オールウェイズ・朝日町の夕日 -46ページ目

大口の熱血ラグビー馬鹿物語 Part4

平成19年初夏・・・。

県大会に向けて相変わらず練習グランドには必死でボールを追いかける少年ラガーマン達と、厳しい怒涛の声が響く監督の姿。

駐車場には大型トラックと見慣れた乗用車が停車してる。

監督である友人は、当時県内の地場産業商材を運搬する大型トラックのドライバー。

奥さんは、地元の店舗のパートであった。

彼は以前、長距離トラックドライバーだったが、このチームを創部して以来地場専門のドライバーとして働いてた。

理由は、毎日夕方ラグビーの練習に参加する為であった。

本来なら長距離ドライバーの方が稼ぎも良いのにも関わらず、ラグビーの為に職を選んでた。

試合等の遠征時は好き勝手に会社が都合よく休みをくれないのが悩みのひとつ・・・

遠征で仕方なく2~3日欠勤した後は、いつも


「あ~。多分会社を首になるかも・・・」


が、毎回聞かされた。


「自分の子供にも金が掛かるのに大丈夫か?」


と、聞くと


「何とかなるんじゃないかな?」


と、返ってくる・・・。


ラグビー活動で多少のリスクは覚悟の上だったのかもしれない。

だから、平日夕方は、仕事着姿での指導スタイルだった。

時には、練習が終わり、トラックに乗って、


「この積んである荷物を降ろしてこなきゃ」

「明日明け方降ろす荷物の積み置きをしに言ってくる」


と、言い残し去っていく事もしばしば・・・。


一方、奥さんは、早々とパートを切り上げ、脱水症状や怪我を懸念しサポートの為、毎日グランドに来る。

時に、パート先の雇い主に冷ややかな態度を取られても、知らんぷり・・・。

多分、夫で有り、監督である彼と考えは同じの様に思えた。


練習が終わり、夫婦で分かれて遠くから来てる少年達を送る。

それから、夕食の支度を始め、全員食卓に顔を合わすのは、9時近くの毎日。

3人の子供達もそのサイクルに慣れていた。


そろそろ県大会まで後少し・・・

ラグビー人口が少ない鹿児島での出場チームは、5チーム程度。

上位2チームが九州大会に行ける。

今年の九州大会は、大分県の中津江村。

中津江村と言えば、日韓サッカーワールドカップでカメルーン代表が合宿のキャンプ地として有名になった場所。

少年達は、九州大会出場を夢見て日々頑張っていた。

3年生には最後の仲間との思い出作りの集大成にもなる。

しかし、その前に県大会制覇をしなきゃいけない。

上位2チームとは言っても、1位がAリーグ、2位がBリーグでの出場。

事前の読みでは、決勝は宿敵「鹿児島ジュニア」。

ここは創部して10年以上のチーム。

合同練習や試合で時々胸を合わす。

前回の試合では、近差で勝ってる。

しかし、相手はリベンジとしてもモチベーションを上げて挑んでくるに違いない。

それ以上にこちらも気を抜けない。

試合当日まで怪我人や病人を出さないように、監督である彼は、万全の練習メニューを組み、奥さんは万全のケアに勤める。


彼は言う。


試合前になると、中々寝付けない。焼酎を普段より飲んでも一緒。試合の勝ち負けで心配より、子共達の怪我の事だけを考えると寝られない。正直言ってそれが一番怖い・・・


と・・・。

      続く

続く

変わり者の友人T

中学時代からの友人Tと言う周囲から一目置かれる奴が居る。

彼を例えるなら、


変人、ナルシスト、理論家、掴み所のの無い奴


等と言われる。


中学時代は、技術家庭の授業の工作でモーターを使った物が課題に出された。

ほとんどが、リモコン式の前進操作のみの自動車を作ってたが、彼だけはバックも出来る様に電気の逆流を使い、皆を驚かせた。

理科の授業では、毎回抜き打ちで50問の質問が恒例で、いきなりの指名で全部答えた。

同級生達は、


「いつ覚えるの?」 


と、不思議がっていた。


中学3年生のある日、私は、数学の先生に昼休みに呼ばれた。

テストの成績が良くない事で注意を受けていた。

間もなく、教頭が真っ赤な顔をし、興奮した面持ちで、


「先生方!聞いてください!今、私は、3年○組の生徒Tから暴行を受けました。早速、緊急職員会議を開きます。職員を全員校内放送で集まって貰って下さい。私は、警察に通報します!」


と、髪を乱し、紺の背広の胸元にはくっきりとシューズの跡が残ってた。

話も中途半端に職員室を追い出された。


ラッキー!

命拾いした!サンキュー、T


と、心で叫び教室に帰った。

当然午後からの授業は、自主学習となり教室から見える、職員室や校長室の方を見守った。

やがてパトカーが到着し、PTAと思わしき車が揃ってきた。

事の重大さよりもTの行く末が心配でならない。

自習から一時間後担任が戻ってきて、


「詳しい内容は今は言えないが、取り合えず、今日は下校してください!」


と、言われ部活も休部し校内を出た。

門の付近に先輩の車が停車し、


「おい!誰が教頭をくらわしたの(叩いたの)?」


と、聞かれた。


「何で知ってるの?」


「県内ニュースで流れてたぞ」


ウソ~?既に?


田舎町に取っては大きな事件。

それから、家に帰る途中も顔見知りのおじさんやおばさん達から聞かれる。

Tはそれほど非行とか喧嘩とかのイメージは無かった為、名前を言ってもあまり知れてはなかった。

事件から1ヶ月後に登校してきた。



互いに中学を卒業しそれぞれ進路は異なる。

私は、町から汽車で30分程の町の工業高校へ、Tは地元の高校を一日で辞めて土木の仕事をしていた。

彼は、原付バイクを塗装し、パーツを組み合わせ原型を忘れるほどの改造をしてた。

器用な彼だから出来る事。

やがて、互いに中型バイクの乗り始めた。

私は、既に手を加えてある中古を購入した。

Tは原型からやはり持ち前の器用さで改造していた。

マフラーから出る爆音も個性的であり、私のは高音、Tのは低音の違い。

狭く小さな田舎町を走ると、目立ち遠くまで音が響いた。

夜、自宅でテレビを見てると、どこかで聞き覚えのある音がする。

Tが今、何処をどちら方面に向かって走ってるのがわかった。

逆に私の行動も音で知れ渡ってた。

まだポケベルも持ってない、携帯電話も無い時代。

通信の手段は、自宅の電話か、公衆電話のみ・・・

しかし、私とTはバイクのマフラー音で互いの所在地を確認出来てた。


ある日、待ち合わせをした。

先に待ち合わせ場所に到着したと同時に、Tが間もなく到着するサインが響いた。

すかさず私も、


「ボ~ン、ボンッ」着いてるよ!


と、答える。

ようやくTが到着。

エンジンを切って、無言で各自の愛車を磨く事は無言の作業だった。

手はバイクのふき取り、口は会話が日常の光景。


「よし!軽くどこか流そうか?」


行き先は決めないのも普段から。

ここから彼の神経質さが出始める。

お互いエンジンスタート!


「5分待て!暖気運転しないとエンジンが壊れる。だから暖めてから走るぞ!」


と、Tが言い始める。

ふたり跨った格好でTのGOサインを待つ・・・


いよいよ走り始める。

Tと走る時は、必ず守ってる事があった。

後続を走る場合は、10メートルは離れる事と、若干進行方向左よりを走る事だった。

加えタバコのスタイルで走るのを彼なりの美学であった為、灰が後続の私の顔に飛んでくる。

時には火の粉までも飛んできた・・・

更にバイクにコンポを備え付けてたので常に大音量で音楽が流れてた。

行き交う車や人が振り返るのも恥ずかしかった。

しかも流れる曲は、レベッカ・・・

   しかも、ライブバージョン・・・

しかも・・・・・時には信号待ちで自分の世界に入ってしまう彼は振付けまでしてしまう。


だから、なるべく離れて走ってた。



                    続く・・・

大口都市伝説

噂か事実かはわからない・・・

こんなド・田舎にも伝説が多数あった。


大口中学校

今から30年近く前・・・

二つの校舎と古い体育館と武道場があった。

市街地より若干外れに位置し、高台に立つ。

徒歩通学の連中はほとんどが正門では無く、裏門から入る。国道から坂を上りテニスコートのその先には、急な長い階段が待ち受ける。

この階段は、色んな部活で足腰強化の為利用されてる。

その階段を上ると、古びた建物が見えてくる。

当時、進行方向右手に卓球部室、左に体育館。

そして、小屋か何かを間仕切りされてる様な、部室煉がある。

この学校の敷地には、私が知ってただけで3つの言い伝えがあった。


①部室煉横の丘

太い木々が生い茂る丘があった。

昼間でもうっすらとそこだけ暗く感じた。

太い木の根っこが地面から這い出し、根っこを伝わって登って行く。

上りきった先には、首の折れた仏像らしき物が立つ。

噂ではその仏像の下には、人骨が納められていると聞いた。


ある日同級生のSとMが皆の気を引く為に、


「昼休み、骨があるか確かめてやる」


と、言い出した。

興味がある男女5名が集まり、仏像の足元の石を動かし始めた。

最初にSが手を入れ探し、頭蓋骨を取り出した。

他の者は、


「やっぱりあった!」


と興奮。

頭骸骨をMが取り、いきなり皆に向かって追いかけてくる。

全員逃げた。

昼休みが終わり、掃除時間に事件が起こった!

Sが掃除中に転んでガラス窓に突撃し、左手を全治2ヶ月の大怪我・・・

8針を縫う大怪我をおった。


「丘の祟り」


と、ささやかれた。

同日放課後、部活中に今度はMが右手の骨折。

全治3ヶ月の治療とリハビリの結果。

Sの怪我は偶然ととらえて良いが、Mまでも・・・

丘に興味本位で近づく者は居なくなった。


以降、その仏像にはセメントで蓋を固定し、誰もがいたずら出来ないようになった。


②講堂

当時の体育教官T先生が最初に言った。


「皆が三年間世話になるこの講堂は、戦後間もなく建てられ、杮落としで「美空ひばり」がショーを行った由緒ある物」


と、自慢げに言った。

しかしこの建物の噂は、そんな事では無かった。

深夜になると床にボールをつく音が響くと・・・聞いた。

昔、この行動で男子バレー部が試合前の練習に励んでいた。

練習が終わり、下校中に一人の生徒が交通事故で無くなったらしい。

その生徒が真夜中に一人で練習しに来てると噂があった。

私が、在校時代主に女子バレー部が使用してた。

一番遅くまで練習し、練習終了は他の部活生が帰った後だった。

部員は練習開始前は、館内の一室で準備してたが、終了後は外の軒下で着替えをしてた。

一番最後に出たくないらしい・・・

他には、首の無い人が館内を足り回ってるとか・・・


噂話は、年代ごとにある。

しかしこの二つは以前からある。

私の叔母も話してた。

完全ではないが、多少の大げさな内容にも変化してる。


今後も街の都市伝説を書こう・・・