ギブアンドテイク | カリフォルニアで学んだホリスティック療法

カリフォルニアで学んだホリスティック療法

ホリスティック療法士 /10年のアメリカ暮らしを終えて日本に戻りました。代替療法、自然療法、ソマティックワーク、アーユルベーダ、瞑想、ヨガ、英語のことなど。

 

アメリカで住んでいた時、

ビザの関係で収入を得ることができない時期も長くあり

 

どんどん貯金が減り

そうすると心にも焦りが生まれ

余裕がなくなってきました。

 

私の幼少期、友達の誕生日の時は母親が現金を私に与えてくれて

これで友達の誕生日プレゼントを買っていいよといってくれていたので

 

私は、お金の心配などする必要がなかったので

「与える」ことに余裕があり、

友達にプレゼントを渡し、その相手が喜んでいると

私も嬉しい気持ちになり

ああ、与えるって気持ちの良いものだなあと思っていたけれど

 

私の中に余裕がないと

ものでも気持ちでも与える余裕がなくて

 

そうすると与えることで満足していた自分が満たされず

 

ぎすぎす

満たされない

不満足な私がいました。

 

 

今あるものを手放すと

なくなってしまうのではないか。

なくなってしまうと今よりも辛い気持ちになるのではないか。

 

そんな不安が雪だるま式に増えていくのです。

 

 

準備していた資金が底をつくというとき

私は、日本に戻りたくないという気持ちもありながら

 

ながれ

 

により日本に戻ることになるのです。

 

 

 

そこから、地元を離れ、東京で初めて暮らすことになるのですが

ここでも

余裕

 

がありませんでした。

 

新しい土地、限られた収入、

自身が何を他人に、社会に与えることができるのか・・・・・

 

ある日の出来事で

どん底におちたのです。

 

 

 

どうして私がこんな目にあうのか、

そう、その時の私は思っていたけれど

 

いま、振り返ると

慢心、があったと認めざるを得ません。

 

 

慢心、

 

決して意図していたわけれではないけれど、

あったのです。

 

だから、わたしはどん底に落ちる気持ちになる出来事を引き寄せます。

 

 

 

その経験を経て、

そして、「あのとき」の私と同じような

慢心をもつ人と同じ部屋で働くことになり

 

あのとき、の周りの人の気持ちを味わうことになるとは

 

 

カルマ

 

なのかもしれません。

 

 

 

あの時の私は、

 

こんなに頑張っているのに

こんなにできるのに(ある職種では)

 

 

認めてもらっていない

休息できない

 

なんて 自分で決めて自分で苦しんでいて

そしてまわりをまきこんでいたのですが

 

 

 

全員にGIVEしたほうがいい、しなくてはならない、したほうがいいでしょう。

 

 

そういう自分の理想にむけて無理やり動いていたら

どんどん

 

不満もたまっていて

 

 

その経験を経て、

 

「自分」の心地よさをよく感じ取ると

 

 

GIVEする相手は選んでいい。なのです。

 

 

ひとりひとりのLOVEタンクの容量は決まっていて

 

私自身が、世の中全員に対しGIVEするタンクの容量はないんだ

そう認め、

そして世の中全員に対しGIVEできるのではなんて

思う自分を俯瞰で見ると

 

なんて、勘違いしているのだろう

と。

 

 

 

だから、

 

本当にGIVEしたい相手だけにGIVEすればいいのです。

 

本当は見返りなんて気にしなければいいのだけど

 

見返りを気にする自分であるのなら、見返りがなくても

自分は与えたいか、その基準で判断すればいい。

 

では、その基準はどこなのか。

 

 

他人基準ではなく

 

自分基準であるしかないのです。

 

 

自分基準はどう定めるか。

 

 

自分の本当の心の声に聞く、従うしかないのです。