カリフォルニアで学んだホリスティック療法

カリフォルニアで学んだホリスティック療法

ホリスティック療法士 /10年のアメリカ暮らしを終えて日本に戻りました。代替療法、自然療法、ソマティックワーク、アーユルベーダ、瞑想、ヨガ、英語のことなど。

 

 

12月14日(日)DAY2
パンチャカルマ(ミニ)の2日目

 

最初に伝えておくと
既に私は2回、規則を破りました。

2回とも食事です。

 

9日間のプログラムにおいて最初の4日間は朝の6時30分にギーをのみます。
そのあと2時間食事をとりません。

そして9日間、施設で出る以外の食事は取らないことなのですが

既に2回、「パン」を買って食べました。

だってそこに私のお気に入りのパン屋さんが徒歩圏内にあるから。
奇跡です。(施設から徒歩圏内にいつも利用するパン屋さんがあるなんて)

 

ギーをとっても
食事も提供されます。朝はスープ、昼はキチュリ、夜も消化がいいものですが

出るんですもの。1つのパンくらいいいじゃないですか
私の心が体が欲しているんだもの

と言い訳したら、天罰なのか子猿に背中から襲われました。
猿に襲われた時はどうしたらいいのか・・・・・・

ちょうど猿監視員が近くにいたので追い払ってくれましたが
猿監視員がいない時はどうするのか。

 

そんなことより DAY2のことですね。

ギーは2日目、チートのパン
お腹は下します。痛い!という激痛ではないですが
あ、お腹を壊すなとわかる痛みがきてお腹を下します。

 

朝・昼・夜
食事が提供されますが
お腹が空いたら食べる
空かなければ食べなくていい 

 

正直、がっかりしたのはせっかく医師がドーシャ判断するにも関わらず食事は皆同じです。
ついでにいうとヨガ・メディテーションのインストラクターもWOWではない。

ウブドにはWOWなインストラクターがいるので
舌ではなく体が肥えてしまっているのでしょう。

 

 

こうして批判的なことを書くのもドーシャの乱れということにします。

 

 

先ほど、ランチの際に

うーん・・・とおもうことがありましたのでシェアします。(くだらないことです)

 

 

だされたキチュリのなかに髪の毛がはいっていました。

 

大量のキチュリなので残すのも嫌だけど食べ進めるのも嫌だなと思い

キッチンに持って行き、ここに髪の毛が・・というとそのスプーンでキチュリ全体をかき混ぜ始めました。

 

えーーー、かき混ぜたら具の中に髪の毛が・・見えなくなるでしょう・・・・・

ちょっとまってといっても

ふたりしてかき混ぜています。

 

もうええわ!そうおもい

もういいよ、怒っているわけではないの

小さな食事をいただけますか

 

そう伝えても

生姜の毛だろとか2人で言っています。

 

 

おい!もうええねん! ドーシャの乱れた私と「全てに意味がある」ことに意味を見出そうとする私

 

 

2人して見えないです。と言われて

 

 

 

むかっとする気持ちと

残念な気持ち

 

 

そして昨日のコンサルテーションで言われたこととリンクします。

 

 

自信のなさ、自己肯定感の低さ。

 

 

 

少し、「ああ、髪の毛ごときで言いにいくんじゃなかったな」と自分を責め

 

その後に、いやいや、これくらいはいいでしょうという自分

 

 

その後に「いや、はいっていたから」と主張することで クレーマーになることが見える悲しさ。

 

 

 

こんな色々をこの空間では考えています。

ありがたいですね。

毎日、仕事のこと、職場のことでいっぱいいっぱいだったのに

自分自身に時間が取れるなんて。

 

 

この後はトリートメントセッションです。

アビヤンガ、シロダーラ、スクラブ

 

バリは、雨季。曇っていてますがその分暑さが強くなく過ごしやすいです。

 

 


 

 

 

 

私の父はいわゆる「毒親」でした

モラハラ。
ロジハラ。
フキハラ。

暴力こそありませんでしたが、言葉や表情による暴力は、それはそれは強烈でした。

恐怖とストレスで声が出なくなったり、過呼吸になったり…。
「このままでは壊れてしまう」
そう思っていた矢先に、母が交通事故で亡くなりました。

そして私は、毒親の父と二人きりで暮らすことになります。
母を失った悲しみと同時に、父と二人になる絶望感。胸が押し潰されそうでした。

 

母がいなくなった朝

翌朝、母がしていたように牛乳を温め、あるもので簡単に朝食を用意しました。

すると父は、
「こんな緩い牛乳など飲めるか!」
「ましな朝食を出せないのか!」
と怒鳴りました。

あの瞬間の絶望感は、今でも鮮明に覚えています。

 

海外へ行く決意 「このまま二人で暮らすのか? 本当に後悔しないのか?」

自分と向き合ったとき、心に浮かんだ答えは――

海外に行こう。
とりあえず半年。何もない場所へ行こう。

そう決めて、必死に英語を勉強しました。
父を説得できるようにと、ある程度レベルの高いプログラムを選び、TOEICの勉強に打ち込みました。

そして、半年のつもりが、気づけば10年。
10年もの海外生活を送ることになったのです。

 

 

それでも消えない恐怖心

しかし、10年経っても父への恐怖心は消えませんでした。
私は関東に住み、父との距離をとるようになりました。

やがて地元に戻ることになりますが、心の中での葛藤は続きました。

 

 

転機 ― バリで見た空

大きな転機は、2年前のバリ旅行でした。

チャングービーチで心を揺さぶられるような空を見たとき、ふと気づいたのです。

「過去は過去。今は今なんだ。」

それは父や親からの物理的な訣別ではなく、
心理的な「過去との別れ」でした。

いえ、むしろ――
「今と向き合うこと」 だったのかもしれません。

 

 

 

変化と気づき

そこから、父への接し方が驚くほど変わりました。
怖くて涙が出る私ではなくなったのです。

今、涙が出るとしたら――
いつか父との別れが来る、その寂しさや不安から。

私たちは、どれほど「過去の言葉」「過去の出来事」にとらわれているのでしょう。
なぜ「いま、この瞬間」を生きられないのでしょう。

 

 

腑に落ちた瞬間

10年以上、ホリスティックやウェルネスに携わっても、どこか「芯に落ちない」感覚がありました。

けれどある日。
ある人の言葉と、自然の中での体験によって、
ストンと心に落ちたのです。

私たちが生きている限り、この気持ちは生ものであり、揺れ動き、変化していく。

そのとき、そのときの言葉や感情を味わってこそ――

それが「生」なのだと。

 

 

OLIVEさんのようにおもえるようになりたい。そう思う方に伝えることができるのならば

繰り返し

過去は過去

今は今、

 

今目の前にいる相手と

今、ここにいる自分は

 

もうあの瞬間のふたりではない そう自分に伝え、

そしてそれを体感して

 

勇気を持って、相手を、そして自分を見ることだと思います。

 

 

とはいえ、

ジョーティッシュでいうカルマ(業)があり

そのタイミング、時期が違えば

今私が体感できているものも感じ取れないのかもしれない。

 

ジョーティッシュで流れを知り、自分を知り

よりよい日々をつくることもおすすめです。

 

 

 

 

私の尊敬するボディワーカーの師は、こんなことを言いました。

お金を払ってセッションを受けに来るクライアントに、
なぜ施術者であるあなたが世間話をするのですか。

もしクライアントが「あなたの話を聞かせてください」と言ったとしても、
「いまはあなたのセッションです。
あなた自身の思いや意識に集中しましょう」
 

 

思い返せば、以前に何度かお願いしたセラピストさんがいました。
一生懸命で技術も悪くないのですが、施術の中でこちらがネガティブなことを吐き出すのを待っているような雰囲気がありました。
前向きな言葉を伝えると「本当ですか?」と疑うように返してきたり、施術中にご自身の話を延々と続けたりすることもありました。

気がつくと、気持ちがスッキリしないまま終わることが多かったのです。
そのため、1年半ほど足が遠のいていました。

 

そして先日。
「自分自身が変化したから、受け取り方も違うかもしれない」
そう思って、再び予約を入れてみました。

けれど、結論は……同じでした(笑)

師の言葉が心に残っていたこともあり、やはり落ち着かない空間だったのです。

 

 

 

あなたは、誰のために、何の目的でプラクティショナーとして活動していますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変お久しぶりです。

 

6月末から7月頭まで米国アッシュビルにあるAyuruvedic Instituteにて講座を受けてまいりました。

楽しかった!

 

Dr LADにいつかお会いしたいという漠然とした夢をLAD先生もご高齢、私もアッシュビルまでいつまでも

元気で行くことができる保証があるとおもうなと自分に言い聞かせて

行ってまいりました。

 

関西ー東京ーミネアポリスーアトランターアッシュビル

果てしなく遠かった。

 

 

でも、こんな長距離移動ができたのだからまたどこにでも行けそうな気がする。とエネルギーをいただきました。

 

 

40名弱の参加者に日本人は1名。

ほとんどがアメリカ人でしたが

南アフリカからの参加者、ヨーロッパからの参加者もいらっしゃいました。

 

研修の内容自体は、簡単なものでしたが

朝から夕方までハンズオンで実際にトリートメントを受けて、提供して・・・

楽しかった。地味にマッサージテーブルにリネンを引く作業でさえうきうきしました。

 

 

私のこの旅のハイライト、いえ、人生での?ハイライトともいえるのは

LAD先生に直接質問をしてお答えいただけたこと。

 

 

英語が通じているのか、と不安になりましたが

最後にあなたのお名前は?と聞かれて

 

2回繰り返し行ったあと

 

beautiful, beautiful mind, beaitiful soul といわれて

 

 

涙が止まりませんでした。

 

 

日々、腹がたつことや、悲しくなること、

ネガティブな感情がわきあがることもありますが

 

LAD先生の立ち振る舞い、言葉、そして指導の姿に

 

今世ではたどり着くことはないだろうけど、でも

すこしでも彼のようになれたらいいな、そう、おもい

 

「あれ?」とおもう感情が起こった場合は、

 

一呼吸して

 

私は、なにを感じているか

私は、なにを選択したいのか

 

そう落ち着いてみることにしています。

 

 

 

この年齢になって「師」とおもえるかたに出会い、実際に会えたことは

私の財産となりました。

 

 

 

また時間をとってこの経験を書き記していきたいと思います。

 

 

 

2020年の1月、銭湯に行った翌日にコロナ発症

そして。2024年12月、またもや銭湯に行った翌日にインフルエンザを発症いたしました。

潜伏期間があるはずですので、「疲れたなあ」とおもって銭湯に行く、そのあと、発症するという流れだと思うのですが

 

人生初インフルエンザ感染はなかなかなものでした。とはいえようやく今朝解熱したので

あと数日は休みたいと思っています。

 

今回のことでおもったことをいくつか残しておきたいと思います。

 

常備薬、常備食料品(ゼリーなど食べやすいもの)、水を常に準備しておくこと・・・・・。

体力がない時には買い物やアマゾンを検索する気力さえもありません。

 

仕事について:ここ数ヶ月、本当に忙しかった。人生において一番働いてました。その中でも苦しいとおもいながらもすすめていたことがいったん目処がついたのでそのタイミングでのインフルエンザ発症でもありました。

やはり無理は祟ります。

体力つけて、日々の仕事も境界線引きながら、休息しないといけないなとおもいます。

 

こっちが息も絶え絶え布団の上で苦しんでいる中

容赦なく飛んでくる「おやすみのところ恐れ入ります。」メール、チャットに

ぞっとしました。

どんな時も相手の環境を想像できる人でありたいとしみじみ思いました。

 

 

総括。2025年は体力つけて、心身ともに健康でいたいとおもいます。

4月から少し、メンタルが落ち気味の私。

 

 

他人に対する期待

自分に対する期待

状況に対する期待

 

この値が強すぎて

 

満たされないと、怒ったり、モヤモヤしたり、落ち込んだり。

 

 

ふと、亡くなった母の写真を見て

母に今の思いを伝えたらどう言うだろうと考えたけれど

 

私の記憶の母親は「こうしたほうがいい」「こうしたら?」という

アドバイスをする人ではなく、いつも困ったような顔をする。

 

でもいま、生存していたら違うのかな、なんて考えていた。

 

 

ふと思い出して、海外に住んでいるYちゃんに連絡してもたら

お母様が急逝されたとのこと。

 

ちょうど書店にはいり、目に留まった「命日占い」

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

Yちゃんへのメッセージを伝えてみた。(Yちゃん、号泣)

 

 

そして私と母についても読んでみたら

号泣。

 

 

 

いなくなってしまってごめんなさい。

 

 

その1行が、ぶっささって

号泣。

 

 

そうなんだよなあ、

 

 

 

「天空の目」が私と母との関係性でした。

 

 

母との絆を通して、周囲の人、世界に大きな影響を、与えていくかもしれない。

 

 

あなたがもう一つの目になろう。

 

 

 

 

母は、きれいなものが好きな人でした。

洋服、装飾品、美容

 

そんな母がある日、これからは介護の仕事がくる。といって資格をとり

パートを始めた時は驚きましたが

生き生きとしていました。

 

しかしながら、震災を境に塞ぎがちになり

 

「人が死んでいく姿を見る」(介護施設において)

 

そうぽつりと呟いて悲しそうにした姿。

 

 

 

母はいつも死ぬことに対して何の恐怖もない

 

そう言っていたのに、弱くなって美しいものにも興味がなくなり

急に老け込んだ母を見て

 

恐怖を感じました。

 

 

 

だから・・・・・・というか

私が今、医療現場で働き「元気で」いても

母のような瞬間が来るのかと恐怖に感じているのかな。

 

美しい、環境で働いても

その瞬間が来るのかな

 

 

なんてくるくる感情が吹き出しているのです。

 

 

 

ただただ今はこの感情を味わえばいい。

さみしいな

かなしいな

不安だな

 

 

 

声を聞きたいな

 

 

 

でも、一番は「笑顔を見たいな」

 

 

 

かもしれません。

 

 

アメリカで住んでいた時、

ビザの関係で収入を得ることができない時期も長くあり

 

どんどん貯金が減り

そうすると心にも焦りが生まれ

余裕がなくなってきました。

 

私の幼少期、友達の誕生日の時は母親が現金を私に与えてくれて

これで友達の誕生日プレゼントを買っていいよといってくれていたので

 

私は、お金の心配などする必要がなかったので

「与える」ことに余裕があり、

友達にプレゼントを渡し、その相手が喜んでいると

私も嬉しい気持ちになり

ああ、与えるって気持ちの良いものだなあと思っていたけれど

 

私の中に余裕がないと

ものでも気持ちでも与える余裕がなくて

 

そうすると与えることで満足していた自分が満たされず

 

ぎすぎす

満たされない

不満足な私がいました。

 

 

今あるものを手放すと

なくなってしまうのではないか。

なくなってしまうと今よりも辛い気持ちになるのではないか。

 

そんな不安が雪だるま式に増えていくのです。

 

 

準備していた資金が底をつくというとき

私は、日本に戻りたくないという気持ちもありながら

 

ながれ

 

により日本に戻ることになるのです。

 

 

 

そこから、地元を離れ、東京で初めて暮らすことになるのですが

ここでも

余裕

 

がありませんでした。

 

新しい土地、限られた収入、

自身が何を他人に、社会に与えることができるのか・・・・・

 

ある日の出来事で

どん底におちたのです。

 

 

 

どうして私がこんな目にあうのか、

そう、その時の私は思っていたけれど

 

いま、振り返ると

慢心、があったと認めざるを得ません。

 

 

慢心、

 

決して意図していたわけれではないけれど、

あったのです。

 

だから、わたしはどん底に落ちる気持ちになる出来事を引き寄せます。

 

 

 

その経験を経て、

そして、「あのとき」の私と同じような

慢心をもつ人と同じ部屋で働くことになり

 

あのとき、の周りの人の気持ちを味わうことになるとは

 

 

カルマ

 

なのかもしれません。

 

 

 

あの時の私は、

 

こんなに頑張っているのに

こんなにできるのに(ある職種では)

 

 

認めてもらっていない

休息できない

 

なんて 自分で決めて自分で苦しんでいて

そしてまわりをまきこんでいたのですが

 

 

 

全員にGIVEしたほうがいい、しなくてはならない、したほうがいいでしょう。

 

 

そういう自分の理想にむけて無理やり動いていたら

どんどん

 

不満もたまっていて

 

 

その経験を経て、

 

「自分」の心地よさをよく感じ取ると

 

 

GIVEする相手は選んでいい。なのです。

 

 

ひとりひとりのLOVEタンクの容量は決まっていて

 

私自身が、世の中全員に対しGIVEするタンクの容量はないんだ

そう認め、

そして世の中全員に対しGIVEできるのではなんて

思う自分を俯瞰で見ると

 

なんて、勘違いしているのだろう

と。

 

 

 

だから、

 

本当にGIVEしたい相手だけにGIVEすればいいのです。

 

本当は見返りなんて気にしなければいいのだけど

 

見返りを気にする自分であるのなら、見返りがなくても

自分は与えたいか、その基準で判断すればいい。

 

では、その基準はどこなのか。

 

 

他人基準ではなく

 

自分基準であるしかないのです。

 

 

自分基準はどう定めるか。

 

 

自分の本当の心の声に聞く、従うしかないのです。

 

 

 

 

 

 

以前、同じことをブログに書いたかもしれませんが、

 

アメリカに居住していた時に、風邪のような症状がつづき近くのクリニックを受診しました。

韓国人の先生ですが、日本語が担当な先生で

日本の病院で診察を受けているような感覚になり安心感がありました。

 

日本の病院(当時の)と同じように

症状を告げると「風邪ですね」といわれ 

薬を出しておきます。

 

以上。正直その薬が何に効果的で、副作用はなんて説明はなく。

 

 

当時の私は、それが「ふつう」だとおもっていました。

 


ある日、その院長が休診のため、米国人の医師が代わりをつとめました。

英語での診療。

 

そこで症状を伝えると

 

そうですね、4つの選択肢があります。

 

1つは、⚪︎⚪︎という薬をーくらい飲みます。効果はー、副作用としてはー

2つ目は、⚪︎⚪︎という薬、これはー

3つ目は、⚪︎⚪︎という薬、これはー

4つ目は、薬を飲まないで様子を見る

 

こんな感じで説明がありました。

 

そしてわたしがどうしたいかを聞いてくださったのです。

戸惑いと同時に

とても尊重されている、私も自分の症状にむきあい、自分で治していくという意思を持たないといけないと感じました。

 

 

 

日本の医療現場では、

医師にあえば、よくしてくれる

医師のいうことをそのまま従えばよい

 

そんな患者さんが多い気がします。

 

それが悪いというのではなく、私がアメリカで経験したようなことを

日本で経験している方がまだ多くないからかもしれません。

 

 

 

薬を飲めば本当に「よい」ことだけおこるのでしょうか。

それと引き換えに、副作用はないのでしょうか。

 

医師に助けてもらえるという一方的なものではなく、

自分はどうするか、

 

 

双方の力があってこそ、よりよい結果になると

そうおもっています。

 

 

 

 

 

 

能登半島の中学生100人の集団避難のニュースを見て

自身の阪神大震災のときのことをおもいだしました。

 

あの時、我が家も半壊判定は出たものの

家の形は残していたし

幸い、近所で怪我をおったひともいなかったのですが

 

両親がわたしをしばらくの間、親戚の家に移動させました。

 

私自身は、残る両親のことや

その場を離れる自身のことはあまり考える余裕もなかった時に

 

 

「ボランティアとかして、助ける側に回る奴も多いのにな」

 

実兄がわたしに発した言葉です。

 

 

今でも記憶に残っているので、

 

 

能登の子供達が、他人から言われた言葉や

自分で感じる気持ちで

 

傷つくことなく

 

 

そして1日も早い

心の平穏、家族との再会を

祈ります。

 

 

わたしの兄はメディアで働いているのですが

 

このように時に

 

え?

 

という言葉を発します。

 

 

 

時にはその言葉はわたしにとっては傷つくとか

辛いとか

 

「わたしは」と主語をつけても

 

素直に言葉を受け入れないとか

感謝しないとか

 

時には逆ギレかといって声を荒げたり。

 

 

 

ふう・・・・・・。

 

 

わたしがわたしの感性で感じるように

 

兄も兄の感性で感じ、そして 発しているので

 

 

伝えても伝わらなない。こともあるのですが

 

 

 

 

まずは、自分を守ること。

 

 

それは実親からであっても実の兄弟から出会っても

相手は誰でもです。

 

 

 

ああ、相手はこう考えるのだな。

 

 

「でも」

 

 

自分はこう感じるんだな。

 

 

そうして

 

自分は自分の気持ちを、こころを大切にすればいいし

 

相手の発した言葉に

 

 

傷ついても

傷つき続けるかを選択するかどうかは

 

 

自分次第。

 

 

セルフラブ。こんな時代だからこそ、

大切に。