オールウェイズ・朝日町の夕日 -44ページ目

大口小学校

私が入学した当時は、一学年4クラスの40人のクラスメートが居た。

一年生から四年生までは制服も無く、私服の登校だった。


低学年の頃は、給食の牛乳もビン詰めであり、寒い時期は40本入りの黄色いプラスチック製の容器を滑らし割れていた。

そこらじゅうに白い水溜りみたいなのが出来て、クラス全員で撤去作業した思い出がある。

入学したての頃は、ビンの牛乳が多く感じ、コッペパンが大きく感じ完食するのがやっとだった。

担任によっては残すのを許してるクラスもあったが、食べきるまで昼休みも返上し、完食する児童もたまに居た。


一番人気は何?

と、聞かれても一番は決められない・・・


カレー、ミートスパ、炊き込みご飯・・・美味かった~♪

補助食はやっぱり、かぼちゃフライが私の中のダントツだった。

苦手なのがおでん・・・特に大根には昼休みを潰されてた記憶がある。


小学3年位から急にパンよりご飯の日が多くなった。

理由は、政府米なる物が余ってると聞いた。

週3のご飯の時期もあった。


夏場は以上に苦手な牛乳が美味しく感じた。

しかし、時に給食当番者が手を滑らし、牛乳が無い時もあった。


大口は、当時から給食センターで市内の小中学校の給食を一手に作ってた。

四時間目の中盤辺り、センターのトラックが到着し、間もなく本日のメニューの匂いが校内に漂う。

授業に集中出来なく、上の空・・・

四時間目の授業が永く感じるものだった。


一度だけこんな事もあった。

牛乳を運ぶトラックが大雨の為、送れて到着。

しかし給食の時間は終わってた。

帰りの会の時に飲んだ記憶もある。


学年も上がるにつれ、給食が物足りなくなった。

牛乳もビンからパックに変わり、さすがに落とす事も無くなった。


美味しかった給食のイメージしか無い私・・・

毎月、月初め学校の正面玄関の事務室に並んで給食費を収めてた事も懐かしい・・・

残念な話だが、朝間に合わなかった児童が昼休みに納める為にランドセルに保管してる給食袋が盗まれる事も時々あった。


「全員目をつむれ!今日、このクラスの○○さんのカバンから給食費が盗まれた。正直に自分だと思う者は手を挙げなさい」


と、担任がやってた。

誰が犯人か見たくて、薄目で見てた。

名乗り出る者は居なかった。



忘れられない味のひとつである・・・。

30年前の活気

昭和50年代に入った頃の街。

一番活気があったんじゃないかと思う。

春と秋には、メインストリート約2キロに渡り模擬店等が軒を連なり賑わった木市。

子供の頃は、朝から、夕方まで右往左往してた。

そこに行けば、普段学校でしか遊べない同級生とも会えた。

一緒に、くじ引きや射的をし、フランクフルトやイカ焼き等普段は滅多に食べられない珍しい物を買って食べた。

時には、学校の先生が見回りをしてて遭遇してた。


夏は、「夏祭り」も盛大だった。

各商店街が小さめのトラックに飾りつけをし、荷台にハッピ姿の子共達を乗せてのパレード。

化粧をさせられてた・・・。

スタート直後は楽しくて仕方無かったが、市内中心部に差し掛かると見物者の中にクラスメートを発見。

化粧した顔を見られたく無いので思わず隠れる事もしばしば・・・。


同時期に「花火大会」もあった。

私の記憶では、「十曽池公園」で行われていたと記憶にある。

池の湖畔沿いに腰掛け見物した記憶がある。

最近は、総合グランドがある、川内川で開催している。


忘れていけないのが、「忠元公園さくら祭り」

市内の高台に有り、その忠元公園には4ヶ所の入り口がある。

いずれの入り口から入っても、その急な坂道沿いには満開の桜並木が出迎える。

当時は公園とは言っても、神社と公衆トイレ位しか無かった。

しかしこの時期になると、出店が40~50件近く連なり賑わった。

最近では、幼児用の遊具が設置され、季節外でもバーベキュー目的の団体や家族連れで利用されている。


数年前にいずれのイベントを見たが、当時の賑わいは半減している。

少子化も原因のひとつなのか・・・。

ここ数年は商店街の老舗店舗の後継者達が色んなグループで町の活気維持の活動をされてるとの噂を耳にした。

特に、観光地と言う訳でもない町。

若い店主達は試行錯誤で頭はいっぱいだろう。


活気があった時代の復活は厳しいもの。

時代の流れで片付けてしまうのは悲しい・・・。

それでも逞しく肩を寄せ合い、切磋琢磨しながら活気と言う灯りを絶やさぬ様に頑張ってる形が残ってるだけでも古き良き時代の大口の姿だと思った。


稼業を継いだ負担と同時に、町の活性の主力としての負担も自動的に背負わされる後継者達。

離れて暮らし、年に数回しか帰郷しない私に何が出来るか?

今後の課題にしたいと思った。

大口の熱血ラグビー馬鹿物語 Part5

創部から4年が経ち公式試合に参加できるまでになった。

ユニホームも揃った。

デザインは、大自然 大口のグリーンと、土の色を例えたイエローをあしらっている。

胸元には、キャラクターぽく、唇のマーク。

これは大口のチームとして大きい口を象った。

更に、チーム名も大きい口を単語で英訳し、「ビッグ・マウス・ジュニア」と命名した。


会場ではそのユニフォームが眩しいくらい目立つ!

後は大分に向けて闘うのみ。


鹿児島市内の高台の会場は、初夏の日差しが容赦なく照りつける。

芝の照り返しもあり、体感温度は40℃を超える。


選手達に水分補給を徹底する様に監督から何度も言われる。

同時にサポート役の保護者にも伝えられる。


既に保護者は、自分の子供だけでは無く、チーム全体のマネージャーとしての認識が強い。

クーラーBOXいっぱいの氷を持参する方や、前日から冷蔵庫で絞ったタオルを持参される方もいた。

創部以来、監督である友人は、子供達との絆と同時にその保護者とも意識を高めた結果が伺えた。


試合開始!

緊張のせいか、普段通りの動きが出来てない。

やや動きが硬い・・・。

初戦を勝利した。


次は、決勝戦!

ライバルチームとの闘い!

緊張感も解れ、普段の動きが出始めた。

しかし相手チームはリベンジ精神で挑んでくる。

大差無く敗北・・・。

最後に応援席の保護者のもとに挨拶に来る選手達。

皆、自信があったばかりにへこむ。

表情に笑顔が無い。


私が、試合を終えた選手に、


「落ち込むな!大分で頑張れば良い!」


と、声を掛けた。

しかし、返事は無く脱落感のみ。

後の話だが、監督から聞いた、


「大分で頑張れって言われたけど、俺達負けたんだよ。大分に行けないのに何であんな事を言うんだろう?」


と、言ってたらしい。

上位2チームが出場出来る事を最後まで伝えて無かったらしい。

閉会式も、ションボリしてる。


終了後、監督からの挨拶が始まった。


「暑い中ご苦労さん!とにかく水分を取りながら聞いて!今日の○○君の動きは最高だった!etc・・・。保護者の皆さんの暑い中有難う御座いました!大分行きの日程が決まりましたら通達しますので、改めてお願いします。明日から大分に向けて練習頑張りましょう!」


と、伝えた。

うつむく子供達は、「エッ?!」と言う様な表情で監督を直視した。


「負けたのに何で行けるの?」


と、監督に詰め寄る。


「優勝チームがAクラス、準優勝チームがBクラスで行ける」


と、話すと一瞬にして先程の落ち込みようから一転、歓喜の表情に変わった。

これまでの集大成。

苦楽を共にしてきた仲間と、数日間昼夜寝起き出来る楽しみもあるが、この仲間と一緒にプレイできる時間を楽しもうと言う気持ちの方が大きいらしい。


夏休みに入り、遠方から来る選手は監督宅に泊まりこみさながら合宿モード。

近くの高校のラグビー部に胸を借りに行く。


同時に、監督夫妻は大分行きの予算の準備に奔走してた。

保護者への帯同のお願い等・・・


九州大会は迫る!