リベラルの境界線 | THOUSAND WINDS

リベラルの境界線

教会のある人に霊の話をしたら、なぜか否定されたかのような反応を示した。
聖書研究会でもそんな話を持ちかけたら軽くあしらわれた。
現職の聖職者とか聖書学者とか普通の信徒でも
私よりもいくぶんはリベラル寄りな人が目立つ。
そんなものだから大抵は聖書の中身は解釈の行列になっていて、
誰がそう言ってたのかは知らないが、このたとえ話はこう言う意味を持っているとか、
福音書の文章構造ではこんな風に工夫されて書かれている文学作品みたいな扱いをする。
聖書に書かれている事が全部事実であるはずがない。
それは間違いないがだからと言う事で、自分に分かる事だけを選んで信じたり信じなかったりするのは、
読む人の任意に任せられる。
リベラルを否定しはしない。
ただどこらへんからリベラル、どこらへんから福音派なのかが分からない。
いくつかの福音書を照らし合わせてみるとそれぞれで矛盾していたり、微妙に違っていたりする。
違っているから事実とは違うとかでたらめとは言えない。
結局何が言いたいのか、霊の存在を信じるか否かが、
福音派かそうでないかの見分けとなるかどうか
私には分からないと言うだけ