何の記事か忘れたのですが
7年前にメモしてた読み物
ふと読み直す
年齢を経てますます大切なのは、毎日を機嫌よく過
ごす力「ごきげん力」ではないでしょうか。
人生いいこともあれば、悪いこともある。
馬が合う人もいれば、合わない人もいる。
でも、どんなときでも「ごきげん力」さえあれば、大丈夫。
かつて、タレントの所ジョージさんがこんなことを言っていた。
「お金がないから遊べないんじゃなくて、遊ぼうとしないから遊べないんだ」 わたし、けっこうこの言葉大好きです。
たしかに「遊ぶ」って、パワーがいる。
時間を作らなければならない。
お金も作らなければならないかもしれない。
他人と遊ぶなら、気も使わなければならないこともある。
でも、「遊び」は、心を豊かにしてくれるとわたしは、信じている。
だって、「遊ぶ」ことによって、今まで自分が知らなかった世界を発見できるかもしれない。
自分が知らない価値観を知ることもできる。
何より、楽しい。
また、「遊び」を通して動物は、能力を高めるという説もある。
実際に、子どもの頃は、遊びを通して、学ぶことや気づくこともたくさんあった。
また、「遊び」を通して集団で行動することも覚えた。
子どもの頃は、ごきげんに遊んでいるだけで褒められた。
おとなになったら、ごきげんに遊んでいたら、「何を遊んでいるんだ」と、怒られたりするけれど。
「遊び」は、人によっても違う。
たとえば、ゴルフが遊びな人もいれば、仕事やスポーツの人もいる。
お酒を飲むのが遊びな人もいれば、仕事の人もいる。
わたしなりにおとなになってからの「遊び」を定義してみた。
どうでもいいこと。
別にやってもやらなくてもいいこと。
ただし、それをやっていると、モチベーションが上がったり、楽しくてごきげんになれること。
また、それを通して、人間関係が広がったり、知識が増えるもの。
こう考えると、わたしにとって、「旅行」も「友達との食事」も「温泉」も、漫画を読むのもゲームをするのも「遊び」。
でも、遊べる自分がいることが幸せかもしれない。
いっぱい「遊び」を知っていることが財産かもしれない。
そして、遊ぶ目標があるからモチベーションが上がる。 こんなことを考えていたら、ふと、ある女性社長のことを思い出した。
彼女は、大ぞの千恵子さんという。
わたしよりも10歳年上。
わたしが30代で彼女が40代の時だった。
彼女とわたしは、よく一緒に遊んだ。
旅行に行ったり、お酒を飲みに行ったり、有名な人の講演会に行ったりした。
そして、彼女はよくわたしにごちそうしてくれた。そんな彼女に、 「いつも、ごちそうになってすみません」 と、言ったとき、笑いながら、こんな言葉が返ってきた。
「何歳になっても、一緒に遊んでくれる人がいるって、財産だよ。人間、年齢を重ねれば重ねるほど遊んでくれる人の幅が狭くるの。
あなたみたいに年下でわたしと遊んでくれる人は、大切にしなきゃ」 その時は、「そんなものかなあ」と、思ったけれど、今になると、彼女のその言葉がすごく分かる。
同年代や年上で遊んでくれる人はいる。だけど、年下に遊んでもらうのって、けっこう難しい。
「わたしに合わせてよ」なんて言っている時代じゃない。
わたしたちが彼らに合わせなければ遊んでもらえない。
それだけに、彼らからもらえる情報も大きい。 「そんな見方しているんだ」 「そんなものが流行っているんだ」 とっても勉強になる。
何よりも、年上とばかり遊んでいると、話題が健康とか病気の話ばかりになる。
そんな話ばかりしていると、「夢」とか「希望」を忘れそうになる。
「僕、地域を元気にしたいんです」 「もっと、海外を見たいんです」 「映画を作りたいんです」 と、いう話も聞きたい。
また、年上の人とばかり遊んでいると、葬式、入院、病気と、遊べなくなる人が増える。
いずれは自分もその仲間入りをするのかもしれないけれど、せめて自分が元気なうちは、遊べる人が増えるほうが楽しい。
だからこそ、わたしは、「遊ぶ」ということをとっても大切にしたい。
遊んでくれる人をいっぱい、大切にしたい。