THOUSAND WINDS -214ページ目

この仕組み何とかならんものか

毎度ながらアメーバの記事打ち込みで一番わずらわしいのが、
更新日時を手入力しなきゃならんこと。
よそのブログとかだと確か送信ボタン一発で現在日時で書き込まれたのだが。
まあ確かにその見返りに、未来日付入れるとケータイでも予約投稿がちゃんと出来てしまうのだが、
現在日時が表示されず、常に更新開始した日時が表示されてるだけなので、
更新完了後の正確な時刻で投稿したいと思うと、
いちいちこのケータイの押しにくいテンキーを押さなきゃならん。
またもっと面倒なのは、数字じゃなくてコロン(:)を間違って消してしまった場合、
急いでいる時にはバニクったりする。
何とかして欲しい、そんなに難しい事でもないはず

あんた誰?

かつて今の教会でお世話になった人、今はもう辞めてしまってる、昨日久しぶりに道で出会ってこちらからあいさつしてみたら、
「あんた誰?」
みたいな怪訝そうな顔をされて無視されてしまった。
あとで再度会ってさっきの件話したら、分からなかったと言われた。
曰く、帽子かぶっててめがねして、マスクなんかしてたら、
あやしい人にしか見えなかったらしい。
失礼な、と思ったけどまあ確かに一理あるなと思った次第。
以前はたびたび顔を見合わせていて、覚えているだろうなと
期待してても人の記憶なんざこの程度な事が多い。
事実教会の人に外で出会って、
私の方が気付いていてもあちらは知らんぷりだった事は
それだけにとどまらない。
まあもっと親密なお付き合いしてれば、見間違いなんかも少なくはなるんだろうが、
他人はあまりあてにせんようになどと勝手に納得してしまった。
どうせ私においてそうだと言うだけの事で
なかなか人に顔を覚えてもらうのが
苦手だったりする

知れば知るほど

悪霊払いなどと言うものものしいぐるっぽに入っている。
自分なんぞにそこで書ける事もなかろうと思うので、
こちらでためし書きしてみる。
霊について思うのは、それを信じていたり知っていると思い込んでいる人に限って
よくその体験談とかを聞く。
それは自分が関心持ってるからばかりじゃなくて、
たぶん霊そのものがそうした関心を持っていたり、意識をしてくれるような人をあえて選んで
寄って来るみたいに思える。
つまり天使がいると信じてるような人の方に、天使なんかいないと信じている人よりも
天使がまとわりついたりする。
悪霊にしても同様と思われる。
それがただの自己暗示に過ぎないのかどうかは知らない。
ただ思うのは霊にしてみれば、自らの存在を認めてくれるような人の方が、とりつきやすいからかも知れない。
霊がついたりする理由が色々あるかも知れないが、
その多くがそうする事によって、
自分の存在を認めて欲しいと言った願望だったりするのかも知れない。
だからかえって霊に通じてるだけ、霊に関わることが増えるものと思われる。私の勝手な思い付きだが。

リベラルの境界線

教会のある人に霊の話をしたら、なぜか否定されたかのような反応を示した。
聖書研究会でもそんな話を持ちかけたら軽くあしらわれた。
現職の聖職者とか聖書学者とか普通の信徒でも
私よりもいくぶんはリベラル寄りな人が目立つ。
そんなものだから大抵は聖書の中身は解釈の行列になっていて、
誰がそう言ってたのかは知らないが、このたとえ話はこう言う意味を持っているとか、
福音書の文章構造ではこんな風に工夫されて書かれている文学作品みたいな扱いをする。
聖書に書かれている事が全部事実であるはずがない。
それは間違いないがだからと言う事で、自分に分かる事だけを選んで信じたり信じなかったりするのは、
読む人の任意に任せられる。
リベラルを否定しはしない。
ただどこらへんからリベラル、どこらへんから福音派なのかが分からない。
いくつかの福音書を照らし合わせてみるとそれぞれで矛盾していたり、微妙に違っていたりする。
違っているから事実とは違うとかでたらめとは言えない。
結局何が言いたいのか、霊の存在を信じるか否かが、
福音派かそうでないかの見分けとなるかどうか
私には分からないと言うだけ

小説が書きたいねえ~

プロフィールんとこにリンクあるけど、念の為に

http://blog.goo.ne.jp/acolyte_2008
つまらん小説置いていますのでよろしければどうぞ。
今読んでもこれ私が書いたんかあ、みたいな不思議な雰囲気にとらわれなくない。
当時なにがあった→私
当面TOPに載せてみるかな。
(どうせ誰も見ませんしね、ええ)