国宝 松江城天守 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

島根県は松江市にあります、国宝 松江城


へ行ってきました(^_^)/

これで、国宝五天守制覇です!\(^o^)/パチパチ👏👏




そして、今回は国宝 松江城です!

では、さっそくレポートします。




・国宝 松江城天守

松江市所有の国宝。江戸時代 慶長16年(1611年)の作。

松本城もそうでしたが、"黒比率"の高いお城です。
そして、巨大な△の"千鳥破風"も個性的。
他の国宝天守は、凸型の"唐破風"を交えていますが、松江城は、
どこから見ても、△の"千鳥破風"のみで構成されています。
↑中でも、東西の"千鳥破風"は迫力満点です!
デカいな……
↑窓の数は少なめですが、花頭窓も配置し、装飾性を高めています。
↑最上層には、高欄を巡らせていますが、犬山城のように外に出ることはできません。
↑"鯱鉾(しゃちほこ)"は瓦ではなく、なんと木製!銅板貼付けだそうです。
↑航空写真で見ると、姫路城や松本城のような、小天守を伴う連立天守の構造ではないことがわかります。
また、彦根城のような長方形ではなく、ほぼ正方形のキレイな形をしています。
南側に張り出しているのは、"附櫓(つけやぐら)"で、ここが城内への入口になります。
立派な"附櫓"ですね〜
それでは、中に入りましょう(^_^)/
↑入口左右に大型の"石落し"がありますね。ここから、石や熱湯、熱した油などを落として、敵の侵入を妨害するんですね。
↑中から見ると、こんな感じ。
↑"附櫓"内は、防災工事のための、足場が組まれていて、残念ながら立ち入りできませんでした(^_^;)
↑天守内に入ると、そこは地階になります。
↑"塩蔵"として、領内の塩を貯蔵していたようです。井戸もあります。
↑レプリカですが、国宝指定の決め手となった、附指定の"祈祷札(きとうふだ)"があります。
↑先代の"鯱鉾"。断面から、木彫に銅板貼付けであることがわかりますね。

では、1階に上りましょう。
多くの国宝天守では、中央に部屋を設け、周りに"武者走り"を取り回すことが多いのですが、
ここ松江城では、すべて吹抜け。スコーンと開けています。
↑特徴的なのが、多くの柱がこのように、鉄輪や鎹(かすがい)を用いて、板で包まれていること。"包板(つつみいた)"といって、柱の割れなどを隠して美観を高めているそうです。が、何かフランケンシュタインみたいで逆効果な気が……
↑広い空間に多数の柱が並びます。
壁も部屋も無いので、余計に広く感じます。
↑1階には、"矢狭間(やざま)"、"鉄砲狭間(てっぽうざま)"が居並びます。
↑外から見ると、こんな感じ。"矢狭間"、"鉄砲狭間"には蓋がされてますね。
↑彦根城の"狭間"は"塗込めタイプ"でしたが、ここ松江城のは外が覗けるノーマルタイプ。一部、蓋を外して外が見えるようにしている箇所もあります。
ここんとこ、ですね~

2階に上がります。
現存する天守の中で、姫路城に次ぐ面積を誇る松本城だけあって、内部空間も広大です。
↑1階と同じく、2階も広大な空間に、柱が並びます。
↑2階の特徴は、"石落とし"が多数配置されているとこ。
外からみると……
ここんとこ、ですね。

3階に上ります。
少し、床面積が減ってきました。
ですが、まだまだ広いです。
↑梁が、グニャグニャ〰
↑3階には、"花頭窓(かとうまど)"があります。
↑ここですね。
2階から3階への階段部分で見られるのが、"通し柱"。
姫路城は、大きな心柱がドーン!と一本通ってますが、松江城は長くて2階分しかありません
↑その、2階分通ってるのが、見える箇所は、階段部分のみだそうです。

4階に上がります。
実は4階には、西側大破風の内側を利用して藩主用の箱便所がおかれていたといわれているんです。
見たかったのですが、工事中で見られませんでした😢

さぁ、いよいよ最上階の5階です。
残念ながら、半分は工事のため閉鎖されていました。

ただ、ぐるっと一周することはできますので、
宍道湖を望む風景や、松江の城下も見渡せます(^_^)/

吹き抜ける風が心地良い……
↓国宝指定書のレプリカも、展示されています。

だいたいの天守には、飾ってありますね。
↑天井を見上げると、
↑"棟札(むねふだ)"があります。国宝天守では、この"棟札"が"附指定"を受けることが多いのですが、松本城の場合、地階にある"祈祷札"2枚が附指定です。
ん~~松本城、なかなか味わい深いものがありました。

レポートは以上で〜す(^_^)/

工事で、一部拝見できない箇所もあって残念だったのですが、安全や次代に繋ぐためには必要なことです。
もし、明治時代から何の補修もしていなかったら、こんな感じですからね。