日本語好きな人、寄っといで -8ページ目

聞き苦しいことば・・・「チデジ」

最近テレビで「これまでのテレビが、近く『チデジ』に替わります。」ということばがよく聞かれます。
「チデジ」とは、「地上デジタル放送」の略語ですが、この語の音の響きの悪さが気になるので、音相分析でその原因を調べてみました。
表情解析欄の上位の部分を見てゆくと、次のように「静と動」「硬と軟」「明と暗」など、反対方向を向く表情語が高ポイントで並んでいるのがわかります。
    個性的(64.3p)  と  適応性(50.0p)
    現実的(60.0p)  と  優雅さ(45.5p)
    シンプル(50.0p) と  高級感(50.0p)
    シンプル(50.0p) と  非活性的(45.0p)
若さ(50.0p)   と  非活性的(45.0p)
強さ(50.0p)   と  非活性的(45.0p)
強さ(50.0p)   と  安らぎ(68.2p)
         ・・・・・・・・・
これらが互いに反発し合うため、騒々しいばかりでまとまった表情が見られないことばになっているのがわかります。
この語は、「デパチカ」、「パソコン」などとよう、意味を持つ2つの語をつなぎ合わせたもので、意味中心で考えられ、音への配慮がほとんどないことばですから、そういうことばを分析しても、この語のように明白な表情が出てこないものが多いのです。
またこの語のいま1つの欠点は、注意事項欄にあるように「難音感」をもっていることです。
難音感とは、言いにくさや、聞きにくさをいいますから、ネーミングとしてはなるべく避けたいことばです。
 難音感が生まれるには、同じ調音種が3つ以上連続するときなど、9つのパターンがありますが、この語の場合は「で、じ」と濁音が連続したために起こったものです。(難音語については、小著「日本語の音相」(小学館スクウェア社刊)の255ページをご参照ください)

[チデジ]は何のイメージも伝えてこないばかりでなく、聞き苦しさや不快感を抱くことばであることがわかるのです。

甲子園球児、「斉藤佑樹」の人気の秘密

駒大苫小牧の田中将大選手と競り合って優勝し、一夜にして全国の人気者になった早稲田実業の斉藤佑樹君。
そのあまりの人気ぶりの奥にあるものをさぐってみようと、名前の音相を分析してみました。

 表情解析欄のトップで
静かさ、穏やかさ    30.0p
    安定感、落ち着き    27.3p
    信頼感、存在感      27,3p
    高級感、充実感     25.0p
    優雅さ、高尚さ     18,2p
など、この人が基本に持っている「高尚、優雅」なムードを表現していますが、表情解析欄の最高ポイントが30.0と低めたため、軽さや派手さを抑え、怜悧で奥ゆきのある内面性が見られます。
またそんな雰囲気とは裏腹に
強さ、鋭さ       25.0p
個性的、特殊感     21.4p
溌剌さ、若さ      12.5p
など、スポーツマン的な要素も高く表現され、情緒欄でも「スポーティー、スピード感」の項が85.7pと突出しています。
テレビなどからうけたイメージと寸分たがわぬこの分析表から、人の性格と名前の音相の不思議な関係を考えずにはおれません。

感性豊かなグリコの「ポッキー」

人類がことばを使うようになったとき、私は擬態語や擬声語(これらを擬音語といいます)が大きな役割を果たしただろうと想像するのですが、そういう因縁からか、擬音語は何となく人間の温もりを感じることばのように思われます。
現代の新語や流行語の中にも「だべる、へたばる、スカッと」など擬音語から発展したと思える語が大変多いですが、そういう擬音語の親近感を利用して効果をあげているのがこの「ポッキー」といえましょう。
棒状のビスケットにチョコレートを塗った「ポッキー」を口に入れて折った感触をそのままネーミングにしたセンスの良さは高く評価されてよいでしょう。
そればかりか、この語の音相がまたたいへん優れているのです。
 分析表の表情解析欄を見てみると、
  個性的、特殊的     64.3p
     動的、活性的      60.0p
     シンプル、明白     50.0p
     若さ、溌剌さ      37.5p
   軽快感、軽やかさ    27.3p
   明るさ、開放的     26.7p
 
とあるし、コンセプト・バリュー欄では男女ともジュニアとヤングが好む音とあり、「スピード感」、「スポーティー」、「簡便さを感じる語」が出ているなど、この商品のコンセプトをそっくり表現した音を持つ語であることがわかります。
そのような音相が生まれた理由として、分析表から次のものが取り出されます。
(1)4拍〔音〕中の3拍が、明るさや軽さを感じる無声音(ポ,キ)と促音(ッ)でできていること
(2)無声音と促音が作るその「せせこましさ」を語末に長音を置いて安定感を作って終わらせていること
(3)逆接拍の「ポ」が、奥行き感や優雅感をつくっていること
逆接拍とは子音と母音がプラス(明るい)とマイナス(暗い)の反対方向を向く音のため、子音、母音が同じ方向を向く「ピッキー」や「パッキー」「ペッキー」などでは表現できない奥の深さや味わい深さを作っており、それが大人にも親近感を感じさせる大きな原因になっているのです。

FMラジオ【J-WAVE】で所長がOnsonicⅡを解説

8月11日のFMラジオ、「J-WAVE」の番組「ウエークアップ・東京」(5時~7時)で、木通所長が新ソフトOnsonicⅡの機能や効用などについて約15分間、放送しました。  
 その際、局側から、「いま売り出し中の外国の新人ミュージッシャン10名の中で、一番高い人気がでるのは誰かをOnsonicⅡを使ってとりだしてほしい」という要望があり、新しいソフトの初仕事として解析し、その結果を発表するという一と幕がありました。
 ちなみに、解析した結果、次の3人が高い順位で取り出されました。
ジェームス・モリソン
テディー・ガイガー
ジェームス・ブラント・・・・
なお、この選出の際の前提となるコンセプトとして、木通所長は次のものを設定しました。
 1、ポピュラー性があること
 2、人や時代を引っ張るパワーがあること
 3、あでやかさがあること
 4、明るさと軽快感があること
これは、現代ミュージックに暗い木通所長の独断でおこなったものなので、コンセプトの設定に誤りがあれば、結果はまた違ったものになるはすです。

日本経済新聞で新ソフト「OnsonicⅡ」が紹介されました

音相研が今回開発した「OnsonicⅡ」は、ネーミングをつくるとき大量の案の中からコンセプトにかなった優れた案を瞬時に取り出すソフトですが、8月1日の日本経済新聞紙上に次の記事が掲載されました。


onso

「麻痺現象」に気をつけよう

あることばに最初に出会ったとき、音の流れにぎこちなさを感じたのに、使いなれてゆくうちにそれが気にならなくなるということがよくあります。これを私は「ことばの音が持つ麻痺現象」と呼んでいます。

18年前「平成」という元号が発表された日、マスコミは町の人の声をいろいろ報じていましたが、その内容には「平凡」「感じがよくない」「明るさがない」「夢や意欲を感じない」などがほとんどで、無条件で「良い」と言った人はほとんどゼロのようでした。
この語を聞いて即座に「ノー」と答えた現代人一般のことば感覚の鋭さに私は深く感じ入り、当時担当していたある新聞のコラム欄で次のように書きました。

『この語は、穏やかで安定感はあるが、暖かさや親近感がなく、新時代への感動や夢がないことばだ。その原因を作っているのは、疎外的、排他的なイメージの強い「エ」音を全音(4音)で使っていることと、調音種にあいまいなイメージを作る「摩擦音」しか使っていないアンバランスにある』
と書きました。
ところが、それから3カ月後、同じ新聞社が同じ方法で街頭調査を行ったところ、今度は全く反対に「感じがよい、明るい、使いやすい」など肯定的な評価ばかりになっていました。

ことばはこのように、始めの第一印象が悪くても、使い馴れてゆくうちに「あまり悪くない」から「良い」にまで変わる傾向があるのです。
この現象は、元号や地名のように日常高い頻度で使われることばほど早い段階で現われるのです。
ことばに「麻痺現象」があるのなら、初めの第一印象など気にすることはないという人もいるでしょうが、麻痺をするのは表面だけで、初めに直感した第一印象は人びとの潜在意識の奥底で、いつまでも初めの第一印象がほとんど同じ形で居座り続けるのです。
このことは、平成を冠する社名が東証第一部上場の企業の中に1社もないのを見てもわかります。
とりわけ社名変更などが多かった平成年間に、大切な社名にこの名を使う気になる人がいなかったからなのです。それは人びとの潜在意識が拒んだものなのです。

「麻痺現象」について思うとき、何の効果も上げていないネーミングが、麻痺現象のお陰で厳しい批判から免れている多くの例を考えずにはおれません。

かつて、レナウンという会社が「フレッシュ・ライフ」という防臭抗菌ソックスを作りましたが、商品の優秀さにもっかわらず何時までも売上が伸びなかったため「通勤快足」とネーミングを変えたとたん、売上が9倍に伸びたということがありました。
「フレッシュ・ライフ」という音は明白な表情をもたない極めて印象不鮮明なことばですが、「通勤快足」は破裂音や破擦音、それに無声音を多く使って目の覚めるような「若さ、活力感、新鮮さ、明るさ」の表情をもったことばです。
「フレッシュ・ライフ」は麻痺現象のお陰でとりわけ厳しい批判をうけることもなかったため、漫然と居座り続けただけのものだったのです。
また、注意しなければならないことのは、「麻痺現象」のおかげで、苦情や批判から免れているものを、ネーミングが良いから批判がないのだと勘違いする怖さです。

現在使っているネーミングも、正規の音相分析を行って、その語自体がもつ「裸の価値」を見なおしてみることが必要なのです。
   (終わり)

亀田興毅」(かめだこうき)を分析する

人の名前を分析すると、「表情解析欄」にある20の表情語の中から、「明るさ、優雅さ、行動的、若さ、派手さ、安定感…」など、その人らしい表情語が取り出されてきますが、最近珍しい音相の名前の人を見つけました。先日、ボクシングの世界チャンピオンになった人、亀田興毅です。
この名前を分析すると表情解析欄に「シンプル・単純」という項がただ1つ出るだけで、19ある他の表情語はすべてゼロポイントになっています。
またその他の欄からも「ヤングやジュニアに愛される」「スピード感がある」が出るだけで、これらから取り出されるのは「スポーツや音楽などに一途に激しく突っ込む性格の人」ということです。
しかしながら、分析表をよく見ると、「複雑度欄」に高ポイントの「4」がでています。複雑度の標準は1~2だから、亀田は普通の人の2倍以上の複雑さをもっていることがわかります。

複雑度が高いということは、人間的な奥の深さや行動の幅の広さを意味します。
彼は持って生まれた「直情径行的」性格に元を置きながら、今後誰もが予想しなかったような意外な生き方をする人であることが考えられるのです。
 どのような変わり方をするかは、彼をとりまくこれからの環境と本人の努力によって決まることは言うまでもありません。

名句に聞く「春の音」

 春の海 ひねもすのたり のたりかな 
 春なれや 名もなき山の 薄霞


 どちらも春を詠んだ与謝蕪村の著名な句ですが、けだるくのどかな春のただずまいが、春らしい「音」を使って見事に表現されているのがわかります。


 春の感じをことばの音で表すには、響の強い破裂音(パ、タ、カ行音)系の音をなるべく使わず、のどかさや暖かさを作る摩擦音(サ、ハ、ヤ、ワ行音)や鼻音(マ、ナ行音)、流音(ラ行音)(濁音と拗音を含む)を多く使うことによって生まれます。
 両句の場合、これらの音がどれほど使われているかを見てみましょう。

「春の海」・・・は、る、の、み、ひ、ね、も、す、の、り、の、り、な
(17音中13)
「春なれや」・・・は、る、な、れ、や、な、も、な、や、ま、の、す、す、み
(17音中14)

 どちらも、音相論を意識して詠んだと思われるほど、これらの音が多く使われているのがわかります。


 ある雰囲気を表現したいとき、このような音が作るイメージへの配慮を忘れてはならないのです。
 これは文章や詩やネーミングや普段の会話などにも通じる、ことばの裏にある隠し味なのです。

イメージの方向を作る有声音と無声音

 ことばの音を大きく分けると、無声音有声音になります。


 無声音とは声帯を振動させずにだすパ・タ・カ・サ・ハ行音をいい、「現代的、健康的、軽快感、明るさ、スピード感、爽やかさ」などの表情をつくるため「ペプシコーラ、カルピス、コカコーラ、カプセルホテル、ポルシェ、ポカリスウエット」のような語の中で多く使われています。


 また、有声音とは声帯を振動させてだす無声音以外のすべての音をいい、無声音とは反対の「優雅、落ち着き、穏やか、豪華、奥行き感、暖かさ」などの表情を作ります。そのため、「ダイヤモンド、エレガント、ジョニーウオーカー、メロン、サントリー・オールド、ロマン」などの語に多く使われます。 


 日本語にはアイウエオ、カキクケコなど138個の音節(拍)がありますが、日本語の中で使われている音節(拍)の40数%は響きの明るい無声音で、残りの50数%が暗さやマイナス方向のイメージを作る有声音でできています。

 日本語が外国語に比べ派手さがなく落ち着いたことばだと言われているのは、使われる子音に有声音が多いことと、1つ1つの音節の終わりに有声音である母音がくるため、有声音の使用が目立って多いからなのです。

主観的見解の多い専門家の評論や評価

 ことばの音がもっているイ具体的なメージや表情についての研究は、言語関係の学問ではどこでも行われていないため、イメージのことになると実用面でことばと取り組んでいる作家や評論家の論評などにも、抽象的で隔靴掻痒のものや、見当外れなものに遭遇することが少なくありません。



 ある新聞の俳句欄で、

まじり合ひて 濁らぬ泡や 冬泉

とうい投稿句がありました。これに対して高名な俳句作家が次のように論評していました。
「前半にある濁音が、この句から清澄な印象を奪ってしまった」と。

 確かにこの句は、表現しようとしている意図とは裏腹に、清澄感の表現に欠けていることは指摘されたとおりですが、その原因は「全半にある濁音」(じ)だけのあるのでなく、それ以外の原因となるものが多く見落とされているのです。
 「清澄感」を作るには、
1、濁音を少なくする。
2、有声音を少なくする。
3、無声摩擦音を多く使う。
4、「イ列音」を多く使う。
が必要ですが、この句が満たしているのは4、の「イ列音」が多い(注、18音中6音)だけで、濁音は前半の1音(じ)のほか「ご、ず」の3音あることが大きな原因ですし、少なかるべき有声音はこの句では「て」以外の17音(94%)と異常に多いこと、また無声摩擦音は、「冬」の「ふ」ただ一音しかないことなど清澄感を作る大事なものが見落とされていることの指摘がないことです。

 このように専門家の論評でも、ことばのイメージのことになると、客観的裏づけのない個人の主観によって論じているものがたいへん多いのです。