近い人独特の存在感の薄さを漂わすようになっても、思わずこちらが吹き出すようなジョークを飛ばして他者を笑わせようとする人たちもいたからだ。

「あんなになっても人を笑わせようとするなんて、サービス精神がすごい…」

あるとき、私がそう言うと、パブロが答えた。

「いや、あれは他人を笑わせようとするより、自分が笑おうとしているんじゃないかな」

「え?」

「他人を笑わせて、自分も笑うというか。いま、そこに誰かと一緒にいて、一緒に笑うということが彼には必要なんだと思う」

(中略)

 

「いまはそう思えるかもしれないけど、近い将来、間違いなくそうなる。投資家や企業経営者だって、コンピューターに取って代わられる。リスク評価は計算機のほうが上手だからね。そうなると、何が残ると思う? まさに僕たちが週末にやっているような仕事だよ。あれはコンピューターにはできない」

「ロボットならできるんじゃないですか」

「ロボットは人間じゃないだろう。人間をケアする行為は、人間でない者にはできないんだ」

「どうしてですか?」

「ケアというのは双方の人間が必要だからだ。ケアをする方とされる方、双方の人間がいてポジティヴな精神的電波が生まれる。この電波こそが、人間が今日まで生き延びてきた原動力になったという人もいる」

 

 

 

 

わたしはすぐに、絵本とか読み聞かせとかに置き換えて考えてしまうのですけど、

 

 「ケアというのは双方の人間が必要だからだ。ケアをする方とされる方、双方の人間がいてポジティヴな精神的電波が生まれる。この電波こそが、人間が今日まで生き延びてきた原動力になったという人もいる」

 

 

 

ここの「ケア」を「読み聞かせ」に置き換えても、わたしには通じるなと思いました。

 

読み聞かせというのは、読む人と聞く人、双方の人間が必要。

 

決して、一方通行ではない。

 

読む人と、聞く人がいてポジティブな精神的電波が生まれる。

 

このポジティブな精神的電波こそが原動力。

 

 

 

 

 

いまの私なら、あのときのパブロの言葉への「鼻持ちならなさ」も感じ取れる。本当にすべき仕事だと思うなら、それを生業にしてみればいいではないか。自分たちは高収入の仕事を持って何不自由ない暮らしをしてきながら、時々、お遊び程度に末端のケアの仕事をやってみる。そして、「人間が本当にすべきなのはこういう仕事」とか言って高級レストランで遠い目をして感慨に浸っているのだ。

 

(中略)

 

だが、もう前世紀になったあの夜、パブロの言葉を聞いたときには、「偽善者」では片づけられない何かが彼の言葉に混じっていたように感じられたのだ。

思わず顔が緩むような嬉しい気持ち。あのボランティアでそれが感じられる瞬間があることを、私自身が経験してしまっていたからだろう。

あの病棟で感じていた嬉しさは、たとえるなら、自分が投げたボールを誰かがまっすぐに投げ返してくれるときのものだ。それだけのことなのに、そういう経験がふだんは滅多になから、その瞬間が妙に際立って、特別な気持ちになるのだ。

 

(中略)

 

人から言われたことをストレートに嬉しく感じるのは、その言葉を信用できるときだ。無防備な現場で発せられる言葉は信用できるから、人を無防備なくらい嬉しい心情にさせるのだ。

 

 

 

 

 

ここも、わたしは、「絵本の読み聞かせ」で同じことを感じるときがあります。

 

自分が読んだ絵本の時間を、聞いてくれる子どもが真っ直ぐにわたしに投げ返してくれる瞬間がある。

 

わたしの場合は、時間差があるときも、ある。 

 

数年後に、投げ返してくれるときも、ある。

 

なおさら、嬉しい。

 

だから、やめられない。

 

ここを共感してくれる人は、いると思う。

 

 

 

 

ラスト数ページは特に、母親とのエピソードは、母との関係に悩んでいる人には読んでみてほしい。

 

自分の見ている母親と、そこから抱く感情と、自分の知らない母親の姿と、そこで起きた混乱を伴う新たな感情と。

 

全く同じことを経験しているわけではないのに、なぜか共感を覚える。引用はしません。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、ブレイディみかこさん関連の過去ブログ

あの人のことをなんて表現するか

 

 

 

 

 

子どもの共感力を育む具体的な方法は?

 

 

 



 

他人に自分の感情を伝えられない子どもは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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