■2025(令和7)年10月12日(日) 曇

 テレビ塔は誰でも知っているでしょう。
 では、ラジオ塔はご存じでしょうか。

 今年は日本でラジオ放送が始まって100年の節目になります。
 1925(大正14)年3月に東京で放送開始。同年6月から大阪で、7月には名古屋で放送が始まりました。

 ラジオ塔は、ラジオの電波を出す塔ではなく、「街頭ラジオ」のことです。
 ラジオが一般家庭に普及してなかった時代に、誰でもラジオ放送を聴取できるように全国の公園や広場などの公共空間に設置された、ラジオ受信機とスピーカーを内部に収めた塔です。
 名古屋市内には志賀公園、中村公園、松葉公園の3基が現存し、道徳公園には台座のみが残されており、戦前の市民の生活文化を今に伝える貴重な遺構となっています。東海三県でも現存するラジオ塔は名古屋市内の4か所だけです。

 今回の探訪あいちは、道徳公園を発着地とし、志賀公園、中村公園、松葉公園を巡ります。
 道徳公園に残るラジオ塔の台座は、バスケットボールコートと広場の間にあります。4つの四角い穴がある、四角いコンクリートの塊にしか見えません。説明板もないので、ここにかつてラジオ塔が立っていたとは誰も気づかないでしょう。

 出発しましょう。
 堀川沿いの道を北上します。
 宮の渡し公園を過ぎたところで、ブロンプトンの集団とすれ違いました。6~7台いたでしょうか。お互いに挨拶しました。
 景雲橋北の外堀にある堀川駅跡に立ち寄ります。
 ここには昔、瀬戸電気鉄道の終着駅がありました。瀬戸から運ばれてくる陶磁器などの貨物を受け入れ、堀川を使って船で運んでいたのです。1976(昭和51)年に堀川駅は廃止され、起点は名鉄栄町駅へと引き継がれました。

 さらに北に進むと、お城のような巨大な建物が現れます。
 今月オープンしたばかりの「エスパシオナゴヤキャッスル」。かつての名古屋キャッスルホテルが、名古屋城の景観を望むラグジュアリーホテルに生まれ変わりました。料金は1泊20万円から。スイートルームは1泊300万円と、自動車が買える値段です。国内外の超富裕層をターゲットにした超高級ホテルですから、庶民には縁がないですね。

 名城公園内の「IGアリーナ」前でも記念撮影。こちらも今年7月にオープンしたばかりの愛知国際アリーナです。隈研吾氏が外装と一部内装の意匠デザインを担当したそうです。外側を取り囲む樹形アーチは名城公園の樹木と調和するデザインを目指したとのことですが、素人には余分な飾りにしか見えず、後々のメンテナンスが大変だろうな、と思ってしまいます。

 大津通を北上して、志賀公園に到着。公園の中央付近に、ラジオ塔はひっそりと立っています。
 4柱のタワー型、コンクリート造で神社の灯篭に似た形をしています。高さは2.5m~3mくらいでしょうか。
 説明板には次のとおり書かれています。

「ラジオ塔
 ラジオ塔は昭和5年以降、ラジオ放送を市民が自由に聞けるようにと日本各地に設置されるようになりました。
 志賀公園には、昭和17年に名古屋市西志賀土地区画整理組合の寄附により設置されました。
 塔の上部に受信機やスピーカーが置かれ、塔の周りで市民が放送を聞いていました。
 市内には10か所ほど設置されていましたが、現在は志賀公園の他に中村公園、松葉公園に当時のラジオ塔が残されています。             名古屋市 」

 塔上部に設置されていたスピーカーなどの機械は今はありませんが、戦前の市民の生活文化を今に伝える貴重な遺構となっています。
 北條さんから「ラジオのスイッチは誰がやってたんだろう?」と訊かれました。
 「わかりません」
 後で調べてみると、現代のように24時間放送ではなかった時代ですから、電源を入れっぱなしにしていたとは考えにくいので、担当者の手でON/OFFされていたのではないかと思われます。一部には、自動スイッチで一定の時刻だけ放送が流れるもの、電波を受信するとスイッチが入り、電波が切れるとスイッチが切れるようにするものがあったそうです。

 ラジオ塔の西横には、織田信秀と信長の2代に仕えた武将、平手政秀宅跡があります。
「平手政秀宅跡
 ここ志賀の地を領した平手政秀は、織田信秀の子、信長の補佐役をつとめた。信長はかねてから行状が悪く、政秀は日ごろからこれをいさめていたが、父信秀の死後も一向に改まらなかった。天文二十二年(1553)正月十三日、信長の将来を絶望した政秀は、この地で自害した。信長はその死を哀惜し、一寺を建て、秀政寺と号して厚く菩提を弔った。                   名古屋市教育委員会 」
 志賀公園は、平手政秀宅跡に造成された公園であることがわかりました。

 次は枇杷島公園を経由して、中村公園へ。
 公園に隣接する名古屋競輪場にはBMXレースコースが新設されていました。来年のアジア大会の会場にもなる予定です。
 中村公園には、江戸時代初期の歌舞伎役者、初代中村勘三郎生誕記念碑があります。中村勘三郎が名古屋中村出身という説があることから設置されたものです。
 さらに、来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送を契機に、「豊臣兄弟! 名古屋中村大河ドラマ館」を始めとする複合施設「豊臣ミュージアム」が建設中でした。豊臣秀吉・秀長兄弟生誕の地である名古屋中村の魅力を全国に発信し、観光を推進しようという目論見のようです。

 中村公園のラジオ塔は豊國神社と瓢箪池(ひょうたんいけ)の間にあります。
 こちらは茶色っぽく、上部の機械類が置かれていたところのカバーが残っています。説明板には昭和17年に名古屋市東宿・日比津土地区画整理組合の寄附により設置とあります。

 中井筋(惣兵衛川)遊歩道を通って南下し、松葉公園へ。
 ここに残るラジオ塔は、野球場の脇にあります。説明板には昭和18年に名古屋市篠原・四女子土地区画整理組合の寄附により設置されたとあります。志賀公園や中村公園と異なり、4柱ではなく、太い四角形の土台です。
 3か所のラジオ塔を比べてみると、中村公園のものが一番状態がよく、松葉公園のものが一番劣化が進んでいるように思いました。

 戦後、昭和20年代、ラジオの小型化と普及により、ラジオ塔はほとんどが撤去されました。
 ラジオ塔は過去のものとなり、忘れられていきました。私自身、その存在を知ったのは昨年の2月のことです。
 テレビの普及に役立った「街頭テレビ」も、アイデアのもとはラジオ塔であったと考えられるでしょう。現在、スポーツ中継などのパブリックビューイングや繁華街のビルの壁面に付けられた大型ディスプレイなどに、かつてのラジオ塔の在り方を引き継いだ姿が見られます。
 テレビ放送もアナログ放送からデジタル放送に移行し、東京タワーや名古屋テレビ塔など、アナログ放送のテレビ塔が役目を終えたのも時代の流れといえます。

 ランチは松葉公園近くの『鯱ひげカフェ』にて。あんかけスパゲッティや鉄板ナポリタンの店です。混雑する前でしたので6人がちょうど座れました。
 ホリデーランチメニューは、Aスパゲティランチ、Bナポリタンランチ。C〜Dは、ミックスフライ、ピカタ、田舎風カラアゲから選べて、パンかライスを選択できます。私はナポリタンランチ(1,287円)を注文。名古屋風の鉄板ナポリタンにサラダが付いています。味はごく普通でした。

 八熊通で白のトレックさんは途中解散。5人が道徳公園にゴール。
 前日の天気情報では雨の予報サイトもあったので、レインウェアを準備していましたが、使うことがなくてよかったです。

【サイクリングコース】
道徳公園(午前8時30分) ⇒ 名城公園(北区)⇒ 志賀公園(北区)⇒ 枇杷島公園(西区)⇒ 中村公園(中村区)⇒ 松葉公園(中川区)⇒ 道徳公園・解散(午後12時45分)
距離:34km
所要時間:4時間15分

【参加者】
稲葉栄二さん、本田智久さん、白のトレックさん、北條さん、所さん、幹事(まつぼっクリ) 計6人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「10月12日(日) 名古屋のラジオ塔めぐり」を御覧ください。

https://hasirenai.com/photo-index2025.html

https://x.gd/IgSSK