次女と駅まで自転車で行ったが、
彼女はそのまま帰って行ったので、
次女が乗って来た自転車を
引いて帰った。

ツイン・バイクスの大原則は、
ブレーキ操作は
自ら乗る自転車で行い、
引き側は手を伸ばして、
ただ引くだけである。
間違っても引き側の
ブレーキレバーを
握ってはならない。

握ると引き側の
自転車だけ取り残されて
間違いなくコケる。

停車するときも、
ブレーキ操作は
乗る自転車のみで、
引き側は腕力を駆使して
停車することをお薦めします。

まあ、普通の人は
こんなことしないか。
今まで他人がツイン・バイクスを
しているのを見たことはない。
唯一目撃したのは、
小学校低学年の頃、
ライダーは僕の親父。

不器用な人間だったが、
たまに変わったことをした。

自転車で出かけたが、
忘れて歩いて帰って来たので、
親父が取りに行ってくれた。

家の前で待っていると
ツイン・バイクスで
颯爽と帰って来た。

「格好イイ」と思った。

練習したら出来るようになった。
出来ると結構便利。
でも道路交通法違反かな。

調べてみると
ツイン・バイクスで乗る
行為自体には明確な規定はない。
ただし、2台以上並んでの走行
(道路標識等により並進することが
できる場合は除く)は禁止されている。
2万円以下の罰金叉は科料が
課せられる。

並進が禁止されるのであれば、
乗らない方の自転車の前輪を
乗る方の自転車の後部に乗せて
片手で固定するか、
乗らない方の自転車を
ひっくり返してハンドルを
肩に掛け背負って乗るか。

さあ、練習だ。

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2016/10/29(土) 午後 4:59

 

友人の母が亡くなった。
通夜に参席しようとしたが、
供花供物はお断りだったけど、
何かをと思い、ミルキーに決めた。
スーパーに行ったけど
袋詰めのパッケージしかない。
通夜時間は迫る。
不二家のHPを検索すると
通夜会場から遠くない直営店に
缶入りが置いてあった。
ブラックスーツに着替えて
ミルキーを二缶買い、
一缶を車に置いて会場で
彼にお悔やみの言葉とともに
ミルキー缶を渡そうとした。
お礼の言葉を彼は述べ、
ミルキー缶は横に立っていた
彼の小学校の娘にインターセプトされた。
そこで事態は急展開した。
横にいてその光景を見ていた
彼の姉(私と同級生)が

「私も欲しい!ミルキー」

と懇願する目付きと
手首が崩壊するかのような
恫喝に近い握手で迫ってきた。

「わ、わっかた。手離して」

とその場を離れ、
車に置いてあった一缶を
取りに行き彼女に渡した、恐る恐る。

通夜は厳粛な雰囲気の中にも、
何か朗らかさがあった。
彼の母とは彼と知り合う以前から
仕事上の付き合いがあり、知っていた。
通夜も死者との決別の会ではなく、
皆に愛された人の旅立ちを
見送るような感じだった。

最後の喪主挨拶は、母親の生前の
生きざまを参列者にきちっと伝え、
なお、母の素晴らしさを伝える、
見事な、見事な挨拶だった。

後日、彼が
「ミルキー、ホッコリしました。
用意してたんですか。」
と聞いてきた。
「思い付き。母ちゃんと言えば
ミルキーしょ。買いに行ったわ」
「ミルキーはママの味ショ」


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カミさんは、友達の娘の司法試験合格の夜に

秋刀魚を食べた。
量販店で見つけたハワイ産のビールとともに。


お祝いに秋刀魚か。の感があるが、ただ単に、

僕が買ってきたからだろう。
この日は時間差夕食の日で、帰って僕も食べた。
大根おろしが不要な程、絶妙な塩加減だった。

(大根の1/2が売り切れていたので断念しただけ、だけど)

 

「秋刀魚の味」といえば小津安二郎監督の

遺作が浮かぶ。劇中に秋刀魚が出てくること
はなく、娘を嫁にやるだけの物語展開。
日本の家庭の食事の象徴が秋刀魚なのか。

劇中に何も答えはない。
小津監督には同じような題名「お茶漬けの味」

もある。僕はまだ観ていない。
が有名なエピソードを読み知っている。
製作・公開は昭和27年だが、当所の脚本は

戦時中に書かれた。召集令状を受け取った夫が
妻との最後の夜にお茶漬けをしみじみと食べる
場面が、検閲当局から、戦地に出征する夫を
見送るのに、お茶漬けとは何事だ。赤飯炊いて
万歳するのが当たり前だろう。
と映画化を却下されてしまった。

映画では出征は、外国赴任に

変更されているが、出征前にお茶漬けさらさら
は、出征まっぴらゴメン的、市井の人々の気持ち

だったのかなと思う。

小津安二郎は昭和36年、自分の還暦の日に

亡くなりました。丁度60年間の潔い人生かと
思います。僕も60歳の誕生日に死のうと決めて
いた時期がありました。小津監督は次作の
準備をしていたので自ら望んだ死ではなかった
ようです。でも、最愛の母を前年亡くし気力も

衰えていたようです。
ちなみに次回作のタイトルは
「大根と人参」でした。
(当時大根1/2は売ってなかったろうネ。)


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2016/9/8(木) 午後 1:32