◆2026(令和8)年6月13日(土) 晴

 名鉄美合駅スタート。
 踏切を渡り、県道329号美合停車場線を南下します。この道は別名「馬頭道(ばとうみち)」と言い、かつて馬頭観音を祀る場所へ通じる道であったことに由来するそうです。

 アップダウンの続くかなりハードな道。本日の参加メンバーは健脚揃いなので、先導で走るのはしんどいです。
 ほぼ平坦になってきたところで、右手に幸田町民プール、町民会館が見えてきました。
 国道248号を横切り直進します。
 再び国道と交わる鍛冶山交差点から国道に入ります。車の通行量が俄然多くなります。
 三ヶ根駅前交差点を左折すると、ほどなく本光寺に至ります。

 土曜日とあって、駐車場はほぼいっぱいで臨時駐車場も設けられていました。
 駐輪場がなく、公衆トイレの壁に立てかけました。

 本光寺は九州島原藩主であった深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)の菩提寺です。島原藩主の墓所が愛知県にあるのは、転封(てんぽう、知行地や所領を別の場所に移すこと)により深溝松平家が肥前国島原藩に移ったのちも、歴代藩主の遺体は三河国深溝の本光寺に運ばれて埋葬されたためです。
 そして、ここは「三河のあじさい寺」とも言われる花の名所です。この時期は境内を紫陽花が埋め尽くしています。その数15種類約1万本。特に山門に向かう参道には石畳の両側に花が満ちあふれ、見事な景色を作り出しています。
 6月中はあじさい祭りが開かれていて、キッチンカーもあり、多くの人で賑わっていました。外国人の姿も見えます。
 紫陽花の品種は2千種以上あるそうですが、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、ホンアジサイ、セイヨウアジサイなどが知られています。
 色も、レッド、ブルー、ピンク、ホワイト、パープル、グリーン、また、それぞれに濃い淡いがあり、とてもカラフルです。
 また、「椿の郷」として本堂裏手の丘陵地に約200種1,000本が咲くそうです。

 幸田町郷土資料館は本光寺のすぐ近くです。
 まず、屋外の展示物から。
 一番目立つのは航空自衛隊の「旭光(きょっこう)」という戦闘機です。ボディだけでエンジンは取り除かれているため中は空洞になっています。「743」と大きな数字が書かれています。屋根もなく野ざらしなので塗装が劣化して、保存状態はよくありません。
 陸上自衛隊で使用されていたヘリコプターが目の細かい網を張った小屋の中に展示されています。H-13Hという機種で、「ひばり」の愛称があります。
 潜水艦「おやしお」のスクリューと錨、105mm軽りゅう弾砲、105mm無反動砲、また国鉄D51形蒸気機関車主動輪などがあります。
 女性職員の方のお話によると、昭和52年(1977年)開館当時の町長が自衛隊と関係があり、自衛隊愛知地方連絡部から幸田町に無償レンタルされているとのこと。今でも年に一度自衛隊の方が現状を確認に来るそうです。

 屋内には、「幸田の原始・古代」「深溝松平家墓所の紹介」「菱池の干拓」「三河地震」「昭和の生活」のコーナーがあり、生活民具や器具、農具、古文書を始め、古墳からの出土品などが保管展示されています。かつての暮らしや生産手段を知ることができます。
 中でも話題なのが額田郡相見村で使用されていた金庫。少なくとも明治22年以前に製造されたものです。
 2025年11月に放送されたテレビ東京系『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』の「開かずの金庫を開けろ!」のコーナーで、鍵職人の玉城恭一さんがこの金庫を解錠しました。中には何もありませんでした。撮影は同年9月に行われたとのこと。

 少し早いですが、昼食にします。
 国道に面した「三昧井(さんまいちん)」という中国料理店です。
 午前11時前、店主が「営業中」の看板を持って店から現れると、すぐに席を案内してくれました。
 「私はオートバイに乗ってるんですけど、エンジンのない自転車に乗ってる人を尊敬します」などとにこやかに話しながら、注文を取ってくれました。
 ランチメニューを見るとほとんどが千円以下で、物価高のご時世でもリーズナブルです。
 中華飯3人、天津飯2人、餃子定食2人を注文。
 「一人でやってるんで時間がかかります」
 見た目、私と同じ60代後半と思われる店主です。20席以上ある店ですが、ワンオペでよく切り盛りされているなと、感心します。
 餃子はパリッとした感じではなく、水餃子のように柔らかい。好みが分かれるでしょう。定食に付いていた小ラーメンはシンプルで自分好みでした。平均的な町中華の味だと思います。

 東海道本線の踏切を渡り、少し南に進んで、県道41号線を西に走ります。
 この県道はほぼ直線道路になっていて、約2kmに渡って道の両側にメタセコイアが植えられています。メタセコイアは中国原産のヒノキ科の落葉高木で、和名ではアケボノスギとも言い、葉は線のように細長く、クリスマスツリーのような形が特徴です。
 今の季節は深緑です。春は爽やかな黄緑色、秋にはレンガ色に紅葉し、冬の裸樹となり、春夏秋冬、さまざまな姿を見せてくれます。

 県道から広域農道幡岡線に入ります。ここは上り坂。貧脚の私にはしんどいです。脚力ある人は幸田サーキット入口まで先に行ってもらいます。

 幸田サーキットは、2003年(平成15年)に元採石場の跡地にオープンしました。
 4輪の基本コースやレーシングカート・レンタルカートコース、2輪コースが完備されたサーキット場です。ママチャリ耐久レースも開催されます。
 入場・駐車場は無料ですので、気軽に観戦・見学できますが、この日はジムカーナ練習会で貸し切りとなっており、観戦デッキまでは入れませんでした。
 ジムカーナは、舗装路面に設定されたコースを、競技車両が1台ずつ走行するタイムトライアルです。大阪と茨城からやってきたという男性2人に聞くと、車両は改造範囲でクラス分けされるそう。マツダのロードスターが多く見られました。明日の日曜日が中部ジムカーナ選手権の本番だと語っていました。

 広域農道からサーキットへの坂道は、おそらく20%以上の勾配があるのではないでしょうか。入るときはブレーキコントロールが必要なくらいの下りですが、出るときは私は自転車を押しながら登りました。歩いても呼吸が荒くなる激坂です。4人の方は自転車で登坂。すごいですね。

 国道23号方面に向けて急坂を下ります。
 沢渡公園南西交差点を左折。上六栗交差点を右折して、東海道本線の踏切を渡ると、県道483号岡崎幸田線に出ます。幸田駅前、幸田消防本部、幸田高校を通過して、県道78号安城幸田線を走り、対象交差点を右折。弁天交差点から国道248号を北上します。交通量が多い上に、路肩に生い茂った雑草が脚に当たり、不快です。草刈りをしてほしいです。
 岡崎市に入って、上地三丁目交差点を右折。緑が丘一丁目交差点を右折するとすぐにサイクルぴっとイノウエ岡崎店があります。
 ほどなく、往路に通った馬頭道に入ります。

 最後に立ち寄ったのは、私が現役のとき3年間勤務していた愛知県立農業大学校。
 紹介したかったのは1935年(昭和10年)に建てられた木造平屋の「追進館」です。ここは、NHK連続テレビ小説「純情きらり」(2006年/平成18年4月~9月)のロケ地の一つです。
 昭和初期から激動の戦中戦後、さまざまな試練や戦火を乗り越えて、音楽への夢と愛を貫くヒロイン・有森桜子の波乱万丈の人生を描いた作品でした。舞台は八丁みその産地・愛知県岡崎市と芸術家たちが集まる東京の下宿。主人公の桜子を当時20歳の宮崎あおいが演じました。
 「追進館」は桜子が新入生歓迎会でピアノを演奏するシーンで使われました。
 今からちょうど20年前になります。時が経つのは早いですね。
  「追進館」も崩壊の恐れがあるほど古くなり、立ち入り禁止になっています。

 追進館の前に「平和の碑」が建っています。少し長くなりますが、こちらも紹介させてください。
 第二次世界大戦末期、当時の国策に従って、「食糧増産と農村青少年の錬成のため」に、各都道府県が「在満報国農場」を当時の満州国(現中国東北部)に建設しました。愛知県でも、農業大学校の前身である県立追進農場を拠点基地として、「愛知県在満報国農場」が昭和19年2月に設置され、県内の青年男女及び追進農場の修練生や修了生が隊員として参加しました。
 昭和19年度は4回に分けた派遣があり、合計107名が海路で満州に渡り、半年間の勤労奉仕隊として、大豆、小豆、野菜等の生産に従事しました。これらの隊は、交替、帰国、追進農場での解散を無事に繰り返しました。
 昭和20年の第二次隊は、男子43名、女子39名の計82名で編成され、このうちの8割が17歳以下の少年少女でした。また、追進農場の関係職員9名も配置され、合計91名が派遣されました。
 ところが、この隊を悲劇が襲います。
 昭和20年8月9日のソ連軍参戦により、報国農場は放棄せざるを得ず、飢え、冬季の極寒、不衛生な環境の中、まだ年若い隊員達は不安と絶望に苛まれながら異国を流浪し、次々と病魔に倒れていきました。
 その結果、帰国するまでの1年間に、一般隊員は現地で48名が死亡し、帰国できたもののすぐに死亡した者も3名いました。死亡者総数は82名中51名に上り、死亡率が6割を超しました。また、職員隊員は9名中6名が死亡しました。第二次報国農場派遣隊員は、総計91名中57名が犠牲になったのです。
 「平和の碑」は、生還者が昭和50年に犠牲者の鎮魂のために建立したものです。
 戦争の悲惨さ、命の尊さ、そして平和の大切さを実感していただきたいと思います。

 午後2時15分頃、美合駅にゴール。
 大安の西川さん(76歳)の「残り少ない人生、楽しまなきゃ」との言葉に共感します。
 私も、何歳まで生きられるか、あとどれくらい自転車に乗れるか、わかりません。現在の時は、自分への贈り物だと思います。体が動くうちはサイクリングを楽しみましょう。

【サイクリングコース】
名鉄美合駅(午前8時50分)→ 馬頭道 →〔県道480号線〕→〔国道248号〕→ 本光寺 → 幸田町郷土資料館 → 県道41号線 → 幸田サーキット → 幸田駅前 → 幸田高校前 →〔国道248号〕→〔県道327号線〕→ 農業大学校 → 名鉄美合駅・解散(午後2時15分)
距離:35km
所要時間:5時間35分

【参加者】
大安の西川さん、白のトレックさん、T-kuchanさん、ノノガキさん、川合静夫さん、高浜の石川です。さん、幹事(まつぼっクリ) 計7人
自転車は、スペシャライズド2台、トレック2台(1台はEバイク)、アンカー、タイム、バーディーの7台

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「6月13日(土) 三河のあじさい寺」をご覧ください。

https://x.gd/0DtDX

https://hasirenai.com/photo-index2026.html

◆2026(令和8)年5月31日(日) 曇のち晴

 昨年11月23日に実施した「探訪あいち 桑名観光サイクリング」に続き、2回目の桑名です。
 今回はズバリ、「六華苑と諸戸氏庭園」のタイトルとしました。
 昨秋と同様、桑名歴史案内人(観光ボランティア)の方にガイドしてもらいます。
 なお、今回の実施レポートでは、前回記載した内容と重複するところは省略していますので、前回レポートと併せて読んでいただくと、六華苑と諸戸氏庭園の様子がよりわかるかと思います。

 本日は晴で暑くなる予報でしたが曇り空。サイクリングに最適の日和です。
 午前8時25分、集合場所のあおなみ線荒子川公園駅前を参加者7人でスタート。
 河合小橋までは「明治の東海道(前ヶ須街道)」を走り、県道70号名古屋十四山線経由で弥富市へ。ひので公園にて休憩。
 国道1号の尾張大橋(木曽川)と伊勢大橋(揖斐長良川)は、車道の幅が狭く交通量が多いので安全のため歩道を走ります。その歩道も路面が悪く、特に伊勢大橋は凹凸が大きく、ゆっくりペダルを漕ぎます。伊勢大橋のすぐ下流側では、新しい橋の建設が進められています。いつも渋滞する橋ですので、早く完成してほしいですが、まだ10年以上かかるのではないでしょうか。

 午前10時前、六華苑に到着。自転車は川沿いの七里の渡し公園駐車場に停めました。
 ここからは桑名歴史案内人の有竹さんにガイドしてもらいます。
 有竹さんは私と同い年で、勤務先が同じでした。現役時代は職場の陸上クラブに入っていた仲です。ガイド歴5年目になるとのこと。

 六華苑(460円)と諸戸氏庭園(500円)の共通チケットを利用すると、2つの施設が750円で見学できます。
 六華苑は、桑名の実業家だった二代目諸戸清六(もろとせいろく)の邸宅として大正2年(1913年)に完成しました。設計したのはイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏。彼の建築作品は鹿鳴館を始め東京と神奈川県内に集中していたため、関東大震災や戦災等により現存する作品は非常に少なくなっています。六華苑は、地方に唯一現存するコンドル氏の住宅作品となりました。
 桑名市は平成3年(1991年)に土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け、整備工事の後、平成5年に「六華苑」として一般公開しました。洋館および和館は平成9年(1997年)に国の重要文化財に、蔵などの6棟が三重県の有形文化財に指定されています。また庭園は、平成13年(2001年)に国の名勝に指定されました。
 「六華苑」の名称は公募により決まりました。「六」は「諸戸清六」の名から、「華」は「九華公園」から取ったそうです。
 ちなみに、「九華公園」という名称は、中国に九華扇という扇があり、桑名城の通称が扇城であることによります。また、九華は「くはな(くわな)」と読むことができ、江戸時代には桑名を表すものとして使用されました。

 洋館1階の玄関の床タイルはイギリス製だとのこと。ステンドガラスは空襲で割れてしまったため、残っていたモノクロ写真を参考に復元しました。色は推測だそう。
 館内のガラスも当時のものは波打っていますが、復元されたものは平らです。当時のものを今は作れないからです。
 各部屋に置いてあるアンティークな調度品は、ほとんどが当時のものではなく、市役所が購入したものだそう。

 六華苑は築110年以上経ち、現在、建造物保存修理事業の事前調査中です。壁や床の一部が剥がされていました。当時使用されていた照明のスイッチなどの古い部材や装飾品も展示されていました。令和9年度から耐震補強・修理工事が行われ、5年ほど見学できなくなる予定です。

 六華苑は貴重な大正時代の建物ですので、ロケ地にもなっています。
 映画『わたしの幸せな結婚』(2023年)で、Snow Manの目黒蓮さんや女優の今田美桜さんが、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』で、中村勘九郎さんや役所広司さんが、ここに来て撮影されました。
 また、結婚式の前撮りにも利用されます。ちょうど、和館の方で文金高島田の花嫁さんがいました。洋館の方でウエディングドレスでの撮影もできますので、洋装・和装の両方が一か所でできるのです。苑内にあるレストラン『Rocca』で披露宴を行うカップルもいるそうです。

 本日は日曜日とあって、見学者が多く、またボランティアガイドの方も多数活躍されていました。
 有竹さんによると、五十数名のボランティアガイドの方がいるそうです。研修も行われ、名古屋市の文化のみち二葉館、豊田佐助邸、爲三郎記念館(旧古川為三郎邸)などを見学したこともあるとのこと。
 六華苑は名古屋の覚王山にある「揚輝荘(ようきそう)」に似ているところがあるので、彼に紹介しました。揚輝荘は松坂屋の初代社長である伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)の別荘だったところで、聴松閣(ちょうしょうかく)という邸宅や立派な庭園があります。
 また、熱中症対策のため7月から9月の夏期は屋内のガイドだけになるそうです。愛知県サイクリング協会では、暑さ指数(WBGT:Wet Bulb Globe Temperature)等による活動制限などはありませんが、私自身は8月と9月上旬は探訪あいちは企画しないようにしています。7月も何らかのイベントに合わせた企画でない限り避けるようにしています。

 六華苑を出て、七里の渡し公園の中を歩いて、諸戸氏庭園に移動します。
 諸戸氏庭園入口の横には、レンガ造りの3つの蔵があります。
 道を挟んだ先に水路があり、昔は上流地域で生産された材木や米が川を伝って運ばれ、ここで集積されていたそうです。この蔵は米の貯蔵庫でした。太平洋戦争前までは5つの蔵が連なっていましたが、2つは戦災で失われたとのこと。現在修復作業中で足場などで覆われています。

 六華苑は四季を通じて入苑できますが、諸戸氏庭園は春と秋に期間を限って公開されます。今年の春の一般公開期間は4月25日(土)~6月14日(日)で、今回の探訪あいちも、この期間に合わせて実施した次第です。
 案内リーフレットの表紙にも描かれているとおり、春の時期は、藤の花、菖蒲の花が咲きます。

 諸戸氏庭園は初代諸戸清六、六華苑は二代諸戸清六(初代の息子)の邸宅でした。
 入園は本邸(主屋)から。本邸は明治22年(1889年)頃に建てられました。平成10年まで実際に商売が行われていました。130年以上前の建物ですので、目立たないように鉄骨の柱や支えの鉄棒などで耐震補強がなされていました。
 文化財を保存・維持していくには、大変な手間と経費がかかることを改めて実感します。

 御殿玄関は関係者以外立ち入り禁止となっています。木材の濃淡を生かした精巧な寄木細工張りの床なので、もし壊れた場合、今はもう修繕できる職人がいないからです。
 庭園に入ると、鮮やかな青もみじと苔むした一面の緑が目に飛び込んできました。昨秋は紅葉が美しかったので、同じ場所でもこんなにも景色が変わるものかと感動します。
 そして、「推敲亭(すいこうてい)」からは菖蒲池が広がって見えました。
 花菖蒲は4~5割ほどの開花状況でしょうか。花菖蒲と聞いて思い浮かぶのは紫色の花。この菖蒲池には、紫色のほか、斑入りや白、クリーム色の花菖蒲も見られました。数え方にもよりますが、約8千株あるそうです。菖蒲池には雪見灯籠や切石による八ッ橋があり、菖蒲が満開になれば、より一層美しい景色になることでしょう。
 ガイドさんが菖蒲と杜若(かきつばた)の違いを教えてくれました。
 花びらの付け根を見たときに、黄色い模様が入っているなら菖蒲、白い筋が通っているなら杜若だそう。

 「藤茶屋」は江戸時代に藩主が藤を愛でるために立ち寄ったといわれます。正面から奥にすぼまっている部屋の形から「扇の間」ともいわれます。ゴールデンウィークに来れば、きれいな藤棚が見られたでしょう。

 御殿広間の前に立つと、目の前に池泉庭園が望めます。諸戸清六が自前で引いた噴水と琵琶湖の風景を織りなしていて、竹生島(ちくぶしま)に見立てた岩島を据えています。大隈重信など、おなじみの政治家も訪れたそうです。広間に招かれた明治の賓客達と、同じ景色を楽しむと、自分たちも賓客になったような気持ちに。

 庭園は、どこを切ってもフォトジェニック。写真撮影する人が多いのもうなずけます。

 あっという間に2時間が過ぎ、お昼12時になってしまいました。
 桑名歴史案内人の有竹さん、わかりやすいガイド、ありがとうございました。

 さて、昼食場所に自転車で移動します。
 旧東海道中には「七里の渡跡」があり、大鳥居が立っています。江戸方面から伊勢詣でをする際は、熱田から海を渡り、このあたりに船が着いていました。ここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されています。

 第一候補である旧東海道沿いの『歌行燈』に行ってみると、30分待ちの案内。次の『川市』も入店待ちのお客さんがいて時間がかかりそう。3件目の『満る岩(まるいわ)』に入店しました。
 ちょうど座敷が空いていて、7人が座れました。店頭看板に「うどん」と書いてあるとおり、うどんがメインで、ほかに丼物、蕎麦、中華そばなどがありました。
 店内は昔ながらのうどん屋さんという雰囲気。古いおかもちが並んでいました。
 私は天丼を注文。エビが2本、ピーマン、サツマイモ、海苔の天ぷらが載って、たっぷりの具の入った味噌汁と漬物もついています。タレも自分好みの味で、エビはきちんと下処理されているようで尻尾まで美味しくいただきました。これで税込み800円は破格の安さといえましょう。
 他のメニューもリーズナブルで、ほとんどが千円以下です。物価高騰のご時世にありがたいことです。
 ただ、提供までに40分も待たされたのが玉に瑕。老夫婦2人で切り盛りしているようなので、やむを得ないのかも。地元のお客さんが多いようで、時間がかかることは承知のようでした。

 午後1時半頃、お店を出発。
 「歴史を語る公園」の中を歩き、九華公園(桑名城跡)へ。
 この公園にも「菖蒲園」が3か所あります。ところが、諸戸氏庭園の菖蒲とは違い、ほとんど咲いていませんでした。写真を撮るまでもありません。残念ながら見頃はもう少し先のようです。

 徳川四天王の一人、本多忠勝像の前で集合写真を撮りました。本多忠勝は生涯を通じて57回の戦に出陣し、一度も深手を負わなかったという無傷伝説があります。関ヶ原の合戦の後、桑名に入り、桑名城下町の整備を行ったと伝えられています。

 これにて名古屋に向って帰路につきます。午前中は曇っていましたが、しっかりと晴れて暑くなってきました。風もほとんどなく、順調に自転車は進み、予定時刻どおりに荒子川公園に到着しました。
 本日の参加者は67歳から73歳までの前期高齢者でまとまっていましたが、無事故で楽しい探訪あいちが実施できました。皆様に感謝いたします。

【サイクリングコース】
荒子川公園駅(午前8時25分)→ 旧東海道 → ひので公園 → 国道1号 → 六華苑&諸戸氏庭園(観光ボランティア桑名歴史案内人によるガイド付き)→〔昼食〕→ 歴史を語る公園 → 九華公園(菖蒲園)→ 本多忠勝像 → <往路と同ルート> → 荒子川公園駅・解散(午後3時30分)
距離:45km
所要時間:7時間5分

【参加者】
白のトレックさん、高浜の石川です。さん、松井秀明さん、かむひあぁさん、YOSHIさん、fusaさん、幹事(まつぼっクリ) 計7人
自転車は、スペシャライズド2台、トレック、アンカー、ジャイアント(Eバイク)、ブリヂストン、パナソニックの7台

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「5月31日(日) 六華苑と諸戸氏庭園」を御覧ください。

https://x.gd/BBTMA
 

https://hasirenai.com/photo-index2026.html

★2025年11月23日実施の「桑名観光サイクリング」の写真と実施レポートも併せて見ていただくと、春と秋の違いもわかるかと思います。

https://ameblo.jp/onwheels/entry-12949645959.html
 

https://x.gd/C95XV

https://hasirenai.com/photo-index2025.html

 

◆2026(令和8)年4月25日(土) 晴

 三菱オートギャラリー(MAG)は、三菱自動車工業(株)岡崎製作所の敷地に1989年(平成元年)に開設され、国内初の量産乗用車「三菱A型」を試作してから百周年を迎えた2017年(平成29年)にリニューアルされました。
 無料で見学できるので、かねてより探訪あいちで訪れてみたいと考えていたのですが、通常は土日は休館日で、平日(工場稼働日)にしか開館していません。今回、特別開館日として4月25日(土)に見学できることとなりました。
 早速見学の予約して、探訪あいちを企画しました。

 集合場所の大高緑地公園は濃いピンク色のツツジがきれいに咲いていて、花の季節が来たと感じます。
 午前8時30分、8人でスタート。現地までは、旧東海道経由で行きます。
 旧東海道を初めて走る方が見えましたので、見所スポットを紹介しながらの走行としました。

 名古屋第二環状自動車道(名二環)の高架脇に2012年(平成24年)に復元されたのが、有松一里塚です。
 有松の古い町並みを走り抜け、豊明市の阿野一里塚へ。

 一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川家康の命により、江戸日本橋を基点に街道の両側に一里(約4km)ごとに設けられました。塚の上には榎や松が目印に植えられました。
 愛知県内の東海道には18か所の一里塚がありましたが、江戸時代のものが残るのは名古屋市の笠寺、豊明市の阿野、知立市の来迎寺(らいこうじ)、岡崎市の大平、豊橋市の一里山の5か所です。現在も道の両側に塚が残っているのは阿野と来迎寺の2か所のみです。全国でも珍しく、阿野一里塚は国指定史跡になっています。
 私たちのほかにも、東海道ウォーカーらしき人もいました。

 交通量の多い国道1号の脇にある境橋を渡ります。橋下を流れるのは境川。その名のとおり、この川は尾張国と三河国の境界を流れています。現在の豊明市と刈谷市の市境にもなっています。近くには伊勢湾岸自動車道や名鉄豊明駅、敷島製パン刈谷工場などがあります。
 境川は、全国各地にあり、例えば東京都と神奈川県を流れて相模湾へ注ぐ境川も、武蔵国と相模国の境界を成すことに由来します。

 知立公園・知立神社にてトイレ休憩。
 公園には菖蒲園があります。来月になれば、きれいに咲くことでしょう。

 国道1号を潜る地下道を自転車を押して通過します。
 ここから旧東海道の知立の松並木が500mほど続きます。松並木は旅人にとっては夏は日差しを遮り、冬は防風防寒の役目を果たしたと考えられ、旧街道の象徴でした。その姿が往時を思わせます。愛知県指定文化財(天然記念物)に指定されています。
 この後も断片的に松並木があります。

 来迎寺一里塚には松が植えられ、北塚は原型を残していますが、南塚は一部改造されています。愛知県の指定文化財に指定されています。北塚の前に公民館が建っているのが景観を損ねていて少し残念です。

 安城市に入ってしばらく走ったところに永安寺の雲竜の松があります。
 通常、松の主幹は直上して伸びるものですが、このクロマツの主幹は高さ1.5mぐらいのところから枝張りが横方向に広がって伸びています。その樹形が雲を得てまさに天に昇ろうとする竜を思わせるので、「雲竜の松」と称されています。樹齢は350年見当とされています。

 熊野神社・尾崎児童遊園に公衆トイレがあるので、ここで休憩。
 尾崎一里塚跡の石碑、鎌倉街道跡の説明板があります。

 国道1号に合流する手前で左折。路地裏のような細い道を進むと、三菱自動車工業岡崎製作所に到着です。

 見学時間は午前11時から。すでにほかの見学者の方々も集まっていました。
 受付で、はがき大の銀色の袋をいただきました。
 「中に当たりのカードが入っていたら、何か景品がもらえます」
 8人の中で、白のトレックさんにラリーアートのTシャツが当たりました。

 三菱オートギャラリーに入館すると、女性職員の方から「三菱の自動車のはじまり」「時代を駆け抜けた車たち」「極限に挑戦した車たち」の3つのゾーンで構成されていることなどの説明があり、その後、自由見学となります。

 順路の最初に出迎えてくれるのが三菱A型です。
 展示解説板によると、「我国初の量産乗用車として1917年(大正6年)に製作。当時の先進国ヨーロッパ車を参考に、三菱造船(株)神戸造船所で1921年(大正10年)迄に試作を含め30台製作。(展示車は当時の資料をもとに1972年復元。)」とあります。その姿はトヨダAA型とよく似ています。
 その横には「シルバーピジョン」というオートバイ(スクーター)が展示されていました。三菱は二輪車も製造販売していたのですね。車名は平和の象徴であるハトにちなみ、1946年(昭和21年)から1964年(昭和39年)まで製造されていたそうです。
 「三菱・みずしま」は、新三菱重工業水島製作所が太平洋戦争終戦後に初めて生産したオート三輪型ピックアップトラックです。運転席が車内の中央にあり、オートバイのようなハンドルバーとまたがるシートになっています。自動車とオートバイが合体したような造りといえるでしょう。
 その隣には三菱の「レオ」。オート三輪というと、ダイハツ「ミゼット」が有名ですが、レオもよく似た形です。

 私たちサイクリストにとって注目すべきは、「三菱十字号」です。
 戦後まもなく登場した自転車「三菱十字号」は、敗戦で航空機製造を禁止された旧三菱重工業が、ゼロ戦などの残材だったジュラルミンをフレーム素材に使用した自転車です。1947年(昭和22年)に津製作所で製造されました。
 リベット打ちで接合されたクロス型フレームが特徴的です。
 余談ですが、シマノの「Dura-Ace(デュラエース)」は、ジュラルミン(Duralumin)という素材、Durability(デュラビリティ=耐久性)と、さらに「世界で一番に」という思いを込めた「Ace」に由来しています。当初は「ジュラエース」とも言われていました。
 さらに余談ですが、大安の西川さんが今日乗ってみえた「MAEDA」に付いているDURA-ACEのトリプルクランクは、今では入手困難な代物です。

 三菱の黄金時代のラリーカーであるランサーやパジェロ、そしてコルト、ギャラン、GTO、デボネアなどの乗用車などが展示され、懐かしい思いにさせられました。

 最近、公道では、デリカ、アウトランダー、デリカミニ、ekワゴンぐらいしか三菱の車を見かけなくなったのは残念です。
 男性職員の方が、今はデリカとデリカミニが人気だと言っていました。デリカはトヨタのヴォクシーなどに比べてアウトドア的要素が強いことで支持があり、また、デリカミニは軽自動車なのに300万円もするのですが、久々の人気商品になったそうです。

 昔の四方山話ですが、私が現役の時、三菱自動車工業労働組合に用があって、ここ岡崎製作所に公用車で来たことがあります。
 入口の守衛に、
 「他社の車ですね。あちらに停めてください」
と言われ、入口から遠い場所の駐車場を案内されました。
 メーカーで駐車場が分けられるとは!
 30年たった今でも、記憶から消えない出来事です。
 今日は、他社の車も近くの駐車場に停まっていましたので、そんなことはなくなったようですが。

 見学後はランチです。最初に「中華料理 天伸」に行ったのですが、予約でいっぱいで30分以上待たないといけないとのこと。店を変え、「上海菜館 喜福家」に行ってみると、こちらも混雑していたものの、運良く8人分の席が取れました。
 店員は皆、中国の人です。大陸の方か台湾の方かわかりませんが。
 私は醤油ラーメンとカレー炒飯のラーメンセットを注文。出てきた現物を見てびっくり。とにかく量が多いのです。一般的に中華のランチセットだと、ラーメン+半チャーハンですが、ここは2品ともフルサイズの量。しかも価格は880円とリーズナブル。普通なら、どちらか一つでもこれぐらいの値段はします。味も平均以上だと思います。ガッツリ食べたい人には、ありがたいお店です。
 私は食べきれず、炒飯を半分近く残してしまいました。このまま残飯ゴミになってしまうのはもったいないので、店員さんに「持って帰りたいので、サランラップか何かもらえないでしょうか」とお願いしました。
 すると、持ち帰り用のパックとレジ袋をくれたのです。このサービスに嬉しくなりました。

 満腹になった後、三菱自動車研修センターの奥の公園に行きました。ここに小針1号古墳があります。
 壬申の乱に敗れた大友皇子が秘かに三河に逃れてきたのち、この地で崩じ葬られたという伝承がある古墳です。埴輪をもつ前方後円墳でしたが、今は「後円」部のみになっています。フェンスで囲まれているので、墳丘に登ることはできません。
 宮内庁が治定している大友皇子の陵墓は滋賀県大津市にありますので、大友皇子が葬られたというのは、あくまでも伝承なのでしょう。

 帰路も旧東海道を走ります。追い風なので往路より楽にペダルが回せます。

 知立神社参道の旧東海道沿いにある小松屋本家で一服します。
 ここは知立名物あんまきの元祖の店です。小松屋の先祖が明治22年(1889年)頃、焼き菓子の「二つ折り」の中に餡を入れてみたところ、東海道を往来する人々に大変評判が良かったことから始まったと言われています。
 餡は黒あんと白あんがあり、どちらも1個200円です。冷凍アイスあんまきもありました。
 手焼きのあんまきには、「知立名物 小松屋本家」か知立市のゆるキャラ「ちりゅっぴ」の焼印が押されています。
 餡は甘ったるくなく、いい塩梅で美味しいです。個人的には、メジャーな藤田屋よりここの方が好きです。
 西川きよしさんや杏さん(渡辺謙さんの娘)、いろいろな芸能人も来店されており、店内には写真やサイン色紙が飾られていました。
 店内にもベンチがあり、腰かけて食べることができます。
 ちょっと気になるのが、外に「鉄砲」と書いてある看板があること。銃とか弾薬を売っているのでしょうか。店内にはそれらしき物は見当たらなかったのですが‥‥‥
 店の前には昔ながらの丸形ポストもあり、歴史を感じさせる雰囲気を醸し出しています。

 最後に立ち寄ったのが豊明市の桶狭間古戦場伝説地。
 とよあけ桶狭間ガイドボランティアの方が、桶狭間合戦での今川義元軍と織田信長軍の行軍ルートや戦いの状況をガイドしてくださいました。
 戦国武将の今川義元は歴戦を勝ち越え、勢力を拡大した軍略家でしたが、桶狭間の戦いで少数の織田信長軍に敗れました。10倍ともいわれる大軍を率いる中で備えに微妙な隙が生まれ、結果として手薄になった本陣を一気に攻め落とされました。わずかな気の緩みか油断があったかもしれません。織田信長の作戦勝ちの面もあったでしょう。歴史を学ぶことは、今を生きる私たちにとって未来への指針となります。

 予定より若干遅く、大高緑地公園にゴール。
 本日の参加者は、50代後半2人、60代後半2人、70代4人のロートル軍団でした。
 なかでも、赤いヘルプマークを身に付けて、初めて探訪あいちにご参加いただいた松井さん、ありがとうございました。作家の五木寛之氏は「70代こそ、新しいことに挑戦する適期」と語っています。これからもご自分のペースで自転車を楽しんでください。そして、愛知県サイクリング協会のイベントにも参加してください。

【サイクリングコース】
大高緑地公園(午前8時30分)⇒ 旧東海道 ⇒ 阿野一里塚 ⇒ 知立神社 ⇒ 知立松並木 ⇒ 来迎寺一里塚 ⇒ 永安寺・雲龍の松 ⇒ 尾崎一里塚跡 ⇒ 三菱オートギャラリー〔見学〕 ⇒ ランチ〔上海菜館 喜福家〕⇒ 小針1号古墳 ⇒ <折り返し・往路と同じ> ⇒ 桶狭間古戦場伝説地 ⇒ 大高緑地公園・解散(午後3時45分)
走行距離:46km
所要時間:7時間15分

【参加者】
のださん、白のトレックさん、大安の西川さん、所さん、YOSHIさん、松井秀明さん、鉄のGIOSさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人


★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「4月25日(土) 三菱オートギャラリー」を御覧ください。

https://x.gd/RclMP

https://hasirenai.com/photo-index2026.html

 

◆2026(令和8)年4月12日(日) 晴

 集合場所の近鉄富田駅までは輪行で行きました。通常なら名鉄で名古屋駅まで行って近鉄に乗り換えます。しかし、混雑した名古屋駅を輪行袋を担いで移動するのは嫌なものです。1時間10分ほどかかりますが、自宅から国道1号を近鉄蟹江駅まで自走しました。

 8時10分発の急行伊勢中川行きに乗車し、8時29分、近鉄富田駅着。東口改札を出ると、すでに大安の西川さんがいました。
 その後、皆さん到着し、集合時間前に全員が揃いました。輪行の方、車の方、半々ぐらいだったでしょうか。
 9時5分スタート。北上し、最初の訪問地へ。

<川越電力館・テラ46>
 「テラ」はラテン語で「地球」の意味。「46」は地球誕生から46億年を表しています。
 人と地球の共生と未来をテーマとした参加体験型の施設です。外観は四角いビルの中に地球儀が挟まったような形をしています。入口は3階で、6階までがエネルギーや地球環境問題について楽しく学べる展示物やシアターとなっています。日曜日とあって、多くの子供達が来館していました。
 最上階の7階は360°の展望サロンになっていて、眺めがいいです。川越火力発電所の施設を始め、遠く鈴鹿山系や伊勢湾が望めます。
 エレベーターで1階に降り、屋外にある伊勢湾ジオランドへ。東海三県の地形にいろいろな名所が案内された公園になっています。御在所岳、恵那山、茶臼山、伊勢神宮、渥美半島などを模していて、疑似小旅行ができる感じです。

 ここからは四日市港の沿岸沿いを走ります。すぐ右側の国道23号(名四国道)には、大型トラックやダンプカーがひっきりなしに走っていますが、こちらはほとんど車が通ることなく、安心です。と言うのも、橋を渡る際に国道の歩道を行くとき以外は、緑地公園内を走るからです。

<霞ヶ浦緑地>
 左手に三重県で一番高い四日市港ポートビルが見えます。霞大橋アンダーパスを潜ると、四日市ドームや野球場、テニスコートなどがある霞ヶ浦緑地に入ります。海岸線に沿った南北に長い公園で、「ロングビーチ通り」の標識がありました。四日市市とアメリカ・カリフォルニア州ロングビーチ市との姉妹都市提携を記念して名付けられたものです。名前はカッコいいですが、砂浜のビーチはなく、コンビナートが見えるのが少々気分を損ねます。しかし、海岸沿いを走るのは気持ちがいいですし、見える海も以外ときれいです。

<稲葉翁記念公園>
 四日市港は1899年(明治32年)に開港場に指定され、国際貿易港としてスタートしました。1873年(明治6年)から廻船問屋の稲葉三右衛門が私財を投げ打って11年に及ぶ大規模な改修工事を行うことで近代港湾として発展する基礎を築きました。
 稲葉翁記念公園は、四日市湊を修築して近代港湾への基礎を築いた稲葉三右衛門を偲ぶ公園です。

<ボードウォーク>
 四日市港はコンビナートが隣接するなど工業港としての性格が強いですが、近年の工場夜景ブームで神奈川県の川崎港と並びその景観に人気が生まれ、観光資源にもなりつつあります。
 その夜景クルーズの発着場にあるのがボードウォークです。ここから様々な船を眺めることができます。またその背後には海の生き物たちが描かれた壁画もあります。地元高校生の手により1996年(平成8年)に完成しました。

<臨港橋>
 臨港橋は、四日市港の千歳(ちとせ)運河に架けられた道路用の可動橋(跳ね上げ橋)です。船舶が通るときは遮断機で車の通行を止め、中央部の橋桁を油圧ジャッキで約70度押し上げて開きます。初代は1932年(昭和7年)に竣工し、現在の橋は1991年(平成3年)に完成した3代目です。
 鉄道の踏切と同じような信号機と遮断機が橋の両端にあるのが面白い。航行する船舶はほとんどないので、実際に跳ね上がったところが見れるのは稀でしょう。
 なお、道路用の跳ね上げ橋は神奈川県や兵庫県などにもあります。

<末広橋梁>
 臨港橋から北側に見えるのが末広橋梁です。こちらは跳開式可動鉄道橋梁で、1931年(昭和6年)に竣工しました。全長58メートル、五連の桁からなり、中央部16メートルの橋桁がワイヤーで引き上げられ、80度ほど跳ね上がる仕組みです。この日は橋は下がった状態でした。もしかしたら、列車が通過したあとなのか、それともこれから通過するのかも知れません。
 鉄道可動橋としては現役で稼働している唯一のもので、1998年(平成10年)に国の重要文化財に指定されました。
 なお、可動しませんが、現存する鉄道可動橋としては、名古屋港跳上橋があります。

 鉄道用と道路用の跳ね上げ橋が同じ川に並行して存在するのは、全国でもここだけなので、唯一無二の景観と言えましょう。

<昼食>
 近鉄四日市駅に近い諏訪商店街に向かいます。
 中華料理「一楽」にてランチ。商店街の中では人気ある飲食店で、入店待ちのお客さんがいました。8人でしたので、2階の円卓付きの座敷に案内してもらいました。
 6人が「牛スタミナ定食」、2人が「若鶏のピリ辛定食」を注文。いずれも税込み990円。量もあって味も悪くありませんし、昨今の物価高のご時世で、千円でおつりが来るのはお得ではないでしょうか。

<東海道四日市宿資料館>
 四日市には、東海道五十三次の43番目の宿場がありました。
 旧東海道沿いの白い洋館風の建物が東海道四日市宿資料館です。元々は耳鼻咽喉科の福生医院を改修して、2019年(令和元年)に開館しました。東京都に福生市(ふっさし)という市がありますが、この名字の「福生」は「ふくお」と読むそうです。当館は、その福生氏のご厚意により無償で借りているとのこと。
 スリッパに履き替え、入館カードに一人一人が記載します。さほど広くはないので、一度に入れるのは10人までとされています。

 語り部ボランティアの年配の男性と女性が展示品を丁寧に説明してくださいました。
 「十里の渡しをご存じですか?」
 宮宿から桑名宿までの「七里の渡し」は有名ですが、その先の四日市宿まで結んでいたのが「十里の渡し」です。江戸時代の四日市にも海路の湊町の顔があったのです。
 熱田・四日市間の十里の渡し(約39キロ)は、熱田・桑名間の七里の渡し(約27キロ)よりも距離が延びますが、運賃は僅かに高くなるだけで、時間的には桑名・四日市間を歩くよりも早かったようです。
 熱田・四日市間は、佐屋路(佐屋街道)を含めて3ルートあったことを初めて知りました。
 「船旅だと何時間もかかったと思うんですけど、トイレはどうしていたのでしょうか?」と質問。
 ボランティア男性は「東海道中膝栗毛では、弥次さん喜多さんは熱田の宮の渡しから桑名まで船で渡ったとき、竹の筒を使って海に直接流していたようですよ」と教えてくれました。やはり、直接海に排泄していたと考えられます。

 出入口近くに設置された飛脚の衣装と箱が目を引きます。江戸と大阪を月に三度行き来する「三度定飛脚」の出で立ちだそうです。「三度笠」はここから来ています。飛脚箱の中を見ると、書状を入れる引き出しが3つ付いていました。実際に飛脚箱を持たせてもらうこともできました。
 「結構重たい。ロードバイクぐらいの重さくらいかな」
 これを担いで走るのですから、当時の飛脚は強靱な体力と走力の持ち主だったと想像できます。江戸から京都までの距離は500キロ弱ですが、一人で全行程を走るのではなく、駅伝のように宿場ごとにリレー方式で繋いでいました。

 駕籠(かご)は、人が乗る座席部分を1本の長い棒につるし、複数の人間がその棒を前後から担いで運ぶ乗物です。展示されていた権門駕籠(けんもんかご)は、大名の家臣が主君の用事で他家へ行く時に乗ったものとのこと。

 東海道の旅で使用された折りたたみ式の提灯、革製の財布、キセルとその入れ物、筆記用具として使われた筆と墨の入れ物などは、実際に触れることができました。
 ボランティアの方から質問。「キセル乗車はご存じですか?」
 キセルは細い棒状で内部が空洞になっており、両端は金属で、そのあいだの部分は竹など金属以外の素材です。キセル乗車は、この構造にかけて、「両端の区間だけ運賃(お金)を払い、中間は運賃を払わない」という不正乗車のことです。
 「今はICカードになったので、キセルはできなくなりましたよね」
 今の若い人はキセル乗車を知らないかもしれません。

 また、三重県はかつては「伊勢国」「伊賀国」「志摩国」に分かれていましたが、その大きな地図が貼られていました。四日市の被害も載っている嘉永7(1854)年の大地震の瓦版は本物だそうです。どれもほとんど現存しない貴重な品です。

 三重発祥の企業と言えば、岡田屋呉服店、かつてのジャスコ、現在のイオン(現在は千葉県が本社)です。その岡田屋(OKストアー)の昭和30年代のチラシもありました。スバル360が当たると記載されていて、興味深いものです。ボランティアのお話によると、スバル360は36万円ほどしましたので、当時の初任給(19,000円ぐらい)の1年半分以上に相当するものでした。

 そのほか、黒電話、手回しの洗濯機、タイプラーター、ホーロー看板などなど、そして2階には、D51の車両ナンバープレート、紙芝居の箱、「昔日の四日市」写真、懐かしい昭和の玩具や道具、館長の趣味だという絵馬などがありました。
 東海道に関する資料だけでなく、明治から昭和時代以前の多種多様な資料や展示品が所狭しと並んでいて、興味津々で見学できました。

 1時間を超える見学を終え、ボランティアの方から「今日はこんなにたくさんの方に来ていただき、本当に感謝します」と、来館記念の粗品をいただきました。丁寧な説明や解説をしていただき、こちらこそありがとうございました。

 資料館で教えていただいた四日市宿陣屋跡(四日市代官所跡)に行ってみました。今は中部西小学校になっています。校門の横に説明板が整備されていて、当時はここが四日市の中枢であったことが分かるスポットです。
 なが餅で有名な笹井屋にも寄りました。創業450年以上という老舗で、江戸時代から東海道を歩く旅人にも人気だったお店です。桑名から伊勢までの伊勢街道は「餅街道」とも呼ばれ、安永餅、けいらん、赤福餅など、形態・材質の異なる多種多様な名物餅が生まれました。

 帰路は旧東海道を走ります。
 三ツ谷一里塚跡、海蔵川堤の桜並木と十四川の桜並木に寄りましたが、ほとんど葉桜となっていました。もう1週間早ければ、ソメイヨシノが埋め尽くす四日市の桜の名所を走り抜けることができたでしょう。

 ほぼ予定の時間に、無事故で近鉄富田駅に戻ることができました。皆様のご協力に感謝いたします。

【サイクリングコース】
近鉄富田駅(午前9時05分)⇒ 福崎橋 ⇒ 川越電力館・テラ46 ⇒ 朝明大橋 ⇒ 富州原橋 ⇒ 富双緑地 ⇒ 浜園公園 ⇒ 霞大橋アンダーパス ⇒ 霞ヶ浦緑地 ⇒ 霞ヶ浦パークブリッジ ⇒ 大正橋 ⇒ 稲葉翁記念公園 ⇒ ボードウォーク ⇒ 臨港橋 ⇒ 末広橋梁 ⇒ 相生橋 ⇒ 諏訪公園 ⇒ ランチ〔中華料理 一楽〕⇒ 東海道の道標 ⇒ 四日市宿資料館 ⇒ 旧東海道 ⇒ 近鉄富田駅・解散(午後2時40分)
走行距離:28km
所要時間:5時間35分

【参加者】
ノノガキさん、本田智久さん、大安の西川さん、白のトレックさん、稲葉栄二さん、のださん、Da-noさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「4月12日(日) 四日市ベイエリアサイクリング」を御覧ください。

https://x.gd/WTW1G
 

https://hasirenai.com/photo-index2026.html
 

◆2026(令和8)年3月28日(土) 晴

 名古屋のソメイヨシノ満開日は、まさしく本日です。豊田でも同じぐらいだと思います。ただ、見学場所は標高が高いところなので、満開は少し遅いかも知れません。しかし、まったく咲いていないことはないでしょう。

 豊田スタジアムのサッカーボールのモニュメント前をスタートし、国道301号を南東に進みます。
 豊田松平ICを過ぎ、松平橋を渡ると国道の新しいバイパスの坂が始まります。そして2020年1月に竣工した松平トンネルに入ります。車道と歩道がきっちり分かれていて、照明も明るいので安心です。安全を考慮して歩道を走ります。
 820mのトンネルを抜け、階段を降りると大給城の看板があります。
 およそ500mの急坂。私は最初から自転車を押して上ります。他の方は勢いよく駆け上がっていきました。しかし、何人かは途中で自転車から降りました。
 傾斜計(勾配計)を持っている方が「19%もある!」
 歩いていても息が上がります。
 大給城入口前の駐車場に自転車で辿り着いたのは半数でした。

 駐車場には車は停まっていません。私たちだけのようです。ここからは山道を歩いて上ります。

<大給城>
 「大給城」
 この漢字を「おぎゅうじょう」と読める人は少ないのではないでしょうか。私も読めませんでした。ふりがなが必要です。
 大給城は、愛知県の山城の中で城マニアに注目の城です。徳川家の祖・松平氏ゆかりの城で、松平氏館跡、松平城跡、松平氏の菩提寺・高月院と合わせ「松平氏遺跡」として国史跡に指定され、その石碑も建っています。
 オフロードを登っていくと、「虎口」の立て看板があります。「こぐち」と読み、城郭における城兵の出入口のことです。
 大給城跡には堀や土塁、尾根を断ち切り攻め手の動きを遮断する巨大な堀切や竪堀など、魅力的な遺構が数多く残っていて、見応えがあります。
 特に目を引くのが、至るところにある巨大な岩や石垣です。山の斜面にある岩を櫓台として使用したり、地表から露出している岩盤を石垣の基礎としているものもあります。
 「水の手曲輪(てくるわ)」は、石垣で造られたダムのようなもので、水がたまる仕組みになっており、飲料水として活用されていました。
 石垣の中にはかなりの高さのものも見られます。
 1500年代の後半、クレーンもブルドーザーもなかった時代に、どのようにして石垣や館を築いたのでしょうか。しかも、標高204mの山の上です。先人の技術や工夫、そして忍耐強さに驚きを禁じ得ません。
 城跡からは豊田の町並みや高速道路の橋が一望できます。
 桜の木も何本があって、少しだけ花びらが開いていました。満開なら素晴らしい景色だったと思います。城や城跡と桜は絶妙にマッチしますから。

 息を切らしながら歩いた坂を、今度は自転車で一気に下ります。
 しかし、それもつかの間のこと。国道を横切って、またまた上り坂が現れます。標識の勾配は10%。なんとか自転車で上れますが、800m程のスネイクロードはしんどい!

<松平城山城そのまんま公園>
 少し変わった名前の公園です。おそらく自然の地形を活かし、最小限の整備にしているからでしょう。

 「忍たま乱太郎がいる!」
 駐車場横の立派な桜の木の下に青色の忍者装束が見えました。若い女性2人です。
 頭巾も服も手作りだそう。
 「写真撮ってもいいですか?」
 「(SNSに)上げなければいいですよ」

 駐車場には何台か停まっていました。ボーイスカウトらしき団体もいました。
 この公園のメインは枝垂れ桜です。ただ、見頃はまだ少し先のようです。標高が高い場所なので平地よりも遅いと思われます。
 なお、名称にある松平城は、桜が咲いている場所よりさらに奥に登ったところにあります。

<B29友好碑>
 王滝渓谷に近い細い道を進むと、仁王川に出ます。川沿いに立つ桜は十分に咲いていました。
 川沿いを西に進むと、道路脇に「B29の里」の立て看板があります。畑の奥にひっそりと立つのがB29友好碑です。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月3日、アメリカの爆撃機B29が日本軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」に体当たりされ、この地に墜落しました。乗員12人のうち11人が死亡。パラシュートで逃れた1人が捕虜となりました。B29友好碑は、歴史認識の継承と戦争の悲惨さ、平和の発信基地として2010年(平成22年)に建立されたものです。
 ちょうど農作業中のおじいさんがいて、シャッターを押してもらいました。

 ここからは先はペダルを漕ぐ必要のない下り坂。結果、対向車はなかったものの、ブラインドカーブでは注意しなければなりません。

 巴川沿いの県道39号線を走ります。
 再び松平橋を渡り、国道301号線沿いの東海環状自動車道高架下に行きます。
 「Kitchen&Bar和のん」というお店があります。

<昼食>
 正午前でしたので混んでいるかも知れないと思いましたが、ちょうど8人が座れる席が空いていました。
 「体もよろこぶ美味しい料理」という謳い文句のとおり、無農薬野菜や、松平特産のしいたけ、大豆ミート料理、地元の食材や自然食を中心としたランチが食べられます。
 メニューは「和のん膳」「松平しいたけ味噌カツ定食」「大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食」「奥三河鶏やわらかムネ肉唐揚げ定食」など(いずれも1,800円)があり、ご飯は、白米、玄米、黒ごま炊き込みご飯の3種類から選べます。お茶も薬膳茶で、ヘルシーそのもの。そのためか、女性客が多く、シニア男性軍団には少し場違いな気もします。
 私は、大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食を注文。美味しくいただきました。
 せっかくの食事ですので、美味しい料理を食べたいものです。食べることは栄養を摂取するだけでなく、楽しみや喜び、癒やしにもつながりますから。

 お腹と心を満たして、出発。
 国道から外環状線へ。最後の上り坂です。脚力ある人は先に行ってもらい、私はマイペースでえっちらこっちらラペダルを回します。
 豊田市街地に向かって進み、寺部町へ自転車を進めます。

<旧松本家長屋門>
 県道343号線を横断する手前の公園に枝垂れ桜が植えられているのですが、こちらは既に葉桜になっていました。この公園は旧寺部小学校の跡地に作られたものだそうです。
 交差点を渡って北上すると、豊田市内に残る数少ない江戸時代の遺構として貴重な旧松本家長屋門があります。
 ここは、元々は、徳川家康の天下平定後、寺部地区に領地を与えられた渡辺家の家臣であった松本家のものでした。
 長屋門は、門の両側に長屋のように部屋が連なる建物で、上級武士や苗字帯刀を許された農家の屋敷の入口に置かれたと言われています。
 年配の男性ボランティアが常駐していて、施設の案内や説明をしてくれました。
 ここは三河の地ですが、尾張藩に所属していたとのこと。門番の部屋や馬屋のある西側半分は幕末期に建てられ、土間や座敷などの東半分は明治時代に増築されました。馬屋は飼い馬の部屋で、大部分に床板が張ってあり、床下にはふん尿をためるつぼが埋まっています。馬屋は現代の駐車場みたいな場所といえるでしょう。

 長屋門の東向かいにある守綱寺(しゅこうじ)は、尾州徳川家の家老職、渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。ここに見事な満開の桜があり、それをバックに集合写真を撮ってもらいました。

<寺部城址>
 寺部城址は住宅街と矢作川の間にひっそりと存在し、今はグランドゴルフのコースもある公園になっています。桜も咲いていました。
 寺部城は15世紀、文明年中鈴木重時によって築城された平城です。のちに渡辺守綱の居城(陣屋)となりました。城の遺構は西側の土塁のみで、江戸時代末から明治期の館の建物の礎石が残っています。建物があった場所には「母屋」、「書院」、「茶席」、「土蔵」、「仏間」などと刻まれた小さな石の銘板が埋め込まれていました。

 豊田スタジアムに戻ってくると、桜を見学する人たちが何組かいました。私たちも桜花爛漫の春を楽しむことができました。

 今日のコースは短い距離でしたが、坂が多くハードでした。坂を喘ぎながら上るのは大変ですが、頂に辿り着けば充実感がありますし、素晴らしい景色に出会えることもあるでしょう。
 ましてや、休みの日ぐらいのんびりしていてもいいと思いますが、参加された皆さんは自転車に乗って体を動かしている方が好きな人たちだと思います。

【サイクリングコース】
豊田スタジアム(午前8時50分)⇒ 国道301号 ⇒ 松平橋 ⇒ 大給城跡〔徒歩〕⇒ 松平城山城そのまんま公園〔徒歩〕⇒ B29友好碑 ⇒ 県道39号・岡崎足助線 ⇒ 松平橋 ⇒ ランチ〔和のん〕⇒ 加茂川公園 ⇒ 旧松本家長屋門 ⇒ 寺部城址 ⇒ 豊田スタジアム・解散(午後1時50分)
走行距離:27km
所要時間:5時間

【参加者】
稲葉栄二さん、大安の西川さん、白のトレックさん、もう一人の野田さん、G-CON谷口さん、BBQさん、じぇーむすでぃーんさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月28日(土) 豊田の城跡と桜をめぐる」を御覧ください。

https://x.gd/kNoAW

https://hasirenai.com/photo-index2026.html