で開催されている「東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩」の後期展示
へ行ってきました(^_^)/
ごめんなさい。今日(3/10)で終了しました🙏
②「端書(はしがき)」
③「函(はこ)」
の3つでした。
では、ひとつずつレポートしましょう。
あっ、スミマセン💦写真撮影は🆖でしたので、残念ながら写真を交えてのレポートはできません(^_^;)
①「銭(ぜに)」の数え方
古文書での"銭"の単位は、もっぱら「文(もん)」です。
一文硬貨1枚🪙が、"一文"なのは当たり前なんですが、お札💴は近代にならないと出てきません。
ということで、ある程度まとまったお金を運ぶときは、紐を通して束ねていたようです。
このひと束は"百文"。
ところがですよ!
この束をバラすと、なんと"97文"なんですよ!
"3文"足りないんですが、昔の人達はこれで良かったようです(^_^;)
これは、昔の人は金におおらかだった……とかじゃなくって、そういう決まりで皆んな納得していたそうです。
ん~~、「バラバラの97枚の銭より、まとまった97枚の方が価値が高い」って、ことですよね!
「お金はまとまると価値が上がる」と、昔の人も考えていたということでしょうね。現代でも、
最低預入金額〇〇〇万円以上で、特別金利□□%!
みたいに、まとまった金額があれば得するってこともありますしね(^_^)
②「端書(はしがき)」
昔の戦国武将が書いたお手紙は、巻物のようにクルクル巻いてから、"ぺしゃん"と、押しつぶしたそうです。
残り少なくなったトイレットペーパーを押しつぶしたイメージ……
だから、広げた時に縦の折り目が入るんです。
ここでは、①日付が「八月廿四日」なのを覚えておいてください。
そして、②画像の右角に、何やら滲んだ文字があることに着目してください。
受け取った人は、その"文(ふみ)"をぺしゃんこのまま保管します。
それだと文面が見えなません。広げないと内容がわかりません。不便です。
そこで、ぺしゃんこにした表面に「どこの誰からいつ届いた」のような、"覚え書き"を書きつけたのです。
これは、さっきの手紙の裏です。
画像の左端に、その覚え書きがあり「延慶三八廿四」と、書かれています。
ただ、現代では、古文書は開いた状態で保存しているので、この書きつけ部分は、裏面になってしまうんで、なかなか目にすることはありませんね〜。
③「函(はこ)」
附たり指定の"函(はこ)"については、蓋のみを2点、函1合の、3つを展示していました。
エンジ色に塗られたこの箱は、"東寺百合文書"の"百合"の名の由来です。
1685年(貞享2年)、加賀藩の前田綱紀が、東寺に残されていたこの古文書群の価値を認め、保管のためにと100合寄進しました。("合(ごう)"とは、蓋と身で構成される容器の単位です)
現在では、94合が残っています。
写真が無いので、会場でもらったペーパークラフトで紹介します。
京都学・歴彩館は、国宝 東寺百合文書を所有していますので、毎年このように趣向を変えて"百合文書"を紹介してくれます。
過去には、
にも行ってます。
しかも、この展覧会……無料なんです💸
来年もすると思うので、訪問してみてください(^o^)