オールウェイズ・朝日町の夕日 -35ページ目

銭湯

市街地には銭湯が2件あった。

大口市の周囲は温泉が豊富に出る。

市街地には、温泉地と天然温泉の銭湯があるにはあった・・・。


街中には、「平和湯」と、「新天地」と言う銭湯があった。

我が、朝日町にあった「平和湯」は毎晩通った。

当時、借家住まいの我々家族。

父親が仕事から帰って来るのを待ってから向かう。

母は、夕食の準備とお風呂の準備をし、私達兄弟は、宿題を済ませて待つ。

しかし、父が帰宅後そのまま行くか行かないかは、まだわからない。

空腹でたまらない父は、


「晩飯食ってから行く!」


逆に、疲れて帰って来た時は、


「すぐ行くぞ!」


で決まる。

家族で歩いて向かう。

途中、商店街の人々が店じまいしてる前を通る。


「今から風呂ね?おじちゃんもすぐ行くから・・・」


前に風呂上りの近所の人とすれ違うと、


「今なら空いてるぞ!」

とか

「今、多いぞ!」


と、話しかけてくる。

当時大人130円、子供50円の入湯料を払い中へ。

母と妹は女風呂へと別れる。

父親は、いつもの定位置に道具を置いて、陣取る。

熱いのが苦手な私は、「薬風呂」と書いてある若干温目の湯船に浸かる。

最初に体を洗った父が、


「よし!洗うぞ。来い!」


と呼ぶ。

地獄の時間・・・。

かなり強い力で擦る父。

体中が赤くなるほど擦る。

今度は、一緒に大きな温度の高い湯船に浸からされる・・・得意げ

肩まで浸かり、100まで数えさせられる。

この瞬間が地獄だった。


入れ替わりで町内の顔見知りの人がやってくる。


「もう、晩飯食ったか?」

「綺麗にチンチン洗って貰ったか?」


と、毎回の会話。

脱衣場に上がり、待ちに待った時間!


風呂上りの一杯。


コーヒー牛乳かプリンを買って貰えた。

しかし、夕食前なので父親と半分ずつ。

それでも嬉しかった。

普段もコーヒー牛乳みしても、プリンにしても何処でも売ってあるが、この時のここで味は一味違った。

特別美味しく思えた。


残念な事に、フルーツ牛乳が置いてなかった・・・汗


「平和湯」が定休日とか故障で臨時休業の時は、「新天地」に行った。

わざわざ車で向かってた。冬場は極寒の大口。

湯冷め対策として仕方無い。

嬉しい事に、ここにはフルーツ牛乳が置いてあった!

これが楽しみだった。

近所の店にも売ってないので、ここでしか飲めない物だと思い込んでた。

たまには、故障も嬉しく感じた。



「平和湯」に戻る。

洗い終わり、洗い場を出る時、父が女湯に向かって、


「おーい!こっちは出るぞ!」


と、一声掛ける。

聞こえたかどうかは、コーヒー牛乳の代金を払う番台を見つめる。

母か妹の姿を見て確認する。

ほとんど同時に出て、家に向かう。

途中には、やはり近所の人が夕食を済ませ、家族で向かう姿を見た。


父親も、その家族に、


「今、空いてるよ!」

「今日はちょっと温めやった!」


とか、行くときにすれ違った近所の人と同じ事を伝える。

細かい情報も共有し、バトンタッチする町内の連携を見た。


帰宅し、夕食タイム。

我が家に風呂が出来たのが、その3年後だった。

徐々に銭湯に行く機会が無くなる。

たまに家の風呂が壊れた時のみ。


今は、いずれの銭湯も無い・・・

市街地には存在する。

私も今でも、大口に行くと必ずどこかの銭湯に立ち寄る。

帰れば風呂は当然あるが、あの当時のコーヒー牛乳、プリン、フルーツ牛乳のそこでしか味わえないのを感じる為に・・・。

やはり、当時と同じ味に満足している。

癒しの味とも言える。


今度は、自分の子供と半分ずつしようと思う。

県立栗野工業高校

ついに、髪の毛を伸ばせる理由だけで入学した。

リスクもあった。

女子生徒がひとりも居ない事のみだが・・・・。


入学間も無く、先ずは同級生の間で権力争いが始まる。

色んな地域から「きかん坊」が入学してきてる。

出身中学ごとに派閥が出来る。

その派閥間で争いがおきる。

しかし、結果は1週間で収まり、やはり一番人数の多い大口中学出身者がしめる。

入試の時、ヤバそうな奴らは入試に落ちて来てない!

ラッキーだったガーン


上級生も色んな人が居た。

先ず思ったのは、年齢が1つか2つしか違わないのに、かなりの年上に思えた事。

中学からの先輩が、やたら大人っぽくなった事だった。


顔面凶器、おやじ顔、無愛想・・・・・


とにかく評判が悪い学校なだけに怖かった・・・得意げ


休み時間の売店では、先に3年生に優先して品物や、順番を譲る。

次に2年生へ。

それから1年生の番が回ってくるが、次の授業の鐘がなる・・・汗

結局、買えずじまい・・・。


ようやく、買えるのは昼休み!

しかし、売店には売れ残りのパンと飲み物しかないしょぼん

しかも、飲み物は定温の箱から出したての物・・・。

校内には販売機も食堂も無い。

学校周囲に一軒だけレストランみたいなのがあったが値段が高い!

取り合えず1年間は我慢!


持参の弁当は必須だった。

ほとんどが、1時間目の休み時間か2時間目の休み時間に食べる。

食べてる途中、先輩連中が教室に入り込んで、弁当の品をつまみ食いされてたあせる

昼にはお腹が空くのも仕方無い。

売店では気の利いた物は完売し、弁当の品は取られるので満足できない・・。

律儀に昼休みに弁当を広げる者がターゲットとなった。

残酷な1年生生活であった。


髪型にしても、制服の形にしても時に先輩からチクリチクリと、嫌味を言われる。

ダボダボのボンタンを履いて行くと、


「俺らが1年の時は、没収されてたのに・・・・」

「今年の1年はわかってないな~」


等・・・・。

髪型にしても、


「最近俺らが機嫌悪いのが見えないのかね~」


とも言われた事もあった。

意外に器の小さい話。

一度、言われた事に納得出来ず、深夜に先輩宅に行った事があった。

その先輩宅には、同じ学校以外の連中も遅くまでたむろっていた。

数日前から、その先輩宅の近くで解散時刻をリサーチした。

午後10時半。

次々にバイクが出て行く。

全てのバイクや人が出て行った30分後に決行!

玄関横の先輩の部屋には明かりがついてる。

あえて正面玄関の呼鈴を押す。

これも計画のうち。

玄関の扉とその横の窓が同時に開いた。

玄関からは、先輩の母親、窓からは先輩が顔を出した。

先輩の存在には気付いていたが、そこはわざと見て見ぬふりをし、


「すみませn。夜分に・・・。後輩なんですが、○○さん居ますか?」


と、無表情で伝えた。


「ハイ、まだ起きてるとは思うけど・・・。こんな時間に何かあったの?」


と聞かれた瞬間、横の窓から顔を出してた先輩が、


「起きてるけど、どうした?」


と、いきなりの訪問に顔が引きつった。

母親には、


「すみません。居たので、外で話します!」


と、不安に残るであろう態度で言った。

少し大きめの母親に聞こえる位の声で、


「先輩達に叩かれる覚悟で来た!学校も辞める覚悟で来た!納得できなくて・・・」


先輩は、


「何よ。どうした?とにかく入れよ」


と、いつもと違う私の態度に動揺してるのがわかる。

母親は、隠れて聞いてるのもわかる。


「いや、入りません!家の中だと大暴れ出来ないでしょう?お互いに・・・」


「何か俺がした?何かお前が頭に来た事があれば教えてくれ」


と、焦っている。


「1年の制服や髪型の事でイチイチ言われたくない!制服も散髪代金も先輩に払って貰ったわけでも無いし、言われたくない!校内で目障りならあんたが学校を辞めれば良い。何ならここでケンカしましょうか?」


と、思い切って吐いた。


「まあ、そんなに興奮するな~。わかった、悪かった・・・」


と、平謝りの先輩。

全ては計画通りに進んだ。

問題は、明日の登校時の態度の急変が気がかり。


通学の列車の中で、顔を合わす。

すると、


「お前のお陰で、寝坊しそうだったぞ」


と、彼なりのコンタクトを取ってきた。

完全勝利を確信した。


以降、学校生活が楽しくなり始めた。

同時に、我々1年生と、2年生の仲はピリピリした関係が、しばらく続いた。


大口KIDのファッション

年齢的にもオシャレに興味を持ちつつある中学生時代。

特にこれと言ったショップは無かった。

仮に専門店やあったとしても所詮坊主。

町の代表的な店は、


ジーパンショップ アメリカ屋

記憶には、最初は町のメインストリート沿いにわずか5坪程の狭い店だった。

背の低いおじさんが営んでた。

ジーンズ専門店とは言ってるものの、その店主の格好はグレーのスラックスにポロシャツに草履姿。

しかし、数年後移転した。

自宅兼店舗を新しく建て替え、店内もこれまでの狭い空間から広々とした店内に生まれ変わった。

更に、ダサかった店主もジーンズを履き、チェックのシャツにスニーカーと変身!

品数も増え、臨時のお小遣いが入れば通った。


まるせい

駅近くの老舗の店。

1階は衣料品が中心で、2階はおもちゃや雑貨品が揃う。

記憶では、幼い頃から祖母に連れられて行ってた。

とにかく、昼間から夕方は年配客が多かった。

学生時代は、制服も注文しに行ってた。


マルミヤ

今も営業してるらしい。

場所も商店街中心部に移転して・・・。

体操服や学校指定の備品はここで揃った。

食品以外何でも揃ってた。



そして忘れてならないのは、寿屋!

その昔は、商店街の一角に3階建てに屋上まであった。

小学3年生の頃、国道沿いに移転した。

朝日町商店街から更に遠ざかり、自転車や徒歩では中々行けなくなり、休日家族で行くようになった。

新しい寿屋は2階建てで、ひとつのフロアーが広くなった。

少しのスペースではあるが、スポーツ用品や靴、男性服等各コーナーがあった。

ゲームコーナーも広く、町にゲームセンターが無かった為、ゲーム目的のみの利用者も多かった。

ファッションに関しては、あまり買わなかった。

理由は、買ったばかりの服を着て遊んでると誰かが、


「お前、それ寿屋で買ったやろ?1980円じゃなかった?」


と、言われる。

恥ずかしいので、買うのをやめた汗


おしゃれな連中は、親が頻繁に鹿児島市内やそれ以外の地域に良く行く家庭か、兄や姉が居る者が居て、一緒に買いに行く奴ばかり・・・。

私にはどちらも当てはまらない・・・得意げ


意外な連中と言ったら、オシャレな同級生が居た。

月に一回だけ鹿児島市内に行くらしい。

電車賃もメシ代もファッションに注ぎ込む奴ら。

朝5時に自宅を出て、自転車で鹿児島市内に行くらしい。

大口から鹿児島市内まで80キロある。

私がその情報を聞いた時は、既に3回も行ってると言う。

一度、そいつらが買い物から帰って来る光景を偶然見た。

3台の自転車が一列に並び、赤く日焼けした顔で疲れ切ってる状況。

サドルをゆっくり漕いで、無言で家に向かってた。


こいつら、本当に行ってる・・・


と思った。

行きと帰りで10時間、買い物に1時間らしい・・・。

買ったら即帰るらしい。

真似は出来ない。


田舎のKID達は色んな各自の考えで、思い思いのオシャレを楽しんだ。

因みに私は、ある物とジャージだった・・・・・・得意げ