◆2026(令和8)年4月25日(土) 晴

 三菱オートギャラリー(MAG)は、三菱自動車工業(株)岡崎製作所の敷地に1989年(平成元年)に開設され、国内初の量産乗用車「三菱A型」を試作してから百周年を迎えた2017年(平成29年)にリニューアルされました。
 無料で見学できるので、かねてより探訪あいちで訪れてみたいと考えていたのですが、通常は土日は休館日で、平日(工場稼働日)にしか開館していません。今回、特別開館日として4月25日(土)に見学できることとなりました。
 早速見学の予約して、探訪あいちを企画しました。

 集合場所の大高緑地公園は濃いピンク色のツツジがきれいに咲いていて、花の季節が来たと感じます。
 午前8時30分、8人でスタート。現地までは、旧東海道経由で行きます。
 旧東海道を初めて走る方が見えましたので、見所スポットを紹介しながらの走行としました。

 名古屋第二環状自動車道(名二環)の高架脇に2012年(平成24年)に復元されたのが、有松一里塚です。
 有松の古い町並みを走り抜け、豊明市の阿野一里塚へ。

 一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川家康の命により、江戸日本橋を基点に街道の両側に一里(約4km)ごとに設けられました。塚の上には榎や松が目印に植えられました。
 愛知県内の東海道には18か所の一里塚がありましたが、江戸時代のものが残るのは名古屋市の笠寺、豊明市の阿野、知立市の来迎寺(らいこうじ)、岡崎市の大平、豊橋市の一里山の5か所です。現在も道の両側に塚が残っているのは阿野と来迎寺の2か所のみです。全国でも珍しく、阿野一里塚は国指定史跡になっています。
 私たちのほかにも、東海道ウォーカーらしき人もいました。

 交通量の多い国道1号の脇にある境橋を渡ります。橋下を流れるのは境川。その名のとおり、この川は尾張国と三河国の境界を流れています。現在の豊明市と刈谷市の市境にもなっています。近くには伊勢湾岸自動車道や名鉄豊明駅、敷島製パン刈谷工場などがあります。
 境川は、全国各地にあり、例えば東京都と神奈川県を流れて相模湾へ注ぐ境川も、武蔵国と相模国の境界を成すことに由来します。

 知立公園・知立神社にてトイレ休憩。
 公園には菖蒲園があります。来月になれば、きれいに咲くことでしょう。

 国道1号を潜る地下道を自転車を押して通過します。
 ここから旧東海道の知立の松並木が500mほど続きます。松並木は旅人にとっては夏は日差しを遮り、冬は防風防寒の役目を果たしたと考えられ、旧街道の象徴でした。その姿が往時を思わせます。愛知県指定文化財(天然記念物)に指定されています。
 この後も断片的に松並木があります。

 来迎寺一里塚には松が植えられ、北塚は原型を残していますが、南塚は一部改造されています。愛知県の指定文化財に指定されています。北塚の前に公民館が建っているのが景観を損ねていて少し残念です。

 安城市に入ってしばらく走ったところに永安寺の雲竜の松があります。
 通常、松の主幹は直上して伸びるものですが、このクロマツの主幹は高さ1.5mぐらいのところから枝張りが横方向に広がって伸びています。その樹形が雲を得てまさに天に昇ろうとする竜を思わせるので、「雲竜の松」と称されています。樹齢は350年見当とされています。

 熊野神社・尾崎児童遊園に公衆トイレがあるので、ここで休憩。
 尾崎一里塚跡の石碑、鎌倉街道跡の説明板があります。

 国道1号に合流する手前で左折。路地裏のような細い道を進むと、三菱自動車工業岡崎製作所に到着です。

 見学時間は午前11時から。すでにほかの見学者の方々も集まっていました。
 受付で、はがき大の銀色の袋をいただきました。
 「中に当たりのカードが入っていたら、何か景品がもらえます」
 8人の中で、白のトレックさんにラリーアートのTシャツが当たりました。

 三菱オートギャラリーに入館すると、女性職員の方から「三菱の自動車のはじまり」「時代を駆け抜けた車たち」「極限に挑戦した車たち」の3つのゾーンで構成されていることなどの説明があり、その後、自由見学となります。

 順路の最初に出迎えてくれるのが三菱A型です。
 展示解説板によると、「我国初の量産乗用車として1917年(大正6年)に製作。当時の先進国ヨーロッパ車を参考に、三菱造船(株)神戸造船所で1921年(大正10年)迄に試作を含め30台製作。(展示車は当時の資料をもとに1972年復元。)」とあります。その姿はトヨダAA型とよく似ています。
 その横には「シルバーピジョン」というオートバイ(スクーター)が展示されていました。三菱は二輪車も製造販売していたのですね。車名は平和の象徴であるハトにちなみ、1946年(昭和21年)から1964年(昭和39年)まで製造されていたそうです。
 「三菱・みずしま」は、新三菱重工業水島製作所が太平洋戦争終戦後に初めて生産したオート三輪型ピックアップトラックです。運転席が車内の中央にあり、オートバイのようなハンドルバーとまたがるシートになっています。自動車とオートバイが合体したような造りといえるでしょう。
 その隣には三菱の「レオ」。オート三輪というと、ダイハツ「ミゼット」が有名ですが、レオもよく似た形です。

 私たちサイクリストにとって注目すべきは、「三菱十字号」です。
 戦後まもなく登場した自転車「三菱十字号」は、敗戦で航空機製造を禁止された旧三菱重工業が、ゼロ戦などの残材だったジュラルミンをフレーム素材に使用した自転車です。1947年(昭和22年)に津製作所で製造されました。
 リベット打ちで接合されたクロス型フレームが特徴的です。
 余談ですが、シマノの「Dura-Ace(デュラエース)」は、ジュラルミン(Duralumin)という素材、Durability(デュラビリティ=耐久性)と、さらに「世界で一番に」という思いを込めた「Ace」に由来しています。当初は「ジュラエース」とも言われていました。
 さらに余談ですが、大安の西川さんが今日乗ってみえた「MAEDA」に付いているDURA-ACEのトリプルクランクは、今では入手困難な代物です。

 三菱の黄金時代のラリーカーであるランサーやパジェロ、そしてコルト、ギャラン、GTO、デボネアなどの乗用車などが展示され、懐かしい思いにさせられました。

 最近、公道では、デリカ、アウトランダー、デリカミニ、ekワゴンぐらいしか三菱の車を見かけなくなったのは残念です。
 男性職員の方が、今はデリカとデリカミニが人気だと言っていました。デリカはトヨタのヴォクシーなどに比べてアウトドア的要素が強いことで支持があり、また、デリカミニは軽自動車なのに300万円もするのですが、久々の人気商品になったそうです。

 昔の四方山話ですが、私が現役の時、三菱自動車工業労働組合に用があって、ここ岡崎製作所に公用車で来たことがあります。
 入口の守衛に、
 「他社の車ですね。あちらに停めてください」
と言われ、入口から遠い場所の駐車場を案内されました。
 メーカーで駐車場が分けられるとは!
 30年たった今でも、記憶から消えない出来事です。
 今日は、他社の車も近くの駐車場に停まっていましたので、そんなことはなくなったようですが。

 見学後はランチです。最初に「中華料理 天伸」に行ったのですが、予約でいっぱいで30分以上待たないといけないとのこと。店を変え、「上海菜館 喜福家」に行ってみると、こちらも混雑していたものの、運良く8人分の席が取れました。
 店員は皆、中国の人です。大陸の方か台湾の方かわかりませんが。
 私は醤油ラーメンとカレー炒飯のラーメンセットを注文。出てきた現物を見てびっくり。とにかく量が多いのです。一般的に中華のランチセットだと、ラーメン+半チャーハンですが、ここは2品ともフルサイズの量。しかも価格は880円とリーズナブル。普通なら、どちらか一つでもこれぐらいの値段はします。味も平均以上だと思います。ガッツリ食べたい人には、ありがたいお店です。
 私は食べきれず、炒飯を半分近く残してしまいました。このまま残飯ゴミになってしまうのはもったいないので、店員さんに「持って帰りたいので、サランラップか何かもらえないでしょうか」とお願いしました。
 すると、持ち帰り用のパックとレジ袋をくれたのです。このサービスに嬉しくなりました。

 満腹になった後、三菱自動車研修センターの奥の公園に行きました。ここに小針1号古墳があります。
 壬申の乱に敗れた大友皇子が秘かに三河に逃れてきたのち、この地で崩じ葬られたという伝承がある古墳です。埴輪をもつ前方後円墳でしたが、今は「後円」部のみになっています。フェンスで囲まれているので、墳丘に登ることはできません。
 宮内庁が治定している大友皇子の陵墓は滋賀県大津市にありますので、大友皇子が葬られたというのは、あくまでも伝承なのでしょう。

 帰路も旧東海道を走ります。追い風なので往路より楽にペダルが回せます。

 知立神社参道の旧東海道沿いにある小松屋本家で一服します。
 ここは知立名物あんまきの元祖の店です。小松屋の先祖が明治22年(1889年)頃、焼き菓子の「二つ折り」の中に餡を入れてみたところ、東海道を往来する人々に大変評判が良かったことから始まったと言われています。
 餡は黒あんと白あんがあり、どちらも1個200円です。冷凍アイスあんまきもありました。
 手焼きのあんまきには、「知立名物 小松屋本家」か知立市のゆるキャラ「ちりゅっぴ」の焼印が押されています。
 餡は甘ったるくなく、いい塩梅で美味しいです。個人的には、メジャーな藤田屋よりここの方が好きです。
 西川きよしさんや杏さん(渡辺謙さんの娘)、いろいろな芸能人も来店されており、店内には写真やサイン色紙が飾られていました。
 店内にもベンチがあり、腰かけて食べることができます。
 ちょっと気になるのが、外に「鉄砲」と書いてある看板があること。銃とか弾薬を売っているのでしょうか。店内にはそれらしき物は見当たらなかったのですが‥‥‥
 店の前には昔ながらの丸形ポストもあり、歴史を感じさせる雰囲気を醸し出しています。

 最後に立ち寄ったのが豊明市の桶狭間古戦場伝説地。
 とよあけ桶狭間ガイドボランティアの方が、桶狭間合戦での今川義元軍と織田信長軍の行軍ルートや戦いの状況をガイドしてくださいました。
 戦国武将の今川義元は歴戦を勝ち越え、勢力を拡大した軍略家でしたが、桶狭間の戦いで少数の織田信長軍に敗れました。10倍ともいわれる大軍を率いる中で備えに微妙な隙が生まれ、結果として手薄になった本陣を一気に攻め落とされました。わずかな気の緩みか油断があったかもしれません。織田信長の作戦勝ちの面もあったでしょう。歴史を学ぶことは、今を生きる私たちにとって未来への指針となります。

 予定より若干遅く、大高緑地公園にゴール。
 本日の参加者は、50代後半2人、60代後半2人、70代4人のロートル軍団でした。
 なかでも、赤いヘルプマークを身に付けて、初めて探訪あいちにご参加いただいた松井さん、ありがとうございました。作家の五木寛之氏は「70代こそ、新しいことに挑戦する適期」と語っています。これからもご自分のペースで自転車を楽しんでください。そして、愛知県サイクリング協会のイベントにも参加してください。

【サイクリングコース】
大高緑地公園(午前8時30分)⇒ 旧東海道 ⇒ 阿野一里塚 ⇒ 知立神社 ⇒ 知立松並木 ⇒ 来迎寺一里塚 ⇒ 永安寺・雲龍の松 ⇒ 尾崎一里塚跡 ⇒ 三菱オートギャラリー〔見学〕 ⇒ ランチ〔上海菜館 喜福家〕⇒ 小針1号古墳 ⇒ <折り返し・往路と同じ> ⇒ 桶狭間古戦場伝説地 ⇒ 大高緑地公園・解散(午後3時45分)
走行距離:46km
所要時間:7時間15分

【参加者】
のださん、白のトレックさん、大安の西川さん、所さん、YOSHIさん、松井秀明さん、鉄のGIOSさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人


★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「4月25日(土) 三菱オートギャラリー」を御覧ください。

https://x.gd/RclMP

https://hasirenai.com/photo-index2026.html

 

◆2026(令和8)年4月12日(日) 晴

 集合場所の近鉄富田駅までは輪行で行きました。通常なら名鉄で名古屋駅まで行って近鉄に乗り換えます。しかし、混雑した名古屋駅を輪行袋を担いで移動するのは嫌なものです。1時間10分ほどかかりますが、自宅から国道1号を近鉄蟹江駅まで自走しました。

 8時10分発の急行伊勢中川行きに乗車し、8時29分、近鉄富田駅着。東口改札を出ると、すでに大安の西川さんがいました。
 その後、皆さん到着し、集合時間前に全員が揃いました。輪行の方、車の方、半々ぐらいだったでしょうか。
 9時5分スタート。北上し、最初の訪問地へ。

<川越電力館・テラ46>
 「テラ」はラテン語で「地球」の意味。「46」は地球誕生から46億年を表しています。
 人と地球の共生と未来をテーマとした参加体験型の施設です。外観は四角いビルの中に地球儀が挟まったような形をしています。入口は3階で、6階までがエネルギーや地球環境問題について楽しく学べる展示物やシアターとなっています。日曜日とあって、多くの子供達が来館していました。
 最上階の7階は360°の展望サロンになっていて、眺めがいいです。川越火力発電所の施設を始め、遠く鈴鹿山系や伊勢湾が望めます。
 エレベーターで1階に降り、屋外にある伊勢湾ジオランドへ。東海三県の地形にいろいろな名所が案内された公園になっています。御在所岳、恵那山、茶臼山、伊勢神宮、渥美半島などを模していて、疑似小旅行ができる感じです。

 ここからは四日市港の沿岸沿いを走ります。すぐ右側の国道23号(名四国道)には、大型トラックやダンプカーがひっきりなしに走っていますが、こちらはほとんど車が通ることなく、安心です。と言うのも、橋を渡る際に国道の歩道を行くとき以外は、緑地公園内を走るからです。

<霞ヶ浦緑地>
 左手に三重県で一番高い四日市港ポートビルが見えます。霞大橋アンダーパスを潜ると、四日市ドームや野球場、テニスコートなどがある霞ヶ浦緑地に入ります。海岸線に沿った南北に長い公園で、「ロングビーチ通り」の標識がありました。四日市市とアメリカ・カリフォルニア州ロングビーチ市との姉妹都市提携を記念して名付けられたものです。名前はカッコいいですが、砂浜のビーチはなく、コンビナートが見えるのが少々気分を損ねます。しかし、海岸沿いを走るのは気持ちがいいですし、見える海も以外ときれいです。

<稲葉翁記念公園>
 四日市港は1899年(明治32年)に開港場に指定され、国際貿易港としてスタートしました。1873年(明治6年)から廻船問屋の稲葉三右衛門が私財を投げ打って11年に及ぶ大規模な改修工事を行うことで近代港湾として発展する基礎を築きました。
 稲葉翁記念公園は、四日市湊を修築して近代港湾への基礎を築いた稲葉三右衛門を偲ぶ公園です。

<ボードウォーク>
 四日市港はコンビナートが隣接するなど工業港としての性格が強いですが、近年の工場夜景ブームで神奈川県の川崎港と並びその景観に人気が生まれ、観光資源にもなりつつあります。
 その夜景クルーズの発着場にあるのがボードウォークです。ここから様々な船を眺めることができます。またその背後には海の生き物たちが描かれた壁画もあります。地元高校生の手により1996年(平成8年)に完成しました。

<臨港橋>
 臨港橋は、四日市港の千歳(ちとせ)運河に架けられた道路用の可動橋(跳ね上げ橋)です。船舶が通るときは遮断機で車の通行を止め、中央部の橋桁を油圧ジャッキで約70度押し上げて開きます。初代は1932年(昭和7年)に竣工し、現在の橋は1991年(平成3年)に完成した3代目です。
 鉄道の踏切と同じような信号機と遮断機が橋の両端にあるのが面白い。航行する船舶はほとんどないので、実際に跳ね上がったところが見れるのは稀でしょう。
 なお、道路用の跳ね上げ橋は神奈川県や兵庫県などにもあります。

<末広橋梁>
 臨港橋から北側に見えるのが末広橋梁です。こちらは跳開式可動鉄道橋梁で、1931年(昭和6年)に竣工しました。全長58メートル、五連の桁からなり、中央部16メートルの橋桁がワイヤーで引き上げられ、80度ほど跳ね上がる仕組みです。この日は橋は下がった状態でした。もしかしたら、列車が通過したあとなのか、それともこれから通過するのかも知れません。
 鉄道可動橋としては現役で稼働している唯一のもので、1998年(平成10年)に国の重要文化財に指定されました。
 なお、可動しませんが、現存する鉄道可動橋としては、名古屋港跳上橋があります。

 鉄道用と道路用の跳ね上げ橋が同じ川に並行して存在するのは、全国でもここだけなので、唯一無二の景観と言えましょう。

<昼食>
 近鉄四日市駅に近い諏訪商店街に向かいます。
 中華料理「一楽」にてランチ。商店街の中では人気ある飲食店で、入店待ちのお客さんがいました。8人でしたので、2階の円卓付きの座敷に案内してもらいました。
 6人が「牛スタミナ定食」、2人が「若鶏のピリ辛定食」を注文。いずれも税込み990円。量もあって味も悪くありませんし、昨今の物価高のご時世で、千円でおつりが来るのはお得ではないでしょうか。

<東海道四日市宿資料館>
 四日市には、東海道五十三次の43番目の宿場がありました。
 旧東海道沿いの白い洋館風の建物が東海道四日市宿資料館です。元々は耳鼻咽喉科の福生医院を改修して、2019年(令和元年)に開館しました。東京都に福生市(ふっさし)という市がありますが、この名字の「福生」は「ふくお」と読むそうです。当館は、その福生氏のご厚意により無償で借りているとのこと。
 スリッパに履き替え、入館カードに一人一人が記載します。さほど広くはないので、一度に入れるのは10人までとされています。

 語り部ボランティアの年配の男性と女性が展示品を丁寧に説明してくださいました。
 「十里の渡しをご存じですか?」
 宮宿から桑名宿までの「七里の渡し」は有名ですが、その先の四日市宿まで結んでいたのが「十里の渡し」です。江戸時代の四日市にも海路の湊町の顔があったのです。
 熱田・四日市間の十里の渡し(約39キロ)は、熱田・桑名間の七里の渡し(約27キロ)よりも距離が延びますが、運賃は僅かに高くなるだけで、時間的には桑名・四日市間を歩くよりも早かったようです。
 熱田・四日市間は、佐屋路(佐屋街道)を含めて3ルートあったことを初めて知りました。
 「船旅だと何時間もかかったと思うんですけど、トイレはどうしていたのでしょうか?」と質問。
 ボランティア男性は「東海道中膝栗毛では、弥次さん喜多さんは熱田の宮の渡しから桑名まで船で渡ったとき、竹の筒を使って海に直接流していたようですよ」と教えてくれました。やはり、直接海に排泄していたと考えられます。

 出入口近くに設置された飛脚の衣装と箱が目を引きます。江戸と大阪を月に三度行き来する「三度定飛脚」の出で立ちだそうです。「三度笠」はここから来ています。飛脚箱の中を見ると、書状を入れる引き出しが3つ付いていました。実際に飛脚箱を持たせてもらうこともできました。
 「結構重たい。ロードバイクぐらいの重さくらいかな」
 これを担いで走るのですから、当時の飛脚は強靱な体力と走力の持ち主だったと想像できます。江戸から京都までの距離は500キロ弱ですが、一人で全行程を走るのではなく、駅伝のように宿場ごとにリレー方式で繋いでいました。

 駕籠(かご)は、人が乗る座席部分を1本の長い棒につるし、複数の人間がその棒を前後から担いで運ぶ乗物です。展示されていた権門駕籠(けんもんかご)は、大名の家臣が主君の用事で他家へ行く時に乗ったものとのこと。

 東海道の旅で使用された折りたたみ式の提灯、革製の財布、キセルとその入れ物、筆記用具として使われた筆と墨の入れ物などは、実際に触れることができました。
 ボランティアの方から質問。「キセル乗車はご存じですか?」
 キセルは細い棒状で内部が空洞になっており、両端は金属で、そのあいだの部分は竹など金属以外の素材です。キセル乗車は、この構造にかけて、「両端の区間だけ運賃(お金)を払い、中間は運賃を払わない」という不正乗車のことです。
 「今はICカードになったので、キセルはできなくなりましたよね」
 今の若い人はキセル乗車を知らないかもしれません。

 また、三重県はかつては「伊勢国」「伊賀国」「志摩国」に分かれていましたが、その大きな地図が貼られていました。四日市の被害も載っている嘉永7(1854)年の大地震の瓦版は本物だそうです。どれもほとんど現存しない貴重な品です。

 三重発祥の企業と言えば、岡田屋呉服店、かつてのジャスコ、現在のイオン(現在は千葉県が本社)です。その岡田屋(OKストアー)の昭和30年代のチラシもありました。スバル360が当たると記載されていて、興味深いものです。ボランティアのお話によると、スバル360は36万円ほどしましたので、当時の初任給(19,000円ぐらい)の1年半分以上に相当するものでした。

 そのほか、黒電話、手回しの洗濯機、タイプラーター、ホーロー看板などなど、そして2階には、D51の車両ナンバープレート、紙芝居の箱、「昔日の四日市」写真、懐かしい昭和の玩具や道具、館長の趣味だという絵馬などがありました。
 東海道に関する資料だけでなく、明治から昭和時代以前の多種多様な資料や展示品が所狭しと並んでいて、興味津々で見学できました。

 1時間を超える見学を終え、ボランティアの方から「今日はこんなにたくさんの方に来ていただき、本当に感謝します」と、来館記念の粗品をいただきました。丁寧な説明や解説をしていただき、こちらこそありがとうございました。

 資料館で教えていただいた四日市宿陣屋跡(四日市代官所跡)に行ってみました。今は中部西小学校になっています。校門の横に説明板が整備されていて、当時はここが四日市の中枢であったことが分かるスポットです。
 なが餅で有名な笹井屋にも寄りました。創業450年以上という老舗で、江戸時代から東海道を歩く旅人にも人気だったお店です。桑名から伊勢までの伊勢街道は「餅街道」とも呼ばれ、安永餅、けいらん、赤福餅など、形態・材質の異なる多種多様な名物餅が生まれました。

 帰路は旧東海道を走ります。
 三ツ谷一里塚跡、海蔵川堤の桜並木と十四川の桜並木に寄りましたが、ほとんど葉桜となっていました。もう1週間早ければ、ソメイヨシノが埋め尽くす四日市の桜の名所を走り抜けることができたでしょう。

 ほぼ予定の時間に、無事故で近鉄富田駅に戻ることができました。皆様のご協力に感謝いたします。

【サイクリングコース】
近鉄富田駅(午前9時05分)⇒ 福崎橋 ⇒ 川越電力館・テラ46 ⇒ 朝明大橋 ⇒ 富州原橋 ⇒ 富双緑地 ⇒ 浜園公園 ⇒ 霞大橋アンダーパス ⇒ 霞ヶ浦緑地 ⇒ 霞ヶ浦パークブリッジ ⇒ 大正橋 ⇒ 稲葉翁記念公園 ⇒ ボードウォーク ⇒ 臨港橋 ⇒ 末広橋梁 ⇒ 相生橋 ⇒ 諏訪公園 ⇒ ランチ〔中華料理 一楽〕⇒ 東海道の道標 ⇒ 四日市宿資料館 ⇒ 旧東海道 ⇒ 近鉄富田駅・解散(午後2時40分)
走行距離:28km
所要時間:5時間35分

【参加者】
ノノガキさん、本田智久さん、大安の西川さん、白のトレックさん、稲葉栄二さん、のださん、Da-noさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「4月12日(日) 四日市ベイエリアサイクリング」を御覧ください。

https://x.gd/WTW1G
 

https://hasirenai.com/photo-index2026.html
 

◆2026(令和8)年3月28日(土) 晴

 名古屋のソメイヨシノ満開日は、まさしく本日です。豊田でも同じぐらいだと思います。ただ、見学場所は標高が高いところなので、満開は少し遅いかも知れません。しかし、まったく咲いていないことはないでしょう。

 豊田スタジアムのサッカーボールのモニュメント前をスタートし、国道301号を南東に進みます。
 豊田松平ICを過ぎ、松平橋を渡ると国道の新しいバイパスの坂が始まります。そして2020年1月に竣工した松平トンネルに入ります。車道と歩道がきっちり分かれていて、照明も明るいので安心です。安全を考慮して歩道を走ります。
 820mのトンネルを抜け、階段を降りると大給城の看板があります。
 およそ500mの急坂。私は最初から自転車を押して上ります。他の方は勢いよく駆け上がっていきました。しかし、何人かは途中で自転車から降りました。
 傾斜計(勾配計)を持っている方が「19%もある!」
 歩いていても息が上がります。
 大給城入口前の駐車場に自転車で辿り着いたのは半数でした。

 駐車場には車は停まっていません。私たちだけのようです。ここからは山道を歩いて上ります。

<大給城>
 「大給城」
 この漢字を「おぎゅうじょう」と読める人は少ないのではないでしょうか。私も読めませんでした。ふりがなが必要です。
 大給城は、愛知県の山城の中で城マニアに注目の城です。徳川家の祖・松平氏ゆかりの城で、松平氏館跡、松平城跡、松平氏の菩提寺・高月院と合わせ「松平氏遺跡」として国史跡に指定され、その石碑も建っています。
 オフロードを登っていくと、「虎口」の立て看板があります。「こぐち」と読み、城郭における城兵の出入口のことです。
 大給城跡には堀や土塁、尾根を断ち切り攻め手の動きを遮断する巨大な堀切や竪堀など、魅力的な遺構が数多く残っていて、見応えがあります。
 特に目を引くのが、至るところにある巨大な岩や石垣です。山の斜面にある岩を櫓台として使用したり、地表から露出している岩盤を石垣の基礎としているものもあります。
 「水の手曲輪(てくるわ)」は、石垣で造られたダムのようなもので、水がたまる仕組みになっており、飲料水として活用されていました。
 石垣の中にはかなりの高さのものも見られます。
 1500年代の後半、クレーンもブルドーザーもなかった時代に、どのようにして石垣や館を築いたのでしょうか。しかも、標高204mの山の上です。先人の技術や工夫、そして忍耐強さに驚きを禁じ得ません。
 城跡からは豊田の町並みや高速道路の橋が一望できます。
 桜の木も何本があって、少しだけ花びらが開いていました。満開なら素晴らしい景色だったと思います。城や城跡と桜は絶妙にマッチしますから。

 息を切らしながら歩いた坂を、今度は自転車で一気に下ります。
 しかし、それもつかの間のこと。国道を横切って、またまた上り坂が現れます。標識の勾配は10%。なんとか自転車で上れますが、800m程のスネイクロードはしんどい!

<松平城山城そのまんま公園>
 少し変わった名前の公園です。おそらく自然の地形を活かし、最小限の整備にしているからでしょう。

 「忍たま乱太郎がいる!」
 駐車場横の立派な桜の木の下に青色の忍者装束が見えました。若い女性2人です。
 頭巾も服も手作りだそう。
 「写真撮ってもいいですか?」
 「(SNSに)上げなければいいですよ」

 駐車場には何台か停まっていました。ボーイスカウトらしき団体もいました。
 この公園のメインは枝垂れ桜です。ただ、見頃はまだ少し先のようです。標高が高い場所なので平地よりも遅いと思われます。
 なお、名称にある松平城は、桜が咲いている場所よりさらに奥に登ったところにあります。

<B29友好碑>
 王滝渓谷に近い細い道を進むと、仁王川に出ます。川沿いに立つ桜は十分に咲いていました。
 川沿いを西に進むと、道路脇に「B29の里」の立て看板があります。畑の奥にひっそりと立つのがB29友好碑です。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月3日、アメリカの爆撃機B29が日本軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」に体当たりされ、この地に墜落しました。乗員12人のうち11人が死亡。パラシュートで逃れた1人が捕虜となりました。B29友好碑は、歴史認識の継承と戦争の悲惨さ、平和の発信基地として2010年(平成22年)に建立されたものです。
 ちょうど農作業中のおじいさんがいて、シャッターを押してもらいました。

 ここからは先はペダルを漕ぐ必要のない下り坂。結果、対向車はなかったものの、ブラインドカーブでは注意しなければなりません。

 巴川沿いの県道39号線を走ります。
 再び松平橋を渡り、国道301号線沿いの東海環状自動車道高架下に行きます。
 「Kitchen&Bar和のん」というお店があります。

<昼食>
 正午前でしたので混んでいるかも知れないと思いましたが、ちょうど8人が座れる席が空いていました。
 「体もよろこぶ美味しい料理」という謳い文句のとおり、無農薬野菜や、松平特産のしいたけ、大豆ミート料理、地元の食材や自然食を中心としたランチが食べられます。
 メニューは「和のん膳」「松平しいたけ味噌カツ定食」「大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食」「奥三河鶏やわらかムネ肉唐揚げ定食」など(いずれも1,800円)があり、ご飯は、白米、玄米、黒ごま炊き込みご飯の3種類から選べます。お茶も薬膳茶で、ヘルシーそのもの。そのためか、女性客が多く、シニア男性軍団には少し場違いな気もします。
 私は、大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食を注文。美味しくいただきました。
 せっかくの食事ですので、美味しい料理を食べたいものです。食べることは栄養を摂取するだけでなく、楽しみや喜び、癒やしにもつながりますから。

 お腹と心を満たして、出発。
 国道から外環状線へ。最後の上り坂です。脚力ある人は先に行ってもらい、私はマイペースでえっちらこっちらラペダルを回します。
 豊田市街地に向かって進み、寺部町へ自転車を進めます。

<旧松本家長屋門>
 県道343号線を横断する手前の公園に枝垂れ桜が植えられているのですが、こちらは既に葉桜になっていました。この公園は旧寺部小学校の跡地に作られたものだそうです。
 交差点を渡って北上すると、豊田市内に残る数少ない江戸時代の遺構として貴重な旧松本家長屋門があります。
 ここは、元々は、徳川家康の天下平定後、寺部地区に領地を与えられた渡辺家の家臣であった松本家のものでした。
 長屋門は、門の両側に長屋のように部屋が連なる建物で、上級武士や苗字帯刀を許された農家の屋敷の入口に置かれたと言われています。
 年配の男性ボランティアが常駐していて、施設の案内や説明をしてくれました。
 ここは三河の地ですが、尾張藩に所属していたとのこと。門番の部屋や馬屋のある西側半分は幕末期に建てられ、土間や座敷などの東半分は明治時代に増築されました。馬屋は飼い馬の部屋で、大部分に床板が張ってあり、床下にはふん尿をためるつぼが埋まっています。馬屋は現代の駐車場みたいな場所といえるでしょう。

 長屋門の東向かいにある守綱寺(しゅこうじ)は、尾州徳川家の家老職、渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。ここに見事な満開の桜があり、それをバックに集合写真を撮ってもらいました。

<寺部城址>
 寺部城址は住宅街と矢作川の間にひっそりと存在し、今はグランドゴルフのコースもある公園になっています。桜も咲いていました。
 寺部城は15世紀、文明年中鈴木重時によって築城された平城です。のちに渡辺守綱の居城(陣屋)となりました。城の遺構は西側の土塁のみで、江戸時代末から明治期の館の建物の礎石が残っています。建物があった場所には「母屋」、「書院」、「茶席」、「土蔵」、「仏間」などと刻まれた小さな石の銘板が埋め込まれていました。

 豊田スタジアムに戻ってくると、桜を見学する人たちが何組かいました。私たちも桜花爛漫の春を楽しむことができました。

 今日のコースは短い距離でしたが、坂が多くハードでした。坂を喘ぎながら上るのは大変ですが、頂に辿り着けば充実感がありますし、素晴らしい景色に出会えることもあるでしょう。
 ましてや、休みの日ぐらいのんびりしていてもいいと思いますが、参加された皆さんは自転車に乗って体を動かしている方が好きな人たちだと思います。

【サイクリングコース】
豊田スタジアム(午前8時50分)⇒ 国道301号 ⇒ 松平橋 ⇒ 大給城跡〔徒歩〕⇒ 松平城山城そのまんま公園〔徒歩〕⇒ B29友好碑 ⇒ 県道39号・岡崎足助線 ⇒ 松平橋 ⇒ ランチ〔和のん〕⇒ 加茂川公園 ⇒ 旧松本家長屋門 ⇒ 寺部城址 ⇒ 豊田スタジアム・解散(午後1時50分)
走行距離:27km
所要時間:5時間

【参加者】
稲葉栄二さん、大安の西川さん、白のトレックさん、もう一人の野田さん、G-CON谷口さん、BBQさん、じぇーむすでぃーんさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月28日(土) 豊田の城跡と桜をめぐる」を御覧ください。

https://x.gd/kNoAW

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◆2026(令和8)年3月15日(日) 晴

 最初に謝らなけならないことがあります。
 幹事のリサーチ不足で、田縣神社豊年祭(ほうねんまつり)のメインである『大男茎形(おおおわせがた)』の神輿を見ることができなかったことです。御輿行列はお旅所「神明社」を午後2時に出発し、3時30分に田縣神社に到着するというスケジュールでした。前回私が観覧したのは午前中でしたので、午前中に到着すればよいと思い込んでいた次第です。
 それでも、お祭りの雰囲気は体感していただけたと思います。ご寛恕ください。

 午前8時20分、大曽根駅西広場をスタート。
 矢田川と庄内川を渡り、八田川沿いのふれあい緑道を北上します。晴天で暖かくなってきたこともあり、散歩やランニングの方が多くいるので、注意してゆっくり走らなければないません。

 朝宮公園でトイレ休憩。先客のローディーが2人いました。
 ここからは新木津用水沿いの道を走ります。信号は少ないですが、道路を横断するときは車に注意です。

 国道155号に突き当たったところで左折。国道は道幅が狭く交通量が多いので、2ブロック北側の道を西に進みます。
 県道102号線(稲置街道、上街道)を北上。道路脇に、豊年祭により交通規制が行われる旨の告知看板がありました。

 9時40分、田縣神社到着。自転車を停める場所に困るくらい、大勢の人でごった返していました。幸い駐輪場を見つけることができました。ロードバイクでやって来る人も多くいました。

 田縣神社の豊年祭は、毎年新しく木曽の檜で大男茎形を奉製して田縣神社の神様にお供えし、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭です。
 小牧市教育委員会により「小牧市指定無形民俗文化財」に指定されています。
 檜で作成される男性シンンボルは、直径60センチ、長さ2メートル余りの巨大なもので、これを御輿に載せて厄男たちが御旅所(神明社または熊野社)から田縣神社まで担いで巡行します。また、女性奉仕者「五人衆」が小ぶりな男茎形を奉持して行列に花を添えます。
 豊年祭の最後に奉納餅を投げる餅棚も設置されていました。
 この祭りは毎年3月15日に執り行われます。今年は日曜日に当たりましたので、大変な人だかりです。

 前回私が見学したのは、2020年(令和2年)の日曜日でした。そのときとは様相が激変していました。境内にはたくさんの屋台。珍宝棒(ちんぽうぼう)や珍呆参(ちんぽうさん)といった男性の性器の形をした食べ物、さらに、男性の性器の形をした「SAKE BOTTLE」や女性の性器の形をした「灰皿(ASHTRAY)」などが売られています。
 英語でのアナウンスや商品表示などになっているのは、変わった祭りを見ようと海外からの観光客が多かったからです。前回はこんなに外国人の姿はありませんでした。今は、「野も山も みなほほえむや 田縣祭」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭になったといえましょう。
 注目は、男性のシンボルのかぶり物をした着物姿の男性、そして、胸に女性のおっぱいを付けたTバック姿の男性です。奇抜な姿に、たくさんの見物人が一緒に写真を撮っていました。田縣神社の境内で、しかも豊年祭のときだからこそ、許される格好です。神社の外なら、わいせつ罪で逮捕になるに違いありません。
 まさに、性器崇拝の奇祭、天下のチン(珍)祭ですね。

 本殿の斜め後ろに奥宮があり、中央に大きなヒノキの男性シンンボルが鎮座し、その周りには小さめのそれらが、これでもか、というくらい林立しています。奥宮の隣には「珍宝窟」という石でできたシンボルとタマが2つあります。
 「玉をなでると御利益があるそうですよ」
 「自分の玉を触っていればいいよ」
 「僕のは枯れ果てているから」
 「自転車を漕ぐ脚と体力はピンピンでありたいね」
こんな会話は普段はしないでしょう。

 昼食場所の候補は3つありましたが、『中華菜館味味(ミンミン)』にしました。
 千円以下でボリュームあるランチが食べられます。
 メニューがたくさんあって迷いましたが、私は「チン」に引っかけて青椒肉絲飯(チンジャオロース)飯セット(950円)を注文。餃子6個と漬物、中華なのに味噌汁とアイスコーヒーも付いています。質量ともに満足できました。
 店員は厨房では中国語で話しています。中国大陸か台湾の人でしょうか。

 正午、店を出発。エアフロントオアシスへ。
 愛知県営名古屋空港南側にある春日井市の公園です。
 着陸側滑走路の横下部になるため、飛行機マニアが写真撮影に来ています。
 就航中の航空会社はFDA(フジドリームエアライン)の1社だけなので、多数の飛行機を見ることはできませんが、この日はタイミングよくFDA2機の離陸がありましたし、民間の小型機の着陸もありました。
 平日だと、航空自衛隊小牧基地の軍用機の離発着も見学できます。
 空港の北側、小牧市側には離陸を見学できる小針公園があります。

 県道を南下し、名二環を潜ったところで左折。二子山公園へ。
 ここは味美二子山古墳を中心とした歴史公園です。
 この前方後円墳は、尾張地方の後期古墳としては熱田の断夫山古墳についで2番目の大きさで、春日井市では最大の規模を誇ります。昭和11年(1936年)に国の史跡に指定されました。
 公園の中央には円墳をイメージした「ハニワの館」が建てられ、ガラス越しに古墳を望むことができる扇形の多目的ホールやさまざまな埴輪のレプリカが展示されたコーナーがあり、古代の生活や文化に触れることができます。
 「日本の歴史公園100選」にも選定されています。

 県道を南に進み、予定よりかなり早く、午後1時20分に大曽根駅西広場にゴールしました。
 皆さんに、「思い出やフォトギャラリーにどんどん上げてください」と声をかけました。
 探訪あいちは、自転車を楽しむ一つのステージです。
 一人一人が、純粋に、もっともっと自転車を楽しみましょう。楽しくてしょうがないな、という思いは周りに伝染していくと思います。「乗った方がいいよ」と口でアピールするよりも、楽しさがあふれ出ているのを見ると、やってみようかなという人が増える気がします。

【サイクリングコース】
大曽根駅西広場(午前8時20分)→ 水分橋(庄内川)→ 水分橋緑地 → 八田川沿い・ふれあい緑道 → 朝宮公園 → 新木津用水沿い → 東名高速道路 → 国道155号 → 新町3丁目交差点 → 県道102号 → 田縣神社〔豊年祭見学〕→ <折り返し> → 県道102号名古屋犬山線 → 小牧市中央図書館 → 航空自衛隊小牧基地 → ランチ〔中華菜館 味味(ミンミン)〕→ エアフロントオアシス → 名二環 → 二子山公園(味美二子山古墳)→ 水分橋(庄内川)→ 大曽根駅西広場・解散(午後1時20分)
走行距離:39km
所要時間:5時間

【参加者】
稲葉栄二さん、白のトレックさん、大安の西川さん、のだのださん、つくさん、kuwanaさん、幹事(まつぼっクリ) 計7人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月15日(日) 田縣神社豊年祭」を御覧ください。

https://x.gd/kAkhc

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◆2026(令和8)年3月7日(土) 晴

 名古屋市のあるこの地域は、『中京』とも呼ばれます。これは、明治時代に東京市(現在の東京都区部)と京都市という二つの都の中間に位置していたことに由来します。
 名古屋は、観光資源に乏しいとされ、インバウンドにも取り残されていると言われています。確かに、東京や京都のように、名の通ったテーマパークや観光地は少ないかも知れません。しかし、以外と隠れた見どころはあるものです。
 今回の探訪あいちは、名古屋市の都心にある比較的マイナーなスポットを巡ります。
 本日の見学場所はすべて無料です。
 名古屋の魅力を再発見していただければと思います。

 熱田神宮公園に集まったのは、ロードバイク2台、ブロンプトン2台、シクロクロス1台、Eバイク1台の計6台です。
 堀川沿いの道を北上します。気温は平年並みですが、北西の風が強く、体感温度は寒いです。

<①二葉亭四迷幼年時代宅跡>
 松重橋東交差点を右折してすぐ左折したところにある喫茶タマキ。ここに「二葉亭四迷幼年時代宅跡」の説明板が立っています。小説『浮雲』で有名な二葉亭四迷は、本名を長谷川辰之助といい、文久4年(1864年)に尾張藩の軽輩の子として江戸で生まれました。5歳の時、現在の中区松原にあった母の実家に入り、明治5年(1872年)に再び東京に戻るまでの3年あまりをこの地で過ごしました。
 明治の文豪の幼少期が名古屋にあったとは、初耳でした。

<②松原緑地のクスノキ>
 少し北に移動すると、松原緑地です。ここにあるクスノキの巨木は、幹の真ん中が空洞になっています。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲でえぐられてしまったのです。しかし、ひこばえ(樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと)がうっそうと葉を茂らせており、その生命力に驚きを禁じ得ません。樹齢千年ともいわれ、弘法大師がお手植えした樹、織田信長が桶狭間の戦いに向かうときに戦勝祈願をした樹という伝説もあります。保護のため柵で囲まれていて近づくことはできませんが、とても立派で偉容が感じられます。

<③那古野山古墳>
 名古屋の中心地、大須商店街の中に古墳があることを知っている人は少ないのではないでしょうか。
 那古野山(なごややまorなごのやま)古墳は5世紀半ばに築造された前方後円墳ですが、前方部は消失し、現在は直径約22m、高さ約3mの円墳状の墳丘が残っています。古墳に登る階段や散策道が整えられています。
 公園内北側の石垣壁には、古墳の由来や大須地域の歴史や祭り、古い地図を使った年表が示されたパネルが設置されています。また、大須で古くから知られる名水「柳下水(りゅうかすい)」の井戸を再現したモニュメントもあります。

<④三輪神社>
 大須商店街の北側、みそカツの矢場とんの近くにある三輪神社。かつてここに尾張藩の矢場がありました。矢場は、弓を射る所、弓術のけいこ場のことです。この矢場が、「矢場町」という地名の由来となりました。
 神話「因幡の白兎」で有名な「うさぎ」の石造もあります、「幸せのなでうさぎ」「福兎」との名称で、なでることで幸福が頂けるといわれています。絵馬もウサギの形です。SNSやテレビで紹介された影響で、若い女性が大勢いました。私たち年配者には少し場違いのような雰囲気です。

<⑤久屋大通庭園フラリエ>
 久屋大通公園の最南端に位置する庭園が久屋大通庭園フラリエです。花や緑、水辺などのガーデンが整備され、カフェ、レストラン、フラワーショップなどもあり、名古屋のど真ん中で自然を感じることができる庭園となっています。
 この日は結婚式が行われるようで、庭園に教壇と白い椅子が並べられていました。
 「フラリエ」という名称は「ふらり」と「フラワー」、「アトリエ」を組み合わせたものです。

<⑥名古屋刀剣博物館前の三英傑の像>
 若宮大通(100m道路)と本町通との交差点角に、2024年5月にオープンした「名古屋刀剣博物館(名古屋刀剣ワールド)」があります。
 本日は入館しませんが、館内には、200振の日本刀や50領の甲冑、350挺の鉄砲、150点の浮世絵など、重要文化財・重要美術品の数々が展示されており、1,200円の入館料に見合った内容になっています。武将や歴史ファンにはぜひ訪れて欲しい場所です。
 その入口前に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の銅像が設置されています。それぞれが象徴的な甲冑(鎧兜)を身に付け、日本刀を掲げた勇壮な合戦の姿です。中央の織田信長は騎馬像で、その左右に豊臣秀吉と徳川家康が集い、ともに天下統一を志していた時代の一場面にも見えます。天下人となった三英傑が揃う銅像はめずらしいのではないでしょうか。歴史的にはあり得ないようなシーンが、現代において実現したかのようです。

<⑦朝日神社>
 プリンセス通を北上すると、名古屋一の歓楽街『錦三』に朝日神社が鎮座しています。昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で社殿は焼失しましたが、文化6年(1809年)に建てられ、天保12年(1841年)に現在の姿に直した「透垣(すいがい)」が戦火を免れて、その姿をとどめています。透垣(蕃塀(ばんぺい)とも言います)は、尾張地方に多い神前目隠し塀のことで、道の向かい側にあった尾張藩牢屋からの目隠しのためのものと伝わっています。国登録有形文化財に登録されています。

<⑧宗春ポスト>
 朝日神社の少し北側、錦通と呉服町通の角に、ひときわ輝く金色の丸形ポストがあります。ポストの上には涼しげな顔の徳川宗春像が乗っていて、ポストの頭には牛をイメージした耳と角がついています。宗春は八代将軍徳川吉宗と同時代の尾張藩第七代藩主で、積極的な商業政策や芸能文化の保護で名古屋の発展の礎を築きました。長いキセルがトレードマークで、牛に乗って街を見回ったという逸話が残っていることから、このような形になっているとのこと。
 残念ながらキセルは盗まれたのか壊されたのか、宗春の手にありませんでした。歓楽街なので、酔っ払いにいたずらされたのかも知れません。昨年4月の新聞記事によると、2010年(平成22年)に設置されて以来、100回以上の破損被害を受け、修理が続けられてきたとのこと。
 名古屋市内には5つの丸形ポストが残っており、これはそのうちの一つ。当初は赤色でしたが、名古屋城の金鯱から金色に塗り替えられたそうです。「日本の繁華街にある珍しい丸形ポスト」とされます。
 ポストには「ご利用できます。どうぞ ご投函ください」と書かれています。
 このポストに投函すれば、金運が上がるかも?

<⑨オオカンザクラの並木道>
 北上し、桜通を東進します。自転車通行帯があるので走りやすいです。
 桜通泉二丁目を左折すると、オオカンザクラの並木道が始まります。毎年名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっていて、この日は見事に満開でした。たくさんの人が散策したり、写真を撮ったりしていました。
 昭和36年(1961年)春、「名古屋で一番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望で、当初16本の苗木が植えられ、現在では全長約1.4キロメートルの沿道に約130本の桜が並木道をつくっています。
 淡紅色の桜は、オオカンザクラ(大寒桜)で、濃い紅紫色の桜は、カンヒザクラ(寒緋桜)です。

<⑩文化のみち二葉館>
 オオカンザクラの並木道で、ひときわ目立つオレンジ色の洋風屋根の建物が、文化のみち二葉館です。日本初の女優と謳われた川上貞奴と、電力王と称された福沢桃介が、大正から昭和初期にかけて暮らしていた邸宅を移築・復元したものです。
 ここは有料施設なので、建物の前で集合写真を撮るだけとします。

<⑪武家屋敷長屋門> 白のトレックさん案内
 白のトレックさんの案内で、当初計画になかった武家屋敷長屋門を訪れます。
 江戸時代、名古屋城の東にあたる白壁町、主税町(ちからまち)、橦木町(しゅもくちょう)は、中級武士の中級武士の屋敷が並んでいました。主税町長屋門は典型的な武家屋敷門です。この門についている出格子付番所(武者窓)は、来訪者を確認するための窓で、武家屋敷のみに許された様式だそう。

<⑫昼食>
 午前11時を過ぎました。少し早いですが、ランチにします。
 味噌煮込みうどんやきしめんの名店「川井屋本店」。大正10年創業の歴史ある人気店です。
 ちょうど、6人掛けテーブルが空いていたので、ほどなく座れました。
 看板商品の味噌煮込みうどんを注文する方が多かったですが、私は以前食べたことがあったので、親子丼にしてみました。やさしい甘みのある出汁で、鶏肉もたくさん載っていてボリュームがあり、とても美味しかったです。今どき、これで970円ならお値打ちです。
 ちなみに私は、山本屋本店や山本屋総本家の味噌煮込みうどんより、川井屋のそれの方が好きです。
 昼食を終えて外に出てビックリ。20人以上の行列ができていました。早く入店してよかった!

<⑬旧豊田佐助邸>
 文化のみちの一角にある、白いタイル張りの木造の洋館が旧豊田佐助邸です。
 豊田佐助は、発明王・豊田佐吉の弟で佐吉を支えた実業家です。
 東区文化のみちボランティアガイドの方に案内してもらいました。個人で漫然と見学するよりも歴史や背景がよく理解できます。
 豊田佐助邸は、大正12年(1923年)、関東大震災の直後に建てられたため、耐震構造がしっかりしています。
 洋館の1階には、蓮の蕾の形の照明、吊元の装飾、吉祥の鶴と亀、そして「と・よ・だ」の文字をデザインした換気口が見られます。中でも目を引くのが応接室の角にあるステレオです。なんとトヨタブランド。製造したのはトヨタグループのアイシンですが、トヨタのHi-Fiステレオがあったとは、知りませんでした。
 洋館2階は和室になっていて、それを囲む廊下から外は洋風の造りという、和洋折衷な感じです。
 洋館の西側に広い間取りの和館があり、襖絵や欄間、波形無双蓮子、左右に開閉できる小障子を組み込んだ猫間障子などが見られます。
 洋館と和館が続いた構造になっているのは、桑名の六華苑と同じです。
 説明の中で初めて知ったのが、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠さん。名古屋市出身で、すぐ近くの山吹小学校を卒業したそうです。また、社名を「豊田」からカタカナの「トヨタ」にしたのは、画数が8画で縁起が良いからだそう。余談ですが、Jリーグ「名古屋グランパスエイト」の「エイト」には名古屋市の市章だけでなく、「トヨタ」の意味もさりげなく込められているのです。

<⑭カトリック主税町教会> 白のトレックさん案内
 1887年(明治20年)に設立された名古屋で最も古いカトリック教会です。十字架が乗った三角屋根が屋根瓦で覆われていて和洋折衷の建物です。登録有形文化財になっています。

<⑮名古屋市市政資料館>
 遠くからでもパッと目を惹かれる、赤い煉瓦と白の花崗岩を組み合わせた外観の建物が見えてきました。名古屋市市政資料館です。
 このネオ・バロック様式の建物は、もともとは大正11年(1922年)に名古屋控訴院および地方裁判所、区裁判所として建設されました。名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸に移転したあとは、平成元年(1989年)から公文書の保存・収集・公開を行う名古屋市の公文書館として使用されています。
 歴史的文化価値が高く、建物は国の重要文化財に指定されています。
 大理石造りの中央階段とステンドグラス、法廷や会議室など、荘厳な雰囲気を無料で味わうことができます。重厚な美しさからたびたび映画やドラマのロケ地として利用されました。直近ではNHKの朝ドラ『虎に翼』の撮影で使用されました。
 見どころは地下の留置場。独房と雑居房が当時まま残されています。こんな所には入りたくないですね。
 この日は中央階段で結婚式の前撮りをしているカップルが2組いました。

<⑯3939 SURF&SNOW> 白のトレックさん案内
 サーファーとスノーボーダーのためのプロショップ。ミラノ・コルティナ冬季オリンピックに出場した木俣椋真選手を始め多くのスノーボーダーの選手が、この店でスノーボードを調達したそうです。

<⑰普光寺 北大仏> 白のトレックさん案内
 北区大杉町にある普光寺(ふこうじ)。白のトレックさんの地元です。
 ゴールドに輝く釈迦如来像が『北大佛』。7mぐらいの高さがあるそうで、立派なものです。愛知県には、名古屋大仏、布袋大仏、聚楽園大仏などなど、ド派手な大仏が多いですね。

<⑱久国寺(岡本太郎歓喜の鐘)>
 北区の久国寺には、あの岡本太郎が製作した梵鐘「歓喜の鐘」があります。
 鐘の上半分には無数の角が突き出していて、1970年(昭和45年)の大阪万博に登場した「太陽の搭」をイメージさせます。鐘の下半分には瞑想する仏、動物、魚、妖怪などが描かれています。そして、しっかりと「TARO」の銘が入ってます。
 さらに、コンクリート造形作家、浅野祥雲の護国観音像も建っていて、芸術のお寺の感があります。

<⑲解脱寺> 白のトレックさん案内
 松尾芭蕉がここ解脱寺で句会を開き、「粟稗に 貧しくもあらず 草の庵」という句を残しました。その句碑「粟稗塚(あわひえづか)」が残されています。
 門が閉まっていて近づくことはできませんが、白のトレックさんによると、インターホンで申し出ると境内に入って見学できるそうです。

<⑳金城市場>
 北区清水まで北上すると、味のある赤錆びたトタンの外壁が目を引く「金城市場」にたどり着きます。
 昭和30年(1955年)に開業した私設市場は、『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画セットそのままの世界です。内部は一見倉庫のようなガランとした空間に、むき出しになった柱や梁、床のコンクリート土間、合板を張り合わせたような什器とレトロな看板などが残っています。
 市場としての役割は終えてしまいましたが、今は朝市や夜市、古本市、ファッションショー、展覧会開催などのイベントが行われる賑わいの場として蘇っています。
 この日は、「平野屋精肉店」だった店舗でクラフトビール店「yeasters(イースターズ)」が営業していました。つくさんはクラフト缶ビールを購入していました。

<㉑ネックスプラザ>
 北区役所の北、名古屋高速道路黒川インターの真下にネックスプラザがあります。
 正式名称は「名古屋高速道路広報資料センター」。名古屋高速道路の建設工程や東山トンネルの構造の模型展示や、高速道路で見かける看板やETCゲートなどの実物が展示されています。「NEX号で走ろう!!」は、自分で高速道路を設計し走行できるシミュレーションで、子供達に人気のコーナーです。

 今まで北上してきましたが、ここから折り返して南下します。
 IGアリーナ、名古屋城、ナゴヤキャッスルホテルの前を通り、堀川沿いを進みます。

<㉒堀川ギャラリー>
 広小路通と堀川が交差する納屋橋のたもとにある旧加藤商会ビル。この建物は、昭和6年頃に貿易商を営む加藤商会の本社ビルとして建てられ、戦前はシャム国(現在のタイ)の領事館の役割も果たしていました。
 平成13年(2001年)4月に国の登録有形文化財に登録されました。
 このレトロな建物が修復されて、地上部分はタイ料理レストラン「サイアムガーデン」に、地下1階は「堀川ギャラリー」に生まれ変わりました。
 堀川ギャラリーは、堀川でのイベント等の情報の集積・発信や、堀川をテーマとした作品や研究成果を展示するスペースとして活用されています。
 堀川等に関する絵画や写真など作品の展示会・展覧会を無料で開催することができ、この日は名古屋のデザイン学校の展示会が開かれていました。

 参加者から「こんな場所があったとは、初めて知りました」。
 私自身、加藤商会ビル自体は知っていましたが、その地下に堀川ギャラリーがあることはサイクリング中、信号待ちで立ち止まった際に、たまたま発見したものです。車だと分からなかったに違いありません。自転車だからこそ出会えたと言えましょう。

 ここで、白のトレックさんが離脱。プラスアルファの案内ありがとうございました。また、つくさんも日置橋付近でお別れ。
 熱田神宮公園には4人がゴール。
 短い距離でしたが、訪問か所がてんこ盛りで時間がかかりました。
 参加された皆さん、名古屋の再発見ができましたでしょうか。一つでも二つでも、印象に残るスポットがあれば、心のハードディスクに書き込みしていただければ幸いです。

【サイクリングコース】
熱田神宮公園(午前8時45分)⇒ 二葉亭四迷幼年時代宅跡 ⇒ 松原緑地 ⇒ 那古野山古墳 ⇒ 三輪神社 ⇒ 久屋大通庭園フラリエ ⇒ 名古屋刀剣博物館前の三英傑像 ⇒ 朝日神社 ⇒ 宗春ポスト ⇒ オオカンザクラの並木道 ⇒ 文化のみち二葉館 ⇒ 武家屋敷長屋門 ⇒ ランチ〔川井屋〕 ⇒ 旧豊田佐助邸 ⇒ カトリック主税町教会 ⇒ 名古屋市市政資料館 ⇒ 3939 SURF&SNOW ⇒ 普光寺北大仏 ⇒ 久国寺(岡本太郎歓喜の鐘)⇒ 解脱寺 ⇒ 金城市場 ⇒ ネックスプラザ ⇒ 堀川ギャラリー ⇒ 熱田神宮公園・解散(午後3時25分)
走行距離:23km
所要時間:7時間40分

【参加者】
稲葉栄二さん、大安の西川さん、トミカワさん、つくさん、白のトレックさん、幹事(まつぼっクリ) 計6人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月7日(土) 名古屋まちなかポタリング」を御覧ください。

https://x.gd/fAi73

https://hasirenai.com/photo-index2026.html