蓮華王院 三十三間堂ふたたび | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

さる3月3日、蓮華王院 三十三間堂で行われた「春桃会(もものほうえ)」へ、久しぶりに再訪しました(^_^)

この日は拝観料が無料になり、当日でしか入手できない"女性専用の御守り"が購入できます。
↑母親用に以前購入したものが、古くなったので、新しいものをいただきに行きました(^_^)
↑この御守りには、三十三間堂内の有名な千体千手観音像の一人ひとりの仏様のお名前が書かれた"仏名帳"が入っているのです。

堂内には"東風壇"という櫓が組まれ、通常より高い位置から、国宝 千体千手観音像が居並ぶ壮観な様を見ることができます。(角に1箇所あるだけですが……)

また、堂内中央のひときわ大きな国宝 千手観音坐像の指と繋がれた"五色の紐"で、御縁を結ぶこともできます。


さて、今回は前回レポートでは詳しく触れなかった、国宝建築物としての三十三間堂についてレポートします。





・国宝 蓮華王院本堂(三十三間堂)

妙法院所有の国宝。鎌倉時代 文永3年(1266年)の作。

元々は、後白河法皇が平安時代 長寛2年(1164年)に、平清盛からのとてつもない資金援助で建てたものですが、焼失し、鎌倉時代 文永3年(1266年)、後嵯峨上皇により再建されたものです。
京都を代表する建築物の1つですね〜✨

桁行(けたゆき/幅)35間、梁間(はりま/奥行)5間、入母屋造、本瓦葺の屋根を持つ、非常に横長の建物です。
↑長すぎて、端が見えません💦

三十三間堂の"三十三間"というのは、柱と柱の間が33ある。ということを意味します。("間"は長さの単位ではなく、あくまで柱と柱の数)
ところがですよ、実際に柱間を数えると35あるんです。だから、桁行35間なんです。
↑これは、両端の1間が「廂(ひさし)の間」であって、母屋ではないことに由来します。
↑正面中央には、7間の向拝(こうはい/むかいはい)を持ちます。近づかないと、わかりませんね。
↑この庇(ひさし)が伸びているところが向拝です。お堂の正面にのみ"向拝"が付けられています。
↑軒は、二重の平行垂木です。
↑軒の角の垂木が直角に交わっているので、平行垂木です。和様の特徴ですね。(この後の時代では、角の垂木が、扇形に広がる"扇垂木"という禅宗様の形態が出てきます)
↑梁間(はりま/奥行)5間は、簡単ですね(^o^)
この写真で、屋根の形状が"入母屋造(いりもやづくり) 


"であることもわかります。

瓦の葺き方は、本瓦葺き。
↑このように、平瓦→丸瓦→平瓦→丸瓦→平→丸→平→丸………と並べて葺くのが"本瓦葺き"です。

お堂の裏手にまわりましょう。
↑堂裏には、"向拝"はありません。
昔、この場所で行われたのが「通し矢」です。
現代のお正月の京都の風物詩にもなっている「大的大会」は、振袖姿の新成人が行う華やかなものですが、「通し矢」は、弓自慢の強者達が腕を競い合う本格的なものだったようです。
「通し矢」はお堂の縁で行われました。
↑縁側のちょうどこの場所から、向こうの端まで、ズバーンッ!と矢を射るわけです🏹
これね。"軒下"で行うってのがミソなんです。
↑矢を遠くに飛ばそうとすると、山なりに射なければなりません。これだと軒下に当たっちゃうんです。
だから、軒に当たらないように真っ直ぐ射る必要があります。これには凄い力が必要なんですね。さらに的に当てなきゃならないんで、力と技の両方が必要なんです。
↑軒下に矢が刺さってるの、わかります?昔の人が失敗してます(^_^;)
「軒下をとおす」という言葉には、"難しいことをやり遂げる"という意味があり、高度な弓術の技能が必要なんですね~
以上でレポートは、終わりです。

この後は、三十三間堂の前にある京都国立博物館へ行きますよ~(^_^)/~~