第2章 太古の匂いが今も残る島 (10)
ある日我々の船の前にマグロはえ縄漁船が着いた。小笠原近海で「はえ縄漁」をしていたがさんご礁に船の船首部を座礁させ、緊急避難してきたとのことである。船籍は高知県で乗組員は日本人3人、インドネシア人8人といった構成であった。すぐに仲良くなった。我々の難民生活状態を見て、夕食をご馳走してくれると言うことになった。
マグロ漁船に乗るのも初めてであり、美味い魚も食べられると思い、いそいそ出かけてみた。若いインドネシアの少年が手際よく1メートルもあるカツオを捌いている。どんなところで食事をするのか、うきうきしていると案内の少年が船尾甲板に連れて行ってくれた。そこが食堂なのである。
立ち食い食堂である。これがこの人たちのいつもの食卓でテーブルなどもちろんなく料理を床に並べ、その周りに立って食事を取る、これが彼等流の食べ方なのである。それを何ヶ月も文句のひとつも言わず、続けているのだと思うと、我々がいかに生ぬるく、それも考えられないような快適な環境の中で、生きているのだと思うと思わず頭がさがってしまう。
高知風のカツオの食べ方が面白い。カツオの刺身をたまねぎのスライスした上に並べ、それにマヨネーズをたっぷりかけ、さらに醤油をかけ食べるのが高知のマグロ漁船での食べ方だそうである。
にんにくをそれに加えるのも良いが、あいにくこの船の漁労長がにんにくが嫌いなそうで、今回はニンニク入りは食べられなかった。ともあれ、意外とマヨネーズかけのカツオの刺身が美味い。決して見た目は良いとはいえないミスマッチのような刺身であるが味は良い。特にあまり脂の乗っていないようなカツオを食べる場合はこのようにして食べるのが美味しいと言う、箸でざっくり取り腹いっぱい刺身を堪能した。
インドネシアの少年、多分17歳~20歳位だと思う。バリ島出身、あどけない少年たちである。彼らの月給は月2万円、ボーナス5万円それが1年の収入になり、5年間働いて、60~70万円ほどの貯金をして、国に帰るそうである。
彼らの仕事は「はえ縄」の投入と回収など漁に関する作業の全てを漁労長の指示の元に行う、過酷な労働である。時化た海での漁で海に落ちて命を落とす少年もいるそうだ、波の力は我々が想像できない程の力を持っており、甲板上の全ての構造物を一瞬にして持ち去るほどの破壊力がある、彼らはそんな中で昼夜漁に励んでいるのである。
そうだ、こんなことも有った。彼らは船が接岸しても船の外に出てはいけないらしい。どうやらパスポートか就業免許の関係らしいが、可愛そうなものである。母港の高知県では町に出ても良いが、母港以外では、基本的には下船してはいけないようなのである。
少年の中に1人日本語が比較的上手な年長の少年がいた。彼が日本人と少年たちの間に立って、さまざまな問題を捌いたり、船長や漁労長の支持を伝えているようである。
漁船では船長より漁労長の方が権限は上のようであり、もっぱら漁労長がこれら少年たちを叱咤激励して、漁に勤しんでいるようであり、海の上では相当厳しい漁労長らしいが、陸に上がったら、面倒見の良い漁労長に、変身して親子のようなほほえましい関係が見られる。
少年に故郷に帰りたくはないかと聞いたら、国に帰っても仕事がなく、食べて行けない、生死にかかわるつらい仕事でも、仕事がある方が良いと言った答えが返ってきた。その少年ももうすぐ貯金が60万円を越すそうで、今回の航海が終わったら国に帰って自転車屋さんを開業したいとのことであった。どうか無事に航海を終え、国に帰り、夢である自転車屋を開業し、幸福な人生を送って欲しいものである。
