■2025(令和7)年10月18日(土) 曇一時小雨
へぇ~
なるほど
すごいですね
参加された皆さんから、感嘆の声が絶え間なく出ました。
ここ、名古屋郷土二輪館は、館主である冨成一也さんが、メイド・イン名古屋・愛知を中心としたオートバイと自転車の現物、それらに関連する写真、設計図、ポスター、ホーロー看板等の資料を展示している私設博物館です。
冨成さんは30歳の頃から、40年以上に渡って全国各地を巡ってコレクションされました。なかには、10年、20年かかって、所有者から、所有者が亡くなったあとはその家族から、譲ってもらったものもあるそうです。そして、定年退職を機に2015年(平成27年)6月6日に、自宅のガレージを改装して名古屋郷土二輪館をオープンしました。
1階はオートバイ。
みづほ自動車製作所の「キャブトン」やトヨモータースの「トヨモーター」など、バイクメーカーの車両が18台ほどが展示されています。さらに、トライアンフやBSAなど、古い英国車のパンフレットや名古屋TTレース、津島で行われていたレース資料や写真も壁一面にありました。
ホダカ(株式会社穂高工業所)はアメリカに輸出していて、特にトレールバイクが人気でした。会社がなくなった今でも、アメリカではホダカの熱心なファンがいるそうです。
日本のバイクメーカーといったら、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4メーカーだと思っていたので、愛知・名古屋にバイクメーカーが80社もあったことは大変な驚きです。ただ、それらは皆中小企業で、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風により壊滅的打撃を受け、大手メーカーの台頭とともにすべてが消えてしまいました。
2階は自転車。
実用車が中心で、名古屋の岡本自転車のノーリツ号やグランパス号、三菱重工津工場の三菱十字号など、23台ほどが展示されています。
紳士用と婦人用ではフレームの形状が異なり、ハンドルの幅にも違いがありました。
シートチューブには自転車を持ち上げるための折りたたみ式の取っ手が付いていました。重たい自転車を土間に運び入れるための仕組みだったそうです。当時はスチール製のため30kgくらいありました。今の電動アシスト自転車並みの重量でした。軽いアルミ製の自転車をつくったのは、岡本自転車だったそうです。
自転車本体だけでなく、パーツも充実しています。
クランクには、ブランドを象徴するロゴが形になっています。グランパス自転車(岡本自転車)は鯱、日米富士自転車は富士山、ツバメ自転車(新家工業)はツバメ、宮田自転車はギヤエム、が施されています。当時の自転車はチェーンカバーが付いているのが一般的でしたが、クランク部分だけ透明のセルロイドになっていて、ロゴが見えるようになっています。
ランプ(前照灯)は当初はロウソクでした。提灯のような形です。実際、自転車から外してランタンとして使用していました。その後、ガスや軽油が使われるようになり、電池式になりました。単一とか単三のように電池の規格がなかった時代、ナショナル(松下電器)は大型の電池を開発し、30時間使用可能なランプを作りました。欧米製のランプは装飾が施され、芸術品のようです。
大正、昭和初期の実用自転車は、風切り(フェンダーマスコット)やヘッドマークなど飾りが多く、豪華でした。当時の自転車は、富裕層しか所有することができない贅沢品でした。現代なら、ベンツやレクサスを買うようなものです。自転車店では月に4台売れれば、店の家族が生活できたそうです。
初耳だったのは、初期の自転車は、時計屋が販売していたとのこと。
風切りは、自転車の前輪泥除けの先端に装着されていたアイテムです。これが付いているからといって、自転車の速度が速くなるわけではありません。いわば自転車のステイタスシンボルです。
現在、高級車のベンツやジャガーのボンネットにまだ見かけますが、自転車の場合は昭和40年代にフロントカゴの取り付けやコスト削減、機能性の追求で消えてしまいました。
ヘッドマーク(ヘッドバッチ)は、フレームの頭管(ヘッドチューブ)の前方に付ける金属製の飾りです。
昔の特急列車や急行列車の先頭部に取り付けられていた、列車の愛称を文字やイラストで示したものや、自動車のフロントグリルにあるエンブレムと似ています。
昔の自転車は同じメーカーでもブランドや車種などによって異なっており、非常に手の込んだ装飾が施されていて、ランプや風切りと同様、美術品のようです。
「自轉車鑑札」は、自動車のナンバープレートのようなものです。明治時代から自転車や荷車には税金がかけられ、自転車荷車税を納めた際に発行されました。ハンドルバーやサドルに取り付けられていました。泥よけに付ける縦型タイプもありました。昭和33年(1958年)にこの税は廃止され、自轉車鑑札も消えていきました。
珍しいのは、「扇子差」。扇子を着物の袖に入れていたり、腰に差していたりすると自転車を漕ぐ際に邪魔になるので、ハンドルに扇子を刺しておくアタッチメントです。昔の人は自転車に乗るときも粋だったのですね。
ほかにも、ベルやペダル、ホイールなど紹介できないほどの様々なパーツのコレクションがありました。
自転車は今も昔もアッセンブル製品です。愛知・名古屋にはオートバイ同様、パーツメーカーも含め130社も自転車関連企業があったそうです。しかし、この地域では岡本自転車もツノダ自転車もなくなり、産業としては衰退してしまいました。
冨成さんは10年前の開館の際の挨拶で
「企業でも行政でも失われた二輪メーカーの製品の系統的な収集、保存を考えてはいないと思います。しかし、私が見てほしいのは昭和の時代を中心に、自転車やオートバイに夢を乗せ作り続けた人々のヒストリーです。1台のオートバイ、一枚の写真を通してエピソードやどんな物語があったのか感じとっていただきたいのです」
「30数年に渡って一つ一つ集めたのは、オートバイや自転車、その関連資料ばかりでなく、むしろ出会ってきた人々の証言こそが一番貴重であり、そのことを一つ一つ紡ぎ、名古屋二輪物語として語り伝えていきたいのです」
と言われています。
当館は大変狭いところなので、見学者が4人もいると窮屈な状態です。さっと見れば見学は10分とかからないでしょう。
館長さんがエピソードを交えながら展示物を熱心に説明してくれ、私たちも時間を忘れて聞き入り、500点を超えるコレクションに魅了されました。明治、大正、昭和と過去の二輪の世界にタイムスリップしたかのような気分を味いました。
一つ心配がありました。コレクションの中には、シマノ自転車博物館にもない物もあるでしょう。これらを継ぐ人がいるのでしょうか。
館長さんに聞くと、息子さんはまったく関心がないとのこと。館長さんが亡くなったあと、現物や資料はどうなってしまうのでしょうか。
このようなものは一か所に集まって、見比べてこそ、その価値が増すものです。散在してしまうと、多くの人の目に触れられなくなります。また、語り部も必要です。一つの物に秘められた故事来歴を知る人がいなくなると、価値が半減してしまいます。
市町村の歴史民俗資料館のような施設が引き継いでくれれば、と念願します。
9時50分に到着して二輪館を出たのは午後1時20分。見学予定時間を1時間半以上オーバーしてしまいました。
ランチは館長さんに教えて頂いた「一番亭阿久比店」にて。皆さん、タンタン麺や味噌ラーメン、天津飯などで空腹を満たしました。私が食べたタンタン麺はマイルドな辛さで美味しかったです。
なお、往路のトイレ休憩で立ち寄った「水の生活館」では、『あいちの水』とダムカードを頂き、ちょっと得した気持ちになりました。
【サイクリングコース】
日本ガイシホール(午前8時) → 天白川堤防道路 → 千鳥橋 → 東海市しあわせ村 → 大池公園 → 東海市役所 → 長曽橋西 → 佐布里パークロード → 水の生活館前 → 深田脇交差点 → 草木交差点 → 名古屋郷土二輪館 →〔昼食〕→ <折り返し・往路と同ルート> → 日本ガイシホール・解散(午後3時30分)
距離:44km
所要時間:7時間30分
【参加者】
大安の西川さん、kuwanaさん、つくさん、幹事(まつぼっクリ) 計4人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「10月18日(土) 名古屋郷土二輪館」を御覧ください。
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■2025(令和7)年10月12日(日) 曇
テレビ塔は誰でも知っているでしょう。
では、ラジオ塔はご存じでしょうか。
今年は日本でラジオ放送が始まって100年の節目になります。
1925(大正14)年3月に東京で放送開始。同年6月から大阪で、7月には名古屋で放送が始まりました。
ラジオ塔は、ラジオの電波を出す塔ではなく、「街頭ラジオ」のことです。
ラジオが一般家庭に普及してなかった時代に、誰でもラジオ放送を聴取できるように全国の公園や広場などの公共空間に設置された、ラジオ受信機とスピーカーを内部に収めた塔です。
名古屋市内には志賀公園、中村公園、松葉公園の3基が現存し、道徳公園には台座のみが残されており、戦前の市民の生活文化を今に伝える貴重な遺構となっています。東海三県でも現存するラジオ塔は名古屋市内の4か所だけです。
今回の探訪あいちは、道徳公園を発着地とし、志賀公園、中村公園、松葉公園を巡ります。
道徳公園に残るラジオ塔の台座は、バスケットボールコートと広場の間にあります。4つの四角い穴がある、四角いコンクリートの塊にしか見えません。説明板もないので、ここにかつてラジオ塔が立っていたとは誰も気づかないでしょう。
出発しましょう。
堀川沿いの道を北上します。
宮の渡し公園を過ぎたところで、ブロンプトンの集団とすれ違いました。6~7台いたでしょうか。お互いに挨拶しました。
景雲橋北の外堀にある堀川駅跡に立ち寄ります。
ここには昔、瀬戸電気鉄道の終着駅がありました。瀬戸から運ばれてくる陶磁器などの貨物を受け入れ、堀川を使って船で運んでいたのです。1976(昭和51)年に堀川駅は廃止され、起点は名鉄栄町駅へと引き継がれました。
さらに北に進むと、お城のような巨大な建物が現れます。
今月オープンしたばかりの「エスパシオナゴヤキャッスル」。かつての名古屋キャッスルホテルが、名古屋城の景観を望むラグジュアリーホテルに生まれ変わりました。料金は1泊20万円から。スイートルームは1泊300万円と、自動車が買える値段です。国内外の超富裕層をターゲットにした超高級ホテルですから、庶民には縁がないですね。
名城公園内の「IGアリーナ」前でも記念撮影。こちらも今年7月にオープンしたばかりの愛知国際アリーナです。隈研吾氏が外装と一部内装の意匠デザインを担当したそうです。外側を取り囲む樹形アーチは名城公園の樹木と調和するデザインを目指したとのことですが、素人には余分な飾りにしか見えず、後々のメンテナンスが大変だろうな、と思ってしまいます。
大津通を北上して、志賀公園に到着。公園の中央付近に、ラジオ塔はひっそりと立っています。
4柱のタワー型、コンクリート造で神社の灯篭に似た形をしています。高さは2.5m~3mくらいでしょうか。
説明板には次のとおり書かれています。
「ラジオ塔
ラジオ塔は昭和5年以降、ラジオ放送を市民が自由に聞けるようにと日本各地に設置されるようになりました。
志賀公園には、昭和17年に名古屋市西志賀土地区画整理組合の寄附により設置されました。
塔の上部に受信機やスピーカーが置かれ、塔の周りで市民が放送を聞いていました。
市内には10か所ほど設置されていましたが、現在は志賀公園の他に中村公園、松葉公園に当時のラジオ塔が残されています。 名古屋市 」
塔上部に設置されていたスピーカーなどの機械は今はありませんが、戦前の市民の生活文化を今に伝える貴重な遺構となっています。
北條さんから「ラジオのスイッチは誰がやってたんだろう?」と訊かれました。
「わかりません」
後で調べてみると、現代のように24時間放送ではなかった時代ですから、電源を入れっぱなしにしていたとは考えにくいので、担当者の手でON/OFFされていたのではないかと思われます。一部には、自動スイッチで一定の時刻だけ放送が流れるもの、電波を受信するとスイッチが入り、電波が切れるとスイッチが切れるようにするものがあったそうです。
ラジオ塔の西横には、織田信秀と信長の2代に仕えた武将、平手政秀宅跡があります。
「平手政秀宅跡
ここ志賀の地を領した平手政秀は、織田信秀の子、信長の補佐役をつとめた。信長はかねてから行状が悪く、政秀は日ごろからこれをいさめていたが、父信秀の死後も一向に改まらなかった。天文二十二年(1553)正月十三日、信長の将来を絶望した政秀は、この地で自害した。信長はその死を哀惜し、一寺を建て、秀政寺と号して厚く菩提を弔った。 名古屋市教育委員会 」
志賀公園は、平手政秀宅跡に造成された公園であることがわかりました。
次は枇杷島公園を経由して、中村公園へ。
公園に隣接する名古屋競輪場にはBMXレースコースが新設されていました。来年のアジア大会の会場にもなる予定です。
中村公園には、江戸時代初期の歌舞伎役者、初代中村勘三郎生誕記念碑があります。中村勘三郎が名古屋中村出身という説があることから設置されたものです。
さらに、来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送を契機に、「豊臣兄弟! 名古屋中村大河ドラマ館」を始めとする複合施設「豊臣ミュージアム」が建設中でした。豊臣秀吉・秀長兄弟生誕の地である名古屋中村の魅力を全国に発信し、観光を推進しようという目論見のようです。
中村公園のラジオ塔は豊國神社と瓢箪池(ひょうたんいけ)の間にあります。
こちらは茶色っぽく、上部の機械類が置かれていたところのカバーが残っています。説明板には昭和17年に名古屋市東宿・日比津土地区画整理組合の寄附により設置とあります。
中井筋(惣兵衛川)遊歩道を通って南下し、松葉公園へ。
ここに残るラジオ塔は、野球場の脇にあります。説明板には昭和18年に名古屋市篠原・四女子土地区画整理組合の寄附により設置されたとあります。志賀公園や中村公園と異なり、4柱ではなく、太い四角形の土台です。
3か所のラジオ塔を比べてみると、中村公園のものが一番状態がよく、松葉公園のものが一番劣化が進んでいるように思いました。
戦後、昭和20年代、ラジオの小型化と普及により、ラジオ塔はほとんどが撤去されました。
ラジオ塔は過去のものとなり、忘れられていきました。私自身、その存在を知ったのは昨年の2月のことです。
テレビの普及に役立った「街頭テレビ」も、アイデアのもとはラジオ塔であったと考えられるでしょう。現在、スポーツ中継などのパブリックビューイングや繁華街のビルの壁面に付けられた大型ディスプレイなどに、かつてのラジオ塔の在り方を引き継いだ姿が見られます。
テレビ放送もアナログ放送からデジタル放送に移行し、東京タワーや名古屋テレビ塔など、アナログ放送のテレビ塔が役目を終えたのも時代の流れといえます。
ランチは松葉公園近くの『鯱ひげカフェ』にて。あんかけスパゲッティや鉄板ナポリタンの店です。混雑する前でしたので6人がちょうど座れました。
ホリデーランチメニューは、Aスパゲティランチ、Bナポリタンランチ。C〜Dは、ミックスフライ、ピカタ、田舎風カラアゲから選べて、パンかライスを選択できます。私はナポリタンランチ(1,287円)を注文。名古屋風の鉄板ナポリタンにサラダが付いています。味はごく普通でした。
八熊通で白のトレックさんは途中解散。5人が道徳公園にゴール。
前日の天気情報では雨の予報サイトもあったので、レインウェアを準備していましたが、使うことがなくてよかったです。
【サイクリングコース】
道徳公園(午前8時30分) ⇒ 名城公園(北区)⇒ 志賀公園(北区)⇒ 枇杷島公園(西区)⇒ 中村公園(中村区)⇒ 松葉公園(中川区)⇒ 道徳公園・解散(午後12時45分)
距離:34km
所要時間:4時間15分
【参加者】
稲葉栄二さん、本田智久さん、白のトレックさん、北條さん、所さん、幹事(まつぼっクリ) 計6人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「10月12日(日) 名古屋のラジオ塔めぐり」を御覧ください。
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■2025(令和7)年9月15日(月・敬老の日) 晴
万博(万国博覧会)は、1851年のロンドン万博から始まりました。現在、大阪関西万博が開催中です。
愛知県では、2005年日本国際博覧会(「愛知万博」、愛称「愛・地球博」)が、2005年3月25日から同年9月25日まで、当時の青少年公園を中心に開催されました。
開催から20周年を迎え、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)では「愛・地球博20祭」が9月25日まで行われています。今日の探訪あいちは、「愛・地球博記念館特別展示」を見学し、園内のサイクリングコースを走ります。
天白川沿いの車の往来が少ない道を通り、岩崎交差点に出ます。県道57号線は交通量が多く、気を付けながら走らなければなりません。
猿投グリーンロードは自転車通行帯のある歩道を進みます。
愛・地球博記念公園の入口では駐車場に入る車の列ができていました。
9月半ば、暦の上では秋だというのに、日差しも強く強烈な暑さです。このため、予定を変更して、先にサイクリングコースを走ることにします。
サイクリングステーション受付にて各自名前を記入。
アップダウンのある全長5.1kmの自転車走行専用コースを各自、自分のペースで走ってもらいます。
時計回りの一方通行で、逆走や歩行者の進入が禁止されており、カーブや注意喚起のペイントが施されているため、安心してサイクリングを楽しめます。
アップダウンと多彩なカーブが連続しており、登り最大5%、下り7%の高低差があります。前半部分は森の中を走る細かなカーブが続き、後半には長いストレートや最も急な上り坂が設置されています。この変化に富んだ、走りごたえがあるコースと言えるでしょう。
ただ、路面のところどころで舗装が浮き上がっていて、危ないと思いました。フラットに整備してもらいたいものです。
コース沿いには全国47都道府県の樹木が植えられています。「日本一周旅行気分」を楽しめるのも魅力の一つです。私は各県の木を確認しながらスローペースで走りました。
途中には休憩場所もあり、『となりのトトロ』に登場する「サツキとメイの家」をコースから眺めることができます。
休憩スペースで一服後、歩いて「愛・地球博記念館」へ。
9月25日まで、特別展示が開催されています。
「自然の叡智」をテーマに掲げた愛知万博の様々な取組や各パビリオンなどについて解説するパネル展示のほか、万博会場で活躍したロボットたちと一緒に撮影できるフォトスポットなど、20年前の写真や映像を中心に、当時の愛知万博を思い出させてくれる展示を観ることができます。
「文化の多様性」を感じ、「世界一周旅行気分」を楽しめるのが万博だと思います。
私は、ボランティアとしても愛知万博に関わりました。そのときの黄色いベストや白いハットなどは今でも保管しています。
今はジブリパークの一つになっている「サツキとメイの家」を紹介するたコーナーでは、昔の調度品や生活が話題になりました。「サツキとメイの家」は昭和30年代、宮崎駿監督が実際に生活していた家をモデルに建設された家屋です。汲み取り式便所、吊り下げられた手洗い用の水タンク、土やレンガで造られたかまど、タイル張りの風呂場など、当時の生活を知る世代には懐かしいものです。
前庭にある「モリゾーとキッコロ」のモニュメントの前で集合写真を撮りました。
昼食は、リニモ公園西駅前の「安江 長久手店」にて。
メインは蕎麦で、私は「そば三昧」を注文。
「二八と十割がありますが、どちらにされますか」
十割はそば粉100%でつくられるので、蕎麦の風味と香りが豊かです。二八は小麦粉が加わることでコシが強くなり、つるりとしたのど越しが楽しめるとのこと。
十割にしました。そば粉のコロッケやプリンも付いて美味しかったです。
店から出ると、頭が沸騰しそうなくらいの暑さです。
午後からさらに暑くなります。名古屋北部から自走の参加者の方には、ここで解散としてもらいました。
県道57号線沿いの「道の駅マチテラス日進」で休憩。1か月前、8月8日にオープンしたばかりで、とても賑わっていました。ソフトクリームやクリームソーダなど冷たいスイーツで涼を摂りました。
午後2時前、瑞穂公園に6人が到着。
皆さん、暑い中、参加していただきありがとうございました。お疲れ様でした。
【サイクリングコース】
瑞穂公園(午前8時15分) → 天白川 → 平針 → 岩崎 → 猿投グリーンロード → モリコロパークサイクリングステーション → 愛・地球博記念館〔見学〕 → <折り返し・往路と同じ> →〔安江にて昼食〕→ 道の駅マチテラス日進 → 瑞穂公園・解散(午後1時57分)
距離:46km
所要時間:5時間42分
【参加者】
稲葉栄二さん、本田智久さん、白のトレックさん、k-oguraさん、ノノガキさん、大安の西川さん、岩田弘一さん、鉄のGIOSさん、幹事(まつぼっクリ) 計9人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「9月15日(月・祝日) 愛・地球博20祭サイクリング」を御覧ください。
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■2025(令和7)年9月6日(土) 晴
9月に入っても猛暑日が続きます。酷暑の中ですが、豊明市のナガバノイシモチソウ自生地と大狭間湿地の一般公開日に合わせて探訪あいちを実施しました。
来年のアジア競技大会に向け整備工事中の瑞穂公園には、ブロンプトン、ジャイアント、ブルーノのミニベロが3台、コルナゴのロードバイクが1台、集まりました。
天白川沿いを進み、アップダウンのある緑区の丘陵地を走ります。
藤田医科大学病院の手前、諸の木バス停付近でトミカワさんの姿が見えないのに気づきました。上り坂で遅れているのかと思いましたが、10分ほど待っても追いついてきません。
心配になり、電話をかけてみると、「ダウンしている」とのこと。3人で戻ってみると、マンションの植栽の中で横になっていました。熱中症でしょうか。
あと、数百メートルで最初の目的地である大狭間湿地だったのですが、残念ながら彼女はここでリタイアとなりました。
藤田医科大学病院を通過すると、緑地が見えてきます。
地蔵池の畔に受付のテントが設営されていました。かつてサイクリングロードだった細い道を歩くと大狭間湿地の入口です。
大狭間湿地は元々は水田でしたが、1967年(昭和42年)頃から休耕田となり、湿地化していきました。昭和40年代を境に都市化が進み、数多く見られた湿地が次々に消滅し、現在ではごく僅かになってしまいました。
大狭間湿地には絶滅危惧種を含む多くの希少性植物が生育し、大都市近郊に残る貴重な自然遺産となっていることから、2003年(平成15年)に豊明市指定天然記念物に指定されました。8月頃にはサギソウ、ミズギク、モウセンゴケ、9月頃にはシラタマホシクサ、サワヒヨドリ、ミミカキグサ、サワシロギクなどが見られます。
豊橋の葦毛湿原と同じように木製の遊歩道が設けられています。本格的なカメラを抱えた人もスマホの人も、珍しい植物を撮影しています。
赤い色の八丁蜻蛉(ハッチョウトンボ)を見ることができました。日本一小さなトンボで、世界的にも最小の部類に属します。水のあるところには、今や希少生物となったメダカもいました。
ボランティアの方の話によると、定期的に外来種や葦などの除草作業を行っているとのこと。稀少生物を守るには、人間が手入れしなければなりません。
「10月の一般公開のときは、水蘭(スイラン)が咲くので、また来てください」
大狭間湿地から次の訪問地、ナガバノイシモチソウ自生地までは自転車で数分。
ナガバノイシモチソウ(長葉石持草)は、葉に生えた腺毛から発する甘い匂いの粘液で昆虫を絡め取り、消化液を出して葉の上で消化して吸収する食虫植物です。茎の頂部ではなく、茎の途中から花茎を出し花を咲かせるのも特徴の一つです
花の色はピンクと白などがあり、関東でも、渡瀬遊水池、成東・茂原などの白い花のナガバノイシモチソウが自生する地はありますが、紅(濃いピンク)色のナガバノイシモチソウは、国内では愛知県(豊明市、豊橋市)でしか確認されていません。とても貴重な植物で、豊明市のそれは愛知県の天然記念物に指定されています。
豊明市教育委員会の方が、ちょうどトンボを捕食している最中のナガバノイシモチソウを教えてくれました。植物が虫を食べる様子を初めて見ました。
直径1cmほどの小さな花は、夏季の午前中に開花して午後には閉じてしまうそうです。一般公開の時間が午前中の9時から11時30分までなのも、そのためです。
湿地もナガバノイシモチソウも、年に4~5日間だけの公開なのでとても貴重な体験でした。
沓掛城址公園にてトイレ休憩。
次は、尾三消防本部豊明消防署です。
ここは『市民に開放された劇場型消防署』として開放感と見やすさをコンセプトに設計され、消防車や救急車を間近で自由に見学できるようになっています。
建物1階の市民プラザには、昔のポンプ車や消防服などが展示されています。トリックアートや顔はめパネル、ミニ消防車に乗って記念撮影ができたり、DVDによる消防の活動なども紹介しています。尾三消防限定のカプセルトイ(ガチャポン、ガシャポン、1回200円)も置いてありました。
私たちの他にも2組の親子連れがいました。
車庫の周りはスカイウォークと呼ばれるスロープになっていて、いろいろな角度から消防車や救急車を見ることができます。ちょうど整備作業中の隊員の方にお願いして、ナンバープレートが「119」の消防車をバックに写真を撮ってもらいました。見学のタイミングによっては、訓練の様子や出動風景が見られるかもしれません。
お昼は「めん処泉七八」にて。
住宅街の中の目立たない場所にポツンとありますが、2階建ての大きな店です。入店が11時半前でしたので、席は十分に空いていました。
うどんがメインで、私は『かまランチ(釜うどんと天丼)』(1,250円)を注文しました。自分好みの味で美味しかったです。
帰路は国道1号まで南下し、旧東海街道を走ります。
阿野一里塚と桶狭間古戦場伝説地は皆さんお馴染みの場所でしたので、通過しました。
その代わり、瑞穂公園近くの『55(ゴーゴー)カフェ』で一服。火照った体を冷やそうと、全員がかき氷を食しました。
カフェを出たところで、そのまま解散としました。
最高気温34.9℃の酷暑の中、皆さんお疲れ様でした。
途中リタイアしたトミカワさんも無事に帰宅できたようで、安心しました。
【サイクリングコース】
瑞穂公園(午前8時15分) ⇒ 天白橋 ⇒ 平手交差点 ⇒ 諸の木 ⇒ 地蔵池/大狭間湿地(一般公開)皿池上地内 ⇒ ナガバノイシモチソウ(一般公開)沓掛町小廻間地内 ⇒ 沓掛城址公園 ⇒ 豊明消防署本部 ⇒ 阿野一里塚 ⇒ 桶狭間古戦場伝説地 ⇒ 旧東海道 ⇒ 瑞穂公園・解散(午後2時25分)
距離:34km
所要時間:6時間10分
【参加者】
トミカワさん、kuwanaさん、HRさん、幹事(まつぼっクリ) 計4人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「9月6日(土) 豊明の自然と歴史めぐり」を御覧ください。
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■2025(令和7)年6月1日(日) 晴、風強し
このところ週末は雨になっていましたが、今日は青空です。
延期していた探訪あいちをようやく実施することができました。ただ、非常に風が強いです。
名古屋市交通局ではウォーキングイベント「駅から始まる ヒラメキさんぽ」を実施しています。チェックポイントにちなんだクイズを解いて郵送またはwebで応募すると、抽選で1000円分のマナカチャージ券が当たります。
「潮風いざなう初夏の名古屋港と藤前干潟コース」を自転車で巡ります。
宮の渡し公園を白のトレックさんと2人でスタートしました。
<錨の噴水>
築地口交差点角に「錨の噴水」があります。時間調整のため、問い2から始めます。
問2は、「噴水の中央にある錨は、○○○○の観測に従事した南極観測船「ふじ」の予備錨です。」
説明板を見ると、「噴水の中央にある錨(いかり)は、昭和40年から昭和58年まで南極大陸の観測に従事し、南極観測事業の発展に大きな功績を残した二代目観測船「ふじ」の予備錨です。」
答えは「南極大陸(ナンキョクタイリク)」です。
<名古屋港ガーデンふ頭>
江川線を南下して、「タロ・ジロ像」へ。
問1は、「タロ・ジロは第一次南極地域観測隊のソリ犬として派遣されたが、第二次隊の越冬中止により○○○○にやむなく残されたが、極寒の地で一年間見事に生き抜いた。」
像の前にある銘板を読むと「昭和基地(ショウワキチ)」でした。
ウミガメ研究施設やガーデンふ頭を散策して、午前10時から名古屋港水族館入口前にある「からくり時計のモニュメント・浦島太郎伝説」を観ます。
水族館で飼育展示されるウミガメにちなんで、からくり人形師が浦島太郎のおとぎ話を題材に製作し、1992年(平成4年)の開館当初に設置されましたが、7年前に故障していました。今年3月25日に修理が完了し再始動しました。
からくり時計は、午前10時から午後5時まで1時間ごとに計8回開閉します。
定刻になると貝殻の形をした口が開き、ウミガメに乗った浦島太郎が現れます。左脇に抱える玉手箱から煙が出ると、太郎の顔が老人のお面に変わって数分後に閉じるという動きです。
<中川口通船門>
中川橋を渡っているとき、クルーズ船が通過していきました。
中川運河沿いを少し北上したところにある中川口通船門が問3です。
「中川運河は、港と都心を結ぶ○○○○として昭和5年に開通した閘門式運河です。」
答えは「物流幹線(ブツリュウカンセン)」です。
中川運河は、名古屋港と都心を結ぶ水運物流の軸として、名古屋の経済・産業の発展を支えてきました。
中川口通船門は、水位差のある名古屋港と中川運河を船で通航できるように整備された施設です。通常、中川運河の水位は名古屋港よりも低いため、水門で仕切られた閘室内の水位を上下に調節し、船の通航を可能にするものです。
貨物輸送が船からトラックへと変化したことなどから、現在はクルーズ名古屋など1日数隻の船が往来するだけとなっています。もう少し早く着いていれば、クルーズ船が通船門を通るところが見学できたところでした。
<フェニックスアイランド>
国道23号名四国道の高架下脇道を西に進みます。
突き当たりが荒子川公園。
公園の最南端に人工の島「荒子川フェニックスアイランド」があります。
フェニックス(不死鳥)は病害虫に強く長寿なことから、その名前が付けられたとされます。幹は直立し、頂に羽状の葉が集まってついています。なんとなく南の島の雰囲気が漂います。
問4は「この○○○○○ヤシは、昭和50年に姉妹都市ロサンゼルスから送られた種子を市内各所で育成し移植したものです。」
答えは「ワシントン」です。
<名古屋市野鳥観察館稲永ビジターセンター>
十一屋緑地や稲永公園を通って名古屋市野鳥観察館稲永ビジターセンターへ。
風が強く、波も大きく揺れていました、
庄内川沿いに野鳥や魚の説明看板がありました。
問5「藤前干潟で見られる生物です。
○○○○ ヒント:ハゼの仲間
○○○ ヒント:ウの仲間」
答えは「トビハゼ」「カワウ」です。
問題は以上で終了です。
5つの問題のキーワードを並べると、解答は「ハナショウブ(花菖蒲)」となりました。
<トゥーラの戦士像>
南下して金城橋を渡ります。
金城ふ頭には、ロサンゼルス大通、メキシコ大通、南京大路と3つの大通があります。
名港中央インターの近く、メキシコ大通入口に、「トゥーラの戦士像」はあります。
車の往来は多くなく、人通りはありません。かなり寂しい場所なので、この像の存在を知っている人は少ないのではないでしょうか。
トゥーラの戦士像は、昭和53年(1978年)、名古屋市とメキシコ市との姉妹都市提携を記念して、メキシコ合衆国から贈られました。紀元11世紀から12世紀にかけて栄えたトゥーラ・シココティトランという遺跡にある石像のレプリカです。頭には羽毛の頭飾り、胸にはトルテカ特有の蝶の紋章をつけ、一方の手に武具を、他方の手には装身具を持っています。また背面のベルト締め具は、太陽神の顔となっています。
<六朝帝王陵の麒麟像>
メキシコ大通と南京大路との交差点、ポートメッセなごやの南西に、「六朝帝王陵の麒麟像(ろくちょうていおうりょうのきりんぞう)」はあります。この像は、中国の南京市獅子沖にある遺跡から発掘された麒麟像の原寸大レプリカです。昭和57年(1982年)、南京市から名古屋市との末長い友好を祈念して贈呈されました。麒麟は伝説上の縁起の良い獣で、墓前に立て、皇帝が天の意を受けて至上の権威と尊厳を備えていることを示すのに使われていました。トゥーラの戦士像と同様、こちらも目立たない存在です。
メイカーズピアに移動します。
日曜日とあって、レゴランドに行くお客さんで混んでいました。麺類なら早いだろうと思い、「札幌ラーメン 麺屋花道」に入りました。午前11時半ぐらいだったので、私たちの前に1組の家族連れがいただけなので、すぐに座れました。白のトレックさんも私も札幌味噌ラーメン白を注文。赤は合わせ味噌、白は北海道味噌とのこと。
ラーメンなのに提供まで時間がかかりました。
味の方もイマイチ。味噌ラーメンとしてはあっさりしすぎて、コクがない感じです。
私たちが店を出る頃には、入口に行列ができていました。
帰路につきます。
金城西橋の上はふらつくほどの強風でした。庄内川沿いの潮凪線も横なぐりの風。前に進むのに難儀しました。
東海通の紀左エ門橋を潜ってすぐ、新幹線が通過するのを見たら、なんと黄色い車両でした。
ドクターイエローだ!
JR東海のT4は今年1月に引退しましたので、これはJR西日本のT5です。
これはラッキー!!
宮の渡し公園にゴール後、公園の目の前にある『喫茶 宮町』にてティータイム。
名古屋市指定文化財の旧旅籠屋「伊勢久」内に今年3月にオープンした喫茶店です。
ひつまぶしで有名な「あつた蓬莱軒」による運営で、本店はすぐ近く。
店内は江戸時代からの伝統的な建築様式を残した美しい木造の梁や柱があり、レトロ好きにはたまらない歴史ある空間となっています。
東海道をイメージした中庭は、蹲(つくばい、手水鉢(ちょうずばち)のこと)が熱田神宮、灯籠が宮の渡し、奥の壁が鈴鹿山脈を表現しているとのこと。また、東海道の石の道標は、元は滋賀県にあったものを移設したそうです。
白のトレックさんは「オリジナルブレンド珈琲」、私は「カフェオレ」(いずれも700円)をいただきました。ノリタケのボーンチャイナのカップとソーサーで提供され、繊細なデザインと上品な質感が、趣ある空間とともに贅沢な気分をもたらしてくれました。
【サイクリングコース】
宮の渡し公園(午前8時40分) ⇒ 名古屋港ガーデンふ頭 ⇒ 錨の噴水 ⇒ 中川口通船門 ⇒ フェニックスアイランド ⇒ 名古屋市野鳥観察館稲永ビジターセンター ⇒ トゥーラの戦士像 ⇒ 六朝帝王陵の麒麟像 ⇒ 宮の渡し公園・解散(午後1時)
距離:33km
所要時間:4時間20分
【参加者】
白のトレックさん、幹事(まつぼっクリ) 計2人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「6月1日(日) ヒラメキ自転車さんぽ 港区」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html
https://x.gd/Xx9eh