バイクのフル装備
真夏も真冬もバイクに乗りまくる。
フル装備と言っても、極寒の地 大口での寒さ対策のお話。
冷たい風が差す![]()
通称「ドカジャン」を地域の量販店か職人の店みたいなところに買いに行く。
建設作業員が冬場に着用してた事から、土方用ジャンパーの略称になったらしい。
紺色のビニール製で、内側はポリエステル素材のフワフワな生地がついている。
後頭部を被い、首元をマフラーで巻く。
軍手を二枚重ねにつけ、耳あて装着・・・。
最後には、口元を被う「カラス口」と呼ばれるマスクをつける。
ズボンの下には、ジャージを履き、裾を靴下の中に入れる。
これで真冬のバイク移動のフル装備の完成!
すれ違う時、見た目はほとんど同じに見えるので、バイクで誰かを特定するしかなかった。
寒さ対策は万全だが、目的地に着くとちょっと面倒・・・![]()
ドカジャンやマフラー等、防寒グッズの保管場所に困る。
当時の最新型のスクーターには「メットイン」と言って、シートの下にヘルメットを収納する車種も登場していた。
しかし、スポーツタイプには無い・・・・。
それ以上に面倒な事は、トイレ!
ズボンも重ね着なので、大変![]()
仮に大に方なら、締め付け感があるので落ち着いて出来ない。
友達宅でも、公衆トイレでも一旦脱いでするわけにはいかない![]()
コンビニも無い時代。
小学校の頃、学校で大をしてると、必ず誰かが覗きに来て冷やかされたトラウマがある。
だから、何処そこで出来ない・・・![]()
ひたすら我慢するか、わざわざ自宅に帰るかの二択しかなかった。
ここまでは苦労話!
メリットもあった。
路面凍結は当たり前の地域!
カーブで曲がる時、凍った水溜りにバイクの前輪を取られ転倒する事もあった。
厚着の為、打ち身くらいはあったが、擦り傷等の怪我は回避出来た!
代償として、ドカジャンとジーンズの膝等が擦れたり、破れたりした。
重ね着がクッションとなって、転んでも痛さはそこまで感じなかった。
逆に真夏は、超薄着!
走れば、体で風を浴び、涼しさを感じる事が出来たが、信号待ちは嫌だった![]()
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温まったエンジン部分から漂う熱気とアスファルトの照り返しが天敵!
一瞬で汗だく・・・![]()
少し走れば、汗も引くが、信号待ちの度に繰り返される。
真夏に一日中バイクで過ごすと、日焼けは当然する。
しかし、半キャップ愛好者は、何故か額の部分だけは白い。
眉から下は赤く焼けてるが、額から上は白い。
ヘルメットで隠れる部分は焼けない・・・。
かなり恥ずかしい。
それより、フルフェース愛好者はまだ酷い・・・。
目の周りだけ焼ける。
潜水用のゴーグルみたいにそこだけが黒く日焼けしてる。
でも一番の天敵があった。
薄暗くなった田舎の道にそれは存在した。
田んぼや畑の害虫達!
走行するバイクのライトに寄って来る。
顔や体にバチバチと向って、あたって来る!
時には口の中に入り込む![]()
これが一番辛い・・・。
帰って、チェックすると顔やTシャツ、ヘルメットやバイクの前部分に虫の潰れた死骸が付着してる。
特にヘルメットやバイクにこびり付いた虫の死骸は、翌日には乾燥して中々取れにくい![]()
たわしでゴシゴシと落とした・・・。
一年を通し、何かと苦労もあるがバイクに乗り回す日々は続いた・・・。
朝日団地
朝日町商店街の子供達の唯一の遊び場に、ある日突然大きな建設機械が運び込まれてる。
昨日まで遊んでた場所には黄色いテープが張り巡らされる。
私たちが生まれる前に閉鎖された工場跡地を「戦争ごっこ」や「秘密基地」として利用していた。
ヘルメットを被った作業着の大人が、何かしら作業をしてる。
間も無く、様々な建設機械がうねりを上げ、「秘密基地」としてた建物を解体していく。
見守る、朝日町の子供達・・・。
翌日、下校時に見に行くと、跡形も無く綺麗な更地になった。
広い敷地はアッと言う間に大規模な更地に変わる。
雑草などで解りにくかったが、これまで見えなかったモノが綺麗に見える。
ここまでの時間は、1週間足らずだった。
親に聞けば、そこには大きな団地群が建つと言う。
地上4階建て、鉄筋コンクリートの団地が数棟出来るらしい。
当時、4階建て以上の建物と言ったら、「南国交通」のバスセンターか「寺田病院」くらい・・・・。
そんな規模の団地が何棟か出来るのには想像できなかった。
最初の一棟目は、自宅の直ぐ後ろ!
大きなクレーンが大きな音をたて長い杭を地面に打ち込んでいく。
次第に、建設は進み、徐々に原型とその大きさがわかってくる。
近所の雑貨屋のオバちゃんや母などは、その店の軒先でいろ端会議をしながらその進み具合を見てる。
市道から繋がる道路も完成し、公園や集会所も同時に作られる。
要約、外側を被うネットが外され、外観が姿を現す。
クリーム色の大きな建物だった。
過疎の進む、この田舎町が栄える象徴にも感じられた。
「秘密基地」の取り壊しから1年半後に第一棟目が完成する。
かなりでかい・・・。
最上階の4階から、かなり遠くを見渡せるような気がした。
恐らく、町全体を見渡せるだろう。
そんな建物が何棟か出来る計画。
やがて入居が始まった!
全世帯満室。
休日には、トラックの出入りが頻繁だ。
うちの庭から見える団地は、ベランダから明かりが洩れ、急に朝日町が明るく感じてくる。
朝日町の住人の間では賛否両論。
商売を営んでる人は、歓迎ムードだが、古くからの住人は見知らぬ人が増え困惑気味の様子・・・。
古くからの住人の間では、暗黙のルールがあるかの様に平穏に生活してる。
当初は、朝日町商店街のお店に買い物に行く為、民家の庭先を近道として通る人も多かった。
「ここは、通路ではありません!通行禁止!」
の、立て看板があった。
それでも後を絶たない状況が続いてた記憶がある。
あれから30年経った。
当時最新設備の朝日団地も、古い団地の仲間入り。
いつの間にか、朝日町のシンボル的存在となった。
朝日町と朝日団地が地域を共有してる様に、いつの間にか感じてきた。
ひょっとしたら、数年後には老朽化の為、取り壊される事にはなると思うが、造成から建設風景に始まり、やがて取り壊しの解体まで見届ける事になるのは寂しくも思う。
少年時代の思い出「秘密基地」を譲ってまで出来たモノだから・・・。
稲刈りの時期到来!
街周辺の田んぼではあちこちで稲刈りが盛んな時期!
広い平野を見渡すと、赤い農機具に白い軽トラックが目立つ。
農家の家は世代を超え、会社に休みを貰って家族総出で稲刈りをする。
作業の途中、休憩時間に準備されたお茶や、昼食のおにぎりが美味しく感じるのが不思議!
稲刈りのスタイルも時代と共にレベルアップしてきた。
私が小さい頃は、機械で刈って稲がその場に置かれ、それを手でかき集めて竹製の棒に干す。
数日後、それを納屋に運び、足でペダルを踏み脱穀していた。
それから進歩し、機械が刈った稲は、セットされてる袋に自動で詰められ満杯になると、トラックに積んで納屋に持ち帰った。
持ち帰った籾は自動乾燥機によって乾燥され、1表単位で米袋に詰められる様になった。
しかし最近は、軽トラックに専用のホッパーと呼ばれるアルミ製の容器に機械から直接籾が入れられるように進化した。
その容器が満杯になると、納屋に持ち帰り、乾燥機に流し、数十分後には食べられる状態になる。
過疎化が進む田舎町の若者は、県外に出る。
わざわざこの時期の稲刈りの為だけに帰省する者は居ない。
結局、初老の親が最低な少人数で行うしかない。
その為、年々便利に改良されている農機具。
その設備投資でも何千万単位だと聞く・・・。
先日も友人の実家が稲刈りと言う事で見学に行った。
田んぼにはわずか3名のみ・・・・。
十分作業は進む。
以前なら隣近所の人々の協力を貰い、又協力して稲刈りをしていた光景は無くなりつつある。
友人の母がぼやく・・・
「今年は米の値が安い
去年は1表8000円の買取だったのが、今年は6000円・・・。燃料代とか支払いで全て飛ぶ。まぁ、払える分だけマシ」
と、ぼやきながらも前向きな気持ちがあった。
全ての籾が乾燥機に入れられ、完了するまでしばしの休憩。
その時点で、米の買取業者のトラックが、積んだら出て行きを繰り返す。
身内が1年間消費する米だけを残し、後は全て売る。
幼い頃は、祖父祖母、父母、孫達が揃って田んぼに集結し、賑やかな稲刈りだったが最近は無い・・・。
地味な農作業が更に地味さを増す。
町の活気も徐々に失われつつあるのに、米の町の田んぼにも活気さは失われてる。
実際は、先に農繁期の田んぼの活気が失われてたのかもしれない・・・。
生産率が下がれば、米の小売価格も上がるのは当然。
生産率が上がれば、下がるが農家の収入は下がる。
難しい・・・。
数年後は、休耕田が目立つ様な気がしてならない・・・。