◆2026(令和8)年3月28日(土) 晴

 名古屋のソメイヨシノ満開日は、まさしく本日です。豊田でも同じぐらいだと思います。ただ、見学場所は標高が高いところなので、満開は少し遅いかも知れません。しかし、まったく咲いていないことはないでしょう。

 豊田スタジアムのサッカーボールのモニュメント前をスタートし、国道301号を南東に進みます。
 豊田松平ICを過ぎ、松平橋を渡ると国道の新しいバイパスの坂が始まります。そして2020年1月に竣工した松平トンネルに入ります。車道と歩道がきっちり分かれていて、照明も明るいので安心です。安全を考慮して歩道を走ります。
 820mのトンネルを抜け、階段を降りると大給城の看板があります。
 およそ500mの急坂。私は最初から自転車を押して上ります。他の方は勢いよく駆け上がっていきました。しかし、何人かは途中で自転車から降りました。
 傾斜計(勾配計)を持っている方が「19%もある!」
 歩いていても息が上がります。
 大給城入口前の駐車場に自転車で辿り着いたのは半数でした。

 駐車場には車は停まっていません。私たちだけのようです。ここからは山道を歩いて上ります。

<大給城>
 「大給城」
 この漢字を「おぎゅうじょう」と読める人は少ないのではないでしょうか。私も読めませんでした。ふりがなが必要です。
 大給城は、愛知県の山城の中で城マニアに注目の城です。徳川家の祖・松平氏ゆかりの城で、松平氏館跡、松平城跡、松平氏の菩提寺・高月院と合わせ「松平氏遺跡」として国史跡に指定され、その石碑も建っています。
 オフロードを登っていくと、「虎口」の立て看板があります。「こぐち」と読み、城郭における城兵の出入口のことです。
 大給城跡には堀や土塁、尾根を断ち切り攻め手の動きを遮断する巨大な堀切や竪堀など、魅力的な遺構が数多く残っていて、見応えがあります。
 特に目を引くのが、至るところにある巨大な岩や石垣です。山の斜面にある岩を櫓台として使用したり、地表から露出している岩盤を石垣の基礎としているものもあります。
 「水の手曲輪(てくるわ)」は、石垣で造られたダムのようなもので、水がたまる仕組みになっており、飲料水として活用されていました。
 石垣の中にはかなりの高さのものも見られます。
 1500年代の後半、クレーンもブルドーザーもなかった時代に、どのようにして石垣や館を築いたのでしょうか。しかも、標高204mの山の上です。先人の技術や工夫、そして忍耐強さに驚きを禁じ得ません。
 城跡からは豊田の町並みや高速道路の橋が一望できます。
 桜の木も何本があって、少しだけ花びらが開いていました。満開なら素晴らしい景色だったと思います。城や城跡と桜は絶妙にマッチしますから。

 息を切らしながら歩いた坂を、今度は自転車で一気に下ります。
 しかし、それもつかの間のこと。国道を横切って、またまた上り坂が現れます。標識の勾配は10%。なんとか自転車で上れますが、800m程のスネイクロードはしんどい!

<松平城山城そのまんま公園>
 少し変わった名前の公園です。おそらく自然の地形を活かし、最小限の整備にしているからでしょう。

 「忍たま乱太郎がいる!」
 駐車場横の立派な桜の木の下に青色の忍者装束が見えました。若い女性2人です。
 頭巾も服も手作りだそう。
 「写真撮ってもいいですか?」
 「(SNSに)上げなければいいですよ」

 駐車場には何台か停まっていました。ボーイスカウトらしき団体もいました。
 この公園のメインは枝垂れ桜です。ただ、見頃はまだ少し先のようです。標高が高い場所なので平地よりも遅いと思われます。
 なお、名称にある松平城は、桜が咲いている場所よりさらに奥に登ったところにあります。

<B29友好碑>
 王滝渓谷に近い細い道を進むと、仁王川に出ます。川沿いに立つ桜は十分に咲いていました。
 川沿いを西に進むと、道路脇に「B29の里」の立て看板があります。畑の奥にひっそりと立つのがB29友好碑です。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月3日、アメリカの爆撃機B29が日本軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」に体当たりされ、この地に墜落しました。乗員12人のうち11人が死亡。パラシュートで逃れた1人が捕虜となりました。B29友好碑は、歴史認識の継承と戦争の悲惨さ、平和の発信基地として2010年(平成22年)に建立されたものです。
 ちょうど農作業中のおじいさんがいて、シャッターを押してもらいました。

 ここからは先はペダルを漕ぐ必要のない下り坂。結果、対向車はなかったものの、ブラインドカーブでは注意しなければなりません。

 巴川沿いの県道39号線を走ります。
 再び松平橋を渡り、国道301号線沿いの東海環状自動車道高架下に行きます。
 「Kitchen&Bar和のん」というお店があります。

<昼食>
 正午前でしたので混んでいるかも知れないと思いましたが、ちょうど8人が座れる席が空いていました。
 「体もよろこぶ美味しい料理」という謳い文句のとおり、無農薬野菜や、松平特産のしいたけ、大豆ミート料理、地元の食材や自然食を中心としたランチが食べられます。
 メニューは「和のん膳」「松平しいたけ味噌カツ定食」「大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食」「奥三河鶏やわらかムネ肉唐揚げ定食」など(いずれも1,800円)があり、ご飯は、白米、玄米、黒ごま炊き込みご飯の3種類から選べます。お茶も薬膳茶で、ヘルシーそのもの。そのためか、女性客が多く、シニア男性軍団には少し場違いな気もします。
 私は、大豆ミートと豆腐ハンバーグ定食を注文。美味しくいただきました。
 せっかくの食事ですので、美味しい料理を食べたいものです。食べることは栄養を摂取するだけでなく、楽しみや喜び、癒やしにもつながりますから。

 お腹と心を満たして、出発。
 国道から外環状線へ。最後の上り坂です。脚力ある人は先に行ってもらい、私はマイペースでえっちらこっちらラペダルを回します。
 豊田市街地に向かって進み、寺部町へ自転車を進めます。

<旧松本家長屋門>
 県道343号線を横断する手前の公園に枝垂れ桜が植えられているのですが、こちらは既に葉桜になっていました。この公園は旧寺部小学校の跡地に作られたものだそうです。
 交差点を渡って北上すると、豊田市内に残る数少ない江戸時代の遺構として貴重な旧松本家長屋門があります。
 ここは、元々は、徳川家康の天下平定後、寺部地区に領地を与えられた渡辺家の家臣であった松本家のものでした。
 長屋門は、門の両側に長屋のように部屋が連なる建物で、上級武士や苗字帯刀を許された農家の屋敷の入口に置かれたと言われています。
 年配の男性ボランティアが常駐していて、施設の案内や説明をしてくれました。
 ここは三河の地ですが、尾張藩に所属していたとのこと。門番の部屋や馬屋のある西側半分は幕末期に建てられ、土間や座敷などの東半分は明治時代に増築されました。馬屋は飼い馬の部屋で、大部分に床板が張ってあり、床下にはふん尿をためるつぼが埋まっています。馬屋は現代の駐車場みたいな場所といえるでしょう。

 長屋門の東向かいにある守綱寺(しゅこうじ)は、尾州徳川家の家老職、渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。ここに見事な満開の桜があり、それをバックに集合写真を撮ってもらいました。

<寺部城址>
 寺部城址は住宅街と矢作川の間にひっそりと存在し、今はグランドゴルフのコースもある公園になっています。桜も咲いていました。
 寺部城は15世紀、文明年中鈴木重時によって築城された平城です。のちに渡辺守綱の居城(陣屋)となりました。城の遺構は西側の土塁のみで、江戸時代末から明治期の館の建物の礎石が残っています。建物があった場所には「母屋」、「書院」、「茶席」、「土蔵」、「仏間」などと刻まれた小さな石の銘板が埋め込まれていました。

 豊田スタジアムに戻ってくると、桜を見学する人たちが何組かいました。私たちも桜花爛漫の春を楽しむことができました。

 今日のコースは短い距離でしたが、坂が多くハードでした。坂を喘ぎながら上るのは大変ですが、頂に辿り着けば充実感がありますし、素晴らしい景色に出会えることもあるでしょう。
 ましてや、休みの日ぐらいのんびりしていてもいいと思いますが、参加された皆さんは自転車に乗って体を動かしている方が好きな人たちだと思います。

【サイクリングコース】
豊田スタジアム(午前8時50分)⇒ 国道301号 ⇒ 松平橋 ⇒ 大給城跡〔徒歩〕⇒ 松平城山城そのまんま公園〔徒歩〕⇒ B29友好碑 ⇒ 県道39号・岡崎足助線 ⇒ 松平橋 ⇒ ランチ〔和のん〕⇒ 加茂川公園 ⇒ 旧松本家長屋門 ⇒ 寺部城址 ⇒ 豊田スタジアム・解散(午後1時50分)
走行距離:27km
所要時間:5時間

【参加者】
稲葉栄二さん、大安の西川さん、白のトレックさん、もう一人の野田さん、G-CON谷口さん、BBQさん、じぇーむすでぃーんさん、幹事(まつぼっクリ) 計8人

★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2026」➔「3月28日(土) 豊田の城跡と桜をめぐる」を御覧ください。

https://x.gd/kNoAW

https://hasirenai.com/photo-index2026.html