THOUSAND WINDS -215ページ目

流雨夜を振り返る

私の今のハンドル名「ルゥーヤ」も結構使い出してから長い。
よく飽きずに長く使ってるなと思う。
もうここじゃハンドル名変えないなあと思っている。
この名前の由来が、日日日(あきら)さんの「狂乱家族日記」と言う小説の中で、
ワンポイントで出て来た「流雨夜」と言う少女による。
うろ覚えで何巻に出て来たかも忘れてしまった。
どんな話だったかも、ほとんど忘れてしまったのだが、
そのつたない記憶で、オリジナル流雨夜を描き直してみる。
大日本帝国だかそんな国があったらしい。
あちこちの国に侵略をして、
今しがたこちらの世界じゃ多分アメリカにあたる国に侵入して、
どうやら奴隷だか捕虜だかペットだか知らないが、
軍人さんらが私、流雨夜を捕獲して、本国に連れ帰ろうとしてる。
それを帝国の監視人兼殺し屋の男が見かけて、なぜか逃がしてくれる。
でも敵に追われ、そこを私の実の姉が助けに来てくれる。
船か何かで逃亡するも、船が難破して、生命が危なくなった時に、
月華だったか、謎の宇宙人?の体の中に取り込まれて、
現在に至るまで生きながらえて来た。
そして現在でのエピソードにつながるはずなんだが、
一体その流雨夜って女の子が、
私のハンドル名に選ばれた理由、てのがどうも
思い出せない。
前書いた時にはその独特なしゃべり方、何か人生に冷めたようなシニカルなしゃべり方で、
最後に必ず「、ええ。」ってのをつけてましたね、ええ。
原住民の身の上のはずなんだが、どうも現代っ子ぽいのが気に入ったのだろうか。
性別も違うしどこで自己同一化が図られたかは定かじゃない。
由来はもうどうでもいいから、とにかく言える事は、
今このルゥーヤって名が案外気に入ってるんでしょうね、ええ。

まあ確かに2

ここに戻って来て出会った人たちによって、私も何か詩を書いてみたらと言う気持ちになったものだけど、
元来私はストーリーテラーの方だから、つい物語調でしか書けない。
あんな抽象的な、印象に残るような詩は、私の頭からは湧いて来なかったみたいに見える。
小説まがいな詩で良ければ今後も載せてみるのですが、
もうちょっと人の詩も見させてもらってもいいかと。
何しか物語の原案は外からやって来ます。
ただいつもためらうのは、それって私の文章力で書き起こせるのかと言う不安。
書いてみるとこのありさまとなっておりますが、
たまに捨てがたいような、クリティカルヒットにでくわしたり。
以前みたいなシリーズものをしょうこりもなく、新たな舞台(ここね)で始めるのか、
今みたいな短編の一発物でお茶を濁すのかは微妙なとこ。
たまに思うたとえ拙くても私はそんなのを書くのが面白いらしい。
(詩はどうした・・・(・_・)エッ......?

数学ガールの本を立ち読みして

うまいこと書く自信がない。
結城さんと言うまだ今の教会にはびこる?前から、
コンピュータ関係の専門書で出会った、キリスト教の人で、
あこがれているのですが、
その人が最近書いた本で「数学ガール」と言うのがあります。
いくつかシリーズがあってその中で私が見たのはゲーデルの不完全性定理。数学の論理学上の偉大な発見ですが、
その中に書かれていた言葉と、
聖書の中で書かれていた言葉とが、
何か関連してるみたいな気がしたので。

探したがどこ行ったか分からなくなった。
イエスが群衆に言われる。「あなたは自分の事を正しいと立証しようとするがそれは正しくない」
「わたしは自分自身を立証しようとするのではない。神が私の正しさを証して下さる」
みたいな内容、どこだったかいな。
つまりゲーデルの不完全性定理は、自らの公理系の完全性を、それ自らの公理系では証明出来ないと謳っている。
つまりイエス自らが自分は正しいとただ言ってもその正しさを証明出来るものはない。
それゆえ結局証人として、神を持ち出すしかなくなる。
神さえいれば完全性は守られるはずだから。
でもそこに落とし穴がある。
誰も神の完全性を証明出来ない。
神自身の公理系では、神自身の完全性を証明出来ない。
つまり神は自分の正しさを保証してくれるものがない。
もしかしたらその「神」のより上位にあたる神の神がいるとしても、
今度はその「神の神」の正しさはそれ自身では保証されない。
かくしていかなる者も、神すらもその正当性を保証された者はいないと言う結論に達する。
たぶんこれがゲーデルの不完全性定理の第一則だったはず。
何か実もふたもないね

まあ確かに

第2アメーバブログではコメントをつけられないようにしています。
本当はコメ友が欲しかった。
先のアメーバブログでコメントについてあまりいい目を見なかったから、
別のブログで少々トラブったから、コメントについてはもう諦めた。
たまに思い出したように外にコメントしに行ってもどうやら問題が起こっている。
私のコメントは歓迎されないらしい。
だから自分の所もつかないし、極力人の所にもコメントをつけないようにした。
コメントの一杯ついた人のブログ見てうらやましいと思わなくもない。
あれからもはやコメ友作るのは諦めた。
ぺた位じゃ迷惑にならないかと思ったが、
人によってはぺたも拒否されていたりする。
まだぺたを止めてしまうのはいくらなんでも
寂しいのでペタはあいかわらず欲しがっています。
コメントはまだ自分のほとぼりがさめないので当面
コメントなし、何か寂しいブログ。

ショーセツカと言う単語を探している

アメーバブログには今度が実は2度目。
最初のアメーバブログは数年前に始めた。
最終的に記事数が1500を超えた。
CD-Rにはバックアップしたがネット上じゃどこにも残っていない。
ただ人様の所に当時付けたコメントが今もあちこちで残っている。
AshTrayCat、それが当時のハンドル名。
その時のブログしてて珍しくメッセージを頂いた、
結局どこの誰かも分からなかったのだが、
当時からあれこれいろんなものを貪欲に書いていたのだが、
それ見ての事か知らねども、
「ショーセツカになればいいのに」みたいな事が書かれていた。
話によると小説家の事じゃないらしい。ショーセツカはもっと別の何かであるらしい。
人はおかしなもので、当の言った本人は何も考えなしに言ったのかも知れないが、
そのメッセージもらった方は真剣に悩んだわけだ。
ショーセツカって何だろう。
そんな訳分からないものになんかなれるのか。
それから一度アメーバブログをやめて、また今回入り直した。
結局のところ、ショーセツカなる訳の分からない物になれなかったが、
何だか自分でも訳の分からない物にはなれたみたい。
もういいや、今のこれを
ショーセツカと言う事にしとこうか、
ええ。