お客さんの中にウチの事務所の雰囲気をえらく気に

入ってみえる方がいる。僕が不在の時に「落ち着く

なぁ、ここは」とウチのスタッフに何度か言って

いたらしい。

常時音楽がかかり、壁にはポスター、ポストカード

が架かっている。両方とも僕の好みの選択だが、

彼にとってもツボらしい。今日初めてお会いした。

その彼がしきりに気にしていたのが

「ジュリア」のオリジナル・ポスター。
 

「ジュリア知っていますか?」
「いいよね、フレッド・ジンネマン」
「ジンネマン好きなんですか」


フレッド・ジンネマンは「地上より永遠に」「真昼

の決闘」で知られる映画監督。派手さは無いがアカ

デミー監督賞に7度ノミネートされ2回授賞された。

名匠ジンネマンを知っているとは恐るべし。

会話の中でジンネマンの名を聞くのは、

映画フリーク仲間との会話以来、ほぼ40年ぶり。
映画は、劇作家リリアン・ヘルマンの自伝的短編を

自身が 脚色している。ファーストシーンは、短編

タイトルの「Pentimento」(ペンティメント)と

いう言葉の意味の説明から始まる。完成して数年

経った絵画の下から、以前に描かれた絵や色彩が

浮き上がって見えるようになることを指すと女性の

ナレーションが伝える。ナレーションの主が主役の

ジェーン・フォンダなのか、それともリリアン・

ヘルマン自身なのか不明だ。一連のインシデントを

数年後に振り返って浮かび上がった真相を指すのか

これも不明だ。

リリアンが、当時同棲していたダシール・ハメット

(ハード・ボイルド小説マルタの鷹の原作者)の

アドバイスを貰いながら、時に癇癪を起こし、

タイプライターを窓から放り投げながらも脚本を

執筆するシーンが印象的だ。負けん気の強さが

伝わる。若かりし頃、女闘士と呼ばれたJ・

フォンダと被る。
物語は、リリアンの幼なじみのジュリアが反ナチス

のレジスタントだったため、巻き込まれて奔走する

リリアンの姿を サスペンスフルに描き出す。

フランスからドイツへ大金を届けるために乗る列車

内の、大金を隠した帽子入れをめぐるカットバック

が、ち密な演出のジンネマンらしい。

出演シーンは少ないが鮮明な印象を残したD・ハメ

ット役の、J・ロバーツはアカデミー助演男優賞に

輝いた。リリアンを飛行場で出迎える場面で、

微笑みながら無言でソフト帽をちょっと持ち上げる

コート姿は最高にカッコいい。ただし彼はオスカー

授賞式に姿を見せなかった。(IMdbによると)授賞式

司会者のボブ・ホープは「今頃マーロン・ブランド、

ジョージ・C・スコットとブリッジしているに違いな

い」とジョークを言った。(ブランドもスコットも

授賞辞退で式を欠席している)。ボブ・ホープの

ジョークは全てスピーチライターが書いていたが、

これは彼のアドリブだろう。

ジュリアを演じたバネッサ・レッドグレープは助演

女優賞を取ったが、授賞スピーチでの政治的発言以降

表舞台から消えた。

ジンネマンの経歴の中で、らしさが少ないように思え

る作品だが、アカデミー賞をはじめ、世間的には評価

された。ただ、公開当時は、たまたま女性を主人公と

する映画が多く、同時期に公開された「愛と喝采の

日々」「結婚しない女」「アリスの恋」などと同一

視線で観られた(気がする)のがちょっぴり残念。

 

最近のアカデミー賞授賞式の司会者の力量不足を痛感

JR岐阜駅改札階から、北側方面、長良川へ続く
金町通りのセンターライン上にプロムナード
(散歩道・散策空間)を作る。
長住町、金宝町、徹明通、柳ケ瀬、若宮町、
美江寺の主要交差点にはエレベーターを設置し、
バリアフリー化する。終点は長良川堤防沿いの
忠節町の公園とする。全長約2.5km。

プロムナードにはベンチ等休憩出来るスペースも
必要だ。最も必要なのは日除け。強い日差しを
避け、快適に散策するため、プロムナード全体に
渡り、日差しを遮る工作物を設置する。
西日対策が特に重要だ。屋根(防水)である必要は
ない。気候条件に応じてウォーターミストも
必要だ。緑化も必要だ。花も植えよう。

プロムナードが出来ると何が起きるか。
早朝にウオーキングする習慣の人が、車に干渉され
ることなく、地上よりもゴミ、チリの少ない空間を
歩き、見通しの効くプロムナードを利用する。
自家用車による送迎者、バス利用者が健康のため、
車による送迎を止め、あえて歩くためプロムナード
を利用する。休憩スペース利用者のための休日等は
ドリンク、スイーツ供給業者が集まる。人が集まる
とイロイロなイベントが派生する。通勤通学者が
駅から帰途につく途中で、仲間同士でメディアコス
モスへ寄って自習したり本を借りたり、玉宮町、
柳ケ瀬周辺で飲食したりと夢が膨らむ。
 

モデルとしたのは、東京世田谷の東急二子玉川駅
から南東方向ヘ、ショッピングモール、オフィス、
マンション等と直結しているプロムナードだ。
二子玉川公園を抜けて最終的に多摩川堤防まで
約1.1km繋がっている。
僕が行ったのは平日夕方だったが、子供の手を
引いて帰宅するらしき女性、暗くなる前に散歩
する老夫婦等の姿が見られた。

妄想なので事業にいくら必要かも考えていない。
鵜飼観光事業とも結び付けることは可能かと
思うが、地方創生地域活性総合特区に関する
深堀りが必要。
 

妄想は広がる

その人はベージュのステンカラーコートで現れた。

土地の隣地境界の立ち会いのためだった。

小柄ながら背筋がシャンと伸びた方だった。

ステンカラーコート=アクアスキュータムと安易な

想像をしたが、首元からのぞくネイビーの

マフラーのタータンチェック柄から、

コートもバーバリーだっただろう。

境界の確認は互いに異議もなく簡単に終わった。

後日知ったが、東証プライム企業の役員だった。
その後、色々と相談を受けるようになった。

 

既に駐車場にしていた土地の整理、未利用土地の

有効利用など多岐に渡った。何故か僕のことを

気にいってくれた。所有不動産はかなりあり、

旧市街地では指折りの大地主さんだった。

全面的に管理させて頂くことになった。


その方が亡くなり、数年前奥様も亡くなった。

コロナ禍もあり葬儀はなく、息子さんからの連絡

で知った。その方の相続登記をした司法書士が、

間違いだらけで依頼したくないので、

誰か紹介して欲しいと。では僕がやりましょうと

相続登記手続きを引き受けた。
必要書類一式取り揃えて貰い、

登記申請書を作成し、息子さんと一緒に

法務局へ持って行った。
息子さん以外の相続人と合わせると、

土地だけで50筆以上あり、当然登録免許税額も

高額な登記申請が、司法書士ではなく個人が

申請したので受付の人は驚いていた。

司法書士に依頼すると7桁の手数料が必要な

登記だったが、報酬は貰わなかった。
相続税支払いのための相続財産売却は、

所得税が不要となる制度を利用するため、

息子さんと相談し、住民税が一気に

増えないように、3年に渡り指定された

不動産売却を仲介し、相続税を支払い終えた。

 

ステンカラーコートの画像を探したが、イメージに

ピッタリなものがなかったので、IMDBから

マンハッタン物語のスティーブ・マックイーン

画像を借りました。