⬛2025(令和7)年5月4日(日)  晴

 千種区は、住環境、商業、自然、教育がバランスよく調和した区です。
 道草と千種をかけて「みちくさ自転車さんぽ」のタイトルとし、千種区内で完結する探訪を企画しました。

 吹上公園に8人の参加者に集まってもらいました。地元千種区の方もいらっしゃいますので、助けてもらいたいと思います。

 吹上公園から市道鏡が池線を東に進み、城木町2交差点の次の道を左折します。ここから日泰寺まで四観音道を走ります。蛇行した細い道が旧道の趣を醸し出しています。

<四観音道説明板>
 日泰寺の西側に千種区役所が設置した説明板があります。
 四観音道は、名古屋城が築かれた時、城の鬼門を守る四方向にあった、
 ・甚目寺観音(あま市、597年創建)
 ・荒子観音(名古屋市中川区、729年創建)
 ・笠寺観音(名古屋市南区、733年創建)
 ・龍泉寺観音(名古屋市守山区、733年創建)
の4つの寺に通じる道のことです。
 江戸時代にはこれら尾張四観音を歩いて巡る、四観音詣(しかんのんもうで)が庶民に人気がありました。
 笠寺観音と龍泉寺観音を結ぶ道が千種区内に残っています。今回はその一部を走りました。

<覚王山日泰寺>
 日泰寺に自転車を止め、境内を散策します。
 日泰寺は、1904年(明治37年)に釈尊(お釈迦さま)の御真骨(仏舎利)を安置するために創建されました。仏教各派が輪番で管理を行う日本で唯一の超宗派の寺院です。
 御真骨はタイ王国より拝受したことから、「日本」と「タイ(泰)王国」から一文字をとり「日泰寺」となりました。「覚王」は釈尊のことです。
 この御真骨の真偽の程は分かりませんが、1898年、インド領から見つかったもので、多角的な考古学調査により、御真骨であることが立証されたと言われているようです。御真骨はインド政庁から仏教国であるタイ王室に寄贈され、タイ国国王ラーマ5世から日本に譲られ、分骨されました。この時、特定の宗派に祀るのではなく、日本の仏教徒がもれなくお参りできるお寺を建立するようにとタイ王国から依頼があり、候補地として京都、東京、静岡などがあがりましたが、最終的に名古屋が広大な土地や建築費用を寄付や譲渡で行うことで名古屋の地に決定しました。

<揚輝荘(北園、南園)>
 日泰寺のすぐ東にある揚輝荘は、昭和初期に建設された、いとう呉服店(後の松坂屋百貨店)の初代社長である伊藤次郎左衛門祐民の別荘です。大正から昭和初期にかけ覚王山の丘陵地1万坪に、建物と庭園がつくられました。当時は、政財界、文化人だけでなく、留学生も含めた国際的な交流の場となっていました。名古屋市を代表する歴史的建造物として、市指定有形文化財に指定されています。
 現在は複数のマンションが建設され、聴松閣(ちょうしょうかく)がある南園と北園に分断され、3千坪に縮小しました。
 聴松閣は、昭和12年に迎賓館として建てられた洋館です。英国や中国等の様式を取り入れた各部屋のほか、地階には舞踏場や壁画があります。特出すべきは長さ170mの地下トンネルがあったことです。私は今年3月の公開日にトンネル入口を見学させてもらいましたが、個人でトンネルを造るなんて、とてつもない富豪だったんだな、と驚きました。
 北庭園は、池を中心とした回遊式の庭園です。修学院離宮の千歳橋を模したといわれる白雲橋、尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室を増築した伴華楼、伊藤家本宅から移築された三賞亭などの建物が残されています。

<四観音道道標>
 四観音道は東山給水塔の敷地で寸断されていますが、その北側に明治時代に立てられたと伝えられる当時の道標が一基残っています。
 石柱には「南 あつた かさでら」
     「北 せと りゅうせんじ」
     「東 やごと ひらばり」
     「西 なごや かち川」などの字が刻まれています。

<千種公園>
 千種公園には、昭和20年の空襲による弾痕を残す造兵廠の外塀の一部が移設保管されています。
 銘板には次のように刻まれています。
「第二次大戦の末期、再度の名古屋空襲はこの地にあった名古屋陸軍造兵廠千種製造所に甚大な被害を与えた。この碑は、その爆撃による痕跡を残す外堀の一部を移設し戦争の記録として残したものである。   昭和六十二年一月 」
 その横には慰霊碑が建立されています。
「ここに涙あり
 されど
 平和は永遠に
   名古屋市長 杉戸清 書 」
 さらに、民間戦災障害者の碑も建っていて、
「痛みを共有し、継承を
 第二次世界大戦中、戦闘機のゼロ戦を生産するなど大軍需都市だった名古屋市は、60回以上の米軍の空襲を受け、街は焼き尽くされ、市民約8000人が死亡、それに劣らない数の人々が重軽傷を負った。
 (中略)
 大戦が終わって70年が過ぎようとしている。壊滅した名古屋の街は市民のたゆまぬ努力によって復興、目覚ましい発展を遂げ、今日では、日本を代表する大都市となった。
 しかし、世界ではいまだに争いが絶えず、惨禍が繰り返されている。
 名古屋市は、市民が再び戦火に巻き込まれることがないようにと願うとともに、空襲で体と心に癒えない傷を負った方々の長年の苦難に思いを寄せ、その痛みの記憶をここに刻む。
 平成26年11月 名古屋市 」
と記されるとともに、炎上する名古屋駅と名古屋城の写真も載せられています。
 今年は戦後80年の節目。戦争の歴史を知り、平和を祈りたいものです。

<水の歴史資料館>
 自転車専用レーンのある道路を折り返し、東山給水塔の北東にある水の歴史資料館へ。
 ここは、名古屋の上下水道の歴史や役割、防災について学べる資料館です。
 屋外に展示されている「歴代マンホールのふた」は、なかなか壮観です。戦前のもの、コンクリート製のもの、世界デザイン博のもの、水道事業100周年のものなど多彩です。マンホールのふたは市町村ごとに特徴があるので、各地を訪れて写真を撮ったり、マンホールカードをコレクションしたりする人も結構いるようです。
 名古屋市の水道は木曽川水系の水で、全国的にも美味しい水だと言われています。受付には給水器があって、冷えた「名水」を一杯いただきました。

<水の丘>
 水の歴史資料館から800mほど北上すると鍋屋上野浄水場です。敷地の一角に水道公園「水の丘」があります。シンボルとして水瓶を持った女性のブロンズ像が設置されています。
 ここから見える第1ポンプ所は、鍋屋上野浄水場が給水を開始した1914(大正3)年から運用された送水ポンプ所で、ヨーロッパ古典期の様式にバロック様式を組み合わせて造られた歴史ある建物です。

<平和公園アクアタワー>
 丘陵地帯の坂道を、少々しんどい思いをしながら上り、平和公園の北側にあるアクアタワーへ。
 1階の受付でアルミ缶入りの「名水」をもらいました。エレベーターで地上40mにある展望室に上ります。タワー自体が標高120mの場所にあるので眺望は抜群です。東の猿投山から南の東山スカイタワー、西の名古屋駅の高層ビル群・鈴鹿山脈まで、名古屋の観光スポットや近郊の山々などを一望することができます。ただ、北側は壁で見えないのが残念。
 無料で、見晴らしがよい。名古屋でもかなりの穴場スポットと言えるでしょう。

 平和公園ではメタセコイア広場による予定でしたが、ランチの時間が迫ってきましたのでパス。
 猫が洞通を下り、広小路通にある「For You 本山店」に行きます。
 オムライスとハンバーグの専門店で、ハワイをイメージしたちょっとお洒落な造りです。
 私は下見のとき、『For Youオムライス』を食べたので、今日は『北海道クリームオムライス』にしました。ライスにコーンやジャガイモが混ざっていて、味付けもよかったです。
 オムライスが税込み1,188円はちょっと高いように思いますが、スープとお茶がセルフサービスの飲み放題なので、適切な価格でしょう。
 スープは、ビーフコンソメ、チキンコンソメ、中華スープの3種類で、お茶は、紅茶、ほうじ茶、煎茶、玄米茶、コーン茶と種類が豊富。私は中華スープとビーフコンソメスープを頂きました。こちらも美味しかったです。
 テーブルと座席が狭かったのがマイナス点でした。

<末森城跡>
 広小路通を西に進むと、城山八幡宮。
 赤い鳥居の横に自転車を停め、階段を上ります。「織田家本城 末森城空堀跡」の案内板があって、空堀跡が城の姿をとどめています。末森城は、織田信長の父信秀が、天文16(1547)年西三河をめぐる今川・松平勢力との争いの渦中に、古渡城から居城を移したものです。標高が四十数メートルあるので、見晴らしがよいです。名古屋の市街地に中世の城跡が良好に残るのは貴重です。
 末森城二の丸跡には、昭和3(1928)年に愛知県が青年の訓育施設として建設した「昭和塾堂」があります。現在は立入禁止となっていますが、その塔は地域のランドマークのような存在です。

<名古屋大仏(桃源寺)>
 本山交差点から四谷通の坂を上ったところに桃源寺があります。この境内に鎮座しているのが名古屋大仏です。表通りからは見えないですが、その大きさと色に驚きます。
 本尊10m、台座高さ5mと全長15mの大仏。青銅製で、全身は鮮やかなグリーンで彩られ、額のホクロ、目、唇、耳には金箔が施されています。
 台座の周辺を僧侶と鹿や象が取り囲んでいる大仏というのも珍しいです。
 大仏が建立されたのは1987年(昭和62年)ですが、当時はこのような色ではなく、2006年(平成18年)に行われた改修の際に全身真緑色になったとか。
 ちなみに、奈良の大仏は、本尊14.98m、台座3.05m、高さ18.03m、鎌倉の大仏は、本尊11.31m、台座:2.05m、高さ13.36mですから、両大仏に匹敵する大きさと言えるでしょう。

<千代保稲荷神社名古屋支所>
 「おちょぼさん」の愛称で知られる岐阜県海津市の千代保稲荷神社の名古屋支所が、名古屋大学の北側にひっそりとあります。
 おちょぼさんは人気のある神社で訪れたことがあるという人もけっこういるでしょう。けれども、名古屋のおちょぼさんはあまり知られていません。本家のように串カツ屋とか土産物屋がある訳でなく、私たちが到着したときも人影はありませんでした。
 名古屋支所は昭和27年(1952)年に名古屋の熱心な信者の願いで創建されたとのこと。
 南側の道路に面した入口から本殿へと続く参道には幾本もの赤い鳥居が連なり、訪れる人を静寂の境内へと迎え入れくれます。都会の喧騒が消えたように感じられる空間です。境内には何種類かの桜があって隠れたお花見スポットですし、今は生垣のツツジが見ごろを迎えていました。

 以上で立ち寄りスポットは終了。地下に名古屋高速が通る道を西進し、吹上公園に戻りました。
 薫風の五月。天候に恵まれた自転車さんぽでした。
 本日の探訪あいちで千種区のディスカバリーができましたでしょうか。何らかの発見をしていただければ幸いです。

【サイクリングコース】
吹上公園(午前8時45分) ⇒ 四観音道(説明板、道標)⇒ 覚王山日泰寺 ⇒ 揚輝荘(北園、南園)⇒ 千種公園 ⇒ 水の歴史資料館 ⇒ 水の歴史プロムナード ⇒ 水の丘(鍋屋上野浄水場)⇒ 平和公園アクアタワー ⇒ 平和公園メタセコイア広場 ⇒ 末森城跡 ⇒ 名古屋大仏(桃源寺)⇒  千代保稲荷神社名古屋支所 ⇒ 吹上公園・解散(午後1時55分)
距離:20km
所要時間:5時間10分

【参加者】
トミカワさん、kuwanaさん、つくさん、所さん、イチローさん、鉄のGIOSさん、ラーメンさん、安城の岡本さん、幹事(まつぼっクリ) 計9人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「5月4日(日) みちくさ自転車さんぽ」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html
 

⬛2025(令和7)年4月26日(土)  晴

 名古屋に60年以上住んでいながら、知らない場所、行ったことがない場所が多いことを実感します。
 天白区の徳林寺にベトナム製の梵鐘と鐘楼があったこと、南区の柴田水処理センターの屋上が庭園になっていたこと、名古屋港にモアイ像があったこと、港防災センターという施設があったこと。
 いずれも昨年初めて知りました。
 こうしたスポットを巡る探訪あいちを企画しました。
 題して、Let’s look into the deep NAGOYA.
 「look into」は、「調べる」「調査する」「覗き込む」といった意味です。ディープな名古屋を、少し手間をかけて知るサイクリングに出発しましょう。

 まずは、天白区の相生山に向かいます。標高10mから60mの3つの台地と2つの谷筋から成り立つ起伏に富んだ地形に広大な雑木林が広がっていて、名古屋市とは思えないような自然景観を残しています。

<葉書塔>
 葉書塔(葉書供養塔とも言います)は、相生山の森の中にひっそりと建っています。この塔には昭和2年新愛知新聞社(現在の中日新聞社)が愛知県の新十名所を募集したときに集まった850万余枚の投票葉書が収められました。
 私が小学生か中学生の頃、「不幸の手紙」という、郵便を用いた悪戯行為がありました。「これを受け取った者は、同じ内容の手紙を一定期間内に不特定多数の人物に送らないと、何らかの不幸に遭う」という内容の手紙または葉書を、不特定の相手、もしくは意図した相手に送って、さらに他の相手へ送ることを促すものでした。これが流行したとき、手紙や葉書をこの葉書塔に収めた人もいたようです。
 今は投函口が封鎖されていて、葉書を入れることはできません。
 塔のそばには、この地が新十名所に選ばれたいわれを記した石碑がありますが、劣化が激しく、刻まれた字がよく見えません。

<徳林寺>
 葉書塔の近くに徳林寺があります。ここは普通の寺とは少し変わっています。展望台のような八角形の鐘楼が建っています。木造二層で高さ9.8mあり、ループ状の階段を上ると、高さが3mもある青銅製の梵鐘が吊るされています。鐘楼も梵鐘もベトナムで造られたもので、デザインはアジアンテイスト。参道には「日越 ベトナム2020」と彫られていたり、木製の小さな像が置かれていたりと、異国の雰囲気があります。
 本堂から年配の女性が出てこられたので、お願いしてシャッターを押してもらいました。お聞きすると、「この寺の者です」。おそらく住職の奥さんだと思います。

 野並から天白川堤防道路を経由して南区へ。
 名鉄名古屋本線のガードを潜って、細い裏道に入ります。これが昔の塩付街道です。

<丹八山公園(塩付街道)>
 小高い丘になっている丹八山公園の西端に「塩付街道」の石碑が建っています。
 かつて、星崎あたりでは、塩の生産が盛んで「前浜塩(星崎の浜の塩)」として知られていました。ここで生産された塩は、馬の背に乗せられて遠く信州塩尻まで送られました。この名残で、南区には前浜通、荒浜町、浜田町、鳴浜町、元塩町、塩屋町、といった町名があります。

 大江川緑地公園のサイクリングロードを西に走って、大同大学と大同病院を通過します。

<柴田水処理センター修景施設>
 柴田水処理センターは、汚水(下水)を適正に処理し河川に放流する施設です。11mの高さがあるビルの屋上に庭園があります。ビオトープや広場がある修景施設として、午前9時から午後5時まで自由に散策できます。静かにのんびり過ごすには絶好の場所です。

<名古屋臨海鉄道>
 名古屋臨海鉄道は、名古屋港東地域で貨物輸送を行う鉄道です。大同大学の西側に本社があります。今日は運良く、青色塗装のディーゼル機関車が停車していて、これをバックに写真を撮ることができました。

<東名古屋港駅>
 名鉄築港線は、大江駅と東名古屋港駅を結ぶ1.5kmの路線です。朝の8時半ばの列車が終わると、午後4時半まで列車は走りません。三菱や東レなど大江町周辺の工場関係通勤客のためのような駅で、通勤時間帯だけの運行となっているのです。
 この駅にはホームがあるだけで改札はありません。大江駅に築港線専用改札があります。
 私たちが到着したときは10時を過ぎていて、ホームには当然誰もいません。
 まさに都会の中の秘境駅と言えるでしょう。

<ダイヤモンドクロッシング>
 東名古屋港駅から東の大江駅方面に線路沿いを500mほど行くと、名古屋臨海鉄道の路線と90度に交差する箇所があります。2本の線路が平面上で十字やX字に交差する構造のことをダイヤモンドクロッシングといいます。線路と線路の交差した間の形がひし形(ダイヤモンド型)になることから、こう呼ばれます。
 愛媛県の伊予鉄道と高知県のとさでん交通の路面電車にダイヤモンドクロッシングがありますが、普通鉄道同士では全国でここだけという大変珍しいものです。鉄道ファンに愛されるレアスポットになっています。
 名古屋臨海鉄道の線路は市道を横切っているので、踏切と警報器があり、「止まれ」の路面標示があります。しかし、線路上には立入禁止の鎖が張られていて、貨物列車は通過できない状態ですし、実際列車が通過することは極めて稀です。無駄な一時停止個所のように思えますが、停止しないと交通違反になるのでしょうね。

<道徳公園のクジラ像>
 南区の道徳公園に行きます。石と擬木で護岸を巡らした池の中(と言っても水はありません。)に鉄筋コンクリート製のクジラ像が鎮座しています。
 道徳公園が開園した1927年(昭和2年)、東海市聚楽園や西尾市刈宿の大仏の作者である後藤鍬五郎が手がけました。全長9.7m、幅3.5m、高さ1.9mと本物の鯨に匹敵する大きさです。噴水なのですが、いつもは水は出ていません。これにはギミック(からくり、仕掛け)があって、池の脇に設置された蛇口のようなハンドルをひねると、背中から潮を吹くように水を噴き上げる仕組みなっているのです。
 このクジラ像は、2010年(平成22年)に名古屋開府400年を記念して行われた、名古屋の隠れた魅力を市民が再発見するという「夢なごや400」事業で、グランプリの「どえりゃあ大賞」に選ばれました。2021年(令和3年)には国の登録有形文化財(建造物)にも登録されました。
 ここで、kuwanaさんが「なぜクジラなの?」。
 私も分かりません。調べてみると、江戸時代の干拓で新田ができるまで、この辺りは「あゆち潟」と呼ばれる海で、クジラやシャチも来ていたらしく、クジラの骨も出たとのこと。地域の記憶として残そうとして造られたのでは、とされているそうです。

 再び港区へ。きらく橋を渡って、名古屋港ガーデンふ頭に自転車を進めます。

<モアイ像>
 モアイ像はチリ領イースター島に存在する人の顔をした石造彫刻です。製作や設置目的が不明で、その数が多いことから「謎の巨石群」と言われています。
 そのモアイ像が、名古屋港ガーデンふ頭にあるのです。
 モアイ像自体が謎ですが、どうして名古屋港にあるのかも不思議です。
 私は昨年まで、この存在を知りませんでした。水族館やポートタワーなど他に見どころが多い場所であるため、存在感が控えめだからかもしれません。
 高さは3.5mほどで、本物の違って目玉のあるモアイ像。塗装が剥がれたあとを見ると、石像ではなく、コンクリート製のようです。浅野祥雲もビックリの模造品です。

 時刻は午前11時40分。混まないうちにランチにしましょう。
 地下鉄名古屋港駅近くの「中華食房 凜(りん)」へ。
 3人とも日替わりランチを注文しました。麻婆なす、焼きそば、サラダ、スープ、ご飯、漬物で、税込み1,000円。食品が高騰している昨今、量もあって、結構お得なランチです。先週、家内と試食に来て、味も良かったし、入店待ちのお客さんもいたので、この店に決めた次第です。

 江川線を北上。港区役所の駐輪場に自転車を停めます。

<港防災センター>
 港区役所に隣接して名古屋市港防災センターがあります。伊勢湾台風や阪神淡路大震災などの過去の自然災害について、写真やジオラマの展示があり、防災対策への理解を深めてもらうことを目的とした施設です。
 1階には、地震体験室や消防服を試着できるコーナーなどがあり、クラシックなミニ消防自動車、そして実際に活躍していた本物の消防ヘリコプター「なごや2」が展示されています。ヘリコプターの後部座席に乗ることができます。
 2階には、台風や津波の3D映像体験、煙体験ができる部屋があります。これらの部屋は昭和30年代の食堂や教室を模して造られており、さながら昭和レトロ博物館の趣があって面白いです。「みなと食堂」にはメニューの食品サンプルがおいてあり、「中華そば 50円」「チャーハン 60円」「中華飯 80円」「カキフライ 150円」となっていました。現在の値段の10分の1です。物価上昇に驚きます。
 いろいろ体験できて、入場無料は嬉しいです。

 当初予定になかった、白鳥公園や名古屋国際会議場の西側を通る市道に行きます。
 今朝の新聞に「ヒトツバタゴ」が見ごろを迎えたとの記事があったからです。
 枝葉に雪をかぶったように小さくて白い花の並木が1kmほど続いていました。
 ヒトツバタゴは、愛知、岐阜、長野、長崎県対馬などの一部の地域に自生しているモクセイ科の落葉高木で、通称、ナンジャモンジャの木と言われています。見慣れない立派な植物を見た昔の人が「何の木だ?」と繰り返すうちに、それを聞いた人が「ナンジャモンジャ?」と言っていると思ったという説です。
 名古屋市では街路樹として植栽されている道が結構あります。

 熱田橋から堀田通にかけて自転車専用帯(自転車レーン)があります。もっと長い距離が整備されることを期待したいですね。

<センポ・スギハラ・メモリアル>
 最後は、愛知県立瑞陵高等学校内の「杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル」です。
 杉原千畝(すぎはらちうね)は第二次世界大戦中の緊迫した国際情勢の時代に、日本政府の方針に逆らって多くのユダヤ人難民にビザを発給し命を救った外交官です。平成30年(2018年)10月、母校である瑞陵高校(旧制愛知県立第五中学校)に、彼の人道的功績を顕彰するため、屋外展示型の顕彰施設が整備されました。
 杉原千畝がユダヤ人家族にピザを渡す等身大のブロンズ像、ビザリストを復元した陶板、杉原千畝の生涯などをまとめたパネルなどが展示されています。
 ちなみに、「センポ」というのは「千畝」の音読みです。ユダヤ人にとっては「チウネ」の発音が難しかったため、「Sempo(センポ)」と呼ばせていたと言われています。

 すっかり葉桜となった山崎川を通ってパロマ瑞穂野球場に到着しました。

【サイクリングコース】
瑞穂公園(午前8時30分) ⇒ 葉書塔 ⇒ 徳林寺 ⇒ 丹八山公園(塩付街道) ⇒ 柴田水処理センター修景施設 ⇒ 名古屋臨海鉄道 ⇒ 東名古屋港駅 ⇒ ダイヤモンドクロッシング ⇒ 道徳公園・クジラ像 ⇒ モアイ像 ⇒ 港防災センター ⇒ センポ・スギハラ・メモリアル ⇒ 瑞穂公園・解散(午後2時3分)
距離:41km
所要時間:5時間33分

【参加者】
kuwanaさん、T-kuchanさん、幹事(まつぼっクリ) 計3人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「4月26日(土) Let’s look into the deep NAGOYA」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html
 

⬛2025(令和7)年4月12日(土)  晴

 本日は名古屋市東南部の桜スポットを巡る探訪あいちです。
 桜(ソメイヨシノ)の満開から8日経ち、瑞穂公園や山崎川では半分以上葉桜となっています。見頃は過ぎていますが、明日は一日雨の予報なので、今日が今春の見納めのお花見なるでしょう。

 晴天の下、パロマ瑞穂野球場を参加者5人で出発。可和名橋近くの桜は、緑の葉があるものの、まだ花がしっかり残っています。
 建設中のパロマ瑞穂スタジアム前で最初の写真撮影。来年の4月には桜花爛漫の中に新スタジアムが完成しているでしょう。

<弥富公園>
 瑞穂運動場東駅近くの「八勝通3」の交差点から弥富公園までの道路は桜並木になっています。満開なら桜のアーチが見事です。その先の弥富公園は中央にグランドがあり、それを囲むように桜があります。瑞穂区では隠れた桜ストリートです。

 いったん瑞穂公園に戻り、ラグビー場から山崎川沿いを落合橋に向かいます。
 弥富通を横断して、南に行くと、細い道に入り、やがて小さな橋を渡ります。「塩付橋」のプレートがあります。ここは、かつての塩付街道の一部です。その名は、鳴海や星崎付近の塩田でつくられた塩を信州塩尻方面に運ばれたことに由来します。
 東海通を横断。桜本町の名称のとおり、名鉄名古屋本線の踏切から天白川まで桜並木が続く道です。

<きんさんざくら・ぎんさんざくら>
 小高い丘の上に広がる笠寺公園に至ります。
 見晴らしのよい一角に2本の彼岸桜の木と「きんさんざくら・ぎんさんざくら」と書かれた石碑があります。
 1991年~1992年にダスキンのテレビCMに登場し、「きんは100歳、ぎんは100歳」のフレーズで全国的に有名になった双子の長寿姉妹、成田きんさんと蟹江ぎんさんを記念した桜です。
 この桜は有名な岐阜県本巣市の薄墨桜の若木を移殖したものです。薄墨桜は樹齢1500年を超える国の天然記念物ですが、長寿ということが縁で平成12年(2000年)にきんさん・ぎんさんの地元南区に寄贈されました。当初は南区役所に植えられてましたが、木が大きく成長したため平成25年(2013年)に笠寺公園に移植されました。南区役所には代わりにキンモクセイとギンモクセイが植えられています。
 「きんさんざくら・ぎんさんざくら」は早咲きなので既に完全な葉桜になってしまいましたが、笠寺公園にはソメイヨシノもたくさん植えられていて、こちらをバックに写真を撮りました。

 天白川への途中、村上社に寄ります。この境内には、名古屋市内では最大級、樹齢千年といわれる巨大なクスノキがあります。

<天白川の桜並木>
 天白川の堤防沿いを彩る桜並木。音聞橋から天白橋までの1.5キロほどに、川沿いを点々と彩る桜の風景は、春の天白川の魅力です。
 ユキヤナギの白と桜のピンクのコラボレーションも素敵です。
 天白橋の袂には、地元の方が育てたであろう、チューリップなどの春らしいカラフルな花々が植えられ、爽やかな青空と絶妙に調和しています。
 満開を過ぎて桜吹雪が舞い降り、ピンクに包まれる道を進んでいきます。

 天白川から国道153号(飯田街道)へ。塩釜口から八事までの道は上り坂。ちょっときついです。

<八事山興正寺>
 興正寺の境内には、約100本の桜が咲き誇ります。ヤマザクラを中心として、ソメイヨシノや四季桜、ヤエベニシダレなどの品種があります。本数自体は少ないものの、注目したいのが五重塔とのコラボレーションです。
 境内の中心に立つ五重塔は文化5年(1808年)に建立され、国の重要文化財に指定されています。渋い色の五重塔を彩る桜色の華やかさ。春の京都を思わせる景色を見ることができます。

<味岡山香積院>
 飯田街道を進み、中京大中京高校の近くにあるのが、香積院(こうじゃくいん)。特徴的な丸い山門と本堂の間に、樹齢100年を超える一本の枝垂れ桜があります。ソメイヨシノよりも1週間ほど早く開花するため、既に葉桜になっていました。
 花が咲き誇っているときなら、たった1本なのに、凛とした美しさ、存在感を感じることができるでしょう。枝ぶりが趣深く、どの角度から眺めても絵になります。また、山門の外側から見た桜も、素晴らしいです。実際、下見走行で寄ったときは、この桜を写生している人がいました。
 名古屋には意外と桜の隠れ名所、穴場的なお花見スポットが多いと実感します。

<川名公園>
 飯田街道は川名公園を整備するために廃止されました。しかし、「何らかのかたちで飯田街道を残してほしい」という地域の要望を受けて、道路の形をそのまま生かし、園路が整備されています。園内には本数は少ないですが、桜があります。

 山王通を西進し、鶴舞公園に向かいます。

<鶴舞公園>
 鶴舞公園は、ソメイヨシノなど約750本の桜があり「日本さくら名所100選の地」に選ばれている名古屋を代表する桜の名所です。明日まで「桜まつり」が開催中で、屋台やキッチンカーが出店していて、たくさんの見物人で賑わっていました。
 ここで昼ご飯にします。
 探訪あいちを企画した段階ではランチの場所を決めていませんでしたが、テレビ情報番組で紹介されていた「SD FOOD MARCHE」に行ってみることにしました。2023年5月に鶴舞公園内にオープンした、肉のスギモトが経営する店です。
 から揚げ定食750円、牛鍋(すき焼き)定食1300円と、お手頃プライスです。肉の専門店とあって味もグッドでした。

<STATION Ai>
 鶴舞公園の南、元々愛知県勤労会館があった場所に2024年10月に開業した日本最大級のオープンイノベーション拠点です。新規事業創出を目指す企業向けのオフィスの提供が中心ですが、カフェ、レストラン、ホテルもあり、一般の人も利用できるので、食事をしている家族連れもいました。2階には「あいち創業館」があり、愛知県にゆかりのある革新的な事業を興した創業者や経営者の業績などを見学しました。

 あまり知られていないですが、鶴舞公園には昭和12年(1937年)に東山動植物園ができるまで、動物園がありました。現在は当時の通用門の門柱が残っています。

<八幡山古墳>
 八幡山古の説明板には、5世紀前半~中頃築造され、墳丘の直径は約84m、高さは11.5m、濠底の幅は平均8mであり、東海地方最大の円墳であると書かれています。
 古墳のまわりは堀になっていて、円墳を囲むように桜が並んでいます。
 鶴舞公園東端に位置していて、花見客が少なく、穴場的存在ともいえる桜スポット。私はこちらの桜の方が静かに観賞できて好きです。
 残念ながら、ほぼ葉桜になっていました。

 山崎川に行く途中、女子バスケットボールで有名な桜花学園高校があります。校名のとおり、立派なソメイヨシノが植えられています。
 御器所から塩付街道に入ります。狭い道幅、蛇行した道なりに、古道の名残があり、街道沿いに2軒の蔵も残っています。藤成神明社の前には「塩付街道」の説明板が立っています。
 藤成通から山崎川へ。

<東山荘>
 東山荘は、綿布問屋であった伊東信一氏の別荘として、瑞穂区の山崎川の東岸台地に建てられたものです。伊東家の山荘という意味で「東山荘」と命名されました。
 私は最初は「ひがしやまそう」だと思っていましたが、「とうざんそう」と読みます。
 庭園は無料で見学できるので、管理事務所に申し出て入らせてもらいました。
 東山荘のメインは、茅葺の正門と銅板葺の塀です。事務所の女性職員に集合写真を撮ってもらいました。彼女によると、東山荘はちょうど築100年を迎えたところ、敷地は3,600坪、茅葺きの葺き替えには1000万円かかること、桜は終わったが四季折々の樹木があること、山崎川沿いは賑やかだが静かな落ち着いた場所であること、など話してくださいました。

<山崎川四季の道>
 山崎川沿いには、約2.5kmにわたって約600本のソメイヨシノが咲き誇ります。
 鶴舞公園と同様、「日本さくら名所100選」に選ばれている山崎川の桜並木ですが、以前に比べると桜のボリュームがなくなってきたように感じます。
 桜にも寿命があります。山高神代桜は2000年、ヤマザクラは200年から300年程度、しだれ桜は100年以上、ソメイヨシノは60年程度とされています。
 山崎川のメインもソメイヨシノで、植えられてから長い年月が経ち、弱った桜が多くなったことから、名古屋市では令和2年度より、桜の植え替えを行っています。倒木の危険がある桜を伐採し、病気に強いジンダイアケボノという若い桜の木を植樹しています。若い桜が大きく育ち、立派に花を咲かせれば、また勢いある桜並木になるでしょう。
 すでにかなりの桜の花が散り始め、代わりに緑の新芽が芽吹いています。花びらが道路に舞い落ち、ピンクの雪のようで綺麗です。川面に目をやれば、ゆったりと流れる水とともに花びらが漂っています。
 瑞穂児童館の近くには、サトザクラが4種、咲いています。『関山(かんざん)』は濃紅色、『御衣黄(ぎょいこう)』は黄緑色、『鬱金(うこん)』は淡黄緑色、『楊貴妃(ようきひ)』は濃いピンクと、それぞれに色合いが違い、趣があります。その隣の『河津桜』はすっかり葉桜になっています。『ひゅうがみずき』はシダレザクラに似た感じです。
 桜は短い間しか咲きません。だからこそ、一瞬の美しさを楽しむことの大切さを教えてくれます。

 午後2時過ぎ、パロマ瑞穂野球場に到着。10か月ぶりの探訪あいちを無事に実施することができました。参加者の皆様、ありがとうございました。

【サイクリングコース】
瑞穂公園(午前8時55分) ⇒ 山崎川 ⇒ 弥富公園 ⇒ きんさんざくら・ぎんさんざくら(笠寺公園)⇒ 天白川の桜並木 ⇒ 八事山興正寺 ⇒ 味岡香積院 ⇒ 川名公園 ⇒ 鶴舞公園 ⇒ ステーションAi ⇒ 八幡山古墳 ⇒ 山崎川 ⇒ 東山荘 ⇒ 瑞穂公園・解散(午後2時05分)
距離:31km
所要時間:5時間10分

【参加者】
稲葉栄二さん、高浜の石川です。さん、白のトレックさん、じぇーむず・でぃーんさん、幹事(まつぼっクリ) 計5人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「4月12日(土) 名古屋お花見自転車さんぽ」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html

 

⬛2025(令和7)年10月1日(水) 雨のち晴ときどき曇

 本日、2025年10月1日からアメーバでブログを始めることになりました。
 ニックネームは、まつぼっクリ。
 サイクリングとウォーキングとサッカー観戦が好きな、花の中三トリオ(桜田淳子、森昌子、山口百恵)世代のシニアです。
 愛知県サイクリング協会の会員で、定年退職するまでは職場の陸上競技部に所属してマラソンをやっていました。
 タイトルの『車輪の上で』は、ドイツの文豪ヘルマンヘッセの名作『車輪の下』をもじったものです。
 当初は『車輪の上』にするつもりでした。
 ところが、念のためネットで調べてみると、なんとこの題名の小説がありました。『五体不満足』で有名な乙武洋匡氏がこの題名で小説を出版していたのです。
 そこで、若干パクりの面もありますが、『車輪の上で』のタイトルにした次第です。
 乙武氏の小説は、大学を卒業した車椅子の青年がひょんなことからホストになり、「障害者」というレッテルに振り回されながら、成長していく内容です。
 私は、サイクリングのレポートを始めとして、自転車の上で考えたこと、思ったことを記していきたいと思います。
 気取らず、気張らず、自然体で続けることができればいいと思っています。