さる3月3日、蓮華王院 三十三間堂で行われた「春桃会(もものほうえ)」へ、久しぶりに再訪しました(^_^)
この日は拝観料が無料になり、当日でしか入手できない"女性専用の御守り"が購入できます。
堂内には"東風壇"という櫓が組まれ、通常より高い位置から、国宝 千体千手観音像が居並ぶ壮観な様を見ることができます。(角に1箇所あるだけですが……)
また、堂内中央のひときわ大きな国宝 千手観音坐像の指と繋がれた"五色の紐"で、御縁を結ぶこともできます。
さて、今回は前回レポートでは詳しく触れなかった、国宝建築物としての三十三間堂についてレポートします。
・国宝 蓮華王院本堂(三十三間堂)
元々は、後白河法皇が平安時代 長寛2年(1164年)に、平清盛からのとてつもない資金援助で建てたものですが、焼失し、鎌倉時代 文永3年(1266年)、後嵯峨上皇により再建されたものです。
京都を代表する建築物の1つですね〜✨
桁行(けたゆき/幅)35間、梁間(はりま/奥行)5間、入母屋造、本瓦葺の屋根を持つ、非常に横長の建物です。
三十三間堂の"三十三間"というのは、柱と柱の間が33ある。ということを意味します。("間"は長さの単位ではなく、あくまで柱と柱の数)
ところがですよ、実際に柱間を数えると35あるんです。だから、桁行35間なんです。
この写真で、屋根の形状が"入母屋造(いりもやづくり)
"であることもわかります。
瓦の葺き方は、本瓦葺き。
お堂の裏手にまわりましょう。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240310/20/osapon-ok/4c/c3/j/o1080081015411480629.jpg?caw=800)
↑堂裏には、"向拝"はありません。
昔、この場所で行われたのが「通し矢」です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240310/20/osapon-ok/06/9f/j/o1080081015411480633.jpg?caw=800)
現代のお正月の京都の風物詩にもなっている「大的大会」は、振袖姿の新成人が行う華やかなものですが、「通し矢」は、弓自慢の強者達が腕を競い合う本格的なものだったようです。
「通し矢」はお堂の縁で行われました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240310/20/osapon-ok/96/fa/j/o0810108015411480635.jpg?caw=800)
↑縁側のちょうどこの場所から、向こうの端まで、ズバーンッ!と矢を射るわけです🏹
これね。"軒下"で行うってのがミソなんです。
だから、軒に当たらないように真っ直ぐ射る必要があります。これには凄い力が必要なんですね。さらに的に当てなきゃならないんで、力と技の両方が必要なんです。
「軒下をとおす」という言葉には、"難しいことをやり遂げる"という意味があり、高度な弓術の技能が必要なんですね~
この後は、三十三間堂の前にある京都国立博物館へ行きますよ~(^_^)/~~