■2025(令和7)年10月18日(土) 曇一時小雨

 へぇ~
 なるほど
 すごいですね
 参加された皆さんから、感嘆の声が絶え間なく出ました。

 ここ、名古屋郷土二輪館は、館主である冨成一也さんが、メイド・イン名古屋・愛知を中心としたオートバイと自転車の現物、それらに関連する写真、設計図、ポスター、ホーロー看板等の資料を展示している私設博物館です。
 冨成さんは30歳の頃から、40年以上に渡って全国各地を巡ってコレクションされました。なかには、10年、20年かかって、所有者から、所有者が亡くなったあとはその家族から、譲ってもらったものもあるそうです。そして、定年退職を機に2015年(平成27年)6月6日に、自宅のガレージを改装して名古屋郷土二輪館をオープンしました。

 1階はオートバイ。
 みづほ自動車製作所の「キャブトン」やトヨモータースの「トヨモーター」など、バイクメーカーの車両が18台ほどが展示されています。さらに、トライアンフやBSAなど、古い英国車のパンフレットや名古屋TTレース、津島で行われていたレース資料や写真も壁一面にありました。
 ホダカ(株式会社穂高工業所)はアメリカに輸出していて、特にトレールバイクが人気でした。会社がなくなった今でも、アメリカではホダカの熱心なファンがいるそうです。
 日本のバイクメーカーといったら、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4メーカーだと思っていたので、愛知・名古屋にバイクメーカーが80社もあったことは大変な驚きです。ただ、それらは皆中小企業で、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風により壊滅的打撃を受け、大手メーカーの台頭とともにすべてが消えてしまいました。

 2階は自転車。
 実用車が中心で、名古屋の岡本自転車のノーリツ号やグランパス号、三菱重工津工場の三菱十字号など、23台ほどが展示されています。
 紳士用と婦人用ではフレームの形状が異なり、ハンドルの幅にも違いがありました。
 シートチューブには自転車を持ち上げるための折りたたみ式の取っ手が付いていました。重たい自転車を土間に運び入れるための仕組みだったそうです。当時はスチール製のため30kgくらいありました。今の電動アシスト自転車並みの重量でした。軽いアルミ製の自転車をつくったのは、岡本自転車だったそうです。

 自転車本体だけでなく、パーツも充実しています。
 クランクには、ブランドを象徴するロゴが形になっています。グランパス自転車(岡本自転車)は鯱、日米富士自転車は富士山、ツバメ自転車(新家工業)はツバメ、宮田自転車はギヤエム、が施されています。当時の自転車はチェーンカバーが付いているのが一般的でしたが、クランク部分だけ透明のセルロイドになっていて、ロゴが見えるようになっています。

 ランプ(前照灯)は当初はロウソクでした。提灯のような形です。実際、自転車から外してランタンとして使用していました。その後、ガスや軽油が使われるようになり、電池式になりました。単一とか単三のように電池の規格がなかった時代、ナショナル(松下電器)は大型の電池を開発し、30時間使用可能なランプを作りました。欧米製のランプは装飾が施され、芸術品のようです。

 大正、昭和初期の実用自転車は、風切り(フェンダーマスコット)やヘッドマークなど飾りが多く、豪華でした。当時の自転車は、富裕層しか所有することができない贅沢品でした。現代なら、ベンツやレクサスを買うようなものです。自転車店では月に4台売れれば、店の家族が生活できたそうです。
 初耳だったのは、初期の自転車は、時計屋が販売していたとのこと。

 風切りは、自転車の前輪泥除けの先端に装着されていたアイテムです。これが付いているからといって、自転車の速度が速くなるわけではありません。いわば自転車のステイタスシンボルです。
 現在、高級車のベンツやジャガーのボンネットにまだ見かけますが、自転車の場合は昭和40年代にフロントカゴの取り付けやコスト削減、機能性の追求で消えてしまいました。

 ヘッドマーク(ヘッドバッチ)は、フレームの頭管(ヘッドチューブ)の前方に付ける金属製の飾りです。
 昔の特急列車や急行列車の先頭部に取り付けられていた、列車の愛称を文字やイラストで示したものや、自動車のフロントグリルにあるエンブレムと似ています。
 昔の自転車は同じメーカーでもブランドや車種などによって異なっており、非常に手の込んだ装飾が施されていて、ランプや風切りと同様、美術品のようです。

 「自轉車鑑札」は、自動車のナンバープレートのようなものです。明治時代から自転車や荷車には税金がかけられ、自転車荷車税を納めた際に発行されました。ハンドルバーやサドルに取り付けられていました。泥よけに付ける縦型タイプもありました。昭和33年(1958年)にこの税は廃止され、自轉車鑑札も消えていきました。

 珍しいのは、「扇子差」。扇子を着物の袖に入れていたり、腰に差していたりすると自転車を漕ぐ際に邪魔になるので、ハンドルに扇子を刺しておくアタッチメントです。昔の人は自転車に乗るときも粋だったのですね。

 ほかにも、ベルやペダル、ホイールなど紹介できないほどの様々なパーツのコレクションがありました。

 自転車は今も昔もアッセンブル製品です。愛知・名古屋にはオートバイ同様、パーツメーカーも含め130社も自転車関連企業があったそうです。しかし、この地域では岡本自転車もツノダ自転車もなくなり、産業としては衰退してしまいました。

 冨成さんは10年前の開館の際の挨拶で
「企業でも行政でも失われた二輪メーカーの製品の系統的な収集、保存を考えてはいないと思います。しかし、私が見てほしいのは昭和の時代を中心に、自転車やオートバイに夢を乗せ作り続けた人々のヒストリーです。1台のオートバイ、一枚の写真を通してエピソードやどんな物語があったのか感じとっていただきたいのです」
「30数年に渡って一つ一つ集めたのは、オートバイや自転車、その関連資料ばかりでなく、むしろ出会ってきた人々の証言こそが一番貴重であり、そのことを一つ一つ紡ぎ、名古屋二輪物語として語り伝えていきたいのです」
と言われています。

 当館は大変狭いところなので、見学者が4人もいると窮屈な状態です。さっと見れば見学は10分とかからないでしょう。
 館長さんがエピソードを交えながら展示物を熱心に説明してくれ、私たちも時間を忘れて聞き入り、500点を超えるコレクションに魅了されました。明治、大正、昭和と過去の二輪の世界にタイムスリップしたかのような気分を味いました。

 一つ心配がありました。コレクションの中には、シマノ自転車博物館にもない物もあるでしょう。これらを継ぐ人がいるのでしょうか。
 館長さんに聞くと、息子さんはまったく関心がないとのこと。館長さんが亡くなったあと、現物や資料はどうなってしまうのでしょうか。
 このようなものは一か所に集まって、見比べてこそ、その価値が増すものです。散在してしまうと、多くの人の目に触れられなくなります。また、語り部も必要です。一つの物に秘められた故事来歴を知る人がいなくなると、価値が半減してしまいます。
 市町村の歴史民俗資料館のような施設が引き継いでくれれば、と念願します。

 9時50分に到着して二輪館を出たのは午後1時20分。見学予定時間を1時間半以上オーバーしてしまいました。

 ランチは館長さんに教えて頂いた「一番亭阿久比店」にて。皆さん、タンタン麺や味噌ラーメン、天津飯などで空腹を満たしました。私が食べたタンタン麺はマイルドな辛さで美味しかったです。

 なお、往路のトイレ休憩で立ち寄った「水の生活館」では、『あいちの水』とダムカードを頂き、ちょっと得した気持ちになりました。

【サイクリングコース】
日本ガイシホール(午前8時) → 天白川堤防道路 → 千鳥橋 → 東海市しあわせ村 → 大池公園 → 東海市役所 → 長曽橋西 → 佐布里パークロード → 水の生活館前 → 深田脇交差点 → 草木交差点 → 名古屋郷土二輪館 →〔昼食〕→ <折り返し・往路と同ルート> → 日本ガイシホール・解散(午後3時30分)
距離:44km
所要時間:7時間30分

【参加者】
大安の西川さん、kuwanaさん、つくさん、幹事(まつぼっクリ) 計4人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「10月18日(土) 名古屋郷土二輪館」を御覧ください。

https://hasirenai.com/photo-index2025.html

https://x.gd/lYdxy