京都学・歴彩館「東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩(後期)」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

京都学・歴彩館 


で開催されている「東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩」の後期展示 


へ行ってきました(^_^)/


ごめんなさい。今日(3/10)で終了しました🙏

内容としては、古文書を読み解くための"ヒント"を国宝 東寺百合文書からピックアップしていく……という、前期と同様のスタイルの展示でした。
国宝を"観る"というより、国宝を"学ぶ"というスタンスですね✎〜(^_^)
今回の展示で、私の興味を引いたのは、
①「銭(ぜに)」の数え方
②「端書(はしがき)」
③「函(はこ)」
の3つでした。

では、ひとつずつレポートしましょう。

あっ、スミマセン💦写真撮影は🆖でしたので、残念ながら写真を交えてのレポートはできません(^_^;)



①「銭(ぜに)」の数え方

古文書での"銭"の単位は、もっぱら「文(もん)」です。
一文硬貨1枚🪙が、"一文"なのは当たり前なんですが、お札💴は近代にならないと出てきません。
ということで、ある程度まとまったお金を運ぶときは、紐を通して束ねていたようです。
このひと束は"百文"。

ところがですよ!
この束をバラすと、なんと"97文"なんですよ!

"3文"足りないんですが、昔の人達はこれで良かったようです(^_^;)
これは、昔の人は金におおらかだった……とかじゃなくって、そういう決まりで皆んな納得していたそうです。

ん~~、「バラバラの97枚の銭より、まとまった97枚の方が価値が高い」って、ことですよね!

「お金はまとまると価値が上がる」と、昔の人も考えていたということでしょうね。現代でも、
最低預入金額〇〇〇万円以上で、特別金利□□%!
みたいに、まとまった金額があれば得するってこともありますしね(^_^)



②「端書(はしがき)」

昔の戦国武将が書いたお手紙は、巻物のようにクルクル巻いてから、"ぺしゃん"と、押しつぶしたそうです。
残り少なくなったトイレットペーパーを押しつぶしたイメージ……
ここでは、①日付が「八月廿四日」なのを覚えておいてください。
そして、②画像の右角に、何やら滲んだ文字があることに着目してください。

受け取った人は、その"文(ふみ)"をぺしゃんこのまま保管します。
それだと文面が見えなません。広げないと内容がわかりません。不便です。
そこで、ぺしゃんこにした表面に「どこの誰からいつ届いた」のような、"覚え書き"を書きつけたのです。
画像の左端に、その覚え書きがあり「延慶三八廿四」と、書かれています。
だけだと、何年の8月24日かわからないのですが、に"端書"があることによって、"延慶3年"であることがわかったのです。

ただ、現代では、古文書は開いた状態で保存しているので、この書きつけ部分は、裏面になってしまうんで、なかなか目にすることはありませんね〜。


③「函(はこ)」

附たり指定の"函(はこ)"については、蓋のみを2点、函1合の、3つを展示していました。
エンジ色に塗られたこの箱は、"東寺百合文書"の"百合"の名の由来です。
1685年(貞享2年)、加賀藩の前田綱紀が、東寺に残されていたこの古文書群の価値を認め、保管のためにと100合寄進しました。("合(ごう)"とは、蓋と身で構成される容器の単位です)
現在では、94合が残っています。
写真が無いので、会場でもらったペーパークラフトで紹介します。
↑左がユ号、右がヌ号。
↑実は"ヌ号"は簡易版で簡単な造り、"ユ号"は本格版で凝った造りになっています。
↑底の部分も違ってますね(^_^)
↑蓋裏には、前田綱紀からの寄進であることが記されています。
↑また、解説書も後期用なっていました。

京都学・歴彩館は、国宝 東寺百合文書を所有していますので、毎年このように趣向を変えて"百合文書"を紹介してくれます。
過去には、



にも行ってます。

しかも、この展覧会……無料なんです💸
来年もすると思うので、訪問してみてください(^o^)