昨日夕方、iPadのネット接続がとまったのでフロントに連絡を入れたが、改善されなかった。クレイムを受け付けた担当者は何もいわずに帰ってしまった。

 

夜になってiPhoneのネット接続も止められた。

 

フロントに行って別の担当者に頼んで一瞬だけ良くなったがまたすぐに切断される。

 

仕方なく朝を待って朝マックに出かけて接続、そして職場で再度接続を確保。

 

今日は帰ってきてフロントに電話すると「全館問題が出ていてネット接続できません」というウソをつげられる。それを言っている女性の声がくぐもっていて、なんとなく無理に言わされている感じを受けた(上司の命令か?)。

 

昨日は二人のフロントマンが、スマホはつながりますと言っていた。

 

いくつか機材を持っていてつながるものもあるのを、ぼくも知っているのだw

 

結局、何らかの理由でiPadのMACアドレスをねらってネットもWi-Fiも拒絶するように仕向けているのだろう。なんで?

 

新しく買ったスマホにiPadからデータやアプリを移行したせいかな?

 

お宿でネットを使用を止められるなんて、人生はじめてのことだ。

 

理由も説明せず。慇懃無礼に何事もなかったようにサービスをやめる。

 

やっぱり変なホテルだ。

 

なぜだろうか?やっぱり例の呪いのせいか?なんちって。

 

 

ほぼほぼスケジュールを消化し、離日がせまっている。帰国前に組んだスケジュールに大きな変更はなかった。

 

例の呪いのオーメンがなん度も浮上したが、なんとか切り抜けてきた。例えば、昨夜もお宿のWi-FiがなんとぼくのiPadとiPhoneだけ接続できない状態になった。フロントの人たちのスマホは問題なくつながっているのに。今日もあるところに行ったがWi-Fiが繋がらなかった。ラッキーなのは職場のWi-Fiでは問題ないこと。こんなことは人生はじめてのことだ。今回のこの執念深い責苦の正体は大体見えている。と妄想はここまでにしておこう。

 

来週のスケジュールは予備として、フリーにしてあるが、残っている資料も多いので、もう、それをお宿に持ち帰ってなるたけ読み続けて終わりになるだろう。というか、やはり老眼気味の目で活字を追うのは結構辛い。

 

まあ、特に行きたいところも浮かばないし(というか居心地のいい地域に泊まるのでラッキー)。心静かに最後の週を終えられれば満足だ。

 

日本でしか入手できない品々も最後の週を過ごすお宿に送った。あとはパッキングするだけだ。荷物は来たときの2つからひとつ増えて3つになるだろう。預け入れ荷物が、マニラのトランジットで紛失しないことを祈ろう。

 

毎朝タイの市場でお世話になっている人たちにもミニ土産を持ち帰りたい。もうスーツケースがパンパンになることは目に見えていて、嵩張るものは無理そうだ。

 

今回はいくつかの興味あるテーマに迫れた。

・ワンワールド計画

・カバール、ディープステイツの正体

・現実認識の古くて新たな手法

 

結局、欧米による世界支配のシステムは確実に日本にいるわれわれも蝕んでおり、5GW(第五世代戦争)をいかにして生き残っていけるかが焦眉の急なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

サルでも使える情報機器でうりの例のストアにタブレットの電池交換に行ったら、こう言われた。

 

・お客様の電池使用サイクルの残量は83%

・通常の電池交換サービス(15,000円、最近まで10,000円だった)を受けるにはこの残量が79%以下である必要がある

・お客様の残量83%では33,000円を請求する

 

なんかボッタクリバーみたいだ。

 

ビッグテックの一つであるバナナ社は、お客をまるで奴隷扱いするようになってきた。ひどいもんだ。

 

5万円のタブレットの電池交換に33,000円だと〜💢

 

何様だと思ってんだよ!?

 

まあビッグテックは現代の肉食恐竜みたいなもんか。

 

 

米国ではそんな肉食恐竜から市民を守ろうとする州知事もいる。うらやましす。

 

 

 

● たまたまだが、自分の名前でどれだけグーグルDBにデータが残っているだろうと思い検索していた。

 

15年前のデータがまだ残っていた。

 

それはスノーデンのいうパーマネントレコードとして一生残されるのだろう。しかも、その名前でどんどん個人データを蓄積していく。要注意だ。

 

● それでだ、たまたま姓名判断のサイトも通りかかった。

 

そこにサンプルとして出ていた姓名の名の方は、ぼくと同じめずらしい名前なので興味をもった。なんと姓の方も同じ画数だった。

 

つまりその姓名判断は自分の名前にもドンピシャ当てはまるということだ。

 

なんやこの偶然は!

 

それで、その姓名判断をつぶさに読んでみると、ほぼほぼ当たっていた。すご〜い!

 

しかもだ、姓名は、上から大大吉、大吉、大吉と出ている!なんやそれー!?

 

● それでもっとびっくりしたことがある。

 

親父がそんなことを考えて自分の名前をつけてくれていたことだ。今まで全然知らんかった。しかも日本に帰国したこんなタイミングでそんな姓名の秘密を知るなんて。

 

生前はそんなこと一言も言ってくれなかった。そんな寡黙な人だった。

 

● くっそー粋なことやるやん。ちょっとウルっときてもうたやないかい!

土日の休みを終えてまた例の"変なホテル"に戻ってきたw

 

通勤電車の中でワクチンシェディングを浴びたくないので職場まで歩いていけるお宿を選んでいる。

 

このお宿は黒会(ダークアセンブリー)に近くビジネスマンらしき姿が多い。

 

今日部屋に戻ってくるとフロントからメッセージが入っていた。フロントを呼び出すと、今日の清掃はどうするかとか聞いてくる。しつこいな〜。

 

今日も、

・起こさないでくれという札をかけ(先週、日中勝手に入って清掃していったので)

・今日は清掃も備品も要らないというメッセージまでわざわざ部屋の扉に貼り付けて出て行ったのに

 

ぼくは単に外出中に勝手に部屋に入られて、部屋を荒らされる(書類や荷物類の盗難)のを避けたいだけなんだが。最近は外人の清掃係も多いので要注意なのだ。

 

フロントマンと話すと、客から来るクレイムはぼくの要望とは逆だそうだ。

 

・起こさないでくれという札をかけているので放置しておくと後から電話がきてなんで清掃しないのだと怒られることが多々あるそうなのだ。

・だからわざわざ、そんなクレイムを避けるために、清掃の希望のはっきりしていない客に対してはドアに清掃は午後2時半までなので希望のある方は連絡をくれというメッセージカードを置いて、しかも客の電話にもフロントからダメ押しのメッセージを残すという二度手間をやっているそうなのだ。

 

え〜〜〜!!!???

 

日本人のビジネスマンてそんな面倒なんや。

 

日本がさびれて世界の潮流から取り残されていく兆候(労働生産性を落とすゴタゴタ)がこんなところにも出ているような気がする。

 

やっぱり国富や税金を食い荒らして国を衰退させる輩が集まるあの「黒会」が近いだけはある。←これは皮肉w

 

これも貼っとこw お金がっぽがっぽの「黒会」議員のニュースな。

 

これともか、まんま。

 

 

 

でもええやん。

 

三流国に落ちて(というかすでに落ちている)、ど貧乏暮らしをしてでも、平和に暮らせれば。

 

お父ちゃんの毎月のお小遣いもこの20年間で1/3になってもうとるやんか。涙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するにガンだ。

 

喉のガン。とってもとっても転移してダメだそうだ。以前から少しくぐもった声だったので気になっていた。まだ71歳でお若いのに。

 

 

それでか、月刊「新潮」に昨年央から自伝めいた連載記事を書いていた。タイトルは「ぼくはあと、何回満月を見るだろう」だ。

 

連載最後には痛々しいほど痩せた坂本さんがいた。後ろに映っているのは311から救われたが庭に放置して雨風にさらされ朽ちていくピアノ。多分ご自身をピアノに重ねあわせているのだろうと思う。

 

 

彼が世界の坂本としてデビューできたきっかけは、二人の偉大な映画監督によると感謝していた。

 

お一人は、大島渚監督(戦場のメリークリスマス)、そしてもう一人はベルナルド・ベルトルッチ監督(ラスト・エンペラー)。すでにお二人とも鬼籍に入っている。

 

体の異変についてはこのように語っている

 

野口整体を始めた20年間は健康だった

2014年6月に喉に違和感を覚える

ニューヨークに留まる決意をする

西洋医療によるガン治療をメインとして代替医療で補完することにした

 

ちょっと気になったのは文中にパートナーという言葉が頻出する。彼のプロデューサーでもあるという。そのパートナーは彼か彼女か分からない。ちょっと想像力を飛躍させると、色々考えさせられる。(以下自粛)

 

最後のピアノ・ソロ「12」が2023年1月17日、リリースされた。

 

 

そして、連載の最後の言葉はこれだった。

 

Ars longa, vita brevis. (芸術は永く、人生は短し)

 

たくさんの類稀なる楽曲を残してもらったことに感謝している。悔いなき旅立ちを祈りつつ。

 

 

普段なら10時ごろには寝てしまうのに、昨夜はいきなり物欲がムラムラと起こり、新しくスマホを買おうという気になった。

 

確かに今持っているiPhone6では、新しいOSがインストールできないため機能がアップデートされて使えるアプリがだんだんなくなってきた。使っているのは電話と銀行のオンラインキャッシング機能だけなのでそれでもいいといえばいいが。

 

タイに転居する2015年に買ったiPhone6は、当時9万円超だったと記憶するから8年使って元は取れたと考えることもできる。やはりそろそろ買い替えどきだ、と自分を納得させた。

 

すると、日本にいるうちに新しいやつを安く買おうなんてムクムクと煩悩が目覚めた。もう真夜中に近づこうとしているのにだw

 

それで、価格ドットコムで最安値のスマホや量販店を探したりした。

 

一応めどがたって代引き郵便でホテルまで送ってもらう手配までして寝入ったのは午前1時。かなり興奮していたせいか起きたのが5時。

 

それで仕事にきたのはいいが、3時間ほどやってガス欠状態。いかんな〜。ちゃんと自己管理できんと。

 

今週から帰国滞在も後半戦に入り、稼働日数は今週5日、来週も予備日を4日設けておいたので、何とか用を足してタイに帰れそうだ。

 

先週も今週も雨の日があって、しかもタイ仕様の体にはこの寒さはこたえる。天気を比べたらだいたい20度も気温差がある。そりゃ寒いはずだ。タイだと今頃は室内気温が30度ぐらいなので、10度の日本は寒すぎる。室内でも20度あたりだろうか?

 

 

日本の死亡者数の年間グラフ(再掲)を見ていたら、死者の多いのはピークが1月2月ということで、やはり老人や体力の弱っている人にはこの寒さは最後の一撃になるのだろうと思った。

 

 

ぼくも前半は勢いで乗り切ったが、やはり寒いと何もやる気がしなくなる。

 

日本では永平寺など雪の降り積もる山奥のお寺で瞑想に励むというが、冬の寒さは黙想するに適しているのかもしれないなんてふと考えた。

今日の朝、突然気づいた。

 

この歳までずーと自覚がなったことだ。

 

それは自分が「(超)心配性」だということ。

 

何となくいろいろなことに細かいということは知っていたが、その原動力はこの心配性にあるのだろう。

 

それは今日の明け方のことだった。

 

5時前にいきなり目が覚めて心臓がバクバク言っていた。なんだ!?なぜだ!?と思った。

 

昨夜は、新しいスマホを購入したいがそれを確実にお宿に届けられるネット販売店を探していたのだ。

 

最近、円安で同じモデルでも再輸入したものはかなり高くなっていた。円高のときのものだと安い。それを手に入れたいのだった。

 

その作業のために零時過ぎまで起きていた。でも代引きをお金を渡してフロントに頼めるかとか、フロントに宅配が到着したら自分のいる部屋に直接来てくれるだろうかとか、いろいろ考えていて寝入りに頭が痛くなっていたのだった。

 

それで睡眠は5時間ほど。しかも心臓は不安でバクバク言っている。

 

それで今回の旅の流れを思い出していたら、

・それは3ヶ月前には完全にセットアップされていた

・移動にかかる時間、電車賃も、宿の予約も、それから日本でやることの一切のイベントの手配まで

・いつ宿を出て、いつアクションとって、いつお宿に帰ってくるかまで

・買い物リストなんて何度も何度も見直して抜けがないかチェックした

・決まっていないのは朝昼晩と何を食べるかぐらいw

 

これ強迫神経症っていうやつちゃう?かなり重症やん。我ながら驚いた。

 

だからだよ、今回外国のホテル予約サイト(エクぺディア)で宿の変更をしようとしたら予約記録がなくてパニック。予約サイトの連絡先も通じない。慌てて日本のホテルの連絡先を探してメイルした。日本のホテルの対応は的確でことなきを得たが、これが外国のホテルだったりしたら大変なことになったりする。あの時も心臓バクバクだったと記憶する。

 

もっと分析すると、自分の理想とする世界が崩壊していくのが怖いのである。特に危険な状態に傾いていくのが。

 

それは自分の生い立ちに由来する。かなりふかう刷り込まれたPTSDだと思う。その傷が浮かび上がってきて、やっと意識化されたんだと思う。これは大発見だ。

 

もっというと、そのPTSDの淵源ははるか数100年前の前世でのあの出来事に関係するのだろう。なんちゃって。こんなこと言うと危ない人指定を受けそうだw

 

今回の旅ではタイを出る前からいろいろな思わぬ不祥事がちょこちょこと発生していたが、これもどうも(超)心配性だということを自覚させるための神の采配であったように思う。ちょっとオーバーかw

 

 

 

 

 

やはりこの人のタイ現地話はおもしろい。

 

昔は日本人も見えていたのだが、すっかり現代化されて鈍感になったようだ。

 

アチキも見えない。でも見えない方が幸せかも。

 

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あの文化大革命を暗く思い出したくない時代だったとある共産党員が言っていた。青春時代に下放された経験のある上海の方だ。

 

あの時代の中国は、親子から始まってお互いに内部告発し、断罪しあうことで社会のありとあらゆる関係が断絶していった。日本にはまだうっすらと残っている知らない同士の間にもあるある種の信頼関係。中国ではこれが粉々に吹き飛んだ。その爪跡は今に続いていると20年前中国を訪問したとき感じだ。

 

それは日本に移り住む中国人たちを見ても分かろう。内輪のグループには滅法愛想良く振る舞うが、そのグループ外の人たちに対してはよそよそしい。それはたとえ自分たちを支えてくれる顧客であっても同じだ。知り合い以外は、ある種の猜疑心を持って迎えられる。

 

今日もこんなことがあった。

 

郊外である集会に参加することになっていて、ちょっと早めに会場のある駅に着いて、まず集会場の近くで昼食を取ろうとググった。何か良さげな中華屋さんがあったのでそこにしようと思って地図を頼りに行ってみた。

 

午前11時半に開店なのでもうすぐだと思って探していたらちょうど店主らしき夫婦が車で到着してシャッターを開けるところだった。

 

Googleマップの写真を見せて、このお店ですか、いつからやっていますかと聞くと女性の方が片言の日本語でもう6、7年やっていると答えた。いや、何時からお店を開けますかと問い直してやっとぼくが客だとわかったようだった。しかし一見さんへの対応は始終冷たかった。

 

開店の10分前に来るなんてよっぽど儲かっていないのだろうなと思った。もしかしたら料理の仕込みは開店と同時に始めるのだろう。

 

開店10分ほど前だったがそのつっけんどんな対応を見て店に入るのはやめた。わざわざ気分の悪い思いはしたくない。

 

そう思って会場のビルの2Fにある中華屋さんに入ることにしたのだった。まあぼどうふ定食のお味はまあまあだった。まあ気分よく食事できたので悔いはないw

 

こんな経験は日本のそこでだけでなく、何度か味わっていることを付け加えておきたい。

 

また一度サークルの中に入ってしまうと逆に思わぬような厚い歓待を受けることも。(日本ではなく、マレーシアで華人たちとの経験だが。)

 

あの一度は社会が根底から分断された国から、いま80万人が日本にきて住み着いているという。ただでさえこの国は落ち込み乱れている。これ以上の分断を持ち込んでもらいたくないものだと思った。