THOUSAND WINDS -313ページ目

フェネガンズ・ウェイクは読めるのか

フィネガンズ・ウェイクはジェイムズ・ジョイスと言う人が書いた、
およそ正気の沙汰と言えないような、
支離滅裂で滅茶苦茶な小説?もはやそれが何であるかも分からない。
しかもそんな希代の奇文を、柳瀬尚記と言う方が訳された。
一応、日本語の体裁を伴うようになったそれを、かつて本屋で立ち読みして来た時に、
あまりの事に立ちくらみを覚えた位に、意味不明で果てしない感じ。
今も手元にあり、たまに何とか1巻だけでも読破出来ればと、
幾度となく挑戦してはいるものの、
ことごとくよせつけてくれない。
まだ英語ばかりで書かれた論文みたいなのを読んだ方が分かるし、
まだアイスランド語ばかりで書かれたサーガ、エッダあたりを読んだ方が、
頭脳への負担は軽い。
そこに書かれた文字が完全にでたらめに配置されてる方がまだ読める。
なまじ日本語で書かれているから、内容は滅茶苦茶だけども、
かえって気が狂いそうになる。
まるで書物兵器のよう、ごうもんで一字一句間違わずに朗読させられた日にゃ~、
間違いなく精神を破壊されそうな気がする。
すいませんねこんな事言ったら翻訳した人に失礼でした。
でも素朴な意見として、
これって翻訳ですか?

昔の詩は分かるだろうか

ハイネの詩にも一部出て来るのが、昔の文語体の翻訳詩とかがある。
どうせ翻訳なんだからわざわざ読みにくい文語体にしなくてもいいのにと思う。
聖書でも、そればっかりやな、いまだに文語体を使ったりすることがある。
まあ確かに宗教ならば、文語体で書かれたものには、
見かけ上厳粛な、威厳あるものみたいな「錯覚」を覚える事はあるけれど。
ハイネの詩がドイツ語で、ドイツ語にも古語みたいなのがあるのかは知らない。
多分それが書かれた当時の現代ドイツ語なんだろう。
だからせめて全部現代日本語で訳されてたら良かったのにと思う。
そのあえて文語体を好む風潮ってのはどうなんだろう。
口語なんかで書かれたものは、何か弱々しくて文に権威を感じさせないからだろうか。
じゃあその、文語だからと言う意味で、無意識のうちにその中に権威を感じさせられるのは、
きっと「古いものはいい」と言う思想だ。
これって確かルカによる福音書の中で書かれてなかったか。
私はわざわざ古語で書かれたような詩を読みたくないのは、
そのまま読んだって私にゃ意味が分からなく、外国語みたいだからに尽きる。
でも万葉集とかの古典はさにあらず。

ハイネは分かるだろうか

外国の詩を読み出したのが始まり。
たとえばハイネとか、他にはリルケとかランボーとか。
ハイネは夜鳴鴬だよと説明されても、はあそうですかとしか言いようがない。
日本語に翻訳されたハイネの詩集を、改めて読んでみて思う事は、
私はハイネの詩を読む事は出来ないと言うこと。
ごく当たり前な事に気付くまでに時間がかかり過ぎた。
私は日本語訳のハイネの詩を読む事は出来るが、
それはハイネの詩だろうか。
聖書なんかについてもそれが言える。うれしそうに日本語で翻訳された聖書は、あらかた目を通したし、
そのいくつかは所有するまでしたものの、
じゃあ一体どれが正確な聖書かと言えば分からなくなる。
ハイネの詩は原典で読まなきゃ、本当にその良さが分からないとする。
だったらまずはドイツ語の勉強をして、最低限ハイネの詩を
辞書さえあれば訳せる程度には習熟しないといけない。
でもそこまでしたら、果たしてハイネの詩は完全に私の中に染み透るだろうか。
私にはそうは思えない。
外国語で書かれた詩は、私には完全には理解出来ないし、
味わう事も出来ない。
今となってはそう思ってる。

うさどくろ団の部長になってしましましま

よお分からんとつい出来心で入ってしまたら、
部員ならぬ
部長になっていました。
どうしよ・・・

無題

クレヨンしんちゃんの作者さんの
ご冥福をお祈りします
不慮の事故だったらしい
誠に残念でならないです

昨日TVのワイドショーで、
何かクレヨンしんちゃんの
最近の作品の中で
「死」を扱ったものがあるらしい。
あたかも後の死を暗示してるかのような。

それがどうした。
お前ら何としてでも
「自殺」
の線で持って行きたいらしいな。
不謹慎な。
まだ死因もはっきりしないうちから
人の死をネタにして、
面白おかしく取り上げたりして。

不慮の事故だったらしい
誠に残念でならないです
ご冥福をお祈りします