◆2026(令和8)年3月15日(日) 晴
最初に謝らなけならないことがあります。
幹事のリサーチ不足で、田縣神社豊年祭(ほうねんまつり)のメインである『大男茎形(おおおわせがた)』の神輿を見ることができなかったことです。御輿行列はお旅所「神明社」を午後2時に出発し、3時30分に田縣神社に到着するというスケジュールでした。前回私が観覧したのは午前中でしたので、午前中に到着すればよいと思い込んでいた次第です。
それでも、お祭りの雰囲気は体感していただけたと思います。ご寛恕ください。
午前8時20分、大曽根駅西広場をスタート。
矢田川と庄内川を渡り、八田川沿いのふれあい緑道を北上します。晴天で暖かくなってきたこともあり、散歩やランニングの方が多くいるので、注意してゆっくり走らなければないません。
朝宮公園でトイレ休憩。先客のローディーが2人いました。
ここからは新木津用水沿いの道を走ります。信号は少ないですが、道路を横断するときは車に注意です。
国道155号に突き当たったところで左折。国道は道幅が狭く交通量が多いので、2ブロック北側の道を西に進みます。
県道102号線(稲置街道、上街道)を北上。道路脇に、豊年祭により交通規制が行われる旨の告知看板がありました。
9時40分、田縣神社到着。自転車を停める場所に困るくらい、大勢の人でごった返していました。幸い駐輪場を見つけることができました。ロードバイクでやって来る人も多くいました。
田縣神社の豊年祭は、毎年新しく木曽の檜で大男茎形を奉製して田縣神社の神様にお供えし、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭です。
小牧市教育委員会により「小牧市指定無形民俗文化財」に指定されています。
檜で作成される男性シンンボルは、直径60センチ、長さ2メートル余りの巨大なもので、これを御輿に載せて厄男たちが御旅所(神明社または熊野社)から田縣神社まで担いで巡行します。また、女性奉仕者「五人衆」が小ぶりな男茎形を奉持して行列に花を添えます。
豊年祭の最後に奉納餅を投げる餅棚も設置されていました。
この祭りは毎年3月15日に執り行われます。今年は日曜日に当たりましたので、大変な人だかりです。
前回私が見学したのは、2020年(令和2年)の日曜日でした。そのときとは様相が激変していました。境内にはたくさんの屋台。珍宝棒(ちんぽうぼう)や珍呆参(ちんぽうさん)といった男性の性器の形をした食べ物、さらに、男性の性器の形をした「SAKE BOTTLE」や女性の性器の形をした「灰皿(ASHTRAY)」などが売られています。
英語でのアナウンスや商品表示などになっているのは、変わった祭りを見ようと海外からの観光客が多かったからです。前回はこんなに外国人の姿はありませんでした。今は、「野も山も みなほほえむや 田縣祭」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭になったといえましょう。
注目は、男性のシンボルのかぶり物をした着物姿の男性、そして、胸に女性のおっぱいを付けたTバック姿の男性です。奇抜な姿に、たくさんの見物人が一緒に写真を撮っていました。田縣神社の境内で、しかも豊年祭のときだからこそ、許される格好です。神社の外なら、わいせつ罪で逮捕になるに違いありません。
まさに、性器崇拝の奇祭、天下のチン(珍)祭ですね。
本殿の斜め後ろに奥宮があり、中央に大きなヒノキの男性シンンボルが鎮座し、その周りには小さめのそれらが、これでもか、というくらい林立しています。奥宮の隣には「珍宝窟」という石でできたシンボルとタマが2つあります。
「玉をなでると御利益があるそうですよ」
「自分の玉を触っていればいいよ」
「僕のは枯れ果てているから」
「自転車を漕ぐ脚と体力はピンピンでありたいね」
こんな会話は普段はしないでしょう。
昼食場所の候補は3つありましたが、『中華菜館味味(ミンミン)』にしました。
千円以下でボリュームあるランチが食べられます。
メニューがたくさんあって迷いましたが、私は「チン」に引っかけて青椒肉絲飯(チンジャオロース)飯セット(950円)を注文。餃子6個と漬物、中華なのに味噌汁とアイスコーヒーも付いています。質量ともに満足できました。
店員は厨房では中国語で話しています。中国大陸か台湾の人でしょうか。
正午、店を出発。エアフロントオアシスへ。
愛知県営名古屋空港南側にある春日井市の公園です。
着陸側滑走路の横下部になるため、飛行機マニアが写真撮影に来ています。
就航中の航空会社はFDA(フジドリームエアライン)の1社だけなので、多数の飛行機を見ることはできませんが、この日はタイミングよくFDA2機の離陸がありましたし、民間の小型機の着陸もありました。
平日だと、航空自衛隊小牧基地の軍用機の離発着も見学できます。
空港の北側、小牧市側には離陸を見学できる小針公園があります。
県道を南下し、名二環を潜ったところで左折。二子山公園へ。
ここは味美二子山古墳を中心とした歴史公園です。
この前方後円墳は、尾張地方の後期古墳としては熱田の断夫山古墳についで2番目の大きさで、春日井市では最大の規模を誇ります。昭和11年(1936年)に国の史跡に指定されました。
公園の中央には円墳をイメージした「ハニワの館」が建てられ、ガラス越しに古墳を望むことができる扇形の多目的ホールやさまざまな埴輪のレプリカが展示されたコーナーがあり、古代の生活や文化に触れることができます。
「日本の歴史公園100選」にも選定されています。
県道を南に進み、予定よりかなり早く、午後1時20分に大曽根駅西広場にゴールしました。
皆さんに、「思い出やフォトギャラリーにどんどん上げてください」と声をかけました。
探訪あいちは、自転車を楽しむ一つのステージです。
一人一人が、純粋に、もっともっと自転車を楽しみましょう。楽しくてしょうがないな、という思いは周りに伝染していくと思います。「乗った方がいいよ」と口でアピールするよりも、楽しさがあふれ出ているのを見ると、やってみようかなという人が増える気がします。
【サイクリングコース】
大曽根駅西広場(午前8時20分)→ 水分橋(庄内川)→ 水分橋緑地 → 八田川沿い・ふれあい緑道 → 朝宮公園 → 新木津用水沿い → 東名高速道路 → 国道155号 → 新町3丁目交差点 → 県道102号 → 田縣神社〔豊年祭見学〕→ <折り返し> → 県道102号名古屋犬山線 → 小牧市中央図書館 → 航空自衛隊小牧基地 → ランチ〔中華菜館 味味(ミンミン)〕→ エアフロントオアシス → 名二環 → 二子山公園(味美二子山古墳)→ 水分橋(庄内川)→ 大曽根駅西広場・解散(午後1時20分)
走行距離:39km
所要時間:5時間
【参加者】
稲葉栄二さん、白のトレックさん、大安の西川さん、のだのださん、つくさん、kuwanaさん、幹事(まつぼっクリ) 計7人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月15日(日) 田縣神社豊年祭」を御覧ください。
https://x.gd/kAkhc
https://hasirenai.com/photo-index2026.html
◆2026(令和8)年3月7日(土) 晴
名古屋市のあるこの地域は、『中京』とも呼ばれます。これは、明治時代に東京市(現在の東京都区部)と京都市という二つの都の中間に位置していたことに由来します。
名古屋は、観光資源に乏しいとされ、インバウンドにも取り残されていると言われています。確かに、東京や京都のように、名の通ったテーマパークや観光地は少ないかも知れません。しかし、以外と隠れた見どころはあるものです。
今回の探訪あいちは、名古屋市の都心にある比較的マイナーなスポットを巡ります。
本日の見学場所はすべて無料です。
名古屋の魅力を再発見していただければと思います。
熱田神宮公園に集まったのは、ロードバイク2台、ブロンプトン2台、シクロクロス1台、Eバイク1台の計6台です。
堀川沿いの道を北上します。気温は平年並みですが、北西の風が強く、体感温度は寒いです。
<①二葉亭四迷幼年時代宅跡>
松重橋東交差点を右折してすぐ左折したところにある喫茶タマキ。ここに「二葉亭四迷幼年時代宅跡」の説明板が立っています。小説『浮雲』で有名な二葉亭四迷は、本名を長谷川辰之助といい、文久4年(1864年)に尾張藩の軽輩の子として江戸で生まれました。5歳の時、現在の中区松原にあった母の実家に入り、明治5年(1872年)に再び東京に戻るまでの3年あまりをこの地で過ごしました。
明治の文豪の幼少期が名古屋にあったとは、初耳でした。
<②松原緑地のクスノキ>
少し北に移動すると、松原緑地です。ここにあるクスノキの巨木は、幹の真ん中が空洞になっています。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲でえぐられてしまったのです。しかし、ひこばえ(樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと)がうっそうと葉を茂らせており、その生命力に驚きを禁じ得ません。樹齢千年ともいわれ、弘法大師がお手植えした樹、織田信長が桶狭間の戦いに向かうときに戦勝祈願をした樹という伝説もあります。保護のため柵で囲まれていて近づくことはできませんが、とても立派で偉容が感じられます。
<③那古野山古墳>
名古屋の中心地、大須商店街の中に古墳があることを知っている人は少ないのではないでしょうか。
那古野山(なごややまorなごのやま)古墳は5世紀半ばに築造された前方後円墳ですが、前方部は消失し、現在は直径約22m、高さ約3mの円墳状の墳丘が残っています。古墳に登る階段や散策道が整えられています。
公園内北側の石垣壁には、古墳の由来や大須地域の歴史や祭り、古い地図を使った年表が示されたパネルが設置されています。また、大須で古くから知られる名水「柳下水(りゅうかすい)」の井戸を再現したモニュメントもあります。
<④三輪神社>
大須商店街の北側、みそカツの矢場とんの近くにある三輪神社。かつてここに尾張藩の矢場がありました。矢場は、弓を射る所、弓術のけいこ場のことです。この矢場が、「矢場町」という地名の由来となりました。
神話「因幡の白兎」で有名な「うさぎ」の石造もあります、「幸せのなでうさぎ」「福兎」との名称で、なでることで幸福が頂けるといわれています。絵馬もウサギの形です。SNSやテレビで紹介された影響で、若い女性が大勢いました。私たち年配者には少し場違いのような雰囲気です。
<⑤久屋大通庭園フラリエ>
久屋大通公園の最南端に位置する庭園が久屋大通庭園フラリエです。花や緑、水辺などのガーデンが整備され、カフェ、レストラン、フラワーショップなどもあり、名古屋のど真ん中で自然を感じることができる庭園となっています。
この日は結婚式が行われるようで、庭園に教壇と白い椅子が並べられていました。
「フラリエ」という名称は「ふらり」と「フラワー」、「アトリエ」を組み合わせたものです。
<⑥名古屋刀剣博物館前の三英傑の像>
若宮大通(100m道路)と本町通との交差点角に、2024年5月にオープンした「名古屋刀剣博物館(名古屋刀剣ワールド)」があります。
本日は入館しませんが、館内には、200振の日本刀や50領の甲冑、350挺の鉄砲、150点の浮世絵など、重要文化財・重要美術品の数々が展示されており、1,200円の入館料に見合った内容になっています。武将や歴史ファンにはぜひ訪れて欲しい場所です。
その入口前に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の銅像が設置されています。それぞれが象徴的な甲冑(鎧兜)を身に付け、日本刀を掲げた勇壮な合戦の姿です。中央の織田信長は騎馬像で、その左右に豊臣秀吉と徳川家康が集い、ともに天下統一を志していた時代の一場面にも見えます。天下人となった三英傑が揃う銅像はめずらしいのではないでしょうか。歴史的にはあり得ないようなシーンが、現代において実現したかのようです。
<⑦朝日神社>
プリンセス通を北上すると、名古屋一の歓楽街『錦三』に朝日神社が鎮座しています。昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で社殿は焼失しましたが、文化6年(1809年)に建てられ、天保12年(1841年)に現在の姿に直した「透垣(すいがい)」が戦火を免れて、その姿をとどめています。透垣(蕃塀(ばんぺい)とも言います)は、尾張地方に多い神前目隠し塀のことで、道の向かい側にあった尾張藩牢屋からの目隠しのためのものと伝わっています。国登録有形文化財に登録されています。
<⑧宗春ポスト>
朝日神社の少し北側、錦通と呉服町通の角に、ひときわ輝く金色の丸形ポストがあります。ポストの上には涼しげな顔の徳川宗春像が乗っていて、ポストの頭には牛をイメージした耳と角がついています。宗春は八代将軍徳川吉宗と同時代の尾張藩第七代藩主で、積極的な商業政策や芸能文化の保護で名古屋の発展の礎を築きました。長いキセルがトレードマークで、牛に乗って街を見回ったという逸話が残っていることから、このような形になっているとのこと。
残念ながらキセルは盗まれたのか壊されたのか、宗春の手にありませんでした。歓楽街なので、酔っ払いにいたずらされたのかも知れません。昨年4月の新聞記事によると、2010年(平成22年)に設置されて以来、100回以上の破損被害を受け、修理が続けられてきたとのこと。
名古屋市内には5つの丸形ポストが残っており、これはそのうちの一つ。当初は赤色でしたが、名古屋城の金鯱から金色に塗り替えられたそうです。「日本の繁華街にある珍しい丸形ポスト」とされます。
ポストには「ご利用できます。どうぞ ご投函ください」と書かれています。
このポストに投函すれば、金運が上がるかも?
<⑨オオカンザクラの並木道>
北上し、桜通を東進します。自転車通行帯があるので走りやすいです。
桜通泉二丁目を左折すると、オオカンザクラの並木道が始まります。毎年名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっていて、この日は見事に満開でした。たくさんの人が散策したり、写真を撮ったりしていました。
昭和36年(1961年)春、「名古屋で一番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望で、当初16本の苗木が植えられ、現在では全長約1.4キロメートルの沿道に約130本の桜が並木道をつくっています。
淡紅色の桜は、オオカンザクラ(大寒桜)で、濃い紅紫色の桜は、カンヒザクラ(寒緋桜)です。
<⑩文化のみち二葉館>
オオカンザクラの並木道で、ひときわ目立つオレンジ色の洋風屋根の建物が、文化のみち二葉館です。日本初の女優と謳われた川上貞奴と、電力王と称された福沢桃介が、大正から昭和初期にかけて暮らしていた邸宅を移築・復元したものです。
ここは有料施設なので、建物の前で集合写真を撮るだけとします。
<⑪武家屋敷長屋門> 白のトレックさん案内
白のトレックさんの案内で、当初計画になかった武家屋敷長屋門を訪れます。
江戸時代、名古屋城の東にあたる白壁町、主税町(ちからまち)、橦木町(しゅもくちょう)は、中級武士の中級武士の屋敷が並んでいました。主税町長屋門は典型的な武家屋敷門です。この門についている出格子付番所(武者窓)は、来訪者を確認するための窓で、武家屋敷のみに許された様式だそう。
<⑫昼食>
午前11時を過ぎました。少し早いですが、ランチにします。
味噌煮込みうどんやきしめんの名店「川井屋本店」。大正10年創業の歴史ある人気店です。
ちょうど、6人掛けテーブルが空いていたので、ほどなく座れました。
看板商品の味噌煮込みうどんを注文する方が多かったですが、私は以前食べたことがあったので、親子丼にしてみました。やさしい甘みのある出汁で、鶏肉もたくさん載っていてボリュームがあり、とても美味しかったです。今どき、これで970円ならお値打ちです。
ちなみに私は、山本屋本店や山本屋総本家の味噌煮込みうどんより、川井屋のそれの方が好きです。
昼食を終えて外に出てビックリ。20人以上の行列ができていました。早く入店してよかった!
<⑬旧豊田佐助邸>
文化のみちの一角にある、白いタイル張りの木造の洋館が旧豊田佐助邸です。
豊田佐助は、発明王・豊田佐吉の弟で佐吉を支えた実業家です。
東区文化のみちボランティアガイドの方に案内してもらいました。個人で漫然と見学するよりも歴史や背景がよく理解できます。
豊田佐助邸は、大正12年(1923年)、関東大震災の直後に建てられたため、耐震構造がしっかりしています。
洋館の1階には、蓮の蕾の形の照明、吊元の装飾、吉祥の鶴と亀、そして「と・よ・だ」の文字をデザインした換気口が見られます。中でも目を引くのが応接室の角にあるステレオです。なんとトヨタブランド。製造したのはトヨタグループのアイシンですが、トヨタのHi-Fiステレオがあったとは、知りませんでした。
洋館2階は和室になっていて、それを囲む廊下から外は洋風の造りという、和洋折衷な感じです。
洋館の西側に広い間取りの和館があり、襖絵や欄間、波形無双蓮子、左右に開閉できる小障子を組み込んだ猫間障子などが見られます。
洋館と和館が続いた構造になっているのは、桑名の六華苑と同じです。
説明の中で初めて知ったのが、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠さん。名古屋市出身で、すぐ近くの山吹小学校を卒業したそうです。また、社名を「豊田」からカタカナの「トヨタ」にしたのは、画数が8画で縁起が良いからだそう。余談ですが、Jリーグ「名古屋グランパスエイト」の「エイト」には名古屋市の市章だけでなく、「トヨタ」の意味もさりげなく込められているのです。
<⑭カトリック主税町教会> 白のトレックさん案内
1887年(明治20年)に設立された名古屋で最も古いカトリック教会です。十字架が乗った三角屋根が屋根瓦で覆われていて和洋折衷の建物です。登録有形文化財になっています。
<⑮名古屋市市政資料館>
遠くからでもパッと目を惹かれる、赤い煉瓦と白の花崗岩を組み合わせた外観の建物が見えてきました。名古屋市市政資料館です。
このネオ・バロック様式の建物は、もともとは大正11年(1922年)に名古屋控訴院および地方裁判所、区裁判所として建設されました。名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸に移転したあとは、平成元年(1989年)から公文書の保存・収集・公開を行う名古屋市の公文書館として使用されています。
歴史的文化価値が高く、建物は国の重要文化財に指定されています。
大理石造りの中央階段とステンドグラス、法廷や会議室など、荘厳な雰囲気を無料で味わうことができます。重厚な美しさからたびたび映画やドラマのロケ地として利用されました。直近ではNHKの朝ドラ『虎に翼』の撮影で使用されました。
見どころは地下の留置場。独房と雑居房が当時まま残されています。こんな所には入りたくないですね。
この日は中央階段で結婚式の前撮りをしているカップルが2組いました。
<⑯3939 SURF&SNOW> 白のトレックさん案内
サーファーとスノーボーダーのためのプロショップ。ミラノ・コルティナ冬季オリンピックに出場した木俣椋真選手を始め多くのスノーボーダーの選手が、この店でスノーボードを調達したそうです。
<⑰普光寺 北大仏> 白のトレックさん案内
北区大杉町にある普光寺(ふこうじ)。白のトレックさんの地元です。
ゴールドに輝く釈迦如来像が『北大佛』。7mぐらいの高さがあるそうで、立派なものです。愛知県には、名古屋大仏、布袋大仏、聚楽園大仏などなど、ド派手な大仏が多いですね。
<⑱久国寺(岡本太郎歓喜の鐘)>
北区の久国寺には、あの岡本太郎が製作した梵鐘「歓喜の鐘」があります。
鐘の上半分には無数の角が突き出していて、1970年(昭和45年)の大阪万博に登場した「太陽の搭」をイメージさせます。鐘の下半分には瞑想する仏、動物、魚、妖怪などが描かれています。そして、しっかりと「TARO」の銘が入ってます。
さらに、コンクリート造形作家、浅野祥雲の護国観音像も建っていて、芸術のお寺の感があります。
<⑲解脱寺> 白のトレックさん案内
松尾芭蕉がここ解脱寺で句会を開き、「粟稗に 貧しくもあらず 草の庵」という句を残しました。その句碑「粟稗塚(あわひえづか)」が残されています。
門が閉まっていて近づくことはできませんが、白のトレックさんによると、インターホンで申し出ると境内に入って見学できるそうです。
<⑳金城市場>
北区清水まで北上すると、味のある赤錆びたトタンの外壁が目を引く「金城市場」にたどり着きます。
昭和30年(1955年)に開業した私設市場は、『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画セットそのままの世界です。内部は一見倉庫のようなガランとした空間に、むき出しになった柱や梁、床のコンクリート土間、合板を張り合わせたような什器とレトロな看板などが残っています。
市場としての役割は終えてしまいましたが、今は朝市や夜市、古本市、ファッションショー、展覧会開催などのイベントが行われる賑わいの場として蘇っています。
この日は、「平野屋精肉店」だった店舗でクラフトビール店「yeasters(イースターズ)」が営業していました。つくさんはクラフト缶ビールを購入していました。
<㉑ネックスプラザ>
北区役所の北、名古屋高速道路黒川インターの真下にネックスプラザがあります。
正式名称は「名古屋高速道路広報資料センター」。名古屋高速道路の建設工程や東山トンネルの構造の模型展示や、高速道路で見かける看板やETCゲートなどの実物が展示されています。「NEX号で走ろう!!」は、自分で高速道路を設計し走行できるシミュレーションで、子供達に人気のコーナーです。
今まで北上してきましたが、ここから折り返して南下します。
IGアリーナ、名古屋城、ナゴヤキャッスルホテルの前を通り、堀川沿いを進みます。
<㉒堀川ギャラリー>
広小路通と堀川が交差する納屋橋のたもとにある旧加藤商会ビル。この建物は、昭和6年頃に貿易商を営む加藤商会の本社ビルとして建てられ、戦前はシャム国(現在のタイ)の領事館の役割も果たしていました。
平成13年(2001年)4月に国の登録有形文化財に登録されました。
このレトロな建物が修復されて、地上部分はタイ料理レストラン「サイアムガーデン」に、地下1階は「堀川ギャラリー」に生まれ変わりました。
堀川ギャラリーは、堀川でのイベント等の情報の集積・発信や、堀川をテーマとした作品や研究成果を展示するスペースとして活用されています。
堀川等に関する絵画や写真など作品の展示会・展覧会を無料で開催することができ、この日は名古屋のデザイン学校の展示会が開かれていました。
参加者から「こんな場所があったとは、初めて知りました」。
私自身、加藤商会ビル自体は知っていましたが、その地下に堀川ギャラリーがあることはサイクリング中、信号待ちで立ち止まった際に、たまたま発見したものです。車だと分からなかったに違いありません。自転車だからこそ出会えたと言えましょう。
ここで、白のトレックさんが離脱。プラスアルファの案内ありがとうございました。また、つくさんも日置橋付近でお別れ。
熱田神宮公園には4人がゴール。
短い距離でしたが、訪問か所がてんこ盛りで時間がかかりました。
参加された皆さん、名古屋の再発見ができましたでしょうか。一つでも二つでも、印象に残るスポットがあれば、心のハードディスクに書き込みしていただければ幸いです。
【サイクリングコース】
熱田神宮公園(午前8時45分)⇒ 二葉亭四迷幼年時代宅跡 ⇒ 松原緑地 ⇒ 那古野山古墳 ⇒ 三輪神社 ⇒ 久屋大通庭園フラリエ ⇒ 名古屋刀剣博物館前の三英傑像 ⇒ 朝日神社 ⇒ 宗春ポスト ⇒ オオカンザクラの並木道 ⇒ 文化のみち二葉館 ⇒ 武家屋敷長屋門 ⇒ ランチ〔川井屋〕 ⇒ 旧豊田佐助邸 ⇒ カトリック主税町教会 ⇒ 名古屋市市政資料館 ⇒ 3939 SURF&SNOW ⇒ 普光寺北大仏 ⇒ 久国寺(岡本太郎歓喜の鐘)⇒ 解脱寺 ⇒ 金城市場 ⇒ ネックスプラザ ⇒ 堀川ギャラリー ⇒ 熱田神宮公園・解散(午後3時25分)
走行距離:23km
所要時間:7時間40分
【参加者】
稲葉栄二さん、大安の西川さん、トミカワさん、つくさん、白のトレックさん、幹事(まつぼっクリ) 計6人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月7日(土) 名古屋まちなかポタリング」を御覧ください。
https://x.gd/fAi73
https://hasirenai.com/photo-index2026.html
◆2026(令和8)年2月14日(土) 晴
今回は、2011年4月23日(土)に実施した探訪あいちのリバイバルです。
当時はリニア・鉄道館がオープンして1か月後でした。それから15年後、ドクターイエローT4編成が展示されたことを契機に、再び探訪あいちを企画しました。
ミニベロ3台、ロードバイク2台、Eバイク1台が熱田神宮公園をスタート。
堀川沿いを北上し、佐屋街道を西へ。この道は路側帯に自転車専用レーンがペイントされています。
長良橋を渡って右折し、中川運河西線を進みます。
<バーミキュラ ビレッジ>
バーミキュラは、愛知ドビー株式会社が製造する密閉性の高い鋳物ホーロー鍋やフライパンなどのブランドです。熱伝導が良く、食材の旨味を閉じ込める能力が高いことが特徴です。中川運河沿いにある「VERMICULAR VILLAGE」は、それらの製品を販売するショップとレストランやベーカリーカフェを併設した施設です。
<ナカガワ キャナル ドアーズ>
ささしまライブ駅南のキャナルパークささしまに到着。中川運河堀止エリアです。
この一帯は開発が進んでいます。中京テレビや愛知大学などのビルができ、さらに今年6月には、「NAKAGAWA CANAL DOORS(ナカガワ キャナル ドアーズ)」が開業します。運河前の開放感・眺望を活かしたホテルやベーカリー、レストランが新たにオープンし、ビーチバレーコートが整備されるなど、名古屋の都心の水辺が大きく生まれ変わる予定です。
<あおなみ線>
ここからは、「あおなみ線」沿線を走ります。
あおなみ線は正式には「名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線」といいます。2004年10月開業し、中村区の名古屋駅から港区の金城ふ頭駅までを結び、途中に9駅あります。この愛称は、イメージカラーの青から「あお」、名古屋から「な」、港から「み」をそれぞれ採ったものです。
<前田利家公初陣之像>
荒子駅前には、馬上で槍をふるい出陣する若き前田利家の初陣の像と、それを見送る妻「まつ」の像が建っています。
加賀百万石の藩祖といわれる前田利家は、天文6年(1537年)、利昌の四男として現在の中川区に生まれました。幼名は、犬千代といい、15歳のとき織田信長に仕え、元服して孫四郎利家と名乗り、信長の尾張統一戦の一つ萱津合戦(愛知県あま市)で初陣を飾りました。22歳のとき、10歳下のいとこ「まつ」と結婚しました。
初陣の像の西側には、金沢の前田家から送られた梅が植えられています。
なお、中川区内の利家ゆかりの地を巡る『犬千代ルート』が設定されています。
あおなみ線の高架西側を南下します。晴れてはいるものの、高架の陰になって寒いです。今日は3月中旬並みの気温になる予報ですが、暖かくなるのは午後からのようです。
<荒子川公園>
荒子川公園駅の東には、かつてイオン港店だった跡地にAmazonの西日本最大拠点施設が建っています。昨年8月にできたばかりで、真新しく、そして巨大です。
公園内の川沿いの道を進みます。春には約千本の桜が、6月にはラベンダーが咲きます。
公園の最南端はフェニックスアイランド。南国の雰囲気をイメージした人工島で、フェニックス、ワシントンヤシ、ソテツなど約170本の樹木が植えられています。
稲永駅を過ぎ、港の工場や倉庫街を通り抜け、金城ふ頭線を南に走ります。
名港トリトンを潜ると、終点の金城ふ頭駅です。
<リニア・鉄道館>
JR東海リニア・鉄道館は、2011年3月14日(鉄道の日)に夢と思い出のミュージアムをコンセプトにオープンしました。東海道新幹線を中心に、蒸気機関車や在来線の特急用車両、電気機関車など、超電導リニアに至るまで39の鉄道車両の実物展示を通じて高速鉄道技術の進歩を紹介しています。
新幹線は、0系、100系、300系、700系、N700系(屋外展示、Nはnew、nextなどの意味です)、そして、2025年6月14日から、その年1月に引退したドクターイエロー(T4編成)(正式名称は「新幹線電気軌道総合試験車」)が展示されています。
新幹線の食堂車には初めて入りました。2階建てで、1階が厨房、2階がテーブル席になっています。メニューを見ると、カレーが900円。当時としてはとても高いです。
1964年(昭和39年)の新幹線開業当初は東京~大阪間が4時間かかっていたのが、今は2時間半。ゆっくり食事をする時間がなくなり、食堂車も車内販売もなくなりました。
在来線は、蒸気機関車、電気機関車、特急ひだ、特急しなの、ムーンライトながら、など東海地方ゆかりの車両が展示されています。若い頃、夜行列車で東京まで行ったことが懐かしく思い出されました。
鉄道ジオラマは、大きなみどころの一つ。東京から大阪まで、東海道新幹線の沿線の風景が精巧に再現されています。その風景の中を新幹線、在来線の車両、またリニアが走っています。名古屋のJRセントラルタワーズをはじめ、東京のスカツリー、大阪の通天閣などがリアルに作られており、ついつい時間を忘れて見入ってしまうほど。子供だけでなく、世代を超えて楽しめます。
N700系新幹線の実物大のシミュレータでは、シミュレータ体験をしない人でも後ろから巨大スクリーンで走行風景を楽しむことができるようになっています。
超電導リニアの時速500km走行を模擬体験できるコーナーもあります。
リニア中央新幹線ができれば、東京~名古屋間が40分で結ばれます。新幹線のぞみの半分以下の時間。でも、その開業は早くても2035年とされています。なんとかそれまで生き延びて、営業車両に乗りたい、と念願しています。
2階には重要文化財の国鉄バス第1号車が展示されています。ボンネットバスです。
他にも鉄道のしくみを紹介するコーナーやミュージアムショップなどがあり、限られた時間ではすべてを見学することはできません。
私は今日で4回目ですが、参加メンバーの皆さんは初めての来館でした。鉄道好きでじっくり見学したい方は、再度訪れていただきたいと思います。
余談ですが、リニア・鉄道館ができる前はJR飯田線中部天竜駅構内に「佐久間レールパーク」がありました。2009年11月1日(日)に閉園し、展示されていた車両の多くがリニア・鉄道館に移設されました。
17年前、佐久間レールパークを見学する探訪あいちを実施したことも、懐かしい思い出です。
<昼食>
昼食はリニア・鉄道館の向かいにあるファニチャー・ドーム内の「KEY’S CAFE」にしました。メイカーズピアより空いていると思ったからです。
実際、席は空いていて、すぐに座れました。
食事メニューはパスタとカレーです。私は欧風ビーフカレーを注文。カレー単品で税込み1,180円はちょっと高いなと思います。
外に出ると、すっかり暖かくなり、ウインドブレーカーを脱ぎました。
親子連れで賑わうレゴランドジャパンのエントランスで集合写真を撮りました。
午後1時半を過ぎました。帰路に着きましょう。
中川橋を渡って、中川運河東線を北上します。
<チェリーみなと店(Cherry)>
みなとアクルスの一角にある、ベーカリーとカフェの『チェリーみなと店』にて、ティータイムです。
自転車談義に花が咲きました。なかでも、大安の西川さんの自転車愛と話術が炸裂。Eバイクでのヒルクライムの様子や所有されている自転車のことを、面白おかしく話され、聞き入ってしまいました。
白のトレックさんは購入されたばかりのGIANTの『Road E+』で参加されていました。私も、かつては欲しいなと思っていた1台です。
ただ、日本のEバイクは時速24kmを超えるとアシストがなくなります。
ヒルクライムやグランフォンドでは、威力抜群でその恩恵に浴しますが、平坦な道ではあまり効力がないのかな、と思います。貧脚の私でも24kmなら自力で走れます。フラットな道で本当にアシストが欲しいのは、25kmを越えてからです。
Eバイクがクロスバイクやミニベロ、MTBタイプは多いのに、ロードバイクが少ないのは、こうした要因があるのではないでしょうか。
コーヒーを飲みながら、楽しいおしゃべりタイムを過ごさせてもらいました。
午後3時半過ぎ、予定どおりの時間に熱田神宮公園にゴール。
短い距離のサイクリングでしたが、レストランやカフェでコミュニケーションが生まれ、心にも体にもよい一日でした。皆さん、ありがとうございました。
【サイクリングコース】
熱田神宮公園(午前8時30分) → 堀川沿い → 佐屋街道 → 長良橋 → ささしまライブ駅 → 小本駅 → 荒子駅・前田利家初陣の像 → 南荒子駅 → 中島駅 → 港北駅 → 荒子川公園駅 → 稲永駅 → 野跡駅 → 金城ふ頭駅 → リニア・鉄道館〔見学〕→ ランチ〔KEY’S CAFE ファニチャー・ドーム店〕→ 中川橋 →〔中川運河沿い北上〕→ ティータイム〔チェリーみなと店〕→ 国道1号 → 白鳥橋(堀川)→ 熱田神宮公園・解散(午後3時35分)
走行距離:36km
所要時間:7時間5分
【参加者】
白のトレックさん、稲葉栄二さん、大安の西川さん、Da-noさん、本田智久さん、幹事(まつぼっクリ) 計6人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「2月14日(土) あおなみ線とリニア・鉄道館」を御覧ください。
https://x.gd/25PQS
https://hasirenai.com/photo-index2026.html
■2025(令和7)年12月7日(日) 曇のち晴
Anjoyは、安城をエンジョイすること。安城市観光協会が使っていた言葉を拝借しました。
安城というとデンパークや丈山苑などが有名ですが、今回は少しマイナーなスポットを巡ります。
名鉄新安城駅南口を5人でスタート。JR三河安城駅まで走ります。
<ニチバン安城工場>
ニチバン安城工場は三河安城駅近くの、新幹線とJR在来線が交差するところにあります。この立地を利用して、「セロテープ」の巨大な壁面看板(屋外広告)が建っています。
「セロテープ」のパッケージとおそろいの赤・青・白のトリコロールカラーに、
「無くしてわかる ありがたさ 親と健康と セロテープ」
のコピーを掲げています。新幹線の車窓からみえる広告の定番スポットです。
工場敷地内には入れず、フェンス越しにのぞかなければいけないのが残念です。
ところで、「セロテープ」は株式会社ニチバンが製造し、登録商標している商品名です。一般的な普通名詞は「セロハンテープ」となります。厳密には、ニチバン以外のメーカーが製造している「セロハンテープ」を「セロテープ」と呼ぶことは不適切なのです。
県道を南下し、赤松交差点を右折。
デンパーク西交差点を通過すると、左手に丈山苑が見えてきます。
東端町東荒子交差点を右折し、道なりに進むと、特別養護老人ホームの建物が見えてきます。この敷地内に「燃弾庫」があります。
<明治航空基地>
今年は戦後80年の節目の年です。
旧日本海軍の明治航空基地は太平洋戦争中に建設され、6本の滑走路があり、最大時には217機の飛行機、4078人の隊員がいました。かなり大規模な飛行場が安城市にあったのです。
燃弾庫はドラム缶入りの航空燃料や弾薬を、敵機の空襲から守るための保管庫です。分厚いコンクリート製のトンネルのような造りで、土や草木で覆われ、敵機に分かりにくいようになっています。
「明治」というのは、明治時代のことではなく、当時この地域が「碧海郡明治村」だったことによります。
老人ホームの燃弾庫から南西へ300mほど行くと、東端公園内に「明治航空基地之碑」があります。
太平洋戦争終結50周年を記念して建てられました。
その碑文には、
「配備航空隊は、訓練部隊として練習航空隊の教育を終えた搭乗員に対し、当時の各種新鋭機(「零戦」「紫電」「月光」「彗星」「天山」「彩雲」等)の使用に慣熟させるための錬成訓練を行うとともに、1944年12月から翌年4月にかけては、作戦部隊として、主に名古屋地区に来襲した米陸軍長距離戦略爆撃機B-29の迎撃や、米軍沖縄攻略部隊の撃滅作戦(沖縄特攻作戦)に参加した」
とあります。重要な基地であったことがうかがえます。
東端公園のすぐ隣の畑の中に、先ほど同じ燃弾庫跡があります。こちらには何の表示も説明板もありません。中には朽ちた竹などが入れられており、燃弾庫だったことが分からない状態です。貴重な戦争遺構ですので、きちんと保存してほしいと思います。
<西蓮寺のイチョウ>
東端公園の少し南、西蓮寺の境内にひときわ樹高の高い、黄金色に色づいたイチョウが立っています。安城市指定天然記念物で、樹齢は150~200年と推定されています。このイチョウは雄木(おぎ)なので銀杏は実りません。
南東に進路を取り、名鉄西尾線の踏切を渡り、国道23号の高架下を潜ると、コスモス畑が見えてきます。
<三ツ川ふれあい花園>
「コスモスまつり」の幟がなびいています。
そして、法被を着た案山子、スーパーマリオ、アンパンマン、しょくぱんまん、ばいきんまんなどのキャラクターが出迎えてくれました。
ここのコスモスや案山子たちは、作物の収穫が終わった畑を利用し、三ツ川環境向上委員会が管理しています。コスモス畑畑の中に通路もあり、自由に散策できます。
コスモスの見頃は過ぎてかなり萎れていますが、12月になっても花がまだ残っているとは!
赤やピンク、白色のコスモスが青空に映えて癒やされます。
<本證寺>
本證寺は、鎌倉時代創建の真宗寺院。永禄6年(1563年)から翌年にかけて起こった松平(徳川)家康と三河本願寺教団の戦い(三河一向一揆)のときに、一揆方の拠点の一つとなった寺院です。岡崎市の上宮寺(じょうぐうじ)・勝鬘寺(しょうまんじ)とともに浄土真宗「三河三か寺」と呼ばれました。
「一向」とは、浄土真宗のうち、特に本願寺を中心とした信徒のことです。
「一揆」とは、目的を共有した人たちが協力して行動することを意味します。「一致団結」という意味に近い言葉です。特に中世の日本では、農民が団結して年貢の軽減や不正な領主の排除を求める行動として広まりました。
家康は、寺院に対して課税や統制を強める政策を進めたため、一向宗の信者たちが反発して蜂起しました。当時の三河国は、一向宗が深く浸透していた土地です。三河三か寺が中心となり、多くの門徒が参加しました。
当時、家康の家臣にも一向宗の信者がいたため、家康家臣団が分裂し、半年続いた戦いは混乱を極めました。最終的に家康は、一揆を力で鎮圧し、三河から一向宗の勢力を排除することに成功します。
大河ドラマ『どうする家康』(2023年)でも、本證寺が登場し、三河一向一揆が描かれました。
三河一向一揆は、家康の三大危機の一つとされています。
本證寺は、二重の堀(内堀・外堀)や土塁が巡ることなどから「城郭寺院」とも呼ばれ、全国的にも珍しい造りとなっています。
現在でも一部の水濠や土塁が残り、城郭伽藍としての面影を見ることができます。
<姫小川古墳>
安城市には多くの古墳が残っています。
桜井古墳群は、矢作川流域の古墳時代前期を代表する古墳群です。大小20基ほどの古墳が確認されています。
そのうち国指定史跡の姫小川古墳と二子古墳を訪れます。
姫小川古墳は、4世紀前半の前方後円墳です。全長約66mあり、桜井古墳群では2番目の大きさです。墳丘の上には浅間神社が鎮座していて、社殿に向かって石の階段が真っ直ぐ伸びています。
<二子古墳>
二子古墳は、4世紀初頭、西三河地方で最古級の前方後円墳です。全長約68mあり、桜井古墳群では一番大きく、西三河地方で2番目に大規模なものです。こちらの墳丘には石碑が立っているだけなので、古墳であることを知らないと、ただの丘にしか見えないかもしれません。古墳の上に立つと、東海道新幹線が眼下に、遠くを見ると三河の山々が望めます。
なお、古墳の最も多い県は兵庫県で1万8千基以上、愛知県は15位で約3,100基あります。
<昼食>
11時を過ぎました。早めに昼食にした方がよいと思い、当初の予定を変更して二子古墳の近くにある「うどん圓山(まるやま)」へ。
カフェと見間違うようなモダンでお洒落な外観で、入店すると、ほぼ席が埋まっていました。人気店のようです。
全員が、かけうどんに野菜のかきあげ、天つゆ、煮豆、漬物、ご飯がついた「うどん定食」(税込み1,070円)を注文しました。
麺は柔らかめでツルツル、とても食べやすく、出汁は甘めの優しい味わい。
食事が美味しいと、お腹だけでなく、心も満たされます。
<安祥城址公園>
ランチの後は、安祥城址公園へ。
安祥城は徳川家康を輩出した安城松平家が4代にわたって居城した城でした。
本丸跡には大乗寺が、二の丸跡には八幡社が建っています。周辺には歴史博物館や市民ギャラリー、埋蔵文化財センターなどがあり、市民公園として整備されています。
公園に南端には、パイプオルガンのような筒が何本も並んだ、少し変わった塔が立っています。銘板には「笙(しょう)の塔」と書かれていました。雅楽器の「笙(しょう)」をデザインしたモニュメント展望台とのこと。
「笙」は、初めて聞きました。調べてみると、17本の細長い竹が黒色のお椀(頭:「かしら」といいます)に刺さっている不思議な形の楽器だそう。
螺旋階段を上ってみましたが、特別良い景色が見える訳ではありません。
東海道本線の踏切で、深い青色の列車が通過していくのが見えました。オレンジラインの電車じゃない! あれっ?
東急とJR東海が共同で運行する観光列車「THE ROYAL EXPRESS」でした。
<南吉の下宿先>
新田町(しんでんちょう)の住宅街の細い路地を進むと、道路に何やら点々とペイントが施されています。南吉の下宿先まで道案内のために描かれたキツネの足跡です。これを辿っていくと、下宿先として使用していた建物(門長屋)に導かれます。
この建物は個人の所有物件ですが、自由に見学できます。
童話「ごんぎつね」などで知られる新美南吉は、昭和13年(1938年)4月に安城高等女学校(現在の県立安城高等学校)に教師として赴任しました。翌年、昭和14年4月からここで下宿を始め、歩いて安城高等女学校(現在の安城市桜町)へ通いました。南吉は、この下宿先で暮らした3年半の間に、初の童話集「おぢいさんのランプ」を出版し、幼い頃から持ち続けた「童話作家になりたい」という夢をかなえました。下宿部屋の窓際に置かれている座卓の上には、その童話集が立てられています。
昭和18年(1943年)、結核の症状が悪化して安城高等女学校を退職し、半田の実家に帰りましたが、3月に死去しました。29歳7か月の短い生涯でした。
以上で今日の訪問先はおしまいです。
高浜の石川さん、ノノガキさん、西尾の三浦さんは、途中解散。新安城駅には、白のトレックさんと幹事の2人がゴールしました。
スタート時は寒かったものの、日中はウインドブレーカー脱ぐほどの暖かさ。晴天、微風のサイクリング日和でした。
参加者の皆様の御協力で、順調に進行しました。ありがとうございました。
【サイクリングコース】
新安城駅(午前8時25分)⇒ ニチバン安城工場 ⇒ 燃弾庫跡 ⇒ 東端公園・明治航空基地跡 ⇒ 西蓮寺のイチョウ ⇒ 三ツ川ふれあい花園 ⇒ 本證寺 ⇒〔昼食〕⇒ 姫小川古墳 ⇒ 二子古墳 ⇒ 安祥城址公園 ⇒ 新美南吉の下宿先 ⇒ 新安城駅・解散(午後1時5分)
距離:35km
所要時間:4時間40分
【参加者】
白のトレックさん、ノノガキさん、高浜の石川です。さん、西尾の三浦さん、幹事(まつぼっクリ) 計5人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「12月7日(日) Anjoy Cycling」を御覧ください。
https://x.gd/Bj7h2
https://hasirenai.com/photo-index2025.html
■2025(令和7)年11月23日(日・勤労感謝の日) 晴
桑名市は、ナガシマスパーランド、ジャズドリーム長島、なばなの里、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市です。また、機械工業や金属製品製造業、食料品製造業、さらにはIT産業まで、多様な業種が盛んな工業都市でもあります。特産品には、ハマグリやしぐれ煮、安永餅などがあり、なかでも蛤(はまぐり)料理は全国的にも有名です。
江戸時代には東海道42番目の宿駅であり、熱田宮宿に次いで、東海道中第二位の宿数を誇っていました。また、桑名藩の城下町、港町として栄え、伊勢神宮の「一の鳥居」を擁する伊勢路の玄関口として賑わいをみせていました。
そんな魅力ある桑名を楽しもうと企画したのが、今回の探訪あいちです。
数ある観光名所の中で、六華苑と諸戸氏庭園をメインにしました。
この2か所を桑名歴史案内人(観光ボランティア)の方にガイドしてもらいます。
午前8時15分、集合場所のあおなみ線荒子川公園駅前を参加者8人でスタート。
所さんの走行仲間の今長さんは、探訪あいち初参加。ありがとうございます。
快晴ですが気温は8℃ぐらい。寒いです。ただ、お昼頃には17℃ぐらいになるとの予報ですので、暖かくなるでしょう。
河合小橋までは「明治の東海道(前ヶ須街道)」を走り、県道70号名古屋十四山線経由で弥富市へ。ひので公園にて休憩。寒さと加齢でトイレが近くなります。
尾張大橋(木曽川)と伊勢大橋(揖斐長良川)は、安全のため歩道を走ります。路面が凹凸なので、ゆっくりペダルを漕ぎます。
午前10時前、六華苑に到着。
ここからは桑名歴史案内人を始めて4年目の有竹さんにガイドしてもらいます。
有竹さんは私と同い年で、勤務先が同じでした。現役時代は職場の陸上クラブに入っていた仲です。
六華苑は、桑名の実業家だった諸戸清六(もろとせいろく)の邸宅として大正2年(1913年)に完成しました。設計したのはイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏。有名な鹿鳴館を設計された方です。
およそ18,000㎡(約5,500坪)という広大な敷地の中に、洋館、和館、蔵、池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)などがあります。洋館と和館は国の重要文化財に指定されています。
まずは洋館から案内してもらいました。
4層の塔屋をもつ木造2階建てです。塔屋は、当初3層の予定でしたが、眺望を重視する諸戸清六の希望により、4層に変更になったそうです。
1階は玄関・ホール、客間、食堂があります。
驚いたのはトイレ。大正時代に建設された時から水洗トイレだったのです。この邸宅にはすでに水道が通っていたということです。一般庶民はぼっとん便所の時代でした。便器自体も今の洋式トイレとほとんど変わりない形です。ただし、水のタンクは天井近くの壁に着いていて、紐を引っ張って水を流す形です。そう、昭和時代の和式トイレの水洗と同じタイプです。(若い人には分からないと思いますが)
床はタイルが敷き詰められ、今でも十分通用しそうなモダンなデザインにビックリしました。その横には電話室も設けられており、当時としては先進的な設備や機器に囲まれた邸宅だったことがうかがえます。
2階には応接室、寝室、書斎、居間、女中部屋、サンルームがあります。なかでもサンルームは窓が大きく、十分な陽光が差し込み、開放的な雰囲気に包まれています。冬は暖かくて気持ちよいですが、温暖化が進んだ現在の夏だと暑くて耐えられないのではないでしょうか。
見学できるのは2階まで。さらに上の階層に行けば、名古屋の高層ビル群も見えるとのこと。
次は和館に向かいます。
洋館と和館は壁一枚でつながっており、明治から大正時代は、併設されることがよくあったそうです。
客間から障子越しに眺める内庭の光景は、額縁の中の絵のように見えます。
注目したのは、長い廊下が2車線になっていること。畳敷きの廊下と板敷きの廊下が平行して造られています。主人や家族、訪問客が畳を、使用人は板敷きの廊下を歩いていたそうです。
雨戸や戸袋は、現代の住宅では余り見られなくなりました。若い人は知らないかもしれません。
巨大な蔵のような金庫もあり、耐火構造で財産をしっかり守っていたようです。
全体的に過度に豪華な装飾などは用いられていませんが、良質で上質な造りになっている印象です。
外に出て、広い芝生広場で邸宅を背景に集合写真を撮ってもらいました。
芝生の緑と紅葉のコントラストが美しく、絵はがきを見ているかのようです。
池泉回遊式庭園の園路を歩いていると、庭園の隅に鉄板を置いてあるところがありました。ガイドさんによると、鉄板の下には防空壕があるとのこと。今は崩落の危険があるので入れないそうです。
個人の邸宅で、これだけのスケールの大きさには驚くばかりです。
いったいどれぐらいの建築費がかかっていたのでしょうか。
諸戸清六は、米の仲買人として成功を収め、三重県の大富豪・大地主でした。一方で、当時飲料水事情が悪かった桑名に私財を投じて上水道を引き、一般庶民にも開放して、まちづくりにも貢献しました。桑名は東海地方で最初に水道ができた町だそうです。
財産を独り占めせず、社会のために提供したところが素晴らしいです。
六華苑の長屋門を出て、七里の渡し公園の中を歩きます。木曽三川公園と同じく、国が整備した公園で、園内には諸戸水道の共用栓をモチーフにした湧水口が設置されています。趣のある煉瓦塀が目を引きます。
諸戸氏庭園もおよそ26,450㎡(約8,000坪)の広さがあり、本邸、大門、御殿、玉突場が国の重要重要文化財に指定され、庭園が国の名勝に指定されています。
元々は、江戸時代の豪商山田彦左衛門の隠居所として造園され、明治に初代諸戸清六が買い取り、増築を行って現在に至っています。六華苑は息子さんの家でこちらがお父さんの家とのこと。
六華苑は四季を通じて入苑できますが、諸戸氏庭園の方は春と秋に期間を限って公開されています。今年の秋の一般公開期間は10月25日(土)~12月7日(日)で、今回の探訪あいちは、この期間に合わせて実施した次第です。
「主屋の屋根瓦を見てください」とガイドさん。
鬼瓦には「モロト」と、カタカナで刻まれていました。トヨタのマークのようにも見えました。
藤茶屋の藤は樹齢300年といわれ、ゴールデンウィークにはきれいな藤棚が見られるそう。
巨大な御殿広間は、沓脱石、床の高さ、襖絵等々、文字どおり江戸時代の大名の「御殿」そのものです。
御殿に隣接した池泉庭園は琵琶湖を模していて、竹生島(ちくぶしま)に見立てた岩島を据えています。池泉庭園で使われている石は青石で、志摩や鳥羽から運ばれたとのこと。
園内には60以上の石灯籠があり、米で財を成した諸戸氏を象徴して俵の形をしたものもありました。
菖蒲池には切石による八ッ橋が架けられています。菖蒲が咲く6月に訪問したら、さぞかし綺麗でしょう。
庭園の隅には玉突場までありました。黄色く塗られた西洋建築で、窓からのぞくと撞球台(どうきゅうだい)が見えます。当時のビリヤードは現在のゴルフのような、接待の遊びだったそうです。
見どころはつきませんが、兎にも角にも、広大さと財力に圧倒された次第です。
そして、桑名歴史案内人の方にガイドしていただき、歴史と文化をより深く感じて学ぶことができました。個人で見学していたら、気づかないことばかりでした。
有竹さん、丁寧な説明、ありがとうございました。
藤の花か、花菖蒲の花が咲く頃に、また訪れたいと思います。
さて、正午を過ぎ、ランチタイム。
旧東海道沿いの『歌行燈』に行ってみると、行列ができていました。さすが桑名の有名店です。これは時間がかかると思い、同じ通りにある『川市』に変更。少しの待ち時間で入店できました。
店員さんに奥の座敷に案内されました。思ったより店内は縦長で外から見る印象よりも広いです。
店頭看板には「手打ちうどん 味噌煮込」と書いてあります。メニューを見ると、うどん屋さんなのに餃子がトップに掲載されていました。
ということで、全員が味噌煮込みうどんと餃子を注文。
餃子は、皮はモチっとして、中身は野菜たっぷり、少し山椒の風味が効いて、他店とはちょっと変わった味付けです。アッサリしていて食べやすく、美味しかったです。
味噌煮込みうどんも美味しかったですが、880円という値段のためか、かしわやネギなどの具は少なかったです。
観光客もいたようでしたが、地元の人に愛される昔ながらのうどん屋さんといった感じです。
お腹を満たした後は、同じ旧道沿いにある「歴史を語る公園」へ。
江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られたユニークな公園です。コンクリートでできた小さな富士山を始め、道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。もう少し東海道の見どころを模したモニュメントがあるといいなぁと思います。
この公園からは、桑名城三之丸の堀を固めていた石垣の一部が臨めます。ほとんどが桑名城創建当時の石垣といわれており、徳川四天王の一人、本多忠勝が築いた時代から残っているということになります。
九華公園の中をゆっくり走り、かつて桑名城の天守閣が建っていた場所に行きます。 現在は天守閣の姿はなく石組みだけが残っています。
桑名城の天守閣は1701年の大火で焼失し、以降は再建されることなく明治時代の廃城令を迎えました。現在天守台跡の石組み階段前には「崩落の危険があるため立ち入り禁止」との注意書きが掲示されて、天守台跡に登ることはできなくなっています。
桑名にはさらに見るべきスポットがありますが、日没が早くなった時期ですので、ここで帰路に着くことにします。
気温も上がり、ウインドブレーカーを脱ぎました。
名古屋に向かう道は、ややフォローの風。軽快にペダルが回ります。自然と一体になったような感覚になり、「生」を実感します。だから、自転車はやめられません。
ゴールまで残り2キロ弱となった当知1丁目交差点でトラブル発生。
大安の西川さんのスペシャライズドのe-bikeのフロント側でチェーンが外れてしまい、リアディレイラーも調子が悪くなってしまいました。残りわずかなので、一人、自転車を押して行くことに。
それでも、私たちが荒子川公園にゴールしてから、10分ぐらい後に、大安の西川さんはやって来ました。ジョギングのスピードです。自転車だけでなく、走る方も軽快なのですね。
【サイクリングコース】
荒子川公園駅(午前8時15分)→ 旧東海道 → ひので公園 → 国道1号 → 六華苑&諸戸氏庭園(観光ボランティア桑名歴史案内人によるガイド付き)→〔昼食〕→ 歴史を語る公園 → 九華公園(桑名城址)→ <往路と同ルート> → 荒子川公園駅・解散(午後3時15分)
距離:44km
所要時間:7時間
【参加者】
本田智久さん、所さん、k-oguraさん、ノノガキさん、大安の西川さん、所さんの走行仲間の今長さん、稲葉栄二さん、幹事(まつぼっクリ) 計8人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「11月23日(日) 桑名観光サイクリング」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html
https://x.gd/C95XV