カリフォルニアで学んだホリスティック療法

カリフォルニアで学んだホリスティック療法

ホリスティック療法士 /10年のアメリカ暮らしを終えて日本に戻りました。代替療法、自然療法、ソマティックワーク、アーユルベーダ、瞑想、ヨガ、英語のことなど。

4月から少し、メンタルが落ち気味の私。

 

 

他人に対する期待

自分に対する期待

状況に対する期待

 

この値が強すぎて

 

満たされないと、怒ったり、モヤモヤしたり、落ち込んだり。

 

 

ふと、亡くなった母の写真を見て

母に今の思いを伝えたらどう言うだろうと考えたけれど

 

私の記憶の母親は「こうしたほうがいい」「こうしたら?」という

アドバイスをする人ではなく、いつも困ったような顔をする。

 

でもいま、生存していたら違うのかな、なんて考えていた。

 

 

ふと思い出して、海外に住んでいるYちゃんに連絡してもたら

お母様が急逝されたとのこと。

 

ちょうど書店にはいり、目に留まった「命日占い」

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

Yちゃんへのメッセージを伝えてみた。(Yちゃん、号泣)

 

 

そして私と母についても読んでみたら

号泣。

 

 

 

いなくなってしまってごめんなさい。

 

 

その1行が、ぶっささって

号泣。

 

 

そうなんだよなあ、

 

 

 

「天空の目」が私と母との関係性でした。

 

 

母との絆を通して、周囲の人、世界に大きな影響を、与えていくかもしれない。

 

 

あなたがもう一つの目になろう。

 

 

 

 

母は、きれいなものが好きな人でした。

洋服、装飾品、美容

 

そんな母がある日、これからは介護の仕事がくる。といって資格をとり

パートを始めた時は驚きましたが

生き生きとしていました。

 

しかしながら、震災を境に塞ぎがちになり

 

「人が死んでいく姿を見る」(介護施設において)

 

そうぽつりと呟いて悲しそうにした姿。

 

 

 

母はいつも死ぬことに対して何の恐怖もない

 

そう言っていたのに、弱くなって美しいものにも興味がなくなり

急に老け込んだ母を見て

 

恐怖を感じました。

 

 

 

だから・・・・・・というか

私が今、医療現場で働き「元気で」いても

母のような瞬間が来るのかと恐怖に感じているのかな。

 

美しい、環境で働いても

その瞬間が来るのかな

 

 

なんてくるくる感情が吹き出しているのです。

 

 

 

ただただ今はこの感情を味わえばいい。

さみしいな

かなしいな

不安だな

 

 

 

声を聞きたいな

 

 

 

でも、一番は「笑顔を見たいな」

 

 

 

かもしれません。

 

 

アメリカで住んでいた時、

ビザの関係で収入を得ることができない時期も長くあり

 

どんどん貯金が減り

そうすると心にも焦りが生まれ

余裕がなくなってきました。

 

私の幼少期、友達の誕生日の時は母親が現金を私に与えてくれて

これで友達の誕生日プレゼントを買っていいよといってくれていたので

 

私は、お金の心配などする必要がなかったので

「与える」ことに余裕があり、

友達にプレゼントを渡し、その相手が喜んでいると

私も嬉しい気持ちになり

ああ、与えるって気持ちの良いものだなあと思っていたけれど

 

私の中に余裕がないと

ものでも気持ちでも与える余裕がなくて

 

そうすると与えることで満足していた自分が満たされず

 

ぎすぎす

満たされない

不満足な私がいました。

 

 

今あるものを手放すと

なくなってしまうのではないか。

なくなってしまうと今よりも辛い気持ちになるのではないか。

 

そんな不安が雪だるま式に増えていくのです。

 

 

準備していた資金が底をつくというとき

私は、日本に戻りたくないという気持ちもありながら

 

ながれ

 

により日本に戻ることになるのです。

 

 

 

そこから、地元を離れ、東京で初めて暮らすことになるのですが

ここでも

余裕

 

がありませんでした。

 

新しい土地、限られた収入、

自身が何を他人に、社会に与えることができるのか・・・・・

 

ある日の出来事で

どん底におちたのです。

 

 

 

どうして私がこんな目にあうのか、

そう、その時の私は思っていたけれど

 

いま、振り返ると

慢心、があったと認めざるを得ません。

 

 

慢心、

 

決して意図していたわけれではないけれど、

あったのです。

 

だから、わたしはどん底に落ちる気持ちになる出来事を引き寄せます。

 

 

 

その経験を経て、

そして、「あのとき」の私と同じような

慢心をもつ人と同じ部屋で働くことになり

 

あのとき、の周りの人の気持ちを味わうことになるとは

 

 

カルマ

 

なのかもしれません。

 

 

 

あの時の私は、

 

こんなに頑張っているのに

こんなにできるのに(ある職種では)

 

 

認めてもらっていない

休息できない

 

なんて 自分で決めて自分で苦しんでいて

そしてまわりをまきこんでいたのですが

 

 

 

全員にGIVEしたほうがいい、しなくてはならない、したほうがいいでしょう。

 

 

そういう自分の理想にむけて無理やり動いていたら

どんどん

 

不満もたまっていて

 

 

その経験を経て、

 

「自分」の心地よさをよく感じ取ると

 

 

GIVEする相手は選んでいい。なのです。

 

 

ひとりひとりのLOVEタンクの容量は決まっていて

 

私自身が、世の中全員に対しGIVEするタンクの容量はないんだ

そう認め、

そして世の中全員に対しGIVEできるのではなんて

思う自分を俯瞰で見ると

 

なんて、勘違いしているのだろう

と。

 

 

 

だから、

 

本当にGIVEしたい相手だけにGIVEすればいいのです。

 

本当は見返りなんて気にしなければいいのだけど

 

見返りを気にする自分であるのなら、見返りがなくても

自分は与えたいか、その基準で判断すればいい。

 

では、その基準はどこなのか。

 

 

他人基準ではなく

 

自分基準であるしかないのです。

 

 

自分基準はどう定めるか。

 

 

自分の本当の心の声に聞く、従うしかないのです。

 

 

 

 

 

 

以前、同じことをブログに書いたかもしれませんが、

 

アメリカに居住していた時に、風邪のような症状がつづき近くのクリニックを受診しました。

韓国人の先生ですが、日本語が担当な先生で

日本の病院で診察を受けているような感覚になり安心感がありました。

 

日本の病院(当時の)と同じように

症状を告げると「風邪ですね」といわれ 

薬を出しておきます。

 

以上。正直その薬が何に効果的で、副作用はなんて説明はなく。

 

 

当時の私は、それが「ふつう」だとおもっていました。

 


ある日、その院長が休診のため、米国人の医師が代わりをつとめました。

英語での診療。

 

そこで症状を伝えると

 

そうですね、4つの選択肢があります。

 

1つは、⚪︎⚪︎という薬をーくらい飲みます。効果はー、副作用としてはー

2つ目は、⚪︎⚪︎という薬、これはー

3つ目は、⚪︎⚪︎という薬、これはー

4つ目は、薬を飲まないで様子を見る

 

こんな感じで説明がありました。

 

そしてわたしがどうしたいかを聞いてくださったのです。

戸惑いと同時に

とても尊重されている、私も自分の症状にむきあい、自分で治していくという意思を持たないといけないと感じました。

 

 

 

日本の医療現場では、

医師にあえば、よくしてくれる

医師のいうことをそのまま従えばよい

 

そんな患者さんが多い気がします。

 

それが悪いというのではなく、私がアメリカで経験したようなことを

日本で経験している方がまだ多くないからかもしれません。

 

 

 

薬を飲めば本当に「よい」ことだけおこるのでしょうか。

それと引き換えに、副作用はないのでしょうか。

 

医師に助けてもらえるという一方的なものではなく、

自分はどうするか、

 

 

双方の力があってこそ、よりよい結果になると

そうおもっています。

 

 

 

 

 

 

能登半島の中学生100人の集団避難のニュースを見て

自身の阪神大震災のときのことをおもいだしました。

 

あの時、我が家も半壊判定は出たものの

家の形は残していたし

幸い、近所で怪我をおったひともいなかったのですが

 

両親がわたしをしばらくの間、親戚の家に移動させました。

 

私自身は、残る両親のことや

その場を離れる自身のことはあまり考える余裕もなかった時に

 

 

「ボランティアとかして、助ける側に回る奴も多いのにな」

 

実兄がわたしに発した言葉です。

 

 

今でも記憶に残っているので、

 

 

能登の子供達が、他人から言われた言葉や

自分で感じる気持ちで

 

傷つくことなく

 

 

そして1日も早い

心の平穏、家族との再会を

祈ります。

 

 

わたしの兄はメディアで働いているのですが

 

このように時に

 

え?

 

という言葉を発します。

 

 

 

時にはその言葉はわたしにとっては傷つくとか

辛いとか

 

「わたしは」と主語をつけても

 

素直に言葉を受け入れないとか

感謝しないとか

 

時には逆ギレかといって声を荒げたり。

 

 

 

ふう・・・・・・。

 

 

わたしがわたしの感性で感じるように

 

兄も兄の感性で感じ、そして 発しているので

 

 

伝えても伝わらなない。こともあるのですが

 

 

 

 

まずは、自分を守ること。

 

 

それは実親からであっても実の兄弟から出会っても

相手は誰でもです。

 

 

 

ああ、相手はこう考えるのだな。

 

 

「でも」

 

 

自分はこう感じるんだな。

 

 

そうして

 

自分は自分の気持ちを、こころを大切にすればいいし

 

相手の発した言葉に

 

 

傷ついても

傷つき続けるかを選択するかどうかは

 

 

自分次第。

 

 

セルフラブ。こんな時代だからこそ、

大切に。

 

 

つい最近、あることをきっかけに

 

 

「英語、もう一度きちんとやろう」とふとおもいました。

 

 

 

私は、英語に力を入れていた高校に通っていて

あまりに詰め込みすぎるばかりに、追いつかず

結局「むりだわ」と匙を投げ・・・・・・・

 

大学受験のために一生懸命勉強することなく

推薦入試を選びました。

 

 

長く、アメリカで済んだので「英語できるんでしょう」といわれるけれど

 

基礎力が低い。

 

 

 

圧倒的に単語力がないのです。

(文法力も)

 

 

なので・・・・・・絶対やる。今度こそは、

 

 

と昨日からですが

頑張っております。

 

 

TOEICのバイブルと言える 金フレを。

 

何周もすること、これが成功への道のようですが。

 

 

さて、私はどこまで頑張れるのでしょうか。

 

 

 

 

 

遅い夏休み。直行便を払う予算を考えていなければ、LCCでいいかなとおもったので

日本ーバリ島は、LCCを使用しました。

 

ベトジェット。

 

遅延で有名みたいですが、私の場合は日本ーハノイ、ハノイーバリ島、往復ともに遅延はなかったです。

 

 

行きの飛行機は、インド人の多さに驚き

帰りの飛行機は、ベトナム人の多さに驚きました。

 

 

いろいろな旅行の仕方があると思いますが、

値段なりの、それなりの、いろいろがありました。

 

 

帰りは、オーストラリア人もちらほらみえたのですが

酔っててハイ(薬をやってそうな・・・・・・)な

オージーが、大声で話して、プライバシー顧みずビデオを回し、

いきなり空いている席に移ったと思ったら

3席で横になり大きなイビキをかいて

着陸前にも、シートベルトを絞めず

CAに何度も起こされる(起きない・・)

 

行きは、9人以上のインド人グループ、

窓側に長女らしき子供が座りたがって、赤ちゃん(一歳くらい)も窓際に行きたくて

泣き叫び

両親がまわりに「席を譲ってください」というのですが

言われた人は「余分のお金を払って、窓際選んでるので譲りません」と誰も

かわってはくれない。

 

5時間程度? ずーーーーーーーーーーーーーと泣いていました。

日本人ならば

子供が泣いてすみません と席を経ってあやし始める(人が多い・・・)のですが

そんな気配は一切ない。(笑)

 

もちろん席も狭いし、映画もブランケットも水もでない。

 

 

そろそろ私も、LCC卒業だなあと

感じた旅でもありました。

 

 

とはいえ、これも経験。

 

 

 

 

 

昔バリ島のビーチといえばクタとかサヌールとかが有名で

いまは

どの人に聞いても

あついのはチャングーだというのです。

 

そのあついチャングーにウブドで泊まっていた宿で知り合った

韓国人の女の子と一緒に行ってみました。

 

ウブドからチャングーへは1時間くらい

シェアなので一人1200円くらい。

 

海は綺麗で夕焼けは機会があればぜひみてほしい。

 

 

でも「熱いスポットで激推しか?」と聞かれると

 

うーーーん、どうでしょう。

 

 

海は波が高いのでサーフィンする人には最高

しない人には

リゾート地としてプールのついた宿でゆっくりすごすとしても

 

ウブドほどの地域の人との関わりも少なくて。

 

 

 

 

 

チャングーまでのドライバーが

「スピリチュアルカウンセラー」のようで

 

 

濃い1時間でした。

 

 

 

 

韓国人の女の子といかに日本や韓国で自⚪︎がおおいかというはなしをしていると

苦笑しながらドライバーさんが話しかけてくれました。

 

 

過去は過去

未来は未来

 

なぜ今を生きないのかと。

 

 

過去にいろいろあったとしても

今を生きていれば過去の感情はもうすでに

 

過去のもの。

 

 

今を生きる、感じるためには

 

呼吸が重要であると。

 

 

 

時に意地悪な自分になってもそれはそれで

自分で責任を負えば

問題ないのではないか

 

 

相手がどんな酷い態度をとっても

悪態をついてきても

自分自身がぶれなければ

何も影響されることはない

 

 

などなどなど

 

 

韓国人の女の子と

初めてあったドライバーの車に乗って

二人

 

涙したのでした。笑)

 

 

空港までもあなたの運転がいいなーというと

 

 

他のドライバーにあうのも

また経験だよ

そこでもまた気づきや出会いがあるから。と

 

 

 

そして本当に、そうかんじる出会いがあったのですが・・・・・・これはまた別の機会に。

 

 

 

 

このドライバーがいったのは

 

ヨガバーンもチャングーも

本当のバリではなく作られたもの。

 

でも、それでも

「違い」を経験して

 

自分で感じるものがあればいい

 

そういわれて

 

 

まさに。

まさに。と噛み締めたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅い遅い夏休みを取り、ベトナム(1泊)とバリ島に行ってきました。

出発日3日前に行く、と決めて前日に飛行機をとるという・・・・・・

 

目的地はバリ島でしたが、安い飛行機を探すとハノイ(ベトナム)経由くらいしかなく

ハノイ1泊、バリ島という旅行になりました。

 

バリはロックダウンされる2020年1月を最後に行った国、

そしてコロナ終息後はじめての

旅行地としました

 

私は、ウブドが好きなのですが

自分自身の変化と

バリ島の変化、

 

色々感じた旅でした。

 

 

もちろん、どんなものも

一瞬一瞬変化していくものですが

 

この変化を大きく感じる、認識するための旅、だったのかもしれません。

 

 

そして、いろいろな人との出会いの中で

 

私が大切にすることと、これを本心ではしたいことなのだな

と感じることなど

 

 

答えを確認するたびにもなった気がします。

 

 

 

 

少しずつ、ブログにこの旅のことを書ければいいなと思います。

 

 

 

写真は、白いマンゴ。

中身が白なのです。

味は、グワバみたいな感じ。ねっとりとしていて甘かったです。

 

黄色のマンゴも種類によって味が違いますが、

この白も取れる地域で違うそうです。

 

 

今は、マンゴシーズンとのことで

2キロで200円(200ルピア)程度でした。

 

 

2020年には130ルピアが今回は100ルピア換算でしたので

随分と「アジアを旅行した、安かった!」という感覚は少なくなってしまいましたが

 

果物に関しては

「天国」です。

 

 

 

 

仕事で日本語から英語への翻訳が必要な場面があるのです、

google 翻訳も随分と進化していい相棒になりつつありますが、Chat GPTで

表現を確認すると「自信」をもった内容になります。

 

 

私の場合、まず日本語で作りたい文章を簡単に作ります。

英語で表現するために、まずは言いたいことを最初に持ってきて・・・というように

日本語の表現とはかえます。

 

その後、自身で英語に翻訳した後、google 翻訳にかけて内容を確認。

 

google で翻訳された英文を見ると日本語で言いたい意味合いではない場合も度々あるので注意する必要があります。

 

その後、chat gpt にかけて、よりポリッシュされた英文にします。

 

 

ここでも、chat GPTさんが、日本語の内容からずれて記載することがあるので

ダブルチェックする必要があります。

 

 

chat gptにかければ、それで終わり、ではなく

 

人の目で確認して、内容を精査してこそ

欲しいものが手に入ります。

 

 

このギャップが必要なのでやはり基本力がないと

使いこなせない、chat gptは素晴らしいアシスタントですが

アシスタントの仕事を最終チェックするボスは

人なのです。