オールウェイズ・朝日町の夕日 -36ページ目

大口の熱血ラグビー馬鹿物語 Part9

鹿児島県選抜チームに召集された保護者は、応援やサポートの為やはり帯同する。

毎週の合同練習の送り向かえに、大会当日の熊本までの移動。

更に、保護者自らの宿泊先の手配・・・・。

大変であった事だと察する。


大会当日

選抜メンバーは協会が準備したバスに乗り出発する。

ビッグマウスの保護者も待ち合わせし、乗り合って熊本に向かう。

会場に到着し、早速ユニフォームに着替え、開会式。

他県の選抜ともなれば、中学生らしからぬ体格が多い。

有名高校からのスカウト対象者も居ると聞く。


式終了後、軽い練習が始まる。

監督やコーチ陣も県内チームでそれぞれ指導する方々。

記念撮影をし、明日の試合に備え宿泊先に向かった。


一方、保護者も県内様々な所から応援に駆けつけてる。

チームごとに宿泊先は違う。

ビッグマウスの保護者は、会場から5キロくらい離れた場所にした。

大分大会も結構な経済的負担だった為、監督がなるべく低料金のホテルを見つけてくれた。

監督夫妻部屋の扉をノックする音。

毎回試合や練習に夫婦で来られてる保護者だった。

夫婦で両脇にビールやジュース、おつまみが入ったビニール袋を抱えて、


「今回もお疲れ様です。監督は今回は一保護者だから飲みましょう!たまにはこう言う時もないとね~」


と、これまで誘うのを遠慮してらしい。

監督も、


「たまには良いですね~。甘えます!今回は同じ保護者の立場だから今日は飲みましょう!」


と、監督と保護者の壁が無く終始楽しく過ごせた。

監督の本音、保護者の本音、互いが相手に対する感謝を言い合う。

中でも、今後の子供達へのサポート等、保護者から提案もあった。

練習や試合は監督に、イベントや栄養会等は保護者管轄で行う事などを決めた。


その他の保護者が、


「監督に預けっぱなしでこれまで何も恩返ししてない。ラグビーでうちの息子は変わった事に感謝してる。時に気持ちで謝礼を出すが監督は一切受け取らないし、何をしたら良いか悩んだ。」


と、話してくれた。

その気持ちを受け取った。

チームの子供達の絆に加え、保護者の絆まで生むラグビーの奥深さを知る。


翌朝、9時の会場

既にメンバーはウォーミングアップし、落ち着いて試合開始を待つ。

補欠のメンバーも水を汲んだり、全員で挑む空気が漂う。


私は、正直ラグビー未経験者で未だにルールを把握してないため、試合の流れを説明できないので結果しか伝えられない・・・ショック!


接戦の末、負けた・・・。

選抜チーム監督の気持ちで最終的に全員ピッチに立てた。

これで本当に3年生は最後の戦いは一旦終わった。

負けたものの、表情は明るかった。

満足感に満ち溢れてる様に伺えた。


「楽しかった!」


と話す。

負けて悔しいとは口には、誰一人出さな無かった。

保護者も満足の表情。


ラグビーの神様の降臨を選手や保護者の表情で感じた瞬間だった。

高校哀歌 ~教育実習生編~

高校時代大学の方から教育実習生が毎年やってきた。

2年生の時の事。

21歳の先生がきた。

県内でも悪評高い学校だった為、女の先生は来なかった。


白い少し改造した車で学校に来る。

サングラスをかけ、髪型もオールバック気味。

先生なりに、生徒になめられない様にキャラを作ってきてた。


廊下で我々に近づいて来て、


「俺もお前ら位の時は同じようにつっぱってきたから、何でも放してくれよ!」


と、ひとりでしゃべって去る。

当然相手にしてない。


1週間後にトラブル発生!

廊下を歩いてると、


「おい!待て!お前の制服のズボン違反じゃねぇか?ちょっと就いて来い!」


と、腕を捕まれた。


「何で担任でも正式な職員でも無いお前に言われないといかんの?なめてると叩くぞ!」


と反論した。


「上等や!お前誰にどんな物事言ってるのかわかってんの?職員会議にかけて処分して貰うぞ!そしてら坊主頭にならなきゃいけないんじゃない?坊主にはなりたくないんだろ?だったら素直に言う事きかんか!」


と、究極の脅しとも取れる事を言われた。

私は、


「明日まで待て!おぼえとけ!」


と啖呵をきった。

その日1日イライラが収まらない。

単純だった私は、ある事を思いついた!

放課後、後輩を自宅に呼んで、


「おい!このバリカンで5厘刈しろ!終わったらカミソリで剃り落とし、眉毛も剃れ!」


恐る恐る刈り込む後輩。


「本当に良いんですか?やりにくいです・・・」


「良か!ザックリいけ!」


1時間で終了。

翌朝登校時に帽子を深く被り、同級生に聞かれる。


「まあ、見てろ。面白いことするから!」


と伝えた。

栗野駅に到着し、学校へ向かう。

途中の栗野中の女子生徒が校舎から手を振られるのが毎朝の日課。

手を振り返すのも日課。

他に理由もあった。

当時、2歳年下の彼女が出来てた。

彼女は栗野中の3年生だった事もあって、中学の友達と一緒に校舎から手を振っていたのである。

しかし、その日は手を振ってくれない。

私に気付いて無かった。

何も言わずいきなりこの状態を見てショックを受けたらしい。

事の説明は放課後にと思い学校に向かう。


学校に着いて早々職員室に向かった!

職員室の前で実習生の登場を待つ。

当時の先生なんかも、


「お前坊主が嫌なら、言う事聞け!」


みたいな脅し文句を盾に言いたい放題にも納得してなかった。


続々と先生が出勤してくる。

ついに登場!


「おう!おはよう!ちゃんと来たな~。昨日の態度は何か?反省してんのか?」


と、朝から調子にのってる。


「お前、先生じゃ無いだろ?タダの大学生だろ?研修させて貰ってるんだから生徒にも感謝出来んのか?勘違いするな!」


と一括。


「お前、完全に謹慎か坊主確定やな!」


直後に、帽子を取り、


「おい!これ以上坊主に出来るならしてみろ!なめとんな!」


と、怒鳴った。

実習生は、あっけに取られ空いた口が塞がらない。

何も言葉が出ない様子だった。

他の先生も大声に気付き、職員室から出てきた。


「他の先生も、聞いとけ!坊主で生徒を脅すな!いつでも剃ってやるぞ!覚えとけ!」


と言って、教室に戻った。

実に気分が良かった。

それから目を合わす先生は居なかった。


放課後、彼女を呼び出し説明。

浮かない顔でこちらを見ない・・・。


「どうした?」


しばらくして口を開いた。


「さすがにその頭と眉毛では一緒に歩けないし、友達にも合わせられないから無理・・・」


ゲぇーーーーーーーショック!


わずか5日間のハッピーな高校生活だった。

その怒りの矛先は、先生に向けられたむかっ


後悔は全くなかった。

しばらく伸びるまで時間がかかるが仕方ない・・・。

選んだのは自分だから。


悲しい高校哀歌かな・・・・。

朝日町KID

朝日町の子供達は、町内の至る所で遊ぶ場所を探してた。

町内の裏に瓦工場跡地があった。

その敷地内に倉庫に使用してたと思わしき建物と、事務所らしき木造の建物があった。

倉庫は鍵がかかっておらず中に入れば、古い椅子とテーブルがほこりを被って置いてあるだけ。

ヒデ坊が


「ここを秘密基地にすっが!取り合えず、掃除をしよう!」


と言い出し、5人で掃除を始めた。

テル君が自宅からホウキを持ってきて結構大掛かり・・・。

ダンボールの調達の為最年少の私とコウジの2人で、商店街の文房具屋に行った。

10個のダンボールを貰って基地に帰る。

既に最年長のヒデ坊とノブ君は、一番奥の場所を確保していた。

内部にダンボールを敷き詰め、一応の土足厳禁の基地になった。

元々そこにあったテーブルと椅子を拭いて、中央に置きジュースで「僕らの秘密基地」誕生の乾杯をした。

ここをもっと快適にする為、各自自宅から便利な物を持ってくるようにノルマが与えられた。


翌日、基地には皆が持ち寄った物がある。

本棚、コップ、鏡、雑誌等・・・。

一番ビックリしたのは、途中でついて来た野良犬だった。

雄一が連れてきたらしい。

ヒデ坊が、


「この犬はここの番犬で飼おう」


と、決定。

年少の雄一、テル、コウジ、私の4名が登校前と放課後に餌やりに命じられる。

朝は、場所的に雄一とコウジが受け持った。

テル君と私は夕方担当になった。

平日は、学校の給食の残り物を調達出来たが、土、日、祝は厳しい。

父や母が居ない時、台所のパンなどを密かに持ってきて食べさせてた。

夕方には、ヒデ坊とノブ君が散歩に連れて行く。

毎日必ず立ち寄る場所になった。

徐々に内部の備品も拾い物で揃う。

壁にはポスターが貼られ、入り口には郵便ポストまで置かれた。

自分達の王国が出来たかのようだった。

雨の日も遊ぶ場所が出来て大喜び!


ある日、夕方行くと、何かおかしい・・・

誰かが昼間に侵入してる。

番犬の姿が無い・・・

コーヒーの空き缶が数本ある。

更に翌日は内部の揃えた備品が外に出したあった。

基地の裏には大きな重機が停まってる。


まさか、ここを壊すんじゃないか?


と、頭を過ぎった。

それは正解だった。


県営団地の建設が始まるらしい。

だから物心ついた時からこの基地の建物存在は知ってた。

以前から計画が決まってたので、永年そのままにしてあったと後にわかる。


番犬は、業者に放され、内部の備品は、解体業者に処分された。

仕方ない・・・・

翌週には、全ての建物が壊され、さら地になった。

かなりの広い土地に見えた。

重機が整地する光景を見入る僕ら。

戦争ゴッコやラジコンカーの競争もここで楽しんでたのが浮かんでくる。


団地の規模は、鉄筋4階建てが5棟建つと両親が話してた。

素朴な朝日町にも高層の景観が押し寄せてきてる。

当時、団地が出来た時は、公園も設置されると言う事と、友達が増える楽しみがあった。

本格的な工事が始まると、これまで見えてた者が見えなくなってくる。

子供ながらに寂しく思えた。

嬉しさと寂しさで揺れた。


当時近代的に見えた団地群も30年たった。

老朽化も囁かれてるらしい。

あれから30年以上経過してる事が不思議でたまらない。


今も、街を見渡せば必ず目に入る「朝日団地」