脚本・監督は三島有紀子。3つの部分からなる作品。第一章は北海道・洞爺湖の素敵なお宅。そこにはジェンダーを越えたマキという老人がいる。カルーセル麻紀が演じている。かなり異様なのだが、正月で帰って来た家族がいる。マキの娘の美砂子(片岡礼子)は、マキのことを「おとうさん」と呼ぶ。そのことを美砂子の娘は意地が悪いという。

 どうやら、この家には本当はレイコという娘がいたらしいが、亡くなっているらしい。美砂子は立ち去る時、もう来ないかもという。この家が通り過ぎた40年以上、どのようなことが起こって来たのだろう?どうです?面白い短編じゃないですか。この後、カルーセル麻紀の怪演もあり、不思議な世界が展開する。

 第二章は八丈島だ。突然、5年ぶりに帰宅した娘の海(松本妃代)は妊娠しているらしい。妻を事故で亡くし、娘を育て上げた牧畜業の誠(哀川翔)は、気が気ではない。どうやら娘は騙されて妊娠したのではと勘ぐってしまうのか、彼は男が到着する予定のフェリー乗り場へと急ぐというもの。⼋丈島は⼤昔、罪⼈が流されたとい島。娘の言葉が面白くてかっこいい「人間誰だって罪びとなんだよ」。

 第三章は大阪、堂島付近が舞台。個人的なことだが私のホームグランドでもあり、ほとんどのロケ地が懐かしい。映画に戻ろう。レイコ(前田敦子)はフェリーで大阪に到着する。数⽇前まで電話で話していた元恋⼈の葬儀に駆け付けるためだ。

 葬儀の後、淀川で「トト・モレッティ」というレンタル彼⽒(坂東龍汰)を雇うことにして、一夜を過ごすことになるのだ。当然トトを愛していないレイコは関係を持てるのだが、彼女にはある理由で、愛する人に触れることができないことが分かってくる。

 堂島、福島界隈を歩き続けながら映画はレイコの心の傷に寄り添うことになる。

 そして、最終章。私はハラハラしながら映画を見守ることになる。三島有紀子という監督「幼な子われらに生まれ」でもそうなのだが、どこか最後にはハッピーにしたいという願望があるのか、いわゆる映画をあまり見ない観客への忖度のようなものが邪魔をするのだ。

 で、本作は・・・「〇」。この終わり方で良いと思う。日本映画は海外の作品より劣るという感覚を持っていたが、本作は世界レベルの作品に仕上がっていると感じる。

 この映画の第三章でテーマになる性被害は、監督自身の体験でもあるらしい。公式HPで監督は「そして傷をたずさえたまま、映画を作ることを覚えた。自己憐憫は邪魔だ。わたしは、傷を元手に生きてきた。だからいま、一月の声に歓びを刻む」いい言葉だ。先ほどカルーセル麻紀の芝居を怪演と書いた。この作品には監督の自分に対する挑発と、今までにない実験をしているのかも知れない。だから、誰に聞かすでもない独白が長く続く。

また、トト・モレッティなんて名前。これは本作の中でも出てくるのだが、2001年カンヌ映画祭パルムドールを受賞した「息子の部屋」の監督の名前がナンニ・モレッティ。「息子の部屋」を観たくなった。

 2024年2月公開。