◆2026(令和8)年8月15日(土) 晴ときどき曇、にわか雨

 かつて名古屋には陸軍第3師団が置かれ、戦闘機や武器の製造の集積地でした。第二次大戦の末期には米軍の集中砲火を浴び、名古屋城や名古屋駅が焼失し、多くの犠牲者が出ました。
 本日は終戦記念日。戦後81年となり、名古屋に残る戦争の爪痕を巡る探訪あいちを企画しました。戦争が残した「現場」から、平和を考える機会としていただきたいと思います。

 宮の渡し公園を出発。堀川、中川運河を南下し、港区稲永方面に向かいます。

<民家(元遊郭跡?)に残る機銃掃射痕>
 あおなみ線稲永駅の南西、港区錦町の信号機のある交差点の角に、今にも崩壊しそうな廃屋があります。
 ここにコンクリート製の門柱と壁が残っており、そこに大小様々な穴があります。これは米軍艦載機による機銃掃射の弾痕なのです。
 ネット情報では、この廃屋は妓楼(ぎろう)跡で、この辺りにはかつて稲永遊郭があったそう。
 所有者は、いるのでしょうか。何の案内表示もありませんが、戦争遺跡として保存すべき建物だと思います。
※「遊郭」は、堀や塀で囲まれた、妓楼の集まっている区域(「城郭」と同じイメージ)のこと。「妓楼」は、娼妓がいる一軒ごとの店を指します。また、「遊里」は遊郭の周辺や関連する娯楽の場を含む広義の用語です。
※「機銃掃射」は、機関銃でなぎ払うように射撃することです。太平洋戦争末期、日本本土への空襲が激化する中で、米軍機による機銃掃射が各地で行われました。軍事施設のほか、駅や電車、人を狙った攻撃があり、庶民にも多数の犠牲者が出ました。

<愛知航空機永徳工場のすべり跡(稲永スリップ跡)>
 稲永スポーツセンターの南、庄内川に突き出すようにコンクリート造の斜路があります。コンクリートは粗く削られ、デコボコで傷んでいます。
 これは、太平洋戦争中、水上機を水面に揚げ降ろしするためのすべり(スリップ、スロープ、滑走台などとも言います)でした。幅31m長さ70m余で、東側には突堤が付属し、船を係留する突起があるのですが、満潮のため見える範囲が少なかったのが残念です。
 昭和16年(1941年)、愛知時計電機は、航空機機体生産のため永徳工場を設立しました。昭和18年(1943年)には、愛知航空機として分離独立しました。永徳工場は、主に海軍機を製造していた軍需工場で、零式水上偵察機(零式水偵)などの水上機を生産していました。
 水上機は車輪の代わりに水面に浮くためのフロートをつけており、完成機はこの水上機用傾斜面を使用して庄内川に着水し、水面から大空へ飛行させたのです。
 当時の「愛知航空機永徳工場」は、今は「愛知機械工業株式会社永徳工場」となっています。
 このスリップ跡界隈は、現在はラムサール条約湿地「藤前干潟」になっており、釣り人で賑わっていますが、往時の悲惨な歴史を伝承するために何らかの案内看板か説明板を設置していただきたいと願います。

 折り返して県道を北上します。
 中川橋付近で遅れていた鉄のGIOSさんと合流。8人で自転車を進めます。

<熱田空襲跡の碑>
 大瀬子橋から堀川右岸の「堀川千年プロムナード」に入ります。左手には愛知時計電機の本社と工場があります。
 このあたりの堀川は幅が広く、川風を感じながらのサイクリングは気持ちが良いところです。
 白鳥橋の少し下流に、たくさんの窪みがあるコンクリートの塊が設置されています。これは太平洋戦争の熱田空襲の時に、飛び散る爆弾の破片がつけたものです。
 太平洋戦争当時、この辺りには愛知時計電機など、飛行機や兵器の製造を行っていた軍需工場がありました。
 昭和20年(1945年)6月9日、米軍による大規模な空襲を受けました。わずか10分ほどの爆撃で2,000人を超える多くの命が失われ、付近住民や工場に動員されていた若い勤労学徒も多数犠牲になりました。コンクリートにさえ大きな傷を付ける爆弾の破片が人々へ激突したのですから、まさに阿鼻叫喚地獄だったと言えるでしょう。

 コンクリートの塊の横には被爆堤防の碑文があり、
「 この護岸は、昭和八年に築造され、平成四年度から実施した「マイタウン・マイリバー整備事業」による新たな護岸の設置にあたり、撤去したものの一部である。
護岸表面にみられるくぼみは、昭和二十年六月九日のいわゆる「熱田空襲」の爆撃によりできたものである。
   平成八年三月  名古屋市 」
と記されています。

<平和地蔵尊>
 愛知時計電機の本社前の歩道脇に「平和地蔵尊」があります。
 熱田空襲犠牲者を悼む地蔵尊です。その背面には「将来の平和と安定を祈り被爆死者等の冥福を謹みて祈願する」等と、地蔵尊建立の由来と市民の願いが刻まれています。
 劣化による倒壊で歩行者に危険が及ぶ恐れから存続が危ぶまれていましたが、昨年、歩道沿いから約1.5メートル奥のフェンス際に移すなどの安全対策工事が行われました。
 なお、愛知時計電機の正門脇には、犠牲になった社員を弔うために同社が建てた地蔵もあります。

 堀川沿いを北上し、名古屋城方面に向かいます。
 桜通、本町通から本町公園へ。

<名古屋憲兵隊本部跡石碑>
 本町公園の西隅に建っています。見るからに戦争の碑としては新しいものです。
 裏面の碑文を見ると、
「 平成元年五月九日
  愛知県憲友会 名憲会 建立 」
「 明治二十二年二月に愛知憲兵隊設置
  同四十年名古屋憲兵隊設置の縁の地に、建立 」
とあります。平成になって、憲兵の生き残りの人たちが建立したものでしょう。
 憲兵は、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄の下、軍事警察やその他の警察業務を担う部隊でした。主に治安維持や民権運動の抑制を目的としており、その職務遂行の姿勢や行動が国民に対する圧力となり、恐れられる存在でした。
 今の時代、このような組織は絶対に必要ないですね。

<軍馬軍犬軍鳩慰霊碑>
 名古屋城外堀に架かる本町橋北東橋詰めの林の中に存在します。
 歩道際の柵から30メートルほど奥にあり、案内看板もないので、その存在を知らないと、わからないでしょう。
 絵馬風の形をした石碑には、中央に馬、左下にシェパード犬、右上に三羽の鳩が彫られ、その上部に右書きで「軍馬軍犬軍鳩慰霊碑」と文字が刻まれています。「ぐんば ぐんけん ぐんきゅう いれいひ」と読みます。
 軍馬は、軍需物資や重砲の輸送、偵察用途などで軍隊で飼われた馬です。戦馬とも言います。自動車やオートバイが普及するまでは、重要な動物でした。
 軍犬は、伝令犬や警備犬として使われました。現代でも、テロ対策や災害救助、爆発物の探知など、人間だけでは対応しきれない任務を犬たちが補っています。
 軍鳩は、伝書鳩として使われ、無線通信が普及する以前の重要な情報伝達手段でした。日本では日中戦争で活躍しました。
 碑の裏側には、建設した愛知県畜産組合聯合会などの団体名や個人名が彫られています。
 過去の戦争では人間ばかりでなく、動物も出征させられ、命を落としました。その軍用動物の戦死を供養するため、昭和14年(1939年)に建立されました。

<愛知縣護國神社>
 終戦の日とあって、普段は静かな境内が大勢の参拝者で賑わっていました。
 愛知縣護国神社には、戊辰の役から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争までの戦死者が祀られ、「戦艦大和記念碑」「パラオ海軍部隊慰霊碑」「海軍飛行予備学生 飛行科士官 慰霊塔」など、数多くの慰霊碑が建てられています。
 「戦艦大和記念碑」には「大和」の主砲・四六糎砲(46センチ)九一式徹甲弾の実物が使用されています。この碑の前で集合写真を撮りましたが、その他の碑ではやめました。余分な人が映り込んでいるかもしれませんから。

<第三師団司令部跡の煉瓦塀>
 二の丸交差点の北西角にイギリス積みの煉瓦塀が残っています。何の案内表示もありませんが、かつてここに陸軍第三師団司令部があり、煉瓦塀は唯一残る建造物です。
 明治6年(1873年)に名古屋鎮台が名古屋城内に置かれ、明治19年(1886年)に第三師団と改組され司令部が設置されました。師団は6千人から2万人程度の兵員を持ち、師管内にある軍隊を統率し、徴兵、治安出動、軍法会議など軍事に係る事案を所轄していました。名古屋城内にこのような施設があったことを初めて知りました。
 名古屋城が空襲で焼失したのも、城内に軍の施設があったことに遠因があるのかもしれません。
 現在、この場所は国の行政機関の庁舎となっています。
※「鎮台(ちんだい)」は、明治時代における日本陸軍の主要な編成単位です。

 この塀の内側に一風変わった、不思議な石碑があります。木の幹に包み込まれた石柱です。「勅諭」(ちょくゆ)とだけしか読めません。その反対側には「昭和」の文字が読み取れます。一体どうしてこのような状態になったのでしょうか。不可解としか言い様がありません。
 歴史研究者によると、軍人の心得を説く軍人勅諭の下賜50周年を記念し、士気を高めるために建てた碑のようです。

<歩兵第六聯隊>
 名古屋城二の丸内に進むと、愛知県体育館の西にいくつかの石碑を見ることができます。「歩兵第六聯隊」関連のものです。
 その由来の碑の一部を記すと、
「明治4年8月、東京鎮台第3分営を名古屋に設置せられたのが起源で、その後明治6年第3分営を名古屋鎮台と改め、歩兵6番大隊と称した。この年わが国に徴兵令が施行され、翌年3月壮丁を愛知、三重、岐阜の県から徴集し、歩兵第6聯隊を創設し、此の地名古屋城二の丸に兵営を新築した」とあります。
 また、軍役動物慰霊のための「馬魂碑」も奥の方にひっそりと建っています。
※「壮丁(そうてい)」は、成年に達した一人前の男性、特に旧制での徴兵適齢者を指します。

<騎兵第三聯隊跡>
 騎兵は、馬に乗って行動する軍隊や兵士のことです。
 名古屋市役所本庁舎の北西角の植え込みの中に「騎兵第三聯隊跡 名古屋市長 杉戸清書 」の石碑があります。

<愛知・名古屋戦争に関する資料館>
 大津橋の南にある愛知県庁大津橋分室。1933年(昭和8年)に竣工したゴシック建築です。戦争を生き延びた貴重な建物が、今は「愛知・名古屋戦争に関する資料館」となっています。
 入館無料で、館内には、地中から発見された250キロ爆弾の実物、焼夷弾の模型、防空頭巾、軍服、飯ごう、召集令状など、実物資料が展示されています。
 県民・市民から寄せられた遺品や手紙など、またパネル展示や映像もあり、短時間でこの地域の戦争の状況を学ぶことができます。

 戦争は国と国の争いですが、その背後には生身の人間がいます。こうした戦争遺跡や展示物を通じて、一人一人の人間が営む生活やエピソードに目を向けることが、戦争を回避する道につながるのではないでしょうか。

 11時10分頃、見学を終え、資料館を出発。昼食予定場所の熱田区に向け、ペダルを回します。
 天気予報どおり、堀川沿いで雨が降り出し、金山辺りで雨脚が強くなりました。

<昼食>
 鰻の「かが味」に到着したのは、11時50分頃。
 静かな住宅街の一角にある穴場の鰻屋さん。ご夫婦で商いされています。
 お盆で混んでいるかなと心配しましたが、入店と同時に8人が席に着くことができました。

 熱田区には全国的に名の知れた『あつた蓬莱軒』がありますが、土日には朝9時からお客さんが並ぶくらいの人気店なので、ここは初めから対象外。
 今回のサイクリングコースに近い場所では、『大和田』と『かが味』があります。ランチに鰻は高額ですので、美味しい店にしたいと思い、事前に家内と2店を食べ比べてみました。
 結果、『かが味』の方が、鰻の焼き具合もタレも格段に美味しかったので、こちらに軍配が上がりました。

 上うなぎ丼が5人、うなぎ丼が2人、櫃まぶしが1人の注文でした。
 普通のうなぎ丼と上うなぎ丼との違いは表面上はわかりません。上うなぎ丼は食べ進むと、ご飯の中から第二層としてまたうなぎが並んでいる構造です。
 皮はカリッと香ばしく、身はふっくらとジューシー、ほんのり甘いあっさりダレで上品な食感です。私の好みの味。2度目ですが、やっぱり美味しかった! ご馳走様でした。
 参加の皆さんにも概ね好評で、安心しました。

 しばらく店の前で雨宿りさせてもらい、小降りになったところで出発。白のトレックさん、鉄のGIOSさん、kuwanaさんは、ここで解散です。
 宮の渡し公園に5人がゴール。
 雨はすっかり上がり、照りつける太陽が眩しい空となりました。
 これにて無事解散となるところですが、「目の前のカフェでお茶はどうですか?」とお誘いしたところ、皆さんに参加していただきました。

 『喫茶 宮町』は旧旅籠屋「伊勢久」を改装したレトロな喫茶店です。2025年に開店しました。運営するのは、あの『あつた蓬莱軒』です。
 重厚な木の引き戸を開けると、経年変化によって深みを増した木造の梁や柱が、歴史ある雰囲気を醸し出しています。奥にある中庭は東海道をイメージした造りだそう。
 ホットコーヒーはノリタケのボーンチャイナのカップとソーサーで提供され、少しリッチな気持ちにしてくれます。
 私は信州安曇野りんごジュースを注文。甘みと濃厚さが上品で、美味しくいただけました。
 ちょっと贅沢な空間で、皆さんの自転車談義を心底楽しませてもらいました。

【追記】
 名古屋の戦争遺跡には、千種公園の「爆撃痕塀」、神宮東公園の「名古屋陸軍造兵廠跡」、笠寺公園の「高射砲陣地跡」など他にも多数ありますが、今回は時間や暑さの関係で割愛させていただきました。

【サイクリングコース】
宮の渡し公園(午前7時50分)⇒ 港区錦町 ⇒ 愛知航空機永徳工場跡 ⇒ 堀川千年プロムナード ⇒ 本町公園 ⇒ 愛知縣護国神社 ⇒ 名古屋城界隈 ⇒ 愛知・名古屋戦争に関する資料館 ⇒ 宮の渡し公園・解散(午後12時40分)
距離:35km
所要時間:4時間50分

【参加者】
ののださん、北條さん、白のトレックさん、大安の西川さん、鉄のGIOSさん、ノノガキさん、kuwanaさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「8月15日(土) 名古屋の戦争遺跡を巡る」をご覧ください。

https://x.gd/RExgQ

https://hasirenai.com/photo-index2026.html
 

◆2026(令和8)年7月25日(土) 晴

 連日、猛暑日や酷暑日が続いています。こんな暑さが明日も予想されるのなら、探訪あいちは中止にしようか、とも考えました。
 25日の天気予報を調べると、名古屋市の最高気温は39.7℃ですが、彦根市は35.2℃となっています。琵琶湖近くは4℃以上低いことがわかりました。関ヶ原を境に天候も変わるものです。
 予定どおり実施します。

 米原駅東口・米原市役所前には、遠路はるばる8人のサイクリストに集まってもらいました。走行距離が短いコースのためか、7人がミニベロでした。
 9時10分、北に向かってスタート。
 東海道本線の踏切を渡った先に小高い山があります。第一目的地の岩脇山です。

<1 岩脇蒸気機関車避難壕>
 岩脇は「いおぎ(いをぎ)」と読みます。
 岩脇山に存在するのが「蒸気機関車避難壕」です。丁寧な説明板がありますので、読んでみましょう。

「 蒸気機関車避難壕
 この二つの洞窟(左側は奥行五十二メートル止め、右側は一三〇メートルで貫通)は、太平洋戦争末期(一九四四年~一九四五年)に日本の輸送の大動脈である東海道線及び北陸線の列車を引っ張る蒸気機関車を、連合国軍の空爆から守るために掘られた防空壕跡です。
 この岩脇山は岩盤が固く、その上当時は物量が乏しく、火薬、スコップ、ツルハシ、トロッコなどの手作業で行われたため大変難工事でした。
 工事は当時の鉄道総局岐阜地方施設部が国策工事として朝鮮人の人たちを使って進められましたが、壕の完成を待たずして終戦を迎えました。
 戦後長い間、壕はごみ捨て場として放置されたままになっていましたが、岩脇まちづくり委員会が平成二十年~平成二十五年にかけて整備し、戦争の遺跡として保存しました。
 また平成二十九年に米原市文化財に指定されました。
                    岩脇まちづくり委員会 」

 米原駅は、現在も新幹線の停車駅であり東海道線と北陸線の結節駅ですが、戦時中も兵士、武器、弾薬を輸送する重要な拠点となっていました。米原駅の蒸気機関車を空襲から守るために列車壕(蒸気機関車避難壕)が掘られた訳です。
 貫通している東側のトンネルを覗くと、反対側の光が見えます。非貫通の西側トンネルは真っ暗です。2つとも機関車を入れるには不十分な穴の大きさなので、未完成だったことがわかります。
 山の反対側に行くと、「戦争が残した二つの洞穴」の立て看板があり、東側トンネルは反対側が見え、西側トンネルは先が見えません。
 洞穴に近づくと、ひんやりとした空気が感じられます。猛暑の中でしばらく冷気を浴びて涼んでいたいです。
 「立入禁止」の看板が立っていますので、奥に入るのは控えましょう。
 洞穴の前で集合写真を撮りました。
 「人数が増えているかも」
 掘削工事にかり出された人たちの霊が写っているかもしれません。

 「いおぎ町づくり資料館」は6畳ほどの手作りミニ資料館です。館内には蒸気機関車避難壕の整備の様子を写した写真が展示してあります。工事に使われた火薬を入れる棒などの道具も置いてありました。

 岩脇山に登ります。「頂上へ約200メートル」の表示があり、石段の遊歩道が整備されています。
 山の中腹の絶壁には岩屋善光堂が建てられています。ミニ清水寺のような造りです。普段は閉鎖されているため、中には入れません。
 標高120mと低山ですが山頂からの展望は抜群です。新幹線や東海道本線、琵琶湖など360度のパノラマが楽しめます。

 再び東海道線の踏切を越えて県道の横断歩道を渡ります。住宅街の奥にバス停の待合室のような小屋が見えてきます。

<2 トトロの森レトロ看板ミュージアム>
 この小屋が「トトロの森レトロ看板ミュージアム」です。地元の方々の遊び心と善意によってつくられた、屋外型の展示空間といえるB級スポットです。
 ここには、映画『となりのトトロ』のトトロやサツキとメイの装飾や看板を始め、映画の中に登場する停留所のオブジェが展示されています。ここに立っていると、猫バスがやって来そうな雰囲気になります。
 「トトロの森のキャラクターの使用については宮崎駿さんの事務所スタジオジブリに連絡済みです」ということですので許可は得ているようです。
 近くの森の植物の紹介パネルもあり、感想を記入するノートも置かれていました。
 他にも松山容子のボンカレー、浪花千栄子のオロナイン軟膏、金鳥、仁丹などの昭和レトロなホーロー看板、黄色にペイントされた丸形ポストも展示され、懐かしさを感じる手作りミニミュージアムです。
 ちなみに、ボンカレーの「ボン」はフランス語の「bon」で、「良い」「おいしい」という意味です。

 再び米原駅方面に戻り、線路の地下道を通ります。入江川沿いを琵琶湖に向かって走ると、琵琶湖干拓資料館に至ります。

<3 琵琶湖干拓資料館>
 琵琶湖には、戦前40あまりの内湖がありました。しかしこれらの内湖は耕地への転用のため次第に干拓されていき、松原内湖や入江内湖など、多くの内湖がその姿を消しました。
 琵琶湖干拓資料館は、入江内湖の干拓事業の歴史や、入江内湖から見つかった出土品や干拓の際に発見された縄文時代からの遺物を展示、保管し、琵琶湖干拓の歴史を紹介するために設立された無料の資料館です。残念ながら平日のみの開館のため、本日は館内を見学することはできませんでした。

 琵琶湖東岸の道を彦根市の松原水泳場に向かって走ります。

<4 鳥人間コンテスト>
 10時30分過ぎ、鳥人間コンテスト会場に到着。多くの見学者で賑わっていました。
 一般駐車場はないため、私たちと同じように自転車で来る人が多いようです。
 湖の中に高さ10mのプラットホームが見えます。北側に約300席の観覧エリアがありますが、暑さを避けようと、砂浜に植えられた松並木の日陰で観覧している人が多いです。
 テレビの実況放送席近くに行くと大型ビジョンが設置されています。今年のMCもナインティナインの矢部浩之で、プラットホームでのインタビュアーは宮川大輔でした。

 鳥人間コンテストは、多くの人がテレビで見たことがあると思います。読売テレビ放送がテレビ番組制作を目的とした自作人力飛行機による飛行距離および飛行時間を競うもので、1977年(昭和52年)から続く歴史あるコンテストです。
 今年は「第48回鳥人間コンテスト2026」(2026 JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)の開催となります。
 本日7月25日(土)は「人力プロペラ機部門」、明日26日(日)は「滑空機部門」が行われます。
 人力プロペラ機部門では、南ルート(プラットホーム ⇔ 沖島側ポイント)と北ルート(プラットホーム ⇔ 竹生島側ポイント)の往復を目指します。両ルートを往復した場合の記録は42.195kmとなり、複数のチームが到達した場合は、最も速いチームが優勝となります。
 以前は飛行距離に制限はなかったのですが、パイロットの健康や飛行時間の制限などの観点からルールを見直したのでしょう。
 滑空機部門では、プラットホーム先端から着水までの飛行距離を競います。
 プラットホームの高さは水面から10メートル、助走路は10メートルで、傾斜角は3.5度の扇形です。

 私たちが到着したときは、プラットホーム上に北海道大学チームが待機していました。プラットホームに上るための桟橋にはその次にスタートする機体が、さらに砂浜にも待機している機体がありました。熱い日差しの中、お揃いのTシャツ姿の若者たちが機体を支えています。実物を見ると、その大きさ、主翼の長さに目を見張ります。機体をプラットホームに運び上げるのも大変な労力でしょう。
 プログラムを見ると、12チームが参加し、ほとんどが大学のチームです。北海道大学は5番目のスタートとなっています。

 30分以上待って、ようやく北海道大学の機体が離陸しました。
 ところが機体は左に大きく傾き、これは危ないぞ、と思った瞬間、降下して湖面に着水してしまいました。飛行時間は数十秒だったでしょうか。
 会場にアナウンスが流れました。
 「ただ今の、北海道大学NorthernWingsの記録は、53メートル90でした」
 プロペラ機でこれは短すぎます。滑空機並です。北海道大学にとっては無念の記録だったに違いありません。
 機体の設計・製作には1年以上を要し、パイロットも本番に向けて体を鍛え上げます。機体制作費はおそらく普通乗用車が買えるくらいの金額がかかっているのではないでしょうか。北海道から琵琶湖までの機体の輸送費や保管費も必要だと思います。
 それでも挑戦し続けるのは、大空への夢や希望があるからなのでしょう。
 鳥人間コンテストへの出場は狭き門で、毎年100機以上の応募があり、書類審査の時点で約30機にまで絞られるそう。北海道大学の皆さん、またチャレンジしてください。

 明日は「滑空機部門」が行われ、18チームがエントリーしています。
 大会の模様は9月2日(水)午後7時から読売テレビ系で全国放送されますので、ぜひ観ましょう。

 11時20分頃、大会会場を後にしました。
 東海道本線沿いの県道を走って米原に戻ります。
 滋賀県立文化産業交流会館の敷地に威風堂々と展示されているのが「ラッセル式除雪車キ555号」です。

<5 ラッセル式除雪車キ555号>
 このラッセル車は、名古屋鉄道管理局の米原駅を常備駅とし、主に東海道本線の除雪で活躍しました。複線用であるため、雪が進行方向左側に流れるようになっています。車体に名古屋管理局の「名」が特徴的な書体でレタリングされています。1983年頃に廃車になり、その後は当地で保存されています。
 説明板には次のようにあります。

「 雪かき車「キ555」号の経歴
この雪かき車は、昭和18年誕生以来39年間東海道本線の最も降雪の多い米原~大垣をラッセルし、特に昭和38年1月の大豪雪には、大活躍し、地域住民の足はもとより産業文化の発展に多大の貢献をしました。 」

<昼食>
 米原駅にほど近い「たい風ラーメン米原店」にて。
 私はネギネギラーメンを注文しましたが、参加の皆さんは冷やしつけ麺でした。
 店舗の看板には博多ラーメンの名を掲げていますが、あっさりとした塩味のライトな豚骨スープです。ストレートの細麺で、焼豚はジューシーで香ばしく旨味があります。大量の青ネギと細モヤシとが食感のアクセントになって美味しかったです。

 12時20分、米原駅にゴール。暑さの厳しい日でしたので、早めに終了しました。
 時間がありましたので、解散後、彦根城や醒ヶ井宿などに行かれるメンバーもいました。

 私は、乗車前の空き時間を利用して米原駅東口横にある、喫茶店兼軽食屋「LOVANGA☆KITCHEN」にて、ソフトクリーム(リッチみるく)をいただきました。濃厚なのにさっぱりして美味しかったです。体の火照りも少し和らぎました。

 金山駅から自宅までの5km弱の自走は灼熱地獄のようでした。肌を刺すような日差しとファンヒーターのような熱風でフラフラです。この日の名古屋の最高気温は39.1℃。彦根は35.0℃。琵琶湖が名古屋より気温が低いことを実感しました。名古屋がどれほど暑いか、容赦ない厳しい暑さであることか!

【サイクリングコース】
米原駅東口(午前9時10分)⇒ 岩脇蒸気機関車避難壕 ⇒ 岩脇山 ⇒ トトロの森 レトロ看板ミュージアム ⇒ 入江川沿い ⇒ 琵琶湖干拓資料館 ⇒ 彦根市・松原湖岸『鳥人間コンテスト会場』〔見学〕 ⇒ <折り返し> ⇒ ラッセル式除雪車キ555号 ⇒ 昼食 ⇒ 米原駅西口・解散(午後12時20分)
距離:17km
所要時間:3時間10分

【参加者】
大安の西川さん、豊川のコシダさん、高浜の石川です。さん、所さん、ノノガキさん、西尾の三浦、のだのださん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「7月25日(土) 鳥人間コンテスト」をご覧ください。

https://x.gd/ofRcv

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◆2026(令和8)年7月11日(土) 晴ときどき曇

 明日、7月12日から大相撲名古屋場所(7月場所)がIGアリーナで始まります。千秋楽は7月26日です。
 大相撲の相撲部屋は、現在45部屋存在するとのこと。この機会に名古屋市内に宿舎を構える5つの相撲部屋を巡る探訪あいちを企画しました。

 私は相撲には詳しくないので、大相撲について簡単に整理しておきます。
 大相撲の番付(ばんづけ)とは、力士の強さや実績をもとに決められた順位のことです。大きく6つの階級と10種類の格付けで構成されています。
 階級は上から順に「幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口」の6つです。
 格付けは「横綱、大関、関脇、小結、前頭(平幕)、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口」の10種類となります。
 階級が横綱、大関、関脇‥‥という大きなグループ分けだとすれば、格付けはその中での細かい順位(例えば、前頭3枚目、幕下15枚目など)を指します。
 関取とは、十両以上の階級にいる力士の総称です。

 相撲の行司の掛け声は「ハッケヨイ」「ノコッタ」です。
 「ハッケヨイ」は漢字で「発揮揚々」と書きます。それゆけ、それやれ、もっとやれ、といった意味です。両者の動きが止まったときなどに発します。気合いを入れているのです。
 「ノコッタ」は「残った」で、まだ勝負がついていないことを言っています。

 午前7時45分、パロマ瑞穂スタジアムを5人で出発。
 豊岡通を西へ進みます。
 天理教東愛大教会に2025年まで伊勢ヶ浜部屋(元横綱照ノ富士)の宿舎があったのですが、今年から北区安井に移転したため、ここは通過します。

<1 二子山部屋>
 師匠:元大関雅山
 宿舎:秋月院 瑞穂区大喜町1-28
 幕内力士:西前頭八枚目 狼雅(ろうが)ロシア出身

 最初の見学先は二子山部屋。
 お寺の入口横に部屋名と四股名「狼雅」の2本の「相撲のぼり」が掲げられています。
  名古屋場所の「相撲のぼり」は岐阜市の吉田旗店で製作されています。長さ5.4m、幅90cmで、はためきやすい薄手の木綿生地でできています。
 お寺の駐車場に土俵が設けられ、力士が集まっていました。
 朝稽古を見学できるか尋ねたところ、残念ながら断られました。
 見学者が一人もいなかったのはそのためでしょう。
 ここは諦め、次に向かいましょう。

 熱田陸橋を渡ります。ここからは7月5日にオープンしたばかりの名古屋四季劇場が見えます。
 日比野交差点を北に進むと、名古屋中央卸売市場本場の向かいに大名古屋食品卸センターがあり、その駐車場入口に「大嶽部屋」と「王鵬」の相撲のぼりがはためいていました。

<2 大嶽部屋>
 師匠:元前頭九枚目玉飛鳥
 宿舎:大名古屋食品卸センター内 熱田区千代田町1-7-8
 幕内力士:西小結 王鵬(おうほう)東京都出身

 大嶽親方は名古屋市熱田区出身で、今年から熱田区に宿舎を構えるようになりました。昨年9月に部屋の師匠となって初の名古屋場所で、自ら希望して地元に稽古場を構えたそうです。地元名古屋場所での活躍を期待しましょう。
 土俵は大名古屋食品卸センター駐車場の一角にあります。誰でも見学できるようにオープンになっています。閑散とした二子山部屋と違い、大勢の見学者が土俵を取り囲んでいて、稽古の様子は人垣の隙間からちらほらしか見えません。

 朝稽古の見学は、部屋によって随分対応が異なるようです。一般公開している部屋もあれば、後援会の人しか見学できない部屋、事前予約や紹介が必要な部屋もあるみたいです。
 オープンな部屋では、間近で力士の稽古を体感できます。ただ、稽古場の雰囲気を乱さないよう、私語を慎み、指定された場所から観覧するのがマナーです。

 佐屋街道を走り、五女子交差点から北上すると、中川運河沿いに相撲のぼりが2本立っているのが見えました。

<3 八角部屋>
 師匠:第61代横綱北勝海
 宿舎:㈱ENEOSウイング 第2研修センター 中川区広川町1丁目
 幕内力士:不在
 十両力士:東十両五枚目 北の若(きたのわか)

 8時40分頃到着したのですが、朝稽古は終わっていました。力士たちは研修センターの中に設けられた土俵を竹箒で掃いたり、まわしを片付けたりしていました。
 土俵の横にパイプ椅子が並べられていましたので、ここは自由に見学できるようです。

 今回の企画は当初8時15分にスタートするところを30分繰り上げ、7時45分にスタートしたのですが、さらに早くスタートすべきだったのかもしれません。
 「八角部屋」の表札の前で記念撮影して、次に急ぎました。

<4 荒汐部屋>
 師匠:元前頭二枚目蒼国来
 宿舎:安井山善行寺 中川区愛知町41−19
 幕内力士:東関脇 若隆景(わかたかかげ)福島県出身
      東前頭八枚目 若元春(わかもとはる)福島県出身
      東前頭十六枚目 大青山(だいせいざん)中国出身

 八角部屋から少し西に行った善行寺に荒汐部屋宿舎があります。
 9時頃に着いたのですが、多くの人が寺から出て来るところで、稽古は終わったのだなと思いました。境内の土俵がある場所に行くと、案の定、稽古は終了していました。
 「稽古終了しました。稽古終了しました」と若手力士が大きな声で言いながら、見学者に退出を促していました。もう少し早く来ることができれば‥‥‥残念でした。
 境内には何本もの相撲のぼりが立ち並び、壮観な景色です。本日訪問した相撲部屋の中では群を抜いています。部屋の表札や部屋の暖簾も立派です。幕内力士が多いことと後援会に有力者が多いのでしょう。

 荒汐部屋には、若隆元(長男)、若元春(次男)、若隆景(三男)の三兄弟がいます。
 若隆元(本名大波渡)は、元東幕下7枚目。2026年5月の夏場所を最後に引退し、若者頭(わかいものがしら)になりました。
 若隆景は5場所ぶりに関脇に復帰しました。ところが、7月1日の稽古中に左大腿部に痛みを感じ、「大腿コンパートメント症候群」と診断され、緊急手術を行い、名古屋場所は休場となってしまいました。

 次の九重部屋は東区ですので、ここからは少し時間がかかります。稽古は見学できるでしょうか。

<5 九重部屋>
 師匠:元大関千代大海
 宿舎:蓬莱山徳源寺 東区新出来1丁目
 幕内力士:西前頭十枚目 千代翔馬(ちよしょうま)モンゴル出身

 徳源寺に宿舎を構える九重部屋には10時頃到着しました。
 果たしてここは朝稽古中でした。見学者も大勢いました。迫力ある取り組みを見学することができ、良かったです。
 境内の修古館という建物の中に土俵があります。入口が大きく開かれているので、中の様子がよく見えます。
 九重部屋の看板力士は千代翔馬関です。その彼が若い力士を相手に激しくぶつかり合う実践稽古が行われていました。「ぶつかり稽古」と言うのでしょうか。「ぶつかり稽古」は稽古の最後に行われることが多く、受け手となる上位力士が攻め手を何度も受け止め続けることで、攻め手の体力と精神力を限界まで絞り出します。
 若い力士は「はぁ、はぁ」と息絶え絶えなのに、千代翔馬関は何人もの若手を相手にしているのに息が上がることもなく平然としています。千代翔馬関の強さが際立っていました。
 稲葉さんが「明日から本場所なのに、あんなに稽古して大丈夫なのかな」と言っていましたが、それだけの体力がないと関取には成れないのでしょう。
 稽古の最後には、力士たちが芋虫のように連なって土俵周りをすり足で歩いていました。この動きがとてもユニークで、面白かったです。
 稽古が終わってからも力士たちはすぐに引き上げることなく、見学者とのふれあいタイムがありました。子供たちとハイタッチしたり、赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に写真を撮ったり。なかでも千代翔馬関は多くの人に囲まれ、サインや写真撮影に笑顔で応じていました。稽古後で疲れているにもかかわらず、サービス精神旺盛で感激しました。このような対応を体験すると、自然と、九重部屋、そして千代翔馬関を応援したくなります。

<人見知りうどん>
 昼食は『人見知りうどん』。都合のいいことに九重部屋の宿舎である徳源寺に近い場所です。
 午前11時の開店前に着いたのですが、15分前だというのに既に5人が並んでいました。
 開店と同時に私たち5人は席に着くことができました。早く来て正解です。
 元力士の鐘ヶ江健二さん[四股名:暁司(ときつかさ)]が経営するうどん店で、2024年8月8日にオープンしました。
 客席はテーブルとカウンター合わせて13席と、広い店ではありません。店内には番付表や力士の色紙が飾られています。
 おすすめメニューは店名と同じ「人見知りうどん」。冷と温があり、どちらも850円(税込み)。他に「なべ焼きうどん(1,200円)」などがあります。
 私は冷たい人見知りうどんとミニライス(150円)を注文。
 一番の特徴は、薄く平たい春巻きの皮のようなものが器全体を覆っていること。これは麺を薄くのばして揚げたものだそう。その下に麺と具材の生卵、ネギ、天かす、油揚げ。店主の人柄と同時に、麺と具材を隠すような盛りつけに「人見知り」の意味が込められているのかも。
 パリッパリの揚げ麺を崩し、まぜそばのように具材と麺を絡めていただきます。
 中太の麺はキュッと引き締まったコシがあり、崩した揚げ麺が合わさってパリッとモチッとした、独特の食感を楽しむことができます。麺を食べた後、ミニライスを投入すると、甘めのタレと卵がご飯に染みて出汁が効いた卵かけご飯のようになって美味しいです。
 ごちそうさまでした。
 私たちが店を出ると、6、7人の入店待ちのお客さんがいました。

 12時15分に、瑞穂スタジアムに戻りました。
 相撲部屋の朝稽古が見学先という特殊性で、通常なら昼ご飯を食べている時間にゴールです。

 希望された方には、パロマ瑞穂スタジアムの1階に併設された「おおぐるわ縄文ミュージアム」(入場無料)を見学してもらいました。
 1939年(昭和14年)の旧瑞穂公園陸上競技場の建設時に発見された「大曲輪貝塚」を紹介する施設で、出土人骨と復元された縄文人・縄文犬などが展示され、縄文時代の生活風景の再現映像もあります。外壁には、大曲輪貝塚の発掘調査の様子などが展示されています。

【サイクリングコース】
瑞穂公園(午前7時45分)⇒ 二子山部屋(瑞穂区)⇒ 大嶽部屋(熱田区)⇒ 八角部屋(中川区)⇒ 荒汐部屋(中川区)⇒ 九重部屋(東区)⇒ 瑞穂公園・解散(午後12時15分)
距離:27km
所要時間:4時間30分

【参加者】
白のトレックさん、稲葉栄二さん、BBQさん、fusaさん、幹事(まつぼっクリ) 計5人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「7月11日(土) 大相撲名古屋場所宿舎めぐり」をご覧ください。

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◆2026(令和8)年6月13日(土) 晴

 名鉄美合駅スタート。
 踏切を渡り、県道329号美合停車場線を南下します。この道は別名「馬頭道(ばとうみち)」と言い、かつて馬頭観音を祀る場所へ通じる道であったことに由来するそうです。

 アップダウンの続くかなりハードな道。本日の参加メンバーは健脚揃いなので、先導で走るのはしんどいです。
 ほぼ平坦になってきたところで、右手に幸田町民プール、町民会館が見えてきました。
 国道248号を横切り直進します。
 再び国道と交わる鍛冶山交差点から国道に入ります。車の通行量が俄然多くなります。
 三ヶ根駅前交差点を左折すると、ほどなく本光寺に至ります。

 土曜日とあって、駐車場はほぼいっぱいで臨時駐車場も設けられていました。
 駐輪場がなく、公衆トイレの壁に立てかけました。

 本光寺は九州島原藩主であった深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)の菩提寺です。島原藩主の墓所が愛知県にあるのは、転封(てんぽう、知行地や所領を別の場所に移すこと)により深溝松平家が肥前国島原藩に移ったのちも、歴代藩主の遺体は三河国深溝の本光寺に運ばれて埋葬されたためです。
 そして、ここは「三河のあじさい寺」とも言われる花の名所です。この時期は境内を紫陽花が埋め尽くしています。その数15種類約1万本。特に山門に向かう参道には石畳の両側に花が満ちあふれ、見事な景色を作り出しています。
 6月中はあじさい祭りが開かれていて、キッチンカーもあり、多くの人で賑わっていました。外国人の姿も見えます。
 紫陽花の品種は2千種以上あるそうですが、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、ホンアジサイ、セイヨウアジサイなどが知られています。
 色も、レッド、ブルー、ピンク、ホワイト、パープル、グリーン、また、それぞれに濃い淡いがあり、とてもカラフルです。
 また、「椿の郷」として本堂裏手の丘陵地に約200種1,000本が咲くそうです。

 幸田町郷土資料館は本光寺のすぐ近くです。
 まず、屋外の展示物から。
 一番目立つのは航空自衛隊の「旭光(きょっこう)」という戦闘機です。ボディだけでエンジンは取り除かれているため中は空洞になっています。「743」と大きな数字が書かれています。屋根もなく野ざらしなので塗装が劣化して、保存状態はよくありません。
 陸上自衛隊で使用されていたヘリコプターが目の細かい網を張った小屋の中に展示されています。H-13Hという機種で、「ひばり」の愛称があります。
 潜水艦「おやしお」のスクリューと錨、105mm軽りゅう弾砲、105mm無反動砲、また国鉄D51形蒸気機関車主動輪などがあります。
 女性職員の方のお話によると、昭和52年(1977年)開館当時の町長が自衛隊と関係があり、自衛隊愛知地方連絡部から幸田町に無償レンタルされているとのこと。今でも年に一度自衛隊の方が現状を確認に来るそうです。

 屋内には、「幸田の原始・古代」「深溝松平家墓所の紹介」「菱池の干拓」「三河地震」「昭和の生活」のコーナーがあり、生活民具や器具、農具、古文書を始め、古墳からの出土品などが保管展示されています。かつての暮らしや生産手段を知ることができます。
 中でも話題なのが額田郡相見村で使用されていた金庫。少なくとも明治22年以前に製造されたものです。
 2025年11月に放送されたテレビ東京系『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』の「開かずの金庫を開けろ!」のコーナーで、鍵職人の玉城恭一さんがこの金庫を解錠しました。中には何もありませんでした。撮影は同年9月に行われたとのこと。

 少し早いですが、昼食にします。
 国道に面した「三昧井(さんまいちん)」という中国料理店です。
 午前11時前、店主が「営業中」の看板を持って店から現れると、すぐに席を案内してくれました。
 「私はオートバイに乗ってるんですけど、エンジンのない自転車に乗ってる人を尊敬します」などとにこやかに話しながら、注文を取ってくれました。
 ランチメニューを見るとほとんどが千円以下で、物価高のご時世でもリーズナブルです。
 中華飯3人、天津飯2人、餃子定食2人を注文。
 「一人でやってるんで時間がかかります」
 見た目、私と同じ60代後半と思われる店主です。20席以上ある店ですが、ワンオペでよく切り盛りされているなと、感心します。
 餃子はパリッとした感じではなく、水餃子のように柔らかい。好みが分かれるでしょう。定食に付いていた小ラーメンはシンプルで自分好みでした。平均的な町中華の味だと思います。

 東海道本線の踏切を渡り、少し南に進んで、県道41号線を西に走ります。
 この県道はほぼ直線道路になっていて、約2kmに渡って道の両側にメタセコイアが植えられています。メタセコイアは中国原産のヒノキ科の落葉高木で、和名ではアケボノスギとも言い、葉は線のように細長く、クリスマスツリーのような形が特徴です。
 今の季節は深緑です。春は爽やかな黄緑色、秋にはレンガ色に紅葉し、冬の裸樹となり、春夏秋冬、さまざまな姿を見せてくれます。

 県道から広域農道幡岡線に入ります。ここは上り坂。貧脚の私にはしんどいです。脚力ある人は幸田サーキット入口まで先に行ってもらいます。

 幸田サーキットは、2003年(平成15年)に元採石場の跡地にオープンしました。
 4輪の基本コースやレーシングカート・レンタルカートコース、2輪コースが完備されたサーキット場です。ママチャリ耐久レースも開催されます。
 入場・駐車場は無料ですので、気軽に観戦・見学できますが、この日はジムカーナ練習会で貸し切りとなっており、観戦デッキまでは入れませんでした。
 ジムカーナは、舗装路面に設定されたコースを、競技車両が1台ずつ走行するタイムトライアルです。大阪と茨城からやってきたという男性2人に聞くと、車両は改造範囲でクラス分けされるそう。マツダのロードスターが多く見られました。明日の日曜日が中部ジムカーナ選手権の本番だと語っていました。

 広域農道からサーキットへの坂道は、おそらく20%以上の勾配があるのではないでしょうか。入るときはブレーキコントロールが必要なくらいの下りですが、出るときは私は自転車を押しながら登りました。歩いても呼吸が荒くなる激坂です。4人の方は自転車で登坂。すごいですね。

 国道23号方面に向けて急坂を下ります。
 沢渡公園南西交差点を左折。上六栗交差点を右折して、東海道本線の踏切を渡ると、県道483号岡崎幸田線に出ます。幸田駅前、幸田消防本部、幸田高校を通過して、県道78号安城幸田線を走り、対象交差点を右折。弁天交差点から国道248号を北上します。交通量が多い上に、路肩に生い茂った雑草が脚に当たり、不快です。草刈りをしてほしいです。
 岡崎市に入って、上地三丁目交差点を右折。緑が丘一丁目交差点を右折するとすぐにサイクルぴっとイノウエ岡崎店があります。
 ほどなく、往路に通った馬頭道に入ります。

 最後に立ち寄ったのは、私が現役のとき3年間勤務していた愛知県立農業大学校。
 紹介したかったのは1935年(昭和10年)に建てられた木造平屋の「追進館」です。ここは、NHK連続テレビ小説「純情きらり」(2006年/平成18年4月~9月)のロケ地の一つです。
 昭和初期から激動の戦中戦後、さまざまな試練や戦火を乗り越えて、音楽への夢と愛を貫くヒロイン・有森桜子の波乱万丈の人生を描いた作品でした。舞台は八丁みその産地・愛知県岡崎市と芸術家たちが集まる東京の下宿。主人公の桜子を当時20歳の宮崎あおいが演じました。
 「追進館」は桜子が新入生歓迎会でピアノを演奏するシーンで使われました。
 今からちょうど20年前になります。時が経つのは早いですね。
  「追進館」も崩壊の恐れがあるほど古くなり、立ち入り禁止になっています。

 追進館の前に「平和の碑」が建っています。少し長くなりますが、こちらも紹介させてください。
 第二次世界大戦末期、当時の国策に従って、「食糧増産と農村青少年の錬成のため」に、各都道府県が「在満報国農場」を当時の満州国(現中国東北部)に建設しました。愛知県でも、農業大学校の前身である県立追進農場を拠点基地として、「愛知県在満報国農場」が昭和19年2月に設置され、県内の青年男女及び追進農場の修練生や修了生が隊員として参加しました。
 昭和19年度は4回に分けた派遣があり、合計107名が海路で満州に渡り、半年間の勤労奉仕隊として、大豆、小豆、野菜等の生産に従事しました。これらの隊は、交替、帰国、追進農場での解散を無事に繰り返しました。
 昭和20年の第二次隊は、男子43名、女子39名の計82名で編成され、このうちの8割が17歳以下の少年少女でした。また、追進農場の関係職員9名も配置され、合計91名が派遣されました。
 ところが、この隊を悲劇が襲います。
 昭和20年8月9日のソ連軍参戦により、報国農場は放棄せざるを得ず、飢え、冬季の極寒、不衛生な環境の中、まだ年若い隊員達は不安と絶望に苛まれながら異国を流浪し、次々と病魔に倒れていきました。
 その結果、帰国するまでの1年間に、一般隊員は現地で48名が死亡し、帰国できたもののすぐに死亡した者も3名いました。死亡者総数は82名中51名に上り、死亡率が6割を超しました。また、職員隊員は9名中6名が死亡しました。第二次報国農場派遣隊員は、総計91名中57名が犠牲になったのです。
 「平和の碑」は、生還者が昭和50年に犠牲者の鎮魂のために建立したものです。
 戦争の悲惨さ、命の尊さ、そして平和の大切さを実感していただきたいと思います。

 午後2時15分頃、美合駅にゴール。
 大安の西川さん(76歳)の「残り少ない人生、楽しまなきゃ」との言葉に共感します。
 私も、何歳まで生きられるか、あとどれくらい自転車に乗れるか、わかりません。現在の時は、自分への贈り物だと思います。体が動くうちはサイクリングを楽しみましょう。

【サイクリングコース】
名鉄美合駅(午前8時50分)→ 馬頭道 →〔県道480号線〕→〔国道248号〕→ 本光寺 → 幸田町郷土資料館 → 県道41号線 → 幸田サーキット → 幸田駅前 → 幸田高校前 →〔国道248号〕→〔県道327号線〕→ 農業大学校 → 名鉄美合駅・解散(午後2時15分)
距離:35km
所要時間:5時間35分

【参加者】
大安の西川さん、白のトレックさん、T-kuchanさん、ノノガキさん、川合静夫さん、高浜の石川です。さん、幹事(まつぼっクリ) 計7人
自転車は、スペシャライズド2台、トレック2台(1台はEバイク)、アンカー、タイム、バーディーの7台

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「6月13日(土) 三河のあじさい寺」をご覧ください。

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◆2026(令和8)年5月31日(日) 曇のち晴

 昨年11月23日に実施した「探訪あいち 桑名観光サイクリング」に続き、2回目の桑名です。
 今回はズバリ、「六華苑と諸戸氏庭園」のタイトルとしました。
 昨秋と同様、桑名歴史案内人(観光ボランティア)の方にガイドしてもらいます。
 なお、今回の実施レポートでは、前回記載した内容と重複するところは省略していますので、前回レポートと併せて読んでいただくと、六華苑と諸戸氏庭園の様子がよりわかるかと思います。

 本日は晴で暑くなる予報でしたが曇り空。サイクリングに最適の日和です。
 午前8時25分、集合場所のあおなみ線荒子川公園駅前を参加者7人でスタート。
 河合小橋までは「明治の東海道(前ヶ須街道)」を走り、県道70号名古屋十四山線経由で弥富市へ。ひので公園にて休憩。
 国道1号の尾張大橋(木曽川)と伊勢大橋(揖斐長良川)は、車道の幅が狭く交通量が多いので安全のため歩道を走ります。その歩道も路面が悪く、特に伊勢大橋は凹凸が大きく、ゆっくりペダルを漕ぎます。伊勢大橋のすぐ下流側では、新しい橋の建設が進められています。いつも渋滞する橋ですので、早く完成してほしいですが、まだ10年以上かかるのではないでしょうか。

 午前10時前、六華苑に到着。自転車は川沿いの七里の渡し公園駐車場に停めました。
 ここからは桑名歴史案内人の有竹さんにガイドしてもらいます。
 有竹さんは私と同い年で、勤務先が同じでした。現役時代は職場の陸上クラブに入っていた仲です。ガイド歴5年目になるとのこと。

 六華苑(460円)と諸戸氏庭園(500円)の共通チケットを利用すると、2つの施設が750円で見学できます。
 六華苑は、桑名の実業家だった二代目諸戸清六(もろとせいろく)の邸宅として大正2年(1913年)に完成しました。設計したのはイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏。彼の建築作品は鹿鳴館を始め東京と神奈川県内に集中していたため、関東大震災や戦災等により現存する作品は非常に少なくなっています。六華苑は、地方に唯一現存するコンドル氏の住宅作品となりました。
 桑名市は平成3年(1991年)に土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け、整備工事の後、平成5年に「六華苑」として一般公開しました。洋館および和館は平成9年(1997年)に国の重要文化財に、蔵などの6棟が三重県の有形文化財に指定されています。また庭園は、平成13年(2001年)に国の名勝に指定されました。
 「六華苑」の名称は公募により決まりました。「六」は「諸戸清六」の名から、「華」は「九華公園」から取ったそうです。
 ちなみに、「九華公園」という名称は、中国に九華扇という扇があり、桑名城の通称が扇城であることによります。また、九華は「くはな(くわな)」と読むことができ、江戸時代には桑名を表すものとして使用されました。

 洋館1階の玄関の床タイルはイギリス製だとのこと。ステンドガラスは空襲で割れてしまったため、残っていたモノクロ写真を参考に復元しました。色は推測だそう。
 館内のガラスも当時のものは波打っていますが、復元されたものは平らです。当時のものを今は作れないからです。
 各部屋に置いてあるアンティークな調度品は、ほとんどが当時のものではなく、市役所が購入したものだそう。

 六華苑は築110年以上経ち、現在、建造物保存修理事業の事前調査中です。壁や床の一部が剥がされていました。当時使用されていた照明のスイッチなどの古い部材や装飾品も展示されていました。令和9年度から耐震補強・修理工事が行われ、5年ほど見学できなくなる予定です。

 六華苑は貴重な大正時代の建物ですので、ロケ地にもなっています。
 映画『わたしの幸せな結婚』(2023年)で、Snow Manの目黒蓮さんや女優の今田美桜さんが、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』で、中村勘九郎さんや役所広司さんが、ここに来て撮影されました。
 また、結婚式の前撮りにも利用されます。ちょうど、和館の方で文金高島田の花嫁さんがいました。洋館の方でウエディングドレスでの撮影もできますので、洋装・和装の両方が一か所でできるのです。苑内にあるレストラン『Rocca』で披露宴を行うカップルもいるそうです。

 本日は日曜日とあって、見学者が多く、またボランティアガイドの方も多数活躍されていました。
 有竹さんによると、五十数名のボランティアガイドの方がいるそうです。研修も行われ、名古屋市の文化のみち二葉館、豊田佐助邸、爲三郎記念館(旧古川為三郎邸)などを見学したこともあるとのこと。
 六華苑は名古屋の覚王山にある「揚輝荘(ようきそう)」に似ているところがあるので、彼に紹介しました。揚輝荘は松坂屋の初代社長である伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)の別荘だったところで、聴松閣(ちょうしょうかく)という邸宅や立派な庭園があります。
 また、熱中症対策のため7月から9月の夏期は屋内のガイドだけになるそうです。愛知県サイクリング協会では、暑さ指数(WBGT:Wet Bulb Globe Temperature)等による活動制限などはありませんが、私自身は8月と9月上旬は探訪あいちは企画しないようにしています。7月も何らかのイベントに合わせた企画でない限り避けるようにしています。

 六華苑を出て、七里の渡し公園の中を歩いて、諸戸氏庭園に移動します。
 諸戸氏庭園入口の横には、レンガ造りの3つの蔵があります。
 道を挟んだ先に水路があり、昔は上流地域で生産された材木や米が川を伝って運ばれ、ここで集積されていたそうです。この蔵は米の貯蔵庫でした。太平洋戦争前までは5つの蔵が連なっていましたが、2つは戦災で失われたとのこと。現在修復作業中で足場などで覆われています。

 六華苑は四季を通じて入苑できますが、諸戸氏庭園は春と秋に期間を限って公開されます。今年の春の一般公開期間は4月25日(土)~6月14日(日)で、今回の探訪あいちも、この期間に合わせて実施した次第です。
 案内リーフレットの表紙にも描かれているとおり、春の時期は、藤の花、菖蒲の花が咲きます。

 諸戸氏庭園は初代諸戸清六、六華苑は二代諸戸清六(初代の息子)の邸宅でした。
 入園は本邸(主屋)から。本邸は明治22年(1889年)頃に建てられました。平成10年まで実際に商売が行われていました。130年以上前の建物ですので、目立たないように鉄骨の柱や支えの鉄棒などで耐震補強がなされていました。
 文化財を保存・維持していくには、大変な手間と経費がかかることを改めて実感します。

 御殿玄関は関係者以外立ち入り禁止となっています。木材の濃淡を生かした精巧な寄木細工張りの床なので、もし壊れた場合、今はもう修繕できる職人がいないからです。
 庭園に入ると、鮮やかな青もみじと苔むした一面の緑が目に飛び込んできました。昨秋は紅葉が美しかったので、同じ場所でもこんなにも景色が変わるものかと感動します。
 そして、「推敲亭(すいこうてい)」からは菖蒲池が広がって見えました。
 花菖蒲は4~5割ほどの開花状況でしょうか。花菖蒲と聞いて思い浮かぶのは紫色の花。この菖蒲池には、紫色のほか、斑入りや白、クリーム色の花菖蒲も見られました。数え方にもよりますが、約8千株あるそうです。菖蒲池には雪見灯籠や切石による八ッ橋があり、菖蒲が満開になれば、より一層美しい景色になることでしょう。
 ガイドさんが菖蒲と杜若(かきつばた)の違いを教えてくれました。
 花びらの付け根を見たときに、黄色い模様が入っているなら菖蒲、白い筋が通っているなら杜若だそう。

 「藤茶屋」は江戸時代に藩主が藤を愛でるために立ち寄ったといわれます。正面から奥にすぼまっている部屋の形から「扇の間」ともいわれます。ゴールデンウィークに来れば、きれいな藤棚が見られたでしょう。

 御殿広間の前に立つと、目の前に池泉庭園が望めます。諸戸清六が自前で引いた噴水と琵琶湖の風景を織りなしていて、竹生島(ちくぶしま)に見立てた岩島を据えています。大隈重信など、おなじみの政治家も訪れたそうです。広間に招かれた明治の賓客達と、同じ景色を楽しむと、自分たちも賓客になったような気持ちに。

 庭園は、どこを切ってもフォトジェニック。写真撮影する人が多いのもうなずけます。

 あっという間に2時間が過ぎ、お昼12時になってしまいました。
 桑名歴史案内人の有竹さん、わかりやすいガイド、ありがとうございました。

 さて、昼食場所に自転車で移動します。
 旧東海道中には「七里の渡跡」があり、大鳥居が立っています。江戸方面から伊勢詣でをする際は、熱田から海を渡り、このあたりに船が着いていました。ここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されています。

 第一候補である旧東海道沿いの『歌行燈』に行ってみると、30分待ちの案内。次の『川市』も入店待ちのお客さんがいて時間がかかりそう。3件目の『満る岩(まるいわ)』に入店しました。
 ちょうど座敷が空いていて、7人が座れました。店頭看板に「うどん」と書いてあるとおり、うどんがメインで、ほかに丼物、蕎麦、中華そばなどがありました。
 店内は昔ながらのうどん屋さんという雰囲気。古いおかもちが並んでいました。
 私は天丼を注文。エビが2本、ピーマン、サツマイモ、海苔の天ぷらが載って、たっぷりの具の入った味噌汁と漬物もついています。タレも自分好みの味で、エビはきちんと下処理されているようで尻尾まで美味しくいただきました。これで税込み800円は破格の安さといえましょう。
 他のメニューもリーズナブルで、ほとんどが千円以下です。物価高騰のご時世にありがたいことです。
 ただ、提供までに40分も待たされたのが玉に瑕。老夫婦2人で切り盛りしているようなので、やむを得ないのかも。地元のお客さんが多いようで、時間がかかることは承知のようでした。

 午後1時半頃、お店を出発。
 「歴史を語る公園」の中を歩き、九華公園(桑名城跡)へ。
 この公園にも「菖蒲園」が3か所あります。ところが、諸戸氏庭園の菖蒲とは違い、ほとんど咲いていませんでした。写真を撮るまでもありません。残念ながら見頃はもう少し先のようです。

 徳川四天王の一人、本多忠勝像の前で集合写真を撮りました。本多忠勝は生涯を通じて57回の戦に出陣し、一度も深手を負わなかったという無傷伝説があります。関ヶ原の合戦の後、桑名に入り、桑名城下町の整備を行ったと伝えられています。

 これにて名古屋に向って帰路につきます。午前中は曇っていましたが、しっかりと晴れて暑くなってきました。風もほとんどなく、順調に自転車は進み、予定時刻どおりに荒子川公園に到着しました。
 本日の参加者は67歳から73歳までの前期高齢者でまとまっていましたが、無事故で楽しい探訪あいちが実施できました。皆様に感謝いたします。

【サイクリングコース】
荒子川公園駅(午前8時25分)→ 旧東海道 → ひので公園 → 国道1号 → 六華苑&諸戸氏庭園(観光ボランティア桑名歴史案内人によるガイド付き)→〔昼食〕→ 歴史を語る公園 → 九華公園(菖蒲園)→ 本多忠勝像 → <往路と同ルート> → 荒子川公園駅・解散(午後3時30分)
距離:45km
所要時間:7時間5分

【参加者】
白のトレックさん、高浜の石川です。さん、松井秀明さん、かむひあぁさん、YOSHIさん、fusaさん、幹事(まつぼっクリ) 計7人
自転車は、スペシャライズド2台、トレック、アンカー、ジャイアント(Eバイク)、ブリヂストン、パナソニックの7台

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「5月31日(日) 六華苑と諸戸氏庭園」を御覧ください。

https://x.gd/BBTMA
 

https://hasirenai.com/photo-index2026.html

★2025年11月23日実施の「桑名観光サイクリング」の写真と実施レポートも併せて見ていただくと、春と秋の違いもわかるかと思います。

https://ameblo.jp/onwheels/entry-12949645959.html
 

https://x.gd/C95XV

https://hasirenai.com/photo-index2025.html