とっても安らげる、お家が最高ー!

 

タイ(ホアヒン)のアパートに帰ってきての感想だ。

 

僻地の住宅地だから夜中も昼間も比較的静かなのだ。それに、必要な日用品や食品を買い出しにいくマーケットやモールも近いのでな生活するには直好し。

 

2年ほど前まではバンコクの飛行場近くのアパート暮らしだったので国際旅行をするためにはもっと便利だったが、コロナで仕事がなくなり、試しにとホアヒンに住んでみた。

 

今回は都内のお宿から成田、マニラ、バンコクを経由してタクシーでアパートにたどり着くのに16時間かかった。フィリピン航空だったので迂回飛行とトランジットに3、4時間近く余分に時間をとられている。

 

バンコク住みだったら、①空港からタクシーで移動する3時間が短縮され、プラス②直行便で迂回飛行やトランジットがなければ、日本からタイまでドア・ツー・ドアで、たぶん12時間の移動時間で済むだろう。

 

さて、帰ってきて逆に目につくというか化学臭で鼻につくのは大気汚染の凄さだ。工場地帯があり車の多いバンコクあたりからもタイランド湾を越えてどんどん排気ガスがこのホアヒンにも流れてくる。この辺りは何もないはずだが工業製品作りによる経済成長のとばっちりをしっかり受けているのだ。

 

 

そして、その視野をアジア全体に拡大すれば、最速経済成長地域のインド(観測ポイントが少ないので大したことないように見えるのは見せかけで実は真っ赤っか)から中国にかけて極度な大気汚染に見舞われている。経済成長ってそういうことなんだよ。それを見事に海外に押し付けた日本を見よ!大気のクリーン(グリーン)さは歴然としているではないか。

 

 

もう日本は何十年前にか終わった公害がこのアジア地域で起こっているのだ。CO2なんか屁でもない。なんとかせんといかんのはまさに高度経済成長を目指すアジアの国々で起こっているこの「大気汚染問題」なのだ。

 

 

フィリピンに行く用事がある以外はたぶんもう使わないだろうなと思った。

 

一回使ってみて判断しようと思っていたが、結局、わざわざ使う必要がないと思った。

 

 

タイ・日本間にはたくさんの航空会社の直行フライトがあり、それを使う方がちょっとぐらい高くても(1、2万円なら)良いだろうと思った。

 

そういう意味でZIPとかエアエジアあたりが妥当だと思う。

 

直行便でも6時間7時間のフライト時間。ハワイに行くのとそう変わらない。

 

それをわざわざ迂回してフィリピンに一旦降りて、荷物を積み替えて、乗り換え便を長い時間待って、わざわざ日本までいく。もしくは日本から帰る。気ばっかり使って、時間と手間の無駄である。

 

今回はバンコク・成田便だった。

 

日本行きは夜中発、お昼過ぎ到着の便。そんな時間に夜食をとる必要はない。

 

タイ行きは朝9時半に成田を出て、6時前にバンコクに着く日中の便。これはタイミング的にはまあまあの便だ。乗り換えなので朝、夕と食事が出るが、7時間の直行便で一食あれば十分だろう。

 

この航空会社のいろいろな乗り継ぎ便をすべて調べてみたが、最短でも日本行きで3、4時間、タイ帰りで1時間半の乗り継ぎが発生する。

 

なんでこれまで一回も使ったことがなかったかというと、フライトをブッキングする際に、どこにも預け入れ荷物や手荷物の制限重量が記載されていないことだった。今回他社と比較していて、その難点がカバーされていた。この点は評価する。これまでは国際線をとばす航空会社としては最低の部類に入ると思っていた。

 

今回使ってみて一番目についたのは、荷物をたくさん持ったフィリピン人乗客が多くて、チェックイン・カウンターの前で荷物の詰め替えをやっていて、すべての乗客をチェックインさせるためにものすごく時間がかかっていた。往復便ともそうだった。どうりで遅延や混乱するわけだ。

 

なんであらかじめ荷物の数や重さをチェックしておかないのだろうか?ワチなんかお宿の秤を使って3回ほどパッキング演習をして万全のパッキングにしたぞ。結局、キャリーバッグ、デイパック、手提げバッグ、書籍を入れた手提げ袋、ジャケットのポケットに忍ばせるモバイル製品と5つに分けられ、すべての大きさと重量は把握済みにしたものだ。

 

荷物重量オーバーで手数料を稼ぐLCCじゃないのに、機内持ち込み手荷物7kgにこだわる理由はなんなのだろう。それも解せない。

 

食事はまあまあ。というか十分。安い便なので文句は言わない。

 

地上職員やCAの応接はそれほど悪くない。もちろん一機にひとりぐらいハズレもいたけど。

 

預け入れ荷物では日本行きの便でキャリーバッグのお守りが消えた。そんなもの持っていくなよ!

 

タイのチェックインでは、トランスファーの荷札が途中で紛失しないようにテープで頑丈にとめていて感心した。多分、フィリピンにある空港の荷物移送作業員を信じていないのだろう。

 

*2023/03/02 ニュース

フィリピンのマニラ空港。タイからマニラ経由日本行きのフライトのトランジットの保安検査で、タイ人男性が検査官に現金を奪われる被害が発生し、その様子がカメラに捉えられていました。

 

 

 

逆に、成田の航空会社カウンターでは接着テープもついていないペラペラのトランスファー荷札を使っていて、ベルトコンベヤーを移動中に脱落する可能性があるのではと心配した。作業員がちょっと893もんの雰囲気を漂わせているのも気になった。

 

機内持ち込み手荷物につける荷札の方には剥がれ落ちないようにわざわざ接着テープがついているのに。移動における振動が激しく、国際移動ではなくなりやすい預け入れ荷物の荷札がペラペラのストリップって逆じゃないか?やはりこの航空会社のトンチンカンぶりが目につく。

 

そのことが気になってマニラ空港のバンコク行きゲートでキャリーバッグが積載されたか聞いたら剣もほろろに断られた。そんなこといちいち調べていられるかというコメント付きで。それにちょっと遅延したがそれに関するアナウンスもなかった。まとめれば、やはり安かろう悪かろうということだと思った。

 

まあ一回使って懲りたからいいけど。お勉強代である。

いや〜まいった。汗

 

買ったばかりのiPhoneが見当たらない。昨日夕方、散歩に持って出たきりその存在すらすっかり忘れていた。iPadでそのiPhoneの位置情報を確認するも19日の外出したときの地図データしかない。今日は23日。昨日使ったのになんでiPadでは古い情報しかないのか苛立たしい。

 

仕方ないので古い方の内部データを消去したiPhoneを再度セットアップして「探す Find Me」をたちあげその消えたiPhoneを探す。すると電源が入っていないと出てくる。くっそー!どうなっとるんや!

 

iPhoneがどこにあるか当てどはないか探しに行くか〜と部屋の入り口でジャケットを着込みマスクをしてふと横を見ると、

 

あ〜iPhoneが壁に取り付けれたズボンプレス機の上に置いてあった。唖然。(^◇^;)

 

た、たぶん、昨日外から帰ってきてジャケットを脱いだときにズボンプレス機の上に置いたらしい。それすら記憶にない。自分のふがいなさが腹立たしい。涙

 

タイでも似たようなことをよくやっている。外から帰ってきて部屋に入るときに物理的キー🔑を使うが、キーを使った直後そのことをすっかり忘れて部屋に入り、鍵穴にはキーが差し込まれたままになっている。そんなことだ。お恥ずかしい限り。

 

今回の日本ではある種のヨーガによって老眼を元の視力の良い状態にもどせると言うことを発見した。これは意外に大発見だった。老眼解消のためにはある程度腹筋など体幹を鍛える必要がある。それが成功の鍵だ。

 

(これは最近のブログに詳細を書いたのでここでは繰り返さない。老眼を解消したい人は読んでほしい。)

 

しかし、大きな課題が残った。離日直前に「しょっちゅう記憶が飛ぶのをどうにかしろ」とこのiPhone紛失は起こったようだ。

 

大きい課題だが、なんとか解決のいと口をみつけたい。ガンバロー ✊

2年ぶりの日本だった。

 

日本はいいな〜と思った。何が良いって?

 

・思いやりがある

・譲りあう精神がある

・親切丁寧(な人が多い)

・安全、安心

・衣食(住)が豊富でサービスも良く便利

・公害がなく空気がきれい

 

日本だけに住んでいるとわからないことだが、日本はこれでもトータルでとても住みやすい国なのだ。

 

「かわいい子には旅をさせよ」と言うが、ある地域に一定期間いるような、それを何地域か巡るような、ちょっと長めの国際旅行をさせると良いと思う。できたらあまり危険でない発展途上国が良いと思う。

 

脱線した。

 

夫婦や家族やご近所さんや同僚など、あまり深い利害関係に入ると煩悩剥き出しでやり合うので危ないかもだけどw ほどよい距離をとったパブリックな社会的関係では、日本社会は成熟の域に達していると思った。

 

日本を総合点で100点満点とするとタイは70点程度だろうか。いろいろなところがずさんで落とし穴がいっぱいあるw

 

この大甘の評点は、コロナで2年間もタイ国内に釘づけにされていたので「となり(日本)の芝生は青く見える」という側面もあるw

 

例のバッド・オーメンはまだ続いていて、お宿のエアコンがうまく作動しなくなったり、Wi-Fiで繋がりやすい日本のサイトとほとんど繋がらないサイトが出てきたりとネット接続にムラが出たりする。まあこれは致し方ない。なんとなく理由もわかっている。結構、人によっては呪いのパワーはすごいのだ。狙われないように気をつけようね。わちの妄想もはいっているので話半分でw

 

むかしは日本でもこれを全開で使っていたのだろう。タイでは今でもブラックマジシャンがいて実稼働中だ。まじで。タイにいるのはお化けだけじゃないぞw

 

すでに亡くなっているが政木和三さんが「精神エネルギー」と言う名で超能力研究にも触れているので興味のある方は読んでほしい。ネットにも同著があがっているので無料で読める。あの船井幸雄さんがぜひ読みなさいと遺言を残している本だ。

 

また脱線したw

 

ほぼ全日程消化したんで気が抜けてきたのだと思う。怪我しないように、飛行機に乗り遅れないように、気をつけて帰りたいw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だいたいいつも5時ごろに目を覚ますw

 

なぜだかタイにいるときよりも1時間も早い目覚めだ。外はまだ真っ暗だ。

 

軽くストレッチをやって体をととのえ起き上がる。

 

6時ごろ外が明るくなるので、セブンにコピーとカレーパンを買いに出かける。もうパラパラと人が歩いている。

 

お宿に帰ってきて、パンとコーヒーを取りながら、SNSのニュースで昨日、今日の出来事にちょっと目をとおす。

 

それから、もう買うものもほぼなくなったので(後はお土産の根付けの紐だけ)最後のパッキング演習を行う。

 

空港で詰め替えたりしなくて済むようにだ。それに預け入れにすると途中のマニラ空港での乗り換えで荷物が消えることだってある、持てる荷物はなるべく機内に持ち込みたい。行きの飛行機で不用意にキャリーバッグにつけておいたあるものを盗まれたので用心だ。30年ほど飛行機を使ったが(ちっちゃいものだが)盗難は初めてのことだ。これもバッド・オーメンだった。

 

今回の旅の教訓は多少チケットが高くなってもバンコク・日本の直行便を選ぶべきだ、ということ。トランジットはいろいろリスクが多いと認識した。

 

荷物は5つに分類された。

・キャリーバッグ(預け入れ荷物)

・手提げバッグ(手荷物)

・デイパック(手荷物)

・本3冊(手荷物)

・モバイル製品(ジャケットのポケットへ)

 

モバイルだけでも2キロもあることを自覚した。ぜんぜんモバイルやないやん!

 

手荷物の重さはギリギリ7キロなので、チェックインで大きすぎるとかいちゃもんをつけられなければ機内に持ち込めるだろう。まあ初めて使った航空会社なので最後まで何が起こるか油断はできない。

 

今回は旅の始まる前から今まで不穏なことが何回も続いている。用心用心。

 

パッキングの最後の目安が立って一安心となり、郵便局とカレーランチに出かけることにした。今日はカレーの日w

 

(昨日はまわるお寿司に行ったw それでくじ引きがあたり、輪投げをやったw 3本とも柱に引っかかった。店員さんに上手ですねと言われた。不穏なことが何回も起こっている今回の旅行のようなときは、こういう運気が上がるサインは重要だ。)

 

ランチ後、一旦お宿に戻り、荷物を部屋に残して「根付けの紐ハンティング」に出かけることにした。日曜日には、以前売っていた近辺まで歩いて行ったが見つけられなかったやつだ。

 

 

 

門前町なのでもしかしたらと思い、まずお宿の近くのお土産屋さんに行ってみた。それらしきお店に入るとお土産用の安い根付けはあった。なかなかいい勘だ。

 

運気を上げるにはコツがあって、いい感じの方向や、いい感じのお店など、始終「いい感じ」を頼りに進むと、いい感じになってきますw

 

ついで言うと、自分の体調や気持ちも「いい感じ」にしておくことです。

 

店員さんに「根付けの紐」の方だけ売っていませんかと聞くと、浅草橋あたりはそういったものも扱う問屋街だから、そこに行ってはどうかというすばらしいアドバイスをもらった。単なるアルバイトの売り子さんだったら知らない情報だ。こうやっていい感じになってきます。

 

交番で聞くと歩いて30分ぐらいだという。快晴の気持ち良い日なので今日も歩くことにしたw

 

問屋街と聞いたがどこに何があるかは不明。最寄り駅あたりに着いて、まず一軒目に挑戦。根付けはあったが紐だけはない。店員さんに聞くと親切にわざわざ店の前まで出て、通り向こう側のあの店に多分あるだろうと教えてくれる。その2軒目の店に行くと色とりどりの紐がバラ売りされていた。やったー!

 

しつこい性格なので他にも同じような商品を扱う店を探そうと歩いたが、ある店に入るとおじさんがぼくが最初に行った1軒目の店を紹介してくれた。なかなかいい勘だ。

 

こういう不祥事が立て続けに起こるときに、自分の勘が当たって、それを後押ししてくれる助けびとが現れるのは重要な運気上昇の証拠である。つまり、不祥事という運気下降が打ち消されているということだ。

 

午後に「根付けの紐ハンティング」に出て、紐を見つけて、お宿に帰るまで歩きも含めてちょうど2時間。めでたしめでたしだった。

 

これで今回帰国のミッションはすべてクリア〜で、ほっとした。To Doリストも全部(済)マークがついて今日役目をおえた。

 

帰りにスーパーに寄って、伊予柑とチーズケーキと明日朝食にするピザパンとインスタントドリップコーヒーを買った。

 

やっとこちらの寒さにもカラダが馴染んだところだが、もうそろそろ日本おいとまする時期だ。やれやれ💦

 

 

 

今日も運動を兼ねて朝5.3キロほど歩いて銀行に行った。

 

都心の街並みは掃除されていてとてもきれいだと思った。後、歩行者のみなさんお行儀が良い。車が走っていなくても赤信号だと横断歩道端に立ち止まって青信号になるまでじっと待っている。

 

今日行った銀行のビルは、なんと先週行った銀行のビルのちょうど裏側にあった。

 

今回の帰国のミッションのひとつは、紙通帳ベースから、オンラインバンキングに全部変えることだった。それだとタイからでも利用できる。

 

それも今日ですべてアコンプリッシュド!(テレビドラマ「Get Ready」の決め台詞)。

 

今回、銀行のサービススタイルは会社によって随分と違うものだと痛感した。かたや老舗大手、かたや新興。

 

前者は天井が高く、だだっ広いロビーにずらーっとカウンターが並んでオンラインバンキング申し込みも専任の女性がついていた。もちろん対面の個別カウンターで座って相談ができる。

 

後者は18Fにあって、しかも立って処理をする対面カウンターがたったの2つしかない。お隣同士、話は筒抜け。とってもしょぼい。今日は、オンライン申し込みと使い方の指導に45分かかった。立ちっぱなしで。でも応対してくれたお姉さんが気さくな人でストレスなく用事を終えられた。サンキュウー。

 

昨日、今日と少しウォーキングしてみて分かったこと。

 

やはり使っているデイパックは、歩いていると肩に余分な負担がかかる粗悪品だと分かった。今日は昨日より2キロほど荷物を減らしたがそれでも首、肩甲骨、背骨と疲れてくる。以前から同じ会社の製品40リットル、30リットルのサイズのバックパックを使っていて、その関係でまあまあだったのこのデイパックを購入したが、思ったほど良くはなかった。こういうのって同じ会社でも当たり外れがあるので、実際に使ってみまるでなかなか使用感はわからない。街歩き用ではあるがせめて10キロぐらいのウォーキングでストレスがなく使えるように作ってもらいたいものだ。

 

銀行での用事を終えて、11時ごろお宿近くまで帰ってきて、まわるお寿司を食べたw ここは広々として天井も高く、明るくてきれいで2年ほど前にはじめて利用した。そう言えば、まわるお寿司デビューは2020年だ。

 

あと日本でランチを食べられるのも数回。名残りおしい。

 

その後お宿に帰ってきて、再度「理想のパッキング」を試みる。やはり一番頑丈なキャリーバッグに隙間なく詰め込むのが得策だと思った。米国製で30年間使ったが、チャックが壊れることなくずっと使えるのがすごい。

 

デイパックと小型の買い物バッグはやわなので、無理な詰め込みはできない。

 

今週は、もう仕事からは離れているが、日本でしか目を通せない書籍を3冊購入してタイに持ち帰って読むことにした。今中身をチラ見している最中だ。センセイショナルなことがたくさん書かれているツイッターではあるが、それは大見出し、中見出しほどの情報量しかない。やはりSNSだけで知りたい情報をすべてカバーするのは難しい。だから書籍がある。

 

3時のティーブレイクに昨日買った豆大福を食べながら窓から外を見たら、お寺の境内には平日だと言うのにたくさんの観光客が行き交いしていた。2年前にコロナ禍が始まった頃は、ここもほんと誰もいなかった。それで、ああコロナもやっと終わったんだなと思った。

 

(新しいiPhoneで撮った境内の写真が、画素数が多くてアメブロに添付できないのが残念)

 

 

今日は6時に起きて6時半に魔のお宿をたった。さらなる災厄がふりかからないように出立は早い方が良いw

 

それで地下鉄で7時半ごろ、つぎの、そして今回の帰国につかう最後のお宿に着いた。ここは「門前町」でマイブームな場所でもある。なんせお寺の所有地と言われるそのあたりには「結界」があって内と外とじゃバイブが大違いだ。ありきたりだが、心が安らぐ暖かい気に包まれている。以前、建設工事で日本中あちこち行く友人をここに呼んだら、この町の人たちはすごく感じがいいと感心していた。

 

今日はオフなので、最後の買い物に行って、その後、やはりジジババの聖地と言われるお寺まで歩いて行った。デイパックは後から測ったら6キロもあった。流石に最後は右肩が疲れて辿り着いた駅前で何気なくヨーガをやって体を整えたらかなり疲れも取れた。

 

実はタイへのお土産として、数年前に買った根付けの紐がめずらしいものなので欲しかったのだが、残念ながら商店街を歩き回っても見つけられなかった。

 

 (写真は借り物です。)

 

今日は薄曇りだった。風邪引かないようにほとんど○極越冬隊バリの防寒服で過ごしてきたが、今日はフリースだけで歩けるほど暖かかった。春近し。

 

流石にダイソーからは結構歩いただろうと思った。後でお宿に帰ってGoogleマップで計算したらダイソーまで3.2キロ、ダイソーから5.8キロを歩いていた。合計9キロ。まあまあの距離だ。むかし(戦前)はみんなこれぐらいは毎日歩いていたらしい。

 

その町からお宿のある門前町までバスが出ていると言うのを知っていたので、乗ったら、バスは荒川界隈をあっちゃこっちゃ1時間ほど走りまわってくれていい下町見物になった。下町に住むジジババばかりがかわるがわるたくさん乗ってきた。社会の老齢化はもう待ったなしの現象だと思った。

 

お宿のある門前町に着くとたくさんの人がバスを降りた。午後1時ごろ。

 

思い出していつもの町中華にお昼を食べに行ったら、顔見知りのおじさんが陽気な大声でお客さんの接待をしていた。2年ぶりだ。あそこに行くとほんと声だけで元気をもらえる。元気そうでホッとした。

 

朝7時半にお宿にキャリーバッグを預け外出。用事を終えて1時半にやっとお宿に戻ってきたら歩き疲れてもうヘロヘロだった。

 

というかデイパックのつくりが雑で、肩甲骨まわりに疲労が溜まるようだった。

 

だが、そうも言ってられない。

 

タイに帰って消費する食品などの荷物もアマゾンからお宿に届いていて、まだ帰タイまで5日あるのだが、とにかく各バッグに目一杯パッキングをしてみておおよその荷物の重さを測ってみることにした。

 

気になったらその場でやり終えないと気が済まんせっかちな性格だ。ちょっと神経症っぽいとも思うw

 

・キャリーバッグ 16.5キロ

・サイドバッグ 4キロ

・バックパック 6キロ

 

だった。

 

キャリーバッグは中に入れる荷物が軽ければ通常は機内に持ち込める周辺合計115cmの小型のものだ。このキャリーバッグも30年ほど前にカリフォルニアに出張した際に向こうの同僚が同伴してくれて彼女のご指名で買った懐かしい品だ。あの頃は日本でもまだキャリーバッグを持っている人は少なかった。

 

それはその当時、アメリカン航空のクルーが使っていたものだと聞いた。特徴はスーツを入れるコンパートメントがあって、それがビジネス旅行にはとても便利だった。

 

話をパッキングに戻そう。すでに各バックに目一杯押し込んでこの重さなので、明日からの、最後の週はこれ以上の買い物は御法度だと分かった。

 

ここまで作業を終えて、コーヒーを淹れて、お風呂に浸かり、買ってきた塩大福と巻き寿司を食べてちょっとくつろいだ。

 

今日は良く歩き、買い物の予定も済まし、予想外のバス下町観光もして、ランチには町中華のおじさんにも会い、午後いっぱいかけてパッキングも終え、ホッとしている。

 

このお宿は、Wi-Fiもスムーズに繋がるし、みんな親切丁寧だし、町も雰囲気いいし、もう無理しないで最後の週はのんびりしようと決めた。この旅日記を書きながら。

このことをドイツ人医師から聞いたのはもう30年ほど前のことだ。

 

場所はモルディブだったと記憶する。

 

日本だと37.5度の熱を出すと飛行機に搭乗できなくなると聞いていたので、帰国してからも体調管理にはかなり気を使った。今も使っている。

 

大体湿度が50%を切ると、寝ていても咳が出て、いがらっぽくなる。風邪まであと一歩だとわかる。そこで加湿器をお宿在室中はガンガン回している。夕方お宿に戻ってくると衣服を洗濯して硬く絞ってハンガーに干す。これでもかなり違う。あっという間に乾いてしまう。大体60%だと息が通って心地よく過ごせる。

 

むかしはこんな真冬に帰国するとドライスキンなので体中の皮膚がカサカサになってフケのように脱落して大変だった。今回はなぜかそれが止まっている。知られざるタイ住み効果だとほくそ笑んでいる。だてにタイにいるわけではない。

 

帰国した1週目2週目は、夕方の3時過ぎにはなぜかへとへとになっていた。慣れない眼鏡を使って活字を見続けているせいだと思う。5時まで継続するのは無理なので4時で早退していた。

 

ところが昨日は朝は銀行によって(往復6キロほど歩いて)用事を済ませたのち、昼前に職場に辿りつき軽い朝食をとりほとんど休みなく、しかも眼鏡なしで作業をしたのに、全然疲れることなく7時まで仕事をしていた。不思議だ。

 

日本のこの冬の環境に適応したんだと思う。それは視力も含めてだ。

 

もちろん後遺症的に痛むところもあちこち残っているが。

 

ちょうど3週目の終わりにだ。

 

それでモルディブであったドイツ人医師の話を思い出した次第だ。極端に気候の違い場所に移動したときは健康管理の目安になる知見だ。

 

新しい気候環境に体が慣れる3週間は無理しないで過ごせということのようだ。

タイのような異文化に触れて帰ってくると驚くなようなことを再発見する。

 

今日もとある銀行に言って銀行員の優秀さに驚いた。

 

・オンラインバンキングをはるか昔に申し込んでいた

・ただ使ってないのでパスワードを再登録しなければならない

・そのためには乱数表がいるのだ(この安全性追求が日本の銀行らしい)

・乱数発生機は今登録してある日本の住所に送ってもらうしかないがすでに別の場所にいるし、その発送には時間がかかりすぎて今回は無理

・それで銀行の支店でオンラインバンキングへの移行を手伝ってくれることになった

・昨日、その作業をしたがパスワードを入れても弾かれるので、今日、その支店を再訪した

・その作業はスムーズに終わったが、話は紙の通帳の紛失届の話になった

・自分ではすでに紛失届を出しているつもりだったがどうも違うらしい

・オンラインでの預金の出し入れの記録は今日からできるが、さまざまなその他のサービスをオンラインでやり、かつオンライン上に記録を残すには、かなり込み入った手続きがいるらしい

・たくさん書類を書かされ、署名を繰り返した

・そして、その作業が終わり、まず紙の通帳を廃止し、全ての銀行や他社とのやりとりがオンライン上でできるようになった

・朝9時の営業開始時間に入店し、その作業が終わったのは11時近かった

・きちんとマスクをして酸素供給が80%あたりまで減衰している状況にありながら、銀行員の女性は滞りなく疲れる様子もない様子だった

・親切で、確実に作業をこなし、不満の様子を示すこともなかった

・こんなことは自分の知る限りではタイの銀行では見られない。どっかでミスをしたり、間違った説明や作業で、後日呼び出されることが多々あるのだ。ぶーたれることだってあるw

・日本では当たり前のことだろうがタイでは当たり前でないことが多い。このケースもそんな日本人の勤勉さや優秀さを示すひとつだ

・まあ、日本にいればいるで色々あるが、ぜひ前向きに捉えて暮らしてほしいと思う。

日本に住んでいると当たり前なのだろうか?

 

と思うことが幾度かあった。

 

・人のあまり乗っていないバスでマスクを外していると、睨みつけられ、「車内ではマスク着用必須」のアナウンスを流すバス運転手

 

・歩いていたらいきなり前を遮って「アウトドア用品をバッグに入れていないか?」とアタオカ職質する警官(職質受けるのは何十年ぶり)

 

・何かの理由でぼくのネット接続もWi-Fi接続も止めてしまって「全館、昨日より通信障害で利用不可です」とうそぶくホテルマン(実は別の機材では通信環境は動いていると確認していてそんな浅はかなウソは見抜かれている)

 

これらはここ3週間の間にぼくの身に起こった出来事だ。個人の自由をいろいろな理由をふりかざして統制する力があちこちで働いているように思った。

 

偶然だろうか?コロナ前には経験したことがない、と記憶する。

 

街に出るとすべては、何事もなく、つつがなく流れているように一見見えるのだが。

 

タイはある意味緩すぎて何事もいい加減な側面もあるが、いたって自由な国である。日本のように、見えない蜘蛛の巣でやんわりと個人を縛り上げて自由を奪う風潮はまだ感じられない。

 

例えばタイでは、部下を叱責するのは御法度だと聞く。

 

たぶんこのように個人を統制していこうというたくさんの小さな動きが、ギスギスとして息の詰まりそうな日本社会の空気に繋がっているのだろう。

 

確かに日本の街はキレイで、お金さえあれば便利で、安全安心な居ごこちのいい社会ではあるが、少しずつ夕闇がせまっているようにも思うのはぼくの考えすぎだろうか?(リーマン時代の上司だったら、君は根暗なんだよ、だからすぐにそっちの方に考えが傾斜するんだ、と言うだろう。そんな声が聞こえてくるw)